【ウィーン共同】ウィーンのハプスブルク家の王宮内にある世界博物館(旧民族学博物館)で、明治政府が1873年のウィーン万博に出品した弁才船(通称千石船)の模型が16日までに見つかった。大部分の修復が終わり、博物館は10月の再オープンに合わせ新たに設置する日本展示室で公開する。
この模型は72年の制作で全長175センチ、幅107センチ、高さ154センチ。木製で金具も使い、布製の帆や金属製のいかりもある精巧な作り。船首側面の一部や船倉部分の板などが欠けているが、ほぼ完全な形で残っている。
明治政府が東京の浅草仲見世にあった高級玩具店「武蔵屋」に制作を依頼した
2017年6月17日 09時44分 中日新聞
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2017061701001112.html
小汚ねえな
日本の船は技術わるい船
技術能力教えてやろうか
日本に来ることすらできなかったクソチョンカスが何言ってんだ?
諸外国が大航海時代の真っただ中にこんな船作ってたのか
そりゃ見下されるわ
技術無いも何も江戸幕府が規制してたから、沿岸航海程度の船しか造れなかった
欧米は何でも残しておくよね
それに引き換え日本はポンポンと
過去の遺物と言わんばかりに何でも捨てる
高級玩具てことは金持ちのガキはこんな類いの一点物の贅沢な模型で遊んでたのかね
スネ夫みたいのが池に浮かべて自慢してたんだろうな
ここから「在日死ね」にどうやって持ってくるか、楽しみw
>>9
カメラマン居ないんじゃないか?
そろそろ記者会見でも撮影はiPhone以外お断りにして
あのフラッシュ暴力止めるべきだろ。 >>16
逆に言えば何でもあるから。
向こうは伝統が何もないから残しておきたがる。 >>26
大航海時代から船の模型作ってからスポンサーにプレゼンして
カネを出させていた名残で船の模型を保管してたんだろ。 日本がウィーン万博に出品していた頃・・・・・・半島では糞を食っていたw
創価学会は、カルト宗教である。
集団ストーカーを行なっている。
ドトールコーヒーは学会員だ。
エクセルシオールカフェ赤羽東口店閉店は
トカゲの尻尾切り
北区赤羽は創価学会の区 テレビは赤羽の
特集で一杯 創価の策略
(全バージョン転載可)
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」
ヨハネの福音書15章13節
gっっっっっっっっっhっgっy
橋下が閉鎖した大阪の博物館にあった原寸大の和船はどこへ行ったの?
>>16
世界最古の木造建築がある日本で何でそう思った?
お前は日本の文化で何か大切に保護してるものあるの? >>17
リンク貼っといて、リンク先読まないやつ
> 当時、武蔵屋の職人として働いていた房総出身の船大工の本間清助と竹次郎が実物の縮小模型として作った >>17
宮大工ではない。船大工という専門職があるのだよ。 帆が汚いせいでみすぼらしく見えるな
新しい帆に変えればもう少し見栄えがするのに
*∧_∧ゴニョゴニョ 小汚ねえな ジャPの船は技術わるい船 ニダ
<丶`∀´> ∧_∧ <あ〜
/ \/ )(`ハ´ ;) 鬼子に技術能力教えてやろうかアルな!
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★トランプ政権初】 米艦隊 航行の自由作戦発動 【中国激オコ チョンコが技術レベル低いとか言っとるけど、大型船は幕府が規制してたんだぞ。
つか当時日本は世界中に船を輸出してただろ。
当時から造船大国だ。
江戸時代は複数マストのデカい船の製造は禁じられていたので
ショボい…という感想は間違っていない
不安定な一本マストの小型船しか航行出来ない
ジョン万次郎とか漁業者の漂流者が多かったのはそのため
弁財船もバカにしたもんじゃない。船体規模に対して一番積める船ではないかな。
しかも横風や逆風帆走もできる。
1873年のウィーン万博
アジアの参加国
日本
中国(清)
タイ
イラン(ペルシャ)
トルコ
清の属国は参加してません
1873年のウィーン万博といえば、欧州列強オーストリアがオーストリア=ハンガリー二重帝国になってからの初めての本格的な国際行事のホストだった
だがちょうど恐慌が起きて、黒字を見込んだ万博は大幅な赤字となった
しょぼw
そりゃ煙もくもく吐いてる黒船にビビるわな
1854年、ロシア海軍のプチャーチンが開国を迫って来日中、安政東海地震が発生。
乗船であるディアナ号は津波を受けて大破したが、日露を問わず被害者を救助し幕府に好印象を与える。
船を直したいので場所と人足を貸して欲しいと頼むと、伊豆の戸田村が修理地に決まったが
曳航中に暴風雨に見舞われて沈没してしまう。
このままでは日本に骨を埋めることになりかねないので、大型船の建造許可を願い出たところ
幕府は西洋船の建築技術を獲得できる願っても無いチャンスと見て許可し、3ヵ月の突貫工事で船は完成。
ヘダ号と名付けられた。
特筆すべきなのは、ロシア語の通じない日本の船大工が3ヵ月でロシア人の意図を理解して形にしている点。
ロシア人は日本の墨ツボに感動していたという。
ジョン万次郎は1841年に漁で遭難し、米の捕鯨船に救助される。
幼少期に父を亡くし学は無かったが地頭が極めて良く、船長に気に入られて養子となる。
この船長は大変な人格者で、異国の少年に惜しみなくチャンスを与え続ける。
米で最先端の知識に触れた彼は勉学にいそしみ、捕鯨業に関する学校で高等数学、測量術、航海術を学び
