1994年の巨人の日本一に貢献、王手をかけた日本シリーズ第6戦で決勝アーチ
米スポーツ専門メディア「ザ・スコア」が、1994年に巨人でプレーしてチームの日本一に貢献したヘンリー・コトー氏を取材し、
当時の思い出、日本の野球の印象などを聞いた。コトー氏は日本の応援スタイルに驚いたと、25年前を振り返っている。
コトー氏は外野手として1984年から10年間にわたってカブス、ヤンキース、マリナーズマーリンズでプレー。
1994年にオリオールズに移籍したが出場機会を求められず、巨人と契約できるようにオリオールズを説得した。
ブロンクス出身の元ヤンキースの選手は、オレンジ色をまとった日本のファンの前でプレーする魅力を感じたという。
同年2月に巨人への移籍が決定。
そして、その年の4月、コトーは地球の反対側で初めてセンターでプレーした。
まず驚かされたのは日本の応援スタイルだった。初球から最後のアウトまでファンが太鼓を叩き、
トランペットを吹き、声をそろえて応援するのが日本のプロ野球の応援方法。
音について誰も彼に警告しなかったこともあり、度肝を抜かれたという。
「僕の後ろで爆竹が鳴ったのかと思ったよ」
コトーは最初の数週間、打率が2割を下回るスロースタートだったが、徐々に調子を上げていった。
巨人は彼のパワーと優れた守備を頼りにし、ダン・グラッデンと将来有望な20歳のスラッガー、ヒデキ・マツイの間で、ほぼ毎日中堅手として出場した。
コトー氏はこの年、107試合に出場して打率・251、18本塁打、52打点をマークした。
勝った方が優勝という10月8日の中日戦でも存在感を示した。2点リードの4回に18号ソロ。歴史的な「10・8」決戦で巨人を勝利に導いた。
「日本に行くチャンスがあるなら、そこでプレーするのは素晴らしい経験になるよ」
長嶋巨人を初の日本一に導いた助っ人は、地球の裏側でプレーした25年前のシーズンを懐かしんだ。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191002-00558251-fullcount-base
10/2(水) 21:47配信
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http://npb.jp/bis/players/31633889.html
成績
コトー 大リーグの今の球場のていたらくみてたら日本の方がいい応援に関しては
スローカーブかなんかのデッドボール食らった奴?あれ好き(笑)
この頃の巨人髭伸ばしてる選手多かったな
グラッデンコトー村田真一に屋鋪
吉村から発言を求められた落合は、こういって檄をとばした。
「もう残り13ゲームだ。(略)広島は、明日負けると落ちてゆく。もし、明日ウチが落としても、広島は明後日敗れれば落ちる。とにかく彼らはひとつも落とせないんだ。
広島とウチのちがいは、ウチはこれまで120試合をコンスタントに進めてきているが、広島は明日勝つことしか考えていないチームなんだ、このあたりの差が必ずでてくる。あまりガタガタするなよ!
監督はオレらを信頼して任せてくれてる。監督は、責任はオレがとると言っているが、オレらがこの信頼に応えなければいかんと思うんだ。みんなわかってくれているかな」
一様に力強くうなずく選手たちを見わたして、落合はさらにダイエーから移籍してきた岸川勝也を指さして言った。
「なあ岸川、オレも含めて移籍してきた者は、この巨人軍にいてこそ、このようなプレッシャーを味わえるんだ。こういう環境をあたえられたことに感謝しよう。そしていま頑張ってそのお返しをしようじゃないか。グラッデン、コトー、ジョーンズ、オマエらもそうだろ!」
通訳の言葉にずっと耳をかたむけていたグラッデンが顔をまっ赤にして激しくうなずいている。
コト−の打球って不思議だったな
引っ張ってんのにライト線に打球が飛ぶっていう
「え?そっち飛ぶの?」っていう
トータルの数字は平凡だったけどとにかく左投手にメチャ強かった
当時巨人が苦手にしてた各チームのエース級の左を悉く粉砕してくれた
数字以上の貢献度だった外国人
メジャーストライキがあって大物が獲得できそうとなって切られたけど
シーズン終了後に即クビだったグラッデンに対してコトーはしばらく保留だった
屋鋪が守備固めで入りまくってたのってこの年だっけ?
