日中戦争勃発から日米開戦前までに3度首相を務めた近衛文麿。その人物像について当時の内閣関係者や知人らが語った証言集「諸家追憶談」を、東京都杉並区教育委員会が新書として刊行した。学芸員10人が関わって2年がかりでまとめた力作で、日独伊三国同盟や大政翼賛会誕生の背景にあった近衛の考えや、自決前の様子なども語られている。
★近衛文麿と荻外荘
≪1891年、旧華族でも家格が高い「五摂家」の一つ、近衛家に生まれる。貴族院議長を経て1937年の第一次内閣発足後に起きた盧溝橋事件を機に日中戦争が勃発。国家総動員法制定や日独伊三国同盟締結、南部仏印(現ベトナム南部)進駐など、昭和史の転換点となった時期の首相となった。 荻外荘は、寺社の名建築で知られる伊東忠太の設計で、大正天皇の侍医だった入沢達吉の別邸を37年に近衛が譲り受けた。第二次内閣の方針や対米開戦回避を探る重要会談に使われた。敗戦後、A級戦犯の指定を受けた近衛は45年12月、ここの書斎で服毒自殺した。≫
区内には、近衛文麿の別邸だった国史跡「荻外荘(てきがいそう)」がある。重要会談があった客間など建物の一部が1960年に豊島区内に移築されていたが、2018年に杉並区が買い取って元の場所での復元整備を進めてきた。区教委は歴史的な価値を広く知ってもらうため、近衛家歴代の資料を納める陽明文庫(京都)との共同調査のなかで追憶談に着目した。国立国会図書館でマイクロフィルムが公開されているものの、全体を活字化したものはなかった。
敗戦後に近衛が自決した後、伝記をつくるため、21人に聞き取って書き起こした原稿は800枚以上。区教委はすべて撮影し、現代仮名遣いに改めたり、句読点や改行を加えたりし、読みやすく新書にまとめた。
…続きはソースで(会員記事)。
https://digital.asahi.com/articles/ASP692TF5P67UTIL04R.html
2021年6月9日 14時00分 これ読んだけど、文麿にたいして悪いこと言わない人の証言が多かったな
>>7
浅はかなやつってそういう認識なんだね
最悪はどう考えても近衛文麿だろ この人のおかげで安部や小泉程度の悪政でも歴代最悪首相の座は与えられないという高すぎる壁
ルーピー>>>>>>>>近衛>>>>>>>>>>菅直人>>>>野田>>鳩山一郎[eof
国民からの人気は高かったんだよなぁこのひと
血統がよくて親しみやすく紳士的だったとか
日本は支持率が高い首相ほど国政を誤り国を傾けるというおかしなジンクスがある
近衛と朝日新聞記者の尾崎はコミンテルンのスパイとして戦争まで流れ作った張本人
お膳立て後に東條英機やらされてむしろ被害者でかわいそうなほど
山岡荘八の小説でえらいディスられとった
服毒で自決したのに薬で死ぬチキン野郎って言われとった
>>12
ルーピーは安倍・小泉・橋本・野田辺りから比べると全然まし
その安倍・小泉・橋本・野田が束になってようやくトントンかちょい超えるくらいなのが近衛
ルーピーなんんて近衛の失政の足元にも及ばない 格式だのほざいてるが1000年乞食のクソ虫だし
ばかじゃんwwwwwww
挙句の果てに神輿で実権にしゃしゃり出てきて大損害出したごみども
>>10
松岡洋右が南進論を推し進めて対米の外交を
潰したからこっちの罪も大きいよ >>16
総理辞めても売国してるルーピーのタチの悪さは
相当なものだろ? 近衛カス麿
「天皇(昭和天皇)には退位していただくか、 戦艦に乗っていただいてもろとも戦死して いただくのがよい。または自決していただければ、 国民も軍も無条件降伏に納得がゆく。」
>>18
首相という枠を無くせば松岡は最悪レベルの政治家だわな
人の話を聞かず自身の能力を過大評価、自己顕示欲抜群の承認欲求欲の塊
彼は外交の場などに立たずサーカスのピエロとして一生を過ごせばよかった 松岡はナチスを妄信して三国同盟推進したのにナチスがソ連と戦争するなんてまったく考えずに日ソ中立条約結んで
