吉武高木遺跡から出土した青銅製の武器やヒスイの勾玉、多紐細文鏡など 福岡市の西部に広がる早良平野。中央を室見川が流れ、中流の西岸域にはここに弥生前期末に早良王国が存在していたことを語る遺跡群がある。西区の飯盛山の麓の扇状地に広がる吉武遺跡群だ。天皇の証しとされる「三種の神器」(鏡、剣、玉)に相当する副葬品を持つ木棺墓が発掘されて話題を呼んだ。紀元前2世紀ごろのものとされる出土品は、日本最古の三種の神器である。ここが「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」の金印で知られる奴国や卑弥呼の邪馬台国よりも以前にクニであったことを示している。弥生社会の成り立ちを考える重要な意味を持つ早良王国とは? ■最古級の王墓が吉武高木遺跡に 1200基を超える甕棺墓(かめかんぼ)・木棺墓が10カ所以上に分かれ、墓地を構成する吉武遺跡群。中でも特に早良王国の存在を印象付けたのが吉武高木遺跡である。弥生前期末〜中期前半の60基ほどからなるとみられる墓地で、「標石」と呼ばれる墓標を持ち、青銅製の武器や腕輪、装身具などの副葬品がある多くの墓が確認されている。画期的だったのは一つの木棺墓から銅矛(ほこ)や銅戈(か)などとともに銅鏡、銅剣、勾玉(まがたま)のいわゆる三種の神器、しかも日本最古のものが発見されたこと。このセットは多くの古墳など有力者の墓から出土することから富と権力の象徴だとされる。(続きはソース) 西日本新聞 2021/5/4 6:00 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/729676/ ついに来たか早良の時代が 交通事故だけがウリじゃねえぞ
過去より未来に目を向けた方がいいと思うよ 諸外国に置いてかれる
卑弥呼の時代より古いAD57年に日本の倭国が後漢の皇帝に勅使を送っているからな ↓ 日本列島が地続きだった、2万年前、縄文人が日本列島に移り住む・・・・最古の日本人。主に狩猟生活 4000-5000年前からバイカル湖周辺にいたブリヤート人が大陸を渡り、日本にやってくる 同時期、ベトナムなど南からも海洋民族が小舟で渡ってくる。 ※ まだ朝鮮半島には国家はなく、中国大陸は夏王朝がやっと出来た時代。 日本はベトナムから渡ってきた民族とバイカル湖周辺にいた民族、元々の土着であった縄文人が交じり合う。 ※ 日本人としての民族の形成 BC200年 中国は始皇帝の名のもとに統一。朝鮮半島は中国殷国系の子孫である箕子が国家を作る。 中国、徐福を日本に送るが、日本に来た徐福はそのまま行方不明。 AD57年 倭国、後漢の皇帝に勅使を送る。 後漢の皇帝、日本を認め、朝鮮半島の国家より上と認定。朝鮮楽浪府、日本に対して大いに嫉妬 (記録あり) AD200年 日本には小さな国が多く存在し、まとまらなくなるので、そこで一人の巫女を代表とする。卑弥呼誕生 卑弥呼の次も女性の巫女がまとめる。 AD400年 倭国、百済、新羅を征服し、高句麗に迫るも、追い返される。(記録あり) AD450年 大和朝廷ができる。
この三点セットがですね、 地域活性化の基でありますから
吉武高木遺跡群の墓の大きさで大きさや 宝物の内容が一番てわけじゃないんだよね 確かに三種の神器は出土したけど 吉武高木遺跡群の中でトップの人では無いだろう
じゃま大国なんてほんとにあったか分からんとこよりもすごいじゃん
日向峠の道は古代の道だからな。 高祖山は天孫降臨の地だろ。
池田次郎『日本人のきた道』より 大陸からの渡来の波は、古墳時代を通じて断続的に押し寄せたが、それは中央政権の支配が拡大するにつれて、農耕が全国的に普及したためである。 このように渡来形質をもつ農民集団が本土の広い範囲に進出したからといって、古墳人の地域差が縮まったわけではない。 大陸要素の濃度という点からみれば、古墳人の地域差はむしろ拡大している。したがって、古墳人の特徴も、地域を無視して一概には論じられないが、 大ざっぱにいうと、大半の古墳人は現代日本人に類似する特徴を多かれ少なかれもっている。 百々幸雄らは、頭蓋小変異の出現頻度によって、縄文人・渡来系弥生人・古墳人・歴史時代日本人に分割され、現代人の特徴は古墳時代まで遡れると結論している。これらの特徴はすべて大陸に由来するものである。 古墳人骨がほとんど出ていない東海・中部地方・東北北部を除く日本列島を九地域に分けると、古墳人集団は三群に分けられる。 第一群は畿内集団だけで、これには畿内現代人が入る。 第二群は南九州・西九州・北陸の三集団で構成され、これには津雲縄文人、西北九州弥生人が属す。 第三群は第一群と第二群の中間に入るが、第一群により近いグループである。これには北東九州・西中国、東中国・西近畿、四国、南近畿、関東・東北南部の五集団が北九州・山口弥生人とともに含まれる。 第一群と第三群を渡来系古墳人、第二群を在来系古墳人とよんでおく。
第一群の畿内古墳人は、高顔と鼻根部の平坦性が古墳人のなかでもっともいちじるしく、身長ももっとも高いなど、渡来系古墳人のなかでも渡来形質がとくにきわだっている集団である。 また、短頭性がもっとも強いが、この頭形は現在までうけ継がれている畿内人の地域的特性である。 古墳時代・奈良時代の人口密度がもっとも高く、大和王権の拠点であった畿内は、古墳時代になっても朝鮮半島からの移住者を大量にうけ入れた地域だった。 畿内古墳人が、韓国・朝鮮現代人に類似する畿内現代人と同じグループに属し、縄文人からもっとも離れているのもそのためである。 資料の約半数が筑前・筑後・豊前から出ている北東九州・西中国古墳人の中心は福岡の平野部にあり、そこから南へむかっては南九州古墳人の、西へむかっては西九州古墳人の縄文人的特徴への傾斜を示すが、 豊後の山間部だけは特別で、そこには古い体質を保持しつづけた古墳人が居住していたのである。 資料の約八割が関東地方から出ている関東・東北南部古墳人は、顔面平坦度や頭蓋小変異の出現頻度で縄文人と大きく異なる。 身長は畿内古墳人とともに古墳人のなかでも高身長の部類に入り、頭蓋・四肢骨のすべての特徴に大陸的・農耕民的要素が認められる。 頭蓋計測値で第二群に入る北陸古墳人は、鼻根部の平坦度がやや弱く、低身長で、四肢骨の特徴にも縄文人的要素がみられる。 しかし、縄文人との距離は畿内現代人と同じくらい遠く、むしろ第三群の関東・東北南部古墳人に近いので、同じ在来系古墳人でも南九州・西九州の古墳人と同列に扱うことはできない。 頭蓋計測値(11項目)の形態距離に基づく古墳人集団の関係(男性)〔池田次郎〕 渡来…畿内 縄文…南九州・西九州・北陸 中間…北東九州・西中国、東中国・西近畿、四国、南近畿、関東・東北南部
古墳時代から奈良・平安時代にかけて、政治・文化の中心部と辺境部の住民のあいだに明瞭な違いがあることは、各地の古墳人の特徴からも明らかである。 奈良時代、大和人にとって言語や風俗習慣の異なる異様な存在は、『古事記』、『日本書紀』など古典にあらわれる隼人・熊襲・肥人・土蜘蛛・国栖・蝦夷など古代の異族であった。 『古事記』、『日本書紀』、『風土記』によれば、土蜘蛛の分布は九州から東北地方までの十〇ヵ国にわたり、そのなかには大和も入っている。 水野祐によれば、『風土記』に記載されている北部九州の土蜘蛛の半数は肥前国西北部の沿岸に居住し、アワビなどをとっていた潜水漁労民で、『魏志倭人伝』にいう倭の水人とはこれらの土蜘蛛だったという。 西北九州弥生人が漁労を主生業とし、縄文人的な形質をもつ在来系弥生人であることを考えると、肥前の土蜘蛛はこれら弥生人の体質を守り通した漁労民だったかもしれない。 残り半数の北部九州の土蜘蛛は、豊後の山間部に住んでいたと伝えられているが、この一族は古い体質を残している豊後古墳人となんらかの関わりがあるのかもしれない。 隼人・熊襲・蝦夷・土蜘蛛は、いずれも辺境の地に割拠していた異族であるが、大和にも国栖とよばれる異族が住んでいた。 吉野川上流域の山岳地帯で狩猟民として独自の文化伝統と体質を守りつづけていた国栖は、大和人と接触する機会が多かったために、その異様な習俗と風貌がとくに目をひき、異族として扱われたのだろう。 池田の説明では弥生から古墳時代にかけての渡来集団は連続的に捉えられています。また、縄文人の形質を残す集団もいます。 なお、池田の扱っている古墳時代の人骨の多くが5世紀以降のもの。
思うに全ては大和朝廷の嘘物語かな 前提がおかしいんだろ
ヤマト王権は、簒奪した王権ということにはならないだろうな
紀元前3世紀ごろに福岡市西区あたりを武力で制圧した一族の中堅ランク
我らが早良区昔は凄かったんだな 今はヤクザと生活保護の魔境だけど
紀元前3世紀後半において三種の神器制度は確立されていない 揃ったのはたまたまだろう 吉武高木遺跡で鉄器はでてなかったんじゃないかな
渡来人が大中国に朝貢してた歴史を欲しがって互いに罵り合ってる九州土人と関西土人w
そりゃそのへん掘り起こしたらいくらでも出てくるわ 集落が1つ2つなわけねえんだから腐るほどあるわ
遷都してたという可能性もあるのでは もしくは分裂とかね 東邪馬台国と神聖邪馬台国とか元祖でも本家でも南北でもいいぞ
>>31 そしてその程度の歴史すらないトンキン土人wwwwww >>33 道路や学校、公共施設を作る度に遺跡がザクザク出てくるが 家をたてる時には一切なんも出てこないw ヤマタノオロチの草薙剣 オオナムチの和魂がついた八咫の鏡(名前:倭の大物主くしみかたまの命) 八尺瓊勾玉 が三種の神器やからね 唯の剣や鏡、勾玉ではない
>>1 ★★★猿でもわかる邪馬台国の(北部)九州否定説★★★ 邪馬台国 論争の背景 http://www.yoshinogari.jp/ym/topics/yama02.html 伊都国(福岡県糸島市) ↓ ↓百里 ↓ 奴国(福岡県博多湾付近) ↓ ↓百里 ↓ 不弥国(福岡県糟屋郡宇美町付近) ↓ ↓水行二十日 ↓ 投馬国(不明) ↓ ↓水行十日、陸行一月 ↓ 邪馬台国 まともな地図を作れなかった古代では距離や方角を常時正確に測ることは難しかった可能性が高いが、 水行、陸行日数を数え間違える可能性はほぼゼロに等しい ということは、この時点で不弥国のすぐ近くにある(北部)九州の可能性が真っ先に消えることは猿でもわかるはずだよね??? 考古学会も畿内説でほぼ固まっている (北部)九州説を主張してる人は振り上げたこぶしを下ろせないだけでしょ? いい大人がいつまでもみっともないよ もういい加減あきらめろ >>39 大体ここは伊都国に隣接してるし邪馬台国はないわー 三種の神器が示すものってなんなのだろう 中国と朝鮮と倭国の交流の証なのか、または男と女と子供(子孫)を示すものなのか
>福岡市の西部に広がる早良平野 地質学で追うと この辺東京大学と同じ湿気地帯ですたw 捏造だ
他所の人は早良をさわらって読めないんじゃないだろうか
庶民を騙して貢がせるためのカルトの小道具だもんね〜
福岡駅の西側で地下鉄工事で水没した このとき、湿気地帯だってデータが浮上している
日本国内で大型建物が最初に現れたのが吉武高木遺跡だと思われる 埋葬された銅剣には欠けとか傷とか使用された形跡がある 争いがあったんだろう この直後の時代の吉武大石遺跡の銅剣は欠けや傷がない 支配者層が争いに参加しなくなったのかもしれない 吉武大石遺跡のあと早良から200年くらい有力者がいなくなって 1世紀に吉武桶渡遺跡が出現するが短期間で消滅
奴国王だろうな ちょうど山で糸島と隔てられてるわけだしな いま平地で家がたくさんある海側は 古代は海の中だし
>>39 こういうのが一番だめ 時間の感覚は現在と全く違う >>56 こ、このサイズは…!! 土産物屋で売ってるキーホルダーかな? >>44 頭骨の形の地域性は1980年代に埴原和郎が明らかにしています。やはり畿内の人々は平均的な日本人とは全然違う人たちだということがはっきりしました(図6)。 どういうふうに特殊かというと、顔が面長で平たんな顔といった渡来系の弥生人の特徴を濃厚に持っているのです。 (札幌医科大学・松村博文) https://www.ff-ainu.or.jp/about/files/sem1721.pdf ■頭蓋計測7項目から求められた地域集団間の距離関係 アイヌ----------東北-北陸-九州---------関東---------------------------------近畿 >>44 2021年現在、最新の研究結果です。 PCAプロット ADMIXTURE解析 系統ネットワーク ゲノム解析によって明らかにされた遺伝距離 アイヌ-沖縄-福岡-関東-東海-近畿-韓国-北京 ★各地の古墳時代男性頭骨の弥生・縄文判別関数値 (池田次郎・京都大学名誉教授による) +2.12…畿内 +1.47…南近畿 +1.08…四国 +0.76…東中国・西近畿 +0.70…西中国・北東九州 +0.51…関東・南東北 +0.40…北陸 -0.87…西九州・南九州 ※+は弥生(朝鮮)側、-は縄文(アイヌ)側
そりゃあるよな だから、卑弥呼にこだわってないで ヤマトはヤマトでちゃんとしたルーツ見つけるべきなんだよな
どっからどうみても、 トルコ系の血入ってるだろ? 日本人って
奈良ファンタジー日本史学会のせいで 糸島と博多の間の山とかぜんぜん発掘してないだろうけど ぜったいお宝が埋まってんぜ?
結局奴国も没落しちゃったんだよね 甕棺墓も廃れて、金印も返せず、朝貢もできなくなった
だから、別府温泉付近を掘ってみろって。 このような規模の遺構がバンバン掘り起こされる
3点セット! 物部氏は10種の宝物を持っていたらしいよ
>>70 瑞梅寺、雷山、飯盛山、日向峠あたりは遺跡点在してるやんすよ。道路や治水工事したときに出てる けど山だけに大規模な集落後や墳墓などは見つかってない さあー迷った時はもう一度魏志倭人伝読もう 魏志倭人では中国大陸から邪馬台国へ行く途中には、糸島半島付近に「伊都国」、福岡平野南部を中心とした「奴国」があったと記されている
紀元前日本列島は100余国に分かれていたからな 分かれていたというより地域性のあるまとまりが出来始めていたというのが正しいか
>>28 平原王墓は日本一デカい銅鏡出てるし、三雲井原遺跡は元伊勢と比定する研究者も居るよ。 こないだ火野正平もチャリで来たし。 >>79 それらって古代からずいぶん後の話だから 古代にも山の中腹あたりに 有力者の拠点があったはず 山城だな あそこらの山はてっぺんとがってるから 中腹にあったはずで それが2000年経つとどうなるかって そら崩れて地中に埋まってる >>1 三種の神器に相当するものがたまたま副葬されただけのこと 鏡、剣、玉のセットを意図してないのは、北部九州のその後の副葬品に規則性がないことから明らか そのとき所有してたものを墓に入れたに過ぎない >>46 太陽信仰だったという証拠にはなるね あの鏡で太陽の光を反射させて民衆に照らして、自分は太陽を操ることが出来るというような セレモニー的なことをしてたんでしょ 剣と鏡と勾玉で三種の神器という考え方は相当に昔からあったんだねえ。
うーむ、やはり福岡は日本のまほろば、日本の首都が置かれるべきところだ 日本人よ、福岡へ帰れ!奈良とか京都とかまして東京なんか、忘れろ!
なぜ三種のうち八尺瓊勾玉が皇居にあるのか知ってる? 適当に選んでるわけじゃないからね 南北朝時代もまず狙うは勾玉だったでしょ?
いと、って……🇯🇵日本語で読んでたのかよw 大陸の人はw
糸島といいここといい この辺は出土多いな それに比べ奈良の桃の種と来たら
>>91 古代日本の中心地に決まってるしw 中国役人が常駐するぐらい 重要な場所 目的はヒミコの魔力 VIDEO あれ?!読めないの? それ中国語じゃないんじゃ? >>83 瑞梅寺ダムのところに貝塚あるよ ということは集落もあるはずだが完全無視でちょうっすらされてないぽい キリスト教の埋葬法に壺を使っている フランシスコザビエルが入植 1549年から
>>94 まあ福岡と糸島の間の山でも そうとう範囲もでかいし なんか出てこないかぎり 掘るってもヤバイ金がかかるからなw 斜度がきついってのもあるが いまだにほとんど未開発の山だからな 古代のお宝は絶対にそこに眠ってるわ
>>88 昔は剣と勾玉を皇居に置いてたけど剣を紛失したから >吉武高木遺跡から出土した青銅製の武器やヒスイの勾玉 十字軍 青銅 剣 で検索するとフリーメイソンにも青銅の剣でヒットするよ キリスト教の埋葬方法に「壺」を用いている 悪魔教の産物や
そのうち遺跡を発掘すると 車・カラーテレビ・クーラーが出てくるようになるな
令和のゴッドハンド大活躍 「あ、もうちょっと深く埋めといてください」
まあ西暦100年頃に帥升って王様が160人の奴隷を連れながらリスク負って日本海渡って漢に謁見しに行く程度には陸路・航路が確立されていた訳で、 その頃にはある程度発展した社会体制・政治体制・航海技術が成立していたと見るのが正しいだろうしな。 (数百人規模〜数千人規模の国で160人も連れて行ったら国自体持たないだろうし、数万人規模でも160人も理由なく連れて行ったら社会が不安定になるだろうしな。)
>>80 そう。 倭国代表として漢に朝貢していた奴国が、実は、倭国代表でも 何でもなくて、邪馬台国の支配下のクニに過ぎなかった。 で、今度は、魏に邪馬台が朝貢... どういうこと?? 注意深く魏志を読めば、教科書に書いてある事とは大違いで、 倭国大乱は、邪馬台内の内乱ではなく、列島の大乱だと分かる。 邪馬台が負け、覇権放棄を科された。(女王「共立」とは、 降伏条件(男王禁止=覇権放棄)を飲んで停戦という事。表向き 邪馬台が倭国(列島)の盟主なので、倭国が女王を「共立」とw) その昔、漢への朝貢を握り(奴国に行かせた)、漢の権威を背景に 列島の覇権を握った邪馬台は、漢の衰退と共に力を失い、実力だけ が物を言う世界となって、覇権を失った。何処が、新覇権国? 魏志の記述で博多港を支配してる謎の存在「大倭(ダイワ)」だな。 一見、邪馬台の支配下の何者かの様な書きぶりだが、実態が謎。 そもそも邪馬台の立場からすれば、邪馬台=倭國 な訳で、 その配下のクニや者が「大倭」を名乗る筈もなくwww 大倭(ダイワ)とは、約一世紀の後、邪馬台を滅ぼしその名を継いで、 大和(ダイワ=やまと)と名乗る奈良のことだわな。 >>99 欧州も青銅器時代は骨壺埋葬の文化があったんだよ 一緒にナイフや鏡、宝石が入ってるのは愛用してた形見だから、当たり前と言えば当たり前なんだよね 地理的に見て倭の中の韓国ではないか? クソジャップは韓国大兄に韓謝しろよな。
だからヤマト王権は北部九州の邪馬台国(ヤマト)が東遷したんだってば
ダークサイドミステリー「神秘の遺宝の謎?聖槍ロンギヌス・聖杯・死海文書?」 NHKBSプレミアム 5月13日 21時−22時 聖なるもの。それは、人に驚くべき力を与える。アニメやゲーム、映画に登場する聖なる遺物たち。 現実には“本物”が伝承される一方で、フィクションでは“世界を変える”“すべての願いをかなえる”など、すさまじいパワーで物語を彩る。 なぜ、魅力的なイメージは飛躍したのか?そもそもの遺宝の真実とは?聖なるものと人類、2000年に及ぶ知られざる伝説とは? ロンギヌスの槍・聖杯・死海文書、驚きと秘密の真相に迫る。
>>103 あの時代北九州から洛陽まで往復するだけで1年かかる 帥升は王の名前を示してるのではなく王の使者だろう 早い話はこういう事だろ ・勾玉=越王国、出雲王朝 ・草薙の剣=スサノオ(卑弥弓呼)=出雲王国と狗奴国 ・鏡=邪馬台国=卑弥呼(アマテラス) つまり勾玉も含め当時三種の神器は日本全土の古代王国が所持してた
>>112 全く違うよw 3種の神器は北部九州だけで普及してた威信材 出雲なんてずっと銅鐸文化だよw 1550年以後に作られたカトリックの墓地を紀元前と主張する大卒 考古学者 文系大学って必要?
