http://www.sankei.com/west/news/171120/wst1711200002-n1.html
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「大丸京都店 祇園町家」が出店した京都・祇園で、大丸の創業300周年記念行事に参加したウサイン・ボルトさんや地元の子供たち=9月、京都市東山区
流通大手、J・フロントリテイリング傘下の百貨店「大丸」が今年で創業300年を迎えた。
江戸中期の享保2(1717)年に創業してから長らく大阪に本社を構え、文字通り「大阪の大丸」というイメージが強いが、実は京都が発祥の地だ。地元・京都を中心には創業300周年イベントが相次ぎ行われている。
歴史をひもとくと、天保8(1837)年、大坂で発生した大塩平八郎の乱で、大塩が「大丸は義商なり」と語り、店舗の焼き打ちを免れたエピソードも伝わる。
創業者が唱えた社是「先義後利」で幾多の苦難を乗り越え、今がある。
「世界最速の男」来日で祝福
石畳の上を国内外の観光客が行き交う京都・祇園の花見小路(京都市東山区)。今年9月、古い町家の前に大きな人だかりができた。
「世界最速の男」と呼ばれ、陸上男子100メートル、200メートルの世界記録保持者、ウサイン・ボルトさん(ジャマイカ)が8月の引退後、初めて来日し、突然姿を現したからだ。
これは大丸が実施した創業300周年の記念行事の一環。
この町家を借りて店舗にした「大丸京都店 祇園町家」で、スイスの高級腕時計ブランド「ウブロ」のオープニングイベントを開き、ボルトさんがウブロのPR役で出席したのだ。
この店舗から約1・5キロ離れた四条通沿いにある大丸京都店(京都市下京区)では同じ9月の週末、映画「ローマの休日」などで有名な世界的女優、故オードリー・ヘプバーンさんの孫で、女優・モデルのエマ・ファーラーさんが来日し、トークショーを開催した。
これも創業300周年を記念し、大丸の全国主要各店で開かれた「ヘプバーン展」の一環だった。
また、京都市内では今年1年間限定で、大丸のシンボル孔雀(クジャク)のマークを掲げたタクシー3台が走る。
大丸京都店で使用できる金券300円分のプレゼントもあり、乗車できれば「運がよい」(大丸関係者)という百貨店ならではの非日常≠フ楽しみも提供する。
「先義後利」最重視
大丸の歴史をひもとくと、創業は江戸中期の享保2年にさかのぼる。8代将軍、徳川吉宗の時代。業祖である下村彦右衛門正啓が、交通の要所だった京都・伏見に、呉服店「大文字屋」を開いた。
9年後の享保11年には、現在の心斎橋店(大阪市中央区)がある場所に大坂店を開業。その2年後には名古屋店を開き、ここで初めて「大丸屋」と名乗った。
寛保3(1743)年には、江戸・日本橋大伝馬町に江戸店を開業した。
こうしたなか、経営の考え方の軸となる言葉が大丸内に浸透する。元文元(1736)年、社是「先義後利」が全店に布告された。
この言葉は中国の儒学の祖の一人、筍子の「義を先にして利を後にする者は栄える」という言葉から引用されたもので、企業の利益はお客や社会への義を貫き、信頼を得ることもたらされるという意味がある。
現在は「お客さま第一主義」「社会貢献」という意味で経営に生かされている。
こうした社是が、経営の危機を救った。
中学生の歴史教科書で習う天保8(1837)年の大塩平八郎の乱。
飢饉(ききん)により全国各地で百姓一揆が起こる中、大坂でもコメ不足に陥り、大坂町奉行所の元与力、大塩平八郎らがコメ買い占めを図る豪商を襲う幕府への反乱だった。
平八郎は大丸に対しては「大丸は義商なり、犯すなかれ」と仲間に指示。大丸は店舗の焼き打ちを免れたと伝えられる。
大丸が「先義後利」の理念で、貧しい人に食事や古着などを提供するボランティア活動≠実践し、利益を社会に還元する取り組みが知られていたためだ。
(以下省略)
あの大塩平八郎も認めた「義商」 大丸創業300年、焼き討ちを回避させた「先義後利」の精神
