ベイ・シティ・ローラーズの創設メンバーの1人、ベーシストのアラン・ロングミュアーが、現地時間の7月2日早朝、亡くなった。
BBCによると、3週間前、休暇で訪れていたメキシコで体調を崩し、スコットランドへ帰国後入院していた病院で息を引き取ったという。
6月20日に70歳の誕生日を迎えたばかりだった。
家族はFacebookを通じ、こう訃報を伝えた。
「非常に悲しいことですが、家族に囲まれる中、アランが安らかに息を引き取ったことをご報告します。彼は特別な心を持つ類い稀な人でした。彼は出会った人たちみんなにたくさんの愛と優しさをもたらしました。私たち家族の心には大きな穴があいてしまいました。彼は慎み深く、自分のことを”幸運に恵まれたエジンバラ出身の配管工に過ぎない”と言っていました。でも、幸運に恵まれていたのは私たちの方です。彼と人生を共有することができました。みなさんからの愛と支援に感謝します。アランの死を追悼できるよう、どうかプライバシーを尊重してくださるようお願いします」
バンド・メイトだったレスリー・マッコーエンは「RIP」とアランの写真をTwitterに投稿。
スチュアート”ウッディ”ウッドは「アランが亡くなったと知り、とても悲しい。40年に渡り僕らが過ごした楽しい時間は忘れない」と追悼の言葉を寄せている。
アランは60年代半ばに、弟デレクらとバンドを結成。
ベイ・シティ・ローラーズと改名し、1971年に「Keep On Dancing」でデビューした。
1973年にマッコーエンが加入してから「Shang-A-Lang」「Summerlove Sensation」「Bye Bye Baby」「Give A Little Love」などがヒット。
日本でも旋風を巻き起こした。
アランは2015年、ベイ・シティ・ローラーズの再結成に参加。
数十年ぶりの来日を果たした。
合掌。
Ako Suzuki
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180702-00000093-bark-musi
アラン・ロングミュアー
ベイ・シティ・ローラーズ
青姦やらせろ外でな!外でな!
1発やらせろこの野郎!外でな!外でな!
セックスピストルズをベイ・シティ・ローラーズに
思想性政治性を持たせたような過激なバンドにさせたかったんだ
by マルコム・マクラーレン
レスリー、ウッド、アラン
キャーキャー言ってた馬鹿女がいたなぁ
ギターにシールドが付いてなくても音が出るすごいバンドだった
土曜の夜はサタデーナイト
サタデーナイト
サタデーナイト
英語で言ったらサタデーナイト
サタデーナイト
サタデーナイト
ヘアカット100のニック・ヘイワード好きだったなぁ
どうしてるんだろ
もう御歳57だとか
LPレコード持ってたわ
パット・マッグリンは綾瀬はるかに似ている
当時、平日・日中のライブにどうしても行きたい女子中高生に母親が付き添って行くってTVで報道してた。
中学生の時にデュラン・デュランが好きで聴いてたら、親父にはベイ・シティ・ローラーズと区別が付かなかったみたいだった
きっぽーんだーしんつざろけんろ〜る さたでぃなーい さたでぃな〜い
>>10
8つ上の姉だな
城みちる、あいざき進也の次がこれ >>22
その曲好きだわ
必死に歌詞覚えたから今でも歌える
>>30
キャーキャーやってた女子たちは50代なんやで ♪伝説と認めたホウレンソウ 佐渡に無い 佐渡に無い
>>25
日曜大工か
しかし、なんで>>1でサタデー・ナイトについて触れないんだろうな
BCRの全盛期を知ってるのはアラフィフ以上だから、こんなマンコ記者はろくに知識もないのか クセがないのがダメだったのか真ん中の人の次に人気がなかったのに、
今見ると1番イケメン
高校休んでコンサートに行く女子が大量発生して社会問題になってたな
>>10
曲も良くて男ファンも多くいたぞ
もちろんキャーキャー言ってる女子には混ざれず、誰にも言えないわけだが… >>3
えすえいてぃゆあーる でぃえわい ないっと!
えすえいてぃゆあーる でぃえわい ないっと! >>27
高校のとき本人と話した俺に言わせると まったく似ていない えす・えー・てぃーゆーあーる・でぃえわい!ないっ!
タータンチェックというものがスコットランド由来だと
ベイシティローラーズとF-1のジャッキー・スチュワートを通して知った小学生時代
何か知らんけどBCRもクイーンも同じくらいかっこよかった
サタデーナイトをハイスタで知った人は多いと思う。
そしてそれをハイスタオリジナル曲と思ってた人も。
>>58
全英でのヒット曲は10曲くらいあるで
サタデーナイトはビルボード1位だ
GIオレンジと一緒にするなよ >>19
エキマエせいゆーアールダイエーはナイト
悲しみのダイエー ノー、ノー
ウィノウォナビーイエスタデイヒーロー
イエスタデイヒーロー
ノー、ノー(フェイドアウト)
エジンバラの人たちって、すぐよそ者を田舎者扱いするイメージがある
>>1
JAPANやデュランデュランはイケメンだと思うがベイシティローラーズだけはカッコいいと思わん ベイシティローラーズのさたでないは宮川賢のラジオのOPで知りました。
ジャニーズのTOKIOがベイシティローラーズのパクリみたいな曲を歌っててよな
銀座NOWではBCR、クイーン、エアロスミスが3大女推しバンドだった
胡瓜!茄子!トマトにセロリ無〜い!セロリ無い!セロリ無い!
