西郷隆盛の薩軍が政府軍と戦った西南戦争(1877年)の戦場の一つ、宮崎県小林市須木地区の七熊山(ななくまやま)(929メートル)山腹から、当時発射された銃弾85発が見つかった。政府軍の日報などを手掛かりに、同県埋蔵文化財センターが調査・確認した。政府軍の銃弾は白っぽいサビに覆われた鉛製で49発、薩軍のものはサビが赤褐色の鉄製など36発。薩軍は鉛が入手できず、やむを得ず鉄を使ったとみられる。薩軍の劣勢ぶりが伝わってくる。
西南戦争は、西郷率いる不平士族が政府軍相手に起こした国内最後の内乱。1877年2〜9月、熊本城を皮切りに、「田原坂(たばるざか)の戦い」を経て大分、宮崎などに舞台を移し、最後は鹿児島で薩軍が散った。七熊山では7月の2日間、戦火を交えたとされる。
七熊山は登山道があるが、ヤマビルの多さもあって訪れる人は少なく、山頂まで続く雑木林に、戦場だったことをしのばせるものは特にない。埋文センターは2020年度から調査。政府軍がまとめた「征西戦記稿(せいせいせんきこう)」に記述がある両軍の防御陣地跡も約40カ所、山腹で確認した。山頂まで緩傾斜が続くが、防御陣地跡は土を掘って傾斜をなくし、1メートルの高低差を利用して兵士が身を隠したとみられる。
また、銃弾は山腹の複数箇所で見つかった。鉛製の半数近くは激しく変形しており、至近距離で発射された可能性が高い。両軍が5〜6メートルをはさみ、樹木に身を隠しながら銃撃戦を繰り広げたとする当時の記録を裏付けた。
埋文センター調査課の堀田(ほりた)孝博・調査第三担当リーダー(49)は「145年前に足元で起きた証しを知ってほしい」と話している。
調査の成果は小林市役所などで2〜3月、展示される予定だったが、新型コロナウイルスの感染予防のため、2022年度に仕切り直ししたいという。【梅山崇】
毎日新聞2022/3/16 14:33
https://mainichi.jp/articles/20220316/k00/00m/040/173000c >>5
鉛は柔らかいので銃身内部を傷つけないし、人体に着弾時に変形して傷が大きくなる
毒があるので体内に留まると中毒を起こす
融点が低いので炭火程度の熱でも溶融させて新しい弾を作れる 西郷どんは金玉袋を担がないといけないくらいデカかったのだろうか?
鹿児島っていまだに旧士族が威張っとるんやろ?
嫌いだわ
このタイミングで出土するのかー
英霊が平和ボケした日本人よ戦えいってるんやろうね
>>5
鉛弾の一番のメリットは値段が安い、加工が簡単、比重が重い >>8
西南戦争で火縄銃なんてほとんど使われてないんじゃないか?
戊辰戦争でもすでに弱小藩の二線級の兵器だし。
ペリーを迎えた部隊もゲベール銃だったらしいし当時の日本は意外に先進的。 薩摩もすごいな
一藩でイギリス、幕府、新政府と
今で例えるなら鹿児島県が日本や国と戦争だからな
>>9
わかりやすいように言えよ
鉄だとちゃんと飛ばん(跳ねて精度も飛距離も悪い)し手製では鉛に比べて時間が掛かる
だから薩軍は抜刀攻撃にしか打開策がなくなる >>5
銃身がスチールなので
弾丸が鉄だと重心の摩耗が激しい
から鉛なんだけど
鉛はカスが銃身に溜まるから
銅のジャケットで覆ってるのが多い >>17
申し訳ないがアンタのその程度の器量では測れん >>12
寄生虫に冒された病気でデカかったと言われてるが 鉄弾頭は第二次世界大戦前後でよく使われてたよ
あの辺りは戦争多すぎてどこも鉛が手に入らんかったから
真鍮の代替品として薬莢にも使われてたりする
>>26
西南戦争の頃ならまだ抜刀隊も活躍出来たんだろうね。 軍を解散した後に戦う必要性があったのか?
鹿児島を灰にしてまで城山に籠る必要があったのか?
何故鹿児島に帰ったのか?
これをやったからロシアのような
歴史の逆回ししないで前に進んだ
無職になった侍の反乱でも
厳しく弾圧しないと先祖帰りになる
>>23
そんなこと考えてない
明治政府に不満を言いに行く
ただそれだけ >>33
日露戦争でも勝負をつけるときは銃剣での突撃が主攻だよ。 >>5
鉛は比重が鉄より大きいので物理的に威力が強い。
拳銃弾なら衝突の衝撃でマッシュルーム化と言われる変形を起こして更に威力を増すが、黒色火薬のこの時代にはそこまでの威力はない。
軍事的に重要なことは融点が低いこと。
鉛と融点は330度程度で金属の中では圧倒的に低く結果大量生産がしやすい。
鉄は鉛ほど重くないため威力が弱いが、硬いため装甲などに対しては有効。
ただし、黒色火薬のこの時代に徹甲弾となるようなエネルギーは用意できないし、何より西郷軍も政府軍も洋風軍になっているので甲冑はつけていないから硬いと言うメリットは生きにくい。
何より面倒なのはその融点の高さ。1500度以上という高温は炭素などを混ぜ込むことで下げることができるとは言え、特別な炉を用意しないと実現できない。
