「いま、部落問題を語る」の出版を目指している山本栄子さん=京都市北区で2018年9月21日、南陽子撮影
山本栄子さんが半生を紹介した「歩−−識字を求め、部落差別と闘いつづける」書影
京都市内の被差別部落に生まれ育ち、子育てをしながら識字教室で学び、部落問題への理解を深めた山本栄子さん(87)=同市中京区=が、対話集「いま、部落問題を語る」(仮題)の出版を進めている。次世代に語り継ぐのが狙いで、子育て中の若い部落出身の女性や研究者らと対話を重ねた。「部落のことを多くの人に知ってほしい」と、インターネットのクラウドファンディング(CF)で120万円を募り、来年8月の刊行を目指す。
山本さんは2012年、半生を振り返る著書「歩(あゆむ)−−識字を求め、部落差別と闘いつづける」(解放出版社)を刊行。尋常小学校で教師からも露骨な差別を受けた少女が部落解放運動と出会い、字を学んで調理師資格と職を得、退職後の60代になって中高、大学へ進んだ軌跡は大きな反響を呼び、各地に講演に招かれた。
その後、講演先などで交流を深めた人たちの思いを形にしたいと決意。前著の編者である静岡大准教授(差別・マイノリティー研究)の山本崇記(たかのり)さん(38)の後押しもあり、八つの対話をまとめた。
孫の世代の大阪市出身の川崎那恵(ともえ)さん(35)とは、生い立ちと向き合うようになったきっかけ、育児をしながら我が子に部落問題をどう伝えるかをテーマに対談。大阪市立大人権問題研究センターの阿久澤麻理子教授(教育社会学)には、学校の人権教育に欠けている視点やヘイトスピーチの背景を聞いた。京都府福知山市の女性たちとは識字教室の現状、東京大東洋文化研究所の池亀彩准教授(社会人類学)とはアジアの歴史に見る被差別部落が主題となった。
山本さんは「今もインターネットなどで部落を差別する言動は続いている。部落とはどういうものなのか、本当のことを知ってもらうきっかけになれば」と思いを込める。東京都内の出版社「生活書院」から発行予定。CF(https://motion-gallery.net/projects/suiheisya100_eikoyamamoto)による募金は来年1月7日まで。【南陽子】
毎日新聞 2018年10月15日 08時00分
https://mainichi.jp/articles/20181015/k00/00m/040/118000c
毎日新聞 2018年10月15日 大阪朝刊
https://mainichi.jp/articles/20181015/ddn/041/040/008000c もうそんな時代じゃねーだろ。俺の周りで被差別なんて知ってる奴ほとんどいねーよ。
だいたい、気が付いたらどうやら甥っ子の嫁はんはそこの出身らしいが、
結婚するまで誰も知らなかったし、あーそーなの、そういう時代もあったよね、だ。
「本当の」=「自分に都合のよい」
悲惨な人生であったのだろうが、人権という宗教概念を利用した差別の行商人は嫌がられるだろうね。
>>2
そもそも自分が被差別部落の出身ではないと言い切ることすら出来ないくらいわからない、
知らない人がほとんどだろうね。
曽祖父母をすべて知っている人なんてほとんどいないだろうね。 うちの町内運動会では「部落対抗リレー」とか普通にあったな
関西から来た人が居たら卒倒しただろう
部落とか同胞とか本来の意味を離れて胡散臭いイメージしかない
部落差別は古すぎ。今はアイヌ利権ですよ
人権は金になりまする
差別が無くなったら
食い扶持も無くなるからねぇ・・・(´・ω・`)
誰も差別なんてしないでしょ。
わざわざ脅したり、虐待してまで差別させなくてもw
ケンカをしたくて有り余っているみただと判断されているんだから、
強い相手にかかっていってください。
そうすれば差別の原因が一つ減りますよ。
折伏大行進のときに創価に取り込まれた連中が問題なくらいで、
部落そのものは問題視してないよ。
国から差別解消のための援助受けてなかった?
なんでクラウド?
>>15
教育の不備を補うために、税金投入するのはありうるが
公益出版ではあく、個人の出版物のために、税金を投入する事は通常ありえない。 セコいよね
援助受けててお金貯めてなかったのかな?
慰安婦みたいな顔してる
朝鮮部落だったりする?
