元西武の片平晋作氏が膵臓がんで死去 68歳
2018年1月22日18時36分 日刊スポーツ
https://www.nikkansports.com/baseball/news/201801220000538.html
片平晋作氏(2011年6月12日撮影)
大洋時代の片平晋作氏(1987年4月29日撮影)
プロ野球の西武の内野手などとして活躍した片平晋作(かたひら・しんさく)氏が22日午前9時58分、膵臓(すいぞう)がんのため亡くなった。68歳だった。西武球団が発表した。
片平氏は東農大から71年ドラフト4位で南海に入団。1本足打法で知られるようになった。82年には西武に移籍して一塁手として活躍し、82、83年の連続日本一に貢献。89年に大洋で現役を引退した。
引退後は西武の1軍打撃コーチ、2軍監督などを務めた。
世界の王ばり1本足打法で活躍/片平晋作さん略歴
2018年1月22日18時48分 日刊スポーツ
https://www.nikkansports.com/baseball/news/201801220000571.html
プロ野球の西武の内野手などとして活躍した片平晋作(かたひら・しんさく)氏が22日午前9時58分、膵臓(すいぞう)がんのため亡くなった。68歳だった。西武球団が発表した。
◆片平晋作(かたひら・しんさく)1949年(昭24)8月5日、大阪府生まれ。上宮から東農大を経て1971年ドラフト4位で南海に入団。王貞治氏と似た1本足打法で活躍し79年には自身初めて規定打席に到達し、リーグ5位となる打率3割2分9厘、80年には21本塁打をマークした。82年に西武にトレード移籍。同年、翌83年の連続日本一に貢献した。87年に大洋にトレード移籍し89年に引退した。プロ18年間で1503試合に出場し1181安打、打率2割7分4厘、176安打、601打点。引退後、90年から西武で打撃コーチ、2軍監督、編成部長など歴任した。13年からは女子プロ野球リーグでアストライアの監督や、同リーグの特命コーチを務めた。 >>2
DHで活躍したろ
左殺しの西岡とツープラトン >>2
俺は南海ファンだったから覚えてる
「あぶさん」にも登場したし寂しい(´д`) >>6
懐かしい
幼少時、これと加藤博一の蒲田行進曲が好きだった ベテランと言えば片平
そして阿波野
ご冥福をお祈りします
ドリキャスのやきゅつくでやたらドラフト候補に出てきた記憶
>>1
上宮出身で打者の出世頭
片平>>種田>元木氏ね>苫篠兄弟
(投手は黒田博樹) >>9
むしろ膵臓がん以外で人間が死ぬことがなくなってしまった >>22
五番だっけ
3割15本くらい?そこそこ使えた印象 初代ファミスタのライオネルズの.300-16本塁打の人だよな大洋行っちゃったけど
11月に末期ガン宣告、その後ダンカンの記事で見たのが12月だったけど呆気ないねえ・・・
南海の同じ一本足打法左打者、門田の方は大丈夫かねえ
一番が石毛で、テリーってのもいて、あとは基とか竹之内だったかな?当時の西武
不動のエースは東尾だった
秋まで西武戦の解説やってたのに
ご冥福お祈りいたします
1 石毛
2 平野
3 秋山
4 清原
5 片平
だったかな?2番は辻か?
ファーストを清原と競ってたなぁ
なんとなく片平が譲ってあげた感じだったが
ノムとか広岡とか、使ってた選手見送ってばかりやな
かつての森繁というか川上みたいな立場になってきた
>>1
176安打だけで601打点とはすげえ選手だったんだな >>41
あってる。
ライオネルズ(ライオンズ)の5番ライトで.300 16発
6 石毛
7 金森
5 秋山
3 清原
9 片平
8 田尾
4 辻
2 伊東
P 久信/東尾/工藤/郭 >>61
良く覚えてるね、マニアだなw
中卒で荒川のヒキでGに入団した稲垣ね。
1度も1軍昇格できずに解雇。やくみつるにアホキャラでたまにネタにされてた。 身長: 184 cm
体重: 78 kg
やはり身長が180cmを超えると70まで生きるのは至難なんだよな。統計的にも。
ノッポ自慢ってのは早死に自慢みたいなもんだ
俺は100まで行きたいから170に産んでくれた両親に感謝!
68歳ならファミスタのときには引退してるだろw
って思ったら初代ファミスタは30年以上前か
俺も年を取るはずだわさ
>>2
ホントに死ねよ引きこもり
訃報スレで無知自慢すんな うっっっっそおおおおお
去年のシーズンで解説してたじゃん!
膵臓がんの原因は放射能
犯人は東京電力
津波対策を握りつぶしたのは安倍晋三
安倍晋三は俺達の敵
>>2
近年は野球中継の解説でよく声を聴いてた。
聞いていて人柄の良さを感じ取る喋りだったよ。 1石毛(遊)
2山崎(二)
3スティーブ(三)
4テリー(左)
5大田(指)
6片平(一)
7立花(右)
8黒田(捕)
9西岡(中)
子供の頃は西武球場が一番近かったのでよく言った。
うろ覚えだがこんなようなメンバーだったかな。
ご冥福をお祈りします。
王貞治流の一本足打法で打ってた大豊と片平、二人とも本家より先に逝っちゃうとはね…
>>50
テリーの相方と言えば
スティーブ・オンティーぺロスだろ >>23
清原和博のルーキーイヤー(森祇晶監督一年目)に
ファーストを争い清原が台頭すると大田卓司とDHを
争うようになった
この年限りで西武を退団して横浜大洋に移籍 >>2
清原にレギュラーのファーストを取られちゃった人だよ 解説の時は西武はもちろん相手チームの選手も褒めて悪いとこは絶対言わない人だったなあ
ご冥福をお祈りします
>129. 俺内野手 2014年07月01日 00:04 ID:FdGgu3Zy0
>ちなロだけど、片平さん。
>敵味方問わずいいプレーを褒めてくれるし、どこがよかったのかを嬉しそうに解説してくれるのが本当に好き。
これこれ。解説聞いていて心地よかったわ。
ご冥福をお祈りいたします。
>>81
スティーブとテリーがいるってことは82年か83年だね。
まだ田淵が現役だったが・・・?
(もっとも田淵は83年は8月から死球禍で日シリ直前まで欠場) >>60
初めて知った
糖尿持ちの親戚に教えてやるわ ああ、風間杜夫とスキーに行って、手首から先を失って、義手になって、
風間が教え子に浮気すると、口で手袋を脱いで脅す女か
>>91
南海時代はあぶさんに外山とワンセットで結構顔を出していたような。
外山氏ももう故人だったと思うが…。 82年の日本シリーズは中日が相手だった。山本昌がルーキーだったかな。
83年は巨人相手の球史に残る日本シリーズだった。
懐かしい。ご冥福をお祈りします。
文化放送でついこないだまで解説してた気が…
ご冥福をお祈りいたします
>>30
山村善則がまあまあ使えたんで新井宏昌の時のような
一方的な損じゃないよ 初代ファミスタだと山本浩二あたりもギリギリ現役だったか
8ビット時代の選手がどんどん消えていくんだな
<1986年の西武開幕戦スタメン>
田尾
金森
石毛
ブコビッチ
秋山
片平
大田
伊東
辻
<1987年の大洋開幕戦スタメン>
屋鋪
加藤
高木豊
ポンセ
片平
田代
山下
若菜
遠藤
>>50
基満男は西武への身売りの時に大洋に移籍してる
竹之内雅史も田淵幸一とのトレードで阪神に移籍してるし スマートで大阪人っぽくない気のいいおっちゃんって感じだったな
野球選手は不摂生しすぎて糖尿病が異常に多いからな
膵臓やられるのもその類
膵臓って液を出すだけなのに
やたら癌になるな
胃とか腸とか肺ならわかるけど
なんでだろね
>>53
平野謙とは一緒にプレーしてないよ
片平在籍最終年はまだ田尾安志が在籍してた >>115
田尾 85〜86
片平 82〜86
平野 88〜94 >>38
西山は?