ソ連も三国同盟に入れようとか考えたバカだからなあ
近衛もアレだが松岡も相当
>>13
その辺の見かけは端正とか中身のないキャッチフレーズで民衆扇動とか、自分だけには非は無いと心の底から思い込める才能とかが安倍ちゃんと重なるんだよね >>19
私は土下座はタダだと思ってますんで
慰安婦土下座>>>>慰安婦に追い銭10億円
10億払って土下座以下の効果しか出せないんじゃ役立たずの大バカ者、金持ちのアホボンボン 近衛や松岡みたいな最悪の国賊に現代のアホ並べるなよ
日本人300万人死なせたクズ
戦犯とはまさにこいつらの事
近衛が首相になった時のマスコミの持ち上げようが凄かったらしい
今も昔もマスコミが持ち上げる政治家は碌なもんじゃない
>>14
自社の尾崎に騙されたバカだから、朝日新聞は好きなんだろうな。 >>29
当時の新聞を本で見たことあるけどまじで西園寺公望の秘蔵っ子の貴公子扱いだからなぁ
かなりの熱狂だったみたいだ
日本人てわりと血統主義というか、白馬の貴公子を信じる乙女よね >>29
30年近く前、その近衛のDNAを受け継ぎ非自民連立政権の首相の神輿に乗せられた細川の
メディアの持ち上げっぷりも凄まじかったのは今も強烈に記憶してるね ファッションでイキ李散らかす詐欺師強盗の壺ウヨ逃亡
>>33
細川・鳩山・安倍、日本人て分かりやすい良血が好きよね 近衛家だからって持ち上げられたんでしょ?お公家さんにそんな能力ないっての
>>29
女性雑誌と朝日が持ち上げまくりだったんだよな近衛って
近衛、細川、鳩山とコイツらが推す政治家は碌なもんじゃない
もちろん鳩山も行きつけの店がどことかスーツのブランドはこれとか持ち上げまくりだったが >>35
日本はやはり保守、純血趣味だもん
純潔まで 国民に人気があったことは確か
ということは世論とか人気があまりあてにならないことの証左
>>41 昭和天皇もおっしゃったことだが、近衛文麿は本質的に八方美人な人。
だから、みんなから人気になるんだけど、同時に敵を生み出す決断ができずに、
右往左往してしまうことになったわけさ。 >>8 そうだよ。
…っていうか、藤原氏で北家以外の公家って、明治までどこか残ってたっけ? この人これだけのことをしでかしておきながらGHQは私の能力を必要とするはずだと裁判に召喚されるまで信じてたんだよな
政権入りした時の戦後日本政治の構想も練ってたらしいしある意味では凄い人
>>5
無能なくせに人気だけは高かったから、安倍晋三寄りじゃね? >>12
森喜朗が入ってない
鈴木善幸・宇野宗佑・村山富市・細川護熙も入れてほしい 失策も多いけど
こいつは取り巻きがアカだらけだったのに気づいてないのが問題
>>52
社会主義者が多いことは知ってたはず。
そもそも、近衛自身が若い頃に社会主義思想に共感してたわけだし。
尾崎秀美に関しては、さすがにソ連のスパイをやってるとまでは思ってなかっただろうが。 >鈴木>田中>三木>羽田>犬養>ルーピー>近衛>村山>幣原>菅直人>細川>野田>鳩山一郎
軍部は張作霖を爆殺してからどうも制御が出来なくなったようでもある。この人も歴史の荒波にもまれ非業の最期を遂げた。
一番悪いのは不況のブロック経済をしき、ハルノートを突き付け、一夜に10万を焼き殺す無差別空襲に許可を与え、日本へ原爆投下の予定を立て、ソ連参戦の確約とり、無条件降伏で日本を軍門に下らせる算段をたてた偉大な男言われるフランクリン・ルーズベルト。
情報統制で何も言われないがヒットラー以上だった。
>>15
出自からして侍じゃないし
お公家さんの自決としては切腹より服毒だろやはり >>49
教養は備わってたからな
一族の中でも最も出来損ないの知恵遅れの癖に
なぜか宰相の座に就いてしまった安倍と比較すること自体が こいつの孫が護煕だっけ?