>>24
8月に来日するよ
去年出た新譜良かったよ >>11
両手を頭上に上げて手拍子してても楽器の音が出てたし凄かったよねw オシメンのタータンチェックのハンカチ持ってくのが流行った
ウッディの 黄色だった
誰だか知らないけど
当時のファンて今60代だろうな
日本初コンサート、近畿ではラサスケートリンク
家族巻き込んで死に物狂いでチケットゲットした(平日電話での予約)
チケット入手からコンサート終わるまで、人生であんなに興奮した半年はなかった
年がばれるけど中学の頃女子の間で流行ってて
タータンチェックの物とかみんな持ってたな
>>10
このバンドの世代に限らずみんなそうだろ
ボンジョビやモトリーにキャーキャー言ってたり
クイーンのフレディにさえキャーキャー言ってるの居たんだからどうしようもない 乾杯ラガーがカバーじゃないって言い張るのが未だに信じられないw
I only wanna be with youとかすきなんですけど
なんで「二人だけのデート」になるのか
あいあいあいあい待てないぜ〜
あいあいあいあいデートだぜ〜
NHKのBSで夜中やってる番組で、この人等が出てたの見てたら
超エアバンドでワロタ。楽器出来るの多分1人、
金髪のゴリラみたいなドラムの兄ちゃんだけだと思う
ベイ・シティ・ローラーズで一番ハンサムなのは
アラン・ロングミュアーと思ってたけど
>>1を見るとおじいさんだった >>111
上手くはないがちゃんと生演奏してる音源もそこそこ残ってるけどな
未編集のまま発売された『ROLLERWORLD 武道館ライヴ1977』はお薦め アンアンアンアンサタデーナイトサタデーナイトってか
アランがリード・ヴォーカル担当のベイ・シティ・ローラーズの曲もあったと思うけど
ロックン・ロール・ハネムーンしか知らない
空港で、フライト中止にいらいらする乗客を
歌で喜ばせる動画には感動しました
セレブだけどきっといい人だったんだろうね
ドラムやっていたカピパラみたいな人じゃなかったっけ?(´・ω・`)
演奏してないとか言われたけど、
この人のベースは安定してた。
ご冥福をお祈りします。
誰かわからんので
検索したら日本でブレイクした頃はすでに脱退してたんか
>>120
元祖ていうか元々海外の音楽番組とかは皆ほとんど口パクだったし…
そういやベイシティローラーズの日本公演の際、裏で日本人ミュージシャンが演奏してたとかいう話どっかで見たような…妄想かも知れんがw >>132
それはデレクでは?
アランのご冥福をお祈りします(´・ω・`) >>89
これは、NHKでやった時はアテレコだったが、実際の武道館なんかではちゃんと演奏していた。 >>133
あーそっか!
瞬間風速人気だったけど良い曲はあった
バイバイベイビーやカバーだけど2人だけのデートとか好きだったな
ご冥福をお祈りします タータンチェックのスニーカー持ってた
まだ70か
案外若いんだね
アランは当時から大人に見えた
合掌
メンバーが作った曲じゃないけど
Summerlove Sensationはいい曲
>>63
いやいや、その二つはカテゴリーが違いすぎる 何度もメンバーが入れ替わってるから誰がメインで主役なのか分らないグループ?
今でもタータンチェックはなんか好きだな
タータンチェックの水筒欲しい
洋楽への最初の入り口だったのがBCR
だからなつかしいし感謝
本格的じゃないとか構わないわ
今見るとイケメンじゃないのに格好良かった
>>3
あいあいあいあいお猿さん
ワンワンワンワン野良犬ー サンフレッチェの選手は11日の試合で喪章付けるんかな?
メキシコで休暇なんて格好いい
メンバーわりと貧乏してるんじゃないかと思ってたから優雅でなんか安心した
ハードな話なら、ゲイだったマネジャーのタム・ペイトンがレスリーとイアンを
レイプしようとしたんだっけ?
今見ると、そういう顔してたわな。
つまみ枝豆さんみたいなメンバー居たよね
二人だけのデートのスタジオバージョンがコーラスカッコよくて痺れたわ
中学生の時BCRとずうとるびの
女子の人気が凄かった思い出
初めて買ったシングルレコードが「ハートで歌おう」という曲だったよ。
全盛期の当時、池袋のデパートの屋上でベイシティローラーズの日本のパチモンでローズマリーっていうバンドの演奏を見た思い出。ボーカルが伊丹サチオだった。
>>154
あの曲もメロディアスでいいね
ラジオでよく聞いてた 日本はアイドル全盛期で、人気はすごかったな
ビートルズの再来なんて言われてたっけ
いろいろ思い出してきた、、、ご冥福を
>>118
キットカット当時はお洒落なチョコだった 5chって高齢者ばかりなんだろうな。
これ知ってるの50代以上だろ。
還暦くらいの人が一番ドンピシャなのでは?
俺は66歳だけど。
ぶい!えい!えぬ!えい!える、えるえー、ヴァニラ!
名古屋でみたローラーズトリビュートバンド良かった
ボーカルがバナナマン日村みたいなとこも良かった
ピーターバラカンが昔ラジオで、
この人達のインタビューをBBCか何かで見た時、
言葉が判らなかったwと言ってた
ここまで八木誠、大森常雄のレスなし
>>173
ルーツは他方の東京人が地方の訛り笑ってる感じだな 初めて聞いたロックがBCR
YesterdayHeroのシングル盤
>>22
Dedicationか、名曲だな。
イアンがメインボーカルだけど、探すとレスリーがメインボーカルのバージョンもあってそっちもよい。 >>155
伊丹サチオはたけしのオールナイト日本で初めて知った >>173
話が出来過ぎだw
バラカンが判らんとか 伝説と認めたホウレンソウ♪ 佐渡にない♪ 佐渡にない♪
>>160
もともとアランがベースで
アラン脱退→イアン・ミッチェル加入
でウッディがベースになったイメージ 2ちゃんは団塊ジュニアが一大勢力と思ったら
それ以上の高齢者ばかりだったw
全英Top10シングル
1971 "Keep on Dancing" #9
1974 "Remember (Sha-La-La-La)" #6
"Shang-A-Lang" #2
"Summerlove Sensation" #3
"All of Me Loves All of You" #4
1975 "Bye, Bye, Baby" #1
"Give a Little Love" #1
"Love Me Like I Love You" #4
1976 "Money Honey" #3
"I Only Want to Be with You" #4
全米Top10シングル
1976 "Saturday Night" #1
"Money Honey" #9
1977 "You Made Me Believe in Magic" #10
ファンが女ばっかだった。
同じ頃のキャンディーズは男ファンばっか。
こういう構造の方が健康、健全だったんじゃないの。
青春に捧げるメロディ
ハートで歌おう
イエスタデイズヒーロー
オールジャパンポップ20を聞きだした頃にチャート上位に来たシングル
愛はいつまでもと雨のニューヨーク、レスリーが脱退した後に恋するラジオを覚えてる
ローラーズ脱退しソロになった後のパットマッグリンの恋の回り道もチャート上位に来た
ひとりぼっちの十代 好きだった
あとエンジェルベイビーとか
何十年も聴いてないのにいろいろ蘇ってくる
チャッピーの本名は忘れた
>>10
ホテルにピーがどっちゃり待ってた世代のバンドだから >>206
あっそうだそうだ山本さゆりさんだ!
ありがとうございます 何故か手元に
タム・ペイトン著 大森庸雄/山本沙由理 訳
「ベイ・シティ・ローラーズ 栄光への道」という本がある
古本屋でかなり後になって買ったのは覚えてるんだけど
小さな写真が載ってる山本さゆりはかわいらしい
40年前の本
そうかアラン亡くなったのか…ご冥福をお祈りします
BCR好きになった時には既に脱退してイアンに変わってたな。
姉が大ファンでやたらキットカットを食わせられた
マッキントッシュのーキットカット!
