2021年08月22日 21時48分
芥川賞作家の高橋三千綱さんが肝硬変と食道がんのため、今月17日に死去した。73歳だった。葬儀・告別式は近親者で執り行われた。高橋さんは元東京スポーツ新聞社記者で在職中に群像新人文学賞を受賞し、文壇デビュー。退社後に芥川賞を受賞し、人気作家となった。本紙OBで長く交友があった元文化部長の阪本良氏が振り返った。
高橋三千綱さんが東京スポーツ新聞社に入社したのは1973年のことだった。当時25歳。特報部(現・文化部)に所属してレジャーや風俗、ギャンブルなどを担当していた。当時、入社2年目の文化部記者であった私とは席が近かったこともあり、仕事が終わるとよく新宿ゴールデン街に飲みに行ったものだった。
とにかく行動力があり企画力もあり、ユニークな視点の面白い記事が多かった。競馬にも詳しく「人相から分かるギャンブル運」など独自の視点での競馬に関する特集記事も書いていた。
インタビュー記事も得意で話題のタレントのインタビュー記事も数多くこなした。74年に来日した米人気ポルノ女優シャロン・ケリーに突撃インタビューして「股間を握られて悶絶」した爆笑エピソードもあった。
同年に「退屈しのぎ」で群像新人文学賞を受賞した時には、同僚はみな驚かされた。記者として飛び回っていたのに、そのかたわらに小説を書いていたとはまったく知らなかったからだ。父親である作家の高橋三郎氏の影響もあり作家を目指していたことはその時、初めて知った。
東スポを退社して文筆生活に入り、78年7月に「九月の空」で見事第79回芥川賞を受賞した。ジーンズにげた履きというラフな格好で受賞記者会見に現れて話題を呼んだ。受賞第1作が東スポに連載した競馬のエッセー「さすらいのにせギャンブラー」だったのも高橋さんらしかった。
===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3547447/