カッコだけで中身空っぽなのは血筋か
近衛文麿も昭和天皇の側近の木戸幸一もコミンテルンの手先
新聞社は軍部を恐れて煽ってたことになってるが朝日新聞も読売新聞も赤の手先
>>47
まあ朝鮮戦争迄生き延びられてたならかなりの確立でその目はあったかもな岸信介と同じく >>62
間違えた・・・
確立 → ×
確率 → 〇 スパイの手のひらのうえで踊るのがうまかったボケ老人
>>57
昭和天皇は、学習院時代に苗字で呼び合う同級生が羨ましがったという逸話があるし、そういう理由で嫌ったというわけではないのでは。
天皇と近衛の間がしっくりこなかったのは、性格的に合わないみたいなことを天皇自身はおっしゃってたが、政治思想的な対立もあったと思われる。
昭和天皇は英国的な政治体制を理想にしてたから、大政翼賛会を歓迎していなかった。 >>61
ソ連が日本の脅威をアメリカにぶつけたんだよな
アメリカもソ連のスパイにやられて
お互い戦争する必要なくても戦争してしまった 近衛家は、あの中臣鎌足、藤原家の筆頭。
安倍家や岸家とは比較にならない。
>>67 違います。
独ソ戦が始まって間もない頃、日本は関東軍特種演習を行って対ソ戦の準備をしたが、
それは米国に察知されており、程なくルーズベルト大統領が近衛首相にメッセージを送っている。
そこでは、日本がソ連を攻めた場合、日本と米国は開戦に至る可能性があることが示唆されていた。
以上は、第二次近衛内閣の書記官長だった富田健治が証言していること。
日本が南進したことが対ソ戦を遅らせたことは間違いないが、北進しても対米戦は起こっていた。
南進であれ、北進であれ、日本が攻勢に出る限りは、日米戦争は不可避だったんだよ。 >>70
日本がソ連を攻めた場合、日本と米国は共同でソ連に宣戦布告していたのか・・・・なるほど。 >>66
おっしゃるとおりですね。
昭和天皇は、親英米の古典的自由主義。
近衛文麿は、反英米の全体主義、社会主義。 近衛文麿、村山富市、鳩山由紀夫、
この三人は、絶対に許せない。
>>54
すがではなかろうか
前評判、人気はあったけど就任してみたらダメだった
近衛は戦争止めようとしたが無理だった >>71 残念ながら、日本が米国とソ連に挟み撃ちされるんだ… >>75
そしてマッカーサーの懺悔に至ったと・・・・・ 昭和天皇に対する時に椅子に座って足を組む男だからな
ゾルゲとか朝日新聞の尾崎秀実(おざきほつみ)とかコミュニュストに操られた人
>>76
そういう米国側の懺悔というか後悔も、
ドイツや日本の脅威が過ぎ去ってしまったからこそ言えるようになったわけでな。 >>70
北進してたらアメリカは参戦できなかったんじゃない? この人こそ戦犯だよね
反皇室の人で、
共産党工作員の朝日記者とかと組んでた。
>>83
日本軍が北進⇒石油全面禁輸⇒ハルノート⇒真珠湾
…で、現実の場合と同じく対米戦に突入する。 実際はアメリカの上層部も尾崎ゾルゲ級のスパイがうようよと居た。
共産主義の犬だったがソ連に留学させた息子を粛清された屑だろ
昔の本読んでも人間の出来が悪かったと評判だったらしいな。
荻外荘スレ
あれ? 今までなんとなく狄外荘だとばかり思ってたが、違うんだ。
まあそりゃそうか北狄の狄なんて字は自分の家にはつけないよなあwww
ま、それはそれとしてなんつーかそういう歴史的なね
政治家のお家に名前がつくって言うのはいいよな。
そしてのちにそれがさ>1の場合は史跡だそうだけど
それが本当に名称になるんだからね。
まあ政治家の邸宅に限らず全国津々浦々で