>>206
山本さゆりさん。若かりし頃、めっちゃ綺麗でした。 俺はこっちだな
はなまるマーケットのテーマ曲だったかな
I Only Wanna Be With You(二人だけのデート) - Bay City Rollers
@YouTube
>>196
しかし宝塚のファンは女しかいなかった
やっぱ女って滞在的にレズっ気あるんだなぁw 「二人だけのデート」って変なタイトルだな
むしろ二人だけじゃないデートの方が珍しい
最近はダブルデートとかグループデートも珍しくないてすよ
バイバイベイビー➡一人ぼっちの十代➡サタデイナイトと来て、
次のシングルがマネーハニーでいきなりハードロックやりだしたのには
ビックリした
>>206
ツイやってるんだ
サッカーの影で大事なニュースがたくさん埋もれてる気がする ネットがない時代でも>>150みたいな話とかどこで広まったんだろうね
雑誌かな?
ネットがない時代のが楽しかったな リアルタイムでは知らないけど「夢の中の恋」とかいう曲が好きだ
ご冥福をお祈りいたします。
社会現象になるくらい全世界でフィーバーしてたな
しかしその人気も短命に終わった
多数の少年を強姦したので悪名を轟かせた?タム・ペイトンがベイシティローラーズの
本を書いてて、和訳すら出ていたとはな。
この男は一度も収監されることなく、自宅で往生を遂げた。
悪人なおもて往生す?の典型。
ベイ・シティ・ローラーズって
ライブ映像でギターの人が観客に手を振って愛想を振りまいているのに
ちゃんと音が出ていたという伝説のバンドか
日本の音楽史にも影響力大
ベイシティローラーズがいなければ、
LAZY、のちのラウドネスや影山はどうなっていただろうな
>>236
TM NETWORKのギタリスト 「ぎりぎり、セーフ」 ハロー、フリントロック、バスターも思い出してあげて下さい
>>74
デビッド・シルビアンのすっぴんを見てがっかりした思い出。 自分がファンになった時にはいなかったので、幻のメンバーだわ。
ご冥福を。
なつかしいな。
この間、ものすごく久しぶりにレスリーの歌声を聞いたら
どこかジョンレノンに似てると思った。
中学時代、周囲にファンが多かったな〜。
自分はビートルズやウイングスが好きだったから
「おっさん好きの変な奴」と思われていたようなw
ぐぐったら
ウッディがほんの1ヵ月前の6月上旬に
“BAY CITY ROLLERS featuring WOODY”という名前で
新宿でライブをやってたことを知った
タム・ペイトンも鬼籍だし、デレクは児ポかなんかで逮捕だし
>>91
え 色分けとかしてたの?
戦隊ヒーローやモモクロの先駆けなんだな >>235
ひええ 現代ならケビンスペーシーみたいに全てを失ってた ケビンも娑婆にはいるんだろうけど ヤングミュージックショーを見ていたキッスが好きな友達が
「手を振る暇があったら弾けよ!」と熱く突っ込んでいた
>>242
いやレイジーに関してはグループの企画部自体無かったかもよ デレクの兄ちゃんかー…
懐かしいな
ベイシティももうみんなお爺ちゃん
私もオバちゃん 元デレク担
>>239
音楽雑誌でポストBCRって事で無理矢理な感じでまとめて紹介されてたね あのリフの知名度は
smoke on the water並み
ふたりだけのデイトのカバーよかったなあ。大好きあの曲。
当時テレビ向けの映像はほとんどが口パクだった
しかし武道館なんかのライブステージではちゃんと演奏していた
Sunshine Of Your Loveをロゼッタストーンのオリジナルだと思っていたあの頃
We don't wanna bea yesterday's hero
>>3
俺、武道館でベイシッティーローラーズ見たぜ。 BEATLESは全く知らない
洋楽知って初めてのアイドルだった
朝日か読売の夕刊に来日決定とか書いてあって驚いた
チケどうやって取ったのかも覚えてないや
朝早くから原宿のプレガにいったのかな?
それとも郵送抽選だったのかな?
>>271
ベイシッティーローラーズは1997年で俺は当時10代、な。 青春は、タカラヅカとベイシティローラーズと、宇宙戦艦ヤマトだった
バイバイベイビーベイビーグッバーーーーイベイビーバイバイ
バイバイベイビードンメイクミークラーーーイベイビーバイバイ
イアンとパットが抜けた時、1回カムバックしたよね。
アイドルバンドというイメージが強いけど、曲が良かった。
>>140
そのころ人気絶頂だった「マカロニほうれん荘」では、どっちもモチーフとして使われてた 今の20代の日本のバンドよりカッコイイという現実wwww
レイジーは露骨に女受けを狙ってるのがいじましかったw
若い頃、中性的なアイドルだった人間は中高年になると、逆にオッサン度というか男性度が
高くなる気がする。
40年くらい前、ほんとに凄い人気だったし
かつてのファンが子育てなど一段落して戻ってきたりして 再評価あるかと思ったけど意外と静かだね。
もっと評価されていいような気もするのに。
アランロングミュアーが脱退後にソロになって出した「恋のうちあけ」という歌が頭の中でヘビロテが止まらない
>>239
すてきなサンデーは好きだったな
マンデー遠足 レコーディングではニック・ロウやデイブ・エドモンズのバンドが影武者だったと聞いたが
まあ演奏力はともかくレスリーはいいボーカリストだったと思う
70歳?そんな年とってたんだ。俺が小坊の頃に流行ってたので
あのときで30か、(ー人ー)
>ベイ・シティ・ローラーズ
姉が大ファンで部屋にポスター貼ってあった
ビートルズの再来とか一時的だったけど物凄い人気だった記憶
すぐに忘れられたようなw
@YouTube
イギリスのローラーズ専用番組だったShang a Lang。
他のアイドル・バンドの曲紹介や、大御所のフォーク歌手を呼んでのアコギ・コラボなど
日本じゃ知られてないシーンも多い。
@YouTube
ローラーズ時代のアランのソロ曲。声が甲高くて顔の雰囲気に合わない。
しっかし、こういうアイドルアイドルしたのいなくなったな。
斜に構えたカッコつけ勢力が色々と突っ込んで、偉そうにドヤ顔したがる対象って
器も存在感も大きいと思うけど。 >>296
全盛期は3年前後、短い期間だったのが却ってよかった。 >>173
