◆私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第2回
W杯3連敗。成田空港「水かけ事件」〜城 彰二(3)
日本が初のW杯出場を果たした1998年フランス大会。結果は3戦全敗に終わった。
それでも、新東京国際空港(現・成田国際空港)の到着ロビーには、多くのファンやサポーターがフランスから帰国してきた日本代表を出迎えていた。「よくやった」など好意的な声が飛んでいたが、選手たちに笑顔はなかった。結果を残せず、自らの不甲斐なさに打ちひしがれていた城彰二も、ややうつむきながら出迎えのファンの間を歩いていた。
そのときだった。
いきなりペットボトルが飛んできた。口が開いたペットボトルから水が勢いよく飛び散り、城のスーツに降りかかったのだ。
すぐさま、城の後方にいたサッカー協会の広報担当がすっ飛んできた。怒号が飛び交い、城の後ろにいた平野孝はペットボトルが飛んできた方向を睨みつけた。広報担当はそのまま城をガードしながら出口に向かい、ペットボトルを投げた男はすぐに警備員に取り押さえられた。
「水をかけられたときは『なんだよ』って思ったよ。たぶん、普通の精神状態なら『ふざけんな』って怒っていたと思う。もしかしたら、殴り合いになっていたかもしれない。でも、そういう精神状態じゃなかった……」
フランス滞在中、日本中の騒ぎはチームに送られてきたFAXなどで、城もなんとなくわかっていた。結果を出せなかった”エース”に対して、世間の風当たりが強いことも認識していた。
城は「そういう精神状態じゃなかった」と語ったが、結果を出せなかったことに責任を感じていて、水くらいかけられても仕方がないという気持ちがあったのだろう。相当悔しかったはずだが、その場でそういう表情を見せることなく、悔しさをグッと噛み締めて、あえて平静を装った。
そのときの気持ちは、”エース”という立場となって、想像もつかないような苦しみを味わった者にしかわからないものだった。
空港ロビーを出ると、城は迎えにきていた所属の横浜マリノスの車に、川口能活、井原正巳、小村徳男と一緒に乗り込んだ。スーツは濡れたままだったが、着替えることはなかった。
「このまま帰るか、練習に行くか?」
迎えにきたマリノスのスタッフにそう聞かれた。
「練習に行くよ」
城は即答した。
このまま自宅に戻っても、精神的に落ち着くのは難しい。だったら、練習をして汗を流して帰宅したほうがすっきりする。そう決心すると、痛みが残る右膝をかばいながら練習メニューをこなした。
自宅に帰ってテレビを見ると、画面には空港でのシーンが映っていた。水をかけられ、混乱の中でなす術(すべ)もなく、その場を去っていく自分の姿がそこにはあった。
「テレビから流れてくる情報を見て、聞いて、初めて大会中にどんな報道がなされていたのかを知った。自分が結果を出せなかったことや、ガムを噛んでいたことなどが批判されて水をかけられたんだなっていうのが、自分の中ですべてつながって理解できた。
正直、(一連の報道についても)今までの俺なら『ふざけんな』って思って、いろいろ言い返していただろうね。でも、反応しなかった。ここで何かを言うと、また叩かれるんだろうなってわかっていたので、おとなしくしていた。それは、自分の置かれていた状況を理解していたから。
チームに戻って、監督やコーチは『水をかけたヤツは許さない』って言ってくれたけど、チームメイトからは何も言われなかったし、連絡をしてくる選手もほとんどいなかった。まあ、それは仕方がないよ。きっと、連絡しづらかったんだと思うし」
つづく
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171002-00010003-sportiva-socc 城を取り巻く異様な空気を察してか、連絡をしてくる友人もほとんどいなかった。城自身、外に出て、人と会うのが少し怖くなっていた。
そうした状況の中、唯一電話をかけてきてくれた人がいた。カズ(三浦知良)だった。そして、カズにはフランスであったことを素直に話した。
「カズさん、俺、現地でメシも食えなくて、吐いたりしたんですよ。プレッシャーが大きくて、結果を出せませんでした」
そう言うと、電話口でカズが大声で言った。
「おまえ、そんなのに負けていたら”エース”なんかつとまんねぇぞ。(空港で)水をかけられたらしいけど、水でよかったよ。俺なんか、卵をぶつけられたし、いろんなものを投げられた。それは、期待の裏返しだ。気にすんな」