結果的に必要な弾数を短期間で西郷軍が用意することは難しかっただろう。 鉄だと軽くて弾道が曲がりやすい
つまり当たりにくい弾になる
>>34
己等の益荒男ぶりを示すためにやっているだけで
合理性を追求したいわけじゃない
熊本の神風連の乱も同じ >>41
もう不満を募らせた
若者が政府弾薬庫を襲った後。
話し合いとかの段階ではない >>24 ゲベール銃が西欧ではもう旧式だったから、日本に輸出されたわけよ。 >>42
元会津藩士が抜刀隊の部隊に所属していたのは事実だけど
抜刀隊の主力はほぼ薩摩藩士。 新政府のが「武器がー」云々で言い訳や「内戦がー」とか言い訳で逃げるヘタレどもと違って一藩でも最後まで戦う
カッコいいじゃないか
>>46
まだ階級をとかれていない西郷なら話し合いの場はつくれる。 >>49 政府軍の首領も薩摩だけどな。(´・ω・`) >>23
薩摩側には当然あっただろう
それが錯覚だったとしても
実態は益荒男としてしか生きられない
南九州武家系野蛮人の最後のひと暴れに過ぎない
精神的な意味しかない
髷を落として刀を置くくらいなら
死んだほうがマシな時代錯誤な男達の >>24
資金力はあったからね。
全ての藩いうわけにはいかなかったが、日本で流通していた銀の量は当時の世界としては破格に多く、その気になれば欧米の軍艦だろうが、最先端の後装式の雷管式銃だろうが買うことができた。
そして何が最新式かと言った情報を長崎の出島を通じて得るルートとその情報を理解しる高度な人材を有していた。 >>50
西郷は配下の人間に「武士」を辞めるように説得する気はなく
一緒に死ぬことを選んだ
そこに合理性はない
精神論の世界 >>49
良くも悪くもその狂気が薩摩隼人たる所以。
ただ、だからボロ負けしたという事実はある。
本気で戦うなら跳ねっ返りが火薬庫襲ったらそいつらを切り捨てなければいけない。
情を優先して戦争始めるなんてあまちゃんが勝てるわけがない。 >>53
世界では既に時代遅れの2流品の武器を争って買い付けて
多量の銀を欧州に流した馬鹿な時代。 >>30
>真鍮の代替品として薬莢にも使われてたりする
ドイツは技術があったから鉄で薬莢が作れた。
(プレス加工で伸びる鉄材料と潤滑剤があった)
貧乏なくせに技術がなかった某国と金持ちアメリカは黄銅の薬莢。 >>56
でもだから薩摩の人間は
西郷さんが好きなのさ。
で大久保が嫌い。 >>54
プーチンの暴挙も実はロシアを変える為にやってたりして >>57
それは事実ではない。
開発した等の本国でさえ充分整備されていないガトリング砲やアームストロング砲を多数輸入し、最新鋭のスナイドル銃を多数輸入していた。
銀の流失は公定レートの違いを悪用されたのだから武器の買い付けとは次元が違う。 >>61 プーチンは多分、最初は余裕で勝つつもりだったと思われるから、負けるとわかって戦をしかけた西郷とは違うかな。 戦国時代の武田も織田に堺を抑えられてたせいで鉄砲の数はあれど鉛や硝石の入手には相当苦労してたんだよな
実際領内の神社に弾薬に使用するため銅製のびた銭を供出するよう命じてる書状が残ってるし
熊本県民はなぜ味方をしなかったんだろ?
鹿児島とはお隣同士で仲がいいのに
堺を抑えていたからというより、鉛や硝石の原産国と直接つながってた説があんよな。織田は。
だからあんな短期間で畿内を抑えることができたと。
>>59
日本人もそういう西郷が好きだが、近代国家日本が生き残るためには冷酷な大久保の手腕も必要だったのだろう。
ただ、西郷はもう少し政府にいて欲しい人材だと思うけど。 >>50
んー
多分あっさり階級を捨ててそうだからその発想自体出なさそう
辞表→帰郷→世捨人→子飼いの若いモンの後始末→自裁、ではないかと >>17
その理屈でいくと吉田松陰とかかなりアレな人になる 後方に船で上陸して挟み撃ちにして前線を潰すとか
新政府が長岡でやったこととまんま同じ事をやられての敗北とかな。
船がない時点でそんなシナリオ、開戦前から篠原も村田も桐野も永山も
全員わかっただろうになあ。
>>2
初代のNATO弾で口径七.六二ミリのライフル実包があった。
規格を西側共通として、製造は各国でするのだが(自衛隊も使うので、日本も国産している)
西ドイツ製のものだけが、微妙な差異があった。
.
それは薬莢の口の部分で噛む弾丸の側溝の肉厚で、そこが他国の308弾よりもごく僅かに薄くされていたのだ。
その違いが何をもたらすかというと、敵兵の体内に入ったときに西ドイツ製の弾は、
高い確率で弾丸が二つに折れ、被甲もバラけて、爆発的に飛散するのである。
これは非人道的と禁止されたダムダム弾の効果を合法的に狙ったものであった。
.
さてそこで、この弾丸の側溝を薄く造れという指示書や命令書はドイツに存在するだろうか?