スコティッシュの英語は訛りが半端ないらしいからな ビートルズもアイドル人気は3〜4年ってところだったな。
>>299
初来日した時、エジンバラから出たことのないパットの言葉が全然分からなくて、メンハー同士で早口で喋られるとほんとに聞き取れなかったって、その時ま通訳さんが言ってた ゴーバンズの森若香がこのバンドの大ファンだったという
どうでも良い記憶が蘇って来てイラっとした
あー、兄ちゃんの方が死んじゃったのかー
よくよく考えたらこのバンドはこの兄弟のバンドと言っても良いと思ってた
>>301
パットのスコッツ訛りは物凄いのレベルだったのは確かだなぁ
しかし彼らは、あの芋芋しさが受けていたのも事実 アルバム曲殆どシングル化してた気がする
日本のキットカットのCMにも出てたし
ラサのスケートリンク公演で、バタバタ失神して倒れて行くのをこの目で見たww
パイプ椅子がメキメキ割れて言ったwww
まあこのアルバム聞けよ
@YouTube
ビートルズのファンはサビのリフしか歌えない人が多いけど
ベイシティローラーズのファンは、殆ど全曲一緒に歌えるwww歌詞が簡単だからww 当時の男のミュージシャンはたいていBCRを馬鹿にした発言してたけど
(タータン幼稚園とか)
チューリップの財津和夫さんは「ハッピーでいいじゃない 好きだな」と発言して嬉しかった
it's a teen age dream to be seventeen♪
男だけどベスト持ってたわ。いい曲結構あったよ
ヒット曲はどれも好きだけど
ほとんど(全部?)カバーだよね
アレンジとレスリーのボーカルが良かったんだろうな
当時は音楽のこととか何もわからない小学生ファンだった
デレクって金髪ロン毛のほうだっけ
でも身長低かったなー
まぁ全員身長低かったけど
性格は良さそうだったな
イアン・ミッチェルが一番かわいくて好きだったけどw
>>311
ビル・マーチン、フィル・コールターという、レコード会社が用意した
ソング・ライティング・チームが、初期の曲を書いてた。
SATURDAY NIGHTも、彼らのペンによるもの。
これがビルボードでも1位になって、以後、アメリカ市場を狙ってアメリカ向けの
ラフな曲がカバーでもオリジナルでも増えた。
シングルにはならなかったが、ビーチ・ボーイズやエリック・カルメンのカバーもいい。
だけど、スコットランドの「隣のお兄さん」然としたイメージでイギリス国内で人気だったのが
いちばんらしい姿だったんじゃないか。UKの人気ミュージシャンが、US市場で売れる為の
イメチェンはUKミュージシャンが誰でも通るコースだが、アイドルとしては、まぁまぁ成功
の部類に入るのでは。 真の洋楽通はこんなの聴かねえし
バカにしてたよ
こんなのありがたがるのは洋楽無知の邦楽馬鹿だけだ
と50代なかばの兄貴がいっていた
当時NHKでライブ映像を何度か放送して人気でたような
ベイシティーローラーズが人気だったころは
クイーンやキッスも日本ではアイドル的な受け入れ方をされていた
ビートルズも最初は同じ。ローラーズの曲はよく出来ていた
バスターやハローという類似品アイドルも出たが、ローラーズ専用番組に出演したバンドには
ルベッツみたいな実力派指向のアイドルもいた。顔はアイドルっぽくないのが多いが。
The Rubettes - I Can Do It - 1975 HD
@YouTube
The Rubettes - Sugar Baby Love (HD 16:9)
@YouTube
この曲は日本語の歌詞がついて、アニメの主題歌になったらしい。
>>315
そういう上から目線で通ぶれる奴向けのツッコミ商品が、最近はないな。
恥ずかしがらずに自分の意見だと言えばいいのにw
今聞くと、洋楽初心者向けでいいと思うが。 >>317
クイーンやキッスも、実力派じゃなくアイドル・バンドだと酷評する音楽雑誌も多かったらしいね。 40年ぐらい前だよな
70歳ってことは結構おっさんだったんだな
>>319
色物的、ミーハー的に捉えられていた
スージークワトロや場合によっちゃエアロスミスまで >>317
アイドル人気で終わるか実力を発揮してそれだけじゃないと認めさせるかだな
アイドル的存在は大衆に必要で蔑ろにしてるわけじゃないよ >>323
大衆を魅了するというのはその時点ですごいことで
昭和歌謡のアイドル達も意外な実力を備えていた場合が多い
ローラーズはモンキーズと共通点が多いが
ビートルズが一番気にしていたのはストーンズでもビーチボーイズでもなくモンキーズだった オリジナル曲 (Faulkner, Woodでクレジットされてるもの)で好きなのは
"My Teenage Heart""Money Honey""Eagles Fly" "The Disco Kid"
"Rock 'N Roller""Don't Let the Music Die""Strangers in the Wind"
あたり
>>313
ああそうだ、元祖はそもそもモンキーズでは Bye Bye Babyとか、カバーが結構いい記憶
合掌
世界中で人気あったし、一発屋でもないよな
ピークは2年位?
世界中でタータンチェック生地どんだけ売れたんだろう
>>315
もっとディープな洋楽通だとローラーズの生みの親的なプロデューサー、ジョナサン・キングが
ジェネシスや10ccのデビューにも関わってることや、ブレイク前の元メンバー2人が結成した
パイロットが英ポップロック好きの間でそこそこ評価高いこと、またそこのメンバーがアラン・
パーソンズ・プロジェクト等のEMI系で良い仕事してることを知ってるんであまり馬鹿にしません ラブミーライクアイラブユーが好きだったなぁ
間奏のギターソロもいい
>>333
俺の洋楽ライフ始まりの曲だわ
それからビューティフルサンデーとか
オリビアとかKISSとか聞き出した消防の頃 ギターバンド編成で出来る良くできたポップロックだったと思う。
>>333
そのB面の「恋のシャンハイ」が好きだ
美しいコーラスワークとメロディーの名曲だと思う 昭和51-52年頃、ジャニーズより売れてたし、人気あったんじゃね?
若い層には「ロックンロールラブレター」のほうが知られてる?
