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2024/06/23(日) 17:21:28.65ID:B82Ctkyd91945年4月、米軍が沖縄本島に上陸。仲間さんの母や妹らは本島北部へと避難した。仲間さんは当時9歳。祖父母と共に最南端の糸満市に残ったが、戦火を避けるため、家を出て近くの斜面に横穴を掘ってつくった「ガマ」で生活するようになった
そんな生活が続いたある日、日本兵がガマに入ってきた。「出て行け。ここは私たちが使う」。銃を構えて言い放ち、仲間さんらを追い出した。
住むところを失った仲間さんらが再びガマをつくると、別の日本兵が「ここは危ない。別のガマに逃げた方がいい」と言ってきた。言葉に従ってガマを出た後、様子を見に戻ると、複数の日本兵が中で談笑していた。
日本兵にガマを追われたのはこれに限らない。戦況が厳しくなると、沖縄本島南部に逃げ込む日本兵が増え、何度も脅され、だまされた。最後は海辺の鍾乳洞に逃げ込んだという。
ある夜、鍾乳洞の外で激しい爆発音がした。外に出てみると、すぐそばに迫った米戦艦が近くに潜む日本兵を攻撃していた。
ふんどしを白旗代わりにして降参しよう。そう思った矢先、日本兵が「自決しよう。捕まったらひどいことをされるぞ」と銃を渡してきた。信用できるか―。何度もだまされた仲間さんらは制止を振り切って白旗を掲げ、米軍に保護されたという。
https://www.jiji.com/sp/article?k=2024062200128&g=soc