1回だけ3割打ってるぞ
しかも捕手 >>92
1983年の田淵幸一は死球さえなければ本塁打王
もあったね
まさかそれからわずか一年で引退するとは・・・ 一本足打法は王さん以降だと、片平さんと大豊さんくらいしか知らん
現代野球では合わない打法なんすかねぇ
片平が大洋の時、スタジアムで出待ちしてて
みんな車で帰る中
片平は歩いて出てきて出待ちして人みんなにサインくれた。
凄いいい人だった。
合掌
システム論と同じ
自分にあっているかであって
システムを取り入れれば同じ結果になるわけではない
>>123
現代の多彩な変化球には対応しにくいのかな >>103
うちの父親も、すい臓がんで他界した
入院から2ヶ月弱で
末期で発見されたんだけどさ。
こういう寒い時期に容態が一気に悪化するらしい 高橋由伸も一本足と言えば一本足だったような。
片平さん、東農大だったのか。
知的な人だったんだな。
グランド照らす太陽の 意気と力をこの胸に野球に生きて夢多き 南海ホークスさあ行こう ああ金色(こんじき)の 羽ばたきに そらに鳴る鳴るひるがえる勝利の旗!ホークス ホークス 南海ホークス
松本人志も和田アキ子に至近距離でfor youを歌われてから膵臓が痛いと言っていたぞ
ホームランのベンチ前ハイタッチで、最後の人とフォークダンスのようにワンステップ踏むのが記憶にある。
合掌
清原人気でファンは圧倒的に清原出せの中、
潔く1塁譲った人って印象だな。子煩で紳士な人だったわ。
ウォーウォー 片平魅惑の構え そっと奏でる 鶴の舞い
合掌
緑の森に 今湧き上がる 熱い祈りの 大歓声が
鍛え抜かれた 若き獅子たち 気高く進め 勝利はそこに
We are theライオンズ ウォウォウォ ライオンズ♪
元西武っていうより、元南海って言った方がピンと来る。
ご冥福をお祈りします
ファミスタが西武だったから西武のイメージで間違いない
俺は西武のイメージが一番強い…というか南海時代はリアルタイムで知らない。
プロ野球選手と大相撲力士は昔平均寿命が50代の半ばだというデータがあったな
西武ライオンズは応援番組もやってたしスポーツ
ニュースで扱われる時間も比較的長かったから
当時関東地方に在住してた子供は意外と選手を
覚えてるんだよね
マジかよ
大洋時代大好きだったし西武の仕事をしていた時編成部長でよくお会いしたよ
お冥福をお祈りします
やきゅつくでドラフト指名して入団させた思い出
ファーストの割に長打力はなかったけど巧打力が高くて3割以上安定して打ってた
晩年の大洋では左の代打の切り札だったな。もう1人チームに片平っていて、フルネームでコールされてたような
>>144
正解。糖尿の方はすい臓がんに気を付けてって言われた。 >>163
こーゆー生地が細長いストッキング見なくなったなあ。 8屋鋪
5銚子
4高木
7ポンセ
9パチョレック
3片平晋作 OR 田代
6高橋雅
2若菜 OR 市川
大田卓司と並んで個人的には西武黎明期をを象徴する選手
以前YOUTUBEで家族と遊ぶプライベート動画上がったの見てえらい感動した。
プロ野球のよき時代を凝縮した動画だった。
>>91
一本足打法をマスターしようと特訓してげっそりやつれてたやつだったっけ? >>114
そんなことに言ったら胆管なんて肝臓で作った液を流してるだけだぜ 1河埜
2久保寺
3メイ
4門田
5片平
6王天上
7藤原
8香川
9
膵臓癌て、死ぬまで早いよね 闘病するの嫌だからどうせ死ぬなら分かったら早めに死にたい
痛み苦しみはどんななんだろう
ファミスタの大洋ホイールズでお世話になりました
合掌
意外と伸びてるな。
成績もまずまずだが印象に残りやすい選手だったからかな
小学校の時に後楽園球場で巨人−大洋戦を観戦して
物悲しい応援歌の一本足打法の選手が1・2塁間にヒットを打って魅了されたわ
ちなみにその試合で先発の遠藤がアキレス腱を切断した
>>150
あとあれよ、テレビ中継は皆無だったけど
今もやってるけどラジオの文化放送がライオンズびいきで中継
しててよく聞いていた記憶が >>42
176安打で601打点だと、100本くらい満塁ホームラン打ってるね
満塁だったら100%敬遠の恐怖の打者 >>179
10年前に叔母がすい臓がんで発見から2か月で死んだけど
最後の最後まで痛みで苦しんでた
今は薬で痛みのコントロールできるかもしれないけど
発見と同時に即入院だから身辺整理する時間くらいある進行遅いガンの方がいいと思う スポーツ選手はすい臓を酷使するせいなのかなあ
他の業種より多い印象
南海が片平や柏原を放出した時は「なんで?」と思った。
つつしんでご冥福をお祈りします。
>>187
糖尿病もあるんちゃう?
星野さんも糖尿病やったらしいし >>178
久保寺雄二さんの急逝がなければホークスの
歴史も違うものになってたんだろうなあ
@YouTube
横浜大洋ホエールズ 片平晋作応援歌(中塚政幸打席) ハマスタレジェンドマッチ 片平、黒田↔山村、山下
このトレード以降南海はダイエーに身売りして以降も2002年まで西武に21年連続負け越した
>>184
ライオンズは結構中継やってたよ
キー局がやらない日でもテレビ埼玉がやってたし 名前がかっこいい
片平なんていう乙女な苗字に晋作という優男な名前
きっとステキなおじさまだったんだろうな
ガキの頃は代打のイメージだったが、wikiの成績見ると若い頃はバリバリレギュラーでやってんだな
一本足打法を修得するために遠征先のホテルの屋上の淵に登って一本足で立ち続けて集中力を養ったとかいう怖い話があるな
@YouTube
田尾-片平-辻-石毛-行沢-スティーブ-西岡-秋山(新)-秋山(旧)- [MIDI]1985年西武ライオンズ選手別応援歌メドレー >>129
>片平さん、東農大だったのか。
>知的な人だったんだな。
お父さんが大阪で全農かなんかの役職にあり、農学部に行けば
その関係で就職にありつけるのではとのことで東京農大へ。
大学に行けば職にありつけるという優雅な時代のお話。
南海時代の2、3年目あたり、まさに躍動していた。そんな生え抜き
を容易く放出するようでは・・・ 西武いったら田淵からレギュラーファースト奪うくらいのスラッガーやったからな
ダンディーな南海選手に黙祷
ショックです。
解説が穏やかで素敵でした。
ご冥福をお祈りします。
俺が子供の時に遊んでいたファミスタにいた選手が68で死んだって
なんかキツいな
年の流れを感じて
>>186
やっぱり痛いんだ、そりゃそうだよね 怖いなあ >>203
根本さんが片平ご指名で是が非にでも欲しかったらしい 片平が南海から西武に行って南海が弱くなり西武が強くなったが
片平が大洋来る時大洋が強くなることを期待したもんだが・・・
しかも監督は古葉・・・
それでも大洋は駄目だった・・・
2年前くらいだったか、一緒に飲む機会があって
その時はとても楽しそうにお酒を頂いていたのに。
すごく優しくてスマートで品のある方でした。
ご冥福をお祈りします。
この時代の南海の選手は皆スイングスピードが速かったなぁ。
打撃職人だったなあ。
左の片平、右の太田。
大洋移籍後も、スーパーカートリオを繋ぐって言うか、埋めるって言うか
やっぱりいぶし銀職人でかっこよかったなあ。
編成部長をしていたときも白髪で上品な老紳士といった佇まいで恰好が良かったよ
スーツが似合うダンディな紳士といった風貌だった
>>213
77年に野村が解任されてから南海は3年連続最下位
81年5位
