大相撲の初場所を途中休場し、5場所連続休場となった横綱稀勢の里(31)が24日、次に出場する場所では進退をかけると明言した。不本意な成績に終われば引退する覚悟を自ら示した。横綱が自らの進退について直接言及するのは極めて異例。稀勢の里はこの日から、東京・江戸川区の田子ノ浦部屋で稽古を再開した。
重く、固い決心を胸に刻む。現在開催中の初場所を途中休場した稀勢の里が再起へ向けて稽古を再開したこの日、次に出場するときの進退について、自ら言及。退路を断つ意向を口にした。
「(次の出場場所では進退だと)思っている。それは。次は覚悟を決めて、と思っている」
初場所では序盤戦で崩壊した。5日目まで3つの金星を配給し、4敗を喫する不振で休場。横綱在位6場所で皆勤はわずか1場所だけとなり、3月の春場所以降、進退を問われかねない状況へ追い込まれた。
年6場所が定着した昭和33年以降、横綱の5場所連続休場は大鵬と並び歴代5位の不名誉な記録だ。場所前(5日)、横綱審議委員会の稽古総見では、北村正任委員長(76)=毎日新聞社名誉顧問=が2勝6敗と精彩を欠いた稀勢の里に「けがが治り切らず、15日間は続けられないというのならば、出ない方がいい」。全休しても進退を問わない温情ともいえる見解を示した。
だが、稀勢の里によれば、場所前の調整は「非常に状態はよかった。初日、2日目は。3日目以降に胸の筋肉の収縮が悪くなった。力が入りにくい感じで。(休場は)苦渋の決断。非常に悔しい気持ちもある」。
横綱にとって、進退の言葉は重い。昭和33年1月場所途中で横綱吉葉山が引退。この場所8日目。5勝3敗と不振だった横綱鏡里も「わたしも横綱の責任を果たせなければ辞める」と発言。その責任は「10番勝てないときだ」と応じた。鏡里は結局、9勝6敗で場所を終える。周囲からはまだ取れると説得されたが、前言は撤回せずに場所後に引退を表明した。
稀勢の里は次に出場する場所を、春場所とは限定しなかった。春場所に出場して負けが込めば、6場所制以降で最短となる横綱在位7場所(琴桜、三重ノ海、双羽黒は8)での引退が現実となる。「ここじゃ終われないという気持ちもある」。土俵人生をかけた闘いが、始まった。
1/25(木) 5:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180125-00000504-sanspo-spo
重く、固い決心を胸に刻む。現在開催中の初場所を途中休場した稀勢の里が再起へ向けて稽古を再開したこの日、次に出場するときの進退について、自ら言及。退路を断つ意向を口にした。
「(次の出場場所では進退だと)思っている。それは。次は覚悟を決めて、と思っている」
初場所では序盤戦で崩壊した。5日目まで3つの金星を配給し、4敗を喫する不振で休場。横綱在位6場所で皆勤はわずか1場所だけとなり、3月の春場所以降、進退を問われかねない状況へ追い込まれた。
年6場所が定着した昭和33年以降、横綱の5場所連続休場は大鵬と並び歴代5位の不名誉な記録だ。場所前(5日)、横綱審議委員会の稽古総見では、北村正任委員長(76)=毎日新聞社名誉顧問=が2勝6敗と精彩を欠いた稀勢の里に「けがが治り切らず、15日間は続けられないというのならば、出ない方がいい」。全休しても進退を問わない温情ともいえる見解を示した。
だが、稀勢の里によれば、場所前の調整は「非常に状態はよかった。初日、2日目は。3日目以降に胸の筋肉の収縮が悪くなった。力が入りにくい感じで。(休場は)苦渋の決断。非常に悔しい気持ちもある」。
横綱にとって、進退の言葉は重い。昭和33年1月場所途中で横綱吉葉山が引退。この場所8日目。5勝3敗と不振だった横綱鏡里も「わたしも横綱の責任を果たせなければ辞める」と発言。その責任は「10番勝てないときだ」と応じた。鏡里は結局、9勝6敗で場所を終える。周囲からはまだ取れると説得されたが、前言は撤回せずに場所後に引退を表明した。
稀勢の里は次に出場する場所を、春場所とは限定しなかった。春場所に出場して負けが込めば、6場所制以降で最短となる横綱在位7場所(琴桜、三重ノ海、双羽黒は8)での引退が現実となる。「ここじゃ終われないという気持ちもある」。土俵人生をかけた闘いが、始まった。
1/25(木) 5:00配信
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