リーガに挑んだ日本人(2)
1990年末、ヨーロッパにおける日本人サッカー選手の価値は急騰していた。
1998−99シーズン、セリエAの開幕戦で、ペルージャの中田英寿が王者ユベントスから2得点する活躍を見せ、世界中のサッカーファンのど肝を抜いている。中田はシーズンを通して二けた得点も達成。守備の堅さに定評のあるイタリアにおいて、その攻撃センスは燦然と輝いて見えた。
1999−2000シーズンの半ばに、中田は約18億円という移籍金で名門ローマに移籍する。"王子"フランチェスコ・トッティとポジションを争いながら、2000−01シーズンには、栄えあるスクデット(セリエA優勝)を勝ち取っている。これによって、その価値はさらに高騰し、2001年にはパルマに32億円で移籍することになったのだ。
「スポンサーを連れてきてくれるだけでなく、高い移籍金で売れる。こんな"商品"はない」
日本人サッカー選手の熱波は、必然的にスペイン、リーガ・エスパニョーラにも上陸した。
2000年1月、日本代表FW城彰二はスペイン1部リーグ、バジャドリードに移籍している。1998年フランスワールドカップには中田とともに出場。Jリーグでも過去2シーズンは25得点、18得点とゴールを量産、実績は十分だった。
「ストライカーとして基本的なスキルが高く、スペインでも通用する力を持っている」
横浜F・マリノス時代に城を指導したことがあったスペイン人監督ハビエル・アスカルゴルタはそう言って、太鼓判を押していた。
バジャドリードのほかにも、城はラージョ・バジェカーノなどから熱烈なオファーを受けた。引く手あまただったが、マーケティングの色も濃かった。たとえば当時のラージョは、財政難で国際移籍交渉が凍結されていたが、城の獲得でジャパンマネーを期待していた。「金になる」という色気は見え見えだった。しかし、どのような理由であっても、日本人選手に門戸が開かれたのだ。
そして、城はリーガで遜色のないプレーを見せている。オビエド戦では殊勲の2得点。1点目はスルーパスに抜け出し、飛び込んできたディフェンダーをかわした後、左足でファーサイドに巻くようなゴールを決めた。得意としていた宙返りのゴールパフォーマンスも見せている。2点目は、右サイドから上がったボールをエリア内で待ち受け、マークを外し、豪快にヘディングで叩き込んだ。
5/19(火) 6:30
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200519-00894170-sportiva-socc シーズンの得点はこれだけに終わったが、リーグ後半戦は、レギュラーと言える活躍だった。
「城はゴールゲッターとしての生来的な才能を持っている」
当時の監督であるグレゴリオ・マンサーノは、そう証言していた。それは絶賛に近かった。スペインではストライカーは育てるのではなく、「生まれるもの」という考え方があるが、そのセンスに恵まれていることを認めたのだ。
「城は、自らがゴールするだけではない。ポストプレーに優れ、ゴールに背を向けたプレーにも長ける。巧みにボールを受け、体を使ってボールをキープし、起点となって、味方に好機をお膳立てできる。決してエゴイストではない。守備もできる選手で、チームに必要とされる選手だ」
当時のチームメイトで、バルセロナでもプレーしたこともあったMFエウセビオにも、城は「テクニックの高いチームプレーヤー」と、協調性を賞賛されている。1年目としては及第点。レアル・マドリード戦、バルセロナ戦にもスタメンで出場した。当時、24歳だった城は旬を迎えるはずだったのだ。
だがシーズン終盤、不穏な空気が流れ出した。10代の時にひざを痛め、そのままでプレーしていたことがメディカルチェックで判明。それは契約更新の障害になった。2部のクラブへのレンタル移籍なども模索されたものの、やはりひざがネックとなって、交渉はまとまっていない(当時はまだマーケティング優先の移籍が多く、Jクラブに在籍していたほうが年俸自体は高いなど、ひずみもあった)。
しかし、城がひとりのサッカー選手としてスペインで示した功績は小さくない。15試合出場、2得点。それは輝かしい数字ではないが、大事な第一歩と言える。もし、彼がろくに試合に出られなかったら――。リーガの門は再び閉ざされていたはずだ。
2000年12月には、セレッソ大阪から日本代表FW西澤明訓がリーガ1部、エスパニョールに移籍してくることになる。(つづく)
2トップ組んでた選手はそこそこステップアップしてたよな
当時よく見ていたけど通用してたぞ
ハードワークしてチャンスメイクをしていたが
>>1
当時は海外サッカーといえばイタリアが一番。
「城が挑む世界最高のリーグ、観てね!」
と、リーガの権利をゲットしたNHKBSが必死に推していた。
今思えば想像もつかない。 中継先に肥えまくった城彰二が映った瞬間さんまが「ふぁーw」って引き笑いしたのが全盛期
急速に衰えて誰も気にしなくなったな。
賞味期間短過ぎのカスだった。
2002年のときには、もう誰も代表なんて声もないし
落ちても誰も気にしなかった。
わずか3年の代表期間w
俺もガム齧りながらニヤニヤしてプレイしてたのは忘れないよ
城が胴上げをスペインに伝えた説は本当なのかどうか検証を頼む
フィーゴに妻の経営する日本料理屋に招かれて、「率直な感想を聞かせてくれ」と言われて「まずいね」と返してガッカリさせたのは凄いと思った
>>12
フザケンナヨ!
