ヤフーニュース6/23(水) 12:20
https://news.yahoo.co.jp/byline/yonahasatoko/20210623-00244357/
1945年6月23日、沖縄での組織的戦闘が終わった。76年前、地上では住民を巻き込んだ熾烈(しれつ)な戦いがあり、海上でも沖縄戦は繰り広げられた。沖縄から疎開する学童を乗せた船や輸送船は攻撃され、多くの沖縄県民が犠牲になった。そして、日本軍は米軍の艦隊に体当たりする特攻隊を出撃させ、戦艦大和などの水上特攻も送り込んだ。その命令は、沖縄から約1500キロ離れた慶應義塾大学の日吉キャンパス(神奈川県)で下されていた。なぜ、日吉だったのか。
■日吉キャンパス
1937年にできた日吉キャンパスの寄宿舎は、当時「東洋一」と称されるほどの建築だったという。
設計は、戦後、東宮御所、帝国劇場をはじめ、国立沖縄戦没者墓苑も手がけたモダニズム建築家の谷口吉郎氏。寄宿舎は、北・中・南の3棟から成るコンクリート造りで、最新の床暖房、水洗式トイレを完備し、全面ガラス張りの「ローマ風呂」、食堂や談話室もあった。
学生たちが使ったのはわずか7年。連合艦隊司令部がこの豪華な寄宿舎を占拠した。
■連合艦隊、慶応日吉キャンパスへ
1944年7月サイパンが陥落した。サイパンから日本本土の距離は約2400キロ。B29が爆弾を積んで日本までの往復が可能な場所だった。米軍は日本本土を狙える距離にある基地を確保し、日本軍は本土決戦の準備を始めなければならなくなった。
戦況が悪化する中、連合艦隊は陸に上がることを余儀なくされた。
日本の海軍は、戦艦から指揮を執ってきた歴史がある。日露戦争で東郷平八郎が艦隊の先頭に立ち、バルチック艦隊を破ったことが影響している。しかし、工業化が進み、海軍でも航空母艦を主体とする艦隊が主流になったことで、戦況はじめ、空も海も把握した上での立体的な指揮が必要となった。さらに、司令部が戦艦の先頭にいるほうが危険にさらされる。戦艦の護衛も必要になる。ほかにもさまざまな理由から、陸に上がることになった。そして、選ばれたのは日吉キャンパスだった。
東京の霞ヶ関と横須賀軍港の中間にあって交通の便がよかったこと、慶應義塾の堅固な建物がほぼそのまま使えること、(地質が柔らかいため)地下壕が掘りやすいこと、無線の受信状況が良好だったことなどが理由だった。(「日吉・帝国海軍大地下壕」より)
1944年9月29日、連合艦隊司令部は日吉の寄宿舎に入り、キャンパスの多くの施設も海軍に接収された。
地下には、延長1200メートルにもわたる壕が掘られ、空襲などで危険なときには司令部は壕に下って指揮を執れるようにした。当時、壕には水洗トイレをはじめ、民間で使われていなかった蛍光灯もとりつけられ、真昼のような明るさだったという。
■米軍、沖縄本島に上陸
1945年4月1日、夜明け前の午前5時半。沖縄本島に艦砲射撃が開始された。約20分間で12センチ以上の砲弾が4万4825発、ロケット弾3万3千発、迫撃砲弾が2万2500発撃ち込まれ、午前8時半、ついに米軍が上陸した。
迎え撃つ日本陸軍第32軍は、水際で攻撃する作戦を取らず、海岸には守備隊をほとんど配備していなかった。本土決戦への時間をかせぐための持久戦を続けるために。米従軍記者のアーニー・パイルは、当時をこう記している。
「ついにわれわれは、沖縄に上陸したのだ。しかも1発の弾丸もくらわず、足を濡らしもしないで」
「それは、まるでピクニックのようなものであった」