カズの言葉が、城の琴線(きんせん)に触れた。
「カズさんにそう言われて、もう泣きそうになったね。ほんと、カズさんの言葉に救われたよ。俺が経験したプレッシャーとか、重圧を理解できるのは、カズさんしかいないわけで、そのカズさんから言われたことだから(その言葉は身に沁みた)。気持ちを切り替えてJリーグでがんばろうと思ったし、カズさんのように精神的にもっと強くならないといけないって思った。もしカズさんの電話がなかったら、しばらく自分の殻に閉じこもっていただろうね」
城はそう言って苦笑した。
カズの言葉によって、W杯でのことは城の気持ちの中では吹っ切ることができたが、空港で水をかけられたあとも、実は城の周辺ではいろいろな”事件”が起きていた。
城のマネジャーが乗るワンボックスカーが放火されたり、自宅マンションの壁などに落書きをされたりした。警察に連絡すると、護衛が必要だということになって、城とマネジャーには警察官の護衛がついた。
そんな城の自宅にはメディアも連日張りついていた。そのため、城はしばらく自宅を離れて、ホテルを転々として暮らしていた。
W杯3連敗の”A級戦犯”につるし上げられたため、通常では考えられないようなことが、城の周りでは起きていたのである。
「正直、殺されないだけマシかなって思っていた。マネジャーの車とか燃やされたけど、海外じゃあ、オウンゴールした選手が殺されたりするわけじゃない。本来、そういうことはあってはいけないことなんだけど、そのぐらい(サッカーに対して)みんな、熱かったということなんだろうね……」
その後、あるテレビ局が「ガムを噛むことで、力が抜けていいプレーができる」という検証番組を放送した。ガムの効能を示してくれたことで、それ以降、過激な嫌がらせは少なくなっていった。
また、城のプレー態度などについてテレビで強烈に批判したあの選手が、「こんなことになって済まなかった」と城に謝罪した。世間の城に対するバッシングに油を注いだ張本人だが、城は「もう終わったこと」と何ら咎(とが)めることなく、水に流した。
つづく
日本中が狂騒に包まれたW杯から時が過ぎ、城にも穏やかな日常が戻ってきた。そんなある日、城の中ではある思いがふつふつと沸き上がってきた。
「時間の経過とともに、W杯での悔しい気持ちが(自分の中で)どんどん大きくなっていった。Jリーグでは結果を出せるけど、世界レベルでは通用しない。Jリーグでプレーするたびに、自分と世界とのレベルの差を感じて『もっとうまくなりたい』と思った。そして、この悔しさを晴らすには、海外に行くしかないって思った」
当時は、今ほど日本から欧州へ行く門戸は開かれていなかった。ゆえに、移籍先はなかなか見つからなかったが、Jリーグで1998年に25得点、1999年にも18得点をマークすると、そのオフ、スペインのバリャドリードへの期限付き移籍がついに決まった。
年俸はマリノス(1999年からF・マリノス)時代の3分の1程度だった。しかし、城の中では海外でレベルアップしたい気持ちが勝り、2000年1月にスペインへ飛んだ。
1998年W杯――。カズの落選から始まった壮絶な物語は、城にとってはいったい何だったのだろうか。
「いろいろな意味で、俺のその後のサッカー人生を変えてくれた。世界ってすごい、世界との真剣勝負はW杯しかないんだって感じられた。だから『もう一度、W杯で戦いたい』『うまくなりたい』と思って海外に出ていった。もし、あの経験がなければ、ヒデ(中田英寿)の活躍をすげぇって思いながら、日本でプレーしていたと思う。
それに”エース”という責任の重さ、カズさんのすごさを感じたね。あのとき、W杯でカズさんがいたら、どうなっていたかなって考えた。たぶん、もっと余裕を持ってプレーできていたと思う。自分にかかるプレッシャーがなければ、普段どおりにやれればいいやって思えたはず。カズさんのポジションに自分が立ったとき、(カズさんは)いつもこんなプレッシャーの中でプレーし、結果を出してきたんだってわかった。カズさんは、ほんとバケモノだって思ったね」
その後、城はカズとヴィッセル神戸、横浜FCで共にプレーした。横浜FCでは2006年、カズと2トップを組んでクラブ史上初のJ1昇格を決めた。城はそのシーズンで引退を決め、尊敬する”キング”のそばでユニフォームを脱いだ。
カズという存在の大きさを、身をもって経験した城にとって、13年間のプロサッカー人生を締めくくるにふさわしい”とき”だったのかもしれない。
(おわり)
ワシはセンターでこそ輝く!