私は、せぬと思う。これもまた、下級技師の個人的なイニシアチブでしたことであろう。
しかしそれは、すべての上級技師、すべての高級陸軍人、すべての指導的政治家の暗黙裡の全幅の支持を受けていた。
だから、記録もなければお咎めも無い。
. >>68
発想があるかないか以前に、薩摩の不平士族を守るためなら嫌でもやらんと。
それが大将の器ってもんだ。若者の面子を守るためにみんなで一緒に死んでどうする。 >>64
NHKの歴史探偵かなんかで鉱山も抑えられてたとか言ってたかな >>65
熊本城、熊本鎮台は
島津薩摩を抑える為のものだし。
薩摩藩は賊軍だし仕方ない。 >>69
大河の「花燃ゆ」、評判は悪かったけど前半の松陰のとんでもなさはよく描かれてたよ >>67 西郷が日本の近代化に必要な人材だったとは思えんけどなぁ…
幕府を倒すためには必要だったが、そこで役割は終わってた。
政府に残っても、征韓論みたいな好戦論者に祭り上げられるくらいしか、役割がなかったように感じる。 >>73
鉱山を奪い合うために南信から東三河にかけて侵攻してたんで
東三河周辺で争いが耐えなかったな。 >>63
その通り
プーチンは負ける気は全く無いよ >>70
めちゃめちゃ怒ってるから一回喧嘩して気を鎮めさせようぐらいの感覚だろうか
それを武士で一藩全体でしたから甚大な被害になったのだろうと
深い戦略戦術は無さそう >>66
海外と直接繋がってたとしても物資は堺に到着してそこから日本各地に運ばれる
結局堺を抑えることができなければ安定した物資の入手は難しくなるよ >>65
事実ではない。
九州の人たちはなぜかあの狭い島の中で歪みあっている。
熊本藩は薩長に協力したが、薩摩と血縁があったわけではなく、新政府に敵対する意思はなかった。
薩摩人がある種の狂気を特長とするなら熊本は頑固で議論好きなもっこすが気質。
西郷が軍を上げたというだけで西郷に協力するわけはない。
そもそも西南戦争の一年前に熊本では神風連の乱が制圧されている。
負傷者200名を出しながら120名以上を倒して乱を治めた政府軍の力を見せつけられているのに西郷に協力するわけがない。 >>71
HKのライフルがローラーロッキング機構
で薬莢切れが問題になってたから
その対策なのかなと勝手に
想像してみたり… >>72
そもそも大将の器だったかどうかもわかんない(西南の役時点で)
世捨人みたいに過ごしてたとき頭打って性格が変わったと言う説がある 薩軍は決起前に政府軍に弾薬を押収されたせいで先込め銃メインで戦わざるを得なかったんだよな。装備も兵員も劣性なのに組織化された近代軍隊相手に半年間南九州でよく暴れることができたな
標高千メートルとはなかなかお高いとこで戦っていたのですね
>>5
鉛→体内でグチャグチャに砕ける
鉄→体内でそのままの形状で留まる >>17
今で言うと、使い物にならなくなった公務員達を引き連れて、全員殉職させるつもりで全滅よろしく散っていったのさ
最初からそのつもりでその役目を引き受けた西郷さんは偉いよ >>77
征韓論は困ったもんだが、理屈を人々の動きに変えることが西郷の真骨頂。
西郷亡き後の薩摩閥は迷走気味でしばしば元勲たちの個人的利害で国政があっちこっちしてる。最後にそれを取り仕切ったのは山形だが、西郷が元気だったらこういう迷走は起きなかったと思う。
大久保は言われているほど元勲たちを抑えられていない。 >>64
戦国時代は火薬の原料は輸入されてたような。 <<日露戦争でも勝負をつけるときは銃剣での突撃が主攻だよ
機関銃が配備されるまでは銃剣突撃が決定力があった
機関銃で 銃剣突撃が鎮圧されて 戦車が陸の王者になった
>>73
武田と徳川で鉛の鉱山の奪い合いしてるからな
長篠を中心に信濃国境にかけての奥三河には鉱山が点在していた
近年の研究で奥三河には睦平鉛山の存在か確認されてるし、武田と徳川が奥三河の争奪に執念を燃やしたのは鉱山を確保するための争いだったつってことだな >>90
巻き添えで大きな被害を被った宮崎県にとっては迷惑でしかない。 >>91
もともと西郷は調整役としての抜擢だからな。
長州征伐しかり、薩長同盟後しかり戊辰戦争しかり。明治政府のなかでも。 >>86
というか、新政府軍の明治維新時の主力のエンフィールド銃が薩摩に大量に残っていたが、政府軍は後装式のスナイドル銃に換装していた。
政府を作ったのが薩摩である以上薩摩が政府とは別口でスナイドル銃を大量に買えるわけもない。 >>92
輸入はされていたんだけど、当然生産もなされていた。
文書に残っているのはトイレの下の土。浸透した糞尿が硝酸菌の働きで硝石になっている。
実際にはもっと能動的に大規模な硝石製造プラントが稼働していた。 >>47
いや
幕府軍はナポレオン3世から手に入れてたからゲベールマスケット
維新軍も最初はゲベール入れたけど
大村益次郎の判断でミニエー調達するも、スナイドル銃に転換してる
こっちはライフル >>82
因果関係が逆じゃないかな。堺を他の大名に抑えられると入ってこなくなるから
強いれた物資をつかって早々に畿内制圧に向かったのかと。 >>99
塩硝ね
白川郷の秘密生産物だから藩外秘だった
表向き生糸の生産しつつ、蚕のフンで溜め込むとか
前田もなんだかんだ戦国の武将なんだなと。
いつ徳川落とすかつねに考えてたんだろ >>69
当時の日本の知識人は大抵尊皇攘夷派だから
全員狂っていたとも言える
黒船問題を内乱を起こす口実にしか考えてない
案の定勝利すると豹変した >>96
そそ。
五代とか井上とか西郷が目を光らせていたらああまで露骨には動かなかっただろうし、そんなことで政府の資産を無駄にはしなかったと思う。 >>100 それ、開国よりずっと後の話でしょ。
>>24の言ってた「ペリーを迎えた部隊のゲベール銃」は、ナポレオン三世経由ではなかろ。 >>93
日露戦争だけどな
機関銃が主力になったのって。
爾霊山はマキシム機関銃で武装されてた
登場は南北戦争のガットリング銃
日本では長岡藩に二丁という割と馴染み深い武器 >>103
その通り。
明治維新時もそうなんだけど、戦国時代もリーダーたちは先見の明があるというか、科学技術にとても精通しているんだよね。 >>45
最初の一文はわからんが、確かに急薩摩藩を巻き込まなかった動きから合理性がある感じでは無いよな。 >>101 島津久光は元々、西郷とそんなに仲が良いわけじゃないし。
廃藩置県の時は、西郷にダマされたよね。 長岡藩は弾薬に限りがあって物資も乏しかったのに
なぜガトリング砲を2台も購入したのか凄く気になる。
騎兵隊が同じ所にオシッコして硝石作ってたのはw
やっぱ、戦争は物量だよな
>>101
討幕する気が全くなかったのに西郷大久保に良いように動かされて討幕の中心にされてしまった久光様ですから、廃刀令には大反対だけど、西郷のためにお家を危機に晒したりはしないんだよね。
西南戦争勃発時にすぐやったことは子供たちを桜島に逃すこと。
人物として明治の人ではなく、幕藩体制の原則理念で動く人なのだよ。 >>94
信長の野望なんかのゲームはこの辺のことに焦点を当てて鉱山を砦とかの拠点としてマップ上に点在させて欲しいな。山奥の戦いの重要性を知れておもしろいと思う。 >>107
