25年目のシーズンを迎えたJリーグ。今季はスカパー!を中心としたテレビ視聴からDAZN(ダ・ゾーン)が展開するネット配信視聴へと移行し、リーグ戦も1シーズン制が復活するなど、大きな変化があるワールドカップ前年のシーズンを戦っている。
『サッカーキング』ではJリーグ、各クラブを愛すると公言する人たちに、その魅力や観戦術などを聞く不定期連載をスタート。改めてJリーグの魅力について聞いていく。
第2回は北海道を中心に活動し、自身が企画を担当した番組『水曜どうでしょう』では“ミスター”の愛称で親しまれた鈴井貴之さん。同番組内でも度々サッカーのユニフォームやジャージを着用するなど、サッカー好きと知られ、北海道コンサドーレ札幌の熱心なサポーターでもあるということで、自身が作・演出を手掛けるプロジェクト『OOPARTS』の舞台『天国への階段』全国ツアーの合間にうかがい、サッカーの魅力について聞いた。
インタビュー=小松春生
写真=波多野匠
【Jリーグと私】鈴井貴之(俳優)〜地元・北海道とサッカーへのあふれる愛〜
[写真]=波多野匠
■サッカーの魅力は“不自由さ”
―――最初に、鈴井さんとサッカーの出会いからおうかがいします。サッカーは子どもの頃にプレーされていたとのことで。
鈴井貴之(以下、鈴井) やっていたと言っても、そんなに本格的ではないですよ。小学生から始めて、高校1年生の途中くらいまでやっていました。
―――始められたきっかけは何でしょう?
鈴井 僕もはっきりとは、わからないですけど、小学2年生の時、近所に住んでいる大学生にずっと教えてもらっていたみたいで。北海道のド田舎で暮らしていたので、当時はチームも無かったですからね。僕の年齢(現在55歳)だと、子どもの頃はサッカーがメジャーな競技でもありませんでした。『キャプテン翼』(1981年連載開始)も登場する前ですから、“ボールは友達”ではなかったんですよ(笑)。
どちらかというと『飛び出せ!青春』(1972年放映開始)というドラマがあって、不良が集まるサッカー部の話だったんです。だから“サッカー部=不良”で、中学生の頃なんかサッカー部は全員不良。入部したての時はもちろん真剣にやりたかったんですけど、3年生が全員不良で、1年生はただひたすら走らされる。しごかれるだけのサッカー部で、1人抜け2人抜け…という感じでした。田舎だったということで、当時しっかりとした指導者がいないような環境でしたから。自分自身がちゃんとプレーをしていたと言える経歴や経験はないです。そもそも、どうしてサッカーに興味を持ったのかは謎ですね。
―――やっているうちに楽しさに気づいていった、というところでしょうか。
鈴井 そうですね。あとは、僕が6歳の時に1968年のメキシコ・オリンピックが開催されて、釜本(邦茂)選手の活躍もあって日本が銅メダルを取り、サッカーが一気に脚光を浴びた瞬間がありました。それは幼心に感じたのかもしれません。
―――子どもながらに感じていたサッカーの魅力は何だったのでしょうか?
鈴井 “不自由”であるということですね。「なんで手を使ってはダメなんだろう」と。生活の中では手を使うことがメインですが、そのメインを使ってはいけないという理不尽さはなんだろうとすごく興味が湧きました。そもそも小さい頃から天邪鬼な性格だったものですから。「手を使ったらファール?」、「反則なの?」ということは、まず面白みとして感じました。