解らんのか馬鹿どもは!
by 本田
城がカズぐらいメンタル強ければwwwwwwwwwwwww
昔の方が熱入ってたんだな
柳沢のQBKとか当時なら帰国時やばかっただろw
> 城のマネジャーが乗るワンボックスカーが放火されたり、自宅マンションの壁などに落書きをされたりした。
水かけた奴もそうだけど
サッカーへの熱というより強豪国ごっこのような気がしてならない
そのくせ代表の勝利を祈願して焼身自殺なんか絶対しない奴ら
なに被害者面してんだよ
水かけるくらい熱心なファンがいたことをありがたく思え
かずくずだな
こいつもガムの事で城非難してただろ
勘違いかよく覚えてはないけど
でもカズくずだな
城って今の選手で言うと誰タイプ?
足速いわけじゃないし、特別テクも無いし、身長が180無いし。
> また、城のプレー態度などについてテレビで強烈に批判したあの選手が、「こんなことになって済まなかった」と城に謝罪した。
ラモスか
>.18
大迫かなぁ
とりあえず身体能力は高かったな
当人ならムカつくだろうけど羨ましいと思っちゃう
ブラジル大会なんて惨敗したのにお出迎えがキャーだぜ?
>>20
スペイン行って、何点か取った(2点くらい?) 欧州の超一流のプレーが好きなだけ見られる今は日本代表なんてどうでもいいわ
いくらなんでもワールドカップ最終予選の
最後で活躍しただけのまだ22ぐらいの
城をいきなりエースなんて
プレッシャーがかかりすぎるって
意味でチームマネジメントとして失敗だ
カズを使わないにしてもフランスに
つれていくべきだったね
名波とかすら当時そういうほんとの
プレッシャーを経験してたのはカズさん
だけでカズさんがいたらもっと
チームをおちつかせてくれたかもしれない
とか言ってたぐらいで
カズは他の選手避難したことは全然ないよ
ラモスとごっちゃにするなよwwww
なんの確証もないのに悪くとも「1勝1敗1引き分け」できるという空気がクソだった。
>>34
変な感じだったね
あの当時、普通に考えたら惨敗だと思うけどまわりはなんか勝てる勝てるみたいな雰囲気になってたし ガムよりも決定機外してヘラヘラしてるのがムカついたんだろw
一人のお兄さんにペットボトルの水を軽くかけられただけだろ
大げさな
キャリア初期はよくゴール後に前宙してたけど
打点低くてすごくダサかった
>>35
自分たちは出場する事も出来なかったくせに、ピッチに立っている選手を
こき下ろしまくったラモスとかも相当おかしかった。
後から謝罪した選手ってラモスだろ。 >>35
ただちゃんとほんとにアルゼンチンには1ー0で
クロアチアには惜しい決定機も作って
1ー0で惨敗じゃなかったんだけどねえ
やる前から勝てる勝てる言ってたジャマイカに
負けたのが惨敗って空気になっちゃったかな
ジャマイカにさえ勝ってれば今回はまあ
初出場だしこんなものだろうって冷静に
なれたんじゃないかと
クロアチアも結局三位までいったチームだし 外しといてガムクチャクチャしながらニヤニヤ、ヘラヘラしてるお前が悪い
城は水かけられて当然
最近は減ってはきたが、外してニヤニヤはマジで腹立つわ
>>30
本田はそれを乗り越え結果出したが、
あの大会、鬱キノコを外してたら
それでまたウジウジ言って結果変わってたかもな 城の功績
ジョホールバルの歓喜(対イラン戦)の後半に相手GKと交錯。
GKは城とゴールポストに挟まれて負傷。イランの交代枠は使い切っており、GKは負傷したまま試合続行。
これが岡野のVゴールの遠因になった。
水掛けたヤツは基地外。日本人も感情のコントロール出来ないチョンみたいなのが一定数居るんだよな
この水をかけた奴、松本人志に街で偶然会った時に「城に水をかけたの俺なんすよ」とか言ってたらしいね