> さらに講武所の設置と前後して、
安政2年(1855年)9月には徒組、安政3年(1856年)1月には小十人組に対して砲術師範の江川英敏への入門が義務付けされ、洋式銃砲の訓練が始められた。
この訓練は、講武所設置後には、その中の砲術習練所へと移って続けられた。安政5年(1858年)には、深川越中島に銃隊調練所が建設された。
しかし、阿部の死後に井伊直弼が大老に就任すると、西洋式軍備の導入は停滞してしまった。
浦賀にペリーが来たのは1853年と1854年。
このときに火縄銃300丁を送っているが、
そもそもゲベールで迎えたというのはどこの記録? >>113
大八車に積んで引き回しながら
家老自ら撃ちまくったからな
官軍に占領された長岡城を2度も奪還したし >>91
征韓論は相手が夷狄から李氏朝鮮に変わっただけ
弱いのを叩くことに逃げていてやや格好は悪い
しかし武張った論理は一貫してる
攘夷をあっさり捨てたが
反省も公論もない明治政府の方が狂ってる
攘夷はしない
征韓論は退けるが朝鮮併合はする
そこには権力闘争しかない
嘘で塗り固めた維新から敗戦まで日本は狂い踊りし続けた >>118
上野の像の完成式で
奥さんが「こげん人じゃなか」と言った逸話 恫喝された
仲が良くなかった
結局 西郷の事はあまり好きじゃなかったのかな
>>113
一点豪華主義の兵器で何とかしようとするのは劣勢側の常
ティーガー戦車や戦艦大和もそうだし
フィクションならビグザムとか >>108
日露戦争は第一次世界大戦の事前予行みたいな感じなんだよね。
旅順は要塞と言ってもコンクリートで固められたものではなくて、要所に機銃火砲を置いて歩兵の機動を拘束するスタイルだし、それに対して攻撃側も火力で応戦し、それが行き詰まれば塹壕掘って近づくというのも一次大戦で見られたパターン。 >>120
>そもそもゲベールで迎えたというのはどこの記録?
>>24を書いたのはオレではないので、オレには答えようがない。
ただ、開国前から高島秋帆がゲベール銃をオランダから輸入しているので、不自然ではないかなと思ったまで。 >>85
小御所会議の「短刀一本で片付く」でも分かるように
西郷隆盛は最初から武張った性格だったと思う
謹慎になったりもともと二極論の激しい人ではなかったか >>122
そうは言っても、現実に明治政府には兵がない。
朝鮮に不用意に出兵すれば清が出てくることは容易に見えていたわけで、氏族の乱で数千程度の派兵でヒイヒイ言ってる明治政府に腹を括れというのはかなり難しい。 >>1【ヤマビルとは?】
ヤマビルは足元から静かに忍び寄り、皮膚の柔らかいところを3つのアゴで削るようにして傷つけます。そして出てきた血を飲み、吸血後はぷっくりと膨れるのが特徴です。
「刺して血を吸う」蚊やマダニなどとは吸血の仕組みが異なるため、感染症の心配も基本的にはありません。ただし、吸血時に麻酔効果、血液を固まらせない効果がある「ヒルジン」という物質を出すため、皮膚感覚が鈍くなり、気づかないうちに血だらけ…ということも。
引っ張っても剥がれない強者!
気持ち悪い生き物だな 古戦場というと江戸以前みたいな気がするが、もう上野公園も古戦場か
>>131
分かりにくい文章になってしまったが
最初から攘夷が無理なのは分かっていたはずと思ってる
倒幕の方便に天皇の攘夷論を使っただけで
西郷さんは本気だったかもしれないが >>113
河井 継之助つう大天才がいたから、としか。
大阪適塾に在籍し、福沢諭吉や大村益次郎とほぼ同時期にいた
> 藩主らを先に長岡へ帰させると、継之助は江戸藩邸を処分して家宝などを全て売却。
その金で、相場が暴落した米を買って蝦夷地で開港されていた箱館へ運んで売り、また新潟との為替差益にも目をつけ軍資金を増やした。
同時にイギリス人武器商人のウォーター、アメリカ人武器商人のスミス、ファブルブラント商会(C.&J.FAVRE BRANDT)、スネル兄弟などからアームストロング砲、
ガトリング砲、エンフィールド銃、スナイドル銃、シャープス銃(軍用カービン)などの最新兵器を購入し、海路長岡へ帰還した。
特にガトリング砲は当時の日本には3門しか存在せずそのうち2門を長岡藩が所持していた[3][4][5][6][7][8][9]。
新しすぎる人なんだよ
会津征伐が薩長の略奪だとも見抜いてたし、
友人を武士にしようと考えてたが遺言では商人にしてる
賢すぎ >>134 攘夷運動も、最初は本気だって。
攘夷運動が最初に盛んだったのは、徳川御三家の水戸藩だぞ。倒幕なんぞ考えるはずなかろう。
長州が攘夷決行したら、当然ながらボロ負けしたもんで、矛先が外国から幕府の方に変わってったんだよ。 >>135
河井継之助ほどの凄まじい天才が、
長岡藩の軍事物資量では弾薬不足であまり長時間稼働しないのが
すぐわかる新兵器を購入したのがすごく不思議なんだよな。
>> >>138
水戸はもともと光圀時代から天皇馬鹿だからね
維新の諸悪の根源とも言える
内ゲバまで起こして >>127
日清の旅順はそう
日露の旅順要塞はコンクリートで固められていたことは有名
> 要塞の主防御線はコンクリート(当時は仏語のベトンと呼ばれていた)で周囲を固めた半永久堡塁8個を中心に
堡塁9個、永久砲台6個、角面堡4個とそれを繋ぐ塹壕からなりあらゆる方角からの攻撃に備え、
第二防衛線内の最も高台である望台には砲台を造り支援砲撃を行った。
さらに突破された場合に備えて堡塁と塹壕と砲台を連ねた小規模な副郭が旅順旧市街を取り囲んでいた。
海上方面も220門の火砲を砲台に配備して艦船の接近を妨害するようになっていた[3]。
でここ落とせない上に旅順艦隊が艦載砲で旅順閉塞作戦で固定砲台化してたので、
艦隊攻撃する為に行ったのが二○三攻略戦
ここを落とすのに児玉が艦載砲を山に運んで落とした
のち、二○三から旅順艦隊砲撃したから日本海海戦になる >>136 倒幕藩士であっても、明治政府の上級に食い込めたのは一部だけだからな。
多数の武士は秩禄処分でむしろ損をしたから、政府は彼らの恨みを買った。 >>120
高島秋帆が1831年にゲベール銃をオランダから買ったという記述があり、以後幕府も積極的に洋式化を進める中で相応の銃の整備をしている。
ペリーの来航時に対応した江川英龍は高島の弟子だから当然ゲペール銃は知っているし輸入できる立場にある。
ペリーを迎えた幕府側の部隊が全員ゲペール銃装備していてもそんなに変ではない。 >>136
徴兵令とか刀捨てろが効いたんじゃない? >>134
まあ西郷の本音は確かにわからないんだよね。
大久保が行動と目的が一致してるのに対して西郷は腹の奥に何があるのかはわからないところがある。 >>136
内乱は即座に欧米からの侵略を招くので
旧武士軍団を九州内で西郷を人柱にして処理した
勝つ気があれば陸路でいかないからね >>139
まあ確かに継戦能力に疑問はあるね
初期は維新軍に優勢だったけど、徐々に押されるし。
まあでも敵が悪魔的天才の大村益次郎なんで。
実際に北越戦争から会津戦争にかけては相当攻め側もカツカツで、
大村に補給を頼んで断ったのが薩摩人に暗殺されたって説まである
たぶん維新軍の補給が足らないことを見て人数を補えると思ったんじゃないの?
