フジ『ザ・ノンフィクション』渾身作「人殺しの息子と呼ばれて…」 チーフPが明かす放送までの葛藤と反響
2017年11月16日 6時0分
平穏な日曜の昼間に不釣り合いな、息をのむような映像だった。先月15日と22日の2週にわたって放送された、フジテレビ系ドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜 後2:00※関東ローカル)の「人殺しの息子と呼ばれて…」。2002年に発覚した北九州連続監禁殺人事件の犯人の息子(24歳)が、初めてメディアのインタビューに応じ事件についてありのままを語った衝撃的な内容で、約7年半ぶりの2ケタとなる番組平均視聴率10.0%を獲得した(22日放送分 視聴率はビデオリサーチ調べ、関東地区)。インタビューが実現するまでの経緯と放送後の反響を、同番組の張江泰之チーフプロデューサーに聞いた。
■息子の覚悟に芽生えた決意 インタビュー時に感じた“変化”とは?
関係ができたきっかけは、同局で6月に放送された特番『追跡!平成オンナの大事件』で監禁殺人事件を扱ったことだった。同番組の放送後、息子から抗議の電話が局に寄せられ、張江氏が責任者として応対した。「視聴者の方の声に、担当者が責任を持って対応するのは局内で共有されているので、よくあることなのですが…(息子は)とても冷静に話をする青年で『今回の特番によって、自分は傷ついている』ということは伝わってくるのですが、こちらに何を求めているのか全くわからなかった」。とことん向き合うと決め、自身の携帯電話の番号を教えて、連日2時間の長電話を行った。
「最初は、インタビューを撮ろうとか全く考えてなかった。『こちらから謝罪に行く』という言葉が喉から出かかったのですが、息子は正体を隠してこれまで生きているので『結局、俺の顔が見たいんだろ。あなたは、やっぱりマスコミの人だ』と返してくるかもしれない。その辺の言葉遣いは慎重にしながら、とにかく話をするしかなくて最終的に『じゃあ、会いましょうか』ということになりました」。
1週間におよぶ話し合いの末、息子は“音声加工なし”でのインタビューに応じる覚悟を決めた。この覚悟に、張江氏も胸を打たれた。「息子本人への誹謗中傷がネット上で高まるのではという心配があって、本当にインタビューをしてもいいのか葛藤しました。そのことを息子に話をしたら『そこは、十分わかっているんで』と返してきて、その一言が後押ししてくれた。声で身元がわかってしまう可能性もあるのに、彼は私以上に腹をくくっているじゃないかと。だから、私も『よし、やるぞ』と宣言しました。普段は『お願いします』という感じで取材を進めるのですが、あの時は不思議と『一緒にやるぞ!』という気持ちでしたね」。
前編では、息子が目にした残忍な犯行の様子や両親が逮捕されるまで、後編は「人殺しの息子」として悩み、苦しみながら社会との関わりを模索していく様子を放送。インタビュアーを務めた張江氏は、当時の様子を振り返る。「正々堂々としていましたね。途中から口調がフランクになってくるのですが、あれは自らの口で初めて、監禁時代に体験したことや見たことを話すことによって、これまで背負ってきた重いものが軽くなっていくという感覚が本人の中にあったのだと思います」。
(続く)
http://news.livedoor.com/lite/topics_detail/13896933/
2017年11月16日 6時0分
平穏な日曜の昼間に不釣り合いな、息をのむような映像だった。先月15日と22日の2週にわたって放送された、フジテレビ系ドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜 後2:00※関東ローカル)の「人殺しの息子と呼ばれて…」。2002年に発覚した北九州連続監禁殺人事件の犯人の息子(24歳)が、初めてメディアのインタビューに応じ事件についてありのままを語った衝撃的な内容で、約7年半ぶりの2ケタとなる番組平均視聴率10.0%を獲得した(22日放送分 視聴率はビデオリサーチ調べ、関東地区)。インタビューが実現するまでの経緯と放送後の反響を、同番組の張江泰之チーフプロデューサーに聞いた。
■息子の覚悟に芽生えた決意 インタビュー時に感じた“変化”とは?
関係ができたきっかけは、同局で6月に放送された特番『追跡!平成オンナの大事件』で監禁殺人事件を扱ったことだった。同番組の放送後、息子から抗議の電話が局に寄せられ、張江氏が責任者として応対した。「視聴者の方の声に、担当者が責任を持って対応するのは局内で共有されているので、よくあることなのですが…(息子は)とても冷静に話をする青年で『今回の特番によって、自分は傷ついている』ということは伝わってくるのですが、こちらに何を求めているのか全くわからなかった」。とことん向き合うと決め、自身の携帯電話の番号を教えて、連日2時間の長電話を行った。
「最初は、インタビューを撮ろうとか全く考えてなかった。『こちらから謝罪に行く』という言葉が喉から出かかったのですが、息子は正体を隠してこれまで生きているので『結局、俺の顔が見たいんだろ。あなたは、やっぱりマスコミの人だ』と返してくるかもしれない。その辺の言葉遣いは慎重にしながら、とにかく話をするしかなくて最終的に『じゃあ、会いましょうか』ということになりました」。
1週間におよぶ話し合いの末、息子は“音声加工なし”でのインタビューに応じる覚悟を決めた。この覚悟に、張江氏も胸を打たれた。「息子本人への誹謗中傷がネット上で高まるのではという心配があって、本当にインタビューをしてもいいのか葛藤しました。そのことを息子に話をしたら『そこは、十分わかっているんで』と返してきて、その一言が後押ししてくれた。声で身元がわかってしまう可能性もあるのに、彼は私以上に腹をくくっているじゃないかと。だから、私も『よし、やるぞ』と宣言しました。普段は『お願いします』という感じで取材を進めるのですが、あの時は不思議と『一緒にやるぞ!』という気持ちでしたね」。
前編では、息子が目にした残忍な犯行の様子や両親が逮捕されるまで、後編は「人殺しの息子」として悩み、苦しみながら社会との関わりを模索していく様子を放送。インタビュアーを務めた張江氏は、当時の様子を振り返る。「正々堂々としていましたね。途中から口調がフランクになってくるのですが、あれは自らの口で初めて、監禁時代に体験したことや見たことを話すことによって、これまで背負ってきた重いものが軽くなっていくという感覚が本人の中にあったのだと思います」。
(続く)
http://news.livedoor.com/lite/topics_detail/13896933/