片平と黒田トレードでさらに弱体化した 西武のワンポイントの永射も亡くなったし小学生時代の選手がどんどん亡くなっていくなあ
加藤博一も死んでしまったし
この名前を聞いてパッと思い出すやつはおっさん
俺なんか南海時代の姿が思い浮かんでしまった
ホークスは日本一になり、ライオンズは久々に上位進出して、ベイスターズはCSを突破した
古巣3球団が昨年はいずれも健闘したことは、少しでも闘病の気休めになれただろうか
片平の頃の西武の外人はブコビッチとか スティーブ&テリーじゃないかね
身長184cmもあるんだな
江夏の言う通り、もし普通の打法を選んでたなら
300〜400HR、2000本安打とかしてたのかな
さっきからなぜかポンセの応援歌が脳内で鳴り響いている
71年ドラフト4位。74年に登録名を「晋作」に替え、王貞治そっくりの一本足打法で有名になる。一本足打法だけでなく、ユニフォームの着こなしまでそっくりそのまま真似していた。
70年代後半にレギュラー定着したが82年にはトレードで西武へ。阪神時代の75年に王の14年連続本塁打王を阻止した田淵幸一をDHに追いやって、一塁のポジションを獲得して82、83年の連覇に貢献した。
87年、横浜大洋に移籍し89年引退。憧れの王と同じ40歳だった。
Y編集局次長が独断で選んだ「俺だけの南海ホークス」+α/まとめ/デイリースポーツ online
https://www.daily.co.jp/baseball/matome/2017/05/12/m_0000142.shtml 元巨人・横浜の駒田とイメージが被る。
長身で一塁左打ち、カクカクした打ち方、中距離打者、5番〜7番辺りで打率.270ぐらいで結構勝負強い。
来月のジャイアンツvsホークスのOB戦も元気なら出てたかねえ
つかスレの伸びとか見てもこの時代の選手は思ったより知名度あるな
>>238
とても頑固だったという話を聞いたことがある
王も門田も大豊も頑固
もちろんプロスポーツ選手は皆頑固なんだろうけど、ひときわ頑固じゃないと続かない打法なんだろうね 修得困難な一本足打法をモノにした男が逝ったか・・・
>>245
元祖ファーストネーム登録名だったのか。 江夏は広島へ金銭トレード
柏原=小田
片平+黒田=山村兄+山下
新井=山口哲
トレードするたびに放出した選手が活躍し、南海に来た選手が伸び悩む
こうして暗黒南海が誕生した
強い時の阪急や西武は毎回トレード成功し
阪神や南海はいつも損してた記憶がある
阪神とダイエーの5対5ぐらいの大型小者トレードがあったが
あれは少しダイエーが得したはず
>>177
この応援歌誰かの流用?
片平の前にも聞いたことあるような 西武から大洋へは誰とトレードだったの?
大洋の代打の池ノ上も南海戦士だったね
誰だか知らないけど有名人がガンで亡くなると
一時的にコンニャクやおからや野菜を食べればガン回避できるんかな、ってびびりながら思う
>>258
ありがとう
>>257
広瀬新太郎(ノムさんの高校の後輩)、西武からは永射も片平と共にトレードされたが、前者は使い物にならなかった 大洋に来てくれた時は嬉しかったな
とにかく長打打てる選手がいなかったから
大洋へのトレードはやっぱ南海時代知ってる古葉が欲しがったのかね
つか一緒にトレードされた永射亡くなったのも最近だもんなあ
>>265
うわ、マジか・・・まだそんな歳じゃないよな、、 >>260
ありがとう
期待外れのドラ1だっけ
一緒にトレードされた永射も去年亡くなるとは あぶさんでセミレギュラーであぶさんの息子に広角打法コーチしてなかったかな
一本足マスター:王
免許皆伝:門田
目録:片平
下男:大豊
>>266
半年くらい前かな、まだ63歳だったみたいだ
去年BSの球辞苑に左のワンポイント特集みたいなの出てたの見て、それから何か月か後だったんで驚いたわ >>263
当時は和製大砲不在だったね
田代も衰えていたし河野くらいか
大野雄二が入ってきたときは期待したもんだ 古葉監督時代の永射は完全に衰えていて
左打者の時に出てきて、四球だけ出して交代させられて
よくノーポイントになってた記憶
岡本透が新人で入団してきて活躍して、中継ぎの座として収まった
広岡は長生きしそう
野村は鬼ババが死んで老けこみが加速しそう
古葉ちゃんはまだ大学野球の監督してるのかな
>>222
博一さんは亡くなる前に、
試合前にスーパーカートリオ揃い踏みのイベントやれて良かったわ。
悪名高いTBSの唯一の功績と言っていいレベル。 >>270
大豊は王の晩年の背中を丸めたフォームを真似したために伸び悩んだそうだね
門田も片平も背筋は伸びていた
@YouTube
大洋ホエールズ 加藤 応援歌
>>275
懐かしいよ
代打で出てくると盛り上がった
代打が田代 片平 加藤と豪華だったなあ >>274
古葉さんは数年前東京国際大の監督勇退して、
監督は広島古葉監督時代に控え捕手だった山中潔に代わった。 >>178
王天上って、お笑い助っ人だったよなw
王貞治より上を行けってことでこの名前つけたのにw >>77
ナムコがゲーセンで配ってた小冊子の投稿コーナーで
一コマ目で源平討魔伝の弁慶が片腹痛いわ、と言ってて
二コマ目でファミスタのかたひらがデッドボール喰らって痛そうにしてる
そんなイラストが載っていたのを思い出した >>108
懐かしいw友の会に入会して毎週スタジアムに行ってたな。それ行けチャンスだ屋敷、かっとばせカト、ゆーたーか、ゆーたーか。バモスポンセ。今でも応援歌を覚えてる 原発事故から7年経って膵臓がんがかなり増えてきたってことかw
>>145
南海最後の日本シリーズにも出場してるんだよな。
日本一になったのは西武時代に2回。 片平さん亡くなったか。
何故か小川亨が頭に浮かんだ
あらら、
友達に一本足のフォームやって「だ〜れだ?」と言って、「王!」って答えたら
「残念!片平でした〜」って遊んだな。
68歳じゃまだ早いだろう
西武打撃コーチ時代
西武池袋線でサイン下さいといったら
「誰かと勘違いしてるんじゃないの?」とかトボけながらも丁寧にサインしてくれたな。
いい人だった。
>>149
いまだに食いまくればいいみたい風潮があるからな
酒も飲みまくりだし… それにしても膵臓癌の殺しに来る率が高すぎるだろう
誰か早くいい治療薬つくってよ
正に燻し銀。カッコ良かった。
ご冥福をお祈りします。
星野氏が亡くなった時「これ絶対誰か連れてくな」と思った。
片平さんと星野氏は関連あったのかなぁ、何かなぁ、合掌。
【帰ってきた!ダンカンが訪ねる 昭和の侍】片平晋作さん 田淵、清原に立ち向かったカタヒラーマン - SANSPO.COM(サンスポ)
http://www.sanspo.com/baseball/news/20171209/npb17120910000008-n1.html
> 「何が辛いって、自分の子供が球場に来ているでしょう。スタンドは『清原出せー! 何で片平なんだー!!』。打たなきゃ父親失格だよね…」
> 父は強し!! 子供のためにその年、打率・292、17本塁打でまたしても日本一の力になるのだった。母(妻)も強し!! 「全打席、録画していました。何か役に立てばと…。野球は全く分からないんですけどね、アハハハ…」。出たあ、Wヨウコさんの爆笑光線。
> カタヒラーマンは決して負けない!! 「必ずまた、球場で会いましょう!!」。その握手は力強く、まさにヒーローのものであった。 元野球選手の逝去がニュースになるならないの境界って、成績でいうとどの辺なんどろう?