素封家の家とかが文化財として公開されてるとかあるけど
そういうのもね、なんかいかにもなネーミングがあると
なんていうか映える気がするね。
スレ民諸君らも何か自邸の二つ名を考えようwww
(つづく)
>>90
じゃ、やっぱりアメリカも日本もソ連のスパイにやられたでいいんでしょ (>93つづき)
で、まあ、荻外荘ネタでブックガイドと言っちゃなんだけど
手元に御厨貴先生の『権力の館を考える』って
これは元々は放送大学の講義科目の教材たる書籍があって、
そこに荻外荘の話もあるんだけど、興味深いもんですなあ。
この本は面白いです。一般公刊書もあると思うけど、オヌヌメ。
(今、読み返してたらハマったねw 面白いwww)
今はそういうの、あるんですかね。
かつては主要政治家の本邸別邸こそが政治を動かす場だったりして
政治家や文化人とかが政治家の自宅に集まって、みたいなのさ。
今のスガ帝は確か議員会館から通ってんでしょ?
聖帝安倍陛下の渋谷の邸宅が政治的にどうこうって話も
往時あまり聞かなかった気もするけどなあ。
もちろん、そういう時代ではないってところはあるけれど
特に公邸、旧官邸ですけど、とか政治のニュースであまり話題にならなくて、
これはなかなか面白いなあと思うけどね。
ところで荻外荘は東条時代、まあ東条英機といえば自らも憲兵畑の
憲兵政治で有名ですが、その憲兵隊に軽井沢の別荘ともども
随分監視されたというけれど現代にはそういうのってあるんですかねwww
近衛といえば、戦時中は特に戦局不利になってからこっち
和平工作とか反東条っぽい活動に尽力してたといいますけどねえ。
(だから戦後は戦犯訴追は免除されると考えたというし
それが故にあの最期にも通じるんじゃないかと思うんだけどさ)
>>47
五摂家の中でも筆頭格だからな
ボンボン気質の塊みたいなもんなんよね >>92
>ソ連に留学させた息子を粛清された
認識が全く間違ってるが。
近衛文麿の長男文隆の留学先はアメリカ。
彼がソ連に行って死亡したのは事実だが、
陸軍に従軍して、シベリア抑留された結果だから。
彼が死亡したのは抑留が終了する直前で、待遇はかなりよくなってたらしい。
>昔の本読んでも人間の出来が悪かったと評判だったらしいな。
それはお前のデマだろうな。近衛の評判は非常に良かった。
だからこそ、皆がこぞって近衛を支持した。
鳩山由紀夫に喩える人がチラホラいるが、
当時の近衛支持は、鳩山とは比較にならんほど広範囲なものだからな。 >>99
倅を3人とも戦地に行かせなかった東條とは違うな。 >>57
摂関家とは言っても血筋は天皇家直系だからな >>97
近衛の首相時代は、まともに敵対勢力と呼べるものがいなかったんだが、
東條が首相になって以降、彼が反近衛の中核になった感がある。
ゾルゲ事件も、近衛への追及を検察は躊躇したのに、
東條が徹底的にやれとか指示して、取り調べすることになったらしい。
近衛政権末期の対立が引き金になったんじゃないかなと思う。 >>12
日米年次改革要望書を廃止した国士がルーピーなのにそれはない >>100
近衛文隆が招集されたときは、一介の二等兵としてスタートしている。
途中で幹部候補生考査に合格して、最後は中尉になったが。 >>101
摂家であることが重要なので、父系が皇室に由来することは、近衛家の権威と特に関係はない。 ナンキョクがっての報道管制がかかっちゃってて
白瀬中尉と近衛公再登板の枕詞でしか使えなかった
この難局をいかにせんってこのおっさんワシが子供の頃にもやってたけどまたやるんか