ワールドカップ ハ センソー ナンダヨ! だいたいの試合見た気がするが思ってた以上にやれてた
点はたいして決められなかったが・・・
活躍できたのは実質1試合だけ。
コイツは全然点取れないくせにいいところで替えられたとか
監督のせいにしてた。
リーガでレギュラーだったんだから大したもんよそれもCFで
城彰二上手かったよな
引退直前も中心選手で体張ってキープできてた印象あるんでびっくりした
引退するならカズだろうなと思ってた
>>1
スペインでもFWとしての実力は評価されている(通算2得点)
ジワるね そこそこやれてたから契約延長の話もあった
膝の怪我がばれて流れたがw
まあ通用はしてた
15試合中スタメン12試合
途中出場は慣らし運転だった最初の2試合と代表での怪我から復帰した試合のときだけ
完全移籍の予定だったが中国戦で怪我して靭帯無いのがバレて破談になった
マンサーノザックの時の代表監督候補だったな
中国いっちゃったけど
>>1
外れるのは城の人、海外でめっちゃ散歩したの 城は当時NHK で見てたが充分活躍してたぞ 向こうでは
Joホーとか呼ばれてたが、西澤は全然だめだったけど
中田が凄すぎただけや
城もよくやった
西澤は城よりレベルの高いチーム、あと寡黙なタイプだから浮いてたな
リーガでもポストプレーやれてたからな
だから得点の少なさは目を瞑ってもらえてた
今の代表にいたら普通に大迫とスタメン争うだろ
西澤は初出場張り切りすぎて普段とは違う
走りまくりのハッスルプレイしてて笑えた
>>32
でもスペイン語だとJOは「ホ」って発音すっからみんなから「ホ」「ホ」って呼ばれてたとか だらしなく前髪伸ばして丸顔だから「女の子みたいだから髪切れ」って言われてた
リーガでも普通に通用してたよな
岡田武史の選手を見る目は確か
ジョホールバルでのイラン相手に決めたヘディングはかっこよかった
髪伸ばしてたからホモかオネェだと思われてチームメイト、サポから避けられてた
ラジオで公式に否定してからは練習場にサポが見にくる様になったと言ってた
>>32
スペインのじいさんが「ホーはいい選手だね」とほめていた A乾、久保
B大久保
C城
D家長、柴崎
E中村、清武、西澤、ハーフナー
のらりくらり掴みどころの無い選手って珍しいからな
それで結構ヘディングが強いからDFはやりにくいし
センスのみで点とってたイメージ
当時のリーガは今で言ったらブンデスぐらいの感じだよ
城は垂直飛び105〜110p飛べる選手だったらしいのう
惜しい男を亡くしたもんじゃ
普通に通用はしてたが活躍はしてなかったという微妙なライン
外人枠があるとこういう選手は弾かれる
それでもセリエAのカズよりはずっと良かったのは間違いない
しっかり守備してポストもこなしてと
監督的には重宝してただろう
>>50
城はなんでも出来たからのう
日韓ワールドカップでリベンジしたかったろうに ゴールキーパーと一対一状態で迷わず横パスしてパス貰った選手も驚いてたな。
素人の俺に教えて欲しいんだが、靭帯無くてもそこそこプレーしてんなら、そのまま続ければ良くね?
普通にプレー出来てる奴が、バレたから契約破談の意味が分からない。
>>54
実際その後に物凄い勢いで転げ落ちて行ったから完全移籍見送りは正解だったと言える
既に膝がボロボロだった でも強豪にはまるで通用しなかったな
国内じゃ無双できるんだが
柳沢、大久保タイプ
中山、本田、中田、みたいな持ってるタイプではないようだ
ジョンとホーはJでプレーしていた方が良かったかもなあ
日本のメディカルチェックの緩さや認識のなさが浮き彫りになった事件だったな
バルサで活躍していたクライファートも次にプレミア行ったけど膝で終わっていった
プレミアよりリーガの方がメディカルチェックが緩かったことになるね
>>54
嘘つきや信用できない奴とは契約できないだろw
億の金が動くのに 膝ガタガタでも転売視野に入ってないならそのままやれてたかもな
転売考慮に入れたら例え活躍できても次が無い
>>56
強豪相手なら鈴木隆行だろ
日韓ワールドカップベルギー戦で値千金のゴール決めたし、コンフェデ杯でカメルーン相手に2点入れたし >>66
そうだったのか。
あともう1人覚えてるのが
強いシュートを打つ奴。名もなき選手かもしれないが。
NHK BS-1でスペインリーグ放送してたコロナ。
エンディングの歌がカッコよくてCD買ったわ。
Kula shakerのhey dudeて曲。
ラコルーニャが優勝した頃だな。
ジャウミーニャの曲者感がかっこよかったわ。
セルタはモストボイとFWでキャラが強いのがいたな。東欧の選手だったと思うが。
城は結構上昇しかけた中で代表しかも国内の糞どうでもいいチャレンジマッチで相手はこれまたどうでも良い中国
そんな試合で怪我してそこから転落
あれ以来どうでも良い糞試合に立場築こうとしてる選手は呼ぶなと思ったね
>>75
たぶんそいつ。