確か日シリ優秀選手も獲得したんだよな。ここ30年自前外人では比較的マシな方だった
>>8
そうなの?
なんかナベツネが移籍してくる選手のヒゲに文句付けてなかった? いい選手だった
外国人枠使ってまでというと微妙だが
>>6
カープの佐々岡だったと思うけど、スローカーブをしゃがんでよけようとしたときにヘルメットがつるっと脱げてハゲ頭に直撃。
佐々岡危険球退場。
…このあと、危険球退場ルールは改訂された。いまは選手生命に影響しないような投球なら一発退場にならない。 コトーで初めてスキンヘッドというものを知った
ご機嫌に頭を自分で剃り上げる写真とか当時載ってたなw
>>9 これ何?
どこかに原文あるのなら読みたいんだけど
コトーで思い出すのは暗黒時代の阪神戦で甲子園
3点差9回2アウトランナーなしからのコトーがポテンヒット、元木繋いでの村田真一が同点スリーランを叩き込んで延長10回に勝ち越した試合
劇的やったわ
確かPは薮だったかな? 優勝パレードの時に握手してくれたので
俺の中でナイスガイ
相方のグラッデンがヤクルトの捕手殴って骨折してたな
>>30
軽く打ってるような感じのフォームだったな
コトー、大好きな選手だった日本シリーズでも活躍したし コトーとマックの評価が低い気がする
クロマティとかローズとかと並べちゃいかん
コトーはクールだったけど数字のわりに勝負所で打っていい選手だった
グラッデンのほうが割りとどうでもいい所で打ってた選手 でも闘争心があってよかった
>>30
コトー本人がバッティングをゴムに例えて解説していた
振る前に反対側に捻っておくとその反動でより強くスイングできると 少し遅れてドーム入ったら歓声が聞こえてきた
急いで階段を駆け上がったらモスビーが傾きながらダイヤモンド一周してた
クソ笑った
>>1
コトー氏「あやかさん・・・・僕は・・・巨乳が好きなんです」 異常に左に強かったイメージ
日シリの工藤まで左のエースクラスことごとく粉砕してた
>>37
コトーはともかく、マックは年4億の契約だからそんなこと言ってられない レフトグラッデン
センターコトー
ライト松井秀喜
この外野、危険すぎる
結局この成績ならバーフィールドを残してもよかった気がする
>>23
なりそうでならない
コトーは右打、モスビーは左打 >>1
1994年限定ルールで「頭に死球は即無条件退場」
スッポ抜けがコツン、本人ピンピン。
でも相手投手は退場で(´・ω・`) >>53
松井もこの頃の守備はかなり不安定だった
スライディングキャッチの目測を誤って後逸とか何度もやらかしてた 当時の巨人の応援が爆竹なら、今の阪神・広島・ロッテの応援は・・・
コトーそんなに長くは居なかったとは思ってたけど1年しか居なかったんだっけ、と調べてみたら
2年目はシェーン・マックが来たから押し出されて契約されなかったんだな。
好きな選手だったよ。もうちょっと長く見たかったな。
>>62
昔はトランペット要員の人数制限なかったから、
ホントうるさかったわ。 >>31>>39
>>33参照。ちなみに古田が故障離脱してて、
代わりにマスクをかぶってた中西を殴って骨折
確かマスクの上からだったか、ヘルメットだったかにパンチを入れて自爆
グラッデンはツインズ91年世界一の1番打者だったけど、
当時から気性が激しく積極的に打って出る1番だった
>>13
コトーはMLBでも対右.246に対し、対左.275と左に強かった
>>8>>16
屋鋪は長嶋監督が髭を気に入っていたようで、剃るのを免除されてた
松井はプロ入りして外野転向、その2年目で成長途上
グラッデンはもう高齢で全盛期の守備力は無く、吉村と岸川も守備に不安
緒方は故障がちという事情で、屋鋪は多くの試合で守備固めとして出場
87試合に出ているが打席は34のみだった 巨人時代の岸川は今中のスローカーブにドカ空振りしてる印象しか残っていない
