2019/07/15 07:55
ニッポン放送開局記念日スペシャル「おかげさまで65周年”あなたとROCK&GO”」(7月15日放送)で、音楽番組「コッキーポップ」を担当していた大石吾郎がエピソードを披露した。
チャゲ&飛鳥コンサート 代々木体育館 提供産経新聞 1983年
「コッキーポップ」は1971年から1986年まで放送したラジオ番組。大石吾郎がDJを担当していた。ヤマハのポピュラーソングコンテスト(ポプコン)で入賞した曲を中心に、ポプコン出身者をゲストに迎えた音楽番組だった。ポプコンをきっかけにデビューしたミュージシャンは多く、中島みゆき、八神純子、渡辺真知子、世良公則、チャゲ&飛鳥、長渕剛、円広志、クリスタルキング、あみん(岡村孝子)など輩出した。
大石のポプコン出身アーティストの思い出として、チャゲ&飛鳥の思い出が披露された。チャゲ&飛鳥は、アマチュア時代は「チャゲと飛鳥」というグループ名だったそうだが、大石が和風な名前より格好良い名前がいい、と「チャゲ&飛鳥」を番組で提案し、担当ディレクターに採用されて、「チャゲ&飛鳥」でデビューしたそうだ。
当時のエピソードとして、番組「コッキーポップ」の盛り上がりに対して、ヤマハの川上社長から「大石くんの給料を上げてくれ」という発言があったそうだ。大石をニッポン放送社員だと勘違いしたために、このような発言になったようだ。
大石吾郎は、番組を通じて、多くのアマチュアミュージシャンをプロにする後押しを行った。大石は、「ポプコンと番組を通じて、シンガーソングライターを発掘し、ニューミュージックブームを作り、多くの才能に出会えたことに感謝したい」と語った。
http://www.1242.com/lf/articles/188271/?cat=entertainment&pg=%e3%83%8b%e3%83%83%e3%83%9d%e3%83%b3%e6%94%be%e9%80%81%e9%96%8b%e5%b1%80%e8%a8%98%e5%bf%b5%e6%97%a5%e3%82%b9%e3%83%9a%e3%82%b7%e3%83%a3%e3%83%ab%e3%80%8c%e3%81%8a%e3%81%8b%e3%81%92%e3%81%95%e3%81%be コッキーポップがつまらなくて寝てしまって何度ANNを聞き逃したか
いま見ても昭和40年代以降の邦楽にとってヤマハの重要性ってとてつもなく高い
キャラメル味やいろんな種類のフレーバーも美味しいけど、結局塩バターに戻る
昔はもう一人安藤くんってメンバーが居たんですよ
それでチャゲ安藤飛鳥なんです
って飛鳥が冗談を言ってたのを思い出した
一番記憶に残ってるのは柴田まゆみさんだな
「白いページの中に」が入ったアルバムは今でも運転中によく聴く
1974年高1の時喫茶店のお姉さんとつま恋に行った想い出。
>>19
日テレだったかな
でもやはりニッポン放送のラジオの印象強い
今はテレビもラジオもすっかり縁遠い存在になってしまった 一時期コッキーポップのオープニングになってた
ツイストだか世良公則だかの「ダーリン」って
ホモの歌ってことでいいの?