大村益次郎は同じ適塾でも桁が違うからな
西南戦争に備えて大阪連隊作らせてるし、
第二次長州戦争で幕府軍余裕で退けてる >>23
東京に軍艦で急襲なら勝てたかもな
なんでわざわざ陸地からのこのこ行こうとしたのかw
レミングの集団自殺と同じだなw ソ連復活の妄想抱いてるあれとそっくりだな
あれも無謀なのは知っててやってんだろ
>>143
幕府側の話ならきちんと書いてるが。
とりあえずペリーをゲベール銃兵隊で迎えたって史料が知りたいだけ
時系列は合わないけどな >>146
西郷の本音というよりも西郷は調整役だから
多数の意見を最終的にまとめあげたのが西郷の意見になる。 >>136
武士というものをどう考えるかということだよ。
それまでの日本は200以上の大名家とその上位に位置する幕府に使えるサムライが支配層で、その経済的基盤は領地からの税収。
明治維新というのは日本の最高権力は将軍か天皇かという本質的には意味のない争点で争う中で、薩摩長州などと有力諸藩が幕府から権力を奪うという流れだった。
つまりそれに参加したほとんどの武士にとってそれは近代共和制国家を受け入れたというわけではない。
ところが明治政府は近代化を進めて、サムライの帰属先であり、サムライをサムライたらしめていた大名家から領土を召し上げ、結果的にサムライは雇用できなくなった大名家から雇い止めとなり、経済的に困窮することになった。
要するにサムライのほぼ全員が食いつめ浪人になった
でそれでもなんとか生活をしようとしていた時に、刀を捨てろと命じられたわけだ。
主家はもうないからサムライをサムライたらしめているのは自身の思い以外には刀しかない。
それを捨てろということはサムライをやめろということでサムライにとっては受け入れ難いことだった。
だって普通のサムライは悪いことは何もしていないし、なんなら明治維新時には自分があるいは親兄弟がそのために尽力したんだから。
恩賞寄越しても良いくらいなのに、何でサムライやめろと言われるのという話になる。 西郷って最後は新政府軍に投降しようとして
味方に撃ち殺されたってマジっすか?
谷干城は籠城戦のプロだなあ。
熊本鎮台指令のときも、戊辰戦争のときも。
上士筆頭の龍馬LOVEイケイケ君とのイメージと裏腹に沈着な。
>>23
西南戦争の場合は維新を成し遂げて「薩摩が新しく幕府を建てる」と思っちゃってる人が結構いて、
それまでの固定封建制度の武士から国民軍に転換することで禄がなくなるってこともあって、
「維新をしたのに我々を冷遇すっとはなんごとか!」ってなって、政界から引退して塾を作ってた西郷担いでほんとは単なるデモ行進してたんだけど、
廃刀令違反の上に薩摩人が朝敵になるとか冗談じゃないから、
大山巌と山縣有朋が鹿児島からスナイドル運ぼうとしたら盗みに入ったんだよね
この辺でもう開戦決意してる
西郷は「ちょしもた!(しまった)」と言ってる
こんなもん反乱でしかないじゃないですか
結果熊本鎮台に谷干城とか児玉、川上とか日露の英雄が出てくる
まあ、一応、乃木も。 >>154
その通り。だけど、その皆の意見なるものは西郷と話していると西郷に感化されて変わる。
西郷が他人の考えて動いたのは西南戦争しかないと思う。 侍って実質公務員なのだから、軍人・警察・地方官僚として
全員はむりとしてもある程度雇うのは無理だったのかな。
俺は幕末の人間で西郷が一番嫌い、友人の韓国人も伊藤ひろふみの次に西郷が嫌いと言ってた
>>158
ありがとう
前期のフリントロック式ゲベールか。
こら知らなかった。
勉強になります >>157
病気でちんこ腫れててつらかったんだよ
闘える状態じゃなかった ちょうどゼレンスキーが西郷どんみたいな扱い受けてるよな
だいたい強さも同じくらいだし
ウクライナ人は薩摩隼人みたいだし
>>163
四民平等だからね。
廃藩置県で放逐されたゴリゴリの浪人者より、寺子屋で算術や会計習ってる町屋の連中の方がよほど役に立つという話はある。 >>47
高島秋帆がゲベール銃を輸入した時期は末期といえどもゲベール銃の時代だよ。
欧米が旧式銃を売り込んだではなく日本が輸入したで良いと思うよ。
輸入できたのがゲベール銃の中でも旧式銃であっても。
アヘン戦争よりも前に軍の近代化の動きが出ていたりと、
明治の成功は幕末どころかその前の時代に始まってたりするんだから面白い。 >>53
もう少し早くから取り組んでおけば樺太や千島、竹島を取られてなかったのにと悔しいね。 >>168
当時の武士は教育もうけており藩政にも加わって実質エリート官僚だろ。
そこらへんの寺子屋で算術や会計習ってる町屋よりははうかに使える公務員。商売は下手糞だろうが。 >>164