無理目な体勢からでもシュート打ってくるんだよ。 アキレス腱が切れてたけど周りを筋肉で固めてプレーしてたって
山田玲司のインタビュー漫画に描いてあったけど
未だに何を言ってるのかよくわからない
こいつ程度で称賛されるなら小野が行ってたら神様扱いだったな
まあ当時のスペインのレベルでってことだが
ベティスはヤルニとフィニディが爆走するのが楽しみだった。
西沢とか大久保はBSで見てたけど城は全然印象ないな
>>79
スペインはタフで激しいリーグ
バレンシアやマジョルカ、エスパニョールもソリッドなカウンターのチームだったし小野はオランダの上位が最適 >>71 このときはマドリーやバルサはそんなに強くなくアトレチコは2部に落ちた時代、巧みな戦力補強とイルレタマジックで優勝したのがデポルであった。 アホ臭
国から仕事もらって偉そうに
自衛隊に納品する業者とかカスしかいねーから
あんなカスらが納税しても意味ないんだよ
国からもらって国に納税
倍以上納税して当たり前
>>46
大久保はデビュー戦でいきなりゴールとアシストして「これかなり行けるんじゃね?」と期待したんだがな
バルサやレアル相手でもドリブルはそこそこ通用してたし
なんで失速したんだろう マスコミの言う称賛ってのは、このレベルの事だなとしか
>>74
国内フレンドリーは基本ウザいのは同意するが
あの時はトルシエの首がヤバくなり始めてて中国戦は一種の留任テストみたいなもんだった
それで0−0で次の韓国戦で追試でそこでも負けて解任不可避の状況になった
その後に揉めに揉めてハッサン2世〜キリン杯で最終評価する事になって解任回避したが >>93
マラドーナが足をへし折られたスタジアム? キレやポジショニングで勝負すりゃよかったのなポスト要求されて筋肉つきすぎて終わったよね
>>4
その2得点は1試合で取ったから残りの14試合はゴール無しって事だもんな 今になって思うとあれが最後の上昇時やったんやなと思うわ
>>46
代表で微妙なやつばかりだよな
久保君が例外になるかもしれんが >>56
大久保は中田や本田レベルの肝っ玉のでかさあったのにな プジョルのユニフォームが酸っぱい匂いしたとか言ってたなw
松田直樹メモリアルマッチで引退してからだいぶたったデブ城だが太っても巧くてビビった。
スペイン行ってダメになった
いかなきゃもっと現役長くできたはず
バジャドリードのスタジアムがかっこよくなるんだよなぁ。楽しみだな。
>>12
空港で水かけられてからの思い出したようにシュート練習も忘れない 相馬も怪我がなければ海外オファーあったんだよね
あと前園もだっけ?
前園はギリシャのどっかからオファーがあったと聞いたことある
>>28
西澤は「おい、こいつのことよくわからないけど、なんとなくジョンって呼ぼうぜwww」って言われて、日本でもしばらくジョンって呼ばれてた >>108
直樹ならフランスW杯後にちょっと声掛けられた程度だよ
その頃は大きな怪我はしていない 城彰二
1シーズン 15試合2ゴール0アシスト
西澤明訓
1シーズン 6試合0ゴール0アシスト
大久保嘉人
2シーズン 39試合5ゴール6アシスト
中村俊輔
1シーズン 13試合0ゴール0アシスト
家長昭博
2シーズン 18試合2ゴール1アシスト
指宿洋史
1シーズン 1試合0ゴール0アシスト
ハーフナー・マイク
1シーズン 5試合0ゴール0アシスト
乾貴士
4シーズン 109試合13ゴール10アシスト
清武弘嗣
1シーズン 4試合1ゴール2アシスト
柴崎岳
2シーズン 29試合1ゴール0アシスト
久保建英
1シーズン 24試合3ゴール2アシスト
>>100
その2人は親分で大久保はチンピラのイメージ >>114
大久保そんなに試合出てたのか
何か干されてたようなイメージあったが記憶違いか 大久保はレンタル延長されたからまあ一定の評価はされたんだろな
全試合見たよ、わくわくしたな
城ほど過小評価されてる奴もそういないだろう
全部ラモスのせい
怪我をしないことは大事だな。
育成年代にトレーニングのコーチが優秀じゃないと駄目だな。
>>114
久保よ
無惨に散った先人達の屍を越えてゆけ >>117
降格を救った救世主だぞ
あとプジョルをちんちんにした >>1
エスパニョールが中村俊輔の獲得を決めた第一の理由は、メディアの注目を浴びるためだ。
クラブは、「彼を通して年間700万ユーロの収入が得られる」と説明している。彼らは
来夏のアジアツアーを計画し、さらなる利益を得ようとも考えているのだ。
だがエスパニョールのファンが、中村に感じた失望を隠すことはできないだろう。中村が
バルセロナのプラット空港にやって来た際、7000人のファンが彼を出迎えた。それは
クラブの歴史の中でも、際立つ出来事だったと言っていい。チームは上昇気流に乗る
と思われたし、ヨーロッパの大会に舞い戻ることができるとも考えられた。
しかし、4カ月後に見えた景色はまったく逆だった。チームは下位で争うことを強要され、