白瀬中尉だったら北極にも行って世界一周してるわってのいってたな
>>14
東條英機はお膳立てした側の人間
首相になる前は好き勝手言ってて
そのツケを払う事になったから戦後に処刑された >>93
実際のところ、荻外荘というのは「荻窪の外の家」というだけの意味らしい。
命名したのは近衛自身ではなく、西園寺公望とのこと。(´・ω・`) >>110
山田風太郎「お前はちゃんとやりとげろ」 近衛公は本人は自殺やし
息子もシベリア抑留で結構悲惨な死に方したよね
(´・ω・`)
せめて自殺しなきゃ死ななくていい人間が身代わりにならなくてよかったのにな
こいつのポジションなら3人くらい助かったはず
>>114
処刑された7人の中で、近衛の身代わりと呼べるのは広田弘毅くらい。
ただ、広田が処刑されたのは、彼が一切弁明しなかったことが大きく作用しているので、
本当に近衛の身代わりなのかどうかはわからん。
残りの陸軍6人の処刑は、近衛の自殺と関係なし。(´・ω・`) >>39
いや、それが大日本帝国憲法の解釈としては保守的で正しい。 >>116
>>39における東條の言い分は明治憲法的に正しいから、
>>14の言う「東條英機が被害者でかわいそう」という認識は間違っているわけだろ? >>66
昭和天皇が好きなのは、乃木希典とか鈴木貫太郎とか高橋是清、若槻礼次郎、岡田啓介とかこの辺なんだろうな おっと、レスに気が付いたのでレスレス。
>>102
まあ近衛文麿と後継首相の東条英機では
なんていうか想像するだに相性悪そうだよネwww
外貌についてはのべないにしてもw キャリアから何から全然違うし
史実かどうかは知らんけど俗に言われる東条閣下のゴミ箱あさりとかw
これはちょっと近衛閣下はやりそうにないよねえ。
まあ近衛文麿も大政翼賛会の会長だったこともあるし
例の近衛声明とかのこもごももあって戦争責任は免れまいが
理由はともかくアンチ東条の一巨魁であったんでね
戦犯訴追はされたろうが、そう酷いことにはならなかったと思うけどねえ。
それこそ満州事変の立役者、石原莞爾の戦後処遇とかを見るにさ。
あとは東京裁判で東条閣下の頭をひっぱたいたスサノオ先生の免訴とか。
(まあ今からの視座であれば死刑にならなけりゃ早晩出獄できたは明らかだが
名家の御曹司としてね、一刻でも縛を得るが堪えがたいとか言うのであれば
これはもうしょうがないというべきではあるかしらないけれども) >>21
これ、絶句したわ。知ってる。
普通、ここまで言うなら自分も一緒に殉死するのよ。でも近衛は生きる気満々だった。
新しく即位する皇太子=上皇さまの補佐役になる気だったらしい。 近衛は、対米開戦までする気はなかった
そこは文官なので、最低限の良識はあった。
結局、東條や嶋田あたりの軍人が、面子のみで開戦したのが
日本の運の尽き。
>>89
鳩山由紀夫って、最後に話した人に影響されるらしいなw
近衛文麿もある時は親米、ある時は反米、ある時は親ソ、ある時は反共というカメレオン思想も納得がいくな >>111
wwwww
なるほどねw 情報提供カムサ。
「荻窪の外」で荻外荘。
まるでひねりがないが"最後の元老"たる西園寺公がそれをいうと
しかも近衛別邸となるとなんか典籍に謂れがあるような
そんな気になるから面白いですな。
で、その桂園時代の西園寺公の別邸は興津の坐漁荘ですかw
なんだ、やればいい名前作れるじゃないかwww
ついでに思い出したから言うけど明治の文豪、
森鴎外の団子坂の邸宅は観潮楼ですな。カッコいいw
しかしねえ西園寺公、興津ってのは遠いよなあ。静岡だよね?
