しかしそれらの劇場映画の多くが、原作漫画本編のエピソードの隙間に挟み込まれる番外編的な物語であるのに対して、『無限列車編』は本編のエピソードを映画化している。
つまり、アニメシリーズの続編でれっきとした本編なのだが、こういった展開はジャンプ漫画のアニメ化では例がないものである。むしろ『踊る大捜査線』(フジテレビ系)等のテレビドラマを劇場映画にする時のアプローチに近い。
原作漫画の映像化に忠実で、かつテレビアニメと劇場アニメが有機的に繋がっているメディア展開は異例なものだが、この漫画とアニメの連携の巧みさこそが近年のジャンプアニメの強さである。
元々、ジャンプ漫画を原作としたアニメは80年代から多数存在した。しかし、当時はまだ、漫画は漫画、アニメはアニメという感じで、劇場アニメが作られる時も、作者の関わりは、オリジナルキャラクターのデザインを担当することぐらい。制作はあくまでアニメ会社主導だった。
特にジャンプ漫画は、週刊連載という過酷なスケジュールだったため、他ジャンルのメディア展開に作者が関わることが難しかった。
放送形態も、現在の深夜アニメのように短い期間にまとめて放送し、時間を空けて新シーズンを放送するといった分割放送ではなく、一度アニメがスタートすると人気があれば何年も続くことが当たり前だった。そのため、物語が原作に追いついてしまうことも少なくないため、無理やり話を引き伸ばしたり、オリジナルエピソードを放送することも多かった。漫画とアニメは別モノと長い間、思われていたが、近年はだいぶ状況が変わってきている。
原作通りか、オリジナルか
アニメ化の際に、原作どおりに作るか? 別モノと割り切ってアニメでしかできないことをやるか? これは漫画を映像化する際に常につきまとう悩ましい問題である。
『無限列車編』は、前者のアプローチによって大成功したが、宮崎駿監督の『ルパン三世 カリオストロの城』や押井守監督の『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』などアニメ独自の解釈で高く評価された漫画原作の劇場アニメも、過去には多数存在する。
ジャンプ漫画では、細田守が2005年に監督した『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』が、作家性が強く打ち出された傑作だ。しかしこれらの作品は良くも悪くも監督の作品という評価で「これは違うのではないか」と、原作ファンから厳しい批判にさらされるものも少なくない。
そもそもページをめくり、絵を見ながら台詞やモノローグを読む漫画と、限定された時間の中で絵を観ながら台詞やモノローグを聴くアニメとでは、同じ映像表現でも似て非なるもので、だからこそアニメ化においては翻訳が必要となる。その際に必要なのは原作に対する深い理解だが、もしもアニメスタッフの理解が原作者やファンの意向とズレていると、作品に対する反発を招いてしまう。
だったら、作品のことを一番理解している人間、つまり原作漫画の作者にはじめから深く関わってもらおうというのが、近年のジャンプ漫画の劇場アニメに対するスタンスだ。
漫画とアニメが連動したメディア展開
転機となったのは、2009年に公開された『ONE PIECE FILM STRONG WORLD』だろう。本作は『ONE PIECE』の作者である尾田栄一郎は製作総指揮として参加し、すべての要素をチェックしている。本作に登場するラスボス「金獅子のシキ」の異名が、原作漫画に登場するといった原作と映画のリンクは、作者が深く関わっているからこそ実現できたことだ。また『無限列車編』でもおこなわれた劇場映画公開の際に前日譚となる描き下ろしエピソードが収録された『ONE PIECE 巻零』の入場者プレゼントが行われたことも大きな変化だろう。
全文はソース元で
https://news.yahoo.co.jp/articles/c25d4e76dfd7f9bce277f09418bd7b91c3e60123
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