>>8
うちの町では未だに何々部落と言うよ 鋸南町だけどw 87歳のババアがクラウドファンディングで出版
後ろに主犯の誰かがいなけりゃ無理
その手の団体と少し接触したことがあるけれど
被害妄想で差別差別言ってる人が多いという印象を受けた
キジも鳴かずば撃たれまい。
解放同盟が騒ぐから差別が終息しない。
ババアも静かに死ねばいいのに自分の怨念に固執しやがって
これだけボーダレスというか、移住移動時代なのに
いまどき部落とかw もうその地域とかマンションとか建ってるよ
京大のなんとか寮って、部落みたいだけど。まああそこも取り壊しするみたいやけど
ケガをしない交通事故のやり方とか教えてくれるのかな?
差別などされてないでしょ。利権追求する姿に呆れられてるだけ。
今どき村差別wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
被差別部落等がせっかく風化しているのに…
お上からカネせびれなくなるからほじくり返してんのか
いつまでもしつこく差別差別言ってるから差別が続いてしまうということはないですか?
図書館で誰も見ない無駄な蔵書となるべく
パヨパヨの司書に支えられて出版されるのであった
>>2
西日本特に関西では消えられると困る団体が必死になってる 学校も行けて資格も取れて87歳になるまで平和に生きてる
日本に「社会的差別」はないって良い証拠だな
大橋巨泉?
しかし彼も民主党で当選したのにすぐ議員辞職した
マスコミは理由も掘り下げず黙殺したと記憶している
>>8
それって意味が違うと思うよ
過去からのただの行政上の区分けでしょう クラウドファンディングなど、自分の子供をみんなで救う会といった活動を平気でやってる人たちには、とても多いよ
>>22
別に制度にはなっていないけどな。
自然発生したところにまた人間の根源的な問題がある。
人間の原罪。
解決のための支援を、解決後も得つづけようとする欲もまた、人間の原罪。 正直今の時代、差別されるのは、貧困層だよ。非正規とか。
次はブサイク。
終息させたくないという利権集団の強い思いだけが伝わるわ
>>39
もともと部落差別の部落も言葉として同じ意味だろ
部落が差別用語になったのは差別解消する運動が
部落開放って名前に部落って言葉を冠につけたせい
違う言葉にしてれば今頃は普通に部落って言えた 奈良市環境清美部収集課の男性職員(42)(懲戒免職)が病気を
理由に5年間で8日しか出勤していなかった問題が明るみに出たことで
部落解放同盟には「部落解放同盟に入って部落民になりたい」
という若者からの問い合わせが殺到しているようだ。
これについて部落解放同盟の幹部は「部落民というのは希望してなれる
ものではなく、先祖から受け継いだものだ。」と回答しているが、
若者からは「先祖が部落民でないからといって部落民になれないのはおかしい。
部落解放同盟は希望者が全員部落民になれるような社会制度を目指すべき。
不当な差別は即刻やめるべき。」として、希望を受け入れない幹部に反発している模様である。
差別だ!差別だ!でお気楽な暮らしができた最後の世代と思いたい
>>48
無くなったら困る人がいるから火を消したらまずいんだろうね
まあ役場や市役所でそういう枠があるって聞くけど今やそれ以外で何かメリットあるのかね? ありもしない差別で利権めざしてるのかい?資産日本一の柳井、世界をまたにかけている経済学者の竹中、オリンピックメダリストの北島、芸能界、スポーツ界に溢れんばかりの人材がいる。なにが差別でしょうか?
こんな年をとっても組織の利権維持に利用されるわけか
もうそっとしてやれよと思うわ 周りの人間は罪深いな
>部落のことを多くの人に知ってほしい
決して「無くそう」とは言わない。
関東にはないってか…そっから東全部がその扱いで最前線。
地元の川のそばに、変な形で囲われて、細い出口が一箇所しかない地域があって、昔から不思議に思っていたが、
最近手に入れた資料で、その周辺がかつての被差別部落であったろうと推測できた。
ただ、今更そんなこと言う奴も覚えてる奴もおらず、聞いたこともない。今更口にする気もない。
こんなもん語り継ぐ必要はない。統計の数字にして資料の山に埋もれさせ、歴史の闇に放り込んでしまえ。
.
山本さんは 今もインターネットなどで部落を差別する言動を続けている。
毎日新聞は 今も歴史,文化,伝統などで部落を差別する言動を続けている。
山本さんは毎日新聞は 今も嘘を言って続けている。事実と云う嘘である。
嘘のことを知ってもらうきっかけになれば逆差別とはどういうものなのか
.....................................迷惑です。お天道様は見ている。
なんで京都府部落解放センター1Fに
精神科クリニックが入っているのですか?
