12/12(土) 14:54配信
スポーツ報知
取材に応じた伊東四朗。フェイスシールドを着けて心境を語った
7日に肝細胞がんのため78歳で亡くなったコメディアンの小松政夫さんとテレビ朝日系「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」の「電線音頭」や、TBS系「笑って!笑って!60分」の「小松の親分さん」などで「最強コンビ」「黄金コンビ」と言われた俳優の伊東四朗(83)が12日、都内で文化放送のレギュラー番組「伊東四朗 吉田照美 親父・熱愛(パッション)」への生出演前に報道陣の取材に応じた。
【年表で詳しく】たくさんの笑いをありがとう…小松政夫さんの歩み
フェースシールドをしてゆっくりとした足取りで現れた伊東。小松さんの訃報は11日午後4時頃、関係者を通じて伝えられたという。「こまっちゃんと死亡するということは、なかなかくっつかなくて、昨日は立ったまんましばらくぼうぜん自失。こんな経験は昭和57年の三波伸介が亡くなった時以来ですね。しばらくぶりに自分をなくした」と落胆した。
2人は、伊東が30代に入る前の頃に生放送の番組で出会った。その後、日本テレビ系「シャボン玉ホリデー」で再会。70年代後半には「笑って!笑って!60分」「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」で、週2本の番組で共演し“名コンビ”としてお茶の間を湧かせた。「一緒に闘った戦友だなと思っています。コンビを組んだことはないんですよね。事務所も違いますし、でもなぜか気があった」。かけがえのない盟友だった。
一方で、一度コンビを組むという話になったこともあったという。「こまっちゃんが『いっそのことコンビになった方がいいかな』と。当時『ジョーズ』という映画がはやっていたので、(コンビの名前は)『オジョーズってどうかな』って。結局は立ち消えましたが、一時はコンビになる可能性もあった」と懐かしそうに振り返った。
最後に会ったのは、昨年5月に放送されたテレビ朝日系「徹子の部屋」に2人で出演した時。「普通この年齢の男が会うと『どうなんだよ』って体調のことから入ることもありますが、全く(健康の話)なかった。健康そのものだと思っていましたよ」。
体調が悪かったことは最後まで聞かされていなかったという。「なぜなんですかね…一言言ってくれれば会えたのに」と言葉を詰まらせ「『久しぶりに師匠である植木さんに会えてうれしいんじゃない』って言いたい。また元の師弟関係に戻って植木さんの付き人として走り回ってほしい」と追悼した。
約30分にわたり、時に笑い、時に涙目で「こまっちゃん」との思い出を語った伊東。ラジオ収録の打ち合わせのため、取材が打ち止めになると、最後にポツリとつぶやきながら会見場から去った。「変な男ですよ、彼は」。そう言葉を残した後ろ姿は、少しさみしそうだった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e72de70b52f48306e5860833e74fa2c234823747
スポーツ報知
取材に応じた伊東四朗。フェイスシールドを着けて心境を語った
7日に肝細胞がんのため78歳で亡くなったコメディアンの小松政夫さんとテレビ朝日系「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」の「電線音頭」や、TBS系「笑って!笑って!60分」の「小松の親分さん」などで「最強コンビ」「黄金コンビ」と言われた俳優の伊東四朗(83)が12日、都内で文化放送のレギュラー番組「伊東四朗 吉田照美 親父・熱愛(パッション)」への生出演前に報道陣の取材に応じた。
【年表で詳しく】たくさんの笑いをありがとう…小松政夫さんの歩み
フェースシールドをしてゆっくりとした足取りで現れた伊東。小松さんの訃報は11日午後4時頃、関係者を通じて伝えられたという。「こまっちゃんと死亡するということは、なかなかくっつかなくて、昨日は立ったまんましばらくぼうぜん自失。こんな経験は昭和57年の三波伸介が亡くなった時以来ですね。しばらくぶりに自分をなくした」と落胆した。
2人は、伊東が30代に入る前の頃に生放送の番組で出会った。その後、日本テレビ系「シャボン玉ホリデー」で再会。70年代後半には「笑って!笑って!60分」「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」で、週2本の番組で共演し“名コンビ”としてお茶の間を湧かせた。「一緒に闘った戦友だなと思っています。コンビを組んだことはないんですよね。事務所も違いますし、でもなぜか気があった」。かけがえのない盟友だった。
一方で、一度コンビを組むという話になったこともあったという。「こまっちゃんが『いっそのことコンビになった方がいいかな』と。当時『ジョーズ』という映画がはやっていたので、(コンビの名前は)『オジョーズってどうかな』って。結局は立ち消えましたが、一時はコンビになる可能性もあった」と懐かしそうに振り返った。
最後に会ったのは、昨年5月に放送されたテレビ朝日系「徹子の部屋」に2人で出演した時。「普通この年齢の男が会うと『どうなんだよ』って体調のことから入ることもありますが、全く(健康の話)なかった。健康そのものだと思っていましたよ」。
体調が悪かったことは最後まで聞かされていなかったという。「なぜなんですかね…一言言ってくれれば会えたのに」と言葉を詰まらせ「『久しぶりに師匠である植木さんに会えてうれしいんじゃない』って言いたい。また元の師弟関係に戻って植木さんの付き人として走り回ってほしい」と追悼した。
約30分にわたり、時に笑い、時に涙目で「こまっちゃん」との思い出を語った伊東。ラジオ収録の打ち合わせのため、取材が打ち止めになると、最後にポツリとつぶやきながら会見場から去った。「変な男ですよ、彼は」。そう言葉を残した後ろ姿は、少しさみしそうだった。
![伊東四朗「変な男ですよ、彼は」涙目で盟友・小松政夫さんを追悼 コンビ結成話があったことも告白 [爆笑ゴリラ★]YouTube動画>2本 ->画像>1枚](https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20201212-12120095-sph-000-4-view.jpg)
https://news.yahoo.co.jp/articles/e72de70b52f48306e5860833e74fa2c234823747