迫り来る米軍に、追い込まれた住民。上陸翌日の4月2日、米軍上陸地の読谷村のチビチリガマでは「集団自決」(強制集団死)で85人が亡くなった。親が子を刃物で刺し殺し、首を絞めるなどして殺し合った。
(以下リンク先で)
1 所 在 地 沖縄県糸満市字摩文仁
2 建立年月日 昭和41年10月20日
3 敷地面積 825 平方メートル
4 合祀者数 34,860柱 (沖縄戦戦没者 653柱、南方諸地域戦没者 20,697柱、その他 13,510柱)
5 管理団体 岩 手 県 >>2
1 所 在 地 沖縄県糸満市字摩文仁
2 建立年月日 昭和41年10月26日(昭和62年改修)
3 敷地面積 11,231 平方メートル
4 合祀者数 66,304柱 (沖縄戦戦没者 942柱、南方諸地域戦没者 23,947柱、その他地域戦没者 41,415柱)
5 管理団体 財団法人 福島県遺族会 別に海軍を擁護するわけでは無いんだが、上陸してから米軍も苦労するんだけどな。
この段階では司令部を陸上に置くのは合理的な判断。
連合艦隊司令長官が大和に乗っても、砲撃戦はなくて実際の戦場は遥か彼方で飛行機で行われるのだから陸上で無線で指揮をとった方がいいことは真珠湾の頃からわかっていた。
それでも連合艦隊司令長官のメンツのためにミッドウェイでは大和を操りだしてなんの役にも立たずに惨敗。
ソロモン航空戦では内地にいると叩かれるからトラックに大和を浮かべたが、なんの役にも立たず大和ホテルと煽られて山本長官は前線視察に行かざるを得なくなり戦死した。
というか
首都の制空権を失って
敵機にやりたい放題された段階で負けだろ
>>10
米軍に必死に抵抗してロシアに北日本を奪われては世話もない >「ついにわれわれは、沖縄に上陸したのだ。しかも1発の弾丸もくらわず、足を濡らしもしないで」
これじゃあ時間をかせぐもなにも、全く意味のない戦闘だろ
海から空から袋叩き
米軍記者「それは、まるでピクニックのようなものであった」
安倍ちゃん「日本にとって、アメリカとの出会いとは、すなわち民主主義との遭遇でした。」
まさに安心安全な沖縄戦でしたね
>>14
それどころか皇族までいたんだぜ?
ほんと歴史を知らないのって哀れだよな… 慶応高校の校舎だね。
建物は立派だけど、内部が宮殿のような作りではないし、当時の内装もゴージャスなどではなかったはず。
何か問題でも?
艦隊の司令部が遠くにあることがそれほど珍しいのか?
ちなみに、真珠湾の時、山本がどこにいたか知らんのか?
最近の軍備でも、「象の檻」は何のためかも知らんのか?
横浜根岸の競馬場跡の隣にあるのは何だ?
沖縄で多くの住民が死んだが、他県の人間も数多く死んでいる。
摩文仁の丘も知らんのか? (最近のインチキな平和主義者がすっとぼけたがる場所だよ。「摩文仁の丘 各県の慰霊碑」で検索してごらん)
もう少し世間常識をわきまえてから記事を書くべきだよ。
>>20
それを常識だと言えるのはあんたぐらいだよ >>11
この段階で戦争継続してる時点でもう非合理だよ 離島防衛の仮想敵国が中国に変わっただけで、有事となれば本土出兵は当たり前でしょ。
>>20
他県でも多く死んでるからみんな同じと言うのも違うだろ
民間人の集団自決なんて他県では聞いたことない
敵に殺されるのも悲惨だが
味方同士で殺し合うのはもっと悲惨
言い方は悪いが無駄死にだよ
そこまで追い詰めたのは明らかに日本軍 連合艦隊司令部があった慶応
陸軍登戸研究所があった明大
>>26
サイパン島ではあったね
県では無いが民間人の疎開が無かったからな 太平洋戦争はエグすぎるな
二度と戦争は起こしてはならないね
そう共産党の絡みじゃなかったっけ?