片平さん西武のイメージしかなかったが南海入団で10年間やってからライオンズ移籍だったのか
知らなかった
初代ファミスタ ライオネルズ打率.300 本塁打16
ファミスタ87 ホイールズ 打率 .300 本塁打16
だったんだな合掌
>>254
柏原純一は小田義人+杉田久雄
大沢親分の下で柏原が開花したから大損した
ように見えるけど1977年の時点ではそれなりに
釣り合いの取れたトレードだったよ
あと後にカープの正捕手となる西山秀二を高卒
二年目で放出したのが暗黒トレードだね 一本足打法で応援歌がテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャリャ〜〜♪な曲だった選手
西武黄金期当初の人ってイメージ
山崎、田淵、太田あたりの頃の人
まだ、秋山、伊東あたりが台頭してなかったかな?
>>309
田淵のあとの守備固めで出ていたイメージがある >>310
広岡監督時代のレギュラー
森監督時代の黄金時代では打撃コーチやってる 西武時代が、1番長いと思ってた。その頃(小学生低学年)から野球を見始めたから、南海時代を知らなかった。
知らないとか言うのは、若い世代で西武の黄金期(自分は少し黄金期ちょっと前からみるようになった)を全く知らないからだね。
立花 片平 安部 金森と、左の職人さん、いっぱいいた。
西武ファンとしても、やっぱり残念。
>>310
広岡達朗監督一年目の1982年に西武移籍だからね
移籍していきなり日本一メンバーになった
秋山幸二が台頭するのは田淵幸一や山崎裕之の衰え
で優勝を逃した1984年
翌年レギュラーに定着するといきなり40本塁打を記録 >>316
小森ファミリー
小久保 宮本 種田 鳥越 など ありがとうね片平さん
ライオンズを応援してください!
片平応援歌
西武時代
それ行けホームラン片平
それ行け一本足打法
ここで一発放り込め
ライトスタンドへ
大洋時代
片平それかっ飛ばせ
一発ホームラン
片平それかっ飛ばせ
一発ホームラン
今の若い西武ファンには、
西武の選手も他球団の選手も
とにかく褒めまくる
寛容な解説者としておなじみだったな。
単純に東都リーグでも強くない東京農業大出身でプロのレギュラーだったので覚えてるわ
珍しい事だから
>>254
色々と言われるが、ノムサン解任は何とか阻止できんもんだったもんか。
中高時代、難波に遊びに行くたびに南海球場の前を通ったが、いつも寂しい気持ちになった。 >>271
そうなのか・・・名前すら忘れてたが、亡くなったと知ると寂しいもんだな >>272
だね、マシンガン打線とか言ってたけど、大砲不在は寂しかった
売って走れて長打力もチーム内ではピカイチのポンセが神だった 昭和58年、田淵がHR連発で本塁打王取るかも言われてたが死球骨折で離脱
その穴埋めた覚えがあるなぁ
東京農大なのか、、伊原がプレーイングマネージャーやってた時期だったのかな
南海は随分西武のアシストしてたな。
トレードに出すにしてもせめてセ・リーグだろう。
>>334
昔、六大学vs東都のOB戦やった時は一人だけ農大ユニで目立ってた 小学生の頃に少年野球の仲間たちと片平と写真を一緒に撮ったよ。
気さくな人で笑顔でみんなと写っていたな。
形見になっちゃったな。。。ご冥福をお祈りします…
>>50
基や竹之内は西武にすら在籍していない。
片平は、弱い時代の西武には在籍していない。 西武時代が、1番長いと思ってた。その頃(小学生低学年)から野球を見始めたから、南海時代を知らなかった。
知らないとか言うのは、若い世代で西武の黄金期(自分は少し黄金期ちょっと前からみるようになった)を全く知らないからだね。
立花 片平 安部 金森と、左の職人さん、いっぱいいた。
西武ファンとしても、やっぱり残念。
>>291
そんな感じだね。
いぶし銀だからか謙虚で、人柄が良かった。 元西武なんだ南海のイメージのが強いけどな。あぶさんの影響か?
片平が亡くなってなぜか羽生田のバックホームを思い出した
雪山で遭難とかもしたっけね、羽生田は
逆に西武時代からしか知らない
当時はパリーグの試合はデーゲームで中継がほとんどなかったし
>>301
永川とかもニュースになったから、
アマチュア時代の成績も込みだよね。
でも、片平は、
何年もレギュラー張ってたし、
名球会入りの次のクラスというレベルの名選手だったから、
当然だと思う。 オレの世代だとファミスタでここぞの代打で使ってた記憶。
一本足打法って本当に効果あるのかあれ
輪島のカエル跳びみたいなもんなんじゃね
>>169
パチョレックが来日した88年にはファーストはポンセかパチョレックで、
片平は控えに回ってるんだが。 片平、大門、屋敷、加藤博一、ヒゲの斎藤、
味がありまくりだったなぁあの頃の大洋
>>333
王に対する山本功二みたいな存在だったね。
他球団だったら、レギュラーどころか、中軸でもおかしくなかった。 片平もう68か
清原にポジション奪われたけどいい選手だったわ
>>190
藤本博史や湯上谷の台頭が遅れていたろうね。 >>56
『プロ野球大百科』に、
「Mr.ダンディ。スリムな男。」と紹介されていた。 西武時代の清原が恐れてた人の一人だとか
宴会で東農大名物大根音頭を踊るとか
色々とエピソードがある
>>211
一方、監督就任したばかりの広岡は(相談なしに)山村放出に激怒したとのこと。
・・とはいえ、打撃はまあまあ(チャンスには強い)だが守備が下手なサード山村って
広岡が一番評価しないタイプではないのかと。 日本シリーズでナゴヤ球場バックスクリーンに放り込んだの覚えてるな。
投手は鈴木孝政だったか。
>>351
遠藤と高木豊に若菜とかか
個性あるよなw >>99
山本が出てきたのは、88年。
しかも留学帰り。 夜中に飯食う習慣の奴は膵臓ヤられやすい。自重家長の河本も十年持たないね。
高橋、菊池、欠端、金沢、五月女、松本
地味やったな…
一本足打法といえば片平、片平といえば一本足打法だったな
うちも南海のイメージや
駅に一本足片平のポスターがよく貼ってあった
>>354
森脇浩司をシーズン途中で獲得してるくらいだから
湯上谷ひろ志は遅かれ早かれショートで台頭してた
とは思う
藤本博史はファーストしか出場機会がなくなるから
外国人選手次第では厳しいね >>231
俺も一本足より打ったあとのニカッと打球方向を見上げる姿の方が印象に残ってるわ >>360
横浜高校→ヤクルトのね。
関東三羽がらす。 >>225
片平のニックネームがおっさんだったしw 85年
6 石毛
7 金森
8 田尾
D スティーブ
5 秋山
3 片平
9 立花/大田/岡村/西岡
6 伊東
4 辻
86年
6 石毛
7 金森
5 秋山
3 清原
9 ブコビッチ
D 片平
8 田尾/大田
2 伊東
4 辻
>>359
テリーとの連続ホームランでしたね。あれが決勝点になったので印象に残っています。 >>337
今や東都二部常連で、
二部三部入替戦で学習院相手に大苦戦するまで低迷してるしなあ。 >>377
秋山は6番だったね。広岡さんも6番で使うと公言してたし。 オレがプロ入った頃にこいつ生まれてるってキヨとインタビューしてたなあ
合掌
>>314
右が笘篠、西岡、広橋だったね
本当好きだったわ
朝早く起きてナイスプレーライオンズ見てた 石毛、山崎、スティーブ、田淵、テリー、太田、片平、立花、黒田…
西武打線も数々あるが、この時代のがいちばん好きだわ
清原が入団する前一塁とDHで清原が入団してDHになって
西武が若返りを測ったのでオフに大洋に永射とともに移籍した
大洋でもそこそこ活躍した
片平晋作のトレードは山下律夫なんてロートルを
交換相手として飲んじゃったのが全て
山村善則は長きに渡ってそこそこ戦力になったし
まともに使える投手さえ貰えてればもう少し戦えた
だろうに
>>333
130試合制で60本越えのペースだったんだよな、田淵。
近鉄の柳田にぶつけられて手首骨折。その時の柳田の言い分が
「あれくらい避けろよ」で憤慨してた。
結果、規定打席に到達せずに30本塁打越えたんだっけ?