ニッポン放送とラジオ関東でBCRの番組があったな。30分BCRの曲と情報だけ。
Just a Little Loveとか好きだったな
Money Honeyなんてマイナーな曲を思い出した。
友達が熱心なファンだったから付き合いで聴いてたんだけど意外と覚えてるものだな。
イエスタディズヒーローは明星の歌本で意味を知った
そういえばレスリーの兄貴でジャミーワイルドってのもいたな
>>1
自分にとって初めてちゃんと聴いた洋楽で
初めてのアイドルだった。
カバーが多かったけどいい曲だらけだったなぁ もう70歳だったのか。ご冥福をお祈りいたします。
ベイシティローラーズは今聞いても良いからなあ。
もっと評価されるべきだよ。
>>22
サビの途中から別のメロディが被さるけど
あれがもの凄くいい。
カラオケでもそこを歌ってしまう >>36
カバーグループって思われてる感じが強いけど
でも実際に自分達で作ってる曲もいいんだよね。
もっと早くからオリジナルだけでやっていけば良かったのに
と当時も思った >>72
当時 子供ながらに
なんでこんな歌を演るんだろう?
絶対後で後悔するのに と思った ビートルズも他人の作った曲でデビューする予定だったけど
「自分たちの作った曲で勝負したい」と渋って、Love me do がデビューを飾った。
名プロデューサー、ジョージ・マーティンみたいな人がいたら
BCRの方向性も、また違っていたかもね。
レスリーは声がほんといい
世代じゃないけど好きです
神戸・福原エリア
『ビ−セカンド』
花びら回転コースで女の子2人で楽しめます。
興味のある方は、「ビ−セカンド」で検索♪
「マッコーエン」じゃなく「マッキューン」と発音するんだよと
友人から豆知識を授かった記憶。
アメリカじゃなくて
イギリスのバンドだったのかな!
>>10
都内でも西側は、小学生ヲタがタータンチェック着てたらしい ビートルズもリヴァプール訛りがあったらしいが、アメリカのロックンロールのレコードを
聞いてカヴァーしてたから自然にアメリカ英語が身についたという説も。
>>93
まぁ一発屋だしね。
マイシャローナは超絶的名曲だけど
続いて出したやつが普通な感じで今ひとつで、
でその後のマイシャローナの亜流みたいなやつで
やっぱ今一つって感じだったな。
でも今調べたら2010年にボーカルが亡くなってんのね >>107
んなもん、KISSの邦題に比べりゃかわいいもんよw >>367
アメリカ市場を視野に入れていたから、無理してアメリカ風に歌っていたんだって。
ちなみに「call you on the phone♪」みたいな歌詞も当時のアメリカの若者を意識したとかいう話。
イギリスではまだ若い恋人同士が気軽に電話をかける時代でもなかったらしい。 >>362
都内じゃなくてもだよ、姉貴がコンサート行こうとしたら禁止令が出てた。 >>142
いやメインはボーカルのレスリーだよ。
そこは絶対動かない事実。
二番手として誰か って感じ
実際レスリーが脱退してこのグループは終わった ダンカンとか言うのが入ったっけ。女の子みたいな顔してたな。
友人たちもダンカン加入後のLPを一枚買ったところで、いつの間にかファンをやめていた。
>>154
今でもカラオケで歌ってます。
アップテンポじゃないから
このバンドの曲で一番歌い易い >>326
でも綴る時にはいつも「S.A.T.U.R・・・」と頭の中で歌いながらだったから、時間かかったw >>198
メロディいい曲がほんと多いバンドだった。
今は日本でもあんまいないなぁ >>205
雨のニューヨーク はむちゃくちゃ好きな曲。
オール〜は自分的に洋楽の教科書だったな >>234
詳しい人によると
金儲けだけに必死で音楽には全く興味なかったマネージャーのせい
って言ってたけど、
まぁ確かにそのせいでレスリーがやめて人気なくなったから
その通りなんだろうな。
レスリーがそのままいたらあと2、3年はいけたかもしれない >>314
詳しくありがとう
そっか
カバーだけではなく専属ライターによるオリジナルも多かったんだね >>309
財津さん良くわかってる
本格的かどうかとか音楽性がどうかはどうでもいいんだよね、ベイ・シティ・ローラーズに限っては
あの時皆を盛り上げてくれた
数十年後にメンバーの一人が亡くなった後でも当時を懐かしがって語られる
タモリとかBCRを三流バンドとバカにしてたそうだけど
文化度低い田吾作だなあと ビーチボーイズとビースティボーイズとベイシティローラーズがごっちゃになる
>>315
あんたの兄さんは何が好きなの?
オススメは?
ちなみに自分はBCRから洋楽に目覚め(といっても当時小学生だったがw)
どんどん聞くようになったよ
ブリティッシュ系にハマっていくきっかけになった BCRから洋楽はいったけどすぐにこいつらださい
通はクイーン派かエアロスミス派かって感じでバトルしてたよ
中学生時代 同級生の谷口さん好きなバンドだった 54才
メキシコ旅行中に体調崩したってメキシコでなんか毒でも盛られたのかな
70歳って…思ったより歳いってたんだな
活躍してたの40年ぐらい前だから、当時既にアラ30か
そういえばアランだけちょっと年上感あった記憶がある。
ウッディとか20歳そこそこだったよね。
>>390
そうそう、アランはちょっとおじさんって感じだったね。 >>155
ちなみに、ローズマリーは伊丹がボーカルに加入する以前にまだ髪の毛がフサフサな頃のモト冬樹がギターで在籍していた ちなみに その2
中岡俊哉の心霊写真本に、ライブ演奏中のローズマリーの後ろに女性の霊が写ってる写真がある
当時はクィーンが好きでBCRを馬鹿にしてた。そのクィーンもミーハーバンドって馬鹿にされてたんだけどね
でもファンの子に1度で良いから聴いてみてってLPを押しつけられて一応聴いてみたんだけど、明るくて気分が上がるような良い曲揃いでびっくりした。
それ以来、どんな軽いアイドルの曲でもちゃんと聴くようにしている。
他のメンバーは60歳くらいかな
チープトロックのリックニールセンと同い年か
中学のクラスメイトでクイーンファンがいた
高校に入ったらベイシティローラーズファンがいた
大学に入ったらひろみー!マッチー!と騒いでるのがいた
>>374
恋するラジオという曲がシングルになったのは覚えてる >>400
同年代のはずだが、大学時の「ひろみー!」というのがわからない… >>402
たのきんにマッチはいたけど
ひろみは違うよなw
わざとボケたんじゃなければ
おくすり飲み忘れたのか >>322
同感です
可愛いアイドルっぽい雰囲気がある
パットは意外に男っぽい顔立ちなんですよね >>409
それは失礼いたしました。
昔のローラーマニアとして率直に感じたことを
書き込んだだけなんで >>408
このバンドの全盛期はもっと前、ぎんざNOW!の頃
せんだみつおとかでてた 結構噛み合ってると思うけどなあw
イアンも小池も女の子っぽい可愛らしい顔してたよね。
パットは可愛い印象だけど、良く見ると結構ゴツい。
どちらも「ロックショウ」とかで良く見かけた記憶。
ミュージックライフに比べると、アイドル寄りだったよね。
日テレでやってた土居まさるの「TVジョッキー」の
福田一郎さんのコーナーで紹介されたのを見た記憶が
おぼろげに
>>373
パットマッグリンが辞めたとき
友達が号泣しながら学校の廊下を走っていった アラン脱退→イアン加入したけどすぐ脱退→パット加入するもやっぱり即脱退
