毎日新聞
母親から虐待を受け、一度も小中学校に通わせてもらえないまま18歳まで福岡市の自宅に軟禁されていた咲来美波(さくらいみなみ)さん(33)の講演会が12日、同市内であった。保護されるまでの過酷な体験に加え、自立後、孤独や生きづらさを抱えながら社会と向き合ってきた歳月を告白。時折涙ぐみながら虐待防止の必要性を訴え、「いつか私のような虐待当事者の居場所をつくりたい」と決意を語った。
「虐待を受け続けた18年、家を出て15年、今、彼女はなにを思う」と題した講演会は、非行に向き合う親の会「ははこぐさの会」(福岡市)が主催した。立ち見が出るほど会場を埋めた約60人がメモを取るなどして熱心に聴き入った。
咲来さんは、幼いころから母親によって福岡市博多区の団地の一室に閉じ込められた。留守番中にテレビを勝手に見たという理由で顔や背中などを殴られたのをきっかけに、18歳だった2005年11月、自宅を逃げ出して警察に保護され、母親が傷害容疑で逮捕されたことで事件が公になった。
講演では、自身が受けた虐待を赤裸々に語った。窓に黒いカーテンが引かれた物置のような一室で寝起きさせられ、ベランダに出るのも許されなかった。食事は1日に1食しか与えられなかったり、腐ったご飯をわざと食べさせられたりした。咲来さんが、当時の食事を再現した写真をプロジェクターに映すと、会場からは思わずため息が漏れた。軟禁されている間、母親から常に存在を否定され続け「『助けて』と言っても誰にも助けてもらえなかった」と振り返り、自殺を図ったことも打ち明けた。
意を決し、自宅から逃げ出してからの15年は社会になじめず、苦労の連続だった。20歳から生活保護を受け、1人暮らしを始めたが、学校に通わせてもらえず他人と関わった経験がほとんどないためコミュニケーションの取り方が分からず、人間関係に悩んだ。また、家族や保証人がいないことで希望の仕事にも就けなかった。「私の経験を聞くと相手の顔色が変わり、腫れ物のように見られるのがつらかった」と声を詰まらせた。
行き場のない息苦しさを抱える咲来さんにとって、支援者に求められて始めた講演活動が転機になったという。「過去はなかったことにできない。自分の力ではい上がるしかない」と決意。虐待を生まない社会をつくりたいと、自身の経験と少しずつ向き合い始めた。現在は自叙伝の執筆を進めており、少しずつだが、支援の輪も広がっている。
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