◆SMBC日本シリーズ2017第6戦 ソフトバンク4x―3DeNA=延長11回=(4日・福岡ヤフオクドーム)
劇的な延長11回サヨナラ勝ちで日本一にたどり着いた工藤公康監督(54)は、たくましいナインの手で7度、宙を舞った。6年前、「初代監督」への就任を要請されていたDeNAを下しての栄冠。現役で11度、指揮官としても就任3年目で2度の日本一となった優勝請負人が、スポーツ報知に独占手記を寄せた。
正直、頭が真っ白になった。もう泣かないぞと決めていたけど、一瞬で…。苦しかったことが頭をよぎって、涙してしまった。すごかった。現役時代を含め、こんなに緊張してドキドキしてハラハラしてやった日本シリーズはなかった。
昨年、日本ハムに11・5差をつけ優勝が確実と思われたのに、逃した。昨年の秋季練習から、みんなの思いは伝わってきていた。「優勝できなかったんだから、秋季練習をみんなでやらなきゃいけない」と言ってくれた選手がいたと聞いた時は、うれしかった。そして今年、負けた試合の翌日の雰囲気が昨年までと違った。勝つんだ、打つんだという気持ちが出ていた。きょうもそうだった。
選手時代は自分が投げる試合の責任を負えば良かったけど、今は全責任を負う立場。去年みたいに負けると非難される。ただ、やることは決まっていた。いいチームを作りたい。強いチームを作って、その中で競争原理を芽生えさせたい。その一心。プロ野球の世界で1、2年活躍できる選手ならいるけど、5年、10年となると難しい。そういう選手をたくさん育てられれば、と思ってやってきた。「なぜこんなに練習をしないといけないのか」と今は思っているかもしれないけれど、将来、「あの時のおかげ」となればいい。
昨年は優勝を逃した。今年の年明け。プロ入りから4年間、西武監督としてお世話になった広岡達朗さんから電話をもらった。「お前のやりたいようにやればいい。信じてやればいいよ」と背中を押してもらった。思うようにやってダメなら、責任を取る覚悟はできている。でも、昨年に結果が出なかったからといって、尻込みするのは嫌だった。自分の信じるものがダメなら、監督に向いていなかったと諦めるしかない。それでいい。
DeNAはセ・リーグ3位。「勝って当たり前」と思われるプレッシャーは、やはり大きかった。でも、ずっとプレッシャーを感じ続けるのが、ずっと強くあり続けるチーム。私は西武時代に経験したけれど、今のソフトバンクの選手にも味わってもらいたかった。
実際に戦ったDeNAは、投げ込んでくる1球は思い切ってくるし、打つ方も思い切って打ってくる。心のどこかに「第7戦までもつれるんじゃないか」というのがあったのは事実だ。試合後、ラミレス監督と握手して「素晴らしいチームをつくられましたね」と伝えた。本当に強かった。
現役時にお世話になり、恩師でもある王会長に監督として呼んでいただいた期待に、少しは報いることができたなと感じている。ひとつの目標に向かって、ファンも選手もひとつになって戦うという今年に懸ける思いを「1(ワン)ダホー!」のスローガンに込めて戦ってきた。ファンと選手がひとつになって勝ち取った優勝、日本一。本当に幸せ者だ。来年もその先もずっと、この喜びをファンの皆様と一緒に味わえるよう頑張っていきたい。(ソフトバンクホークス監督)
◆工藤 公康(くどう・きみやす)1963年5月5日、愛知県生まれ。54歳。名古屋電気(現愛工大名電)高から81年ドラフト6位で西武入団。86、87年日本シリーズMVP。94年オフにダイエー(現ソフトバンク)、99年オフに巨人へFA移籍。2007〜09年は横浜、10年は西武でプレーし、所属がなかった11年に引退。14年オフにソフトバンク監督に就任し、1年目の15年にリーグ優勝と日本一。昨季はリーグ2位でCS最終S敗退。左投左打。年俸1億円。
11/5(日) 10:03配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171105-00000085-sph-base