本を書くのは自由だが120万円も必要無いだろ。
多少豪華な同人誌でも10分の1で済むし、それを地元の図書館にでも置いてもらえばいい話
>>1
部落利権を失いたくなくて必死なんですね。
部落なんて知らない若者も多いし話題にも上らないし未だに何言ってるの?
利権は美味しいですか?
朝鮮人と同様ヘイトビジネスは儲かりますからね 別に部落関係なく、年寄りってこういう自分語りの本を作りたがる人が多いんだよな。
そんなクッソつまらない本なんて普通の人は誰も読まないというのに
この人と同い年のうちの爺さんは、カタカナしか書けないぞ、
戦時中だったから、働くしかなかったんだよ
吉本興業のフジモン寝屋川のぶ○○
嫁在日ユッキー○
鶴○べー 八尾のぶ○○
大阪で有名です
読み書きを奪われて 識字運動に挑んだ山本栄子さん(上) 対談本出版目指しクラウドで資金募る
https://www.kyoto-np.co.jp/local/article/20181012000043
駅の券売機で目的地がどれか読めず、駅員に読み書きができないとは恥ずかしくて言えず、
仕方なくタクシーを呼ぶか、外出を控えるという人に会ったことがある。
役所の届け出用紙の空欄も書くことができない。街は文字にあふれている。
読み書きできない日本人は少なからずいるのに、その存在に気付かない圧倒的大多数に囲まれて声を上げられず、
ひっそりと、つらさを押し殺して暮らす。「字を読めない、書けない。こんな苦しい生活はないですよ」。
山本さんは1931年、京都市中京区で生まれた。
戦前の被差別部落は劣悪な住宅で貧しい暮らしを強いられていた。山本さんの母も小学校は1年ほどしか通えていない。
山本さんは小学校(当時は国民学校)で教師から「部落の子」と言われ、教科書もなく満足に通えずに育った。
「家には水道がなくて共同水道だったから、子どもの頃から水汲みをしたり、
わら草履を編むのを手伝ったり。おばあちゃんは一日も学校へ行っていない」。
同じ被差別部落出身の同級生は子守りに追われ、幼い兄弟を小学校に連れてきて教師に叱られていた。
町内はどの家も貧しく、子どもたちは学校へ通えず、字の読み書きを知らない親たちの中で育った。
戦争中の1942年、11歳から町工場で働いた。
20人ばかりの職場だったが、「あの子は部落やから近づかへん方がいい」と陰で言われているのを、山本さんは聞いた。
同僚がわざと、書類などを山本さんに回してくる。まごつく山本さん。同僚は「この子、字知らへんわ」と言った。
「陰湿でした。文字を取り戻さないと、取り返さないと。そう思いました。
でも、家族や地域に学校行っていた人なんていないし、やり方が分からない。
紙くずから広告のチラシを拾って裏に字を書いてみたりもしたけれど、ひとりで字の読み書きを練習しても進まないんです」
敗戦後の貧しさから日本が急速に復興していっても、山本さんや被差別部落の若者は取り残されていた。
1952年の京都市不良住宅実態調査報告書を読むと、山本さんが暮らした地区では一人当たり1・5畳という狭い住宅で半数近くが暮らし、
水くみで1日14〜15回共同水栓と往復する主婦が2割。雨の日は未舗装のぬかるみを、水を抱え往復しなくてはならない。
「おしめを使う子がいるので遠い水栓まで行くのがやりきれない」との声が記録されている。台所のない家もあった。
山本さんも日雇いで暮らした。「ああ、私らはできひんとか、あきらめが先に立つことが多かったわね」
27歳で同和地区出身の男性と結婚、子育てに追われるなかで60年代に転機があった。
部落解放運動の若者たちが山本さんの暮らす同和地域で開く集会や学習会に顔を出すように。
この苦しい生活、回りの人から言われる悔しさ、何が部落差別を生んでいるのか、小さな頃から疑問に思っていたことを、解放運動が教えてくれた。
「学校は行かなあかんで、勉強せなあかんで、と息子に言う。でもそれしか言えなかった。
中学に行ったらどうなるか、高校生活ってどんなんか、私は言えない。私には学校行った経験がないから」
同じ地域の育児世代の母親たちとの井戸端会議。ある母親が悩んでいた。
「子どもが学校で渡されたプリント持って帰っても、私は読めないから」。
内容が分からないまま適当に持たすと、子どもは泣いて帰ってきた。教師に「何持ってきたんや」と怒られたという。
「字知らんのはあなただけちゃうわ。文字、習おう」と山本さん。
1971年、小学校に何度も通って教師に頼み込み、被差別部落の人たち向けに週1回、夜に字を教えに来てくれることになった。