この辺のバタバタも人気下降に影響したかな。
>>416
長渕剛がまだ女の子人気があった頃、石野真子と結婚して
泣いてる子がいたのを思い出したw >>417
うーん…本当に長い時間が経ったんだなあ。なんかしみじみ。 >>414
二人共鬼箱に入られたな
紹介されたアランも >>374
ダンカンとイエスのトレバーラヴィンが同じバンド キットカット食べたいなあ
当時はお洒落なチョコだった
@YouTube
こっちのボーカルも一昨年48歳の若さで亡くなった
いちよう洋楽通はしらないと思うので 今みたいにBSもCSもネットもない時代
しかし鮮烈に記憶している
逆に今の子は可哀想だ
>>421
そうなんだ。顔が可愛いとむしろ損だね。
本格志向でもアイドルとしか認識されなくて。 亡くなった八木誠さんがBCRの番組やってたな。ポップなバンドは皆バカにするけど、
難しいみたいなこと言ってた記憶がある。
裾が短めの寸胴パンツとか胸を大きくだしたチッコいベストとかデザイン変えればヤンキーでも使える形だな。
1位が驚きの結果に…「美人度が高い国ランキング」トップ10
このスレのおかげで、忘れてたはずの記憶が少しずつ蘇ってきたよ。
不思議な感覚。
アランのツイート見たけど、笑顔の写真なんかは若いころの印象が残ってるね。
>>381
それはいかにもタモリらしいエピソードだなww
さだ、オフコース、タモリが嫌いな連中俺は好き >>386
風俗数回行った素人童貞が真性童貞嗤うみたいな争いだな今考えると >>7
ブラックサバスとブラックフラッグとKNACKの間で揺れ動いているベイシティローラーズのようなもの? チェッカーズの衣装コンセプトはコレのパクリだし、
AKBもその流れにある
映画ロボコンでサタデーナイトのものすごく下手くそなカバーを
聞いた記憶があるのだがYOUTUBEを探してもないな
素人の女子高生が歌ってるような面白さがあったんだが
BCRが「スター千一夜」に出たとき(1976年くらいかなあ)
ウッディがパチンコを気に入ったという話をしていて
なぜか「チンコ!チンコ!」と言っていたのが忘れられない
>>343
デビッド・ボウイも、フェイムでブリティッシュ風のグラム・ロック路線を捨てて
黒人ソウルやジョン・レノン・ナンバーでイメチェンに成功、USでブレイクしたが、
ボウイも歌詞、歌い回しにアメリカ英語を取り入れたらしいな。
最後までアメリカで売れなかったのがロキシー・ミュージックらしい。
BCRは本人達のキャラだけじゃなく、スタッフも良かったのでは。
SATURDAY NIGHT以降に出した、マネー・ハニーやロックンローラーは
エリック/ウッディのオリジナルだが、黒人風のリフを上手く使ってると思う。 >>429
八木誠さん亡くなってたのか
もう一人大森さんだっけ
二人でBCR専門番組やってたね ラジオでBCR物語みたいなのやってなかったっけ
OP曲が「威風堂々」で
「だが、スターへの道は決して平坦なものではなかった」っていうようなナレーションで始まるの
>>163
その曲も今や忘れられてるよな。
テレビで使われたりするから
日本だと2人だけのデートが一番有名かな?
まぁ誰が演ってるかは全く知られてないと思うけどw >>236
外国ってテレビ番組では実際に歌わない&演奏しない
ってのは割と普通じゃなかったっけ。
有名なマイケルのやつもそうだし。
で、ライブだとちゃんと演るっていう。
今は日本でも(一部のジャンルだけだけど)当たり前だけど
当時それやったら失笑もんだったろうな オールスター感謝祭の休憩タイムのBGMは
It's a Gameだったイメージ
>>280
あとコーラスが凄いいいんだよなぁ。
本人達がやってんのか知らんけど >>285
あまりにもアイドルバンドってのが強調され過ぎたからね。
あと実際は本人達で作ってていい曲も多いのに
知られてる曲の殆どがカバーってのもあるんだろうね
ほんともっと評価されていいバンド 「太陽の中の恋」のインストルメンタルのカバーが
「玉置宏の笑顔でこんにちは」のオープニングだったな。
原題は「サマーラブセンセーション」だったか。あー懐かしいw
とにかくBCRはもっと色んな場所で流れてもいいような気がするなあ。
>>449
シルヴィ・ヴァルタンがフランス語でカバーしてたのね
タイトルは "PETIT RAINBOW" >>444
そうなんだ。
そう言えばビートルズでも、ジョンが自分のパートが始まる時にぼんやりしていて
歌声が先に流れてしまい「やっちまったw」みたいな顔をしてる場面があったな。 >>450
60年代 蕎麦屋の出前持ちがモーニン歌ってた(眉唾)
70年代 広島の県立女子高生がタータンチェック着てた(実話) いっじゃちゃ さられなーい♪
急に「ベイシティ」が取れて「ローラーズ」になった記憶があったけど いつだったか思い出せなかった。
レスリー脱退、ダンカン加入のタイミングだったんだね。
>>239
Buster、ロブのThe Millは名曲 >>439
それ読んで思い出した
日本側の関係者が「カルピス飲みますか?」とローラーズに勧めたら
「何でそんな変な物を飲むんだ?」とものすごく嫌な顔をされたのでよくよく確かめてみたら
「カウピス」、つまりメス牛の小便と聞き取っていたんだと
そもそもカルピスは日本の商品なんだからローラーズは知らないよね 可愛い顔してポルノスターになった奴もいたよな
デカかった
ニックロウが気に入っていたのかBCR風の曲書いてたね
>>444
そうなんだよね
組合があるらしく、これを嫌ったビートルズは事前に録音された音源で口パクやってた。 大昔、タモリがラジオの深夜放送で全盛期のBCRをネタにしたらトラックの荷台に乗るくらいの量の
カミソリ入りの抗議の手紙が届いたとか。
Kitkat, yes, I really dig it
but do you love me って曲好きだった
>>467
それそれ
爽やかだけど哀愁が漂ってるメロディーが名曲だと思う イギリスではレコードに合わせての口パクは禁止してた時代があったような。
ただ別録ならOKだったのかな。Ready Steady Goは完全にレコードの口パク
だったけど。
>>298
後になってから言えることだけど、
当時はレスリーが脱退してくれて良かった。
彼がやめるちょっと前から人気に陰りがあったから
あのまま続けても惨めな感じになったかもしれん。
そういうのは見たくなかった。
こちらとしてレスリーがやめて一区切りついた感じで
結果的に逆に良かった >>302
イラっとすんなよw
自分は嬉しいわ
彼女はChee' sっていう女性アイドルグループの曲を作ってたけど
ちょっとローラーズを意識してたのかな?w ここのおばちゃん達も当時は万個熱くして声援してたんだろうなぁw
>>310
誰のセンスか知らんけど持って来るカバー曲のセンスも良かった。
自分はそれまで殆ど洋楽聴いたことなかったから
Don't Worry Babyなんかローラーズの曲だと思ってたw
まぁ刷り込み効果か、やっぱ彼らがやってるバージョンが一番好きだ >>443
サタデイ・ナイトはアメスポのアリーナ、プロ・バスケやプロ・アイスホッケーでは
よく館内BGMで流れてるぞ。
ニコロデオンの子供向け番組、ゲーム・シェイカーズでもダブルGがノリノリで歌ってたな。 >>325
You're A Womanとか名曲だけど
あれはカバーとか他の人が作った曲だっけ?