片平はDHが使えない日本シリーズで、田淵が引っ込んだ後
必ず一塁に入って、途中出場でホームラン打ってたな。 >>375
もし現役全うしてたら今頃はソフトバンクのコーチか監督やってただろうね。 引退してコーチなりたての時に、一塁コーチボックスから「ポーク! ボーク!」と騒いでいた相手が阿波野だっけ?
>>393
それは伊原だろ、ヴォケ。
伊原は一塁コーチは1年だけ、翌年からずっと三塁コーチだわ、キチガイ・アンチ。 >>307
ただ西山放出で森脇が来ているから後の指導者の人材確保という面で結果的に損はしてないな 86年が伊原一塁コーチ、近藤が三塁コーチ
87年がキャンパネリスが一塁、伊原が三塁。
>>393
片平が一塁コーチになったのは90年からだ、耄碌認知症ジジイがw >>328
> ノムサン解任は何とか阻止できんもんだったもんか。
残念だが「無理」と言わざるをえない大騒動。。。 小学生の時に西武の山崎の息子が下の学年にいたわ
運動会の時にひときわ大きなお父さんがいたのを記憶している
当時は日本シリーズ常連だったな
なんとなく偽物王貞治のイメージではなく、
なんつうか門田、山本カズ、佐々木誠系統
の一本足打法という印象。門田と片平どっちが
キャリアが古いか知らんけど。
解説で選手の話になるといつも褒めていたのをよく覚えてる
相手チームの選手も褒めてた
それが意外と的確でその後にその解説がその通りになったりして好きな解説者だった
>>369
南海は黒田や片平を放出して口減らししてダメになったなぁ >>370
南海の堀込選手が初代のモーやんで二代目が小川さんやったね。
職人肌の素晴らしい選手やったな 1983年西武 86勝40敗4分 .683(1位) 日本シリーズ4勝3敗巨人
捕 大石.......210...04...019
一 片平.......278...19...055
二 山崎.......287...18....082
三 スティーブ.321...17....085
遊 石毛.......303...16....064
外 大田.......297....20....067
外 立花 ......309...08....042
外 テリー.....278...38....109
DH 田淵.........293...30....071
控 伊東........194...00.....006
控 金森.........293..03.....022
控 西岡.........218..06.....027
先 東尾..... 18勝9敗2S防2.92
先 高橋直 13勝3敗0S防3.03
先 松沼兄 12勝6敗0S防3.82
先 松沼弟 15勝8敗0S防3.25
先 杉本 12勝6敗0S防3.43
中 柴田...... 01勝01敗00S防3.38
中 木村 02勝00敗01S防4.85
中 永射 02勝01敗00S防2.41
中 工藤 02勝00敗00S防3.24
抑 森繁 05勝05敗34S防1.48
片平、メイ、門田 で、
「トリオ・ザ・左」と出てくるやつは合格や
野球選手お酒好きそうだもんね
今の選手でも取材とか一杯飲みながらって場合が多いし
ご冥福をお祈りします
外 大田.......297....20....067
外 立花 ......309...08....042
これ確変年だな
>>328
ノムサン解任は阻止できなかったな。。ナムサン… 野村派だけど野村解任の時は残留した。
その後一流の成績を残したのになぜかブレイザーとは反りが合わず
左P先発の試合でスタメンを外されたりして自らトレードを志願。
で、西武に移って見事にレギュラーに復帰
中 柴田...... 01勝01敗00S防3.38
これってあの日ハムのノーヒットノーランのサイドの柴田?
>>413
柴田保光だろうな。最初西武の中継ぎだった >>414
知らなかった
ハムのローテ投手にそんな時代があったとは
西武キラーだったな >>415
西武の頃はオーバースローで
速球派ノーコンというタイプ。
江夏と交換で日本ハムへのトレードが決まったとき
才能を買っていた広岡は根本に文句言ってたが
日本ハムに行って腕を下げて開花した柴田にとってはいいトレードになった。 清原入団年はすっかり出番を奪われた印象だったんだけどDHでしっかり17本塁打も打ってたのか。すげえ。
大洋行ってからもそこそこ打ってたしな。
俺の柴田はこれだ
@YouTube
柴田保光 日本ハム ノーヒットノーラン 1990年
@YouTube
プロ野球 「ノーヒットノーラン達成」 日本ハム柴田投手 1990年4月 西武時代に日米野球が行われて、誰がメジャーで通用するかって質問で、多くのメジャーリーガー
が片平の名前を出してたことを思い出したよ。ご冥福をお祈りいたします
>413
>414
>415
フロント主導で柴田と日ハムの江夏がトレードされたんだが、当時の広岡監督(だったと思う)が将来のエース候補の放出に対してフロントに怒鳴り込んだ位に期待されていた。
1982年の日本ハムとのプレーオフでやったプッシュバントが
最大の思い出だな、誰も予想しなかった奇襲戦法だったが、
広岡監督から命じられてものすごく練習したと言っていたな
82年、暗黒期の南海の数少ない強打者だったのに
わざわざ一塁手が不足してた西武に放出
結果、西武は初のリーグ優勝
当時の阪急上田監督いわく
「南海のやってる事は補強やなくて補弱者や 」
永射氏も片平氏も
サンスポでのダンカンとの対談から
ほどなくしてこの世を去っているんだよね
>>94
で、その後亡くなった父親の後継いで
癖のある専務や女の事務員抱えて葬儀社経営したんだな。 >>434
スティーブ
テリーは、ホームラン打ったらバックネット裏に一礼した人 開幕戦は清原をベンチにして一塁のスタメンだったけ?太田?