それいえば吉田茂の有名な大磯御殿も随分遠いけどさ。
そういえば吉田茂といえば、あれはなんだ? 当時の外相公邸だっけ?
今の東京都庭園美術館に住んでたって、これはねえw いやあ、趣ありますなあ
元は朝香宮邸だっけ? まあなんかすごいよなw ロケーションも建物もw
日本のアールデコの代表的建築物w もちろん重要文化財だwww >>123
ふざけんなよ
第一次内閣 盧溝橋事件、日中戦争
第二次内閣 北部仏印進駐、日独伊三国軍事同盟
第三次内閣 南部仏印進駐、帝国国策遂行要領決定(事実上の開戦方針決定)「戦争に私は自信はない。自信ある人にやってもらわねばならん」といって10月18日逃げ出しw
ワザとやってるだろ、流石に >>5
いくらなんでも村長と比べるのはお貴族様に失礼でしょう >>80
コミュニストを利用してWW2を仕掛け 敗戦革命を目論んだんじゃね >>32
先が見えない時代の希望の光とみなされていたことは、間違いない。
ただ、表面的には西園寺の後継者とみなされていたかもしれないが、実際には西園寺と近衛の考え方には距離があった。 >>122
でもけっきょく近衛が死んで昭和天皇は生き残ったじゃないか?
近衛は一応制空権失った敗戦の一年前にはもう講和しようって言ってのに
昭和天皇は聞かなかった >>32
わりとっていうかけっこう血統主義だよね
まあ明治維新の経緯とかからして血統主義というか
まあ朱子学のせいかもね
ほんとうは高貴な青白いうりざね顔の人より百姓みたいな土くさい人のほうが
実力や根性やリーダーの気質があるのにね 近衛って
門番に毛が生えた程度の格式
明治より前はとても語れるもんじゃない
>>133
昭和天皇が聞かなかった?
初耳だな、流石にソースを要求する
ちなみに、、、、、オレが知っている歴史だと
東條内閣がぶっ潰れたのは、後に首相となる岸がサイパン島陥落したんで、空爆されまくるので講和しろっていったから
これが閣内不一致になって東條内閣が解散したのが、終戦の1年前
次の小磯内閣は蒋介石を経由した講和の道を探るも失敗
昭和20年4月 事実上の終戦を目指した鈴木貫太郎内閣が誕生
8月に所謂ご聖断を下すことになる 近衛自身がコミンテルンかはわからんが周囲のコミンテルンに完全に
やられてたんだよな
近衛も共産主義者でソ連のスパイか或いはシンパだったに違いないよ。
敗戦革命には少なからず期待していたはず。
だから昭和天皇から多いに嫌われていた。
師匠である西園寺公望もパリコミューンで影響を受けた共産主義者だったんだから
レーニンも貴族だったように、根が純粋なお坊ちゃんほど共産主義に洗脳されてしまいやすい。
子孫の細川が日本新党作ったのはアメリカの政治工作だよなあ
アメリカが子孫の細川をピックアップし
アメリカの奥の院とつながりがある文春が日本新党を宣伝しまくってた。
日本政治のカラクリをつかむといろんなストーリーや意図が透けてみえる
>>21 >>122 その話の出所がどこなのか知りたい。ソースを提示してくれんか。
天皇の退位後の処遇について、明確に知られている近衛の発言は次の内容だ。
「御退位ばかりでなく、仁和寺あるいは大覚寺にお入りあそばされ、
敗戦将兵の英霊を供養あそばされるのも一法だと思っている。
僕も勿論その時はお供する」
これは、近衛の女婿である細川護貞が伝えていることだ。 >>125
坐漁荘も「座って魚を釣る」というだけの意味だしな。
太公望の故事にちなんでるとも言われるが、
単純素朴なネーミングであるに違いはないと思う。