文字文化がなかったからたった1800年前のことも分からないんだよな日本って 中国なんて甲骨文字で殷の時代から解明されてるのに
邪馬台(日田〜筑紫平野)が博多港の旧支配勢力から港を奪い、 列島の覇権を握る過程が、海幸彦・山幸彦の神話に記されている。 海幸彦(みなとの旧支配勢力)から借りた釣針(=鉄!)を 山幸彦(邪馬台(やまとぅ?))が無くし、海を渡って海神の宮へ行き (=半島で漢の帯方郡や半島倭人に政治工作)、玉(=朝貢!)と 釣針(=鉄の輸入利権!)を貰い、それで海幸彦を懲らしめた。 この話は、天照とスサノヲの誓約に再掲されており、 天照(邪馬台(旧やまと)の権威の象徴)がスサノヲの剣を噛砕き、 宗像三女神(女神=戦わぬ神)が生まれた、とある。 詰まり、宗像が邪馬台の軍門に下ったということ。このことから、 博多港の旧支配者は、宗像(みなとの傍ら=みなかた?)と判る。
>>112 剣、鉄、須佐ノ王は出雲、山陰 鏡、天照、伊勢=伊都、日向、伊都、北部九州 勾玉、? というイメージがある。 伊勢神宮なんて出来たの4世紀以降だよw あんなの有難がってる奴ホント頭悪い 天皇家が本当に崇拝してるのは宇佐だよw
剣や鏡ってのは中国からの輸入品が多いが、勾玉を珍重するってのは、あれは 日本オリジナルらしいねw
勾玉は胎児だろうな 子孫繁栄の象徴だろう 縄文時代の土偶が妊娠した女性を現してるし それが簡略化されて勾玉になったんだろうな
>>119 揃えると、後ろからシャンシャンシャンシャン 変な女が追いかけてくるんだろ? スサノオと卑弥呼は赤の他人だよ、スサノオは半島牛頭山、祇園山。卑弥呼は山岱、宗女壱與は岱與、原始道教、スサノオの流れに前方後円墳は造れないの
>>122 🍻宴会の席で鼻につめて飛ばすんだYO! >>1 こっちが本物の三種の神器? 今天皇が持ってるやつは何? さすが修羅の国だけあるわ。 なんでも出てくるわね。
>>104 面白いね! > 魏志の記述で博多港を支配してる謎の存在「大倭(ダイワ)」だな。 なるほど。 > 一見、邪馬台の支配下の何者かの様な書きぶりだが いや、たぶん大倭はさ、ヤマタイ国の支配下だったんだけど、 博多港の実権、つまり戦略物資の交易=朝貢・受領の実務を直接握っていたので、 それをテコに、ヤマタイを下から倒した。 つまり下剋上したんだよ。中国流に言えば易姓革命みたいなもんだね。 その卑怯さを隠すための「嘘の物語」が神話の元ネタになったのではないのかな? >>125 胎児が勾玉型してるのは、発生のごく初期。 胎児が最初あの形をしているというのが分るのは、 医学が発達した近世から。 糸島半島あたりは「いと」でなくて 「しま」斯馬国だろな
勾玉のあの独特の形状についてはいろんな説があるらしいが、これといって 決定的なものはないようであるねw 道教の陰陽図からきてるのではないかという 説もあるが、大陸では勾玉のようなものはなかったらしいし。
クフ王のピラミッドの新空間から勾玉が出てきたらと思うと夢が広がるわ
>>133 たぶん大倭はさ、ヤマタイ国の支配下だったんだけど、 下剋上というのは、話としては面白いが、実際には、 邪馬台の港を大乱前から大倭が監理していたわけではない様だ。 漢の時代、港を監理してたのは奴国だわ。朝貢に行かされてた。 そこに邪馬台の管理が居た筈だ。 ところが邪馬台が大乱で負け、勝者の大倭が港を押さえてから、 その官吏、「一大率(一人の大率)」を港のすぐ横の伊都国において、 そこから港とその周辺諸国を監理している。みなが恐れてる。 一方、港から続く内陸側の奴国は、港の管理から外され、さらに、 なんと副官ヒナモリ(鄙守=辺境国に置いた監視役)まで置かれて クニの内部から見張られてる。中心諸国には置かれない役職だわ。 このことから、港の支配構造が大きく変わった事がわかる。 魏志倭人伝には大倭の所在地が書いていない。 海を渡った本州の記述が、そこも「皆倭種」とだけあって ぼやかしてあり、そこに大倭の所在地=奈良が隠されてるわけだな。 かつて,古田武彦さんのセミナーで,三種の神器は九州からしか出土しない ことも,九州王朝の存在と矛盾が無い,と聞いたことはある.だから, 三種の神器という表題ですぐ九州出土だろう,と思たら,その通りだった.
弥生時代 鏡 剣 勾玉 江戸時代 刀 小判 丁髷 昭和時代 テレビ レンジ 冷蔵庫 平成時代 携帯 薄型テレビ インターネット 令和時代 スマホ マスク SNS
大和朝廷の起源は九州で確定なん? それとも別の王朝があっただけ?
>>142 SNSは前世代からあるから適当じゃないな ブロードバンドだからこそ一般も当たり前になった配信を入れるべき まあひっくるめると3つ目はインターネット続投になるだろうね >>112 鏡 先進的な外国勢力との結び付き 剣 武力・権力 玉 財力・権威 普通に考えれば分かる 韓国の優れた技術が九州経由で倭に伝えられた紛れもない証拠 韓半島南部の加耶人が西倭を支配してヤマト王権になった
>>1 おいおい、日本最古は皇居と伊勢神宮に熱田神宮のじゃろ >>8 は?過去の歴史が無ければ、 人間など浮遊霊と変わらないだろ? この意味わかるか? >>146 半島中何部が倭人(弥生人)の本拠地って知ってる? 倭人、つまり日本語話者だよ? その伽耶人って日本人だよ?wwww 冷蔵庫と洗濯機と掃除機だったかな 深夜番組のカノッサの屈辱の妙に古めかしたの想像しちまった まあ当時上流階級では流行ってたからね どうせ埋めるからってので鏡はみがかず 剣も刃を研がずにとか珍しくもなかったな
>>146 その説は半分あっている そもそもヤマトは韓国語が由来でありその後の中国に対するように当時は韓国を手本に学んでいたと言うことの証拠なのだ 途中から各地に領土が広がりすぎ倭人が管理できる範囲を超えたため韓国人の支配を受け入れるようになる そこから外交が発展し中国にも認められるようになり後世には領土の広さゆえにヤマトの候補地がいくつもあるという原因にもなった その後は倭人の裏切りに遭いヤマトの直系国家は途絶えてしまったと思われる >>112 剣は出雲から奪った物 鏡は九州から奪った物 勾玉が皇室の先祖から代々受け継いだもの だから勾玉だけが皇居にある >>143 九州が初代やまと(邪馬台)。漢の時代の列島覇権国。 配下の奴国を漢に朝貢させ、自らは大陸の臣下と成らずに 朝貢の利を得、漢の権威と財、半島との交易(特に鉄!) の独占をもって列島に君臨した。 漢衰退期の列島の大乱(倭国大乱・2C末?)で邪馬台が負け、 勝者の奈良が列島の覇権を握り「大倭(ダイワ)」を自称、 邪馬台を名ばかりの倭国盟主にして魏に朝貢させた。 華北が完全崩壊した4世紀頭、東亞の朝貢秩序が完全消失。 この時期に大倭(奈良)が九州邪馬台(やまと)を滅ぼし、 その権威を継いで大倭/大和(ダイワ=やまと)と自称。 なお、「やまたい?」「やまと」の名の違いについては、 当時の九州と近畿の方言の発音の違い、時代による発音の 変化も関係してると思う。 >>154 漢委奴国王九州説だよ 福岡の糸島市の三雲・井原遺跡や平原遺跡 佐賀の吉野ヶ里遺跡 鏡やすずりなどの出土品 は 「邪馬台国」の遺跡では無い ますます 福岡の糸島市の三雲・井原遺跡や平原遺跡 佐賀の吉野ヶ里遺跡 鏡やすずりなどの出土品 は 「邪馬台国」の遺跡じゃねーな
>紀元前2世紀 それだと「紀元3世紀」の魏志倭人伝の500年前だから合わないから 先邪馬台国って感じだろ つか吉野ヶ里の大規模遺跡は魏が成立したときは既に遺跡で 小さな村落が遺跡の上にあったくらい
>>8 学生時代は同じこと思ってて歴史が一番嫌いだった いまは宇宙の起源とか人類史とか面白くなった 人間って成長してないというか本質が変わらないというか、先人に学ぶことは予想以上に多い >>39 馬鹿なのかな方角を読めない様な未開人が日本に辿り着ける訳ないだろ >>152 アホだねぇw 韓国語は、当時まだない。 今の韓国・朝鮮語は、日本語のベースに高句麗語が乗っかったものだよw >>155 卑弥呼亡き後、再び争いが勃発し、13歳の女の子が邪馬台国を制圧したんですよね、すごいねww >>156 魏志倭人伝等にある邪馬台国の時代以前の絹が近畿からは出ないんだもんなあ 早良は当時日本の玄関口だったろうからね そりゃ真っ先に栄える
>>31 >>36 日本とは古来より関西九州の事 関東は付け足した蝦夷 江戸も元々は朝鮮人の土地wwwwwwwwwwwwwww 倭人伝の一大国が壱岐国なら、伊都国に置かれた一大率も壱岐率だろう 吉武遺跡のある室見川西側には壱岐という地名が分布している 壱岐小・中学校もあり、神功皇后ゆかりの生(いき)の松原もある おそらく室見川までが伊都国で、その壱岐に駐屯した軍勢が一大率と書かれた 菅原道真は室見川を遡り途中で上陸して大宰府へ向かったが 室見川付近にいた一大率もまた似たようなルートで荷物や文書を女王のもとへ伝送したんだろう
>>1 やっぱり天皇行事の三種の神器はケースだけだったか!中身が出土とか恥ずかしい なくしてケースだけで行事するようになったの、何世代前からだよ! >>169 卑彌呼の死後、男王が立ったというのは、 邪馬台の覇権復興を目指したということ。 戦になり、また負けて、また邪馬台に覇権放棄が科され、 男王禁止=女王・壹與(臺與)が即位した。 二度と邪馬台の覇権が戻ることは無かったということ。 哀れな姿だw なお、壹與は卑弥呼の宗女(=父方の男系で辿れる男の娘) と記されている。 >>70 奈良で桃のたね掘るより色々出そう、でも、こっちに予算取られると奈良の学者が貧乏になって生活に困るから邪魔してそう(-_-) >>175 卑弥呼の死後、男王がたった後に国が乱れて死者多数、その後壹與がたっておさまった、くらいの記述しかないので、邪馬台国の覇権がどうひたこうしたというのは特に根拠はないのでは? 少なくとも魏使である張政は彼女を王として扱い、さらに魏に奴隷を献じている。 >なお、壹與は卑弥呼の宗女(=父方の男系で辿れる男の娘) 宗女についてそのような解釈(男系がどうの)はきいたことがないかも。 >>177 ある種の人間には他人に見えない文字が行間に浮かんでくるんだよ 倭人伝に卑弥呼の処刑が書いてあるって主張を見たことあるぞ 早良が独立した王国だったのではなくて、そこは海洋文化の伊都国の一部だった 魏志倭人伝の記述によると、伊都国から奴国まで東南に短里で百里(約7.5km)しかないのだから、 奴国の都である春日市の春日丘陵からの距離を考えると西新町遺跡(福岡市早良区)あたりまでは伊都国でなければならない 春日丘陵の須玖岡本遺跡から西新町遺跡まで直線距離でさえ10kmあるからね 間に山があるから実際にはもっと遠い 須玖岡本遺跡から北西方向に7.5kmだと天神までしか届かない 当然早良も伊都国ということになる > 417 :日本@名無史さん :2020/10/14(水) 00:33:35.04 > > この図を見れば、航海術を活かして海外と交易していた海人族の国がどこだったか一目瞭然だなw > 奴国の王都だった須玖には中国銭や楽浪系土器はほとんど無い > 博多湾の沿岸部にはあるのに奴国の王都にほとんど無いのは何故か > それは博多湾沿岸部の集落が伊都国に属していたから以外に説明はつかない 奴国の王墓が見つかっている春日市の須玖岡本遺跡はやや内陸で農耕文化 シベリア南部から朝鮮半島経由して九州に来たのがエベンキ人でそれが弥生人の正体だ 俺たちこそエベンキ人なんだよな
>>181 今じゃ片田舎の糸島も当時は先端地域だったのか 奴国は大国だけに警戒されたようで鉄加工技術を渡してもらえなかった様子 570 :日本@名無史さん :2020/11/28(土) 01:54:13.64 >>550 そう考えたい気持ちも分からないではないけど、それだと魏志倭人伝を無視しすぎになってしまうと思う 伊都国の主体が海人族の安曇なのだから、伊都国の領域は糸島から博多沿岸部にかけてで、 内陸の農耕国家の奴国(春日市一帯)と分かれていたと考えるべきだろう では切れ目はどこに?と思うだろう これを見てほしい 博多湾周辺の製鉄遺跡の分布だが、今宿から早良一帯にかけて多数あるのに対し、 樋井川を境に分布がぷっつりと切れている そこから東にある奴国の都とされる春日丘陵一帯には全く存在せず、東区あたりからまたまばらに存在する 樋井川は細く国境としてはいささか心もとないが、樋井川のすぐ東には鴻巣山など中央区〜南区の丘陵地帯があり、これが国境を分けたのだろう ここから読み解けば、樋井川以西は内陸まで伊都国であり、奴国は丘陵を挟んだ東側一帯という分かれ方だったと分かる また東区に少数とはいえ分布があるということは、やはり博多湾沿岸は伊都国の勢力圏だったということだろう 春日丘陵には多くの青銅器加工遺跡が見つかっているにも関わらず、製鉄遺跡は全然無いというのは特筆するべきことだろう 伊都国は奴国に鉄加工の技術を渡さなかったことになる 鉄は銅より融点が高いため、加工にはより高温の炉が必要となる 海人族の航海術を生かして海外に直接進出していた伊都国のほうが技術力は上だったということだな 青銅の奴国と鉄の伊都国、そんな分かれ方が見て取れる 奴国からも鉄鏃等の鉄器は多数発掘されているので交易により製品は渡っていたが、肝心の加工技術は伊都国が独占していたようだ これは倭国大乱で争ってからそう時間が経っておらず、大国である奴国を警戒した結果だと考えるのが自然だろう これめっちゃ朝鮮よりで笑うよな。 どう考えても朝鮮半島から天皇渡ってきてんじゃん
>>174 王の祭祀に必要なものならば副葬されてるのはコピーもしくはその国では王毎に自分の三種の品を揃えていたって発想は無いの? >>188 ・大きな古墳に倭人の遺体が葬られてたから証拠隠滅 ・朝鮮半島最古の前方後円墳が日本より後 >>172 斎藤成也「ゲノムを見ると関東の人達は韓国人に近い」 >>1 そりゃそうやろ、天皇とかは朝鮮半島か中国とかから来た余所者だからな 本来の日本人の支配者を殺したのが天皇の祖先だし。 >>121 契約の箱が見つかった神社に七福神 像があるけど >>1 画像を間違えてるやないかwwww その画像は鏡の背面にある模様っぽい >>122 >>162 中国で翡翠といえば軟玉(ネフライト)のことだからな 日本の翡翠は糸魚川の硬玉(ジェダイト) ちょうどイリヤッドを読み終わったらこんなスレが建っててびっくりしたわ
>>1 邪馬台国の首都圏、女王国は伊都国と奴国 早良平野は奴国だから当然だろうな。 天皇家のルーツって、やっぱり南朝鮮〜北九州〜近畿なのかな。
>>181 バカくさい 末廬国の本土上陸地は 草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えないような道なき道を歩かされる、街道も整備されていないクソ田舎 九州だったら立派な港に入港してる >>173 女王卑弥呼は一大率を女王国以北の諸国に置き 女王卑弥呼は常に伊都国で諸国を治めていた と魏志倭人伝には書かれている。 >>204 紀元前200年に三種の神器あったなら、その1000年後に古事記や日本書紀が書かれた事になる 文化的な継続性は確実にあるだろうな >>204 日本の記紀だと一応 九州の筑紫城・伊邪那岐神(漢委奴国王) ↓ 奈良の高天原・建速須佐之男命 ↓ 出雲の葦原中国・天津彦彦火瓊瓊杵尊(ニニギ) ↓ 九州の筑紫城・天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲) ↓ 奈良の大和の神武 >>187 早良地区は伊都国じゃ無いだろが 何しゃーしゃーとウソをw >>205 当時の一番の港は呼子付近だ、呼子付近は天然の良港だからね 魏志倭人伝にも上陸地点の風景を「濱山海居(山と海の間の浜に住んで居る)」と描写している この描写は山が海に迫りった海岸に家が立ち並んでいる呼子付近の風景そのものだな。 >>204 そうだよ。平成天皇も言ってたし。 >>193 「本来の」なんて言い方はやめるべき。そんなこといいだしたら、日本中縄文系に 明け渡すことになる。近畿は縄文人がほとんどおらず、実際現在の血統もほぼ半島 系だが、だからといってニギハヤヒや神武天皇、天日矛らの「第二次天孫降臨」よ り前に人がいなかったかと言えば、とっくの昔に弥生稲作は始まっていた。もし長 脛彦が実在したとしても、彼も弥生人。 更に、大和朝廷内でも百済系と新羅系があるし、中国系貴族もいるから、なにが本 来なのかなんて意味が無いし、そういう対立を生む表現はやめた方がいい。 勿論言いたいことはわかるよ。未だに「万世一系」とか言ってるキチガイウヨの方 だからね、そういうの好きなのは。 >>212 伊都国は日向峠や糸島峠までだね 早良地区は奴国だよな。 >>200 海水が入り陸地がほとんど無い場所 アイヌ語ほケッセントーと似たような意味を持つ領域 良く晴れた日には釜山の海岸から福岡が見える フェリーで3時間の距離 当時周辺に住んでた連中に国境だの島国だのと言った概念は無い もちろん韓国人、日本人なんて自意識も無い 日本海挟んで生活してた海洋民族が倭人 もはやヤマト国の起源が九州北部・朝鮮南端にあるのは疑いようがない 東征が起きた理由を詰めていく段階
>>208 日本の皇統の成り立ちは 初代・天之御中主神 高御産巣日神 神産巣日神 宇摩志阿斯訶備比古遅神 天之常立神 国之常立神 豊雲野神 宇比邇神 角杙神 意富斗能地神 淤母陀琉神 伊邪那岐神 天津彦火火出見尊(山幸彦) 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲) までは九州・筑紫城(漢委奴国王)だけだけど そこから 伊邪那美命から産まれた 大綿津見神(豊玉彦)九州・筑紫城(漢委奴国王) 伊邪那美命から産まれていない 天照大神、奈良・高天原 建速須佐之男命、出雲・葦原中国 の3派に枝分かれして その後、伊邪那美命から産まれていない奈良と出雲が国譲りで天照大神のもとに一本化して邪馬台国が構成され それからずっと倭王の座を、 伊邪那美命から産まれた九州皇統「筑紫城」と 伊邪那美命から産まれていない畿内皇統「邪馬台国」で 奪い合い >>143 九州倭国の首都が邪馬台国 近畿日本とは別の国 近畿日本は元々は小国だったが大王崇神のころ大国に変貌し九州倭国を圧倒し、最後は併呑した こういうこと >>213 バカくさい 草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えないような道なき道を歩かされる、街道も整備されていないクソ田舎 にはほど遠いな この時代から車とクーラーとカラーテレビあったんやな
>>204 勾玉ってのが縄文時代からあって、その後の時代に半島からも勾玉見つかるから、日本から半島にいったのかもしれない 記紀自体は各地の伝承の類を集めて回って 強引に一つにまとめたものだから 各地で伝わるうちにこねくりまわせれ過ぎて 整合性も何もなくなってる
>>204 日本人の殆どが半島からの移住者だろうな 日本人が日本列島へ移動した後に朝鮮人が南下して来たんだ。 >>219 東征も東遷もない 考古学的に否定されてる 全ての勾玉は別に3種の神器じゃないからな ミスリード以下だろ
早良饅頭に早良スマホケース、早良クリアファイルなぉおみやげ品を今から仕込んで一儲けしよ
>>221 >草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えない これは東松浦半島内を南下してる時の風景の描写 続いて二丈付近の海岸の描写「魚鰒を捕るを好み、水の深浅無く、皆、沈没してこれを取る。」があり 伊都国へ続く。 朝鮮から日本に来たっていうより 朝鮮から日本にきて、日本と同化した渡来人勢力が 中国との関係で力付けて 朝鮮に攻めていって一時期朝鮮南部を国にしたが 高句麗に敗れて日本に戻って 奈良に行ったって感じが正解なのでは 朝鮮から日本って片道移動だと 日本語が朝鮮語とぜんぜん似てないことが説明つかない
>>162 中国の翡翠は新疆和田、ミャンマーからのだな 八幡信仰がヤチ(大量)ハタ(魏の軍旗)って説が好き 宇佐神宮が八幡の総本山だし
>>220 魏志倭人伝では九州倭国を邪馬台国と呼んでいる 卑弥呼は伊都国に居たとある。 早良平野に邪馬台国よりも以前に繁栄した王国を詳しく調べてほしい 早良平野の王国の方が邪馬台国よりも興味あります。
東征の話しはともかく、神話とか言語が朝鮮由来みたいだし、応神天皇とかも北九州と親和性がある。
>>122 翡翠はメキシコ、グアテマラの遺跡からも出るよね >>213 だね オレも呼子で間違いないと思う 魏志倭人伝の末盧国は呼子の波戸岬 ●まず、唐津平野では絶対にない。 理由その1:「草木が盛に茂っており、前を行く人の姿が見えない。」 唐津平野では、この魏志倭人伝の記述と全く合わない。 理由その2:魏志倭人伝の記述では末盧国から南東に伊都国があることになっているのだが、 唐津平野から南東へ行くとどのように考えても山の中に入ってしまい方角が合わない。 魏志倭人伝の記述する伊都国は港湾都市であり(恐らく志登支石墓のあたり)、山の中なわけがない。 ●呼子の波戸岬から見ると伊都国は東南東になり、 これを魏志倭人伝では東南と表記したのだと考えたらムリが無くなる。 ●また「上手に魚やアワビを捕り、水深の深浅にかかわらず、皆が水中に潜って、これを採取する。」 この魏志倭人伝の記述は、リアス式海岸であり三大朝市である呼子朝市が開かれる呼子地方のイメージと非常に良く合致する。 恐らく呼子で朝市が開かれるのは古代の末盧国の記憶が住民にあるのだろう。 魏志倭人伝「また、南に一海を渡ること千余里、、、、、一大国(壱岐国)に至る。 、、、、、、耕作しても食べるには足らないので、また南北に物々交換に出かける。」 この壱岐国から見て南北のうちの南ってのが正しく呼子のはず。 ●狗邪韓国から単純に南→南→南、、、と行ったら呼子に行き当たる(方角的に話しが簡単)。 ●朝鮮半島から見て九州本土で一番近い土地は呼子。 ●呼子の波戸岬は一応外洋なのだが馬渡島とか加唐島とかの周りにある幾つかの島が 天然の防波堤になってて波がかなり静か。 波戸岬は外洋に突き出している割に海が静かで、 外から訪れる人のための目印の機能と、舟をつけるという機能の どちらにも絶好の場所。 ●また古来より呼子は九州から半島へ行く際のお決まりのコースだった。 だからこそ豊臣秀吉は朝鮮出兵の際の拠点になる名護屋城を 呼子に作ったわけだから。 結論:魏の使節は波戸岬に舟をつけたに違いない。 卑弥呼は1人じゃなくて実は職みたいな感じだったとちがうんか?女王みたいな
天皇や貴族を介さない日本の歴史は許さない 貴族って漢民族を騙った扶余や朝鮮人のことでしょか?