太陽のいずる国から着た中村は、日ごとに輝きを失った。「チームが機能していないから、
彼が被害を受けている。チームの状況が悪いため、全体を見ることができずに彼を助ける
ことができない」。そうグレイグは彼を擁護している。
だが、彼の言葉が正しいとは思えない。中村はイバン・デ・ラ・ペーニャの代わりを務めら
れると言われていたが、そうなる術を知らなかったのだ。中村に出場機会が足りていなかった
わけではない。加入当初、マウリシオ・ポチェッティーノは彼をちゃんと先発出場させていたし、
序盤にチームがつまずいた時も忍耐力を持って起用し続けた。チームを改善する策が、
彼を先発出場から外すことだけになるまで…。
中村は、リーガでプレーすることを常に夢見てきた。だが、その夢は悪夢へと変わってしまった。
エスパニョールのファンは、時間とともに彼が良くなると考えていたが、苦痛に慣れてしまっている
状況だ。 中村とファンの間にある愛は壊れている。そして、すべては両者が別れを選択しなけ
ればいけないということを指し示している。エスパニョールが得るお金以外のすべてが…。 活躍 乾
通用 大久保
微妙 城
失敗 家長 柴崎
論外 中村 ハーフナー 西澤
そんな彼も、今やダイエット器具のテレビショッピングに出演してる
城の喋りって訛ってる気がするが、あれが鹿児島弁?
前園からはあまり感じないが。
中国人のウーレイ(エスパニョール)
2シーズン 38試合6ゴール2アシスト
日本で微妙な選手がリーガ行って、みっともない成績で帰って来るという時代がしばらく続いた。
それで「リーガは日本人にとって鬼門」なんて言われてた。
香川や本田や長友や岡崎など、当時の日本のトップの選手にリーガ行って欲しかった。
メンバー確認したらカミネロいるやん。
スペイン代表だった奴。
1994のイタリア戦で点取ったろ。
>>136
それな
リーガだって最初から全盛期中田が行ってれば98年の時点でもう開拓されてた もし清武がキレキレの時に行ってればなあ。
セレッソに定着してしまった。
清武はセビージャだったからな
もう少し下位のクラブできる見たかった
清武は全盛期でしょ。行ったの。
しかし、まさかあんなにメンタル雑魚だったとはとショックだった。
石塚刑事のうどん屋行って泣き言言ったりしてたな。
>>124
ウェスカ昇格しないかな?
年齢が年齢だし衰えは隠せないとしても岡崎がどれだけ出来るか見てみたい >>138
名波はリーガならもうちょっと活躍出来たんじゃないかと思う 名波は上手かったけど、セリエAの厳しいディフェンス相手だとフィジカルの弱さが見えたな。
FKは良かったけどな。
レコバいたからな。
清武がキレキレだったのは2012年ロンドン五輪の頃だよ。
日本が世界に誇るディフェンスシブフォワード
FWと見せて実はDHw
まあそれでもジョホールバルのヘディングは素晴らしかった
当時全く使えなくなっていたカズに代わって途中出場で綺麗に決めた
ボールに合わせるコーディネート能力が素晴らしかったな
ジョホールバルのヘディングシュートはあの試合で一番難しいゴールだったと思う
あのゴールだけで城には感謝だよ
>>132
それだビクトルだ
その後レアルに行ったよな
キーパーと1対1になりながら横にいたビクトルにパスしたのは好きになれなかった
そこは決めろよと 城ッて過小評価されすぎ
ストライカーの総合的能力は高かった
スピード、ヘディングの強さ、足元も上手い、キープできる、点とれる、身体能力も高い
スペインも見てたけど十分通用してたのにな
怪我さえなければという選手だったな
>>152
1年持たなかった半年逃亡組はもれなくEでよろしい >>15
レアルとの試合中にフィーゴから招待されたとインタビューで見た気がする。 高校時代には城はもう靭帯切ってた
バジャドリードと契約の段階でそこを騒がれ
マリノスとバジャドリード間でどんな話になってたのかって
困惑したって記事見た
バリャドリッドってスペインの田舎町だしな。
スペインにいったとき行ってみたんだけど
町のゲーセンで首都高バトルのコースレコードつくって
現地人のガキにびっくりされたの思い出した。
奴らはこれが実際にある道だと信じてくれなかった。
デビュー戦で興奮したため、覚えたてのスペイン語がゴッチャゴッチャに。それにより、チームメイトに前日ふざけて教えられたオカマという単語を連呼し(本当は指示していた)、試合後にチームメイトたちに爆笑されたのはいい話。
日本人はリフティングがうまい
スペイン人はサッカーがうまい
城はフランス大会のガムクチャのイメージ強すぎて無理
そりゃ水かけられるわ
>>165
鈴木師匠並に体張ってくれてなおかつ肝心な所でさえ決めてくれるならあとはいくらノーゴールでもいいんだけど >>167
そんな考えだから日本からソン・フンミンが出ない フランス大会で活躍してたらなあ今はテレホンショッピングの太った人としかイメージない
怪我無ければ。。これはもうね、怪我するんだよ。仕方ないって。欧州南米海外では練習からガツガツやるから。