マジかよおおおお、68じゃまだ若いだろ…
子供時代、親によく西武球場に連れてかれてた頃の顔ぶれが>>81な感じだった >>428
阪急はトレード上手過ぎる
中日から島谷 稲葉 広島から水谷
トレード相手は名前も忘れるくらい全く活躍できなかったのに・・・ >>428
あげく新井まで出してしまったのには呆れた。 好きだった好きだった好きだったのに
凄いショック
泣いて寝る
柴田はノーコンだったからね。日ハムに行ってもどうせノーコンは直らないだろうと
思ってたけど見事に期待を裏切った。
>>429
永射といえば82年の阪急との天王山での奇襲登板が印象にあるかな。
あれにはさすがに上田監督も面を食らったようで阪急ベンチも動揺を隠せないまま一方的な
試合になってしまった。 スレタイ読んで、あれ南海じゃなかったっけと思ってしまった
そう言えば西武にも行ったんだよな
指導された佐々木誠が同じような打撃スタイルになったな
>>14
「夢をのせて」って曲
中学の音楽の授業で歌ったわ 片平と永射の代わりに広瀬を獲ったんだがこれが思いのほか使えなかった。
球団から「清原にポジション与えた感じにするのはアレだから競って奪い取った感じになるようにしてくれ」と言われたが、
はなからモノが違うと解ったし別にそんな体をとる必要なんかないと思ったと
>>350
こらこら
俺は横浜スタジアムに中学の時に帰りに通ってたんだぞ
4高木 5銚子 8屋鋪 9ポンセ 7パチョレック 3片平晋 2若菜 6高橋雅 1遠藤
4高木 5村岡 8屋鋪 9ポンセ 3片平晋 7パチョレック 6高橋雅 2若菜 1新浦
6高橋雅 5銚子 4高木 9ポンセ 3片平晋 7パチョレック 8屋鋪 2若菜 1斉藤
http://sta-men.jp/1988whales.html >>428
ホンマに南海は自ら弱くするトレードばかりしていたな。
あんなことをしているから身売りするはめになったんや。 >>450
広瀬新太郎か
名前が特徴的だったな…後は左腕という事しか覚えてない スティーブオンティベロス
ガキの頃タカラの野球カードで遊びながら変な名前だなと思ってたわwww
その時片平もスタメンに使ってたわ
6−6 ホームランwwwwwwww
去年のシーズン終盤もCSで解説してたのにビックリ
ガンって長期入院のイメージがあるけどそうでもないんだな
星野と比べて扱いが小さいな
俺的には
片平の方が思い入れ有るんだが…
ラジオの解説、選手に優しく好きだったなあ。基さんの解説みたいに。基さんは元気かな
そういえば去年最後あたりに聞いた解説で、片平さんっつってるけどこんな声だっけと思ったの思い出した
>>131
松本ヲタはこんな所に全く面白くもない話をぶち込んでくるなよ馬鹿野郎 >>463
カネが無かったから年俸の高い選手は門田以外出さざる負えなかったんだろ >>463
あれは野村シンパを追放するという事もあったからな >>427
あれは江夏対策のために
全員で猛特訓したんだよ >>440
水谷の相手は加藤秀司だぞ
名球会入りの名選手
しかも現役は水谷より長かった 西岡 広橋 片平 立花義家 太田 癖のある代打陣のイメージ 85,86年あたり
>>482
加藤は広島ではサッパリだったが、水谷は阪急で打点王。死球がなければ長くもやれたし、あのトレードも阪急に軍配だよ 千代丸健二; 警察をまともにするということを市民の権利として考えてください
千代丸健二; 警察官侮辱罪はない、、 挑発されたらいくら言葉で侮辱してもいい
仙波敏郎; 警察は犯罪組織で、警察幹部は全員犯罪者だ!
仙波敏郎; 警察という組織は全員、100%、裏金に汚染されている。
仙波敏郎; 警察が狂ってしまった原因は全て裏金です
竹原信一; アメリカも日本も、警察・検察は犯罪組織である
竹原信一; 警察の事情を知れば、病んだ組織であるのが分かります。
竹原信一; 私達は、警察が組織ぐるみの泥棒になっている事実、現実を直視しなければなりません。
寺沢有; 警察の本質は強き者に弱く、弱き者に強い集団であり、正義の味方づらをしている悪徳集団
寺沢有; 毎度のことですが、「警察を取り締まる警察」の創設が必要です。現状、警察は犯罪やりたい放題
の国営暴力団ですから。
大河原宗平; 警察による集団ストーカー被害者の皆様。逆に警察を完全監視する民間監視団体を結成しましょう
大河原宗平; コメントを するまでもない 「犯罪組織 = それは警察」
リチャードコシミズ; 警察は、闇権力と一心同体である
リチャードコシミズ; 検察だろうが警察だろうがクズはクズなんです。
原田宏二; 警察組織には治安維持のためなら多少の法律違反は許されるという思い上がり、甘えがある。
原田宏二; 警察は正義の味方でも何でもない
飛松五男; ほとんどの警察署長は制服を着た盗っ人です。
飛松五男; 腰抜けなんです。警察官というのは 、弱きをくじき、強きにへつらう奴。
故黒木昭雄; 私は自殺しない。死んだら、警察に殺されたと思ってください
俺; 警察組織のトップが腐 っているから末端警察官のなり手がいなくなり、結果的に警察組織が社会のゴミ捨て場になっている。
>>203
東農大は私立の農学部では明治や日大と並ぶ難関大 ラストの3、4年しか見てないけど
見た目のお爺ちゃん感が強い印象だったな
あの当時で30後半か
メガキュアには凄い感謝しちゃってます!だって速攻で歯を白くしてくれちゃうんだもん
>>63
やくみつるって名前見るだけで不愉快になる >>443
挙げ句に代わりに来たのが、ポンコツの
山口哲次やろ。近鉄ファンの知り合いは「あれで、モーヤン(小川)の辞めた穴が埋まったわ」って感謝される始末。 >>267
正確には
広瀬+金銭 ←→ 片平 +永射 >>307
西山は南海時代に交通人身事故の同乗者(運転していたのは確か畠山)だったこともあり、厄介払いトレード的な意味合いもあった >>116
平野は広岡監督下にいなかったのか
そのわりに広岡は平野を評価していたな ふーん
こんな選手いたんか
大豊しか知らんかったなぁ
>>492
これは伝説の83年の日本シリーズ第6戦の9回裏ですね
9回表に中畑の逆転タイムリーの後の西本の胴上げ登板を阻止した回 >>498
その時の中畑って確か三塁打だったんだけど中畑までは生還出来なかったんだよな もともと南海ホークスの人
南海をクビに成って路頭に迷っていたところを
広岡に拾われて才能が開花した
82年生まれの自分は清原が書いた自伝の本で名前見た程度でした
1本足打法って聞くと大豊の印象しかない世代なんで
現役時代知ってるなんて皆さん相当年輩者なんですね
たばこのヤニで歯が真っ黄色だったけど...
メガキュア使い始めてから10日くらいで、ほとんど気にならなくなった
やっぱ芸能人が普段のケアで使ってるってだけあって効果が速い
>>71
ファミコンが出来た時期のベテランはそのくらいの年令だお。
1985年に35さいの人は今年68さい。
これからはTVゲームに名前の出てた世代の人が亡くなるようになるんだな。
TVゲームでの思い出を語るコメントが頻繁に視られるようになるだろう。 トレードの失敗続きだった何回も87年と88年はチーム状態が良かった。
優勝を狙える所までチームが成長してきた矢先に身売りになったのは残念だった。
>>140
ミラクル元年、奇跡をよんで
獅子よ吠えろよ限りーなく
って歌なかったっけ?