紀元前2世紀か。漢書地理志はともかく魏志倭人伝には古すぎるわな。 神武東征を紀元前1世紀(難波等の遺跡から)として鸕鶿草葺不合王朝等の九州王朝のものってところかな。 場所的には筑紫国なので鸕鶿草葺不合王朝というわけでもないと思う。
桃太郎伝説しゃないけど 伝承って長い年月を経ると何故か他所の伝承だったものが 何故か地元の伝承へ変わっていったりするので にんともかんとも
>>218 まず「皇統」という表現自体が既に無効。あくまで当時の表現に従わないと。 それと、神武系統は最初の天下り軍団でもないし、長脛彦が降ったり、ニギハヤヒ・物部 を従えたりというくだりも曖昧、その後も「欠史八代」は物部氏から嫁を貰ったり、どっ ちが王かもわからない。磯城と志紀=大和川の要地を占める物部氏の方が当時の王だった 可能性が高いし、藤井寺・羽曳野古墳群も同様。三種の神器の敗残ルンペン部隊と、長脛 彦と弥生大生産拠点を擁する、十種の神器の物部ではどちらが格上か。 その後も、少なくとも継体は断絶しているし、天智と天武も断絶臭い。 継体は筑紫の君と戦い、ようやく長門まで手に入れたとある。更に、九州と遠祖百済滅亡 の白村江に中大兄も皇極も渡海せず、後方支援だけ。長らく半島戦争の主役は筑紫の君だ とわかる。 じゃあさ なんで馬で負けたの? 埼玉で繁殖してたんだろ?
>>230 奴国は春日市じゃなくて早良区の方だな 春日市はたぶん不弥国 比定地を間違えてるな。 代々の天皇が誰を母としてたか そしてそれをしなきゃ戦乱は避けられなかった
注意1:これで分かるように魏志倭人伝の〜〜国に着くとは、その国の地理的な真ん中や王墓や王都のことなどではない。 一番最初に行き着くその国の目印になる場所や入り口の意味のこと。 例えばアメリカに行くなら、 ワシントンD.C.に着いたとき「アメリカに着いた」と表現しているのでは無く、 自由の女神像に着いたときに「アメリカに着いた」と表現する、 そういう表記の仕方を魏志倭人伝はしているはず。 だから例えば「伊都国へ到る」とあるのは三雲や平原のことではない。 多分、志登支石墓の辺りにあった港湾都市のことを指している。 注意2:恐らく「呼び込む」から呼子(よびこ)の地名が出来た。 google mapの3Dとかで半島から日本を見て見ると良く分かる。 呼子の波戸岬がちょうど招き入れるようにこちら側に突き出している。 壱岐島から舟で来るというパターンだと 波戸岬はこっちに突き出して呼び込み、招き入れるような格好になっている。 恐らくこれが呼子の地名の由来だろう。 (つまり元々呼子とは波戸岬のことだったのだろう。) 注意3:ただし、これだと壱岐島〜波戸岬が千余里だと言うのが全然合わなくなる。 これは正直理由は良く分からない。 例えば、魏志倭人伝では対馬と壱岐島の大きさが4:3になっているのだが、 これはどう考えてもおかしい。 対馬は壱岐島より面積が遥かに大きい上に、南北に長い。 壱岐島は面積がずっと小さい上に丸い形をしている。4:3なんて数字は出て来ようがない。 例えば5:2とかになるはず。 このように元々海上での計測は非常に誤差が大きかったのだろう。 とりあえずこれが理由だとしか考えられない。 恐らく海流に流され流されで計測して六、七百里くらいになって、 それを千余里(約千里)と表記したのだろう。 (流されることを考えずに地図上で測ったら五百里くらいになる。) 海上では地上と違って障害物が無く、壱岐島から南へ行ったらどのみち九州へ着かざるを得ないのだから これで用が足りたのだろう。
>>242 乙巳の変の時に大規模に書物を焼却したんだろうな 不自然過ぎるわ >>237 早良平野の王国は奴国だな 漢委奴国王の印貰った国じゃない。 >>241 王女と王子を 姫皇子ヒメミコ、彦皇子ヒコミコ って当時呼んでて 王女がヒミコ、王子をヒミココ(聞き間違い) って倭人伝に書かれたって説もあるな いま糸島ってところは半島になってるけど 古代は海面が上がってて 山になってるところが文字通り島だったはずなんだよ 伊都国と島な 完全に合致するんだわ
で、ヒミコは山に隠れたってんだから 邪馬台国の遺跡は 糸島の奥にある背振山脈のどっかに埋まってるはずなんだわw 最短の物理的関係でいうとな あとは吉野ヶ里とかすごい遠くに飛んでいくけど 古代の地理関係は国の並びからしてそんな遠くなさそうなんだわ
>>242 全部がそうでは無いだろうが、畿内の縄文人口からは、畿内人は半島・中国系が中心 だと、遺伝的にも証明されている。 弥生稲作技術の伝搬と、民族移動がどこまで軌を一にするか、によると思うよ。 例えば長野なんかはやはり縄文系が多くて、稲作はかなり遅かった。逆に関東は結構 早く、長野よりは渡来系遺伝子が多い。東北は意外と早いが遺伝的には縄文。 >>254 天智は九州倭国の王 天武は九州倭国の皇女持統に入り婿して天皇になったんだろうな。 早良平野がわからなかったわ ごめんなさいマップで調べた
当時は日本列島は100余国に分かれていたということを無視したらダメだな
もう古代の話で天皇がどうとか言うのやめたら 古代に天皇なんかいないんだから ぜんぶ奈良の創作だから ちゃんと王と中国からも日本の墓からも 出てきてんだから
昔も今も、政治が腐敗して現実逃避したがる庶民が増えてくると、 各地でカルトが同時多発するのが世の常だから、互いに似た手口で 庶民を騙した一教団の小道具のセットが出土しただけなんだよね〜
>>231 だから 紀元前から大陸と交易している九州に港も無く >草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えない なーーんてところに船が着くわけがねーだろーーーーーーー 地方豪族の古墳わ破壊している時点でな いまだに地方政権の歴史を潰しているのが日本
>>265 古代の糸島は博多湾のなかに 島が点在してたんだから どこでも寄港できるだろ 紀元前から大陸と交易している九州に港も無く >草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えない なーーんてところに船が着くわけがねーだろーーーーーーー ねーアタマで、ちったぁ考えろ
>>268 つまりいま博多で人の住んでるところは 昔は湿地帯だったって話じゃんw で、早良とか山とその近くの平地に 人がいたわけよw >>250 んなことしてたら風土記や先代旧辞本紀等に記紀と矛盾する記述が多数出てくるわな。 そもそも日本書紀自体に異説が複数併記されているし。 だから背振山脈の中腹から下を掘れば 出てくるよな 古代のお宝が
地方勢力が次から次へと中央を支配し内紛で自滅の繰り返しじゃないか そして誰もいなくなり始まりに戻ったと
>>267 いーーーーえ、九州には 57年に後漢(25年 - 220年)から「漢委奴国王」に任じられた九州の倭国王が 107年に生口160人を連れて、安帝に謁見するために出航できる 立派な港がございます 昔は陸稲だから、湿地帯で栽培してるわけないわけよな 山間部でやってたはずだ で、貝塚も山から出てくると
草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えないような道なき道を歩かされる、街道も整備されていない 港ですら無いクソ田舎 に、大陸からの使者を迎えるなんてあり得ません
>>273 だからそれは唐津のほうだったんじゃね? 魏志倭人伝の国並びからして 寄港したところからの並びだろ? 距離とか日数とかデタラメでも 国並びだけは現代とほぼ合致してるし 稲作の伝来ウソだらけ!最新の調査で分かった日本の稲作 VIDEO 【ダイジェスト】天皇は朝鮮人?文化勲章を受賞した売国歴史学者の罪とは? VIDEO >>275 現代でも日本有数の松原が海沿いにずっとあって そこの中あるくと前なんか見えないぞ 古代でも同じだろw >>251 は? 早良平野の王国は奴国でかつ 漢委奴国王の印貰った国だよ 唐津あたりに船がついて まず松原よな? で博多の近くは湿地帯だったわけだから 葦かなんかが背丈と ぜんぜん不思議じゃない で、人の住んでたのは背振山脈の近くと
>>8 そちらの国は前方後円墳埋めたんでしたっけ? 鴻臚館後はトイレだったと後から報じられたが、今回も胡散臭い
曹操に仕えて、曹操の息子を魏皇帝に上り詰めさせたのも その息子の曹叡を2代目の魏の皇帝にしたのも 後漢の地方官だった公孫度が遼東地方に樹立した半独立政権「帯方郡」を討伐したのも 238年(239年説もある)に、邪馬台国の女王・卑弥呼に対して「親魏倭王」の封号を与えたときの魏の軍事面でのトップも 247年に邪馬台国が狗奴国と紛争になった際、和睦を促すために張政を派遣したのも 249年にクーデターを起こして、魏の権力を完全に掌握したのも 297年に『魏志』(倭人伝を含む)を完成させた 西晋の初代皇帝「司馬 炎」の爺ちゃんの司馬 懿【仲達(ちゅうたつ)】です
ではなんで奴国の中心地は 早良地区と須玖岡本の二つあるのかって疑問が起こるだろ? それがオレがやった世紀の大発見で理由が分かったって話しな (まだ公表してないけどw)
>>8 平家物語ってほんの冒頭だけでも学べる奴は学べる 目から鱗よ 現代でも古代の環境が体験できるんだから 現地に来てみろよ 唐津から博多に延々続く松原の中あるいて前が見えるかどうかw
魏からの使者って何十回も来たのならわかるけど 1回か2回かちょい来たくらいで何がわかるんだろう? とかは思った 言葉の理解さえなんとなくわかる程度の微妙だろうし
邪馬台国は福岡南部(八女・柳川周辺)〜熊本北部(玉名・山鹿周辺)だよ。 伊都が糸島市、奴国が福岡市〜太宰府周辺、あと狗奴国が熊本市一帯ね。 あと勘違いしてはいけないのが邪馬台国は近畿まで影響力があったり日本を統べてたわけじゃないからな。 一地方の有力な豪族が王を名乗ってただけと考える方が自然。
>>284 都府楼は海よりすぎるよ 古代は海か湿地で間違いない 人が住むところじゃない >>276 ならば唐津に大陸からの使者は入港しているはずです 港ですら無いところに上陸させて、街道も整備されていない 草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えないような道なき道を歩かせる なんて無礼なことをしませんよ 間違えた 都府楼じゃなくて鴻臚館な 鴻臚館は古代よりずっとあとの役所だろ
>>293 大きな船は島だらけの古代の博多湾では 座礁の危険があったんじゃね? >>285 つづき 司馬氏は、後漢時代には既に征西将軍にまでになっている、後漢時代の政府の要人 57年に後漢(25年 - 220年)から「漢委奴国王」に任じられた九州の倭国王が 107年に生口160人を献じ、安帝に謁見したときには、 司馬氏は通り道の潁川郡の太守も勤めていました 中国からの大型船は唐津のほう 朝鮮からの小舟は博多湾に直接 そんな感じだろ
>>9 崇神(神武)が東遷したのが4世紀頃かなあ? 奈良盆地は広大な池や沼があってとても人口を支えられる農地は確保できなかった 排水して農地が増やせるのは鉄を自前で獲得できて以降 奈良に邪馬台国の線は元から無いのさ
>>295 情報を統合して考えることができないの? 九州には 57年に後漢(25年 - 220年)から「漢委奴国王」に任じられた九州の倭国王が 107年に生口160人を連れて、安帝に謁見するために出航できる 立派な港がございます >>280 >漢委奴国王の印貰った国じゃない。 失礼しました、分かりにくい日本語でした 漢委奴国王の印貰った国じゃないかな。の意味ね。 やっと邪馬台国論争に決着が付いたのかよ。 ほんと長かった、九州説論者の方、おめでとう!!!
>>300 古代の博多湾は海面が上がってて いま糸島半島になってるところは 島々だったわけよ 大型船は座礁するかもだろ? 150人も連れてくんだから 小船じゃない >>300 整備しなくてもいい天然の良港の呼子付近を使ってたんだよ。 昔良く早良王国とか言ってたよな ネタだったよね 早良地区も奴国だ じゃなんで奴国の中心地は早良地区と須玖岡本の二つあるのか??? この答えを知っている人間はこの世でオレ一人しか居ない ある非常に重要な発見のコロラリーとして初めて分かることだから そしてその発見はまだ公表してないからこの世でオレしか知らない
そうだ その調子だ! ( ・∀・)イイ!! 調べ尽くして キャフン言わせてやるのら
>>299 生口を10人しか献上できず 九州より遥かに遠いという理由だけで親魏倭王になった邪馬台国は 奈良盆地は広大な池や沼があってとても人口を支えられる農地は確保できなかった のほうがピッタリです 魏志倭人伝の時代なんて日本のほとんどは祟神天皇の配下四道将軍によって統一されてるよ(桃太郎こと吉備津彦命も四道将軍の一人)。 日本書紀に依れば祟神天皇の在位期間は紀元前1世紀頃だが、その都のあった場所の纏向遺跡は2〜4世紀と魏志倭人伝の時代にあたる。 纏向遺跡は祟神天皇、垂仁天皇、景行天皇の都のあった場所の遺跡で周辺の古墳は主にこの時代の貴人の墳墓だとされ、発掘調査されたものも多数ある。(天皇陵は未調査) このうち垂仁天皇の時代に朝鮮半島からの渡来人の記述が2つあり、都怒我阿羅斯人の記述に彼を任那の王に任命したとある。 三国志魏書東夷伝(魏志倭人伝は東夷伝の一部)には狗邪韓国は倭人国だとする記述もある。 来朝した都怒我阿羅斯人はあちこち彷徨いながら大和に辿り着いており、これが魏志倭人伝の不思議な行程になったと考えることができるのではないだろうか。 九州王朝は紀元前の神武東征前の時代のはずだよ。
だからな、草木で前が見えないってのは 今でも残ってる長ーい松原と湿地帯だった博多当たりを 延々と歩かされたっていう中国役人の愚痴なわけよ 完全に合致するw
>>305 港として使ってねーから 草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えないような道なき道を歩かされる、街道も整備されていない なんですけど >>298 神武が東遷に出発したには4〜5世紀頃 関西を征服したのは5〜6世紀頃かな 出発地の日向は伊都国と奴国の境の日向峠付近だな。 >>298 稲荷塚の鉄剣が471年だし 東征のあと100年で関東まで勢力拡大するかぁ? >>311 紀元前から大王がいたというのに? 107年には生口160人を連れて、「漢委奴国王」が安帝に謁見しにいったのに? なんの整備もしてねーとか、脳みそ腐ってるぞ 光武帝から金印をもらった奴国と安帝に使いを出した帥升と関係があるかどうかなど分からないだろう。
>>312 それは呼子付近よりも先の内陸、東松浦半島内の風景 「濱山海居」が呼子付近の風景。 卑弥呼の時代250年ごろに東征あっただろうと考える 何なら卑弥呼が東征の主役かもしれん
>>300 草木で前が見えない 道でもないところを歩いたってのは いまある松原を歩いたってことだよw 現代でも追体験できますよw 博多湾から直接、早良に来るなら そんなこと起きない 陸稲育ててたんだからw >>315 稲荷塚の鉄剣は地方豪族だから関係ないよ 銘文もワカタケルと読むには無理がある。 >>318 >>311 紀元前から大王がいたというのに 107年には生口160人を連れて、「漢委奴国王」が安帝に謁見しにいったのに なんの整備もしてねー、わけのわからんところに上陸するとか 脳みそ腐ってるぞ >>322 古代は島だらけだった博多湾で 大型船は座礁するからだろ >>320 松原は草は余り生えていないよ 歩き安い。 >>285 今の遼東半島にも 実は遺跡とゆうか 日本との関与跡が発見されているんだっけね >>320 だから 紀元前から大王がいたというのに 107年には生口160人を連れて、「漢委奴国王」が安帝に謁見しにいったのに なんの整備もしてねー、んなところを歩く ということが変だと思わねーのか? 脳みそ腐ってるぞ >>313 水面の高さに応じた位置に港を設置するでしょ >>311 伊都国までだから博多付近は歩いてないな。 >>324 定期的に下草刈ってるからだよ 松原の整備のためにな 紀元前から大王がいたというのに 57年に後漢(25年 - 220年)から「漢委奴国王」に任じられたのに 107年には生口160人を連れて、「漢委奴国王」が安帝に謁見しにいったのに なんの整備もしてねー、んなところを歩く ということが変だと思わねーのか? 脳みそ腐ってるぞ
>>192 まず、「斎藤」と言う苗字は「台湾系」 台湾系が調査すると在日朝鮮人を調べてしまう為 朝鮮人の遺伝子を探し日本人が朝鮮人と主張する 騙される外国人とウソ吐く朝鮮人の(猿蟹)合戦 >>321 稲荷塚鉄剣が雄略天皇の実在の証って定説だと思うんだが この定説を覆す規模と強度を持った反対勢力の論が どっかにまとまってあるのか? >>326 重機があるから道路作れるんで いま糸島から博多にくる海沿いの道は 松原と石だらけの山が迫ってるの 見ればわかるよw >>311 漢や魏の役人が外国の現地調査なんて出向くかよ。 役所で踏ん反り返って、外国に行ったことのある商人から聞き取って資料を纏めるんだよ。 ところが海の向こうの倭人国には商人も行けないから、狗邪韓国での間接貿易の際に知り得た情報しかなく 魏に朝貢したのも狗邪韓国・任那の王だったのではないかな。 >>313 >>327 海面が高かったのではないよ 現代の方が浅い海では土砂が堆積して海岸が沖へ移動してるだけ。 >>336 中国役人が常駐してたって 魏志倭人伝に書いてあるだろ 目的は地の果ての島にいる魔女ヒミコの 魔力目的なw 例えばだ 奈良盆地(天照大神の高天原)を追い出された建速須佐之男命と息子の五十猛が 新羅に渡り曾尸茂梨に行き 曾尸茂梨から船にのって東に渡り 石見国、島根県旧邇摩郡・・現在の大田市五十猛の海岸に帰ってくる こっちのほうがよっぽど 草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えないような道なき道を歩かされる、街道も整備されていない なんですけど
>>337 どっちでもいいよw いま博多湾の港になってるところは 古代は海だった >>334 それ定説ではないよ、単なる仮説だよ。 何の証明もなされていないし 呉音と漢音を混ぜて無理やりに読んでる。 大陸からの渡来人が一時的に集落を形成しただけで その渡来人が渡来するときに身につけていただけの物品だろ。
>>338 常駐なんて何処に書いてあるんだ? 普段の取引は奴国で行われているとは書かれているけど。 いつまで過去に囚われてんだ だから世界からおいてかれんだよw
大型船は島だらけと砂地に寄らないからな だから離れた唐津のほうに行ったんだろ 魏志倭人伝の国並びはそうなってんだから 素直に読めよ
>>315 個人的に東征って言っても移住クラスの少人数集団の移動だと思ってる。 元々奈良にも豪族が住んでいた(古奈良とでも名前つけとくか)のは 確かだろうから、その古奈良の人が各地との交易なんかで関東まで交流を 持っていたと考えたい。そこへ崇神(神武)の小集団がやってきて、いろいろ あった末に古奈良の大王に上り詰めたのではないか。 >>70 糸島市だけで奈良県に匹敵する量の発掘品が出ている。 >>344 日本側に朝貢品を管理できるやつがいない できてるなら文字はそのときから使ってるはず >>319 卑弥呼は日巫女でしょうよ 卑を使用したのは 中国男の男尊女卑とか、女をバカにした愚痴 完全に今と合致する 巫女にとっては、太陽に向けて進むのは普通 で、現地や、各地の軍事理由も兼ねて祀ったと >>349 お宝は確実に背振山脈のどこかよ 中腹にヒミコがいて 2000年で崩れて埋まってる 自然災害の厳しい日本で 多くの渡来人がやって来ては逃げ出しての繰り返しだったのでは? だから古代の日本では原始的な文化遺品しか残っていないのだろう。 土器とか、ハッキリ言って笑う
>>346 唐津も唐津市付近は遠浅だから大型は着けない 壱岐にも近いし呼子付近に上陸したものと考えられる >>350 何処に書いてあるんだと聞いてるんだが。 それにそれは貴方の感想でしょ。 北九州からは硯も出ているし、魏と交渉していたのが任那なら言葉の問題はもっと少ないよ。 >>344 >普段の取引は奴国で行われているとは書かれているけど。 魏志倭人伝の何処に? 伊都国には常に留まる所とあるよ。 >>356 そこらへんも含めて唐津って言っただけ この掲示板の連中は そんな詳しく九州の地理しらないだろ? だからわかりやすいようにざっくり言った 東征じゃなくて 北から南下して西へ行ったのかもしれんね 軍事理由なら、そうなるのはわかる
>>359 勾玉ってのは元々は多分違う意味だったのだろうが 卑弥呼が勾玉=月=奴国(ツクヨミ)に変えた >>335 あの辺の海側は湿地だったから船を使わないならマジで小さな山と言うか丘と言うかを越えなきゃいけないだろうな >>356 いやいや卑弥呼の時代にそんな大型船なんてないよww >>357 卑なんて卑下の卑だものな 中国役人の愚痴で合致するわ >>361 それもあなたの感想だね 文字はでてきてない 卑弥呼の時代に日本側に朝貢品管理するやつがいるなら 文字はそのころから日本で使われて普及してたはず >>350 魏志倭人伝には倭人が文書を使って情報を伝達していたと書かれているし 糸島市からは硯や机等の文房具が出土しているよ。 >>372 卑弥呼の時代に日本人で文字使う奴がいたのに これは文字だとはっきりわかるのが その300年後なのはなぜ?w だーかーらー 奈良大和は九州ヤマトのパクリ模倣だと何遍言わせるのか
>>367 ふと思ったが、三国志(演義)の「赤壁の戦い」に出てくる川船も 実際は小さかったんだろうか。 >>367 卑弥呼の時代の大型船は中国人が載って来た船だよ。 卑字の考えは誤りだよバカの猿 一番分かり易いのが邪馬臺や臺與の臺 バカの猿 これは皇帝が居る場所と言う意味があり バカの猿 卑字などでは到底ないよバカの猿
>>372 常駐してた中国役人が捨ててったのでは 卑弥呼の親書とか誰が書いたんだよw 実際、その頃の日本は、まだ腰布すら巻いてない裸ん坊の原始人だろうね
>>363 古代の北九州なんて ほんと島的だったと思うよ 砂浜が広がってたそうだから、今の陸地なんかとは全然ちがう 島たちの連なりみたいなもん 中国地方とかも島に見える時あるしね >>379 日本がまともになったのは朝鮮が統治し始めてからだもんな >>379 朝貢品が布だから 服は着てるな つーか貝殻のアクセサリーが流行ってたらしいぜ 卑字の考えは誤りだよバカの猿 一番分かり易いのが邪馬臺や臺與の臺 バカの猿 これは皇帝が居る場所と言う意味があり バカの猿 卑字などでは到底ないよバカの猿 当時の中国人は卑弥呼のピの音を聞いたとき卑を一番思いつき易かったってだけだよバカの猿
三種の神器って Mac book iPad iPhone だよな
>>8 過去すらロクに解明出来ていない日本に 明るい未来はない ところが俺の親でも君と変わらないことを 言うから驚く >>373 文字を使用出来る人が少なくて未だ見つかってないだろうな 多くの人が使うと確率的に文字が出土する可能性が上がるな 魏志倭人伝の記述や文房具も出てるから文字が使われていたのは確実だな。 例えば中国人はアジアのことを亞州と言う 亞とは足らないと言う意味 悪とは心が足らないって意味 何か、中国人は自分の住む地域に自分で卑字を使ったのかバカの猿?
