高知県立歴史民俗資料館(南国市)が公開を予定していた
土佐勤王党の盟主、武市半平太が文久3(1863)年の投獄直後に書いたとされる手紙をめぐり、
高知市の歴史研究家、松岡司さん(74)が「場所や時間など内容に矛盾がある」と反論していることが12日、分かった。
同館は検証した結果、27日からの展示を取りやめる。
手紙は知人の福岡藩士、平野国臣宛て。
個人が所有しており、同館は署名と筆跡などから自筆と判断していた。
10月15日の日付で
「(薩摩藩の実力者であった)島津久光らが京都を訪れるため、私は近いうちに京都で同志の会合をしたい」などと記載。
年の表記はないが、同館は平野や島津の当時の動向から文久3年の可能性が高く、
同年9月、土佐で投獄された直後に出された手紙とした。
これに対し、松岡さんは、同館が「今程」(近いうちに)と解読した部分は「『今夜』と読むべきだ」と指摘。
「土佐で投獄されているのに、『今夜』『京都』での会合を持ちかけるのはつじつまが合わない」
「筆跡にも異なる部分がある」として、自筆との判断に疑義を呈していた。
指摘を受け、同館は県内のほかの博物館などにも鑑定を依頼。
検証を進めたが、批判への明確な反論は困難として、展示の取りやめを決めた。
同館の武政龍司館長は「調査が不十分だった。今後は細心の注意を払いたい」としている。
松岡さんは「武市半平太伝―月と影と」などの著書がある。
写真:武市半平太が書いたとされる手紙
以下ソース:産経west 2017.5.12 19:45
http://www.sankei.com/west/news/170512/wst1705120081-n1.html
土佐勤王党の盟主、武市半平太が文久3(1863)年の投獄直後に書いたとされる手紙をめぐり、
高知市の歴史研究家、松岡司さん(74)が「場所や時間など内容に矛盾がある」と反論していることが12日、分かった。
同館は検証した結果、27日からの展示を取りやめる。
手紙は知人の福岡藩士、平野国臣宛て。
個人が所有しており、同館は署名と筆跡などから自筆と判断していた。
10月15日の日付で
「(薩摩藩の実力者であった)島津久光らが京都を訪れるため、私は近いうちに京都で同志の会合をしたい」などと記載。
年の表記はないが、同館は平野や島津の当時の動向から文久3年の可能性が高く、
同年9月、土佐で投獄された直後に出された手紙とした。
これに対し、松岡さんは、同館が「今程」(近いうちに)と解読した部分は「『今夜』と読むべきだ」と指摘。
「土佐で投獄されているのに、『今夜』『京都』での会合を持ちかけるのはつじつまが合わない」
「筆跡にも異なる部分がある」として、自筆との判断に疑義を呈していた。
指摘を受け、同館は県内のほかの博物館などにも鑑定を依頼。
検証を進めたが、批判への明確な反論は困難として、展示の取りやめを決めた。
同館の武政龍司館長は「調査が不十分だった。今後は細心の注意を払いたい」としている。
松岡さんは「武市半平太伝―月と影と」などの著書がある。
写真:武市半平太が書いたとされる手紙
以下ソース:産経west 2017.5.12 19:45
http://www.sankei.com/west/news/170512/wst1705120081-n1.html