琉球併合した時の燃料が沖縄だったとか
>>20
接収されて使われた建物は寄宿舎。現塾高校舎じゃないよ。
地下壕への入り口はあったけど。 これは海軍の創始者の勝海舟と福沢諭吉に親交があったからキャンパス内に司令部を招いたそうだ
余裕で安全圏にいるやつらもいれば自決に追い込まれてるやつらもいる
ひどいっす
>>20
本土日本人は祖国や家族を守るために闘う意義やよりどころを持てた、沖縄人は島を
破壊家族を死に導く本土人に加担しただけの犬死。日本部隊は多くの沖縄女性子供
老人を銃剣で虐殺、東京の陸軍中野学校卒スパイ兵達も沖縄各地で虐殺や残虐をやった
子供自爆兵や多くの少年招集でわが身を守った日本部隊、少年兵に放火赤子殺し命令は
日本人としてお国のため当然かもしれないが沖縄人からしたら鬼畜よりおぞましい >>25
沖縄の戦死率は、全人口の25%だ。
これを上回る戦死率を出した国は、独ソ戦の地上戦に巻き込まれたウクライナとか辺りだけ。
本土も同じ様に大変だというなら、人口7500万の本土人は、1900万人程度が戦死しないと沖縄の犠牲とは釣り合わない。
なお、広島市は、人口35万人のうち、15万人が死亡したとも言われるので、広島がいかに悲惨だったかは数字上も明らか。
何故なら、原爆投下は、事実上本土上陸戦のための最初の総攻撃だった。
ドイツの戦死者数と比較したら、日本の戦死者は大幅に少ない。
やはり、本土決戦を回避した事で、本土人は大幅に救われている。 沖縄人はアメリカが敵と思ってたが日本軍が敵だった、住民をできるだけ助けようとした
アメリカ軍、米兵のもとに逃げ走る住民は日本兵に銃殺された。沖縄各地で容赦なく多く
の女性子供老人を銃剣で刺し殺した。一家6人銃剣刺殺の場合生殺しもあり地獄状態
日本兵達は沖縄人をただの動物と思ってたのだろうか
沖縄戦の前に、台湾周辺で米軍艦隊に大打撃を与えたって報告があって
それは後で誤報って分かるんだけど、その誤った情報を元に米軍は残りカスしか来ないという事で
沖縄はほぼ無防備の状態でいきなり米軍の総攻撃を受ける事になった
まあその楽勝とほざいた
アーニーパイルは伊江島で見事に狙撃されて戦死したんすけどね。
ベー軍の人の証言を重要視しているのが岸信介の時代の官僚なんだよ。岸信介は戦勝勢力側の意見ばかりを重要視したんだよ。岸信介が戦後に総理大臣になったのは戦勝勢力に内通していたからだよ。べー軍の人って世界史の教科書に書いてあるような何でもインドだとしてしまったり何でも琉球としてしまったりするんだよ。琉球は台湾にも琉球郷や琉球嶼ってあるんだよ。キリバスやナウルやフィジーやツバルやサモアやトンガやニウエを琉球だとベー軍は呼んでいるんだよ。今でもキリバスやナウルやフィジーやツバルやサモアやトンガやニウエに行ってみると琉球人と思っている人がいるんだよ。
台湾やキリバスやナウルやフィジーやツバルやサモアやトンガやニウエは沖縄ではないよね。沖縄の使用範囲は狭いんだよ。琉球は広いんだよね。琉球は大琉球や小琉球と書いてあるよね。沖縄は本琉球だよね。カリブ諸島を西インド諸島と呼ぶのはだめだよね。アメリカ大陸って別名インド大陸ってことではないよな。べー軍の人は世界史での説明を見ると日本もインドに含んでいるんだよ。べー軍の人は故郷ではない場所をすべてインドと呼んだんだよ。べー軍の人は太平洋の南の島はすべて琉球だよ。元は日本の浦島太郎でも見て理想郷の竜宮城でも探したのが元だよ。日本も黄金土地であるエルドラドに含まれる場所とべー軍の人はしてしてしまっているんだよ。
沖縄で激しい上陸作戦をしていると沖縄の昔の人はいないということなんだよね。琉球で激しい上陸作戦をしているというのは実際はキリバスやナウルやフィジーやツバルやサモアやトンガやニウエでの上陸作戦なんだよね。キリバスやナウルやフィジーやツバルやサモアやトンガやニウエで激しい地上戦をやった歴史があるとすると先住民はみんないなくなってしまっているから今いる人たちはみんな移民ということだよね。キリバスやナウルやフィジーやツバルやサモアやトンガやニウエにいる人は先住民がいなくなったとすると戦勝勢力側から移民だよね。敗戦側の移民なんか戦勝勢力の主張ばかり採用する人が入れないんだよね。キリバスやナウルやフィジーやツバルやサモアやトンガやニウエにいる人に戦勝勢力は琉球にいると教えたんだよね。戦勝勢力なんて何でもインドの地名なんてどうでもいい人だらけでどこにいるのか把握していないし看板も見ない人だからそんなことを教えたんだよ。激しい地上戦の記憶は今はいないキリバスやナウルやフィジーやツバルやサモアやトンガやニウエに住んでいた戦勝勢力に戦争で捕まった上に粛清された先住民の悲しい話なんだよね。
特別史跡に指定される時期がいずれ来るとは思うけど
そうなると石一つ動かすのにも認可が必要だから
色々大変だろうね
沖縄であったのは九州や本州や北海道などと同じ空襲なんだよ。沖縄で無事な人がいるのは激しい地上戦がなかった証拠だよ。言っているような激しい地上戦があったらみんないないよ。細かい穴や工場の屋根の裏まで探したり住民がいる家をブルドーザーで粉々で潰したんだから。降伏したら本当に焼かれたりしたんだよ。無事だったとか主張している人は戦勝勢力の内通者だけだよ。様子を伝えて仲間になったふりして裏切ったんだよね。キリバスやナウルやフィジーやツバルやサモアやトンガやニウエの戦後の移民に戦勝勢力がまるで先住民であるかのように教えまくったんだよ。戦後の移民でも先祖の言うことをいっさい信じないようにするくらいの強い教育をおこなったんだよ。キリバスやナウルやフィジーやツバルやサモアやトンガやニウエの戦後の移民の人が今苦しんでいるのは日本人のせいだとしたんだよ。
>>12
6月23日に沖縄の新聞記者が記事書いたらこんな感じになるでしょう?