新しい最古出土品という物証が増える度に俺の言ったことが証明され続けるって 言いましたよねえ?
中国と朝貢しながらヒミコから奴国王と もともと渡来人だったろうが日本に染まって日本語話してたやつが 力を貯めてもといた朝鮮南部に攻めていって国を作り 高句麗にまけて日本の戻り 居場所がないから奈良に行った これがすっきりする話だな 日本語が朝鮮語とぜんぜん違うのもそれではっきりする 朝鮮から日本という方向だけなら 日本語はもっと朝鮮語に近いはず
>>378 北部九州地域各地でも出土してるんですけどw >>388 新書かくほどの奴が日本人でいたのに すごい下手文字で鉄剣に文字刻むやつが その300年後なんで 可能性ないね 中国役人が常駐してそいつが書いてたんだ >>392 でも実際に書いた文字は一切でてないよな それがでたら考え変えるよ この地域ってナ国とイト国にはさまれた地域だろ。 2000年に発刊された講談社版「日本の歴史」第2巻「王権誕生」 の149頁に著者の寺沢薫先生が”「早良」のクニと国の消長”と表題を掲げて 解説をしている。前期の王墓は出土品の豪華さから他地域に比べ進んだクニ であったようだが、中期以降は他地域に圧倒されたようで弱体化が顕著となる。 結論は魏志倭人伝の伊都国と奴国のような名を残すような勢力にはなれなかった。 考古資料からも裏付けられるとしている。 20年も前だ。
無論、所詮外国の名前なんだから ぞんざいに扱ったって面はあるかも知れんよ ただ中華思想でことさら周辺国に卑字を使ったという考えは 明確に誤りだよバカの猿
チミらは もう少し軍事的に想像してみなよ〜 九州の内地に砦を構えたり 見晴らし台を置くのは 敵の侵入などに備えるためだよ 要塞都市 とりあえず そこに砦と簡易な住処を作っておいて もう少し奥に 安全そうな居住まいや、祀り場所を移して 食糧でも作っておくか〜、あんまりココは雪も降らないし。となったのが、奈良なんだよ たぶん
自称学者のバイアスの掛かった屁理屈やウソではなく 物証ベースで考えれば真実は大抵シンプル
>>223 半島の勾玉(翡翠)は糸魚川産ってことがわかってる 間違いなく日本→半島 朝鮮をハブとしての貿易で考えれば 北九州、鳥取、新潟はつながってるんだよな そう考えれば東征が手早く進んだってのも納得しやすいが 北九州から近畿までの鉄器の伝播速度は200年単位なんだよなぁ
>>395 挟まれたっていうけど 奴国は早良の山のほうだろ いま平野の部分は海か湿地なんだから >>372 そもそも日本人は言語を持たなかったと言う記載と矛盾してるだろ 漢字が入ってくる前はどんな言語を使っていてか説明してみて >>399 勾玉って中国由来のものだけど、偶然にも中国から入ってくる前に日本も同じデザインの石を作ってたってこと? でもそうは言うけどお前って脳みそカタワのバカの猿じゃん ↓
いろいろな説が出ていて定まったものもなく、 根拠となるのは遺跡の他、魏志倭人伝やその後の後漢書、宋書、梁書などの資料のみ。もっとも典拠は同一だろうが。 その状態で、自説を断言するのはまだいいとして、他人をバカだのなんだのとこき下ろすだけの自信を持てる人ってすごいな。
卑弥呼や壱与は国書を奉じてるから少なくとも一部官僚は文字が使えたと解するのが通り タイムマシンでホモ・ハビリスを連行してきて文字をおしえようってんじゃないから学習する知能が不足してたって想定は無理 何の根拠なく渡来人に頼んだとか考えるのはバイアス脳だからでしかない
とにかく 物証と、科学検証と、軍事的理由だよ そこを 出さないとハッキリはしてこない 適当な美辞麗句の神話や、中国役人系の権威主義に呑まれるだけなんだわ
まあ唐津、糸島、早良のあたりの現地あるけば 魏志倭人伝の記載がそのままだと実体験できるわけでw その程度もやらない連中が 奈良ファンタジー日本史学会なわけだ
>>407 だからバリバリ親書なんか書けるやつが 当時の日本人にいたというのに 実際に文字出てくるのが その300年後で すっげー下手文字wなのはなぜ? ソースの発掘現場写真が1985年なんだが、ニュースってなに? それとも有料部分に何か書いてあんのか?
例によって書かれていないことが読めちゃうやつが出たな 倭人が言語を待たないってw原人かよ
この卑字の俗説は、 バカの猿が如何にデタラメをしつこくしつこく言い募るかの 非常に分かりやすい良い例になっているから注目すると良いよバカの猿 バカの猿「いえバカの猿だからそれはムリっす」
>>413 早良あたりが奴国なんだよ いまの博多の海側は 海か湿地で人が住めないのだから 貝塚が山から出てくるんだぜ? >>412 古代において話し言葉は色んな民族が持ってるけど、書き言葉を持たない民族は多いだろ >>402 たぶん漢字が入ってくる前は、もっと記号的な文字とか、言語を使っていたのかもしれないよ? なんか集落では入れ墨もしていたそうだから 物証が出ればいいのにな >>410 お前本格的に頭がおかしいな 文字の美醜と実用は関係ないだろ 例えば某国では党首に色紙を書かせる慣習があるが実に稚拙な文字を書くからといってT大卒が虚偽だという証拠にはならないのと同じ >>416 この手のスレって読めない奴が本当に多いな 「言語」だぞ 東洋人、特に和人は現実問題へ論理的には曖昧な対応をするので 自称学者というポンコツが一見すると論理で理路整然と考証しているように見えるが 自称学者の思考の構築パーツはツギハギの伝言ゲーム 自称学説は風で吹き飛ぶ藁の家 出土品という物証だけで考えろ
奴国で重要なのは船と弓矢。 海人族が活発に日本に進出して行った時代やからな。 韓国の伽耶には既に倭の領土もあった。
>>419 いや、300年のギャップの説明になってない 朝貢はずっとしてたんだぜ? 卑弥呼に倭の五王に そん時日本人で親書バリバリ書くやつがいたっていうんだろ? じゃあその300年後にしか 文字書いた証拠がでてこないのはなぜかって 素朴な疑問を呈してるだけ 日本人が文字書いてた証拠はいまのところゼロ >>420 >言語(げんご)は、 広辞苑や大辞泉には次のように解説されている。 >人間が音声や文字を用いて思想・感情・意志等々を伝達するために用いる記号体系。 音声を用いての意思伝達も言語に含まれます 言語って、文字言語と音声言語があるんだがな。 音声言語は遠い昔から存在しただろう。もちろん弥生時代にも。というか、そのはるか昔から。
逆に頭がおかしくなければ 古代日本で親書を書いてたのは 魏志倭人伝にも書いてある常駐してた中国役人だって 思うわなw
>>424 渡来人に書かせたって証拠の方がさらに絶無 だから状況証拠のある倭人自身が必要に応じて学習して使用したと考えるのが合理的 目に見える証拠がないから存在しないってんならクォークも幻想かよ >>369 そもそも卑弥呼と直接交渉できていたかも不明だからね。 倭人国からは難升米が帯方郡に帯万郡からは使者(商人キャラバンが使者となることも多い、というか商人のネットワークこそが中華文明の版図を広げた重要なもの)が行き来していた。 外国からの来訪者について複数記述のある記紀おいて魏からの来訪者を隠す動機はなく風土記や伝承等にも記録がないことから 間接的なやり取りの為に正しく伝わっておらず、日本側は新羅や百済等の朝鮮の外国とやり取りしていただけのつもりでいたのではないかな。 九州にしたって魏とやり取りがあったという伝承はないし。 >>429 渡来人なんて言ってないし 魏志倭人伝に書かれてる常駐してた中国役人だ そいつは文字を書けるに決まってるだろ 日本人は書けないから300年後まで 文字がでてこない 簡単な話だ 魏志倭人伝は一回捨てろ 伝言ゲーム情報に脳を縛られすぎ 物証からスタート
>>425 頭悪いな 倭には言語がないと倭人伝に記述されてると主張する阿呆がいるからあざけってるんだ 横からはいってかき回したいんならレスぐらい追ってからにしろ馬鹿めが >>430 奴国王の金印w 漢の倭の奴国ってちゃんと書いてある 途中の朝鮮の国なんて書いてないぞw >>431 手軽にwiki引用するが >渡来人(とらいじん)とは、広義には、海外から日本に渡って来た人々を意味するが だからな >>376 その大型ってのをどの程度と思うかだな とにかく現代と古代とがごちゃ混ぜになんのね フェリーとかと間違えてないそれ? w >>435 なんでおまえ中国役人だって はっきり書いてるのに そこぼかしたがるんだ? 日本で渡来人が力貯めて朝鮮半島に攻めていって 朝鮮南部をいったん支配したという 古代史をごまかしたいのか? >>436 150人の奴隷を運んでいく程度の 大型船だろ のちの邪馬台国である 翰苑(第30巻のみ大宰府天満宮に残る:唐の張楚金の編纂) が引用している「廣志」に、邪馬台国の場所が記されている。 邪は伊都に届き、傍らは斯馬國に連なる。 廣志曰く、倭国東南陸行五百里、到る伊都国,又南、至る邪馬嘉(臺)国。 ※伊都国:福岡県糸島市,福岡市西区あたりと言われている 韓国人にやらせると何でも劣化させる。 中国文化も朝鮮から取り入れたら劣化していたので 日本は遣隋使・遣唐使をつかって、中国文化を直接取り入れることにした。 伝令兵の役目もはたせない朝鮮人
>>438 一つの船で運んだと思ってたのかwwwww 日本より古い古墳がウリナラでは見つからないので 邪馬台国より古い国を朝鮮半島に近い福岡に作ることにしたニダ
>>439 現地の地理と古代の海面の違いを 頭にいれたら 糸島と西区が同じ国なんて アホな歴史感はでてこないな 山ではっきり区切られて そうそう行き来できない 勾玉の起源は日本 勾玉の発生は日本の方が古い。日本では縄文時代から翡翠の勾玉が出土するが、 韓国では5〜6世紀ごろの翡翠の勾玉が最初である。 韓国と日本でユニークな丁子頭勾玉が出土するが、これも日本の方が古い。 韓国では、5世紀ごろの遺跡から出土するのに対して、日本では3世紀前半ごろの 平原遺跡から発見されている。日本ではさらに古く縄文遺跡からも出土している。 丁子頭勾玉は、勾玉の穴の周囲に丁子の花に似た溝が掘られてていることを特徴とする。 勾玉そのものも特徴的な造形であるが、さらにユニークな丁子模様が日韓で共通していることは、 偶然の一致ではなく、日本から朝鮮半島に運ばれたものといえる。
>>195 約72,400年前だ ほれ、ソースも出してやる!w [홍익인간 7만년 우리역사 개관] http://breaknews.com/sub_read.html?uid=223615& ;section=sc5 ソース:ブレークニュース(韓国語) [弘益(ホンイク)人間7万年私たちの歴史開館] 私たちの韓国の歴史は五千年でなく、檀君以前に桓雄天王の配達国時代が1,565年間、それ以 前に桓因天帝の桓国時代が3,301年間、さらに、それ以前に桓国前時代が63,182年間があった。 従って私たちの歴史は紀元前70,378年癸亥年から今年2012年壬辰年まで72,390年の歴史を持つ。 紀元前70378年癸亥年から麻姑ハルミの天符の弘益(ホンイク)人間の歴史が始まり、約43,200 年が過ぎた紀元前27,178年頃からは麻姑ハルミの初孫になる黄穹氏が白巣氏、青穹氏、黒巣氏 などに属する四氏族を和白で治める時代になった。この時からすでに麻姑ハルミを氏神とする三 神に仕えることになる。 黄穹氏が麻姑ハルミの代わりに治めたところもまたパミール高原の麻姑城であったので、麻姑時 代、麻姑孫時代になるわけだ。当時、麻姑城は天国の首都であり、麻姑城の外の国は相対的に 地方国になる。 麻姑城時代末期にポドによる五味の乱と人口増加による食糧難で紀元前7197年頃、四方に分居 したので、黄穹氏族は東北の天山洲の天山、モンゴル、シベリア、満州、韓半島へ、青穹氏族は 東側の雲海洲の黄河南、揚子江流域の南北にかけて東に、白巣氏族は西側の月息洲のシュメー ル、ヨーロッパ地域へ、黒巣氏族は南側の星生洲のインド地域に分居したことになる。 黄穹氏は紀元前7197年、甲子年にパミール高原のすぐ東北側に位置する天山に首都を定めて 約1,100年治め、天符三印を伝授された有因氏がまた東側に位置するアルタイ山から天山を首都 として約1,100年を治め、この時、パミール高原の東側地域に全9族がすでに形成され、また天賦 三印を伝授された桓因氏がまた東側に位置した大興安嶺山にある天山を首都として7代を経て 紀元前3897年まで約1,100年治め、これで桓国時代は合計3,300年間になる。 桓因氏の桓国は9族および12桓国の中心として黒龍江と白頭山の間の土地で東シベリア、満州 の土地であり、檀君朝鮮の中心地であった真韓の土地になる。韓国末期に虎族と熊族の戦争が 黄河の中上流地域で勃発すると庶子部大人桓雄が智為利桓因天帝の命を受けて天賦三印を伝 授して三師五加と群れ3,000を率いて桓因天帝の桓国を離れて西南側の地方すなわち三危山南 側に位置した太白山地域から降りて太白山頂上に祭天壇を積んでその下には神市を開いて首都 として紀元前3897年、甲子年10月3日に国を開いて始めたのが倍達国で、天地人天符の道を 実現して天雄道を広げたのが開天である。 紀元前2706年に即位した蚩尤天王が山東地域の青邱に首都を移して炎帝(神農)国、熊国(黄帝 軒轅)等12諸侯国を平定して戦争を無くし平和時代を開き倍達国時代の中の青丘時代を始めた。 檀君朝鮮は第18代居弗檀桓雄の息子であり、檀熊国(炎帝神農国の後継国)の摂政裨王だった 檀君王倹が紀元前2333年10月3日に東北のアサダルを首都として九族(九夷)の推戴で開国し て在世理化、弘益人間世界を再現し、紀元前232年まで2,102年の歴史を持つ。 [各時代別歴年] (後略) 物証からのシンプルな予想データーと 軍事的な理由による配置 あと 食糧生産関連 このあたりのリアリティから 組み立てていけば、 おかしな宗教洗脳的な、神話みたいにはならないし 中国覇権的な、権威主義にもならないはずです
大和の平群、葛城、曽我は、 ココから移住していったのだろうな。
隋書には、仏教伝来まで倭に文字がなかった、みたいな記述があったかな。 それ以前のものとして稲荷山の剣もあるし、宋書に記載されている上奏文はあるのだが、少なくとも隋書を記述した唐の太宗の時代の学者は文字がそれまでないと考えていた。 上奏文などを誰が書いたのか、剣に誰が文字を刻んだのかが分からないというのももちろん言える。
信奉する神もないのに何が 「神器」だ、うすのろが 当時は鬼道一辺倒だわ
>>452 常駐してた中国役人に決まってるじゃん なんでそこわからないとかいうことになるの? >>448 複数で行けばいいのに一つの時代を隔絶した巨大船をわざわざ建造して行ったわけか? w >>455 で、証拠は? 証拠に近い論証でもいいけど おたくの感想なんて聞いても無駄じゃん >>453 中国から見たら、 ヒミコは最果ての島にいる魔女だから 価値があったんだわな 倭の五王みたいに 男王になったらぜんぜん興味しめさない 中国名に勝手に書き換えて 詳しいエピソードもない 陸行一月と同じだな 陸行一日のただの写し間違いな後代の 三世紀なんて時代に橋なんかほとんどかかってない 川で寸断されている日本に陸行一月する土地なんてないそもそも とにかく現代と古代とがごちゃ混ぜだ 弥生末期の話しだぞ まだ小屋みたいな家に長が住んでた時代だぞ
アカデミックさが足りないんだよ チミたちは〜 軍事面、地理や、地質学的 科学的な実証とかでいいんだよ 出てきた物証からの事実から およそを予想して 他の物証や、文献と合うのかどうか調べる 空想の歴史感は要らないんだよw
>>456 で、証拠は? 証拠に近い論証でもいいけど おたくの感想なんて聞いても無駄じゃん >>461 魏志倭人伝、 現地の地理、古代の海面状況 文字の証拠なし ぜんぶ論拠ありねw >>454 決まってると言われても、何の根拠もない。 常駐していた中国役人というのも意味が分からないが、中国からの渡来人という意味?それとも中国から派遣されていたという意味? どちらにせよ、そのような証拠はない。 仏教伝来以前からずっと文字を使える役人はずっといたが、書物などは全く存在せず倭国人は誰一人知ろうとしなかった。が、仏教の教典がきたら、いきなり文字を勉強した、というのも不自然。 >>258 最近の東大の発表でも、北九州より関東の方が遺伝的に大陸に近かったんだよな 陸行一月は陸行一日のただの写し間違いだからな 卑字と同じでデタラメと分かってることを何度も何度も言うなよバカの猿 バカの猿「いえバカの猿だからそれはムリですキリッ」
>>445 「又南」と書いてある これは連続した行程を意味する >>466 魏志倭人伝はそもそも中国役人が 書いたもんだからw 渡来人ってどこの人? 朝鮮のどこかなんて一切でてこないけど 金印にも倭人伝にも >>465 で、証拠は? 証拠に近い論証でもいいけど おたくの感想なんて聞いても無駄じゃん 世界中で商売をしているが福岡と大阪と北海道のお客の詐欺師や犯罪者率は他の地域と比較して多すぎる。 ブラジルやインドやアメリカでこんな事は無いってレベルである、、どうして? 単に日本でも劣悪な人間が多いからかな?詐欺商材屋の出身地も大阪、福岡、北海道、在日、在日中華 これらが群を抜いて多いと思う、、、残念だが
飯盛山にはイザナミが祀られ、福岡平野を挟んだ東側の若杉山にはイザナギか祀られる イザナミ・イザナギに見守られる福岡は高天ヶ原と
魏志倭人伝を読み解こうともしない畿内説は妄想作文 ■基本的に魏志倭人伝の構文解析が最優先課題である 同じ内容で使われる文字が変化したり、奴国の紹介が重複していたり、距離が里から日に変わるなど、 魏志倭人伝は過去の記録を引用しつつ、新たに得た情報を大雑把に追記する形式で構成されている ■中国側での過去からの伝承記録を書き写した部分 ・帯方郡(ソウル)から南→東と海岸沿いに水行し狗邪韓国(釜山)までの距離が約7000里 ・対馬→壱岐→北部九州上陸までの合計が約3000里 ・上陸してから伊都国までが陸行およそ500里 ・奴国、不彌国までがそれぞれ約100里 ・陳寿は過去の記録をもとに帯方郡から女王の都までの総距離を合計約12000里と見積もった ■卑弥呼時代に朝貢に来た倭人による行程説明を追記した部分(日数表記の記録) @帯方郡から(記載漏れ?) A南に船で20日→投馬国(任那、伽耶、狗邪韓国など) B南に船で10日→邪馬台国(北部九州=女王国)上陸 C客人は伊都国に駐留し、女王国の入国許可を待つ D客人が手紙で女王に入国許可を申請する E許可が出たら女王の護衛が客人を迎えに来る F迎えに来た護衛とともに女王の都へ ■考えられること ・陳寿は倭に関する古い情報と新しい情報の関連性がよく理解できていなかった ・倭人が説明した船で移動する行程を中国は「水行」と記録していた ・倭人は対馬海峡を挟んで半島側を投馬国と呼び、北部九州側を邪馬壹(臺)国と呼んでいた ・倭人は距離単位の「里」を知らず「日」を使って距離を表現していた(隋書倭国伝に記載あり) ・陸行一月とは、九州上陸から女王の都に到着するまで(C〜F)に一か月を要する事を意味している >>470 何の話をしてるのかさっぱり分からないので日本語でお願いしたいです。 剣や宋書の上奏文を誰が書いたのか分からない、というだけの話に魏志なんて何も関係ない。 >>469 伊都国が西区なわけないって 言ってんだけど そこらの地理わかる? 糸島と西区は先のとがった山脈で 区切られてるわけ いまは重機でブッ通してるから 通行できるけど、古代にどうやって 一つの国になる? 漢委奴国王 の 奴 は 中国語の表現では 大きい を意味し 野蛮な国に対する差別的用語では無く 委 は 倭 から亻を取り 人に非ずという差別的用語を用いて 合わせて 倭大 つまり 大倭 を意味する つまり 漢委奴国王 は単に 漢に朝貢した大倭国王 の金印である
1980年代に朝鮮半島の南部に14基の前方後円墳が発見されました 前方後円墳は日本に固有のものと考えられていましたから 韓国の学者は韓国が発祥の地だと大喜びました。 ところが、調べると造営年代は日本のほうが古く、韓国のぬか喜び、から騒ぎに終わりました。 その後、韓国は前方後円墳を削って円墳にしてしてしまったのですw 自国有利のためには歴史的遺物の破壊、改ざん、でっち上げなど、何でもアリの民族性なのです。 >>475 ヒミコや五王の親書は中国役人が書いた だからその300年後まで 日本から文字の痕跡でてこない それだけの話を誤魔化し倒してるのが おまえだろ 古代史の疑問の多くはこの絵で解けるだろう >>277 まあいいじゃんw 海面上昇していたのは間違いないんだから。 大陸の嘘つき呼べば。 >>481 そうかもしれないしそうでないかも知れない。根拠がないので。 いずれにせよ、魏志なんてなんの関係もないですよね。 翡翠の勾玉って何処産かな? 相変わらずの糸魚川ルーツ?