産經新聞:2017.11.20 12:00更新
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「大丸京都店 祇園町家」が出店した京都・祇園で、大丸の創業300周年記念行事に参加したウサイン・ボルトさんや地元の子供たち=9月、京都市東山区
流通大手、J・フロントリテイリング傘下の百貨店「大丸」が今年で創業300年を迎えた。
江戸中期の享保2(1717)年に創業してから長らく大阪に本社を構え、文字通り「大阪の大丸」というイメージが強いが、実は京都が発祥の地だ。地元・京都を中心には創業300周年イベントが相次ぎ行われている。
歴史をひもとくと、天保8(1837)年、大坂で発生した大塩平八郎の乱で、大塩が「大丸は義商なり」と語り、店舗の焼き打ちを免れたエピソードも伝わる。
創業者が唱えた社是「先義後利」で幾多の苦難を乗り越え、今がある。
「世界最速の男」来日で祝福
石畳の上を国内外の観光客が行き交う京都・祇園の花見小路(京都市東山区)。今年9月、古い町家の前に大きな人だかりができた。
「世界最速の男」と呼ばれ、陸上男子100メートル、200メートルの世界記録保持者、ウサイン・ボルトさん(ジャマイカ)が8月の引退後、初めて来日し、突然姿を現したからだ。
これは大丸が実施した創業300周年の記念行事の一環。
この町家を借りて店舗にした「大丸京都店 祇園町家」で、スイスの高級腕時計ブランド「ウブロ」のオープニングイベントを開き、ボルトさんがウブロのPR役で出席したのだ。
この店舗から約1・5キロ離れた四条通沿いにある大丸京都店(京都市下京区)では同じ9月の週末、映画「ローマの休日」などで有名な世界的女優、故オードリー・ヘプバーンさんの孫で、女優・モデルのエマ・ファーラーさんが来日し、トークショーを開催した。
これも創業300周年を記念し、大丸の全国主要各店で開かれた「ヘプバーン展」の一環だった。
また、京都市内では今年1年間限定で、大丸のシンボル孔雀(クジャク)のマークを掲げたタクシー3台が走る。
大丸京都店で使用できる金券300円分のプレゼントもあり、乗車できれば「運がよい」(大丸関係者)という百貨店ならではの非日常≠フ楽しみも提供する。
「先義後利」最重視
大丸の歴史をひもとくと、創業は江戸中期の享保2年にさかのぼる。8代将軍、徳川吉宗の時代。業祖である下村彦右衛門正啓が、交通の要所だった京都・伏見に、呉服店「大文字屋」を開いた。
9年後の享保11年には、現在の心斎橋店(大阪市中央区)がある場所に大坂店を開業。その2年後には名古屋店を開き、ここで初めて「大丸屋」と名乗った。
寛保3(1743)年には、江戸・日本橋大伝馬町に江戸店を開業した。
こうしたなか、経営の考え方の軸となる言葉が大丸内に浸透する。元文元(1736)年、社是「先義後利」が全店に布告された。
この言葉は中国の儒学の祖の一人、筍子の「義を先にして利を後にする者は栄える」という言葉から引用されたもので、企業の利益はお客や社会への義を貫き、信頼を得ることもたらされるという意味がある。
現在は「お客さま第一主義」「社会貢献」という意味で経営に生かされている。
こうした社是が、経営の危機を救った。
中学生の歴史教科書で習う天保8(1837)年の大塩平八郎の乱。
飢饉(ききん)により全国各地で百姓一揆が起こる中、大坂でもコメ不足に陥り、大坂町奉行所の元与力、大塩平八郎らがコメ買い占めを図る豪商を襲う幕府への反乱だった。
平八郎は大丸に対しては「大丸は義商なり、犯すなかれ」と仲間に指示。大丸は店舗の焼き打ちを免れたと伝えられる。
大丸が「先義後利」の理念で、貧しい人に食事や古着などを提供するボランティア活動≠実践し、利益を社会に還元する取り組みが知られていたためだ。
(以下省略)
あの大塩平八郎も認めた「義商」 大丸創業300年、焼き討ちを回避させた「先義後利」の精神
産經新聞:2017.11.20 12:00更新