でもほんと本人達でいい曲作るよな。
Strangers in the Windとかほんといい曲 >>338
ほんと昔の洋楽人気ってなんだったんだろう?w
今じゃ考えられん >>236
ギターのエリック・フォークナーさんだけはガチ
さたでなー
さたでなー
あいあいあいあいなんとかー
ガキの頃こんな感じで
サタデーナイトとか別に良くも無い曲だけが
ヒットするとそのイメージになっちゃうよね。
バリーマニロウがコパカバーナみたいな。
51-2年当時は音楽に限らず、文学、美術、工業製品など今とは比べ物にならないくらい
欧米文化への関心が高かった。
今は日本の若いのは欧米から学ぶことなしの姿勢だろ。
15年以上前かTOKIOがビールのCMで
♪カンパイラガー〜
と歌って「サタデーナイト」のカバー?
みたいなのをやってたことを思い出した
イアン・ミッチェルのロゼッタ・ストーンにしても
パットのスコッティーズにしても
来日していきなり武道館でやってたのも
あの時代だったこそなんだろう
1976年の初来日公演に行った時は
まさかその42年後に2ちゃんねるでメンバーの死を知る事になるとは思ってもみなかった
アランありがとう
洋楽アイドル華やかな時代だったね。
40年という月日は意外と速いんだ、人間の一生って短いものなんだな…と改めて感じるよ。
弾いてないとか言う人、
ソウルトレインとか、昔の欧米のポップス番組見てみろ。
みんな口パクだから。
でも、モンキーズみたいな歴史に残るグループでも、
弾いてなかったって言うしなあ・・・。
当時の外タレは口パク基本だな
歌の最後はフェイドアウトして最後にヴォーカルがニッコリ
丸分かり
>>368
ザ・ナックはとびきり上等なパワーポップ。根強いファンは多いよ。 >>444
そう。あくまで宣伝の場だから、わざわざ入念な楽器セッティングやリハが必要な生演奏はしないという考え方。
そういやギターヒーローのゲイリー・ムーアが夜ヒットに出た時もカラオケ口パクだったな。 >>484
あれだけだと著作権に引っかからないんだろ。 >>11
BBCのTop of the pops以来の伝統
生演奏なのにフェイドアウトも >>352
本当はニック・ロウとかイアン・ゴムが書いていたという噂もあったな >>493
やりたい やりたい 俺の 俺の yeah 俺のシャローナ♪ 訃報とはいえ
アランスレでカキコが500に到達するとは
ナヴァーナのカートが自分らの音楽をブラックフラッグとブラックサバスにかき回された
ナックとベイシティローラーズって称したんだけど言いえて妙だよな
マイシャローナをマイナーにしたらナヴァーナになるw
弟のゴリラは、ジャニー喜多川と同じく小児性愛者で捕まってるし.........。
>>314
マーチン&コールターは黄金コンビだった。
ポップでキャッチーな名曲ばかり。
ローラーズ初期(ノビー・クラークがいたころ)の曲は
違う人たちが書いてたんだっけ?
(好きな曲もあるがちょっと地味なのと、ノビーの声はアイドル向きじゃなかったので
いまいち売れなかったんだと思う。レスリーの声で、ブレイクした)。
「スコットランドの隣のお兄さん」っていう素朴さは、成功後もあった。
さっきBBCのアランの訃報記事を読んでたら、
アランは謙虚で、「幸運をつかんだ、エジンバラ生まれのただの配管工だよ」と家族に言っていたと。
https://www.bbc.com/news/amp/uk-scotland-44679446
あとまだ読んでないけど、「世界をタータンにしたボーイズバンド」という記事もあって、
タータンチェックをあれだけ世に広めた功績は、スコットランドにとっては大きかったのでは。
アランの訃報、スコットランドはもちろん、UKメディアの扱いは結構大きい。
日本での全盛期にはアランはもう抜けていたので、日本ではそれほど有名ではないけど、
UKでは俳優としてTVドラマにも出ていた時期もあるし。 >>479
>>236
ウッディはエジンバラの大学で音楽教えてたし、楽器は上手いと思う。
デレクのドラムも良い。
その噂の元はパットでしょ。
あと、アランはもちろんベース弾けるが、あんまし上手くはない。 レコーディング時はスタジオミュージシャンが演奏してた
>>505
Nobby ClarkのStarday Nightはレスリーとの違いはわかりやすいけど
Rememberはあまりわからんかった
今つべですぐに聴けるもんな >>510
今つべで聴き比べたけど、
Bay City Rollers Remember Original UK Single Version Nobby Clark 1975
@YouTube
これだと、たしかにレスリーのリメンバーと区別がつきにくいんだけど、
1975年って、もうレスリーに変わってる年ではなかったかと。
あとこの動画の写真は非売品のデモで、1973年プレスって書いてあるので、
よけいわからなくなる。
ノビーの声の特徴が一番よくわかるのはこれじゃないかな。
(日本でBCRの人気があまりにすごいので便乗ソロデビューし、まあまあ売れたシングル)。
@YouTube
ちょっと鼻声みたいなのと、歌い方が「のべーっ」としてるのが特徴で、レスリーとは全く違う)。
長文になってすまないが、いちいち書かないけど、さっきのリメンバー以外にも
タイトルと、映像に写っているレコード盤、映像に使われている写真が年代も何もバラバラで、フェイクなBCRが増えた気がする。 パットがちゃんと参加したかたちでのアルバム恋のゲームを聞きたい
在籍時期が全く被ってないノビーとパットはなぜかすごい仲良しなんだよね
OB的な活動で一緒になったのかな
>>510
>Starday Nightは
このスペルを間違える奴が居るとはな・・・。 朝まで踊ろうの正確な歌詞ってどこかにありませんか?