西武線でいつも流れた気がする 松崎しげるの地平を駆ける獅子を見たは西武ライオンズ発足時に作られた結構古い曲ですね。
ウイアーザライオンズは黄金期に出た比較的新しい曲です。
ああ、横浜大洋銀行に居たねえ片平
パリーグから移籍だったか
清原が来て、大洋に移籍したんだよね。
いい選手だった。
地平を駆けるはリズミカルな曲なので口ずさむのは少々無理のある曲なので。
球場で合唱が出来る曲が無かったので丁度良かったんですね。
>>502
片平の身体能力があって黒田は投手の癖を知っている。
そこを見抜いた広岡さんってやはり凄いんでしょうね。
ロッテGM時代は少々残念な結果にはなりましたが。 >>482
大阪に帰りたい帰りたい言ってたので加藤は。広島時代は真面目にプレーしてくれなかった。困った人だったな。
そんな加藤も巨人では結構真面目にやってたな。 メガキュアには凄い感謝しちゃってます!だって速攻で歯を白くしてくれちゃうんだもん
>>517
もう40歳でしたからね。衰えは隠せませんでしたね。
それでも眼の輝きが広島時代とは全然違っていた。あれくらいの闘志を広島時代にも
見せて貰いたかったです。
広島時代はいつも大阪に帰りたい帰りたい言ってあっち痛いこっち痛い言って真面目に
ろくに試合にも出ないで真面目にプレーしてくれなかったのが残念でしたね。 >>508
今も本拠地でライオンズが勝利すると流れるよ
曲調は古さを感じない
楽天の球団歌の方がよっぽど古臭く感じる ファミスタ世代がまた一人…
あと三十年くらいしたら最後のファミスタ(初代)選手亡くなるってニュースになるんだろうな
>>508はウイアーザライオンズではなくて若き志士たちですねごめんなさい。
>>519
今でも球場で流れるというのはうれしい限りですね。新生ライオンズにふさわしいナウい
曲として当時作られたので当時はやや異質な空気もあったんですけどね。まさに30年を
見越して作られた曲とも言えます。 試合中に観客がエキサイトして暴れるのを鎮めるために各球場で始められた場内オルガン演奏。
近年は場内でロック音楽をガンガンに流すので観客が興奮して暴れないか少々心配。
>>518
加藤も試合もろくに出ていなかったけどね >>480
最大の野村シンパはワンマンオーナーの川勝傳だよw
江本孟紀がトレードに出された1975年の時点で公私混同
が相当酷かったって話だし江夏豊と柏原純一を放出した
時点で野村シンパなんて残ってないよ たばこのヤニで歯が真っ黄色だったけど...
メガキュア使い始めてから10日くらいで、ほとんど気にならなくなった
やっぱ芸能人が普段のケアで使ってるってだけあって効果が速い
>>482
水谷実雄は移籍一年目は大活躍
しかし頭部死球の後遺症でそれ以降成績が急降下 >>519
少し前まで9回裏に入る前にも流れてたと思うけど、そっちはもうやらなくなったの? >>506
1987年は藤本修二(にゃんこ)の成長と井上祐二の
ストッパー定着が大きかったし佐々木誠の急成長で
やっと新井宏昌の穴が埋まった
1989年は新外国人のアップショーも当たりだったし
岸川勝也のブレイクもあったのに翌年田淵幸一が
全部ぶち壊した・・・ >>502
首になるほど81年のシーズン成績悪くないし
片平を買っていたのは管理部長だった根本で、広岡は見返りの山村善則放出に激怒していた >>530
アキレス腱を切った門田博光がDH専になるから
外国人選手のためにファーストを空けたのかと
思いきや貧打マンで競争だもんなあ
意味が分からない この頃の西武球場って外野席は天然芝だったような 友の会に入ってたなぁ
>>529
アップショーって田淵監督じゃなかったっけ? PCエンジンのパワーリーグでは名前はキャタピラだったなあ。
たばこのヤニで歯が真っ黄色だったけど...
メガキュア使い始めてから10日くらいで、ほとんど気にならなくなった
やっぱ芸能人が普段のケアで使ってるってだけあって効果が速い
>>517
骨を埋める気で買った家を一年で売る羽目になったんだけど
まさにバブルにさしかからんとする時期で年俸以上に儲かったと聞くな。 加藤英といい蓑田といい巨人にはポンコツになってから移籍してきたよね
黄金期の西武を支えた片平氏が、68歳の若さで亡くなった。
昨年、膵臓にがんが見つかったという。
膵臓がんは、4日に亡くなった星野仙一氏と同じ。
くしくもこの日は、星野氏の誕生日だった。球界に貢献した人材が、またもや膵臓がんで早すぎる最期を迎えた。
08年にチームをともに日本一に導いた渡辺久信SDは「今日、メールが来て知りました。ただただショックです。
日本一になった時は、1、2軍で連携させていただいた。
現役から一緒にやってますし、すごくお世話になった方。
今はびっくりしているとしか言えない」と惜しんだ。
昨年、チームの秋季練習に顔を見せた時は元気そうだったが、9日の毎年恒例のプライベートな新年会を欠席。
体調を心配する声が上がっていたという。その会から2週間ほど。
ごく親しい関係者には、がんの宣告を受けたことを話していたようだが、悲報はあまりにも急だった。
王貞治に憧れ、高校時代から一本足打法の左打者。
王そっくりの構えは、プロ入り当初からファンの注目を集めた。
77年にはバセドー病を発症。甲状腺ホルモンの分泌が過剰になる甲状腺機能亢進(こうしん)症の1つの同病を克服し、79年には規定打席に初めて到達。
リーグ5位の打率3割2分9厘を記録した。
80年にはキャリアハイの21本塁打をマークし、南海の主力打者として活躍。
82年から5年を西武の主力としてプレーした。
86年の清原入団に伴い、一塁手から指名打者に仕事場は移った。
それでも、同年も打率2割9分2厘、17本塁打と結果を残し、翌87年には、南海時代の恩師でもある古葉竹識監督に請われて大洋に移籍した。
現役引退後は、コーチや編成として後輩の指導に尽力した。
佐藤友亮外野守備走塁コーチは「選手のことを第一に考えてやってくれる人だった」と振り返った。
柔らかな笑みと温かい視線で、グラウンドを見つめる姿が、西武の名物だった。
https://www.nikkansports.com/baseball/news/201801230000073.html 西武球場で愛甲のホームランボール取ったわ。テレビデビューはそれが初めてだったよ。
>>537
アップショーはダイエー一年目に加入
しかし田豚と揉めて二年目は酷いことになった >>545
ウイリアムスとかいう使えない右の大砲もいたよね
畠山を打者転向させてすぐに解雇して
大洋に移籍したら活躍してオールスターに出ていた記憶
でも岸川 広永 吉永は田淵が開花させたよね 田淵時代、平和台でやたらと打線が強かった年があったな
投手は悲惨だったが
>>546
1992年は吉永幸一郎が育ち佐々木誠と藤本博史
が20本塁打をクリアするなど打線はだいぶ整備
されたけど1993年から広い福岡ドームに移転する
ということで田淵監督の業績が全否定されちゃった >>550
石毛宏典が1985年の日シリで膝を痛めてそれが
古傷になってしまったので1987年のシーズンから
サード石毛センター秋山幸二にコンバート
空いたショートには田辺徳雄を抜擢 >>546
根本さんが来てから、平和台時代の主力は短期間で軒並み放出されちゃったな
吉永はかろうじて初優勝メンバーに名を残せたけど、ソフバンへの身売りまで生き残れたのは大道ぐらいだろ >>58
6 石毛 監督
7 金森 コーチ
5 秋山 監督
3 清原 ナシ
9 片平 二軍監督 コーチ
8 田尾 監督
4 辻 監督
2 伊東 監督
P 久信 監督
東尾 監督
工藤 監督
郭 コーチ
こうして並べてみると巨人とかより監督経験者が多いんじゃないか >>9
福島関連でいうとストロンチウム90が膵臓に集まりやすくなるということ
その影響で、糖尿病にもなりやすくなる
ただ福島が原因かは、わからない
小出氏によるとセシウムはかなり出たようだが、ストロンチウムは、わずかにしか
出ていないと言っていたから、分からない 次は衣笠じゃないかと言われている
容姿がかなり変わっている?
>>546
畠山の打者転向は田淵監督就任2年前の1988年。 >>553
だって2005年って平和台最終年にルーキーイヤー
だった浜名千広でも36歳だよ
さすがにそんな選手はレアだって >>558
最近ラジオで聴くと声が妙に甲高くなってて何か不安になるわ スピードスケートの住吉都さんが死去
死因は不明だが、これも膵臓がんだったら恐ろしいな
こんなに膵臓がんって多かったか?
