1958年4月5日、後楽園球場で行われたプロ野球の開幕戦で、長嶋茂雄は巨人軍ルーキーとしてのデビューを飾った。それから62年、ミスターも齢84である。
不運にも脳梗塞で倒れたが、なぜか「五輪延期」で、復活へのメークドラマ計画に弾みがついたという。
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ミスターが公の場に姿を現したのは、今年1月にあった金田正一氏のお別れの会でのこと。デビュー戦で相手投手となった先輩に黙祷を捧げた。
以降、動静は途絶えたままだが、昨今のコロナ禍ではミスターもおいそれとは外出できまい。
「常に寄り添い、お世話をしている娘の三奈さんから、“出歩かないで”と厳命されているようですよ」
と明かすのは、ミスターと親交のある球界関係者。
「感染したら大問題なので、監督も納得して2月のキャンプにも行かず、医療機関に行く日を除いては自宅に引き籠り、庭や地下室でリハビリを続けています。
下半身強化のため15分毎に休憩を挟んでは歩き、自由の利く左手を動かして握力も鍛えているそうです」
失礼を承知で言えば、なぜミスターは老骨に鞭打つことを止めないのだろう。
食欲も旺盛
「監督は東京五輪に参加するのを楽しみにしていました。元気な体で野球の試合を見届け、現場を激励したいとリハビリに励んでいたのに延期となってしまった。
しかし、結果的には良かったのかもしれません」(同)
一体どういうことか。
「昨年末に風邪をひき、数週間は体を動かせずリハビリが遅れていたとか。階段を上ることさえキツイ状況でしたが、五輪延期でリハビリの期間も延びました。
本人にも心の余裕が生まれたのか、食欲旺盛で太り気味なくらいですよ」(同)
実はミスター、前回の東京五輪とはこんな因縁もあると、さるスポーツ紙の野球担当記者が明かす。
「長嶋さんは、報知新聞の企画で王貞治さんと全種目を観戦、その一環で行った座談会で出会ったのが、五輪コンパニオンを務めていた亜希子夫人だったのです」
2004年のアテネ五輪では、野球日本代表の監督を務めたが、予選を突破しいざ本戦というところで脳梗塞で倒れ、表舞台から遠ざかる。まさに人生の節目に五輪在り、だ。
野球評論家の張本勲氏は、
「かつてモハメド・アリも病を抱えながら聖火を灯しました。長嶋さんも手渡しで聖火をつなぐなど、どこかでリレーに携わってほしい。
賛同するメダリストの方々などと推薦活動をしていますが、ゆくゆくは森喜朗組織委員長や橋本聖子五輪相へも陳情したい」
ミスターを支える“長嶋ファミリー”たちの働きかけは、果たして功を奏すか。
「週刊新潮」2020年4月16日号 掲載
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200420-00619728-shincho-base
4/20(月) 5:57配信