悲しみのアクトレス
が好きだった。
サンデイのグッバイモーニングと
白石冬実はず〜っと曲紹介でも「チャゲと飛鳥」って言っていたのは間違いではなかったんだな
大石吾朗は寺内タケシとバニーズでサイドギターを弾いていた。
俺はラジオはあまり聴かなかったが(というのは高校生の時でも11時には寝ていた)大学に行って最初はテレビがなかったので
ラジオを聴かざるを得なかったというか、それで、この番組と城達也の番組を聴きながら寝ていた
チャゲアスはポプコンでは7人編成のバンドだったがバンドの演奏は下手だったので
レコードデビューの際にフロントの2人でデビューしてくれと説得されて悩んだ末2人でデビューする事となった。
コッキーポップでハガキを読まれて番組のシールをプレゼントで送って貰いました。
でもハガキを読んでもらった回は寝ていて聞き逃した。
高校の時はヤンタン聞いてコッキーポップ聞いてミッチーの独言倶楽部聞いてから寝てたわ
>>33
アマ時代の旧メンバーの前で披露してたな。一人死んだらしい。
>>4
CHAGEがシャブやったように見える。
>>9
CHAGEがシャブやったように見える。 >>33
覚えてるんだけど
下手じゃなくて
福岡のYamaha ショップの講師などで
演奏は上手かった
単にいちばん重要なのはカネの問題だと思う
福岡から7人で東京に行っても食えないでしょ 三谷幸喜が当初メンバーであんドーナツが
好物だから仲間から「あんドー」と呼ばれ、
チャゲあんドー飛鳥だったって話は笑った
YAH-YAH-YAHも三谷の原曲は今から殴りに行く
友人を諌めるMAH-MAH-MAHだったとか。
ライブの感想にこんなフザケた寄稿をよせた
三谷の元にはクレームが殺到したらしいが
オフコースの鈴木くらいの割合で曲も書いてるのに、
コブクロのデカイ方よりいらない方扱いされてるかわいそうなチャゲさん
>>46
はじまりはいつも雨よりふたりの愛ランドの方がカラオケでよく歌われてるしな。 >>34
あたしも、テレビの方でダウンベストもらったー 「と」を「&」にしただけ?
全然かっこよくなってないんだけど…
ポプコン出身のビッグネームという点で
必ず見逃されてしまうスタレビ根本要w
ジプシーとアレレのレなんて覚えてないよなあ
>>43
クリスタルキングも7人組で大都会とは福岡の事
チャゲはラジオで最初のレコーディングでスタジオミュージシャンは圧倒的に上手かったから悩んだ末に解散を決めたと言っていたが
レコード会社は風やふきのとうみたいに2人組で売り出したかったのではないかな >>16
長い長い坂道を.. 今でも泣きそうになる.. ちなみに本日チャゲは名古屋の赤坂泰彦の特番に出てました
窓ガラスのへのへのもへじ……
知ってる奴おらんか?
チャゲアスの時代の移り変わりと共に曲調が変わっていくのは凄いよな
Ya-Ya-yahの頃は昔の面影とか全くなかった
>>63
「さそり座」と言うグループ名で中学生の女の子二人組でキロロみたいにピアノとボーカルだったかな
CD ポプコン・ガールズ・コレクションに収録していたと思った。 >>8
それどころか世界にとってもヤマハの重要性高いよ
DX-7がどれだけ世界の音楽を彩ってきたか >>49
チャゲアスがデビューした1979年は渡辺真知子や八神純子のヒット曲でニューミュージックのブームが来ていたから「と」を「&」に変えて良かったと思う
しかしチャゲアスのデビュー曲「ひとり咲き」のアレンジは歌謡曲色が強いからこれならチャゲと飛鳥の方が合っていたかな ASUKAだったけど英語圏でアソウカって呼ばれるからASKAにしたって言ってた
大昔、PPM をピーター・ポール・安藤真理と思っていたと言うネタがあった。
>>63
あの曲めっちゃ好きだった
ポプコンといえば一番に思い出す 黙っていれば友達になれない、
叫ばなければ消え去ってしまう。
私たちが生まれてきた時から育ててきた何かを伝えあうために、
ちぎれかけた世界の心と心を繋ぎ合うために、
私たちの歌が今ここにある