征韓論って名称で勘違いされてるよなあ。
企図する所は朝鮮半島の乗っ取りじゃなく近代革命の輸出なのに。
国内の不満分子、新政府の余禄にあやかれなかった士族を大陸浪人として消耗させる本意があるにせ。。 >>163 それはできないし、しないということになったので、ああいう展開になったわけでして。
そもそも、薩摩なんて江戸時代から他藩に比べても武士多すぎだったみたいだし。 >>136
薩摩だけ特別扱いで既得権益が残ってたんだよな。でもそれって不公平じゃん
だから政府が潰そうとしたらキレたw >>149
当時の薩摩は海軍閥なので近代船は全部日本海軍に渡してあるのよ
長駆すれば逆に迎撃されるし、砲戦の時代で切り込みしても薩英戦争で負けてるから。
なので鹿児島から建白するという目的で決起して
全国の武士にも決起を促して維新政府を再度転覆させようとすらしてた
まあでかい夢見過ぎたのと時代が読めてなかったんだな
確かに山岳での抜刀戦で平民兵には優位に立つけど、
同じく刀持った警視庁抜刀隊投入されると優位性がなくなてる
あとは戦いは数だよ、兄貴 >>119
家康が自分の娘を嫁にやってそこの大名を懐柔したのもそういうことかw
なんで山猿に娘やったのか疑問だったのがガッテンいったわw >>172
征韓論者にもいろんなタイプがあったようだが、西郷に関して言えば、朝鮮に開国を求める使節になるつもりだったとも言われてるね。 >>171
そうでもない。
だって武士の武士たる所以は戦闘力だからね。
だから一番は武術の鍛錬、第二は論語などの儒教。そろばんとかは今で言えば小学校程度が基本。
他方町屋の人たちは武術の鍛錬や儒教は二の次。商家の姉弟ともなれば数学や会計学などのより実用的な学問を学んでる。
明治維新時なら外国語を学んだ人も多い。
スタート時点で不利なんだよ。
特に面倒なのが儒教。当時の日本の学問的基盤ではあるが、西洋式の様々な概念と折り合いが悪い。
和魂洋才とか折り合いをつけようとする努力をした人も多いけど、そんなの深く勉強していない人の方が現実的には適応度は高い。 >>163
だから秋山兄弟みたいな薩長閥以外の貧乏武士が軍人になったんじゃない
二人とも武士だから士官学校だけどさ
薩長の幕末メイン志士はほとんど政治家になってたり、
あとは薩摩は海軍、長州は陸軍になってたのだが、
まー廃刀令と藩からの俸禄停止が主原因だろうなぁ
今のロシア軍もなし崩しに戦争に突入してるし、
セルビアの青年は一発の弾で何人死ぬかも分かってなかったんだろう >>172
そこは使ってるやつごとに意見が違うからなんとも言えない
発端としては江華島条約で無理やり部分開国させたあとに居留民が迫害差別されてることから始まってるので。
東洋的な概念と西洋的な概念に、朝鮮側の攘夷志士とのバトルが加わってる
西郷は当初、兵をつけず説得と称して渡ろうとしたが、
「自分が殺されたら宣戦布告できる」とか特攻隊員状態で、
脂質異常症悪化してたからな
だから戦闘は念頭にはある外交開国通商なんで、
ペリーの黒船みたいなもんだ
実際黒船って日本の砲台砲撃してるし >>180
その書き方は誤解を与えるペリーの黒船が日本の砲台を攻撃した事実はない。 大久保さんのお父ちゃんは琉球番屋の役人で毎度やってくる黒船に悩まされてた聞いたけど大久保さんは英露の情勢わかってたんかな
プロレス戦争だよ
近代化の邪魔になる連中を処分するためのね
戊辰戦争も一緒
今回のウクライナ騒動も同じかもね
戊辰戦争はその敗退経路の邪魔な連中を処分する意図が大きい
>>119
その辺りがゲームでどこまで再現できるのかは分からんけど、奥三河の山家三方衆みたいな所謂境目の国衆にスポット当てるとより面白くなりそう
天正壬午の乱の時の真田が短期間で織田→北条→徳川→上杉とコロコロ従属する相手を変えたり、
東美濃の遠山氏みたいに織田と武田に両属したりとか境目の国衆の生存戦略は実に興味深い まあ武将にフォーカスを当てた歴史自体が西洋的な真相隠ぺい工作だからね
そのスポンサーや背後にいた勢力を隠すためのね
>>185
そんなもんは上野戦争だけで充分。
会津討伐とかむりやり敵を近隣の増やしただけで。 >>185
>>183
戊辰戦争は結果的に日本の有能な人材を多く消耗し、遺恨を残すなど後世に対しても負の遺産が大きい。
恭順しないという藩は結果的にはいなかったのだから、戦いは全くの無駄。 >>188
十分じゃないよ
田舎者に力を見せつける必要があった
今みたいにメディアで洗脳できれば必要ないだろうけど >>189
有能な人間は邪魔なんだよ
資本家にとって都合のいい人間だけが残る
最近持ち上げている渋沢栄一とかね 西南戦争の薩軍の武器や兵員はどこから供給されてたんだろ?
