引用元:毎日新聞 2016年5月18日 15時00分
http://mainichi.jp/articles/20160518/k00/00e/040/222000c
「モトコー」の愛称で長く親しまれる神戸市の元町高架通商店街が存続に揺れている。
JR元町−神戸駅の高架下(全長約1.2キロ)の通路に並ぶ個性的な店の数々。
戦後の闇市をルーツとし、昭和の雰囲気を残すが、土地を所有するJR西日本が耐震補強工事を理由に昨年12月に退去を打診した。
多くの店舗は残留を望んでいるが、JR側は近く協議を本格化させる見通しで、店舗関係者に不安が広がっている。
耐震工事、退去打診され…元町高架通商店街
通路の幅は約2メートル。
古着店や飲食店、ギャラリー、中古家電の部品の販売店など多様な店が点在し、「バッタ商品安売り」の看板や山積みされたレコードも目に入る。
平日の人出こそ多くないが、週末限定の店も多く土日は人だかりができる店もある。賃料が周辺より安く、若者の出店も近年増えているという。
米国メーカーのスニーカーをそろえて天井近くまで積み上げ、「コンバースの聖地」と言われる「柿本商店」。
50年近く店を営んできた周春陽さん(75)は「工事を機に『モトコーには戻らない』と話す店主もいる。雰囲気が一変してしまうのでは」と懸念する。
元町高架通商店街振興組合によると、昨年12月にJR西から店舗側に契約満了に伴い退去の打診があった。
通路北側の契約満了は来年3月末で、南側は18年3月末だが、組合の岡保雄理事長は「大半の店は残留を希望している」と言う。
JR西の真鍋精志社長は今月11日の定例記者会見で、入居店舗について「耐震工事後に戻る意向の有無を確認して協議したい」と説明。
ただ、商店街の将来像については「現在の建築基準にあう店舗作りを考える」とし、店舗面積や通路幅などは変更される可能性がある。
時計の針が止まったかのようなモトコーは、テレビや映画のロケ地や芸術祭・神戸ビエンナーレの舞台にもなってきた。
終戦直後の1946年に開店した喫茶店「ホワイト」の店主の安原初子さん(80)は「戦災や阪神大震災を乗り越えた商店街がこの先どうなるのか心配だ」と話す。
カフェ兼ギャラリーを経営するNPO法人「リ・フォープ」代表の宮崎みよしさん(70)は「闇市からのあかがつき、歳月をかけた手作りの良さがある街を残してほしい」と訴える。【原田悠自、栗田亨】
◇元町高架通商店街◇
1931(昭和6)年に完成した鉄道高架橋の下に、終戦直後生まれた闇市が発祥とされる。
現在は、JR元町駅の西から神戸駅近くまでの高架下通路約1.2キロに7区域に分かれ、約300店が入居する。
通路北側の店舗はJR西日本が直接土地を貸し、闇市が広がっていた南側は、市が仲介して商店街振興組合に貸すなど、入居形態は南北で異なる。
JR西が東日本大震災翌年の2012年に耐震化計画を打ち出した。
耐震補強を理由にJR西日本から退去要請が出ている元町高架通商店街=神戸市中央区で2016年5月15日、平川義之撮影