会場は山本さんの自宅。最初は女性たち5〜6人が通ってきた。
「ひらがなから始めて、小学1年の漢字から習ったん。ふだん生活する中で悔しいことを『先生、聞いて』と言える場でもあった。
教師も被差別部落の地域事情を学んでいった」
「識字教室で、年賀状を出すことになってね。(被差別部落では)年賀状出す習慣なんかないやん、もらったこともないし、出したこともないし。
『あけましておめでとうございます』、一生懸命練習して。識字の仲間と顔会わせたら、年賀状来たか? まだか?って言い合って。
うれしかったよ、初めて着いた年賀状、あけましておめでとうございますって」 読み書きを奪われて 識字運動に挑んだ山本栄子さん(下) 対談本出版目指しクラウドで資金募る
https://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20181012000052
部落差別で小学校に満足に通えなかったため読み書きができず、
40歳で自ら識字教室を立ち上げ、学び続け、実名で部落差別と闘ってきた山本栄子さん(87)。
京都市内の山本さんの暮らしてきた同和地域には、在日コリアンの人も多かった。
山本さんが声をかけ、学校に通ったことがない在日コリアンの女性も識字教室に参加した。
鉛筆を握ったことがなく、縦線や横線を書こうとしてもうまくいかず、鉛筆が手から滑り落ちてしまう。
汗びっしょりになって書いていた姿を山本さんは覚えている。
自主運動として始まった各地の識字教室は70年代、行政が同和行政の一環として隣保館で実施するようになっていく。
当時の識字教室で使われた教材のプリントを、京都部落問題研究資料センター(京都市北区)が所蔵している。
ひらがなの書き順から始まり、「百万遍(ひゃくまんべん)」「府庁前(ふちょうまえ)」「祇園(ぎおん)」など市電・バス停留所の読み方や、
自分の住所や市役所への届け出書類の書き方を学んだことが分かる。
言葉から連想することを書く設問では、「しごと・楽しい・失対・苦しい」とある。
失対とは、行政の失業対策で日雇い労働をすることの略語。
字が読めないと市民の身近な足である市バスに乗るのも難しく、
被差別部落の切実な生活ニーズに密着した言葉を、まず教材にしたことがうかがえる。
山本栄子さんは振り返る。
「年賀状のことだけをみても、どれほど遅れていたことか。
人前で恥をかくのを恐れたらなんもできひん。言葉は文字ですよ。
(被差別部落の)地域の中での会話は単語を並べて、イエスかノーかが多かった。
家族の会話みたいにそれでも地域の中では通じてしまう。語いが少なかった。
恥ずかしいから、みじめでも仕方がないと思っては何もできないです。
分からないことを分からないと、知らないことを知らないといえないと。
文字を取り戻すことは、自分を取り戻すこと。字を取り戻すことで自信がついていく」
識字教室の取り組みは、就労機会を求める運動へと育っていった。
字を書けるようになって、運転免許を取りたい。調理師やヘルパーの筆記試験に合格し、資格を取って働きたい。
山本さんは調理師の試験に42歳で合格、京都市内の小学校で給食調理員として働くようになった。
定年退職後の63歳で京都市立郁文中二部、夜間中学へ入学。
西京商業高定時制へ進学し、孫ほどの年齢の同級生たちと一緒に高校生活の「青春」を送った。
69歳で立命館大に入学。88歳の今も、習字などを学び続けている。
戦後5年が過ぎた頃の京都市内の被差別部落(1952年・京都市不良住宅実態調査報告書)
四畳半と狭く、劣悪な住環境を克明にスケッチした50年代の京都市内の被差別部落調査
成人してから文字の読み書きを習うために京都市が作成した「識字学級テキスト」。
小学校にも通えず識字率の低かった同和地域の実態に合わせて例文が考えられている
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AIの世代が今、始まっている。
弁護士、宗教家が今、終息してきている。自治労、日教組、勿論である
毎日新聞は 今も歴史,文化,伝統などを捏造偏見する言動を続けている。
毎日新聞メディアも終息してきている。勿論である
部落民は日本でなく発祥の地である特アで差別と戦わなければただの偽善でしかない。
勝手に強引に押しかけてきて出自を隠して嘘を付き日本人になりすましているだけだ。
背乗りして日本人の身元や財産を奪う特ア人と同類だ。
移民がわんさかくるのに同和はいつまで利権にあやかろうとしてんだ?