>>28
たとえば戊辰戦争のトキは官軍だったワケだが、大将だろうが大臣だろうが「そういうレベル」のウツワじゃ収まりきらないよね。強いていうなら「維新志士」という枠組みか。
ふつうの占領者なら被占領者から憎まれるところが、西郷隆盛が攻め込んだところは、攻め込まれたガワのニンゲンが、後日賊軍となった時に味方に馳せ参じるホドの器量だ。。。
「大西郷」というコトバは誇張でもなんでもない。本当の英傑としか言いようがない。 >>191
君は現代の感覚で考えているが、明治維新時には何から何まで人手が足りない時代だ。
その時に若者を殺し合わせるとか正気の話じゃない。 アメリカの南北戦争が終わって余った武器が明治維新に流れてきたという武器商人の話
今も昔もやってることは変わらない
>>193
荘内の話でごわすが、さいごーさがすごかったのか、黒田さーがすごかったのか
どっちともいえんもんがありもんそ 上野の彰義隊殲滅は必要だったが、奥州征伐は一切必要のない戦争だった。
会津藩の恭順を認めてれば旧幕軍の残党も東北から散っていったし、戦闘継続能力もない。
>>192
どちらも旧薩摩藩からだよ。
版籍奉還と廃藩置県の結果、薩摩に限らず日本中に無くなった藩に属していた武士が大量に放り出された。
その人たちの多くはしっかりした正業に就くことができず手間仕事で糊口を凌いでいた。
で、彼らは
武士なので刀とかは持っていた。
その彼らから刀を取り上げるという廃刀令が出されたことが全ての始まり。
従って兵士となる旧薩摩藩藩士並びにその子弟はいた。
武器は薩摩藩時代の武器庫や火薬庫にあった。
危険性を感じた明治政府はそこから武器弾薬の回収移送を行おうとするが、逆にこの動きが旧薩摩藩士を刺激して西南戦争が始まった。
回収は一部成功したので充分な武器弾薬はなかったが、とりあえずの戦争は行えた。 薩摩武士とか威張ってた奴が徴兵の庶民兵にコテンパンにやられて、武士の時代が終わったんだよね
>>190
馬鹿?江戸末期の諸藩は田舎者ではない。
小学生に馬鹿にされるその間抜けな糞袋をまず何とかしろ。 >>17
その基準だと、天皇家メンバーはすべてテロリスト、小室何某とマコはもちろん、
秋篠宮さまだけでなく今上もテロリストとして国際手配されなければならんぞ >>200
でもない。
当時の銃は黒色火薬なので、今のような一斉射を効果的に行えない。
政府軍の銃は当時としては最新式の金属薬莢のものだったが、それでも今の金属薬莢とは違った。
結果、平地での戦闘はともかく、西南戦争で多かった山岳や丘陵地での戦闘では士族の抜刀突撃で平民部隊はバッタバッタと倒されて、危機感を感じた明治政府は旧幕府側の士族が多数いた警察官から抜刀隊を数百名選抜して投入し、結果的にこれによって勝っている。
平民だけだと最悪九州は失っていたかもしれない。 >>202
天皇家のメンバーが在日外交官を殺害したり民間人の家を焼いたり強盗したという記録はない。
デマしか書けない人は困った者だな。 この時代はまだピースメーカーとかウインチェスターとか無かったのか?
ゲーベル銃と連射できないだろ?
>>189
徳川慶喜が「上手く逃げた」ためエド城下は戦火にさらされなかったものの、西軍としては振り上げたコブシのおろしドコロがなく、結果として会津藩などに向かわざるを得なかった。「世の中が変わった」という一種のデモンストレーションか必要なワケだよ。
「本来なら」関ヶ原みたいになるところを、イエヤスに近しい御三家ではなく、徳川メカケ腹の会津中将が敢えて「貧乏くじ」をひいて戊辰戦争になった。。。
東京に電力を供給していた「東京電力」福島原発の事故もそうだが、福島県はホント江戸や東京の為に良くやってると思うよ。。。 鍛冶屋さんがクズ鉄をカンカン叩いた世界最古のフルメタルジャケット弾
>>42
会津は裏方のくせ戦いが終わったあと死体に切りつけ戊辰の敵とか言ってみっともない 薩長中心に新政府の利権を確保したけど、鹿児島や山口とかなんで今や文化果つる場所になってんだろ
>>209
確かにエータイに「で、あります!」などと、チョーシューのフーシューは今だに残っているものの
、「地方人」みたいな呼び名は廃れているしねー。 >>141
>ここを落とすのに児玉が艦載砲を山に運んで落とした
これ司馬史観の弊害だな
公式な文書には当然載らないとして
それを伺わせるものもないのに事実のように語られている 薩長は近代化いいながら維新で手に入れた土地物金を安値で払い下げ防ぐために天皇に集約したら全国民合わせた土地に匹敵する土地を天皇家が持つ羽目になって後醍醐天皇みたいに建武の新政みたいになっちゃったのよね、資本集約なのかもうイミフ
>>167
ウクライナといえばコサック騎兵
まあ強兵であるところは薩摩隼人に近いか >>203
抜刀隊は
発案者が旧薩摩藩士
設立者が旧薩摩藩士
初代隊長が旧薩摩藩士
隊員の半数以上が旧薩摩藩士
後に復活させようとしたのが旧薩摩藩士
そんな時代遅れなものはいらんと潰したのも旧薩摩藩士 >>17
テロリストは私学校党
彼らが暴走した時にトカゲの尻尾の如く切り捨てれば良かったが
冷徹になることも出来ず彼らと運命を共にした 鉄は固すぎて銃身内部のライフリングに弾の表面が食いこまず、回転せずに飛んでいくから
遠くまで真っすぐ飛ばなくなって精度が悪くなる
ライフリングも削れて火縄銃とたいして変わらなくなってしまう
>>13
征韓を実行しなかったことへの天罰だろうが。脳味噌腐ってんのか。 薩摩隼人w
お前ら長州と違って単なる敗北者やで?w
西郷さんは江戸城の無血開城といい最初は
日本人同士で内戦なんかやってると外国勢力に介入されて植民地にされる事例を知ってたけど
方針転換したよね
徹底的に戊辰戦争やって旧体制の残存勢力を破壊しないと