親基地、反県紙で有名な沖縄の人は、あの戦争は正しかったんだから犠牲者なんか追悼する必要はないみたいに言ってるの? 岸信介は戦争の残虐なことは日本人のせいにしているもんね。ただ岸信介を支持する官僚組織が戦争すればいろんなことを秘密にして残虐なことをするのは当然だよね。岸信介を支持する官僚組織は実際戦争に反対した戦前の官僚を粛清しちゃっているよね。日本を負けさせたから成立しているのが岸信介を基盤とする官僚組織なんだよ。岸信介は安倍晋三の一族って書いてあるよね。
琉球人と強く主張しまくっている人はキリバスやナウルやフィジーやツバルやサモアやトンガやニウエにいる人なんだよね。キリバスやナウルやフィジーやツバルやサモアやトンガやニウエにいる人には戦勝勢力が教えた拡大琉球の精神性が埋め込まれているんだよ。キリバスやナウルやフィジーやツバルやサモアやトンガやニウエにいる人には日本人であることを否定するために琉球人と呼ぶようにしているよね。ただキリバスやナウルやフィジーやツバルやサモアやトンガやニウエの人が琉球にいると主張しているけど日本政府の地図では日本とはしていないんだよ。琉球である今いるここは日本かどうか現地の地方政府に聞いてみるといいよ。日本ではないというかもね。さらに琉球でもないと言ったら笑えるけどね。あともっと聞いたことがないような地名か紛争地帯で有名な地名だったらもっと笑えるけどね。どこにいるかというのは実際は難しいんだよ。地図見ても迷うことがあるのと同じ理由だよ。日本から出たいなら政府機関と相談するといいし日本でないとわかってもさらに日本らしくない場所に行きたいというといいよ。
ID:N8FnS2dg0
また変異株?が出てきたww
ウイルスじゃなくて菌だなww
追悼というのは善か悪かではなくてとにかくしてあげればいいよね。
今は金満エリートなイメージの慶応も
当時は旧制に合格できなかった落ちこぼれが行く学校。
戦後アメリカ支配の一番の恩恵受けた大学が慶応だと思う
福沢諭吉も実は生きてた当時は大した人物じゃなかった。
過激な言動で注目集めるのが商売の傍流、今でいうN党みたいなの。
でも奴の遺した「日本人は優秀な白人様にひざまずけ」って卑屈な思想が、
アメリカの戦後統治方針とぴったりマッチしたw
このバカ女記者は、連合艦隊旗艦 軽巡洋艦「大淀」の存在を知らんのか?