>>480 意味不明 糸島の怡土(いと)はだいぶ広い平野が取れる そして西区とは険しい山で区切られてるから 糸島と西区が伊都国とか 現地の地理を完全に無視してるアホ説 >>458 当時の中国大陸、中国男からすれば 日本はまだ調べきれてない島で 小さい なんもない未開拓な場所 その島に、適当に健康そうな女を立てておけば、ラブホテル島のように 自分が好き勝手に支配できるし、まさかの時の逃亡先に都合良いし、 ちょっとしたハワイ的な感覚の、エロ島あつかいだった可能性も無いとは言い切れないからなぁ 古代、瀬戸内海には象が住んでいた 化石も見つかっている つまり、大陸とは陸続きだった これまめな
勾玉だけが皇居に置かれてる理由は実はとってもシンプル 勾玉だけが神話の時代からそのままの姿で残ってる唯一のものだから 剣は何度か紛失されてるのはみんな知ってるよね。 実は鏡はモノは残ってるんだけど、昔、御所が火事になった時に鏡持って火から逃げてた人が豪快に転んで割っちゃったの。 だから伊勢神宮にある本物の鏡は割れててカッコ悪いから誰も見れませんよーってことになってるん だいたい可笑しいと思ったことない? 天皇ですら見ちゃだめってなってるものをどうやって伊勢に運んだのか、とか 誰がお手入れしてるのかな〜セキュリティは〜?とか。 つか、だいたい見れなきゃ、そこにあるとは証明できないよね 今ならロボットとか入れて何とか見ないで確認できる方法あるかもしれないけど…熱で感知するとか、 でも昔はそんなものは無かったわけで。
>>485 なにが関係ないと言ってるのか意味不明 魏志倭人伝に今と同じ国名(地名)と 中国役人常駐が書かれてる そして朝貢して親書を送ってる 親書を書いたのは中国役人 論理的に無関係というのが不自然極まりない >>488 まあ渡航は命懸けなんですけどね エロ目的で?w 皇帝が病気になったとき 最果ての魔女の奇跡を期待したんだろ? 魏志倭人伝における行程の謎の原因:陳寿の編集ミス ■中国における既知の情報 郡 ↓約7000里 狗邪韓国(半島南部) ↓ 対馬海峡 約3000里 ↓ 末盧国 ↓500里 伊都国(福岡県糸島市) ↓100里 奴国(福岡県博多湾付近) ↓100里 不弥国(福岡県糟屋郡宇美町付近) ■魏に朝貢した倭人から得た情報 帯方郡 ↓船で南に二十日 投馬国(半島南部) ↓船で南で十日 邪馬台国(北部九州)に上陸後伊都国で入国許可を待つ ↓ 卑弥呼に会えるまでに一月かかる
>>1 実は中国史書における日本最古の王は卑弥呼じゃないからな 2世紀ならその系譜だろ 私は特に確信もなにもないが、邪馬台国の時代には日本に文字はなかったのではないかと思っている。 その根拠のには隋書東夷伝の倭国への仏教伝来の際の記述がある、ということだな。 ただ、それを完全に信じてよいのかというのはまた別問題なのは当然。実際に嘘くさい記述も多々あるわけで。 そういうよくわからん状況で、何をもって断言してるのかそれこそさっぱり分からん。
中国役人からしたら 最果ての島の魔女ヒミコと通じて 皇帝の病気を治したら大出世確実だから 命懸けで行くんだろw 簡単じゃん
>>8 過去を知らないと捏造の歴史を外国や政府から教わることになるからな。珊瑚事件、文世光事件や金大中事件、6月の天安門事件だって若者は誰もしらないからな。 >>341 熊本の江田船山古墳の鉄刀は? 稲荷山古墳とセットで考えるのが普通 ま、はっきり言えることは 奈良ファンタジー日本史学会は 九州の地理も調べず適当なこと言ってる すげえレベルの低い連中だってことだな
>>477 ちゃうやろ なんか小難しそうに説明してるけど たんに、漢の男の女奴隷の国なだけなんとちゃうの? 生口〇〇人、とかっつうて 奴隷を日本に運び入れてるし なんか残酷な天使のテーゼみたいな差別的な話の感じがするぅー 3世紀末、台与と同時代、畿内ヤマトの崇神天皇は東西に四道将軍を派遣した 4世紀末〜5世紀にかけて、倭の五王は東に55国、西に66国、海を超えて北に95国を平定した はたして卑弥呼の時代、畿内ヤマトの勢力圏はどこからどこまでだったのか? 九州北部から東海地方までを含む巨大勢力だったとはちょっと考えにくくはないか? >>338 もしかして常駐を現代語で読んだのか。 常はそこで足止めされて先には行けないって意味だろうに。 >>505 すぐに中国にホイホイ帰れるわけもなく とどまってだろw >>491 何で宋書にかかれている倭王の上奏文や発掘された稲荷山の剣の文字が、それより古い晋代に編纂された三国志を根拠に中国役人が書いたなんて断言できるのか、さっぱり分からない。 そもそも三国志にも「文字がない」なんて書いてるわけではない。三国志を中国役人がかいたから日本に文字がない、とかはどういう論理なのかこれもさっぱりわからない。 >>241 日女(ヒメ)は官職だと推測 他にもヒコとかヒナモリとかいう官職有るし 卑弥呼は日女尊 >>492 中国の男なら やりかねんし わざと、差別的な漢字を選択しているところも その残酷さは、今の中国と合致する! >>507 そんなこと誰が言ってんだ? ヒミコの時代の親書は 常駐してた中国役人が書いた そのあと文字が出てくるのが鉄剣みたいに 300年後だから 日本人はヒミコの時代に文字は書けなかった ということを言ってるだけ おたく発達障害っぽい 自分の言いたいことだけ言ってて気持ち悪い >>509 中国はすべての外国を変な文字で書いてるから 日本もそれにならってるだけ そら邪馬台国は半島系の文明だもの 本来の日本の文明はもっと東に縄文時代からあるだろ
>>510 卑弥呼の時代の話なんて書いてないけど。 >>452 にあるように、宋書にある上奏文や剣の話しか書いてないが、あなたが自分の主張したい話をしたくなって、 >>454 で中国役人が書いたとか言い出しただけでは? 自分のしたい話を書きたいのは分かるが、ちゃんと読んでくれ。 >>496 それもあるかもしれんけど なにか中国大陸で、政治的にモメて 乱が起きたら 逃亡先に日本を選べるから 卑弥呼と、通じておけば 何かと都合が良かったんやわ たぶん 漢字のみの中国語は致命的な欠陥言語だ 中国はすべて漢字表記だから、覚える漢字が多すぎて そっちに時間を大量にとられて学問にまわす時間がないw 日本人の7歳なら簡単な伝言をひらがなで書くことができますが、 中国人は同じ内容の伝言は10歳にならないと書けません。 日本人の10歳が書ける作文は中国人は15歳にならないと書けません。 そして日本人の15歳が書ける論文は中国では一流大学の学生でなければ書けません。 論文が書けないと言う事は論理的な思考ができないということ。 中国人に論理的な思考ができないのはことためです。 漢字だけの言語って大変ですね。 今更どうにもならないでしょうけど。 中国語の元素記号が笑える >>512 平安時代まで縄文人が残っていたのは宮崎県以南と岩手県以北だけ >>310 神武崇神同時代説が妙に納得してしまった >>515 ヒミコの時代に倭から出しだ親書があるわけだし 奴国も倭の五王もあるんだが それを書いたのは中国役人だろうという 話をしてる おたくの話は時代が飛んでるけど そのまえに日本から文字を書いた書はでている 書いたのが中国役人だということ >宮城県の五松山洞窟(6世紀)から出土した人骨群では、その多くが西日本の弥生人に似た扁平性な顔を持つ中、 >少数だが縄文人的な顔貌の個体が混じり、成人男性2体の頭蓋に北海道アイヌとの類似が認められた。 >大和朝廷の最前線に位置する五松山の当時の状況から、 >東北北部には、仙台平野以南とは異なった形質の人々が住んでいた可能性を指摘している。 >山梨大学の現在の研究課題 蝦夷の真相解明まであと2年 >エミシとは誰だったのか:全ゲノム解析で明らかにする東北古代人の遺伝的変遷 >研究期間 (年度) 2020-04-01 - 2023-03-31 >https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-20H03332/ >地下式横穴墓から出土した人骨および人骨関連遺物に関する骨考古学的研究 (竹中正巳、篠田謙一他 2015) >主に大隅半島の古墳時代人骨に関する研究。5〜6世紀 >宮崎県などの南九州の山間部では縄文人・西北九州弥生型の人骨が弥生〜古墳時代にかけて出土することで以前より知られている(南九州山間部タイプと呼ばれる。)が、大隅半島では詳細が不明であった。 >今回の研究で大隅半島に属する立地の遺跡(小野堀遺跡(鹿児島県鹿屋市)、 町田堀遺跡(鹿児島県鹿屋市)、塚崎古墳群 19 号地下式横穴墓(鹿児島県肝付町)、飯隈古墳 群鷲塚地区地下式横穴墓(鹿児島県大崎町)、 >旭台地下式横穴墓群(宮崎県高原町)、地下式横穴墓群(宮崎県えびの市))で新資料が得られた。 >それらの新資料を本研究で詳細に調べたところ、典型的な低身長・低顔・低眼窩・広鼻という縄文人の特徴を持っていることが判明した。 >https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-24520873/24520873seika.pdf 剣←スサノオ←ち〜ん 鏡←アマテラス←ま〜ん 勾玉←胎児
邪馬台国論争は絶えないが、桃の種がどうとか言ってる奴らは さすがに無理やり過ぎると言うか頭がおかしいと思う
>>474 陳寿については日本書紀にはっきり記載がある 大加羅国の王子としてな その記述を読めば水行10日陸行1ヶ月の謎も解ける 伊都国経由で大和入りしてるから疑いようないだろ >>530 間違いな 元々は胎児だったのかも知れないがね 卑弥呼が変えた >>535 なんにせよ 中国皇帝が興味しめす唯一の 古代の日本人がヒミコなんだから いろいろ日本の文化も変えただろう 記録が残ってないのが残念だね >>524 卑弥呼の時代の話は私はしてないので、そんなことを言われても知らん。どっちかというと当時は日本には文字がなかっただろうとは思ってる。 で、それはいいとして、宋書の上奏文も稲荷山の剣も、特に中国役人が書いたという根拠は三国志にはないでしょう?時代が違うんだからそれは当然でさっぱり分からん。 あえて言うならば、私があげた隋書東夷伝は文字がなかった根拠と言えるかもしれないというだけ。 あなたが倭王の上表文や稲荷山の剣も中国役人が書いたと信じるのは自由だし、私も中国から来た人が書いた可能性もあるとは思うが、何をもってそんなに自信をもって断言してるんです? 富と権力の象徴だったのだろうけど王国の証には足りない 単なる憧れで埋葬≦三種の神器≦国王
>>538 私は鉄剣の文字を中国役人が書いたなんて 一言も言ってない 勝手に私がそう言ってるとあなたが思ってるだけ 私の論点は 古代日本から書は出ているが 書いたのは中国役人だったからこそ 鉄剣の時代まで日本は文字の痕跡がない ということだけ 畿内かどうかは学者が結論出す気ないだろ それでごはん食ってるわけだし
またいらん封印解いたんじゃなかろうな… 地震や豪雨、疫病とか起きちゃうからな
漢委奴国王の金印で有名な奴国にも卑弥呼の邪馬台国にも皇帝から金印が送られている 邪馬台国は30の国を従えた大国だから 北九州に邪馬台国も奴国(金印が福岡で発見されてる)もあるってのはおかしいんだよね そんな従国の小国に皇帝がわざわざ金印贈らんでしょ 邪馬台国は北九州じゃなくて四国とか畿内とか別の場所にあったか 金印が発見された当時は本居なんちゃらのいた怪しい時代で 邪馬台国が北九州にあるのが都合が悪くて畿内にあったことにしたかったから 金印を北九州で発見されたことにでっち上げたかどっちか
>>542 じゃあ、>>454 はあなたの間違いってことですか? ならいいです。 私の書いたことに対して >>454 であなたが反論?してきたんだから、それが解決されれば文句ないですよ。 >>547 魏志倭人伝でいう国は 現代の糸島市ぐらいだから 30市で福岡一帯で ぜんぜん不思議はない >>544 中国にも日本にも残ってるよ お前ら猿がすっとぼけてるだけだよw >>551 日本人はもうすぐ滅んで中国様が世界の覇者になるから 歴史はそこで全て作り替えられるよ だからお前の知識なんか全く無意味だ ざまあ >>551 それ以前に日本から中国に書が出ているという 歴史を完全に無視した話だと想定できないからね >>553 日本のどこに? あるなら見たいんだがw >>533 勾玉って縄文時代からあるんだけど? 耳飾り装身具が原型だよ 倭国の女王は兵士30人を奴隷として 魏に送ったのだ
江戸城に座るのは 実は朝鮮王の親戚を語る偽朝鮮人だったりして
【東大の最新ゲノム解析】 >Our analysis indicated that, of the 47 prefectures in Japan, Nara was genetically closest to CHB. 2020年10月14日付けで『Journal of Human Genetics』に掲載された報告では、 朝鮮半島に地理的に近い九州北部より、四国・近畿地方に渡来人の遺伝子が強く見られたと述べられています キャプション 鹿児島 (沖縄に向かっている) 青森・岩手 (アイヌに向かっている?) 奈良 (韓国に向かっている?) >>555 よくわからないが、 >上奏文などを誰が書いたのか、剣に誰が文字を刻んだのかが分からないというのももちろん言える。 に対して >常駐してた中国役人に決まってるじゃん >なんでそこわからないとかいうことになるの? と書いておいて、 >>542 >私は鉄剣の文字を中国役人が書いたなんて >一言も言ってない >勝手に私がそう言ってるとあなたが思ってるだけ なんて開き直れるのって、すごいなと思いました。 >>552 だとしても 金印もらえなかった畿内の立場なくなるじゃん ずっと天皇は畿内にいるんでしょ? 仁徳陵だって詳しく調べようとしないけど 卑弥呼の時代と同じくらいったりするんでしょ >>564 それ以前の日本からも書は中国にでていて 書いたのは中国役人だということを あなたが認めればいいのでは? >>555 見苦しいからさっさと、間違ったよごめん、って謝罪して終わりにしろよ。 >>566 それが奈良ファンタジー日本史が 九州の地理も無視した デタラメな歴史を保持したがる モチベーションなのではw >>507 ほら、また引っかかってる 物証や、実証、事実に基づかないから、そうなるんだよ 役人が残した文献頼みになっていきやすい それがモメてる原因だよ アカデミックさが足りないんだよ圧倒的に 状況証拠としては天皇家、南朝鮮・北九州起源だよな。
>>568 何を間違ったの? 日本から出た書の話をしてんだろ? だからそれ以前に書は出ていて 書いたのは中国役人だという 話をしているだけだしw とりあえず畿内説はもうさすがにやめろよ 今時畿内説はガチでカタワだからな
>>569 >>570 どっちにしろ日本人はあと数年で韓国に攻め滅ぼされて 歴史は全て書き換えられる お前らの知識も存在も歴史も全ては無意味な ざまあ >>571 だからこそ 日本語は朝鮮語と違うんだよ 渡来人=朝鮮人で 朝鮮から日本と一方通行なら 日本語は朝鮮語と似てるはずだからな 天地開闢前が、弥生人が山東半島から九州北部や朝鮮半島南部に移住する前 邪馬台国及びその従属地域=九州北部、朝鮮半島南部、済州島等=高天原 狗奴国=熊襲や隼人といった九州南部の縄文系部族連合=暗くなった際に暴れた存在 卑弥呼が天照大神(天岩戸の前)、台与が天照大神(天岩戸の後) 宮崎県辺りを制圧したのが台与の孫 台与の曾孫、玄孫が山陽や四国を制圧 彦五瀬命と弟の神武天皇が近畿を制圧
>>567 ? >>538 >>495 にある通り、前から文字はなかっただろうと思ってるし書いてるけど。 「それ以前」って意味もさっぱり分からない。違う話だよね。 >>575 正体だしたなw まあそういうモチベーションで 歴史を捻じ曲げようとしても こうやって論破されるだけだしw >>569 でたらめっていうか最近思うようになったけど 紀元2600年みたいのって天皇は猿からいるって話しなんでしょ 神武天皇って名前の原始人がどっかにいて それが天皇の先祖だと 神武天皇が日本を統一してたとか誰も言ってないよね >>576 そんなこと日本人が滅んで全て関係なくなる >>578 日本から書が出てるんだから 日本に文字はあっただろ? 書いたのが中国役人だったというだけで ▼正岡子規(愛媛県出身の歌人、19世紀) 『京都の公家は人間としては下等の地に居る、死に歌詠み』 ▼北九州久留米兵(ラングーンの兵站病院、20世紀) 『またも負けたか安兵団(=京都兵)』 ▼林屋辰三郎(京都国立博物館館長) 『京都盆地は五世紀に朝鮮半島からの渡来まではいぜんとした氾濫原であった』 ▼井上満郎(京都産業大学教授) 『秦氏というのは新羅を母国といたしまして、五世紀の後半に日本列島に渡来してまいります。そしてこの京都に住みつきます』 ▼池田次郎(京都大学名誉教授) 『畿内人は韓国朝鮮人と同じグループに属し、日本人から最も離れている』 ▼山尾幸久(立命館大学教授) 『河内飛鳥(大阪府)の文化は百済につながる人々によって創造された百済色の濃い文化であった』 ▼仲尾宏(京都造形芸術大学客員教授) 『関西の3府県で韓国・朝鮮籍の永住者が全国の約5割を占める』
>>579 論破?w 死人に口無しって知らないのか?w お前らが滅べば全ておしまいw ざまあw もう今時邪馬台国畿内説なんて 三島由紀夫がホモだちにちんこ咥えさせて 自分のケツも掘らせて 割腹自殺しようとしたけど失敗して 下手クソにメチャメチャ斬りつけられて のたうち回りながら死んだみたいなもんだぞ ただただ見苦しいだけだ
>>580 そもそも古代日本に「天皇」とかいないんで その概念も名称も奈良からの話 それ以前の○○天皇は 完全に奈良の役人の創作話 >>582 はあ。そういう言葉遊びみたいな話なんですね。納得です。 >>584 別に真実の日本史は外人だって 述べられるわけでw >>586 そもそも天皇とは劣等民族の日本人に対する朝鮮人のことな >>534 陳寿は王子でもないし、日本へも来てないなw >>586 天皇って名乗ったのは天智天皇が初代でしょ だから天智天皇が初代でいいのにって思うけどね それ以前の家系図は最悪書き換えられてる可能性もあるんだし >>588 中国様が世界の覇者になって 世界史は中国様による統一からがスタートになるんだよw それまでの歴史は全て破棄されるw ざまあw 天皇の家系図は蘇我氏とか別の氏で 大化の改新の時に乗っ取られたってこともある気がする
>>594 未来の空想は自由だからね 歴史は事実がそこにあるから >>595 俺の言ってることは 言葉遊びじゃなくて史実な 歴史の話してんだろうから それ踏まえて発言してくれないと こっちもわけがわからないのでw >>598 歴史は権力者が作るものなのを知らないバカw =渡来系(半島)ってことだから不名誉だよなw こういうのは近畿だけにしておかないと、、地方はどんどんイメージ下がってくよ。
近畿地方を中心とする関西地方の人々が、朝鮮人的要素を有することは注目に値する(国民百科事典・平凡社) 大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い (欠田早苗・兵庫医科大学名誉教授)
>>600 中国の魏志倭人伝に加えて ワカタケル大王とか書かれた鉄剣が出てくると 皇統2600年とかfantasyって わかるわけじゃん >>602 これは関西ひとくくりはだめでしょ 隼人を移動させてんだから >>605 捏造した歴史は証拠で否定されるわけなw >>534 >陳寿については日本書紀にはっきり記載がある ねえよ外吉w 大学の時の授業で聞いたけど 藤の花って日本人よりあちらの人が好きらしいよ 藤原って苗字を当時の日本人がつけるのはかなり不自然だと 鎌足はあっちの人の可能性があると
ちなみに 日本書紀より 崇神記65年「任那者去筑紫国二千余里北阻海以在鶏林之西南」 半島南部の任那から北部九州の筑紫までの距離が約2000里と記されている これも魏志倭人伝と同様に1里=約75mと推測される 帯方郡(ソウル付近)から邪馬台国までは12000里 行程記録によれば九州上陸までで既に10000里以上 畿内のキの字も出てこないはずだ
>>608 できてないじゃん いま俺に暴かれ倒してる 役人や文献だけを信用しきるのは 悪いクセだよ 大事なのは 出てくる在る物だよ 物証が事実 役人や、官僚などの律令の権威主義は要らないの!
