7年在籍したシャルケに別れを告げ、内田篤人は再出発の地をベルリンに選んだ。「また日本代表でプレーしたい」という想いを胸に、ドイツ2部からロシアを目指す戦いが始まった。
昨年12月にわずかな時間ながら実戦復帰を果たした内田は、シャルケで本格復帰を目指した。しかし、ライバルのコケが復帰したことで、最後まで出場機会を得られず。新たなシーズンが始まり、ドメニコ・テデスコ新監督の下でチャンスを伺ったが、プレシーズンでは初戦こそ右サイドでプレーしたものの、その後は主に左サイドで起用された。当初は異なるポジションで適性を見ていると解釈することもできたが、開幕直前になってもその立場が変わらず。そしてテデスコ監督から、ほとんど出場機会を得られる見込みはないと告げられると移籍を決意した。
シャルケも内田の意思を最大限に尊重した。マネージャーのクリスティアン・ハイデル氏は「シャルケの方からウチダを追い出すことはしない」と戦力外による人員整理ではないことを強調し、移籍先を探すために契約についてもできる限りのことをした。
内田の移籍が発表されると、ハイデル氏は「この決断は難しいものだったが、彼から継続的にプレーするチャンスを奪いたくなかった。シャルケは、いつも100%を捧げてくれた内田に心から感謝している。アルテン・フェルステライ(ウニオンの本拠地)での成功を心から願っている」と声明を発表した。昨季シャルケにやってきたばかりのハイデル氏と内田の付き合いはたった1年に過ぎないということを考えれば、いかに手厚い扱いを受けたが分かる。
移籍先を探すにあたって、かつてシャルケで内田を指導したイェンス・ケラー監督率いるウニオン・ベルリンが候補になるのは当然の流れだった。シャルケでは内田を信頼し、使い続けてくれた監督だ。2部とリーグのカテゴリーは落ちるが、実質2年以上も実戦から遠ざかっている内田にとって何よりも重要なのは、出場機会を得ること。ブンデス1部の経験はないウニオンだが、近年は毎年のように昇格争いに食い込んでいる。昨季は本腰を入れてクラブ史上初の1部昇格に乗り出すべく、イェンス・ケラー監督を招聘して4位に食い込んでみせた。他クラブからラブコールが届くことは考えづらく、内田にとって最善の選択肢だった。
当然、地元メディアも“ケラー監督が移籍の決め手になったのか?”ということに興味を持ったが、「もちろんシャルケで一緒にやっていて、プレースタイルとか性格を分かってもらっているのはありがたいけど、監督だけでここに来たわけではない」と答えた。
すでに再会の挨拶は済ませたのだろうが、練習場でお互いが特別に気に掛けることはない。もちろん練習で必要なコミュニケーションは取るし、練習後に他の選手とともに雑談に加わったりもする。しかし、もし2人が親しげな様子を見せていたら、他の選手は快く思わないだろう。必要以上に慣れあわない2人の態度からは、プロ精神を感じさせた。
「ファンとスタジアムが熱いというのは聞いていた」と内田はウニオンに決めた理由の一つとファンとスタジアムを挙げた。収容人数2万2千人のうちメインスタンド以外の1万8千席が立見席の本拠地アルテン・フェルステライは熱狂的なことで知られる。2008年から13年まで行われた改修では、2000人以上のファンが無償で参加して350万ユーロ(約4億5000万円)という費用を賄った。
今季末までという契約期間の短さから、入団会見では将来的な日本復帰の可能性について問われると、「素敵なファンと素敵なスタジアムがあれば、僕はどこでもいいかなと思っています」と答えた。6万人が集まるシャルケに、数では適わないウニオンだが、その熱さは全く見劣りしない。ウニオンの熱狂的なファンは、内田にも熱狂的な声援を送るはずだ。その想いに応え、内田はウニオンのファンを虜にできることができるだろうか。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170830-00000002-goal-socc
昨年12月にわずかな時間ながら実戦復帰を果たした内田は、シャルケで本格復帰を目指した。しかし、ライバルのコケが復帰したことで、最後まで出場機会を得られず。新たなシーズンが始まり、ドメニコ・テデスコ新監督の下でチャンスを伺ったが、プレシーズンでは初戦こそ右サイドでプレーしたものの、その後は主に左サイドで起用された。当初は異なるポジションで適性を見ていると解釈することもできたが、開幕直前になってもその立場が変わらず。そしてテデスコ監督から、ほとんど出場機会を得られる見込みはないと告げられると移籍を決意した。
シャルケも内田の意思を最大限に尊重した。マネージャーのクリスティアン・ハイデル氏は「シャルケの方からウチダを追い出すことはしない」と戦力外による人員整理ではないことを強調し、移籍先を探すために契約についてもできる限りのことをした。
内田の移籍が発表されると、ハイデル氏は「この決断は難しいものだったが、彼から継続的にプレーするチャンスを奪いたくなかった。シャルケは、いつも100%を捧げてくれた内田に心から感謝している。アルテン・フェルステライ(ウニオンの本拠地)での成功を心から願っている」と声明を発表した。昨季シャルケにやってきたばかりのハイデル氏と内田の付き合いはたった1年に過ぎないということを考えれば、いかに手厚い扱いを受けたが分かる。
移籍先を探すにあたって、かつてシャルケで内田を指導したイェンス・ケラー監督率いるウニオン・ベルリンが候補になるのは当然の流れだった。シャルケでは内田を信頼し、使い続けてくれた監督だ。2部とリーグのカテゴリーは落ちるが、実質2年以上も実戦から遠ざかっている内田にとって何よりも重要なのは、出場機会を得ること。ブンデス1部の経験はないウニオンだが、近年は毎年のように昇格争いに食い込んでいる。昨季は本腰を入れてクラブ史上初の1部昇格に乗り出すべく、イェンス・ケラー監督を招聘して4位に食い込んでみせた。他クラブからラブコールが届くことは考えづらく、内田にとって最善の選択肢だった。
当然、地元メディアも“ケラー監督が移籍の決め手になったのか?”ということに興味を持ったが、「もちろんシャルケで一緒にやっていて、プレースタイルとか性格を分かってもらっているのはありがたいけど、監督だけでここに来たわけではない」と答えた。
すでに再会の挨拶は済ませたのだろうが、練習場でお互いが特別に気に掛けることはない。もちろん練習で必要なコミュニケーションは取るし、練習後に他の選手とともに雑談に加わったりもする。しかし、もし2人が親しげな様子を見せていたら、他の選手は快く思わないだろう。必要以上に慣れあわない2人の態度からは、プロ精神を感じさせた。
「ファンとスタジアムが熱いというのは聞いていた」と内田はウニオンに決めた理由の一つとファンとスタジアムを挙げた。収容人数2万2千人のうちメインスタンド以外の1万8千席が立見席の本拠地アルテン・フェルステライは熱狂的なことで知られる。2008年から13年まで行われた改修では、2000人以上のファンが無償で参加して350万ユーロ(約4億5000万円)という費用を賄った。
今季末までという契約期間の短さから、入団会見では将来的な日本復帰の可能性について問われると、「素敵なファンと素敵なスタジアムがあれば、僕はどこでもいいかなと思っています」と答えた。6万人が集まるシャルケに、数では適わないウニオンだが、その熱さは全く見劣りしない。ウニオンの熱狂的なファンは、内田にも熱狂的な声援を送るはずだ。その想いに応え、内田はウニオンのファンを虜にできることができるだろうか。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170830-00000002-goal-socc