劇的な延長11回サヨナラ勝ちで日本一にたどり着いた工藤公康監督(54)は、たくましいナインの手で7度、宙を舞った。6年前、「初代監督」への就任を要請されていたDeNAを下しての栄冠。現役で11度、指揮官としても就任3年目で2度の日本一となった優勝請負人が、スポーツ報知に独占手記を寄せた。
正直、頭が真っ白になった。もう泣かないぞと決めていたけど、一瞬で…。苦しかったことが頭をよぎって、涙してしまった。すごかった。現役時代を含め、こんなに緊張してドキドキしてハラハラしてやった日本シリーズはなかった。
昨年、日本ハムに11・5差をつけ優勝が確実と思われたのに、逃した。昨年の秋季練習から、みんなの思いは伝わってきていた。「優勝できなかったんだから、秋季練習をみんなでやらなきゃいけない」と言ってくれた選手がいたと聞いた時は、うれしかった。そして今年、負けた試合の翌日の雰囲気が昨年までと違った。勝つんだ、打つんだという気持ちが出ていた。きょうもそうだった。
選手時代は自分が投げる試合の責任を負えば良かったけど、今は全責任を負う立場。去年みたいに負けると非難される。ただ、やることは決まっていた。いいチームを作りたい。強いチームを作って、その中で競争原理を芽生えさせたい。その一心。プロ野球の世界で1、2年活躍できる選手ならいるけど、5年、10年となると難しい。そういう選手をたくさん育てられれば、と思ってやってきた。「なぜこんなに練習をしないといけないのか」と今は思っているかもしれないけれど、将来、「あの時のおかげ」となればいい。
昨年は優勝を逃した。今年の年明け。プロ入りから4年間、西武監督としてお世話になった広岡達朗さんから電話をもらった。「お前のやりたいようにやればいい。信じてやればいいよ」と背中を押してもらった。思うようにやってダメなら、責任を取る覚悟はできている。でも、昨年に結果が出なかったからといって、尻込みするのは嫌だった。自分の信じるものがダメなら、監督に向いていなかったと諦めるしかない。それでいい。
DeNAはセ・リーグ3位。「勝って当たり前」と思われるプレッシャーは、やはり大きかった。でも、ずっとプレッシャーを感じ続けるのが、ずっと強くあり続けるチーム。私は西武時代に経験したけれど、今のソフトバンクの選手にも味わってもらいたかった。
実際に戦ったDeNAは、投げ込んでくる1球は思い切ってくるし、打つ方も思い切って打ってくる。心のどこかに「第7戦までもつれるんじゃないか」というのがあったのは事実だ。試合後、ラミレス監督と握手して「素晴らしいチームをつくられましたね」と伝えた。本当に強かった。
現役時にお世話になり、恩師でもある王会長に監督として呼んでいただいた期待に、少しは報いることができたなと感じている。ひとつの目標に向かって、ファンも選手もひとつになって戦うという今年に懸ける思いを「1(ワン)ダホー!」のスローガンに込めて戦ってきた。ファンと選手がひとつになって勝ち取った優勝、日本一。本当に幸せ者だ。来年もその先もずっと、この喜びをファンの皆様と一緒に味わえるよう頑張っていきたい。(ソフトバンクホークス監督)
◆工藤 公康(くどう・きみやす)1963年5月5日、愛知県生まれ。54歳。名古屋電気(現愛工大名電)高から81年ドラフト6位で西武入団。86、87年日本シリーズMVP。94年オフにダイエー(現ソフトバンク)、99年オフに巨人へFA移籍。2007〜09年は横浜、10年は西武でプレーし、所属がなかった11年に引退。14年オフにソフトバンク監督に就任し、1年目の15年にリーグ優勝と日本一。昨季はリーグ2位でCS最終S敗退。左投左打。年俸1億円。
11/5(日) 10:03配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171105-00000085-sph-base