>>31
マンガだと飛鳥なんだけどアニメだと名前が氷村に変わってるよな。 谷山浩子の川のほとりで、おはようございますの帽子屋さん
NSPの夕暮れ時はさびしそう
屋根っていう歌も好きだった歌手の名前は忘れちゃったけど
自分の部屋でイヤホンでベッドで聞いてたマセた小学5年生だった
コッキーポップといえば
下成佐登子「秋の一日」 「愛の嵐」主題歌「ミセスメランコリー」でも有名
やっぱり「万里の河」がいいね
ロックテイストのフォークだわ
>>71
何かの本に「もんた&よしのり」と誤記されてたな >>67
COUNT DOWNとかモーニングムーンあたりの
ド歌謡曲とニューミュージック意識の完全ちゃんぽんなあたりがまたいい
チャゲ&飛鳥の曲は日本の歌謡界の変遷を確実に
表現しつつ実に和製ながら
最終的に実に独自な世界を描いているのが素晴らしい
DO YA DO、天気予報の恋人、NO NO DARLIN'
このあたりなど行き着いてかつ今でも尚似たものがない独自性があって
歌の構成が思い切っていて作詞も素晴らしい 全盛期のチャゲ&飛鳥の曲はシャブのおかげか、今聴いても名曲が多いね
>>68
次に出た「おいでブランコリー」もシングルになってそこでさそり座としては終わってるかな
名前をスウェイに換えてしばらくやってたけど… >>73
ヤマハ時代はど演歌フォークだから「と」が合うw
「男と女」とか「熱い想い」「北風物語」ポプコンに出た「流恋情歌」もそうか >>75
いまアメリカプロレスWWEの女子でやってるASUKAはちゃんと「アスカ」て
コールされてたよ
日本時代は「華名」ってリングネームだった人
それはそうと中邑真輔ICベルト奪取おめ >>15
それ三谷幸喜のギャグじゃないの?
昔はチャゲ&飛鳥のメンバーでした。僕は&を名乗っていましたっていうやつ
>>16
昨日も流れてたけど、本当に名曲だよなあ。
>>20
今は俳優としてあちこちの映画に出ている >>55
当時、近所に住んでた大阪芸大の大学生が伊丹哲也の友達かなんかで
つまらない曲でグランプリになったと批判していた。
その大学生にある日部屋に連れて行かれ、数人に囲まれて見せられたのが
創価学会のビデオかなんかだった。
あれが俺の創価初体験だった。
その後何度か別の信者とぶつかって口論になり「おまえ地獄に墜ちるぞ」と
言われたっけw 長渕剛はポピュラーソングコンテスト出場を黒歴史にしてるけしからんやつ
下成佐登子が亀田誠治と結婚していた事を最近知った
辛島美登里がポプコン出身である事も最近知った
>>107
長渕は再デビューしてからのフォーク時代まるごと語らない歌わないだけどね
一旦はヤマハからデビューしてるしこうして名前が出るのを圧かけてはいないでしょ
本当にポプコンを黒歴史にしてるのは佐野元春
一切出してこない バーボンストリートバンドや、誰やカバやねんロックンロールショウも出て、、、なかったか
最初に買うアコギはヤマハかモーリスのどちらかが多かった。
スターダストレビューがポプコンの時変な名前だったらしいが
>>15
それ言ってたの三谷幸喜
後でチャゲアスファンに怒られたってのもエッセイか何かで読んだ記憶ある >>111
誰カバ好きで今でも聴く。
誰がカバやねんだけど。 広島からはZIGZAGってバンドが出たなあ
時代に逆行する歌謡ロックでユニークだった
風と落ち葉と旅人、
チューインガム
はポプコン出身だよな。
>>112
モーリス持てばスーパースターも夢じゃないからな チャゲアスとスタレビの見分け方
遠く遠くどこまでも遠くがチャゲアス
トークトークどこまでもトークがスタレビ
三大ポプコン出身者のようでそうじゃない歌手
・岸田智史
・五十嵐浩晃
・堀江淳
ソニーが戦略上わざとポプコンに寄せて来てた感じ?
ポプコンというと酒もってこい〜酒もってこい〜って歌が妙に印象に残ってる
いまいちわからんのが
チャゲアスの全盛期はセイイエスから数年間なのは皆目一致だと思うが
じゃ80年代のチャゲアスはどうだったの?