ちなみに 記録文献によれば、弥生時代の倭人は呉・越の末裔とのこと ※DNA_haplogroupsより 畿内は半島系です まあだから背振山脈の中腹あたりの地下に 日本古代史のお宝は眠ってるということです 間違いないですわ
三種の神器は世の中の三大性別を表している。 剣=男 鏡=女 玉=ゲイ
>>613 お前の名前と住所を書いてから言えよw 誰かわからない人間の言うことは証拠にならないぞw >>616 でも日本人はもうすぐ一人残らず滅ぶじゃんw >>608 考古学者が権力者? 宗教法人だろw <ソース> 産経新聞(2018.11.28) 最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見 https://www.sankei.com/west/news/181128/wst1811280010-n1.html 〜 大陸から来た渡来人の重要施設とみられる国内最大級の 〜 建築年代は4世紀末〜5世紀初めと推定され、最古の大壁建物跡の可能性もある。 渡来人が入植を開始したのは5世紀後半と考えられていたが、大幅に早まる可能性が出てきた。 〜 省略 白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長(考古学)は、建物の時期についてはさらに 検討が必要としながらも、「(現場に)居館や祭祀施設など渡来系の人たちが営んだ重要な 施設があったことは間違いない」とみている。 遺構は、すでに埋め戻されており、現地説明会は開かれない。 遺構は、すでに埋め戻されており、現地説明会は開かれない。 遺構は、すでに埋め戻されており、現地説明会は開かれない。 >>619 知識の共有は匿名でできるじゃんw 俺の言ったことを多数が認めりゃ それで済むんでねw たくさん見てるだろ? お前以外にも >>620 未来の想像は自由だからねw おまえがそう思うならそうなんだろう 俺の知ったことじゃないw >>622 考古学者が権力者なわけないだろバカw >>623 ほら名前と住所を書けないw ざまあw 早く書けよw >>624 もちろんお前は何も知らないまま死ぬんだよw ざまあw >>625 中国人か朝鮮人のおまえにストーカーされたら 嫌じゃんw 出生数が減っているのはいいことです 誰でも彼でもが繁殖しては収拾が付きません 昔と違って人海戦術は必要がない時代です 江戸時代の人口3000万を下回る時がすぐくるやも知れませんが、それが本来あるべき姿です 全世界が日本を手本にすべきなのです 才能を持った存在、進化していける存在、研究開発をしていける存在、クリエーティブな存在のみが残ればもっとよくなるはずです 己の能力を悟れる人間が増えたからこそ、繁殖しないという選択肢をとっている いいことではありませんか
>>627 その程度を嫌がるようじゃ権力者に歴史を書き換えられるぜw ざまあw >>626 知ってるじゃんw そしてお前以外にも知られたw 紀元前2世紀だと周王朝が亡んだ辺り時期だから 魏志倭人伝の書かれた3世紀末では500年も差がある
>>629 俺以外に1億2千万人いるから 何の問題もないね 俺以外に俺程度のことがわかるやつ 星の数ほどいるわけでw おまえにそれが潰せると思えないけど おまえはそう思うのは自由だ 想像は自由だからなw >>630 日本そのものが歴史から消えることを知らないお前が何を知ってるの?w ざまあw >>581 事実は事実 巫女にストーカーしてもムダですよ? >>633 外国人にも伝わってるから消せないねw だってこのサーバー外国にあるんだしw >>632 それみんな滅ぶからw 国連の敵国条項公認の悪の戦争犯罪民族を生かしておく必要ないからなw ざまあw >>27 あの辺よく知ってれば先ず出土品が本物かどうかを先ず怪しむべきよね 海外でも偽物を本物と言い張ってる事例は現在の地域の近況や住民から胡散臭いはあるある >>621 中臣ってのは苗字じゃなくて位の名前だよ 邪馬台国は日本とは全く関係ない 当時の日本にはすでにもっと高度な文明が栄えてた
>>637 想像は自由だよね 宇宙まで想像しておきなよw 銀河統一とかw おまえ好きだろそういうのw >>634 中国様が世界の覇者になって歴史を作り替えるから 事実は中国様が決めるんだよ >>635 中国様が世界の覇者になるから全く問題ない >>642 歴史の話しようぜ? おまえの未来の想像は自由だけど スレ違いだからなw >>633 息子も育っているから大丈夫だぞ?w あとは女次第(笑) そもそも銅鏡、剣、玉璽を神聖視したのは中国の道教だぜ 日本では玉璽が勾玉に変化したという
>>640 弥生時代=鉄器時代が浸透しなかった地域が日本? <魏志韓伝より> 「國出鐵韓?倭皆従取之,諸市買皆用鐵如中国用銭,又以供給二郡」 (韓国は鉄が出るので、韓国、?国、倭国がこれを採っている。 諸の市で買い物をするときは中国が銭を用いるように、鉄を用いる。 また、楽浪と帯方の二郡にも鉄を供給している。) ■重要事項 ・3世紀頃は鉄は市で通貨として使えるほど貴重だった。 ・九州では武器や農具に鉄を使えるほど潤っていた。 ・しかしこの時代の畿内からは鉄が出土していない。 ↓鉄の出土状況 もう今時邪馬台国畿内説なんて 三島由紀夫がホモだちにちんこ咥えさせて 自分のケツも掘らせて 割腹自殺しようとしたけど失敗して 下手クソにメチャメチャ斬りつけられて のたうち回りながら死んだみたいなもんだぞ ただただ見苦しいだけだ
>>647 つまり勾玉こそ日本の文化ってことな だれかが胎児って言ってるけど 子どもを大事にする日本文化ということで 素晴らしいね >>649 歴史の話するのに必要ないからw おまえすげえ必死だけど お前の国ヤバイの? >>652 必要ない?w それってお前が嘘しか書いてないからだろw >>653 論拠ははっきりしてるからなあ ウソと思うかどうかは あなた次第です ほかの人は違うかもしれない >>212 ,215 いや、それだと魏志倭人伝の記述と合わない 伊都国から奴国まで東南に短里で百里(約7.5km)しかないのだから、奴国の都である春日丘陵からの距離を考えると 西新町遺跡あたりまでは伊都国でなければならない 春日丘陵の須玖岡本遺跡から西新町遺跡まで直線距離でさえ10kmあるからね 間に山があるから実際にはもっと遠い 須玖岡本遺跡から北西方向に7.5kmだと天神までしか届かない 当然早良も伊都国ということになる >>648 逆に言えば九州って日本全体の中では孤立してたんよね で、何故か遥か彼方の魏に援軍を求める もう今時邪馬台国畿内説なんて 三島由紀夫がホモだちにちんこ咥えさせて 自分のケツも掘らせて 割腹自殺しようとしたけど失敗して 下手クソにメチャメチャ斬りつけられて のたうち回りながら死んだみたいなもんだぞ ただただ見苦しいだけだ
>>658 じゃあ自分から書けばいいじゃん ウソだという信ぴょう性が増すかもしれない 俺は求めてないけどw >>640 邪馬壹国は倭国(イ国)のこと ヤマイ国、ヤマ・イ国 倭国の前に敬称のヤマを付けただけだな。 >>656 さらに言えば、邪馬台国連合は北部九州〜山陰、その南の狗奴国が畿内政権であり、のちのヤマト政権ともとれる >>662 必死すぎだろw どうしたの? 本国ヤバいの? どうヤバイのか教えてくれよ そっちのほうが興味あるしw >>660 名前と住所を書けない雑魚w まだかよ雑魚 w >>664 人にものを尋ねるときは先に名前と住所を書くもんだぞ 論拠:俺がそう思うから って人が多いスレだなw 遺跡や文献の話ならわかるが。 そういうのと関係なく、どこどこにあったらいいな〜、みたいなロマンを語るならいいんだけどな。
>>665 求めるのも自由だけど 拒否するよ しつこいしすれ違いだしw >>667 やっぱりお前は嘘書いてたんだなw ざまあw >>666 背振山脈の中腹以下のどっか掘れば 古代日本のお宝が出てくるよw 胎児は 律令体制国家を退治するために産まれてきたからな
>>668 おまえの必死さだけが伝わって なんかおまえの本国ヤバそうなんだって ことはわかったよw 朝鮮半島に近い九州北部は昔から栄えてたんだなw 朝鮮から人がいっぱい来たんだろうw
>>661 魏志倭人伝に書いてあるのは邪馬「壹(壱)」国であり、魏の公用語であった呉語で読む「シャマイ」国となる 参考: >>671 この必死さで日本人からマスメディアを奪ったからな 日本人は必死にならないから負けるのさ ざまあw >>672 そりゃそうだろ 日本からも朝鮮にいって 国作ったしな そういうのがないのは江戸時代みたいに 鎖国してたときだけだな 信長だってポルトガル人やアフリカの黒人を 家来にしてたわけだし >>655 末盧国への上陸場所は呼子付近 呼子付近から南へ進んで唐津市街地で東へ500里(40km)で伊都GC付近の丘陵 伊都GC付近の丘陵からが伊都国で、更に100里(8km)で日向峠や糸島峠 日向峠や糸島峠から先が奴国 早良区は奴国ですね 距離も方角も合っている。 >>672 しかし不思議なことに 青い領域:朝鮮人固有の遺伝子 大阪はほぼ朝鮮人 >>675 早良が伊都国ってのは地理の理解がない ありえない 山で区切られて往来が困難 >>672 当然ながら天皇も朝鮮からやってきた侵略者と見るべきだな。 なのに誰もそのことに触れようとしない。 一種のタブーなんだろうな 天皇が朝鮮人であること知られると都合が悪いのだろう >>679 君の妄想は無意味なんだよ 現に遺跡はそこで途切れておらず切れ目なく分布している 考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白 倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない >>682 論破の意味を理解できない小学生か 哀れだな 八咫鏡 伊勢神宮、 草薙剣 熱田神宮 古代から栄えていたのは東海地方
>>681 国のくぎりは地理的物理的な 障壁が主になるのは当然なんで 山とか川とかそういうもんで 国は歴史的に区切られる >>673 倭のことだね 稲作の神事も含まれてるんだよ 田んぼで籠もってたから お籠りさん >>1 日本書記より 景行天皇が筑紫に行幸した際、県主が、賢木(さかき)の上枝に白銅鏡(まそかがみ)、中枝に十握剣、下枝に八尺瓊の玉を掛けて出迎えた つまり三種の神器は古代において天皇だけのものではなく地方の権力者も保有して天皇を迎える時にはそれを掲げていた 邪馬台国論争になるとスレッドに血が流れるってじっちゃんが・・・
>>683 そんだけ必死に求めても得られないのだから おまえが雑魚だろなw >>688 名前と住所が無いから無意味な妄想だってさw ざまあw >>694 おまえにレスしてないけど どうしたの? 論破されたおされて顔真っ赤なの? 曹操に仕えて、曹操の息子を魏皇帝に上り詰めさせたのも その息子の曹叡を2代目の魏の皇帝にしたのも 後漢の地方官だった公孫度が遼東地方に樹立した半独立政権「帯方郡」を討伐したのも 238年(239年説もある)に、邪馬台国の女王・卑弥呼に対して「親魏倭王」の封号を与えたときの魏の軍事面でのトップも 247年に邪馬台国が狗奴国と紛争になった際、和睦を促すために張政を派遣したのも 249年にクーデターを起こして、魏の権力を完全に掌握したのも 『魏志』(倭人伝を含む)を書いた 西晋の初代皇帝「司馬 炎」の爺ちゃんの 司馬 懿【仲達(ちゅうたつ)】 九州なら、距離や包囲は間違えない
>>698 無能な日本人を統治した朝鮮人をみんな天皇って言ったからな >>688 君がどんなに妄想を並べても現にそこで遺跡が途切れない以上一繋がりの国と考えるより他ない 考古学を無視した妄想は無意味 ハイ論破 >>699 天皇ってのが呼称も制度も 奈良からの中国文化のコピーやん? >>701 大事のなのは日本人は朝鮮人の奴隷ってことな >>674 はい、うれしいです。メディアを奪ってもらって 本当にありがとうございます(笑)(笑) なんなら半島か中国へ、持ってかえってオッケーです 助かります ヨロシクお願いしますww もう今時邪馬台国畿内説なんて 三島由紀夫がホモだちにちんこ咥えさせて 自分のケツも掘らせて 割腹自殺しようとしたけど失敗して 下手クソにメチャメチャ斬りつけられて のたうち回りながら死んだみたいなもんだぞ ただただ見苦しいだけだ ただお前ら猿って見苦しいの大好きみたいだけどwwww
『魏志』(倭人伝を含む)を書いたのは西晋の初代皇帝「司馬 炎」 そのお爺さんは 曹操に仕えて、曹操の息子を魏皇帝に上り詰めさせ その息子の曹叡を2代目の魏の皇帝にし 後漢の地方官だった公孫度が遼東地方に樹立した半独立政権「帯方郡」を討伐 238年(239年説もある)に、邪馬台国の女王・卑弥呼に対して「親魏倭王」の封号を与えたときの魏の軍事面でのトップで 247年に邪馬台国が狗奴国と紛争になった際、和睦を促すために張政を派遣し 249年にクーデターを起こして、魏の権力を完全に掌握した 司馬 懿【仲達(ちゅうたつ)】 邪馬台国が九州なら、距離や包囲は間違えない
>>651 常に首にかけたりね 子供を手放したくない親みたいで >>691 糞食って死ねば治るようんち猿wwwwww >>700 遺跡って墓とか居留地だろ 途切れるとか途切れないとかで なんで国の区分けの判断材料になんの? 違う国でも同じ埋葬の仕方、居留の仕方してても 不思議じゃない だって当時の国って今の市ぐらいでしかない 隣の市だからやることまったく別とかないじゃん >>703 日本人が一人残らず滅んだら持って帰るよ ざまあw >>706 常に子供の首を絞めてたなんて日本人残酷だな 自分の墓にはテレビと洗濯機と冷蔵庫を一緒に埋めてもらうかw
>>707 そんな程度で治ると思ってるバカw >>708 そう思うならまずは名前と住所を書けよ雑魚w >>655 そもそも奴国を春日丘陵で考えていることが間違い 魏志倭人伝に言う奴国とは奴国の入り口のことであり 田方遺跡のこと >>655 そもそも奴国を春日丘陵で考えていることが間違い 魏志倭人伝に言う奴国とは奴国の入り口のことであり 田方遺跡のこと はい、論破w >>702 無関係ですよ ちなみに すでに切り離しされてます >>717 マスメディア乗っ取られてるくせに説得力無いぞw ざまあw 弥生時代に日本人の原形が形成された頃に、朝鮮から北九州に侵略してきたのが、今の天皇家なんだろな。 北朝鮮と日本って実は兄弟国かも。
遺跡がないってのは当時人が住んでなかった証拠でしかない それこそ海だったとか湿地だったとかで 遺跡があるってのは人がいたということを示してるにすぎない 糸島の山側と、そして早良だ 山で隔てられてるのだから、当時は違う国であってもおかしくない
>>708 君は日本語が読めないのかね? >倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない つい最近まで戦争してた隣国とそんなに隙間なく繋がるなんてことはあり得ないんだよ 繋がっているのは同じ国だから ハイ論破 >>714 カタワの猿は 糞食って死ねば治るよ 猿は猿という病気な お前のことだバカの猿w >>710 子供たちが居るんで 大丈夫ッスよ〜 残念でしたねw 今すぐマスメディアを、半島へ 持ち帰りオッケーだよ? 遠慮しなくていいからね ◆池田次郎(京都大学名誉教授・自然人類学) 『畿内人は韓国朝鮮人と同じグループに属し、日本人から最も離れている』 ◆岩本光雄(京都大学名誉教授・霊長学) 『畿内人と大陸人、 とりわけ朝鮮人は人種的につながっている』 ○埴原和郎(東京大学名誉教授・自然人類学) 『近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近く、日本人からは外れている。帰化人たちは、ほとんど全部が大阪京都奈良に根を下ろしたといってよい』 ○欠田早苗(兵庫医科大学名誉教授・解剖学) 『大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い』 ★従来の学問的結論 : 関西には古代から在地豪族が朝鮮半島から持ち帰った戦利私有民である朝鮮人の難民・遺民集落が多かったから関西人には細い目をした髭の薄いのっぺり顔が多く さらに大正時代以降の日本の内地への移民が230万人のうち半数以上いたので当たり前
>>715 残念だったな、そんな低レベルの言い訳は日本史板でとっくに論破されているんだ 656 :日本@名無史さん :2021/05/01(土) 13:02:46.00 >>648 根本的に間違ってるのは君の方 東夷伝の各国間の距離は基本的に「国境線から首都までの距離」が書いてある 末廬国〜伊都国だけは道に迷わないよう上陸地点から書いてあるようだがね 例えば高句麗伝 http://www.eonet.ne.jp/ ~temb/16/gisi_kokuri/gisi_kokuri.htm 「高句麗在遼東之東千里 南與朝鮮濊貃東與沃沮北與夫餘接 都於丸都之下 方可二千里」 高句麗の位置が遼東の東1000里と記されているが、この距離は遼東と高句麗の国境から高句麗首都の丸都までの距離が短里で記されている 遼東の都襄平から丸都までだと230kmほどなので短里でも長里でも一致しないし、方可二千里は短里でなければ遼東をも飲み込んでしまうのでそもそも長里ではあり得ない 襄平起点だと東に短里1000里の地点は丸都から短里2000里近く離れているので高句麗領方可二千里が成立しなくなるから「首都から国境までの距離」というのも違う 高句麗伝の記載と一致するのは「遼東と高句麗の国境線から高句麗首都・丸都までの距離」一択 上記を当てはめると奴国への東行百里は「伊都国と奴国の国境から奴国首都の春日丘陵までの距離」ということになる >>641 の通りってことだ >>19 頭蓋骨の形状なんて食生活により数世代で変わっちゃうぞ 朝鮮半島に神社の原型の列島系の祠や高床式すらなく 朝鮮人には日本人では当たり前の神道文化の禊や斎戒沐浴もない 入浴もないし米食や魚介に合う飲み物もない お茶もない しかも民族遺伝子すら全く違うのはもちろん言葉すら全く違う しかも朝鮮人達はシベリアエベンキ同様名前しかなく 苗字が19世紀まで全く無く 明治の日本政府の統治で住民登録で朝鮮人達に苗字を名乗らせ 全く血の繋がりの無い同じ苗字が乱立 しかも朝鮮人達は字も書けず読むことすら出来ないありさま 家は木造でなく藁葺き屋根の家でトイレや風呂すらなく 石器時代さながらの生活 古代の日本人には苗字があったことは記載され しかも木造住宅に住み 字も書け読めた そういう民族だからこそ日本列島のほとんどの場所で言葉もほぼ同じで通じ会えたわけだから 結局は半島のプレ半島人が扶余や満蒙に蹂躙され百済や新羅となりシベリアエベンキが元寇に 追われ朝鮮半島に侵入し隅々まで定着 そんな朝鮮民族だからこそ劣化モンゴルの亜種のような満蒙扶余の動物的生活風習が融合し だから海人族や関西の豪族の私有民の半島遺民の通訳がないと大昔から日本と全く言葉すら通じない
>>720 古代日本は日本側から朝鮮に攻めて 国を作ってるね 攻めていったのは日本と同化した渡来人 だから日本語は朝鮮語と似てない 朝鮮半島の遺伝子は・・・・・・・ 中国人のO2が 多数派 次に多いのがO1b2 L682 このざっくり大まかに弥生系といわれるO1b2に関しても、 日本と韓国では全く違う! ←ココ重要 !!!!! 韓国では水稲文化と関係がないO1b2のタイプの L682 (旧 XO-47z)が35%で、対照的に日本ではたった8% 日本では水稲遺伝子と言われるO1b2a1a 旧47z (O-47zが多くで日本で30%もある これは韓国には少なくて、だから朝鮮半島には水稲が少ない 未だにBC500年より以前の水田祉が出ない状況と合致! 次いで朝鮮半島では≪エベンキのC2≫ ←ココ重要 !!!!!!! で構成されている 日本は〔D1b縄文遺伝子〕が多数派 ←ココ重要 !!!!!!! (これが朝鮮半島や中国東北部と、日本人との決定的な違い) 次に多いのがO1b2の中でも水稲耕作遺伝子のO1b2a1a 次が中国人のO2 ★エベンキのC2は日本ではごく僅かしか発見されない ←ココ重要 !!!!! (これが朝鮮半島や中国東北部と、 日本列島人との決定的な違い)
畿内ヤマトは新羅から若狭湾→畿内へと移り住んできた渡来人連合国だろ 乾燥耳垢:半島系 湿潤耳垢:縄文系(本来の日本人) 参考) DNA分析結果 韓国人のほぼ100%が乾燥耳垢 透明人間になったら何する? 自分は熱田神宮侵入する
>>736 論理的に反論できない時点で君の負け アキラメロン >>724 とがった山で区切られてるんだから 天然の壁じゃん 遺跡がつながってるって地理を無視してる 山で区切られてる 遺跡があるってのは古代にそこに人がいた ってことを表してるだけ >>725 じゃあ先にお前が食った動画をアップして >>726 いや 日本人は国連の敵国条項公認の悪の戦争犯罪民族なんだから 放置しちゃいけないんだよ >>719 いや 乗っ取ってくれて ありがとうございます 取られて けっこうけっこうコケコッコなんで そのまま まるごと半島へ引っ越ししてくれちゃってかまわんですよ? 遠慮せず、お持ち帰りしてくだされ さようなら バイチャ >>720 日本は火山の噴火や火山灰、地震、台風、津波と自然災害の宝庫 恐れおののいた渡来人が住みついたその地を短期で捨てて国に帰ったり移動したりしたのだろうね。 なので装飾品や武器は故郷の品物で、日本では設備が無いので原始的な土器に留まる 当然必要無くなれば穴を掘って捨てていくわな >>510 横からだが、発達障害っぽい自分の言いたいことだけ言ってて気持ち悪いのはあんただと思う。 >>680 【韓国人の遺伝子の特徴について】 米人類学者Cavalii−Sforzaの遺伝子勾配データによれば、朝鮮人は、世界でも類を見ないほど均一なDNA塩基配列の持ち主であり、 これは過去において大きなGenetic Drift(少数の人間が近親相姦を重ねて今の人口動態を形成)か あるいは近親相姦を日常的に繰り返す文化の持ち主だった事を表します 【ドイツで人類のゲノム解析している大学教授の話】 朝鮮民族は近親相姦のものと思われるゲノム上の痕跡(修正不能)が多すぎて、 他の民族では考えられない異常な近親相姦を、民族として繰り返してたと思われる。 あまりにショッキングで常軌を逸した内容なので、そのゲノムの発表は出来ない。 また、朝鮮人男性の40%に発症すると言われる統合失調症も、それが原因である可能性が大きい。 異常な民族と言わざるを得ない。 >>737 涙拭けよカタワの猿wwww はい、論破w >>738 >遺跡があるってのは古代にそこに人がいたってことを表してるだけ 隣国と争ったばかりの時代にそこに人がいるのは同じ国の中だからだよ それに伊都国の住人は>>181 のとおり海の民である海人族だから海から往来可能なので障害にもならない 俺はこう思う、って主張するのは、論破でもなんでもないぞ。 根拠をもって論じないと。 もちろん、自分が根拠と思っていても他人がそれで納得できるかは不明。 当時の遺跡から魏使の持ってきた鏡が見つかったとか、今では失われている魏略その他の新資料が見つかって、そこに核心的な記述があったとかなら別として、大抵は凝り固まってる人はちょっとした根拠があっても互いに納得しない。
>>735 因みに透明人間は目が見えないよ 網膜が透明なんだから はい、論破w >>729 少なくともの三代続いた頭の形は自分の子供には受け継がれてないな >>742 論拠で反証してくれれば自論は変えるよ? そこまで強力な反証がないなら 自論をどうどうと述べるだけだろw >>747 涙拭けよ脳みそカタワの猿wwww はい、論破w >>746 そうだね!海底に遺跡がある?! 海面低かったんだね! みんな🌊海に流されて死んだの?! >>735 大阪の神社行きたいな売られた三種の神器を受け取り返さないというw >>749 透明人間がいわゆる地球人類の延長上の生物とは限らないぞ 網膜に相当する構造と原理が全く違うかもしれない >>751 その前にお前の言ってるのが正しいなら名前と住所を明らかにできるよなw >>753 何言ってるのかわからない 糸島と早良で遺跡がつながってるというが 高い山で区切られてるから 別の国でもおかしくない それだけの簡単な話 せっかく山を描写してる地図だしてるのに 書かれてる山を無視して 遺跡がつながってるとか意味不明すぎ >>678 >>680 無能なコピペを貼り付けことしかできないの? 発言は小学校低学年だよね 騎馬民族征服説を在日特亜忖度で普及させていた半世紀前の妄想でホルホルやってっる? チョンさんw もともと江上波雄の騎馬民族説は大雑把すぎて次代の考古学の業績とも合わず、考古学者や 人類学者や歴史学者によって袋叩きに遭ってきたのも知らないとか? なわけないでしょうにw それに江上波雄自身が朝鮮半島は楽浪と帯方以外には何もないと言ってましたよ そんなことも知らないの? チョンさん (*^-^*)v >>743 近親相姦 天皇そのものじゃんかw 朝鮮人である証拠をありがとう >>755 お前しかしゴミみたいな書き込みばっかだな レスして損した >>739 いえ、何もしませんし、 敵国条項も死文化とならりました 心配する必要はありません タイムアウトです ですので 心おきなく お持ち帰りしてくださいませ 🌊海面が低かった頃は、 淡水は沖縄〜台湾周辺にあったはずだ。 今度は🌊海面が上昇して、
>>698 神武天皇は日向国出身で紀元前BC666年に即位 天皇が朝鮮半島から来たとか、また妄想チョソコが朝から湧いてますな そもそも海が怖くて船も漕げない泳ぐのも苦手な朝鮮民がどうやって日本に来るのですかね・・・笑)
>>756 わからないのはお前がバカだからだよ で 名前と住所を早く書けよ お前が言ってるのが正しいんだろ? やっぱり嘘か?w >>760 削除されてないから死文じゃないぞw ざまあw >>762 天皇という漢字の名称も制度も 唐あたりの中国文化のコピー つまりそれ以前に存在しない 古代日本に天皇はいない >>756 現実を見なさい その山の東西で遺跡は途切れていないし、>>187 のとおり糸島から早良へは製鉄遺構が連続していて文化的断絶も無い 文化が変わるのは樋井川以東だ そこから東が奴国 ★ 瞬殺される在日韓国人の無茶苦茶解説モドキw 600 名無しさん@1周年 2019/05/01(水) 00:42:51.62ID:tE8rei4P0 下野守 栃木県 秦大魚(746年〈天平18年〉9月) 従五位下 〔続日本紀〕 百済王俊哲(再任:791年〈延暦10年〉9月22日〜795年〈延暦14年〉8月7日卒去) 正五位上、後に従四位上、陸奥鎮守将軍〔続日本紀〕 百済王教俊(809年〈大同4年〉1月16日) 従五位下 〔日本後紀〕 甲斐国 山梨県 田辺史広足(天平3年12月21日補任(以下補任日、『続日本紀』)渡来系 馬史比奈麻呂(天平13年12月10日、『続日本紀』) 朝鮮系 山口忌沙弥麻呂(天平宝字5年10月1日)朝鮮系 坂上大忌苅田麻呂(天平宝字8年10月20日) 朝鮮系 5世紀はヤマト王権による中央集権化に伴い東国の軍事的征服が行われている時期で、この頃には朝鮮半島から乗馬風習が伝来している。
