「人は道化でいい」BiSHのアイナ・ジ・エンドが悩む若者に示した「太宰治の世界」
「人前では素の自分になれない」という悩みは、いまや10代、20代に共通する悩みです。私が編集長を務める『不登校新聞』では、不登校経験者などが「この人になら自分の悩みを聞いてほしい」と思う人にインタビューをしています。
今回、取材したのは、“楽器を持たないパンクバンド“BiSHのアイナ・ジ・エンドさん。若者から支持を集めるアイナさんに、21歳の女性が等身大の悩みをぶつけてみました。
「私もウソでつくられてきた」
――私は、がんばり続けることがやめられないんです。私には友だちもいるし、学校やバイトにも行けますが、すごくがんばって、今の状態を保っているんですね。がんばり続けないと自分を保てず、素の自分ではいられなくなっちゃう。ただ、がんばっているから、ある日、疲れがどーっと出て来て動けなくなってしまう。動けなくなって、大学も2度中退しました。どうしたらいいんでしょうか?(21歳・女性)
がんばり続けてないとしんどいという気持ち、よくわかります。ただ、素の自分でいればよい、とは私は思わないです。
だって「彼氏ができた」、「今日はデートだ」とか、なんでもあけっぴろげに言われても聞いたほうが困ります。人前で取りつくろっていたり、自分に無理をしていたり、ウソをついてもよいと思うんです。作家・太宰治は、そういう行為を「道化」と呼んでいました。
太宰治は、時代の先端を歩いていた文豪ですが、一方で、人前ではおどけてウソをつくなど道化をせずにはいられない人でもあったそうです。
太宰治の自伝的小説『人間失格』などを読んだとき、「私もウソでつくられてきた」ってすごく共感したんです。だから、人前で素の自分を見せる必要はありません。道化だっていいんです。そういう人のほうが私は魅力や奥行きを感じます。
ステージごとに自分を使い分ける
一方で「がんばり続ける」こと自体は、すごくしんどいことですよね。私もコロナ禍の前までは多忙すぎるスケジュールをこなしていた時期がありました。毎日ほとんど寝れないときや、ライブも多いのに声も枯れてすごく焦ったときもあります。
そんな生活をしていたら全身に帯状疱疹ができてしまったんですね。そうなるともう歩くだけで痛い。いまはふつうの生活をしていますが、正常な感覚がちょっとずつ戻ってきました。ご飯ってこんなにおいしかったんだとか、ごみを捨てるとさっぱりするなとか。
私の場合は極端ですが、がんばり続けるってよくないんです。心か体、どちらかに異変が出ちゃうと思っています。
――「道化でもいい」という話が印象的でしたが、それは歌や踊りにも言えることですか?
表現をする場面ではウソがないです。私の場合は、歌詞も歌声も自分からにじみ出てくるものなので、特別な感情を感じたときほど、他人には話さないようにしています。他人に話すと気持ちがすっきりしますよね。でも、すっきりしちゃったら歌詞は書けません。
振付をするとき、歌詞を書くとき、そういうときに気持ちを爆発させるよう自分のなかにため込んでいます。感じたことを取っておくために心の中で「フォルダ分けしている」と言ったほうが感覚としては近いんですけどね。いま質問されて無意識にそうしていたことに気づきました(笑)。
なのでステージごとに、自分を使い分けてもいいんだろうなとも思っています。
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