>>171
怪我したのはスペインクラブでの試合ではなく、日本代表として出場した中国との試合。 >>168
たとえ点取れなくても柳沢と鈴木が先発2トップの日本代表は負け無しだったから
チームとして勝てるなら必ずしもFWが点取る必要はない ヘディングだけなら絶対に誰にも負けないって思ってたのにそれが通用しなかった
って城本人が語ってたけど
城と高原は生まれるのが早かった
今ならもっと活躍できただろう
>>168
韓国には日本のようなMFやDFが出てこない >>174
そういう「和を以て貴しとなす」考えが日本人らしいっちゃらしいよな
チーム優先のFWが評価されるお国柄だからな
だから点取り屋が出にくいんだよ >>178
そうだよ
国民性はモロ反映されてるわ
日本は農耕民族だから田植えして基礎作りに精を出す
だから中盤でコネコネしてチャンス作ろうと頑張る
皆で点を取らないと空気を乱す奴として排除される
韓国は狩猟民族だから結果にとにかくコミットする
いかに最短コースで最高の結果を得ようと考えるから
点取り屋が出やすい 城は在籍は半年だけだったけど元々冬移籍でシーズン終了までは全うした
来シーズンの契約も考慮されるくらいには通用してた
夏移籍でシーズン途中の冬に逃げ出した中村清武ハーフナーとは違う
なんか怪我持ちだってバレて契約延長の話が消滅したんだよな
所詮その2点取った試合だけ
助っ人FWにはあくまで点を期待される
Jリーグで外国人助っ人FW取って最初の方で2点取っただけで、後はチラホラしょぼい形だったら
普通に非難して即解雇だろw
アメリカ留学したときルームメイトがスペイン人だったんだ 城のこと知ってて
ショージジョー! ショージジョー!あいつ速いよ速いよ!
褒めてた やっぱ日本人はアジリティはあるのね
>>20
>全然点取れない。この記憶しかないな
なぜ評価するレスばかりなのか不思議だな ただ、そうじゃないリーグやトップクラブでやってる選手も
やれることってあると思うんですよ!
そこを、まあ
城選手みたいに憧れみたいな気持ちで持ってもらったら困ると思ってて、
へえ〜、それなのにずいぶん早く帰ってきたもんですね
何の実績も残さなかった、尻尾を巻いて逃げ帰ったというのが現実じゃないですか?
城の靭帯の話はよくわからんな
怪我はしたけど、もともと靭帯は無かったとか言ってて
実際にその怪我以降は活躍出来なくなっていったし
城の相棒のビクトルがやたらうまかった印象あるな
あの身長でスペイン代表にも入ったんだからすごいわ
あとロサーノとかゴールキーパーのサンチェスとかいい選手けっこういたもんな
>>191
靭帯切れっぱでも 若い時は周りの筋力でなんとかできるけど
やはりピーク過ぎてくるとかばい切れなくなるんじゃない? 練習嫌いって言われてた気がするけどあれはガセネタ?
バルセロナ戦で当時若手のプジョルを切り返しで交わして惜しいシュート打ってたな
そこそこやれてたイメージあるけど
↑鹿児島実行ってりゃそりゃ練習嫌いにもなるさ。殆ど走り込みだったんだから当時は苦笑
日テレだと城単独だと良い解説者になるけども、他の解説者やゲストと一緒になると駄目になる。
結局、鹿実とか国見ってプロで真面目にやった奴ほとんどいないな
どいつもこいつも遊び人になってしまった
城とか前園はまあまあだが、田原とか平山とか本当もったいなかった
平山なんて真面目にやってたらとんでもない選手になったのに
高校の頃から女とやらせてやらんとダメなんだよ
>>202
高原はもちろん、まだ鈴木師匠の方がある意味魅力があるわ >>185
2得点だけじゃないぞ
DFWとしてレギュラー起用されてた
空中戦ではプジョルやイエロに競り勝ってたからな >>86
クラシッチなんかCSKAからユーベに移籍して3ヶ月くらい無双してたのにそっからどうなったか
バロンドールを複数回獲れた選手、複数年連続で穫れた選手がどれだけ少ないか
一流のコーチ陣、選手陣がどれだけ対策してもその上を行き続けるメッシ、クリロナは異次元 >>46
■リーガ(1部のみ)
SSS(300試合)…
SS(200試合)…
S(150試合)…
A(100試合)…たかし
B(*80試合)…
C(*60試合)…
D(*40試合)…
E(*20試合)…大久保、柴崎、久保建
F(*10試合)…家長、城、中村俊
G(**5試合)…西澤、ハーフナー
H(**1試合)…清武、指宿
-(**0試合)…財前 トルシエが首になりそうになってて、コンディションが悪くて出場を嫌がった城をむりやり試合で使ったら、案の定に怪我を悪化させて、そこから精密検査で靭帯の件が発覚して、所属チームと揉めて退団することになった
この騒動がなければ契約延長してはず
バルサ戦良かったよ
確かプジョールとユニ交換したと思う
背の高いポストはディフェンスに背をぶつけてから合気道で切り返すが
城はディフェンス動き出しの重心だけで間を切り裂き駆け抜ける、天才やで!!