★ 在日韓国人の無茶苦茶を瞬殺する日本人の解説 609名無しさん@1周年2019/05/01(水) 05:47:44.39ID:6XSsaE4p0 >>1 桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫 についてだけど、 皇統が125代続く中で、百済系がたったの1人で高野新笠が 武寧王から200年後の人物で、限りなく血は薄いよ >>600 この出鱈目ぶりは日本人じゃない気がする やっぱり在日コリアンなのかな まず、高校生でも知っている坂上氏は後漢霊帝の末裔で 坂上氏自体が朝鮮族ではないよ 坂上大忌苅田麻呂も、後漢霊帝の孫の阿智王にもかかわらず 姓が低いと不満を申して宿禰をもらったことで有名 この>>600 は日本史の知識ゼロなのが丸わかりなんだけど なにかの文字起こしして嘘を付け足している感じかな 在日の人ってみんなこんな感じの捏造するのんだったら 怖いね 日本の渡来系氏族の中では後漢霊帝の後裔たちが優秀で 活躍してる それを在日の人がすべて朝鮮系と勝手にしてるだけかもしれない だから注意だね みんな徴用工になっちゃう感じだよね 田辺史広足は「姓氏録」では崇神帝の後裔、だけど「諸蕃雑記」で 百済系とされてて、 その背景は天皇がその出自を憐れんで豊城入彦の 後裔に入れたのね ただし当時の朝鮮系の諸蕃の蕃族は出自を偽ることが多かったけど、 この一族は東大寺建立にあたり一千貫を寄付しているまともな一族 百済王俊哲は、蝦夷との北上川の大会戦で、夏草が茂って戦えない、 馬の餌がないと臆して戦わずで、桓武天皇の逆鱗に触れたバカ者 強い蝦夷の伊治 呰麻呂と戦うのが嫌で、周辺の神社の格上をして神仏 の力だけで勝とうとしたバカ者 この生母が高野新笠なんだけど、百済渡来は歌と舞の才能がある者が 少々のみ もちろん、舒明帝の時に義慈王は豊璋を日本の人質として義慈王は 唐に拉致され、豊璋は帰国し663年に唐新羅と戦って敗走し、そして 百済滅亡させた 最初から日本に依存してばかりで、最後には日本を泥沼に引きずり 込んだから、もう最低の民族 本当に百済は、日本の疫病神の働きでよく貢献してくれていたよ 山口忌沙弥麻呂も、また>>600 の大嘘 事実は坂上氏と同じ後漢霊帝の後裔で中国系の漢人系で遠い親戚 ただ、本拠は奈良と大阪の県境の大和川の荷物積み替え地の付近 だから、山口氏の2つしかない2系統目で大和の大豪族の武内宿禰 の末裔かもしれない いずれにしても山口忌沙弥麻呂が朝鮮系というのは大嘘です 反証(証拠)がないから自論は正しい、みたいなのも意味わからんな。 証拠がないなら、なんとも言えないのであとほ想像するのみとしか。
>>768 遺跡は人の居住を示してるだけ 隣の国=市で文化がガラッと変わるのは 現代から考えても不自然 >>767 天皇とは日本人にとっての朝鮮人だからな >>770 先に日本人が弱っちいからあっさり瞬殺されるだろw >>757 そもそも天皇が純粋な日本人なら自分自身を神などと言わないでしょ。 侵略者だからこそ神格化する必要があったんでしょ。 鉄器の文化をもってきたのは渡来人で間違いないだろうが 糸島と早良で渡来人国A、渡来人国Bなら 墓も文化も変わらなくて当然
>>744 滅ばないし タイムアウトですよ? 早く平和に 引っ越そうね? すぐ隣なのだから >>772 別の国なのに文化が違わないわけがない 現代こそ人の往来が激しくなって何の根拠にもならないよ 君の妄想のように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国首都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある 山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない 伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならない >>772 逃げるなよ 名前と住所を早く書けよ雑魚 >>777 じゃあ証拠にお前の名前と住所を書いて >>778 マスメディア乗っ取られたままでタイムアウトってw 説得力なしw >>593 記紀を作ったのは天武なので、天智についてもいろいろ書き換えられている可能性はある。 >>780 人に名を聞くときはまずお前が名乗らないと礼儀に反するだろ >>757 おやおや論理的反論も出来ず罵声を放つだけですかw >>777 早良に別の国があったなんて魏志倭人伝には無い 伊都国の隣は奴国だし、その距離は短里で100里=約7.5kmと明記してある これが成立するためには早良まで伊都国でなければならないし、考古学的にもそうなっている もう諦めなさい >>779 魏志倭人伝の距離も方角もデタラメ 参照にならない 鉄器は渡来人文化だろ? 渡来人国A、渡来人国Bなら 墳墓も文化も一緒で不思議はない 猿は 猿という病気 脳みそカタワ病 糞食って死ねば治る
>>784 そういや天皇という称号を使ったのは天武が最初だよな 邪馬台国なんて村だろ。 妄想癖が期待し過ぎなんだよ。
>>680 ID:Ct0+Yz7s0 ♠日夜隙あらばデタラメの噓を流そうとするクラスター在チョン>>680 ID:Ct0+Yz7s0 しかしコトゴトク日本の学校で勉強した日本人にやっつけられるw 304名無しさん@1周年 2019/12/08(日) 19:11:28.59ID:AGGczja90 太古日本列島に馬はいませんでした。 半島と日本が地続きだった時代、朝鮮民族が馬に乗って渡来し、原始的な生活を送っていた 日本人に稲作など文化を与えたのです。 https://twitter.com/syannhai1?lang=ja 934名無しさん@1周年2019/12/02(月) 20:46:09.19 ID:iXWN4iIh0 江上の騎馬民族説は空想が土台になっていて 考古学的にも人類学的にも全く実証性がないもので 現在では盲説扱いとなっている だが在日コリアンはその盲説をカルト教義のように信じたいので こういう記事を書いたりするのだろう 彼らには客観的事実や科学的根拠は通用しないようだ ♦♦日本の超一流学者 ♦♦ ・田辺昭三 この説はこれが提唱された時代の要請の中で生まれた産物。 ・佐原真 かつて、騎馬民族征服説という仮説がありました。 騎馬民族の王侯貴族が組織的な騎馬軍団を率いて 日本にやってきて征服王朝をたてるということはなかった。 人びとの心の奥底では、日本が朝鮮半島や中国などに 対して近い過去に行ってきたことの償いの役割を、果たした のかもしれない。 ・岡田英弘 完全なファンタジーであって、何ら史実上の根拠はない。 江上波夫が創作した、新しい神話。 騎馬民族説には何の根拠もないですよ、あれは全くの空想。 https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>790 >>187 のとおり樋井川の東西で文化が全く変わってしまっているのでそれはあり得ない いい加減君は考古学を無視するのをやめなさい それではただの妄想だ >>785 上級市民の命令に従わないほうが礼儀に反するだろ >>788 お前の脳ミソのほうがデタラメ ざまあw >>787 あんたはいちど糸島と 早良を自転車かなんかで自分で見てみたらいいよw そしたらその糸島と早良が 一体の国なんて妄想はすぐ解ける 疲れてね 道路の通ってる現代ですらね 安本美典教授 〔1〕 韓国や北朝鮮の方々には、とかく、日本の言語も、文化も、 天皇家なども、ほとんど全てが、朝鮮半島からきたはず だという、 強い『思い込み』があるようにみえる。 しかし、 そうであって欲しいという『願望』は、必ずしも、そうで あるという客観的事実と一致しない。 ※ 『』は本文そのまま 安本美典教授 〔2〕 韓国の言語学者でも、ソウル大学の李基文教授は、 『日本語と朝鮮語との比較作業の結果、確実にいえる ことは非常に少ない』 と述べている。 安本美典教授 〔3〕 さて、さる六月に、私の主催している「邪馬台国の会」が 開かれた。その会で、韓国出身の統韓鮮氏が、「『万葉集 論争』を論評する」というテーマで発表を行なわれた。 その発表のなかで、私の先の文章をとりあげて、統韓鮮 氏はいう。 「安本先生は、ご本のなかで、この文章のように述べて おられますけれども、日本の古代の文物のなかで、朝鮮 半島を通じてこなかったものには、何があるのでしょう。 私が答える。 「私も、朝鮮半島の古代の文物について、非常にくわし いというわけではないので、ご存知であれば、この機会 に、教えて頂きたいと思うのですが、ふつう、日本の神社 建築の、高床式建築法、千木、 鰹木などは南方から来た 習俗といわれています。 現在でも中国の西南部の雲南省などにすむタイ族な どの住居には、高床式建築法、千木、鰹木などが見られる といわれます(その写真なども、よく本にのっています)。 また、下駄なども、中国の南部でみられるといいます。
猿は 猿という病気 脳みそカタワ病 糞食って死ねば治る
安本美典教授 〔4〕 統韓鮮氏がいう。 「高床式建築法、千木、 鰹木などは日本では何時頃 から見られたものですか」 私がいう。 「弥生時代からあったといわれていますが、……。」 ここで、会場の参加者から発言あり。 「銅鐸の絵画、家屋文鏡の絵からいって弥生時代から あったのではないでしょうか」 ディスカッションが行なわれたが、 やはり朝鮮半島には、 高床式建築法、千木、鰹木などは見られないようである。
57年に九州の倭国王が後漢から「漢委奴国王」に任じられたとき 司馬氏は、後漢の征西将軍 曹操の息子を魏皇帝にしたのは司馬 【仲達(ちゅうたつ)】 その息子の曹叡を2代目の魏の皇帝にしたのも司馬 【仲達(ちゅうたつ)】 後漢の地方官だった公孫氏を討伐したのも司馬 【仲達(ちゅうたつ)】 238年(239年説もある)に、邪馬台国の女王・卑弥呼に対して「親魏倭王」の封号を与えたとき 魏の軍事面でのトップは司馬 【仲達(ちゅうたつ)】 247年に邪馬台国が狗奴国と紛争になった際、和睦を促すために張政を派遣したのも司馬 【仲達(ちゅうたつ)】 249年にクーデターを起こして、魏の権力を完全に掌握したのも司馬 【仲達(ちゅうたつ)】 297年に『魏志』(倭人伝を含む)を完成させたのは西晋初代皇帝「司馬 炎」 邪馬台国が九州なら、距離や包囲は間違えない
>>798 海で繋がっていると言っただろう 海洋民にとってそれは障害にならない 🌟新羅本紀🌟 弥生後期〜古墳時代 高句麗が調子乗り出すまで 百済を瀕死まで虐め抜いた残虐新羅が 当時の日本国にボッコボコにされている様子、朝鮮半島側の記録 戦後長い間、韓国忖度が続いてだれもが議論しなかっただけで 当時の百済人に呪われるほど憎まれた新羅が倭国人からボッコボコ状態 14年 倭人が兵船百余隻で海辺に侵入。 57年 4代王「脱解尼師今(一云吐解)立。時年六十二。姓昔。妃阿孝夫人。脱解本多婆那國所生。 其國在倭國東北一千里」脱解は多婆那国で生まれ、その国は倭国東北一千里にあり。(注:中国の1里は約400mであるので、一千里は400kmとなる。) 59年 夏の五月に倭国と友好関係を結んで修交し、使者を派遣し合った。 73年 倭人が木出島を侵して来たので、王は角干羽鳥を派遣して、これを防がせたが、勝てずして羽鳥が戦死した。 121年 夏四月に倭人が東の辺境を攻めた。 123年 春三月に倭国と講和した。 158年 倭人が交際のために訪れた。 173年 倭の女王卑弥呼が使わした使者が訪れた。(「二十年夏五月。倭女王卑彌乎。遣使来聘」) 193年 倭人が大飢饉となり千余人にも及ぶ避難民到来。 208年 夏4月、倭人が国境を侵す。奈解王は将軍昔利音に反撃させた。 232年 夏四月に倭人が金城を包囲。 233年 五月 倭兵が東辺を攻めた。 249年 夏四月に倭人が舒弗邯、昔于老を殺した。 287年 夏四月に倭人が一礼部を襲う。1千人を捕虜にして立ち去った。 289年 夏五月に、倭兵が攻めてくるということを聞いて、戦船を修理し、鎧と武器を修理した。 292年 夏六月に倭兵が沙道城を攻め落とす。 294年 夏 倭兵が長峯城を攻めて来た。 295年 春 王が臣下に向かって 『倭人が、しばしばわが城邑を侵して来るので、百姓が安じて生活することができない。 私は百済と共に謀って、一時海を渡って行って、その国(倭)を討ちたいが、皆の意見 はいかがか?」ときいた。 これに対して、舒弗邯、弘権が 「我々は海戦に不慣れでございます。冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを恐れます。いわんや百済は偽りが多く、常にわが国を呑み込もうと野心をもっておりますから、かれらと共に謀ることは困難だと思います」と答えた。 王はこれを聞いて「それもそうだ」といった。 これに対して、舒弗邯、弘権が、 ▶「われわれは海戦に〔不慣れ〕でございます。 冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを 恐れます」 ※ 当時から海に不慣れな新羅人が明確。 この後も新羅、百済の両国とも人質を日本に差し出し朝貢する日本の被支配国である。
>>764 いえ、名実ともに、死文化しました ありがとうございました マスメディアも持ち帰りしてくれるなら 嬉しさ倍増です 後漢とかその時代の中国の墓からはよく銅鏡が出てくる 古代道教で神聖視したのは銅鏡、剣、玉璽 大陸の最新の祭祀が日本に入ってきて変化した証拠ではある
猿は 猿という病気 脳みそカタワ病 糞食って死ねば治る
馳星周の「比ぶ者なき」を読み始めた 日本書紀と聖徳太子は藤原不比等の捏造という説を基にした小説なの
>>796 川で国や文化が変わるってのは 不自然じゃない 渡来人A国、渡来人B国、それ以外 でなんの不都合が? 文化が違うって渡来人が優位の時代なら その違うところは支配圏でもおかしくない 中世でも渡来人は唐人町とか 別文化の街を作ってるじゃないか 猿は 猿という病気 脳みそカタワ病 糞食って死ねば治る
🌞ここまでのまとめ 日本の古代国家は、遺伝子的にも 文化風習的にもエベンキ集団の 朝鮮人または韓国人( >>ID:Ct0+Yz7s0 )と ほとんど関係なく、 韓国人に無い縄文D系遺伝子のおかげで 海を挟んで隣国の距離にありながら犯罪率 をはじめ基本的な国民性や性格が全然違う 事が科学の力でDNAレベルで立証され つつある。 縄文人の南方ルートも解明されつつあり、奇し くも稲作弥生人の本拠である中国南部の江南 地方と縄文人の故地が重なる様相を見せ始め ている。 最先端の西域文明が集積する大陸の隋や唐 からの高度な文化が日本に流入する際、韓国 はその文物の経過地点であった。 その後に海路がより重要視されるようになり朝鮮 半島との関係は百済や新羅からくる援助要請や 人質としての王子受入れ以外は、想像以上に希 薄であった。 半島渡来人の大半は中国の掌の上で転がされる 朝鮮半島内の同族殺し合い 中国の圧政や中国東北部から侵略する満蒙族 から逃れ来た古墳時代中葉以降のボート難民で あった。 在日韓国人ID:Ct0+Yz7s0 は何も知らなくて故郷の 朝鮮半島の歴史も文化も知らないのにトンデモ願望や 妄想の下痢糞便を際限なく巻き散らすだけである。
>>805 削除されてないから死文じゃないぞw ざまあw >>810 逃げるなよw 名前と住所を早く書けよ雑魚w >>803 もう無理筋になってきたね 古代の国、いまでいう市ぐらいの場所を 支配する王は山で隔てられた場所を 支配するのいちいち船で行き来してのかw >>795 じゃあ、天皇は何処からやって来たの? 日本は島国だよ どこかの国からやってくるしか無いのに。 植物も動物も大陸の生き物と違うから 地続きと言うのはおかしい。 唯一北海道は大陸と地続きだったろうね。 >>783 いや、どうぞどうぞ 遠慮なさらないで? メディアは無いほうが得なんでww >>767 漢字を使ってなかった時代も統治者は居たでしょ >>810 別の国ならともかく、同じ国の中でそれはない まして鉄工房が無い方の須玖岡本遺跡からは奴国の王墓が出ててこちらが首都なのは明白 最も栄えていたところに鉄工房が無いのは別の国だったからとしか判断できない >文化が違うって渡来人が優位の時代ならその違うところは支配圏でもおかしくない 当時そんな大量の渡来人が来ていた形跡はない 君はいい加減考古学と向き合いなさい >>817 いたけど天皇なんて呼称も制度もないよ ヒミコのずっとあとに大王って書いた 鉄剣がでてきてんだし 大王だよw それが今の天皇につながる血統かどうかも まだ不明 朝鮮人は支配階級として後から日本に入ってきたから、 文化に与えた影響は限定的。 ノルマンコンクエストの後もイギリスは英語だし。
>>814 海洋民の王が船で往来するとなんか不都合があるのか? 無理筋なのは考古学を完全無視している君だよ >>816 じゃあ遠慮なく日本が滅ぶことになるね ざまあw >>814 論破されて逃げた雑魚が何か言ってるぞw ざまあw >>796 実際にその土地に言ったわけじゃないからわかんないけど、 樋井川の東側って単に湿地帯で作業に向いてない土地って だけの話じゃないの? 猿は 猿という病気 脳みそカタワ病 糞食って死ねば治る
銅鏡の分布が後漢後期末期ごろから北部九州より畿内中心に遷移しているのが面白いどこかのタイミングで権威の機内中心になったのだろう
>>818 鉄器は渡来人文化で間違いないじゃん 唐人町って今でも残る 渡来人の別文化の居留地もあるじゃん 古代にはないとか意味不明 >>755 だからお前は有り得ないことばっか妄想してる カタワの猿ってことだろ? うん、知ってたw はい、論破w >>823 ハイ 先生! うれしいでぇす! 思いっきり、やっちゃってください 遠慮しなくていいですからね 朝鮮半島の民族は、古くは中国の文献や 近代では欧州人や日本の記録が残ってるよ @海が苦手で泳げなくて、 A 小便で顔を洗う、こんな汚い民族は他にいないと記される Bそれは北鮮(≒高句麗)中心のことかと思ったら、 C李氏朝鮮の時代も小便で顔を洗って肌のきめが良くなると喜んでいる、 更に人糞も食べるとても信じられない と「最近朝鮮事情」に記されてる 現代では、在日韓国朝鮮人は嘘吐き誤魔化し気質で、世界的に誣告民族とか 過剰な整形民族で有名で日本国内では内臓喰いのホルモンや焼肉利権や パチンコ利権の温床
>>822 船でくるなら春日のほう攻めたほうが 土地がデカくて実入りが大きいじゃんw >>830 おいおいw フォトダイオードの原理すら知らないのか雑魚w 情弱三種の神器 GOM player JaneStyle Microsoft edge
コロナで人類滅亡から20000年 西暦22024年 出土される3種の神器 iPhone12 Pro ドローン 3Dプリンタ
~~へ(.o・)ノ~~~アップアップ オッ、オボレルぅ〜! 「古代から航海技術がダメダメで海が怖かった朝鮮半島の 扶余系穢族の朝鮮人」 構造船時代になっても朝鮮人は対馬海峡を渡るのが困難だった。 443年に朝鮮王朝側の使節として京都に赴いた 事があり、その後、彼の死期が近づいたとき、 当時の王であった成宗が 「何か言いのこすことはあるか」と尋ねた。 このとき、申叔舟は「わが国が日本との平和関係を 失うことがないようにしてください」と言った。 その言葉をしっかり受けとめた成宗は、早速日本との 友好関係の修復に努めようとした。 だが、派遣された通信使たちは、対馬海峡の風浪の 激しさに驚き、対馬にたどり着いたものの、すぐに引き 返してしまった。 なんとも情けない有様であった。 それ以来、朝鮮王朝は使節を日本に送らず、日本から やって来る使節に対応するだけになってしまった。 海洋民族でない韓族の残念な実話でした。『海東諸国紀』 申叔舟
>>611 熊本城 藩主が加藤清正と知った歴史泥棒が 仲間に加藤、佐藤、藤井などの名を割り振った 熊本城で歴史泥棒に切り殺されたのは、加藤清正の長男 忠正なんだけど 朝鮮人にとって意味を持たなかった無名より有名人の方を好む >>835 人にものを尋ねるなら先に名前と住所を書いてからな >>824 福岡で一番栄えてる平野部だよ 弥生遺跡の密度も一番高い ずっと昔から文字もあったんだよな 福岡で出土した硯 年代:1〜2世紀 サイズ:長さ15・3センチ、幅6・3センチ、厚さ0・9センチ >>804 >「われわれは海戦に不慣れでございます」w 何だよこれw 古代から韓国海軍は日本海軍と真逆で最弱かよw 海に弱くて泳げない海軍て果てしない大草原不可避wwwww 海峡40キロ越えただけの隣国だよな なのに日本人と正反対の海に弱い非海洋民族で異民族エベンキ文化の朝鮮民族 >>845 人にものを尋ねる時は先にお前が名前と住所を書いてからな >>844 一般人以下の偏差値しかない考古学で学者という称号を与えるからおかしくなる >>843 だからさ、糸島あたりの王が 山で隔てられて行き来ができないから 船で来るのなら 早良より土地のでかい東のほうを攻めるよな? 攻めてないということは その手前の早良は敵対渡来勢力で 勝てなかったわけだw >>828 >鉄器は渡来人文化で間違いないじゃん 間違いだね 当時の海人族の居留地にはどこも鉄器がある 技術が大陸から来たのは確かだが、作っていたのも使っていたのも倭人 >鉄器は渡来人文化で間違いないじゃん 卑弥呼のころにはありません 出土品を見てもそんな文化は当時ありません >>804 逆に今は日本人がマスメディアを乗っ取られてボコボコにされてるよなw ざまあw >>852 いや お前が言うのは間違ってるよ >>834 おいおいカタワの猿 お前はガチカタワだな 全部透明部品で出来てるフォトダイオード見せてみろカタワのウソつき猿www はい、完全論破w >>1 中国の江南→日本→朝鮮って文化が伝わったってのが 主流なんだろ? >>852 >早良より土地のでかい東のほうを攻めるよな? 意味不明 卑弥呼以降争いは無かったわけだが >>855 大乱がどうとか言ってるわけだがw 大乱があって勝ったから 山で隔てられた糸島と早良が一緒に国だとか言ってるわけでw 大乱で勝つなら土地のでかいほう取るでしょ >>856 だったら大陸と同じ文化が流入してるはずだがそんな形跡はない 君はいいかげん考古学と向き合いなさい それが嫌ならつまらない妄想をやめなさい >>857 知らないからって逆ギレざまあw >>856 日本人と渡来人が一緒になるかよバーカw 日本人は世界最低の劣等民族だぞw ここまで やっぱり猿はガチカタワでしたとさ まで読んだw
>>193 中国なんか何度も滅んでるから、日本人こそが中国3000年の歴史を受け継ぐ唯一の民族だよ。 >>860 大乱前から早良は伊都国だった、で何の問題も無いが 一体どんな妄想をしてるんだ君は? >>859 大乱で船で攻めたんだろ? 船で攻めるにしたら どっちでも行けるんだから 土地のでかいほう選ばないの? ◆近年の学術研究結果のまとめ @日本ヤマト最初の国家官製規格の前方後円墳ができたときの纒向では朝鮮半島の遺物がほとんど出ない Aその時代から同一モデルを含め複数と考えられる半島王子と名乗る者が「聖人君子が日本におられると聞きまして参上いたしました」と 訪日するが、どれもよそ者でかろうじて任那からきたソナカシチは纏向染めの絹を土産に持って帰らせてもらっている B倭王・武の雄略天皇は、 宋から半島の軍事顧問を任されている C古墳全時代を通して朝鮮半島の使者で都まであがって天皇と会えた人間はほとんどいない ほとんど全てが北九州で追い返しか、大阪湾の内湾南の難波館止まり D厳格な都の中での肉食禁止令を徹底 E八乙女にしても八十島まつりにしろ、 国家祭祀の中心から外縁までの全てが 海洋性神話にもとづく内容 F伊勢内宮のアマテラス大神の御神体の八咫鏡がおさめられてる箱も御船代 G大嘗祭で建てられる高床式の屋代家屋の屋根が温帯〜南洋の葉の束 (一昨の秋は秋篠宮様実費削減提言に沿って板葺き) H古墳時代の天皇や大王級の御遺体を古墳に運ぶための葬送儀礼用の舟形木製箱 ※ 朝鮮半島の文化要素がほぼゼロ
>>819 生まれた時から漢字を見せながら名乗ってないといけないなんてことはない 天皇という文字を言うなら、隋のときは日本が皇の字を使ったことを認めなかったが、明のころにはもう認めてる 元寇が支配できなかったから、別のエンパイヤだと認めたんだろう それは外から見てという認識であって、日本はずっと統治者が納めてた土地だから古代から続いてるんだよ 中華の夏王朝だって、ほぼ言い伝えの伝説状態だろ、今のところは >>10 >日本列島が地続きだった、2万年前、縄文人が日本列島に移り住む・・・・最古の日本人。主に狩猟生活 ロシア人も同意し、言っている古代海の民。日本は、ムー帝国等と言っているが。それは何処? >>866 山で隔てられて行き来できないところは だいたい別の国だという常識だよw でかい川もそうだが 古代の話だからなw >>862 おいおいカタワの逆ギレ猿 お前はガチカタワだな 逆ギレして誤魔化すなキチガイ 全部透明部品で出来てるフォトダイオード見せてみろカタワのウソつき猿www はい、また楽ちん楽ちん完全論破w >>21 天皇家が所有してるものが三種の神器 例え古かろうが瀬戸内海で沈んでいようが三種の神器ではない >>832 日本の国家を完成させ最初に天皇と正式に名乗った 天武天皇は宮廷に入り込んでいた百済人をシャットアウト して肉食絶対禁止令を厳命したne >>817 漢字を使っていたのが始皇帝側 他は別の文字と言語 >>872 400年ごろに大王という鉄剣がでてきたんだから あきらめたら? その大王と天皇の血統が同じかどうかも ぜんぜんわからないしなw 古代の天皇云々は奈良の役人の創作でしかない >>868 畿内ヤマト説の連中は、崇神天皇の四道将軍や倭の五王の西に66国平定とかどうすんだろうな? なかったことにすんのかな >>787 100里(8km)は伊都国の幅だよ 伊都国GC付近の丘陵から高祖山〜日向峠〜糸島峠の間が伊都国 高祖山〜日向峠〜糸島峠の東は奴国。 >>878 わざわざ山の書いてある地図を持ってきて 山を無視する人の話は聞けないな 川を隔てて文化が違うと 渡来人とそれ以外の文化の違いだ じゃあ糸島の渡来人と早良の渡来人は 文化は同じ、しかし国は別 何の不思議もない 恐らくは筑紫君の前身となる豪族とかだろうな ちなみに磐井は安曇族への婿入り
あー、そんなのあったなあ かなり話題になってたし渋滞も酷かったっけ
>>884 おいおいカタワの逆ギレ猿 お前はガチカタワだな 逆ギレして誤魔化すなキチガイ 全部透明部品で出来てるフォトダイオード見せてみろカタワのウソつき猿www はい、また楽ちん楽ちん完全論破w >>880 140レスも延々と電波垂れ流してたのね 構って悪かった >>884 だからお前らカタワのウソつき猿は 部品が全部透明なフォトダイオードあるの知らないの? とか妄想まるだしほざいちゃうキチガイウソつき猿ってことでしょ? うん、知ってたw はい、また完全論破ww >>889 じゃあワカタケル大王ってどこの誰なん? ワカタケル大王が実在で 古代の○○天皇ってただの奈良の役人の創作じゃん どこがつながるの?