松本が気持ち悪がってた
セルジオがブラジルデワーってサポが厳しくしないと的な事煽ってたしな
長沼解任騒動とかとにかく荒ぶるのがサポだと思ってるヤツ多かった
アサヒくんも半グレ界隈の人だしね
>>10
普通陸上選手とかサッカー選手とかはこんな感じになると思うけどなぁ
ずっとキープしてる人本当に凄いと思うわw 岡ちゃんがカズを外して失敗した、と言っていた理由だわな
岡ちゃん自身は選手時代寝坊して公式戦に遅刻するようなのだったみたいだし
まさかこれほどプレッシャーがかかることになるとは思わなかっただろうて
97年の最終予選や98年のフリューゲルス消滅の時の椅子投げやガラス扉ぶち割るって今思うとスゲー時代
>>30
22人に選ばなくてもカズと北澤はフランスに残すつもりだった >>22 >>45
代表のサポって日韓ワールドカップの時に韓国を応援しよう!ってやってたんだよね
韓国サポと交流とかもがんばってものすごーく親韓な人達だったの >>54
98年のとき韓国ホームで予選戦ったときは
韓国はすでに出場決めてたから
韓国サポーターがいっしょにワールドカップ
出ようなんてプラカードだしてたからなあ
韓国も手加減して日本は勝てた
あの空気は今だとないかもなあ >>53
残すつもりって22人に入ってないんじゃ
ベンチ入りできねーんじゃね
ベンチにもいないんじゃ意味なくね ニヤニヤも緊張をほぐすためのものだったんだよな
まぁムカつくけどw
>>55
あれから02年を経て今や酷いもんだな
02年もマスゴミは必死に親韓煽るんだけど、実際に日本が勝つと
ブーイングが起きてたりして、次第に化けの皮がはがれていくあたり
面白かったなあ。
同じアジアの国を応援しようって空気が気持ち悪かった。 この前ホームのイラク戦まさかの引き分けで
オーストラリアかサウジに勝たなきゃ予選突破出来ないって状況に追い込まれてたけど
97年フランス予選のときはホームのUAE戦でまさかの引き分けで
残り2戦でアウェーの韓国戦残してるのに自力突破の目が無くなった
このときは一部のサポか暴徒化してバス取り囲んでパイプ椅子飛んだりしてたもんな
ガムかむと精神状態落ち着く言うけど、でもそんな行為世界でもメジャーじゃないよな
だからなに?って感じ
こいつその経験生かして選手の批評に人と違うもんがあるとかもないし
自分が楽になったで終わってんじゃん
お前そんな経験してるのになんで
あんな早く衰えたんだよ
>>53
現役バリバリの選手が
お前ベンチにも入れないけど雑用で残ってくれや
って言われて残るはずねぇだろ クロアチアとかいたし、GL突破は絶対無理だと思ってた
ただ、ジャマイカには勝つだろう、これで韓国より先にワールドカップ1勝だなって確信してたんだが
当時はキャプつばでサッカー知った世代が中心だったからまさか日本のサッカー界が
わけのわからん宗教心でボールこねこね主義の育成をしてて使えるフォワードなんて
存在しなかったなんて事誰も知らなかったからな
精細欠いた城を3戦連続スタメン起用した岡田が悪い
少なくとも3戦目はロペススタメンにすべきだった
名将なら2戦目の時点で城は切ってた
さすがに3戦目も城スタメンは呆れた
ラモスがテレビで煽ってたからなw
ガム噛んでニヤニヤしてんじゃねーって
城はマスコミに言われるならともかく
同じサッカー選手に言われたのは悲しかったとか言ってたけ
そんな城さんが愛用しているのがスレンダートーン(´・ω・`)
>>62
確かメジャー(野球の)経由のリラックス法だった気がする
サッカーのトップ選手もテニス等の他のスポーツの選手もあんま見ないから
野球独特のものになってる感あるね
ゴルフでもあんま見ない感じだし