Be My Baby
Bye Bye Baby
Let's Pretend
I Only Want to Be With You
Don't Worry Baby
これらは中学生の時ベイ・シティ・ローラーズで初めて聴いて知りました。
カバー曲だったのは後で知ったけど、ローラーズのバージョンが自分にとっての原曲です。
>>518
ごめん >>516はよく見たら
バックコーラスのKeep on dancin' and a prancin'を
歌詞の途中に全部入れてあるというシロモノだった。
いくつか見たけど、途中までしか書いてなかったり
いいかげんなのが多いね。著作権の問題か何かあるんだろか。 ちゃんとした歌詞が載ってるのがなかなかないんですよねぇ。
40年来の謎はまだ続きそうです。
>>374
>>401
ダンカン・フォールは、南アフリカでラビットというバンドをやってたが
後に再結成イエスに加入して「ロンリー・ハート」を書いたトレバー・ラビンと
一緒に活動してたのは有名。
レスリーが脱退、フォールが加入、アランがキーボード、ギターで復帰という流れ。
NYローカルだけで売れていたとか。 ラビットの曲1曲だけ聴いた記憶があるんで記憶の糸をたどってみたら
Eventides(恋のスタート)という曲だということがわかった
40年振りに聴けたわ
Dedicationのアルバムはローラーズの
最高傑作だと思う。
あれ以降迷走して、パットは解雇
It's a gameもいい曲入ってるけど
アイドル路線から脱却しようとすると
上手くいかなくなる典型だったね
青春に捧げるメロディーのイアンVoバーション
レスリーがバックコーラスって凄い贅沢なお得感
>>521
>>522
ダンカン加入後のThe Rollersがすごくいいバンドだったということを知ったのが、
2000年代になってからだから、何もかも手遅れだったわ。
“Doors, Bars Metal”のPVを見て、もったいないことをした!と思ったのだが。
“Turn on The Radio”は日本のラジオでも流れてたけど、すでに関心がなくなってたし。
日本のBCRファンは先行世代が(アランに代わって入った)イアンの脱退で怒り、
イアンの代わりに入ったパットが可愛くて夢中になった後追い世代は、パットが突然クビになって嘆き悲しみ、
ついには一番ファンが多かったレスリーまで脱退してしまったので見放した、という感じだと思う。
ダンカンはすごく才能あるのに、運が今ひとつなかった人かも知れない。
亡きアランに捧ぐ
Doors, Bars, Metal
@YouTube
しかしこのタイトルもひどいな。 The RollersなのにBCRになってるし
世界中、Youtubeのアフィで稼ごうとする素人が大量流入してる感じ。 >>526
自己レス訂正。
正確なタイトルは“Doors, Bars&Metal”ね。
つべのタイトル、コピペしたから間違えてしまった。 >>524
正直なところ、Dedicationは、イアンが歌ってる方が良いと何度聴いても思う
(レスリーの声が悪いというのではなく、あの歌に関してのみ)。
連投は気がひけるがこういうところでしか書けないから書くと、
結局はイアンのこともパットのことも追い出したのはレスリーですよね?
レスリーのファンは認めないまま40年経ってしまったのではないかと思うが。
私はBCRファンとしては一番若いほうの世代だと思うけど、
好きだったのはロングミュアー兄弟という変わり者なので、公平に見てそう思う。 レスリーって性格悪そうだもんねw
音楽雑誌のインタビューの時に、レスリーの吸ってたマールボロの空き箱をファンにプレゼントしたいからくださいって頼んだら、
目の前で握りつぶされたとか、来日後記みたいなのに書かれてた
>>528
青春に捧げるメロディーに関して同意
私はイアンが好きでBCRファンになったからこの曲が一番好き
当時レスリーは好きじゃなかったけど大人になってから
改めてBCR聞いてみたら凄い魅力的な歌声だったことに気がついたけどね MCKEOWNがマッコーエンとはとても聞こえない。
当時、わしは中学生やったが、
ベイ・シティ・ローラーズの人気は凄まじいものやった。
わしのクラスのおなごはベイ・シティ・ローラーズの誰かと
結婚したがったし、
わしが大学の入ってのクラスメートのおなごも、
本気で結婚したいと思っていたと言っておった。
それだけ、人金があったいうことや、
58歳のわしの思い出、やな。
わしの世代、
50代後半から60代前半が、
一番ベイ・シティ・ローラーズに狂った世代、やろ。
BCRの武道館ライブ行った次の日にレインボーのライブに行ったよ
丁度同じ頃に来日してたんだな
うちのチームでは真に認められたエースストライカーのみがサタデーナイトのテーマを受け継ぐことになっております
次に引き継ぐのは誰か
>>532
58歳なら、BCRの日本での人気絶頂期(76〜77年)は高校生ですね。
77年に中1だった私がすでに53だから、みんなトシ食うわけだ。
なんとか親の許しを得て行った二度目の来日(77年)が、初武道館だった。 >>532
センパイ…中学時代か高校時代かの区別もつかなくなっちまったのかよ(´・ω・`) アマゾンでボックスセット買っちまった。
5枚組で2000円は安いわ。
>>529
その手の話をするような音楽雑誌って下らねー質問多いからな。性格悪いにしてもそれだけが理由じゃない気もする。 >>528
>結局はイアンのこともパットのことも追い出したのはレスリーですよね?
違う。強いて言えばエリック。
後年出たいくつかの暴露本に共通して書かれてるから読みなよ。
基本的にエリックとぶつかるとバンドにいられなくなる
イアンもパットもレスリーも。
なぜエリックかというと、「一番声がデカイから」(タム談) >>521
>レスリーが脱退、フォールが加入、アランがキーボード、ギターで復帰という流れ。
アランがキーボード、ギターで復帰、レスリーが脱退、フォールが加入という順番が正解っす