それが、西園寺のセンスなんじゃないか。(´・ω・`) >>141
西園寺公望は英国的立憲君主制を理想として、天皇親政に反対を続けた人物だ。
昭和天皇の政治姿勢は、このような西園寺思想を受け継ぐものだ。
しかし西園寺的政治思想を、お前みたい連中が批判して、
政府は結局、天皇機関説を否定する国体明徴声明を出した。
天皇の戦争責任を明確に免れる根拠を失ったのは、
西園寺思想を左翼認定したお前らみたいな連中のせいなんだぞ。 安倍晋三は21世紀の近衛文麿。
京大に入学する学力も、服毒自殺するほどの度胸もないけど。
海軍大将・井上成美の近衛文麿評:
「近衛という人は、ちょっとやってみて、いけなくなれば、すぐ自分はすねて引っ込んでしまう。相手と相手を噛み合せておいて、自分の責任を回避する。三国同盟の問題でも、対米開戦の問題でも、海軍にNOと言わせさえすれば、自分は楽で、責めはすべて海軍に押し付けられると考えていた。開戦の責任問題で、人が常に挙げるのは東条の名であり、むろんそれには違いはないが、順を追うてこれを見て行けば、其処に到る種を播いたのは、みな近衛公であった。」
あれ、これって日本の元首相にそっくりじゃない?
鳩山をパワーアップさせて日本を滅亡寸前まで追い込んだ
スーパールーピーやな
本人は決して悪い奴ではないんだろうけど
なんせ一貫性が無い、その時によって意見がバラバラ
強硬な意見で直ぐ方針変えたりで指導者に向いてないタイプ
>>141
西園寺公望が共産主義者!?近衛のソ連スパイ説にしろ頭がQなやつ多すぎだろ
いったどこでこういう情報を仕入れてくるんだ?
普通に資料や本を読んでたらこうはならんよな、どういう経緯でこんなQな頭になっちゃうんだ?
教育の失敗か >>138
たしかレイテの前後の近衛の発言で
講和するにしても一撃を加えた後でなければ難しいと思う、といったってのがあったと記憶
あれは天皇に対してだったかそれとも他の講和派に対してだったか
確か当時の天皇もこの時点では同じ考えだったはず
三好徹の本に書いてあったと思うが実家に帰らんと確認できない >>149
情報を仕入れているというより、勝手に創作しているだけだろう。
戦前、天皇機関説を唱えていた美濃部達吉を、
「共産主義思想を広める」と断罪してた蓑田胸喜みたいな狂人右翼みたいなもんだ。 >>150 近衛上奏文のことだろう。
昭和20年2月14日に奏上されたもので、終戦から半年程度前のことだ。
マッカーサーがレイテ島上陸も3か月以上経っている。
恐らく君は、ルソン島上陸の話をレイテと混同していると思われる。
天皇が「もう一度戦果を挙げてからでないと難しい」と発言したのは、
文脈からすれば、降伏することに対してではなく、粛軍することに対してだと思うが。 >>138
ものすごい珍説だな
東條内閣が倒れたのは自ら絶対死守と言ってたのに破られたのをつかれて海軍に出来もしない奪回作戦を要求することによって色々兼任してた東條をも責任を取らざるを得なくなったからだ
講和なんか水面下でも真面目に画策してたやつなんかいない >>136
大日本帝国でも、近衛師団と言ったら、もっとも格式高い師団ではないか。
皇室の存在を前提にする限り、近衛というのは日本では非常に名誉ある名前だ。
文麿の曽孫である近衛忠大の書いた本によれば、
近衛家で、自分たちの苗字の意味を子供に教えるときに、
天皇のお側近くにあって、天皇をお守りする家という意味だと説明するんだとか。
(もっとも、近衛家という称号の本当の由来は、
平安時代の邸宅が近衛大路に面していたことなので、
この説明は間違っているが)