モーニングムーンや万里の河などそこそこのヒット曲あるが
サザンやユーミンなんかと並ぶだせばそれなりに売れるビッグネームで大物ミュージシャンだったの?
あとチャゲアスが一般的に認知されて売れたとされるのは万里の河?
つまりデビューから売れてない時代はほぼない?
>>110
佐野元春はデビューの打ち合わせの最中にばっくれて勝手に辞退したからあまり気持ちいい話にはならない >>1
チャゲと飛鳥を和風と言われるとそれは違うような気がする >>11
三谷幸喜のエッセイ
クソつまらなくて衝撃を受けた >>125
ざっくり言うとこんな感じ
1979年 デビュー曲「ひとり咲き」、夜ヒット代理出演でそこそこヒット(←後のTUBEと同じパターン)
1980年 3枚目シングル「万里の河」大ヒット、直後のアルバムも1位獲得。以降固定ファンが付き、アルバムは堅調に推移
1980年代前半 「カラオケ受けする曲を作れ」というワーナーの方針に従わないことから、プロモに力が入れられなくなり、
シングルヒットが出なくなる
そんな中「世界歌謡祭グランプリレベルの待遇(=中島みゆきと同格)」でプロモーションを約束してくれた、
ポニーキャニオンに移籍。同時にポップ+AOR路線にイメチェン
1986年 「モーニングムーン」ロングヒット
1989年 夜ヒットのマンスリーゲスト+一時活動休止で話題をさらい、再ブレイク
デビュー10周年記念アルバム「PRIDE」が前作比6倍以上の大ヒット
1990年 活動再開後も勢いは右肩上がり、アルバム・シングルともにハーフミリオン超えを初めて果たす
1991年 ASKAソロ「はじまりはいつも雨」ロングヒット(最終的にミリオン)、そして夏に「SAY YES」発売へ >>125
80年代(レコードが)売れたのが万里の河やモーニングムーン(それとふたりの愛ランド)。
しかしコンサートツアーはコンスタントに毎年毎年トップクラスの動員があった。
お客は入るのに円盤は売れない不思議なアーティストと呼ばれていた。 >>132
浜省みたいなもん?
固定客はいるがレコードは売れてない
いわゆるヒット曲も風を感じて以来ない >>133
う〜ん どうだろ?
浜省はJBoyとかアルバム大ヒットしたし
もともとLIVEの人というイメージもあった。
チャゲアスは(少なくとも本人達は)シングルヒットも欲しくて欲しくてたまらないんだけれどもなんだかハマらない残念なイマイチ感があった。 >>30
その後エドワーズというGSで中心メンバーだったな。何年か前に黒澤浩と鈴木義之さんと
3人で寺内タケシと共演してたな >>125
大学の学園祭
いろんなとこのに出ていて大人気だった ポプコンは元々キャロル・キングやジェームス・テイラーみたいなピアノかギターの弾き語りのシンガーソングライター系が主流だったのに
アラジンがグランプリを受賞してから一気にポプコンの人気が低下して終演を迎える
アラジンみたいなのはイーストウェストに出場してもらえば良かったのに
♪青い炎 それは 私の青春の姿
ピクルスとピンクピクルスは違うんだね
実は辛島美登里も出身
「雨の日」好きだっただけに
ずっと黒歴史でなかった事に
してたのは悲しい
奏法について熱く語る初期の長渕は良かったのに
ちょっと見ないでいたら
なんか変な奴になってて驚いた
チューインガム
夢に見るアフリカ
明るい光のパラダイスには
もう帰れないのか
ポプコン末期1985年にはイーストウエストでボーカル賞を貰った、てつ100%と言うバンドは
スタッフからポプコンに出場してくれないかと頼まれてポプコンでは優秀曲賞を貰う
ボーカルの杉原徹が数年前にラジオで喋っていた。
>>149
