俺が生まれたのはサラリーマン(食品会社営業)と専業主婦とごく普通の家庭。
5つ上の姉がいる。
親は俺が生まれた時期に家を買った。
周りは一戸建てばかりの郊外の住宅地。
姉が私立の小学校に入学したこともあり
俺が幼稚園の頃には母親は近所の100円ショップでパートを始めた
母親のパートは俺が幼稚園に行っている時間だけだし何不自由は無かった。
近所に仲のいい友達もできたしそいつらとは今もつるんでる。
特別、教育熱心な家庭という訳でもなかったが
姉が私立の小学校に言ったこともあり俺も受験をすることになった。
あまり記憶はないのだが、友達と離れ離れになるのが嫌だったので
俺は受験にあまり乗り気ではなかった。
試験の内容は覚えていないが、姉と比べ頭の出来がよくなったこともあり
試験には落ちて公立の小学校に通うことになる。
当時は、悔しいとかそういうのより友達と一緒の学校に行けるとむしろ喜んでいた。
両親は私立に行って欲しいと思っていただろうが。
小学1年生最初のクリスマスプレゼントは当時流行っていたゲームボーイアドバンスのポケモンのルビー。
ゲームは18時までという決まりがあり、毎日18時までルビーで遊んだ。
車を買って怪奇現象が起きたという話なのに
生い立ちから語りだすって何事?
ああ、完全なるコミュ障のガチキチさんね。
解散!!!
小学2年〜3年にかけては人生始めてでおそらく最後であろうモテ期だった。
5人くらいの女の子から告白されたし、バレンタインチョコもそれなりに貰った。
そのころ、姉は中学生でブラジャーをつけ出したころだった。
性に目覚め始めていた俺は姉の留守を狙って姉の部屋に忍び込むようになった。
クローゼットを開けて姉のブラジャーとパンツを装着。
オナニーはまだ知らなかったが、とにかく興奮したのを鮮明に覚えている。
習い事のない平日夕方はおじゃる丸、忍たま乱太郎、天才てれびくんを見るのが日課となっていたが
学校でそれらを観ているのは恥ずかしいという風潮があったので学校の皆には黙っていた。
習い事は月曜にスイミング、水曜にピアノ、木曜に習字に通っていた。
ピアノは2年弱で辞めたがスイミングと習字は小学校時代は丸々続いた。
小学校高学年になるとニンテンドーDSが登場し、画期的な携帯ゲーム機に衝撃を受けたのを覚えている。
いま振り返っても特に変哲もない小学校時代だった
小学6年になると周りにもチラホラ塾に通う子が増え始める。
ここでまた、私立の中学校受験の話を親から切り出された。
完全なるアスペさんでした。
---- 終了 ----
やはりこの時も俺は「友達と同じ学校に進学したい」と思っていた。
この時初めて親に反抗したと思う。「受験はしない」と何度も強く言った。親は驚いていた。
>>47
俺がネコやってやるからよ!セックスしようぜ! 俺は自分の家族はありふれた、どこにでもいる家族だと思っていたが
一つだけ他の家族とは違うところがあった。
>>51
Show the Chimpo!!!!! >>51
なに?ちんぽには自信がない?
ならお前がネコになれよ >>59
いや、これからねーちゃんのために赤飯炊くところ。 それは「家族で旅行に行ったことがない」ということ。
確かに夏休みが空けるとクラス中が「〇〇に旅行に言った」とか〇〇土産持ってきたとかいう話で持ち切りだった。
>>5
おねーちゃんかわいい?処女?おっぱいでかい? 今振り返れば俺はインドア派で旅行に行きたいと思ったことがなかったし、家でゲームしてる方が楽しかった。
父も仕事が忙しくて家族旅行どころじゃなかったと思う。
そんな中、小学6年の夏休みの時だった。父が「旅行に行こう」と急に切り出した。
俺は正直どっちでも良かったが姉が嬉しそうだったので家族で旅行にいくことになった。
結論的には旅行に行って良かったと思った。正直旅行先での観光のことは覚えていないが
道中の車の中での家族との会話、当時流行っていたオレンジレンジの音楽など何気ないことが良い思い出になった。
中学は地元の公立校に進学した。他の小学校の人たちとの出会いもあり刺激的だった。
部活には入るか迷っていたが内申点に影響するという話もあったし何かしらに入部しようと思った。
ID変わりましたが>>1です
ちなみに釣りでしたこの話は終わりです >>80
部活に入るかどうか迷うのに俺のちんぽを肛門に受け入れるかどうかは迷ってもくれないのか? 文化部にしようか、運動部にしようか迷ったが友人の誘いもありバドミントン部に入部部することにした。
俺の通っていた中学は女子バドミントン部は人気だったが男子は不人気で部員は2年と3年で7人しかおらず、1年で入部したのも俺たち2人だけだった。
高校はそこそこの公立高に進学し、大学は東京の私立大学に推薦入学で進学して一人暮らしすることになった。
別に地元の大学でも良かったけど、なにか環境を変えたかったのかも知れない。
推薦入学で進学先が決まっていたから車の免許は高校3年のうちにとった。
元々車に興味があるのもあって目標は大学2年までに車を買うことにした。
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>>1-10 親の仕送りだけで十分に暮らせたが、遊ぶ金や車を買うためにバイトをすることにした。
バイト先はたまたま近くにあった100円ショップのダイソー。
今はないだろうが、当時は女は私服で、茶髪OKだったが男はワイシャツにスラックス、黒髪など
制約があったことに軽い憤りを感じていたことを覚えている。
今ふりかえっても大学時代が1番楽しかった。
自由な時間が増えたし、一人暮らしでストレスフリー。友人との付き合いも何もかも楽しかった。
バイト代は週3日、平日は4時間、日曜は8時間入って月6万円位だった。
十分すぎたが、車を買いたいという目標があったため扶養範囲を超えない程度にシフトを増やして貰うことにした。
バイト先は早番はパートの主婦、遅番はほとんど女子大生とフリーターの女性。
男は俺ともう1人、遅番の違う大学に通ってる人しかいなかった。店長すらパートの主婦だっ。
周りが女子だらけという環境もあってか人生初めて付き合うこととなった相手はバイト先の人だった。
同い年で、違う大学に通っていて、向こうから告白された。
大学の友達と朝までゲームや映画観たり、彼女とのデート、楽しいことだらけで大学1年はあっという間だった。
夏休みや冬休みは実家に帰省してノスタルジックになった。
まとめれば3行に収まる内容を20ページくらいにまで引き伸ばしているアフィカスサイトそのまんま
バイトのシフトを増やしたり夏休みや冬休みは短期のバイトしたりして
大学2年の夏休みには貯金が100万になった。
車を欲しかった俺は4年落ちのインプレッサハッチバックを75万円で購入。
親からは任意保険には絶対に入れと強く言われていたので年17万円とめちゃ高かったが任意保険にも入る。
車の購入はオレの行動範囲をかなり広げてくれた。
友人や彼女出かけたり休日にちょっと遠くまで一人でドライブしたりとにかく楽しかった。
俺を中心にあらゆるvipperたちが合成される気持ち悪い話