>>54
バーフィールドは2年目は多分もっとやれたと思うけど
物凄く高い給与を払わないといけなかっただろうね
コトーは打率はショボいんだが、他の人が書いている通り左投手にやたら強く
特に左投手が内角低めに投げる球を一定の比率でスタンドに持って行くから
相手投手が一定のリズムで投げられなくて苦労する、って感じだったな
1990年代前半までの日本の投手はチェンジアップ特にサークルチェンジ系の
シュート回転の緩い球をあまり使わなかったから、左投手で直球カーブスライダーフォークだけで
勝負出来てたタイプはこういう左殺しの右打者に苦労した ヘルメットが飛ぶほどのデッドボールを受けて視線が定まらないシーンは名場面だった
>>53
翌年
グラッデン、コトー OUT
広沢克己、シェーン・マック IN
マックの分、ややアップ 10.8の日は夜8時までバイトで、終わった後ダッシュで帰って見たのを憶えてる
スト破りで選手会に入れてもらえないとか悲惨だな
もう一年巨人にいればよかったのに
>>69
>コトーは打率はショボいんだが、他の人が書いている通り左投手にやたら強く
>特に左投手が内角低めに投げる球を一定の比率でスタンドに持って行くから
>相手投手が一定のリズムで投げられなくて苦労する、って感じだったな
25年前の一年しかいなかったマイナー外人選手の事をようそこまで覚えてるなあw 数字は悪いけど要所で打ってた気がする
バットを担ぐようなフォロースルーは覚えてる
>>78
俺も巨人ファンだったから良く覚えてるよ
94年は日本一の年だし、コトーは印象的な場面で良く打った
前年優勝したヤクルトの古田がシリーズ中継のゲスト解説で言ってたけどうちの左投手は軒並みコトーにやられたって
そういや日本一が決まったシリーズ第6戦のゲスト解説は秋山(当時はダイエー)と古田だったが中々良い解説だった >>44
コトー氏「君には医者は無理だよ・・・お父さんの跡を継ぐ方がいい」 >>80
記憶力良すぎ。
今度は第6戦の解説者とか。 左ピッチャーにとてつもなく強くて肩がとんでもなく弱かった記憶がある。
>>82
当時は熱狂的なファンだったから
それこそ当時ビデオで繰り返し何度も見た
秋山「このコトーって左殺しって言われてるけど」
古田「うちの左は石井とか軒並みやられましたね」
こんなやりとりがあったのも覚えてる >>85
野球が国民的スポーツやった古き良き時代やな。地上波放送が毎日あってそれほどのマニアでもなくても贔屓のチームのスタメンと裏表のローテピッチャーぐらいは知とった。 >>88
それは96年だから、その2年前の話
コトーに代わって入ったマックが残って、ガルベスとマントが入った
途中でマリオが加入
続く97年は肩に小錦のヒルマンをロッテから引き抜き、
まづい守備と非力な打撃でアンチGを沸かせたルイスなどがいて
98年はダンカンがいた
ルイスは台湾では無双して”台湾のイチロー”のキャッチフレーズで読売入り
しかし鈍足・貧打・弱肩の三拍子、
低打率に120打席でホームランゼロ、守備範囲激狭かつ拙守、途中でメガネをかけだして
老眼とか年齢詐称だとか言われて途中退団
でもその4年後、確実に30代後半で韓国に行ったときは
まさかの3割26本塁打100打点をクリアしてる マック、ガルベス以外がひどすぎて
94年の外人がまともに見える
というか日本一に貢献してるから優良だけどね
グラッデンのほうは勝負所役に立ったとは言えないが闘争心でチーム引っ張った
コトーは左に強くて印象に残る活躍してたな 数字はすごくないけど
>>89
巨人面白外人時代やなw
アルモンテってその後やったっけ? >>92
球審の判定に不服で、本塁駆け抜けるテイで正面から体当たりして後頭部強打失神KOしたやつだっけ? コトーは足の速さもウリだったのに、たまに代走屋敷というのがあった