記事投稿日:2018/12/08 11:00 最終更新日:2018/12/08 11:00
創刊60周年の節目の年を迎えた『女性自身』。60年にわたる歴史のなかで、華やかに誌面を飾ってくれたスターや、女性の新しい生き方を提示してくれた有名人を再訪。“『女性自身』と私”の思い出を語ってもらいました!
「『女性自身』といえば、まず頭に浮かぶのは、長年、私を取材してくれている女性記者さんのこと。いちばんの思い出は、’73年に長女の花子を産んで、退院の日に取材があったとき。帰宅して、初めてのオムツ替えにあたふたしていると、
その記者さんが替えてくださいました。当時は、週刊誌の記者さんたちとも、驚くほど距離が近かったんですね。『女性自身』で、うちのお手伝いさんを募集してもらったこともありました。今では考えられないことですが」
柏木由紀子さん(70)と本誌記者との取材を通じた交流は、’85年8月の群馬県御巣鷹の尾根での「日航機墜落事故」で、柏木さんが夫の坂本九さんを43歳の若さで亡くしたあとも変わらず続いた。
「あの事故さえなければ、と今も考えます。玄関や部屋に飾った彼の写真だけが若いままなのは、不思議な気分。毎朝、『おはよう』と声をかけますが、いまだに切なくて顔は見られません。それでも飾るのは、彼の笑顔が好きだから。誰にもやさしい人でした。週刊誌の記者さんたちも、みなさん、お友達でしたね」
夫を亡くし、落ち込んでいる読者には、こんなメッセージを。
「つらいときは、1人で抱え込まないほうがいい。私も黒柳徹子さんに夜中に電話して、話を聞いてもらって、一緒に泣いてくれたりすることで気持ちが楽に。泣きたいときはいっぱい泣いたほうがいいと思います」
https://jisin.jp/entertainment/interview/1691773/
創刊60周年の節目の年を迎えた『女性自身』。60年にわたる歴史のなかで、華やかに誌面を飾ってくれたスターや、女性の新しい生き方を提示してくれた有名人を再訪。“『女性自身』と私”の思い出を語ってもらいました!
「『女性自身』といえば、まず頭に浮かぶのは、長年、私を取材してくれている女性記者さんのこと。いちばんの思い出は、’73年に長女の花子を産んで、退院の日に取材があったとき。帰宅して、初めてのオムツ替えにあたふたしていると、
その記者さんが替えてくださいました。当時は、週刊誌の記者さんたちとも、驚くほど距離が近かったんですね。『女性自身』で、うちのお手伝いさんを募集してもらったこともありました。今では考えられないことですが」
柏木由紀子さん(70)と本誌記者との取材を通じた交流は、’85年8月の群馬県御巣鷹の尾根での「日航機墜落事故」で、柏木さんが夫の坂本九さんを43歳の若さで亡くしたあとも変わらず続いた。
「あの事故さえなければ、と今も考えます。玄関や部屋に飾った彼の写真だけが若いままなのは、不思議な気分。毎朝、『おはよう』と声をかけますが、いまだに切なくて顔は見られません。それでも飾るのは、彼の笑顔が好きだから。誰にもやさしい人でした。週刊誌の記者さんたちも、みなさん、お友達でしたね」
夫を亡くし、落ち込んでいる読者には、こんなメッセージを。
「つらいときは、1人で抱え込まないほうがいい。私も黒柳徹子さんに夜中に電話して、話を聞いてもらって、一緒に泣いてくれたりすることで気持ちが楽に。泣きたいときはいっぱい泣いたほうがいいと思います」
https://jisin.jp/entertainment/interview/1691773/