チューインガムってポプコンだったのか
風は気まぐれ
??だっけ、姉妹だったよね
やまがたすみこもポプコン? ポプコンでグランプリとってコッキーポップで大プッシュされてシングル発売で一発屋とよばれるレベルのヒット曲になるパターン、ある年猛烈にプッシュされて私の耳には残ったのは
尾崎和之&コースタルシティ
チャゲをイジってくれているけど彼は未だにソロでも一万人規模のLIVEを上海なんかで演ったりしている。
チャゲ&飛鳥は「SAY YES」がバカ売れしなければ
スターダストレビューみたいな形で長持ちしたんだろうな、と思う
「SAY YES」の時点でクスリやってたらその限りではないが
吉川団十郎とかもっと売れるかと思ったけどなあ タレントとしても
ポプコンと言えばワイにはラジオから此の2曲がお気に入りだった
白いページの中に 柴田まゆみ
LonelyLonely 門あさ美
>>152
その頃になるとポプコン全体的に衰えててもはや一発屋製造機ですらなくなってたな
送り出す人材が枯渇したんだろう >>159 門あさ美 懐かしい
キレイな人だったね チェッカーズもポプコンOBじゃなかったか?
ポプコンの表彰式かなんかで見たような
チェッカーズはヤマハライトミュージックコンテストのほう
オリジナル曲でなくても可だとか基準がゆるい
門あさ美は最近またハマりだした
なんか催眠術みたいで心地よくなるw
こんな河原の夕暮れ時に 呼び出したりしてゴメンゴメン
NSPって誰かに批判されたっけ
コッキーポップ末期に中島みゆきと谷山浩子の漫談を1週間流したのあったなあ
みゆきが「綺麗なオレンジ色の黴の生やし方」を伝授したり
谷山浩子から借りたスカートにアイロンかけたら裏地が縮んだけど「まあいいや」ってそのまま返した話とかしてたw
小野健児の明日行きの列車とさそり座の窓ガラスのへのへのもへじが好きだった
そういえばポプコンのオムニバスCDを持っていた。中島みゆきの「時代」はこっちのオーケストラのバージョンがいいな。
小坂明子のあなたも世界歌謡祭向けに宮川泰先生がオーケストラのアレンジを考えてくれたが
小坂明子はそれをダメ出ししてレコードでは宮川泰先生にアレンジをやり直してもらった
ツイストはグランプリとってデビューも決まったのにコンテストおわったらメンバー間の約束を守り解散した
NSPの曲の人気投票とかやってたな。面影橋が1位だったような
>>157
あの人は東京の芸能界に嫌気が差して自ら宮城に帰ったんだよ 「黙っていれば友達になれない 叫ばなければ消え去ってしまう・・・・」
のナレーションを聴くと、そろそろ寝なければと思いながら、そのままANNに突入。
>>63
さそり座好きだったわ
なぐさめのリイベのCD化をずっと待ってるんだけど
大人になってSWAYに改名してからの或る日突然もいい曲
その後の曲はいまいちだった コンセントピックスとかいうコミックバンドもいたね
代表作の『顔』は、サビで♪顔が嫌い顔が嫌いあんたの顔が嫌いなだけ〜と絶叫するとんでもない曲だった
>>181
♪ごめんね君はとてもいい人だけど顔が嫌いなの〜 北海道と広島でやってるMUSIC Jって番組のMC、松崎真人さんの選曲が好きでよく聞いてるが、このコンテンストの出身とか
全然世代じゃないけど、この時代の楽曲好きですよ
オマエら懐かしい話も大概にしねーと哀ダンサー聞いちゃうぞ
ご機嫌いかがですか?
サウンドコクピット、今週は……
>>187
しかもエレックのケメはヤマハのコンテスト出身ではないよね
エレックの出世頭よしだたくろうはポプコン前のヤマハのコンテスト出身だけど コッキーポップ
山野楽器のながーい付き合い
宗教番組