近代革命そのものが大失敗に終わる事も熟知してた
西南戦争も全く一緒。今度は賊軍のリーダーだけど敢えて承知でやったと思うよ
大体、弟従道やいとこ大山巌が政府側にいるのが普通あり得ない
>>219
賊軍の後付けとか恥ずかしいわw
薩摩は負け犬なんだよwwwwwwww 征韓論は地政学上の危険でしょ
ロシアが日本海にどうしても出たくて朝鮮に手を伸ばそうとしてたのを
阻止するのが最大の目的
>>216
それで鉛汚染で環境云々言われても鉛玉が主流なのかなるほど >>172
西郷は征韓論じゃでもないのに勝手に征韓論の中心人物にされててカワイソス 普通に政府転覆させようと思ったら、
バラバラに蜂起する訳無いやんか。
佐賀の乱、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱、西南戦争なあ。。。
官軍はスナイドル銃。
薩軍もスナイドル銃を装備していたが、実包を製造する設備が開戦前に政府によって搬出されてしまったのよね。
まあ必要な量の備蓄はあったとの説もあるが。
優秀な人間は政府の側で仕事してたんやから。
そこで地元に残ってる人間て、
そら不満たらたら言うだけの無能よ。
政府軍にだって薩摩隼人はおったんやで。
>>176
奥三河が重要な場所だったのも勿論あるが、奥平に関しては徳川に再従属した時期も良かったな
奥平もずっと徳川についてたわけじゃなく武田に従属してた期間もそれなりにある
それを信玄の死を契機に家康は武田への反攻を開始するため奥平を調略して亀姫を嫁がせた
その直後周知の通り、奥平は長篠の戦いで長篠城に籠もり、寡兵ながら別働隊の酒井らが来るまで武田の大軍の猛攻を防ぎ切った
更に本能寺の変以降は武田の遺臣を徳川に再編するのも武田を知る奥平に拠るところが大きいく、その後は譜代としてずっと重用されてる 政府側のスパイに目的を自白させたら
西郷を視察にきた
が
刺殺に来たと聞き間違いして
親父ギャグの駄洒落から若者が暴発した
>>229
それはあくまでも憶測だけどな
真意は分かっていないよ 明治政府も戦費で国庫カツカツ、鹿児島熊本宮崎南部が戦場。
日本史の授業では習ってないけど戦後復興も大変だったろうな。
華族輩出1位と2位が徳川家と島津家やで
旧幕府も薩摩もバリバリの勝ち組やで
>>225
連邦制みたいな体制だったのが裏目に出たんじゃねw 横の連帯がなあ。
特に反政府側の旧士族は保守的な考えの人が多いし。 >>229
本当に暗殺狙いだとしたら、刺殺だなんて具体的なやり方まで指示するものかと昔から疑問だった
自然死に見せかけるとかでないなら、殺せという指示だけで充分だろうに私学校の生徒はそこを疑問に思わなかったんだろうか >>229
本当に暗殺狙いだとしたら、刺殺だなんて具体的なやり方まで指示するものかと昔から疑問だった
自然死に見せかけるとかでないなら、殺せという指示だけで充分だろうに私学校の生徒はそこを疑問に思わなかったんだろうか >>229
本当に暗殺狙いだとしたら、刺殺だなんて具体的なやり方まで指示するものかと昔から疑問だった
自然死に見せかけるとかでないなら、殺せという指示だけで充分だろうに私学校の生徒はそこを疑問に思わなかったんだろうか >>229
本当に暗殺狙いだとしたら、刺殺だなんて具体的なやり方まで指示するものかと昔から疑問だった
自然死に見せかけるとかでないなら、殺せという指示だけで充分だろうに私学校の生徒はそこを疑問に思わなかったんだろうか うわ、エラー後にリロったのに出ないから書き込みしてないと思って投稿したら被りまくった
全く揺れてないけどこれも地震被害なんだろう、きっと
司法省作った江藤新平と
西郷って留守番政府のときコンビじゃなかった?
征韓論も鉄道開通の時も一緒だった気するし
大久保の新政府の腐敗まみれで憤慨と絶望で辞職
なのに佐賀の乱で江藤が指名手配されて西郷どんの所まで
逃げて来て「一緒に呼応してくれ」と頼んでも見捨てたとどこかで読んだ気する
>>240
西南戦争のときも私学校の生徒の暴発に引きずられて戦争始めたようなもんだからねえ西郷は。 西郷は味方を見捨てて投降しようとしたら後ろから撃たれた人
英雄でもなんでもない
>>174
不公平というか
島津久光にしたら幕府倒した功績は自分の軍隊なのにいきなりハシゴ外されて
市民平等なんて言われたら激怒はごもっともで気を使った扱いになったのでは >>71 弾芯部分を空隙にして、人体に入ったら貫通方向が逸れて体内を激しく損傷させるソ連製の小銃弾に対抗するためですよ 西南戦争名物・かちあい弾のスレ(違
いや、かちあい弾は熊本城攻防戦だったっけ?
あれ、違ったw その現場はまさに田原坂だ。
薩軍の銃弾と官軍の銃弾が空中で正面衝突ってんだから
どれほどの乱戦か想像がつくってもんだ。
で、薩軍蜂起の西南戦争は>1にあるように熊本県の
熊本城や田原坂の激戦が著名だが宮崎県でもやっとったと
七熊山なんて初めて聞いたと思ったが…ちょっと形容に困る
ロケーションの地だな。そんなところで戦ったんだ。はあ。
(つづく)
(>245つづき)
で、まあ地図を見るになにがどうなって薩軍と官軍の両軍が
その山で激突したのかは不勉強ゆえ何とも分からないけどさ。
ともあれざっくり160年前のある日、当地で薩摩の鉄火と官軍の鉛玉が
宮崎の山の中で撃ち合われたわけですね。5メートル程度の距離で。
現代のそのロケーションについてまさに記事にも
>登山道があるが、ヤマビルの多さもあって訪れる人は少なく、
>山頂まで続く雑木林に、戦場だったことをしのばせるものは特にない。
ってそういうあまり人がこないところみたいだけど
だからこそ150年近く晴れの日も雨の日も明治大正昭和平成令和と山中に
両軍の弾丸が仲良く残っていたかこれはわからないね。いや、すごいな。