NHK連続テレビ小説『あしたこそ』のヒロイン役で人気を集め、元気ハツラツの明るいお母さん役がピッタリの藤田弓子さん。酒豪で知られ、かつては親友の太地喜和子さんが横綱、藤田さんは大関として女優の酒豪番付表にも乗ったほど。
1988年からは伊豆に住まいを移し、夫で放送作家の河野洋さんとともに劇団「いず夢(む)」を立ち上げ、地元の劇団員たちとともに、座長・演出家・看板女優としても活動。9月25日(水)からは「認知症介護」という重くなりがちなテーマをユーモラスに描く舞台『ペコロスの母に会いに行く』に主演する藤田弓子さんにインタビュー。
◆オーディションで小百合さんを見て「こりゃもうダメね…」と諦めたが…。
不二サッシの創業者の息子である父親を3歳のときに亡くした藤田さん。
藤田さんは、6歳のとき、祖父母も相次いで亡くなったのを機に生家を出て母親と二人暮らしを始める。ちょうど小学校に入学するときだった。芝(港区)で生まれて、神田で育った母親は、娘と二人で生きていくのは下町でと決めていたという。
幼い頃から母親譲りで好奇心旺盛だったという藤田さん。母親とは大の仲良しで、休みの日には一緒に映画館をハシゴして何本も映画を見ていたという。小学校5年生になったとき、『赤胴鈴之助』というラジオドラマが始まることになり、出演する男の子と女の子を一人ずつ募集することを知った藤田さんは迷わず応募することに。
「ラジオもよく聞いていたので、ラジオ局を見てみたいと思っていたんですよね。それでハガキを買ってきて自分で応募しました。一人でオーディションに行ったんですけど、一次審査、二次審査に受かって、『次は最終審査ですから親を連れて来てください』って言われちゃって。そこで初めて母に報告したら、『いいわよ』って二つ返事で来てくれました」
−お母様もとても好奇心が旺盛な方だったそうですね−
「そうです。最終審査に行ったら、女の子が一人いて、それが吉永小百合ちゃんだったの。もうめちゃめちゃキレイで可愛くてね。母と2人で『1人しか選ばないんだから、これはもうダメね。帰りましょう』って帰ろうとしたらラジオの人が飛び出してきて『弓子ちゃん、これはラジオですよ。ラジオ』って言って止められたの。ラジオだと顔が見えないからね(笑)。
小百合ちゃんは何て言ったって天下の美少女で、私ははっきりしゃべったのとマイクに乗る声だったんでしょうね。2人とも受かったんですよ。女の子も男の子も2人ずつ合格して役も増やして、その4人を主役にして3年間、月曜日から金曜日まで毎日夕方放送の連続ドラマ。土曜日に学校が終わってからラジオ局に行って収録。夜は母が迎えに来てくれました」
−まだ小学校5年生ですものね。小さい頃から朗読などは褒められていたそうですね−
===== 後略 =====
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