富士市に生まれ、天間小3年でサッカーを始め、中学、高校時代は清水(静岡市清水区)でボールを追った。
いまだ衰えぬプレーへの情熱。
故郷への思い、真面目一徹の生きざまを前編と後編で紹介する。
神奈川・相模原市内のグラウンド。川口と約15年ぶりに再会した。2002年のW杯日韓共催大会以来だった。
「ようこそ、相模原へ。あれ、髪形が変わりましたね。誰かと思いましたよ〜。元気ですか」
屈託のない笑顔、物腰の柔らかさは、当時と変わらない。そして、「故郷への思い」からうれしそうに語った。
「実家の玄関を出ると、左側に富士山。近くには茶畑、市内には製紙工場の煙突がたくさんある。ずっと残る心の風景です。
高校から寮生活で実家を離れましたが、どこにいても『富士山はどの方角かな』と考えます。
サッカーを始めて、小学校のグラウンドできつい練習をしていた時も、富士山に見守られてきました。だから富士山を見ると、初心に戻れる気がします」
サッカーとの出会いは9歳。3歳上の兄から勧められて始めた。
「富士市では野球をやる子供の方が多かったですね。
当時は大昭和製紙の野球部があって、みんながそこを目標にしていました。でも、僕はサッカーにはまりました。
ソフトボール、バスケットもうまくこなせて、短距離、長距離走も1番になれた。
ただ、サッカーだけは、思うようにいかなかった。
それでも、続けていればリフティングも少しずつできるようになった。自分のものを全て出して、成し遂げる。この感覚が合っていました」
GKは小4から。ある試合で選手が不在になり、「やってみろ」と言われたことがきっかけだった。
「たまたまGKをやったら、試合に勝てました。そこから1つ上のチームでやり始め、点を取られると文句を言われるので嫌な時もありましたが、
ユニホームの色が1人だけ違う。試合には出られるし、うれしいという感じでしたね」
次第に頭角を現し、高学年になると富士市選抜の富士FCでプレーを始めた。その頃、富士総合運動公園で日本リーグの試合を見て刺激を受けていた。
「富士FCで清水FCと前座試合をしてから、ヤマハやホンダ、読売クラブの試合を見ました。
富士市サッカー協会の人が、そういう機会を作ってくださった。
当時、レベルの高いサッカーを見られたのは、W杯とトヨタ杯、たまにある日本代表と全国高校選手権ぐらいでした」
海外の有名選手にも憧れたが、一番のヒーローは清水商のGK真田雅則(故人、元J1清水)だった。
「すごく影響受けました。前に出るプレースタイルで、空中戦も強かった。『格好いいな』と思って、マネをしていました」
中学は、清水の東海大一中(現東海大静岡翔洋中)に進学。富士市出身ならではの思いがあった。
「『富士市から来て、サッカーがうまいのか』という見方をされました。
清水はサッカー文化が進んでいて、商店街にサッカーボールのオブジェがあったりする。そのプライドからでしょうが、僕も負けたくない思いがありましたね」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171107-00046473-nksports-socc
11/7(火) 10:02配信
![【サッカー】川口能活「僕のヒーロー真田さん」インタビュー前編 ->画像>7枚](https://news.biglobe.ne.jp/sports/1107/4281860003/f-sc-tp0-171107-6473_thum630.jpg)
![【サッカー】川口能活「僕のヒーロー真田さん」インタビュー前編 ->画像>7枚](https://f.image.geki.jp/data/image/news/2560/14000/13836/news_13836_5.jpg)
![【サッカー】川口能活「僕のヒーロー真田さん」インタビュー前編 ->画像>7枚](http://www.soccerdigestweb.com/files/topics/21671_ext_07_2.jpg)
![【サッカー】川口能活「僕のヒーロー真田さん」インタビュー前編 ->画像>7枚](https://rz.anime-tube.win/pic.php?http://stat.ameba.jp/user_images/20110909/00/jokeness1445/bd/dd/j/t02200400_0230041811471133449.jpg)
![【サッカー】川口能活「僕のヒーロー真田さん」インタビュー前編 ->画像>7枚](https://rz.anime-tube.win/pic.php?http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/d0/adec611e7c68cc30a5ac788c84e048f5.jpg)