首席で卒業する。英語を知ってたったの3年。
卒業後は捕鯨船に乗り込み、船員の投票で副船長に選ばれる程の人物となる。
しかし望郷の気持ちは消えず、カネを稼ぐためにゴールドラッシュに沸くサンフランシスコに渡り
600ドル(今の600万円ぐらい)を手に入れる。
それを元手にホノルルに向かい、そこで留まっていた漁師仲間と再会。小舟を買って上海行きの商船に乗り込み
1851年琉球に辿り着く。
尋問のために送致された薩摩藩では、半年前にお家断絶を回避した当代きっての開明藩主、島津斉彬が待っていた。
日本は天の采配によって、最先端の造船技術と航海術を手に入れた。
あら、タイムリー。
つい最近、「千石船は意外と高性能だった」てな記事を読んだわ。
江戸時代の日本でもイギリスの紅茶レースのような商船のレースがあって、
安政6年の大阪−浦賀間の新綿船7隻の記録が残っている。
このときの一着は1900石積の明徳丸で、所要時間は66時間、
平均速度は5.3ノット(9.8km/h)だったそうな。
紀伊半島をぐるっと回って東海道を2日半だから、意外と速い。
浅草は玩具屋や玩具問屋が多いからねえ、とはいえ高級玩具とかw
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ミ ∠_)
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ウイーン Γ/了 | |
ウイーン |.@| | | ガッガッガッ
| / | 人
|/ | < >_∧∩
_/ | //.V`Д´)/ ←ハプスブルク家
(_フ彡 /
まあ例によってネトウヨがホルりまくってるけど
ジャップの造船技術って大したことはないよねwww
四方を海に囲まれているのに探検や拡張に乗り出すどころか
引きこもって内ゲバばっかやってる陰湿民族だからね。
やっぱり猿なんだな、この民族www
一時期はね、それでも造船業調子よかったんだが
今や宗主国大韓の方がはるかに造船業盛んなわけでね
もう豪華クルーズ船もつくれなくなっちゃったんでしょ?w
保険の価値を知らずに国ごと沈もうとしてるvwvwvwvwvwv
>>3
水車さえ作れなくて必要性もわからなかった民族に技術なんかあるわけないだろ >>43
日本じゃ竜骨のある船を作るのが遅れたから、下手したらローマ時代より下でしょ 鉄の船が当たり前だったのに、こんなボロ船しか作れなかったなんて。よく植民地にされなかったよな。奇跡的だわ。
>>56
たしかに西洋の考え方ではキール(竜骨)は帆走の必須アイテムなんだが、
千石船は舵を不釣り合いなほど巨大化してロングキールと化していた。
実際、風向に対してマイナス方向のジグザグ帆走も可能だったらしい。
ただし、竜骨のもう一つの役割である構造の強化はたしかに劣る。時代は上るけど
遣唐使船の弱さは特筆ものだったらしい。ただし、台風が常襲する日本列島では
いくら頑丈に作っても無駄なわけで、とっとと陸に引き上げるのが正しい。
その点、竜骨のない板底の和船はソリと一緒で、舳先に縄をかけて浜から
引っ張れば、どこでも揚陸可能なのだな。 >>61
一生懸命書いたのにアンカー間違ってた orz
>>59へのレスですのじゃ。 >>61
遣唐使船って弱いけどその分
真ん中で真っ二つに成ってもそれぞれが浮くように船首と船尾が
やたら高く作ってあったんじゃなかったっけ 南蛮貿易時代は竜骨ありで帆柱二本の大型船存在したんだが、
江戸幕府の鎖国政策で竜骨なしで帆柱は一本の千石船に矮小化された
>>60
ああ、フランス初の鋼製軍艦の進水が1873年、イギリス初が1879年だとさ。
このウイーン万博は1873年って書いてあるねえ。 で? >>55
これが劣等民族の劣って穢い遺伝子に刻まれた対日コンプレックスwwww >>3
併合前の朝鮮半島の写真をもう一度見直してきなさい >>64
なるほど、そういう効果もあるのか。知らんかった。
「壊れないモノを作る」という西洋文明の志は貴いけど、「壊れることを前提にモノを作る」
という思想もまたユルくていいよな。自然とガチ勝負してもどうせ負けるんだしw
伊勢神宮の粗末さも、そういうもんだろうなと。 >>67
抗日義士の英雄である李舜臣将軍率いる亀甲船軍団に散々にやられた
倭寇水軍がなんだって?www
大韓の造船技術は今も昔もチョッパリのそれを凌駕しているんだよ
ってかそもそも1万年も丸木舟に乗ってホルホルしていた倭人に
造船という文明の技術をを教えたの、どこの国の渡来人ですか?www >>73
劣等民族学校で習った歴史はヨソでは全く通用しないんだよwwwwww >>73
その渡来人って、あなたんとこからみてガイジンなんだが >>1
へー玩具屋が作ったのか
俺は舟盛りとかに使う桶作ってる所かと思ったわ。
この頃、糞チョンは 小さな小船すら作る事も出来ず、
ただただ人糞を頬張るばかりの駄畜だった。
チョンどもの宗主国、シナの社会において、
シナの奴隷階級の者どもが唯一所有することを許された物、
それが糞チョンであった。
そして、奴隷に所有された糞チョンどもは
相変わらず馬や牛に遥かに劣る下等な家畜として使役され続けていた。
これが1905年まで、朝鮮半島に棲息している糞チョンどもの在り様であった。
日本という神の国が、この穢れ切った朝鮮を解放し、
ひとまず糞チョンどもを人間様並みに扱ってやり始めるまで、
糞チョンが人類の一種とみなされることは
人類史上唯の一度も無かったのである。