ラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会の試合会場となる岩手県釜石市で、早くから会場誘致に尽力した人がいる。東日本大震災の被災地に昨夏完成した「釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアム」近くの旅館「宝来館」のおかみ、岩崎昭子さん(63)だ。27日には同スタジアムで初の日本代表戦があり、岩崎さんは「被災した釜石を元気にできるのはラグビーしかない」と期待する。
震災発生時、海岸沿いにある宝来館は2階まで浸水し、岩崎さんも津波にのみこまれた。「空が広いな、と思った次の瞬間には水の中。もうだめかなと思った」。必死に泳ぎ、従業員に助けられた。
約2カ月後、元ラグビー日本代表の笹田学さんらが従業員に犠牲者の出た宝来館を見舞いに訪れた。笹田さんから「緑と海の風景がとても美しい。ここでW杯をできたら」と声をかけられた岩崎さんは、無意識に叫んでいた。「だったら、釜石でW杯をやってけれ!」
新日鉄(現日本製鉄)の企業城下町として栄えた釜石にとって、ラグビーは町のシンボルだった。1978〜84年度の日本選手権で7連覇を達成した新日鉄釜石ラグビー部(2001年に釜石シーウェイブスに移行)の活躍で町は活気づいた。岩崎さんもラジオを聞きながら試合結果に一喜一憂した。そんな記憶がよみがえり、町を救えるのはラグビーだと感じた。「私たちに必要なのは、目標であり希望だった。W杯は、釜石をはじめ東北の人々に希望と勇気を与えてくれると思った」
釜石へのW杯誘致を呼びかけ、イベントやフォーラムに積極的に出席した。「身の丈にあったイベントか」「他にやるべきことがあるのでは」と慎重な意見もあったが、「釜石の明るい未来のために、W杯を開催しよう」と粘り強く呼びかけた。14年7月に釜石市はW杯誘致を正式表明し、15年3月に開催都市に決定。18年夏には新スタジアムが完成した。W杯ではフィジー―ウルグアイ戦など2試合が行われる。岩崎さんが8年前に描いた夢は、一つずつ形になった。
27日にW杯の前哨戦となる国際大会「パシフィック・ネーションズカップ」が開幕。日本代表はフィジーとの初戦に臨む。岩崎さんは訴える。「被災地の生き方は、ラグビーそのもの。一人一人が自分の役割を果たして、少しずつゴールに近づいてきた。この物語を皆さんで一緒に分かち合いたい」【角田直哉】
7/26(金) 18:05配信 毎日新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190726-00000053-mai-spo
震災発生時、海岸沿いにある宝来館は2階まで浸水し、岩崎さんも津波にのみこまれた。「空が広いな、と思った次の瞬間には水の中。もうだめかなと思った」。必死に泳ぎ、従業員に助けられた。
約2カ月後、元ラグビー日本代表の笹田学さんらが従業員に犠牲者の出た宝来館を見舞いに訪れた。笹田さんから「緑と海の風景がとても美しい。ここでW杯をできたら」と声をかけられた岩崎さんは、無意識に叫んでいた。「だったら、釜石でW杯をやってけれ!」
新日鉄(現日本製鉄)の企業城下町として栄えた釜石にとって、ラグビーは町のシンボルだった。1978〜84年度の日本選手権で7連覇を達成した新日鉄釜石ラグビー部(2001年に釜石シーウェイブスに移行)の活躍で町は活気づいた。岩崎さんもラジオを聞きながら試合結果に一喜一憂した。そんな記憶がよみがえり、町を救えるのはラグビーだと感じた。「私たちに必要なのは、目標であり希望だった。W杯は、釜石をはじめ東北の人々に希望と勇気を与えてくれると思った」
釜石へのW杯誘致を呼びかけ、イベントやフォーラムに積極的に出席した。「身の丈にあったイベントか」「他にやるべきことがあるのでは」と慎重な意見もあったが、「釜石の明るい未来のために、W杯を開催しよう」と粘り強く呼びかけた。14年7月に釜石市はW杯誘致を正式表明し、15年3月に開催都市に決定。18年夏には新スタジアムが完成した。W杯ではフィジー―ウルグアイ戦など2試合が行われる。岩崎さんが8年前に描いた夢は、一つずつ形になった。
27日にW杯の前哨戦となる国際大会「パシフィック・ネーションズカップ」が開幕。日本代表はフィジーとの初戦に臨む。岩崎さんは訴える。「被災地の生き方は、ラグビーそのもの。一人一人が自分の役割を果たして、少しずつゴールに近づいてきた。この物語を皆さんで一緒に分かち合いたい」【角田直哉】
7/26(金) 18:05配信 毎日新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190726-00000053-mai-spo