ポスト出来て守備も頑張れるって事はトルシエの評価も高かったのかな
トルシエジャパンでの城の記憶があまりない
高原柳沢 高原西澤 柳沢鈴木 西澤鈴木 高原鈴木
トルシエの時のFWはだいたいこの組み合わせだったような
テレビの企画で地上30mとかそれくらいのクレーン車の上から落としたボールをボレーシュート決めるってのを失敗しながらも最後には決めてたな
現役時代からヘディングとかボレーとか上手かったけど空間把握力が高いんだろうな
>>214
トルシエジャパンのときは膝壊した後だから >>166
あれで損してるけど、城はめちゃくちゃストイックな選手だった。
怪我をしながらベテランまでプロとしてやりきったし、横浜FCでは若手の模範としてサポーターに愛された存在。 俺、コルドバのバルでレアル対バジャドリーの試合見ててバルのおばちゃんに
あいつが日本から移籍してきた「ほ」だぜって教えてあげたら、「ちがう、彼はジョウ」って教えてもらった記憶
柴崎は比較すると文句のつけられない失敗ぶりだな
城も大久保も過去の美化なんだろうなっていう範疇だが
マジョルカは昔から人材足りな過ぎて単独プレーしてもまぁ許してくれるチームだから
城よりは大久保のが数値はいいだろな
>>214
高原鈴木の組み合わせは欧州遠征の1試合だけかな?
西澤柳沢は全く機能しなかった記憶が
トルシエジャパンでFWの軸だった西澤がW杯直前に盲腸になって手術しなかったら、柳沢がベンチだったと思う いや、西澤は海外移籍に失敗してからは低調だったはず
2001年は柳沢が絶好調で代表のエース扱いだったよ
ただ2002年になるとその柳沢も失速してW杯直前には軸らしい軸のいない状態だったと思う
>>224
2001年のコンフェデは西澤がFWの軸だよ
西澤自身も2〜3点取ってたんじゃないの?
モリシ、師匠とのコンビはやり易そうだったな
ちなみに柳沢はGLの初戦以降出番なし
トルシエが絶対的な信頼を寄せてたのは西澤
もっと言えば、高原が肺血栓にならず、久保竜が欧州遠征で決定機を決めてたら柳沢は落選の可能性まであった まあ引退後も日テレで仕事があるんだからかなりマシな方だろう
ここ一年サッカーアース全然見てないけど
当時は日本人が試合に出るだけで海外サッカー観てたわ
今じゃ誰がどの試合に出てようが華麗にスルー
おい!見たか!?あいつ思いっきり空振りして笑ってるよ。あいつは大物だ。気に入った
のエピソードの西澤のが好きやな
西澤、スペインに行った時は大物の雰囲気があったんだよ
西澤、高原、久保、柳沢、2002年あたりはいまと比較しても見劣りしない高いレベルの選手が多かった
2002年と比較していまはCBが強くなったけどいいFWがいなくなったな
>>227
実力や将来性を買われて海外移籍で来た選手は、清武、宏樹あたりが最後の世代になるのかな?
それ以降の選手はみんなジャパンマネー目当てか、それに準じる青田買い
あ、富安は青田買いだろうけど実力もあったな! 正直、西澤は動きは良かったよ
城と違って通用する可能性はあったと思う
FWが15試合中14試合でノーゴールなのに実力を称賛されてたって流石に無理がないか
頑張ってたとか健闘してたって表現ならまだしも
>>229
今はFWのレベルが下がり過ぎ
アジアカップで1得点止まりの南野が未だに代表に居る理由が全く理解できない
まあ南野のところは聖域で、同じポジションの鎌田がCFにコンバートされるぐらいだから他のアディダス的な問題があるんだけど
アジアカップで1得点のFWなんて昔は当落線上の選手でもゴロゴロ居たし、そんな得点力のない選手は以降招集されないぐらい層が厚かったよな
他のアジア諸国のレベルが上がってるから?
いやいや、その理屈だったら日本がある時期からほとんどレベルアップしていないから追い着かれたって事じゃないか ツートップの組み合わせだと良かった組み合わせってどれだろ?
カズ高木
城呂比須
柳沢鈴木
柳沢高原
西澤森島
>>235
そこに挙げられていない西澤高原じゃないかな?
