巨人の坂本勇人(31)が、8日のヤクルト戦で日本プロ野球史上53人目となる通算2000安打を達成した。本拠地・東京ドームでの達成は球団生え抜きでは初。31歳10カ月は歴代2位。右打者での達成は最年少だ。
光星学院高(現・八戸学院光星高=青森)時代の恩師で、現在は明秀学園日立高(茨城)の金沢成奉監督が日刊ゲンダイに独占激白した。
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「あのヤンチャなガキ大将が、まさかここまでの選手になるとは……夢は叶うんやなと。勇気、希望をもらえます」
感慨深げに振り返る金沢監督と坂本の出会いは2003年の夏だった。中学生だった坂本が所属するチームを訪ね、練習を見たのが最初だ。
「身のこなしが柔らかく、『プロに行く子だな』とピンときました。ただ、かなりヤンチャだっていうんです(笑い)。当時『ヤンチャな子は“更生学院”の金沢に預けろ』と言われていた」
ノックを「死ねボケ!」と言いながら返球
兵庫から青森へ“野球留学”。案の定、金沢監督は手を焼いた。
「最初の頃は授業態度も良くなくて、職員室に呼んで『プロに行ったとしても、野球以外のこともしっかりやらんヤツは一流になれんぞ』と諭すと、『そんなわけないやろ』とふてくされる。練習をさぼることはありませんでしたが、ノックを『死ねボケ!』と言いながら返球してきたり(笑い)」
高校1年の冬、正月休み明けに兵庫の実家から寮に戻ってくると、鼻にピアスをしていた。金沢監督は「それなら辞めろ」とその日のうちに実家に帰す一方で、父親とさまざまな策を講じて思い止まらせた。それも、今となってはいい思い出だ。
2000安打を達成するまでの選手に成長した理由を「反骨精神ですね」という金沢監督。「まだ通過点。あと10年間はやってほしい。3000安打を目指してもらいたい」とエールを送った。
(取材・文=増田和史/日刊ゲンダイ)
※金沢監督のインタビュー全文は、11月9日発売の日刊ゲンダイ本紙に掲載します。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f8520ba889e1a6b8feb11f872e9c3df96c4efbf3