整合性の悪さが虚構性だらけであるという証拠の教科書の内容に準拠した定説を押し付ける官僚や学者を教唆する人類は旭日旗の光に導かれて陸軍分列行進曲の音楽と抜刀隊の歌詞の意味の精神性に惹きつけられて地獄のアフガンやイラクやウガンダの激しい風景であるルーマニアであるどこのドイツかわからない目玉覆面だらけのガーゴイル世界の地獄に吸い込まれていく。
>>17
と思わせてからの
有名カメラマン、アーニー・パイル戦死
バックナー中将戦死
米軍史上で戦死した中将はバックナーのみ
第九師団台湾引き抜き、大本営からの5月総攻撃の要請がなければ余裕で終戦まで持久できたという >>38
>人口35万人のうち、15万人が死亡
原爆が投下された日の推定死者数、年末までの推定死者数、
数年後までの原爆病死も併せた死者数等で全く数字が違って来るから
広島原爆の死者数の議論は難しいね
個人的には「1945年末までに14万人の死者が確認された」という
(準)公式見解等も踏まえると「死者約20万人」が実態に近い気がする ベー軍がやった激しい戦争は戦争だらけのアフガンやイラクやウガンダでやっているんだよ。アフガンやイラクやウガンダで戦争がないとか主張してアフガンやイラクやウガンダ以外の場所で戦争しているとテレビや新聞で報道しているよね。報道内容は岸信介を支持する官僚組織はとにかく事実から遠くすることを目標にしているんだよ。報道内容は岸信介を支持する官僚組織の当然の検閲が入っているんだよ。戦争だらけのアフガンやイラクやウガンダってどうすれば行けるかというと戦場に派遣される基地の人と同行すればいいんだよね。戦争だらけのアフガンやイラクやウガンダに行くには政府機関と相談しよう。戦場に行くには政府機関と相談しよう。
政府の公式見解というのは当然教科書準拠なんだよ。教科書といえば原発は安全とか言っているし毒物なのに安全とか書いてあるもんね。教科書信じたら危険だよ。化学の教科書すら嘘ばかりだよ。教科書の内容が安全というなら塩酸と水酸化ナトリウム混ぜれば安全な食塩ができあがるんだって。塩酸や水酸化ナトリウムは危険と書いてあるよね。実際に学校の実験室で混ぜたものを飲んでみると危険だよ。政府見解では原発は爆発しない安全だといったのに爆発したよね。それでも原発が安全というなら福島第一原発の内部を見学するといいよ。実際は隠されていることだらけだよ。さらにあとにも教科書は原発は結局推進しまくっているもんね。
>>6
沖縄に向かわせる舟が有りません→朕の船が有るではないか→3332人の特攻が決定 激しい地上戦という証言は何かどんどん増えていっているんだよね。当時の人はいなくなっているのにおかしいんだよね。最近の戦争だらけのアフガンやイラクやウガンダでの戦争の内容をどんどん昔の戦争の話として採用しているんだよ。安倍晋三を総理大臣にする政府は最近あった戦争だらけのアフガンやイラクやウガンダでの戦争のことを隠したいようだから昔のことにしてしまうんだよ。戦争だらけのアフガンやイラクやウガンダにも平和な日本を捨てた日本語話者が戦争に参加しているんだよね。
>>26
軍や退役軍人が直接関わったグループは自決してないじゃん
2つのガマと言うけど本当は30以上のガマ(グループ)があった。
じゃあ何でそれらのガマを歴史から抹殺する必要があるのか?
読谷で退役軍人の下に人々が集まって30余グループできた。
1つチビチリガマで自決があり、他の30全てが降伏した。
運命を分けたのは、降伏したガマの退役軍人は全て日中戦争帰還者だった。
「私ら皇軍はシナで住民に危害を加えたことがない。アメリカは日本と同じ列強(先進国)だからシナと違って虐殺されない」
と住民を降伏に導いた。
それというのも、第32軍司令部は「アメリカは文化的な国なので…」と住民に降伏を薦める布告をしていた。
自決したガマは、済南事件・通州事件といった中国軍による虐殺に恐怖して自決した。
この証言は近年改ざんされようとしている。 >>26
日本軍が追い詰めた痕跡や事実はないな
例えばひめゆり部隊は教員引率の班で自決があったが
軍人に配属された人達は自決者を出していたない。
現在、日本軍が降伏を許さなかったという説は意図的なデマで、
こういう理屈なんだよ。
「日本軍が住民に捕虜になることを薦めた文書がない」これが根拠になっている。
しかし、この説は言葉遊びなんだよ。
「捕虜」という用語は国際法で軍人にしか使えない、
従って日本軍は降伏した住民に「捕虜」という用語を使ってなかっただけのこと。
実際は、日本軍は「敵占領地に住む住民」という用語で降伏を住民に薦めていた。 >>64
非常に興味深い。
何処かにその記述されたソースは有るのかな?