アジアカップ2000では二人合わせて10点以上取ってたはず
破壊力では歴代ナンバーワンだね プロロ並みのサッカー通の俺の意見では
なかなか鮮烈な活躍はしてたんだが
同僚の南米人が徒党を組んで敵対してきて
馴染めないで去ることになっちゃったって言うことだな
アトランタ世代は2002年にピーク迎えるのが順当な流れだったと思うがほとんど残らんかったな
川口くらい?中田と松田は飛び級だし
>>238
中田、松田は正確には飛び級じゃないよ
香川と同じ早生まれだから、レギュレーション上は4年後の大会に出場資格があったというだけ
二人ともシドニー五輪でOA枠だった楢崎、一応合宿にも参加してた西澤と同級生 1トップが代表の基本フォーメーションになってしまったせいでほとんど試されなかったけど大迫と岡崎、前田と岡崎の2トップは見たかったな
トルシエジャパンで試合に出場したアトランタ世代
最年長 服部、望月、上野、遠藤兄、斉藤俊
年長 三浦アツ、伊東輝、鈴木秀、平野、上村
年少 城、川口、森岡、田中誠
最年少 中田、松田、西澤、楢崎、宮本、久保竜、鈴木隆、奥、福西(中田、松田、宮本の3人は早生まれ)
確かに上の世代はほとんど残らなかったな
やはり、サッカー選手のピーク年齢は25〜26歳なんだろう
>>241
あ、中西永輔を忘れてた!
ごめん中西!
トルシエの時はCB,WB,ボランチ、トップ下、いろんなポジションやらされたのに残してもらえんかったな >>242
そんな偶然のたまたまのたまたまのオカルトで良いなら、高原西澤も一度も負けていない
引き分けすら無かったはず >>244
柳沢鈴木は9戦で7勝2分(うち3戦はワールドカップ)だけど高原西澤は何戦あったの? >>245
W杯の柳沢鈴木は2勝1分けで良くね?
チュニジア戦は0-0から柳沢をベンチに下げた後半から勢いが付いて、一気に2-0で勝ったわけだったし RIZAPのCMでデブデブになってたのは正直ショックだった
城とコンビ組んでたビクトルって選手がバジャドリーにいたな
コンビじゃなかったかもしれんがなんか覚えてる
>>235
もってるポテンシャルなら
レフティーコンビの
久保玉田 スカパーで城の得点シーンをこれでもかと流してて100回ぐらい見たわw
実況が「あージョー!あージョー!」と叫ぶやつw
こいつらなんて最近すらセリエ見てねーカスのクセにww
でたらめな情報で玄人ぶるなよニワカ
>>236
トルシエの戦術が利にかなってたっていうのもあるけど、高原西澤は別格だな
当時、西澤しか後ろを向ける日本人FWがいなかった 鹿実の頃練習試合で対戦したけど同じ人間とは思えないくらい、うまくて強かった。城だけじゃなく、他のメンバーも蹴ったボールの威力やスピードが違う。上手い選手が集まってあれだけ鍛えてたら強いだろうね。
城の最大の功績は日本代表・海外帰りの実績を持ってJ2に参戦したこと。
引退しても十分居場所があったのに、現役に拘ってくれた事でJ2の場末感が消えた。
城のお陰でJ1J2の完成度は3〜4年ぐらい早まったと思う。
>>255
実際に今と見比べたら色々粗はあるんだろうけど、あのレバノン大会のチームは
他のアジア各国でもアジアカップ史上最強のチームって言われてるらしいな ハッサン2世杯では、W杯で辛酸を舐めさせられたジャマイカを4-0で粉砕した時のツートップは城西澤
半分親善試合の大会とは言え、相手が立ち直れないぐらい完膚なきまで叩きのめした
もしかしたら、城西澤が日本史上最高のツートップだったのかも知れない
その後、城が怪我で急速に劣化
このコンビはこの大会の1試合だけしか実現しなかったのが実に残念
西澤にしてもW杯直前に盲腸の手術をして本番ベンチだった事で評価を落としてるけど、
それって日韓大会以前や、西澤が手術明けでコンディションの上がるギリギリまであえて使わなかっただけというのを知らないニワカが騒いでただけなんだよな
if…誰も怪我も病気もしなかったジャパン(日韓W杯編)
西澤 城
俊輔 中田 明神
名波 稲本
中田浩 森岡 中澤
楢崎
控え
高原 柳沢
三都主 森島 市川
戸田 福西
服部 宮本 松田
川口」
何を言おうとフランス大会の戦犯であると言う事実は変わらない
>>261
中山だろうな
中山、秋田のベテラン勢を入れたのも戦力が整わなかったせいだし
名波:膝が壊れかけてたのに磐田が強行出場させて完全にぶっ壊れる(中山、秋田の役目を担うはずだった)
俊輔:1年間怪我に苦しんで、本番直前に代表復帰してすぐにまた怪我
森岡:W杯直前に怪我から半年ぶりに復帰したばかりの文字通り”ぶっつけ本番”。その影響かW杯初戦で足が壊れてリタイア
中澤:ヴェルディの先輩の夜遊びに付き合わされてコンディション最悪(マリノス移籍の原因)。2001年は代表にほぼ呼ばれていない
小野:W杯直前に盲腸発症(投薬治療しながらのW杯出場)
西澤:盲腸。小野より早く発症したので手術(本番にギリギリ間に合った)