>>1
元西武って言うより、元南海と言った方が若い人にはピンとくるだろ。 言っては悪いけど全然知らなかった。
今でこそ日本ハムは、ダル、斎藤、大谷と話題がアルのが来るけど
昔は、ほとんどの選手に知名度がなかった
それぐらいパ・リーグは、全然人気がなかった
西武だけは知名度があったけど
>>562
食事の西洋化が大きいらしい
もっとたくさん料亭を増やすべき
気軽に入れる料亭があれば健康を取り戻せる >>416
柴田と一緒にファイターズに放出された、中継ぎの木村広も忘れないでください。
江夏 − 柴田+木村広の1対2のトレードだったんですから メガキュアには凄い感謝しちゃってます!だって速攻で歯を白くしてくれちゃうんだもん
>>450
当時のやくみつるの4コマ
やく「西武から片平と永射を獲得ですか、古葉さんやりますね」
古葉「いいトレードだったね。あちらさんにもうしわけないよ」
やく「森監督ありがとうございます。
・・・片平と永射をもらえた上に、広瀬まで引き取ってもらえるとは!いやありがたい」
森「・・・こっちは金銭だけでいいといったんだけどねえ・・・・古葉さん強引だから」 >>565
西洋人は糖尿になりにくいらしいな。
膵臓からインスリンがドバドバ出てくる。 最近良くメガキュアって目にするから物は試しだし買ってみた!
3日ぐらい使ったけど確かに自然な白さになっていくの実感できた!
口の中も常にスッキリしてていい感じ!ちょっと高級だけど買ってみて正解だった!
>>502
クビじゃなくてトレード。
当時の西武の監督の広岡が「南海でふやけた片平や黒田が、このチームで役に立つのか?」
みたいな嫌味を言っていたが(トレードは根本さん主導)、二人とも初優勝に大きく貢献した。
広岡はマスコミを使って選手を発奮させるタイプ? 長年に渡っての食生活でそういう仕様になっているんじゃないのかね
逆に向こうの人がヘルシーとか言って和食ばかり食べているとどこかに弊害が現れてるのかもしれないし
日本人は飢餓に耐える前提の体質だから逆に栄養状態が良くなると糖尿になりやすいって聞いたよ
日本人が肉や脂や砂糖などを大量に摂取して日本酒以外の酒を飲みだしてまだ200年くらいだから内臓が適応し切れてないんだろ。
藤原道長は平安時代に糖尿に悩まされていたそうだけど。
タブランはアップショーもバナザードも
追放したゴミ。
>>303
ファミスタでしか知らんかったけど
パッケージにシールを貼っただけの87と元祖で成績同じか! >>580
文化、文政の頃にはもう
肉をバンバン食べて
ビールやワインを飲んでたわけかw 大阪球場のボックス席で南海の片平や柏原を応援してたのが
子供の頃の思い出だ
1983年西武‐巨人の日本シリーズは巨人3勝2敗で王手をかけて
第6戦も巨人が中畑のタイムリーで9回にひっくり返して
あと2アウトで巨人が優勝だった
ここから山崎、片平、鈴木、石毛の4連打で西武が同点、
金森がサヨナラ安打
第7戦も西武が僅差で逆転勝ち
片平さんが凡退していたら巨人が日本一だったかも
>>583
山くじら料理の両国ももんじやが享保に創業だから、
その頃には実は肉はバンバン食ってたかもなあ。 初めてみたときはすでに大洋の背番号2番だったので そのイメージしかない
安らかにお眠りください
>>587
南海、西武時代も、背番号何番だったか覚えていないや
最後まで1番は付けなかった気が?
ご本人は付けたかったのかな?
恐れ多いと遠慮してたかもしれないけど >>590
南海時代 22→25
西武時代 4
大洋時代 2
西武コーチ・二軍監督時代 72 >>555
6 石毛 監督
7 金森 コーチ
5 秋山 監督
3 清原 監獄
9 片平 二軍監督 コーチ
8 田尾 監督
4 辻 監督
2 伊東 監督
P 久信 監督
東尾 監督
工藤 監督
郭 コーチ
以前どこぞのスレでこんなふうに書かれてしまったのは見た覚えがある。 >>591
あ〜!西武時代はなんとなく4番だったような記憶があったんですよ
教えてくれて、どうもありがとさんです >>593
東尾も賭けマージャンで捕まったことあるな >>37
ただキャラの苗字が一緒なだけで全く関係ないだろw >>592
大リーグボール二号を打った時の
花形満 最近良くメガキュアって目にするから物は試しだし買ってみた!
3日ぐらい使ったけど確かに自然な白さになっていくの実感できた!
口の中も常にスッキリしてていい感じ!ちょっと高級だけど買ってみて正解だった!
メガキュアには凄い感謝しちゃってます!だって速攻で歯を白くしてくれちゃうんだもん
>>583
江戸時代は肉食もごく一部の層や、
庶民やたまにご馳走で食べるだけで、
日常食ではないだろう。
洋酒なんかもっとレアだろう。
肉食が一般的なら、当時の日本人の身体があんなに小さいわけない。 >>565
大酒飲みの吉本芸人が何人か膵炎になっているが、
膵臓を痛める主因は暴飲暴食だろう。
戦後の経済成長で、アルコールとタバコが割安になり消費量がやたら増えたからな。 >>585
勝負を焦った藤田と、7戦まで見越した我慢の投手起用をした広岡の差だな。 >>580
白人でも、WW2の食糧難の時代に幼少期を過ごした世代は、
少ない栄養をフルに消化する高燃費体質なので糖尿病が多い。 あの頃で三球団渡り歩いたというと、
江夏のようなトラブルメイカーや、
太田幸司のような期待外れロマン枠なんだけど、
ブレイザーに干された以外はどこでも主軸で活躍したのも凄い。
二軍監督をやったということは、
人望や面倒見の良さも買われたはずだし。
>>20
何故か強打者イメージがあるのはそのせいか 最近良くメガキュアって目にするから物は試しだし買ってみた!
3日ぐらい使ったけど確かに自然な白さになっていくの実感できた!
口の中も常にスッキリしてていい感じ!ちょっと高級だけど買ってみて正解だった!
メガキュアには凄い感謝しちゃってます!だって速攻で歯を白くしてくれちゃうんだもん
82年の日本シリーズ第六戦、田淵に代わり守備固めに入った片平が、鈴木(孝)から美しい放物線でバックスクリーンに飛び込むホームラン。続く5番テリーはライナーでバックスクリーン上部を直撃する1発わ放つ。
テレビだがリアルタイムで見ていた。
>>595
現行犯ではないので逮捕はされていない
摘発されたマンション麻雀の顧客リストに東尾の名前があったから事情聴取→書類送検(略式起訴) >>281
それめっちゃ覚えてるわwww
namcoの小冊子というか、ログインかベーマガのパソコン雑誌のが初出じゃなかった? >>507
西武百貨店大安売りのテーマか
懐かしいな >>604
勝負を焦ったというか西本を胴上げ投手にさせたかったのかね >>507
それは西武ライオンズ球団歌の「地平を駈ける獅子を見た」
>>140のは西武ライオンズ旧応援歌の「若き獅子たち」
ちなみに現応援歌は「吠えろライオンズ」
なお地平を駆ける獅子を見たは作詞・阿久悠、作曲・小林亜星、歌・シゲルマツザキ
という当時としては超豪華な組み合わせだったという >>619
あのシリーズは江川が不調で角もケガしてたから
最後はそれまで調子のよかった西本に頼りたかったんだと思う >>607
高橋博・阪本・富田・高橋直・高橋里・加藤英・江本・東田・福士・米田・小山
3球団は昔から取り立てて珍しくない >>621
それにしても他に選択肢は無かったのかねと
今みたいに投手分業制が確立されてない、ならではな試合展開ではあったけど