ぜひ読んでみたい。
日本軍が自決より降伏を勧めたという話を。 >>31
コロナのおかげで日本は二度と戦争してはならないと学んだね
必ず負ける >>38
と言っても、特攻隊や玉砕よりは戦死率低いよね アメリカの太平洋艦隊も司令部はハワイオアフ島の陸上だろさ
レベル11
東京大(理?)、京都大(医)
レベル10
東京大、京都大、国公立大医学部
★慶應義塾大(医)
レベル9
一橋大、東京工業大
レベル8
北海道大、東北大、名古屋大、大阪大、神戸大、九州大
早稲田大(政経・法・文・各理工など)、 ★慶應義塾大(経済・法・理工など)、私大医学部
レベル7
筑波大、東京外国語大、お茶の水女子大
早稲田大(人間科学・社会科学・国際教養など)、 ★慶應義塾大(SFCなど)、上智大
レベル6
千葉大、首都大学東京、横浜国立大、電気通信大、東京農工大、新潟大、金沢大、広島大、岡山大、熊本大、長崎大、名古屋工業大、
名古屋市立大、京都工繊大、奈良女子大、大阪市立大、大阪府立大、神戸市外国語大 など
東京理科大、中央大(法)、関西学院大、同志社大
レベル5
小樽商科大、弘前大、群馬大、埼玉大、東京学芸大、信州大、静岡大、三重大、
滋賀大、兵庫県立大、和歌山大、香川大、山口大、鹿児島大 など
明治大、青山学院大、立教大、法政大、中央大、立命館大、
関西大、学習院大、津田塾大、南山大、私立大薬学部 など
レベル4
その他国公立大
日本大、東洋大、駒沢大、専修大、京都産業大、 近畿大、甲南大、龍谷大、成蹊大、成城大、明治学院大、
國学院大、武蔵大、東京農業大、東京電機大、芝浦工業大、神奈川大、愛知大、名城大、福岡大、
西南学院大、東京女子大、日本女子大、学習院女子大、同志社女子大、京都女子大 など
レベル3
亜細亜大、東海大、拓殖大、国士舘大、大東文化大、桃山学院大、神戸学院大 など
レベル2
共立女子短大、大妻女子短大部、
日大短大部、昭和女子短大部、
京都女子短大部、
関西外国語短大部、など
https://www.toshin.com/courses/ >>1
占拠?
供出だろ?
慶應って戦争に対してヤリヤリなんだが。
脱亜論書いた福沢諭吉は日韓併合を先に立ってやってたぞ
だから原発も推進派
あほなん? >>70
日本軍をそこまで追い詰めたアメリカ軍が悪い」日本兵は住民たちが米兵のもとに逃げ
のを背後から射殺、多くの女性や子供を銃剣で刺し殺した。米兵が住民に配給した食料
を奪うため強盗虐殺を各地でやった、これ全て日本軍の行為だがアメリカ軍が日本軍を
追い詰めたからアメリカ軍が悪い、日本人の卑しく賢さで屁理屈の自己美化 神風アタック 沖縄戦
日本帝国は沖縄を見捨てたってよく言ってる人いるけど、
実際の映像で全くのウソってことがよく分かる >>77
真面目にレスするならその特攻隊員も沖縄と一緒に見捨てられてたってだけの話なんだが、今やそのレスもコピペなんだよな。
大勢の若者が散っていく瞬間を寝そべって面白半分でコピペして自分の主張の小道具に使用・・
亡くなった本人は勿論、ご遺族の方々にも失礼極まりないな。 常識としては沖縄防衛戦は硫黄島と並んで
日本軍の総力結集した大善戦だわな
>>72
そうなんですか。
それでこのスレはオシマイですね。 オリンピック貴族と日本人みたいな関係だな。
>>80
負けたら善戦しようと成果ゼロだな。
スポーツの「惜敗」みたいなものだ。 菊水やったあとには船ないからな。することもなかったろ、連合艦隊
>>72
山本五十六がトラックでボヤいたって話だな。ニミッツはハワイで、なんで俺は出張らないといけないのか 沖縄戦と慶應義塾と言えば上原良司大尉
間違いなく、ひとかどの人物になっただろうに…
次の戦争では世界最強国家との軍事同盟の恩恵を受けながら戦えるよね
沖縄戦と言えば陸軍中野学校の大活躍と本土部隊の住民虐殺
生物学の教室/講義と食堂のカレーくらいしか記憶にない。1回きり。
普段は戸山町に通ってた。中森明菜が流行ってた頃。
>>78
特攻隊は沖縄攻撃に飛び立った、日本軍の攻撃で先祖からの民族の地を破壊され多く
が死んでいった、祖国を守るために沖縄攻撃した本土部隊や特攻隊と沖縄住民は同じで
はない、犬のように便利利用された沖縄人の命 慶應義塾大学と海軍と言えば、塾長をやっていた小泉信三だな
息子信吉が戦死し、戦後「海軍主計大尉小泉信吉」を出版。代表作の一つになっている