部落ってより親が貧乏だったからだろ…w
西光万吉らは自称部落民だが立派な文章書いてるじゃん
自称、なのが全ての嘘の始まりだけどね
全国の部落の人は西光の実家の寺についてよーく調べたらいい全ての嘘が明らかになるから
開放同盟とか同和教育とかが無かったら今頃は部落差別なんて無かったのに
騒ぐから余計な知識を与えてしまった
現在70歳以上は同和教育が無ければ部落問題は知らなかった
西宮市の甲陽学院高校 64回生 多田仁彦医師(阪大・医学部出身)
(大阪府和泉市 府中病院の麻酔科医長を解雇済み)が経営する
西宮市 苦楽園口駅近くのバーアルフェッカの電話番号→0798-71-5135
多田仁彦医師の携帯番号→
090-7109-1478
多田仁彦医師からの「殺人未遂事件」「殺人未遂事件」「殺人未遂事件」の
被害者で元宝塚ジェンヌ 入江美穂さんの携帯番号→
080-9124-0605
皆さんで殺人未遂事件の被害者 元宝塚ジェンヌの入江美穂さんを助けましょう!
子供の頃
大きな声を上げるのは差別をさらに増長するんじゃ?ほっとけば無くなるんじゃ?って謎に思ってたけど
大人になって
差別でご飯を食べてる人たちって知って納得したわww
別に本という形で表現しなくても良いんじゃね
ネット上のブログとして綴る形でもいい
もう本を出版しなきゃダメという時代でも無かろう
>>8
部落=同和、被差別部落と勘違いしている
奴ネットに多いよね、東北にも部落が多いとか笑わせる
後、団地を集合3、4、5階建てアパートと思っている奴、一戸建ての集合住宅街も団地なんだが >>17
マジレスしてやると
こういう場合援助されたお金をためるのは違法
使わなかった分は返還しなくてはならない
生活保護とかな、最近は事情によって多少の貯金はみとめられているがな 【自らを泉南最強の輩(笑)と名乗る元暴走族のハルシオン中毒で身の程知らず!wwwwwwwww
ただ単に悪知恵が働くだけの分際で自分は非常に頭がいいと豪語(笑)する
真性DQNのパワハラが生き甲斐(笑)の自己満足オナニード低悩クズデブキモ豚ゲス野郎(笑)
その人相はもはや麻原彰晃そのもの!!www『広岡雅史』(自称ゴンさん(笑))そのクソみてーな半生】
1983年 中学入学するも生意気だったので不良同級生に〆られる。以降3年間おとなしく過ごす
中学一年の時に2日間だけパンチパーマをかけたのが唯一の自慢
1986年 私立高校に入学するが、親分だった仲間が中退。自分も同級生からイジメに遭い中退、定時制高校に入りなおす
アイドルに憧れて劇団東俳に入れてもらうが芽がでない。ジャニーズの研修生になるも、2日で追い出される
1987年 同年代が丸くなり引退を考える17歳のとき、休眠暴走族のメンバーを名乗り活動をはじめる
1988年 18歳にて休眠暴走族の2代目総長を名乗り、年下に混じって30歳まで参加する
1989年 先輩に誘われ右翼活動を始めるも、1年経たずに逃げ出す
1990年 20歳で定時制高校の番長を気取り、更生してまじめに勉強したい生徒からひんしゅくを買う
地元暴力団に見習いで入るが、親と警察に泣きついてすぐに逃げ出す
1991年 21歳にしてヤンキー中学生が読むような雑誌に投稿。借りものの特攻服を着て現役暴走族を気取る
それ以降もメディアに出たくて仕方なく、昼の生放送番組の奇人変人コーナーに出演したりする
1992年 22歳にして6年かけて通った定時制高校を卒業
1993年 親に「もう23歳なんだから更生しろ」と怒られ横浜東口ポルタ宝石店「チャーミー田中」に就職。すぐにクビ
ホストクラブ「ナイトヨコハマ」入店。しかし1年もたない
女性二人と遊びに来ていた男に因縁をつけ監禁、脅迫で逮捕。雇われ店長をやっていたホストクラブも閉鎖
1994年 地元の有名先輩に頼み込んで、暴走族ビデオ「暴走列島94」に照明係として出演させてもらう
1995年 愚連隊会長を名乗るが1年もたない。その後も関西系暴力団の見習いになるが、親と警察に泣きつきまた逃げ出す