無理矢理笑顔作って身体から精神に作用させるメンタル管理は定着してる感あるけど 当時23歳くらいの若さのだった城には重荷すぎた
カズは98年の時点でスピードは完全に衰えてたけどシュート技術は
あったのでメンバー入れとくべきだった
>>55
あの時はまさか日韓関係がこんな変な風になるとは微塵も思わなかった 安室が無様に引退だからって、浜崎に嫉妬している安室ヲタが異常過ぎる
浜崎総売上5000万枚
安室総売上3000万枚
浜崎1位獲得数37曲
安室1位獲得数11曲
↑
これに加えて浜崎には作詞作曲実績がある(浜崎は5000万枚の売上の全てで作詞しているし作曲でもミリオン複数)
更には安室の引退
これだけ差があって安室が勝ってると思い込める負け犬安室ヲタって頭おかしい
どう見ても浜崎の完全勝利
安室は作詞も作曲もしてないアイドルにすぎなかったから保たなかっただけでしょ
安室には浜崎の作詞作曲実績のような確固たる実績が無かった
引退すればそこでキャリアが終わるんだから敗北でしかない
聖子や明菜ですら、まだ引退してなくて定期的に新曲を発表し続けているのだから
引退するという事はなんらかの要因で「保たなかった」という事なのだから
劣化や落ち目にビビって引退するような奴はスターの器では無い
安室って20年後はCAN YOU CELEBRATE?の一発屋として認識されてそうw
去る者は日々に疎し
今はまだ引退ブースト中だけど、しだいに現役で活躍中の歌手たちの話題に塗り替えられていくんだから、
引退は敗北でしかないんだよ
芸能界はしょせん、椅子取りゲーム
百恵みたいな神格化を狙っているんだとしたら、ハッキリ言って無理
百恵の神格化は特殊なケース
あれは当時はテレビが圧倒的な影響力を持っていたから可能だったんだよ、今はネット時代で方向性が多様な時代だから、ああいう洗脳は通用しない
あと安室自身、もうテレビに出てないし
安室みたいに17歳でSEXが「ごぶさた」なんて言ったり、子供を日本に残して、淳とSEX旅行に行くような淫乱ビッチが神格化するわけないだろ
本来、安室という女は日本人が好むタイプの女ではない
バックが強いから、そういう声をかき消すくらいのゴリ押ししていただけ
安室の引退は敗北だよ
結局、安室はなにか表現したいことがあるアーティストじゃなくて作詞も作曲もしてないアイドルだったという事
なにか表現したい事のあるアーティストだったら絶対に引退なんてしない
引退するのはアイドルだけ
この浜崎の新曲が143位ってデマ流している芸能記者は
二田一比古っていう安室の本書いた奴なの
安室サイドが浜崎のネガキャンしてるの丸わかりwwwwww
安室サイド、やり方が卑怯すぎた
引退発表後も「引退するけど浜崎には負けてないぃぃぃ!」
みたいな記事連発してるのみっともないよw
なぜ浜崎が勝利し、安室は無様に惨敗したのか [無断転載禁止]©2ch.net
http://medaka.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1494706554/ フランスの城は
オーバヘッドシュート と 右足のボレー の2プレーしか印象に残ってない。
そんなに動きは悪くなかった。
97年の最終予選とか雰囲気殺伐としすぎてやばかったな
「このまま帰るか、練習に行くか?」
迎えにきたマリノスのスタッフにそう聞かれた。
「練習に行くよ」
城は即答した。
このまま自宅に戻っても、精神的に落ち着くのは難しい。だったら、練習をして汗を流して帰宅したほうがすっきりする。そう決心すると、痛みが残る右膝をかばいながら練習メニューをこなした。
自宅に帰ってテレビを見ると
↑
結局、そのまま自宅に帰ってるじゃねーかこの馬鹿
スーパーサッカーの総集編思い出すなぁ
サザンの希望の轍BGMにしたやつ