猿渡由紀 | L.A.在住映画ジャーナリスト
6/23(火) 6:04
ハリウッドの映画監督で脚本家のジョエル・シューマカーが亡くなった。80歳。青春映画「セント・エルモス・ファイアー」や、ジュリア・ロバーツの初期の映画「フラットライナーズ」、日本で大ヒットしたジェラルド・バトラー主演の「オペラ座の怪人」、90年代の「バットマン」映画2本まで、あらゆるジャンルで活躍した名監督だった。パブリシストによると、この1年ほど、ガンと闘っていたという。
1939年、ニューヨーク生まれ。インテリアデザインを学ぶが、自分の本当の情熱は映画作りにあると気づき、転向を決める。映画脚本家デビュー作は、1976年の音楽ドラマ「スパークル」。同年公開の「カー・ウォッシュ」は低予算コメディで、早くから才能の幅広さを発揮した。1981年にはSFコメディ「縮みゆく女」で初めて監督を務めている。
1985年には、「セント・エルモス・ファイアー」で、デミ・ムーア、エミリオ・エステヴェス、ロブ・ロウをブレイクさせた。この時の思い出について、ムーアは昨年出版した自伝本「Inside Out」で振り返っている。
ムーアがアルコール依存気味であることを聞いていたシューマカーは、衣装合わせの日、ほかの人のいる前で、「ビール1杯だけでも飲んだら、クビにするからな!」と、彼女に言い放った。それだけでなく、彼とプロデューサーのクレイグ・ボームガーテンは、翌日からムーアが依存症更生施設に入るよう手続きまでしていたのである。映画の撮影と両立させるため、30日のプログラムを特別に15日にしてくれたが、現場に行く時はカウンセラー同伴が条件だ。
まだ無名だった自分のためにそこまでするとはと、当時、ムーアは驚いたそうである。しかし、「ジョエル・シューマカー、クレイグ・ボームガーテン、彼らの同僚がサポートしてくれたおかげで、自分ひとりだったら絶対やれなかったことを、私はやってみせられました。彼らをがっかりさせたくなかったし、この映画という、自分よりずっと大きなものがかかっていたからです」と、彼女は本の中で感謝を述べている。
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===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://news.yahoo.co.jp/byline/saruwatariyuki/20200623-00184567/