1996年 遂に才能がないのに気づき、芸能人になる夢をあきらめる
1997年 落ちこぼれを集めて政治結社(暴力団の下部組織)を結成。ヤクザを名乗り女性三人を監禁、強姦して逮捕
1999年 30歳にして暴走族の相談役を自称。タチワルを気取って地元の少年たちにちょっかいをかけるが返り討ちにあう
2002年 インターネット掲示板に目を付け、自作自演の売名活動を始めるが、誰にも興味をもたれず相手にされない
2004年 34歳のときに脅迫で新潟刑務所に入所する。「イビキがうるさい」と同居の受刑者にイジメられ独居房入り
2014年 44歳になっても未成年に手を出し淫行で逮捕される。罰金が払えず、身の回りの物を売りに出す
四日市市食肉センターから特定危険部位を持ち出したとして刑事告発されている川村幸康市議(40)が、
22日の市議会代表者会議で、議員活動を継続することを表明したことに、市議や問題を告発した市民からは
「明快な説明もないまま、議員にとどまると言われても納得できる訳がない」と反発が広がった。
同会議は、各会派の代表者ら8人が出席。川村市議は、所属する政友クラブからの要請を受ける形で
会議に出席して陳謝したものの、危険部位の持ち出しについては認めず、わずか数分で退出した。
代表者会議で川村市議の陳謝を聞いた加藤清助市議は「約3か月間、事実解明を求めてきたのに
何の音沙汰(おとさた)もなかった。しかも、『議会に復帰したい』と言うだけで説明もない。これ以上、
議会を休んでは市民の追及が厳しくなるからと勘ぐりたくもなる」と不信感を示した。
川村市議を窃盗と食品衛生法違反容疑で四日市南署に刑事告発した食肉会社社長の福原正幸さん(53)は
「自身の問題ついて釈明もできないのに、市議として何の働きができるのか」と憤りを見せていた。
ソース:読売新聞
三重・部落解放同盟幹部兼市議経営の焼肉屋でBSE特定危険部位販売
http://hamaguri-inspire.blogspot.jp/2013/06/blog-post_7.html 同和の逆差別で人生潰された。
来世、同じ苦しみを味わえ。
報いは必ずある。
「被差別部落解放運動」の「負の側面」も語り継がないとな。
>>1京都市北区で2018年9月21日、南陽子撮影
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山本さんは 今もインターネットなどで部落を差別する言動を続けている。
毎日新聞は 今も歴史,文化,伝統などで部落を差別する言動を続けている。
山本さんは毎日新聞は 今も嘘を言って続けている。事実と云う嘘である。
嘘のことを知ってもらうきっかけになれば逆差別とはどういうものなのか 山本さんは毎日新聞は 今も嘘を言って続けている。事実と云う嘘である。
嘘のことを知ってもらうきっかけになれば逆差別とはどういうものなのか
.....................................迷惑です。お天道様は見ている。
.....................................迷惑です。お天道様は見ている。
被差別部落の若者数名が遠く離れたA町の工場に就職しA町に住んだそうな。
それで話は終わるはずなのだが、
何故か自分たちで「差別」を言いはじめ、自分たちの住んでる地域を被差別部落に認定したそうだ。
昭和新部落の完成だ。
アホなのかこいつら。
A町=尼崎の某地域の話し。
BZは最初から最後までたかることしか考えてないんだよな
被差別共産主義のトップの連中なんて贅沢三昧してるんでしょ
断言して良い
差別を訴える部落民は全員、朝鮮人の日本人なりすまし
昔も今もずーとそう
日本人部落民はそもそも差別されてなかったし
部落差別の何が問題なの?生きてりゃ誰でも差別されるよ。
本人の意思ではどうにもならない事で差別されるのが問題なの?
じゃあ、部落以外の差別やいじめは本人に問題があるってこと?
東だと特定の職業以外はサヨや朝鮮人がなりすましエセ同和だろ
わざわざ新平民や穢多だと名乗りを上げる意味はない