高原:エコノミー症候群で離脱。磐田がW杯への派遣を拒否(実は本番に間に合っていたのを大事を取ったという話も)
ホーム開催とは言え、この野戦病院状態でベスト16は快挙だわ >>263
鈴木師匠の予想外の大活躍のおかげ
あのベルギー戦の値千金のゴールがなかったら予選リーグで負けてたかも 大久保のデビュー戦は中田以来の衝撃だった
城は正直全く記憶にない
自エリアからオフサイドをかいくぐって点取ったのは印象に残っている
>>261
個人的には、落ちそうな順番で第1候補が西澤。第2候補が中山。第3候補は秋田。
理由は、FW枠で高原、柳沢と鈴木の3名はおおむねレギュラー。
そうすると、柳沢と鈴木は外れず、西澤と中山が残る。
それ以前にレギュラーだった西澤は海外移籍した後、代表出場試合数が明らかに減った(それ以前はレギュラー)。
そして、2002年ワールドカップで唯一の出場試合が3試合で疲労蓄積した柳沢(ついでにトルコ戦前に寝違える)と鈴木のコンディションのおかげで出れた感じがある。ベスト16に入る段階までは不要。
中山に関しては、最後のヨーロッパ遠征まで数ヶ月代表招集なし(西澤は代表招集されていた)。
それだけ考えると、中山が西澤より選ばれなそうだけど、ヨーロッパ遠征の負けで雰囲気が落ち込んだチームではムードメーカーとして中山の選出が必要だと考えたのは変わらない。
そう考えると、やはり第一候補は西澤、第二候補は中山。
ちなみに秋田はセンターバックでポジション違うけど、数年ぶりの代表招集だったこととセンターバックは秋田一人いなくても4人(森岡、松田、中田浩二、宮本)で回せる。センターバックで出場していな服部もセンターバックできるし。 >>260
日韓の頃なら中澤よりも松田の方が上だったと思う
中澤は2004年のアジアカップ辺りから日本最高のCBと言われるようになったんじゃないか? >>269
トルシエはワントップを使う場合だと西澤をファーストチョイスにしてたから西澤はオプションとして残してたんじゃない?
代表のジョーカー的な存在だった森島とのコンビプレーもあったしね そもそも高原自身がトルシエ時代は別に不動の存在ってわけでもなかったからエコノミーがなくても高原が落ちた可能性も普通にある
>>270
シドニー五輪では中澤がレギュラーで、松田はサブだったんだからそれは無い
中澤は2001年から急激にパフォーマンスを落として代表落ち
その代役でコンフェデからレギュラー起用された松田がそのまま日韓大会までポジションを死守したという感じ >>272
山本の著書=備忘録によると、トルシエはメンバー発表直前まで「高原は本当に無理なのか?」って暇さえあれば磐田に何度も電話してたというから、高原の序列はFWの軸だった西澤と一二を争うぐらい高いよ トルシエは鈴木隆行がお気に入りだったような
半年間ノーゴールのフォワードを大事なワールドカップ初戦に先発させるか?
>>269
なんとも説得力も中身もない長文ご苦労さんw
コンフェデ、アジアカップという大きな大会でFWの軸だった西澤を落選させるわけだろw
ただでさえトルシエはメンバーをコロコロ変えるのにハッサン二世杯以降、主要大会で西澤だけはスタメンから動かさなかった
それだけ信頼が厚かったという事だ
シドニー五輪のOA候補としても合宿に呼んでたぐらいだからな
結局、守備を厚くするのを優先してFWの西澤は選ばなかったけど
トルシエジャパンを語るなら、山本の備忘録ぐらい読んでおこうぜ? 蛭子さんが描いた城彰二
>>275
高原が離脱せず、西澤が盲腸にならなかったら鈴木は控えだったよ
もともと2001年の欧州遠征で一度は見限られた選手
それがボカ移籍の高原がコンフェデに出られないって事になって、急遽呼ばれたのが鈴木 スペインに胴上げを広めた
これ以外ないだろ
Euro2008で優勝したとき胴上げして驚いた
誰も怪我も病気もしなかった場合の序列
西澤
高原
柳沢
鈴木
中山、久保竜ほか横一列
不動の4人のうち、トップの2人が病気で辞退&手術明けだったから、
3〜4番手の鹿島コンビがスライドして2トップのレギュラーになっただけだ
ついでに言うと、高原の離脱の穴を埋めるため、アジアカップ以降は主にトップ下で起用されていた森島をFWとして使う前提で呼んだため、
リーグで絶好調だった小笠原がトップ下(中田)のサブとしてギリギリ滑り込むことが出来た
当時BSで生放送してたから殆ど全部の試合見た
後ろからくるハイボール要員でサイドに張って殆どゴール前にいなかったイメージ
その分セカンドトップのビクトルというオルテガそっくりな容姿のドリブラーがひたすら点をとるスタイル
のちにマドリードに行くセサル
ノーゴーラーのアルベルト
効きすぎのロサノ、有名何処のカミネロ、サビオとペルージャ並みに面白いメンバー揃ってた
鈴木はあのカメルーン戦が人生のターニングポイントだったんだろな
フランクデブールと競り合いながらドリブル突破したときはテレビの前でワナワナ震えたわ