>>885 山が書いてある地図なのにその山で遺跡も文化も途切れてないんだからそこは国境じゃなかったとしか考えようがない 君はもう少し物事を論理的に考えるようにしたほうがいいな 唐書の朝鮮から海わたったところに倭があって、 そこから東に行ったところに日の本があるってのは 倭と日の本は別勢力な感じがする
>>828 >唐人町って今でも残る 湿地帯で? いつ 埋めたのか分からん >>890 だからお前らカタワのウソつき猿は 部品が全部透明なフォトダイオードあるの知らないの? とか妄想まるだしほざいちゃうキチガイウソつき猿ってことでしょ? うん、知ってたw いつものやつね お馴染みのwwww はい、また完全論破ww >>895 遺跡は人が住んでた後の証拠でかない 同じ渡来人なら文化は同じでおかしくない そして山や川で国はへだてられてるのが 常識 ぜんぶ合わせて、糸島と早良は違う国 全然論理的でなんの矛盾もない >>877 大海人皇子が歴史上稀にも自力だけで大逆転して百済人を追い払ったのは当時の漢人の東漢坂上氏や半島経由のパルティア系の秦氏などが中大兄の百済遺民の受け入れに対して反感を持っていたからです。 日本史上ほとんど根回しなしにそれらの渡来系氏族が大海人皇子下に参集して支持したから。 道教思想を下地に大海人は人望が厚かったのでしょう。 >>893 呼子付近から500里(40km)で伊都国GC付近の丘陵 方角も距離も合ってる 魏志倭人伝では出発地からして帯方郡の南端だから君の説明は成り立たない。 >>897 古代からずっとあとでも 渡来人は固まって違う文化の街を 作ってたって証拠じゃん 古代でも早良で渡来人が違う文化の街をつくって 川を隔ててそれ以外の街があって 全体として奴国だったと これで論理通るじゃん >>900 そんな妄想を何度並べたところで、遺跡も文化もその山では途切れておらず、樋井川で途切れているんだから国境はそっちとしか考えようがない 君はもう少し物事を論理的に考えるようにしたほうがいい >>899 だからお前らカタワのウソつき猿は 部品が全部透明なフォトダイオードあるの知らないの? とか妄想まるだしほざいちゃうキチガイウソつき猿ってことでしょ? うん、知ってたw いつものやつね お馴染みのwwww はい、また完全論破ww >>904 渡来人Aと渡来人Bの国 早良は渡来人Bの唐人町で それ以外は別文化で 一体の国 なぜなら平野だからなw たいした川幅でもないし 論理だよ オマエラに言わせれば日本にハプスブルクが流刑にされてないし 子孫も存在しない事になってて、スペイン・ハプスブルク家は 近親相姦で滅んだマヌケ扱いだもんな。
>>876 王家が保存していた代物が契約の箱(アーク) 重さ推定60kg? >>902 >呼子付近から500里(40km)で伊都国GC付近の丘陵 そこは伊都国の首都の位置 >魏志倭人伝では出発地からして帯方郡の南端だから君の説明は成り立たない。 意味不明 国境から距離を測り始めると言っているのだから高句麗の例と全く同じだが 猿は 猿という病気 脳みそカタワ病 糞食って死ねば治る ね?当たりだったでしょ? wwww
>>903 だから当時渡来人の居留地があったなんて考古学的な根拠は何も無いんだよ 出土品を基準にしなければただの妄想にしかならない ブラッドピットもドクターストレンジの俳優も 恋愛映画の常連俳優も王族の末裔だけど コイツラは更に数百年遡るくらい古いのに扱いがダンチだもんな。
とがった高い山と余裕で渡れる川と どっちが国の境かって、山だろ 常識的に考えて
>>905 知らないからって発狂して誤魔化してるよw ざまあw >>906 それじゃ論理が通らない 間違ってるよ 末盧国から東南へ陸行500里 本当に伊都国は糸島なの? それ以前に壱岐から末盧国も1000里ってあって 半島から対馬、対馬から壱岐と同じ距離で書かれているけど どう見ても短い もしかして中国から離れるほど里の距離がどんどん短くなってる? というかどんどん里数が水増しされてる?
>>906 >なぜなら平野だからなw 君は地理も知らないんだな 樋井川の東には山があると>>187 にもちゃんと書いてあるのに 君の好きな山が国境だぞ 喜べ >>910 対馬国の端に着いて島を半周して方400里、一大国の端に着いて島を半周して方300里 魏志倭人伝では国の端から端へと書かれている。 よくわかんないんだけど弥生時代の冷蔵庫と洗濯機とテレビが出土されたの?
渡来人は一度に来たわけではない 丸木舟クラスの縄文期から構造船の弥生期まで断続的に渡来している 当然技術水準も文化レベルも違う1000年から数千年ぐらいの幅はあるんだよ
>>918 糸島と早良の間の山と違って 海までせり出してないから はいロンパー あんたはまじで現地を自転車で 走ってみたら その妄想は消えるからw 俺の論理は通ってるだろ? 可能性として否定するのは論理的じゃない >>916 ならば鉄器以外の生活用品も大陸式でなければおかしいがそうなっていない 君はいい加減に現実と向き合いなさい >>880 >400年ごろに大王という鉄剣がでてきたんだから 将軍山古墳なら680年ごろ だよ 小碓皇子→ヤマトタケルへ名称を変更している >>917 >それ以前に壱岐から末盧国も1000里ってあって >半島から対馬、対馬から壱岐と同じ距離で書かれているけど >どう見ても短い 海峡の幅は平行する陸地が無いので歩測や紐を使っての実測が出来なかったので誤差が極端に大きくなったんだよ。 >>922 文化も人の居住も途切れていない場所が国境ニダ! という君の妄想が論理が通っていると思うなら頭の病気だから病院に行くことをオススメする 飯盛のあたりでエンジン式のキックボードが走ってたぞ 当然ナンバーも保安部品もなしだった
>>915 だからお前らカタワのウソつき猿は 部品が全部透明なフォトダイオードあるの知らないの? とかあくまでホラを言い続ける ウソつきのキチガイ猿ってことでしょ? うん、知ってたw いつものやつねwww はい、また完全論破ww >>923 現地のもの使えるなら使うでしょw 渡来人なんだし >>926 山で往来できないからね 船でわざわざ王が行き来してたらしいよ 無理筋― そんなことするなら土地の広い 東側を自分の国にするよw >>8 逆に言ってやるが 過去に目を向けてない国など世界の何処にもないぞ無知馬鹿さん >>916 鉄器を使ってたのは倭人 倭人は鉄器や銅器を持って日本列島へ渡って来た 金属器の少ない地域は縄文系の勢力圏。 >>928 知らないからって発狂して誤魔化してて楽しい?w ざまあw >>930 で 名前と住所を早く書けよ >>929 渡来人なんだから生活用品を作ったら大陸式にならなければおかしい わざわざ文明の遅れた倭人式にするわけがない 君はもう少し物事を論理的に考えるようにしたほうがいい >>932 ようするに日本に同化した渡来人だろ それが糸島の広い土地で伊都国(渡来人A) そして山に隔てらた早良で奴国(渡来人B) 川をはさんで向こうは縄文人w だけどたいした川じゃないから 渡来人Bが実効支配 別に何の不思議もないです >>934 だからお前らカタワのウソつき猿は 部品が全部透明なフォトダイオードあるの知らないの? とかあくまでホラを言い続ける ウソつきのキチガイ猿ってことでしょ? うん、知ってたw いつものやつねwww はい、また完全論破ww 古代は海や川は船での交通機関だから川が国境線って少ないだろうな 山や丘陵地帯が国境だな。
>>934 フォトダイオードってゲルマニウムとか鉛とか使うだろ 透明な金属???? は? 糞食って死ねホラ吹きカタワ猿wwwww はい、またまた完全論破www >>939 だろ? 論理的にそうなのに 現場調べてもないやつが 地図見てどうこうおかしいですよ 現地みろとw >>930 往来ができなかったなんて誰が言ったんだ? 現在の西九州自動車道のあたりで山が切れてるから陸路も通れるし、海人族にとって海は庭みたいなもの 全く障害にならないのに国境に違いないというその妄想はどこから来てるんだか >>943 だからよお おまえは自転車でそのあたりを 走ってみろってw 古代に徒歩で往来なんて 無理だなってそれでわかるから ゲーム脳か? 現場あるんだから現場見ろ >>941 任那の倭人と新羅百済の住人は別種だから必ずしもそうとはいえないかも >>934 だからお前らキチガイカタワ猿は 「透明な金属があるの知らないの?」 とかホラ吹きまくるキチガイのカタワってことでしょ? 近畿では鉄が溶けやすいんですキリ的ないつものやつ? うん知ってたよw 散々知ってますよwww はい、またまた完全論破w >>938 当時は大陸のほうが文明が進んでいたのにわざわざ遅れている方に合わせるのは筋が通らないね ハイ論破 >>942 君の妄想論理より実際の出土品のほうが確実な証拠なんだよ 君は自分の妄想が現実より優先されるというその幼稚な考えを正したほうがいいぞ >>950 現地調査してからな おまえの地図妄想とか聞いてらんないから 糸島と早良の山は往来できない 早良と東の山は往来できる 現地みりゃ一発 バカは去れ >>939 樋井川の東にある丘陵地帯が国境だろうね その丘陵のすぐ東が天神で、そこから奴国の都・須玖岡本遺跡までちょうど100里ほど >>951 妄想しているのは君だが 糸島と早良の間は陸路でも海路でも通行可能 >>953 重機で切り開いて道作った今ならなw でも想像力あるだろ 自分の足で糸島から早良に移動してみりゃいいだろ ゴッドハンド先生がカラーテレビを埋めたのかと思った
>>955 アップダウン山三つ超えるんだけどな 道路引いてあるいまですら 古代で歩いて行ったら 戦う気力もねえ感じだな はい完全論破 >>49 歴史好きなら読める 早良親王はそこそこ有名 >>959 >>187 の通りそこで文化が大きく途切れているから別の国だよ 君もそうだが、ちゃんと考古学と向き合わないと駄目 >>962 唐人町とそれ以外という 中世でもあった住民文化の違いだろ? >>960 >アップダウン山三つ超えるんだけどな 超えません 知らないと思って適当言っても駄目だよ あそこストリートビューで全部見えるから ほとんど平坦な道が山の切れ目を通っているのは丸わかり >>964 ほらなw ゲーム脳w 現地で自転車でもいいから走ってみろってw そしたらどんなんか体感できるじゃん それすらしないのに 古代の歴史を研究してますとか ちゃんちゃら笑えるw >>767 本名が未だにわからない人が 沢山いる 役職だけはわかる。 日本の場合。 >>963 今宿から樋井川以西がどれだけ広いと思っているのやら そんなに広大な渡来人居留地があれば文字だって残らなきゃおかしいし、 渡来文化が大々的に存在していなければ辻褄が合わない 君はもう少し物事を論理的に考えるようにしたほうがいいぞ >>962 伊都国(糸島市南東部)と奴国(福岡市周辺)は女王卑弥呼を共立した女王国だからな。 単に本人の使ってたモノ入れただけやんそもそも鏡が加わったのもっと後だろ
>>967 で、名前もわかってるワカタケル大王って どこの誰なのよ 奈良の役人の創作の○○天皇の前にそれだろw >>968 日本に同化した渡来人だろ? 鉄器持ってる、縄文人と違う連中だろ? >>966 文明の利器を使えないお猿さんかな? ストリートビューでみれば平坦な場所なのは丸わかりなんだよ 地図も地形図も出土品も無視している君のような愚か者がゲンチガーなんて言っても何の説得力もないよ >>973 ゲーム脳www おまえはダメだ はっきりわかった 当初は対馬や九州に 天照大神はご鎮座されたが 大国主神がお隠れになり 本州機内に遷都された 西日本一帯が大和の国
弥生の前、縄文時代は温暖化で東北や北海道まで暖かかった。 青森や北海道にも縄文人の遺跡がある。 北海道も緑の大地で温暖だった。 つまり北海道の先住民は縄文人=和人であり、アイヌではない。 アイヌ保護法なんぞ決めたアベスガは馬鹿。 さすがFラン大卒の無教養なだけはある。
>>966 間違ってるって言われて 発狂して誤魔化しててざまあw >>971 だから俺だよ >>972 渡来人が世界最低の劣等民族の日本人と同化するわけないじゃん お前が間違ってるよ 👩「あなたは何という名前ですか?」 👱♂「いえ、私は名乗るようなものでは…」 👩「(…この人お偉いさんだ!)娘を下さい!!」 >>957 ロッテのウグイスおばちゃん思い出したw バリ地元 田んぼが広がる先にドームやタワーが見えていい景色
>>800 コイツ朝から張り付いて同じセリフ吐いてるのか? 哀れな奴だ。お前に比べたら猿の方が賢い >>962 100人で1組を日本各地へ物部家が配置転換しますた >>974 名前と住所を早く書けよ 逃げるなよ雑魚 >>971 >で、名前もわかってるワカタケル大王って ヤマトタケル 当人ですぞ >>799 縄文人の農業は、山地でも栽培可能な赤米や黒米がメイン。 現在も赤米神事が対馬、総社、種子島で残る。 大陸から伝わったコメは、水稲というくらい大量の水が必要。 水の張った状態でなければ、耕作に適さないため、弥生人は平坦な地 に定住し、赤米を食べていた元祖日本人=縄文人も次第に魚介ともに 淡水にも長けていた慣習とすでに華南の華僑と南北市糴していた関係から 水耕技術を次第に取り入れ棲み分けから次第に共住し青銅祭祀まで共有 するようになった。 だから、弥生人と縄文人は争う要素が元々なかった。 やがて、海人要素の強いにもかかわらず海から離れた 平野部や盆地にまで拠点集落を形成していった縄文・ 弥生人は、山奥に散在していたを獣肉や人肉を食べる 習俗の違う謎の人間たちがいるという民族的記憶かた 各地方で民話を残し、彼らを怖れ敬遠した。 各集落に危害を加えてくる場合はそれがやがて天狗や鬼 などに伝説化され、百済鬼の温羅などの異族伝承が残す こととなった。 があると信じるようになった。 現在でも祝辞慶事には赤飯を焚くのは縄文弥生時代からの 日本文化の継続性のエビデンスであり特別なときにだけ振る 舞われるという日本の神道系祭祀の元型の由来。 >>187 奴国では鉄器を作っていなかったのか なかなか興味深いな >>986 鉄製品は出ているけどね 出土遺構から判断すると製造は隣の伊都国がやっていたようだ 2017/1/24 23:22 縄文時代晩期 【 三千〜二千数百年前 】 の東北地方を代表する「亀ケ岡式土器」とみられる 土器片が、沖縄県北谷町の米軍返還地にある 平安山原B遺跡で出土したと24日、 同町教育委員会が明らかにした。沖縄での発見は 初めてで、西日本でも出土は限られている。 製作地や沖縄に運ばれた 背景を巡り、大きな議論を呼びそうだ。 北谷町では、縄文時代にアクセサリーとして重宝された、新潟県の糸魚川産の縄文時代晩期の 翡翠も別の遺跡から出土。町教委は「当時の広域交流がうかがえる重要な発見」としている。 亀ケ岡式土器は、沖縄から約2千キロ離れた亀ケ岡石器時代遺跡(青森県つがる市)で 出土したことに由来し、工芸品のような精緻な模様や作りが特徴。同じ頃の東北では精巧な 漆器や遮光器土偶なども作られ、「亀ケ岡文化」として各地に影響を及ぼした。 ※ポイント ・伊豆諸島神津島の黒曜石が「海上輸送により」日本各地(相模、伊豆、遠州、能登) の古い遺跡にもたらされてることから、2万7千年前にはすでに神津島と本州との間 (最短でも往路150程度・・・ギネス級)を船で行き来してた。 ・木製なので腐食しやすく残りにくいが、それでも 7千5百年前の外航用の丸木舟が 千葉県市川市雷下遺跡から出土している。 千葉県からはこのような丸木舟が150隻出土。 ・琵琶湖でも数隻出土。 . ・現時点で朝鮮半島からは丸木舟がまったく出土しない。
「高天原はどこか」 縄文人は自然の恵みに感謝して、あらゆる自然物を祀る祭祀を行なっていた。 これが神道の原形であるが、神道は稲作の始まりと共に日本に稲作を伝えた江南 (中国の長江下流域)の祭祀を取り込んで大きく発展した。 「記紀神話」に描かれた高天原とは、その神話を創作した人々の先祖が生きた 弥生時代の日本であったとも、日本の稲作の故郷と呼ぶ古代の江南であったとも 考えられる。 「航海民が祭った大物主神」 少彦名命が海の果てに去っていった後で、「新たな神が海からやって来て大国主 命を助けた」といわれる。 『古事記』に次のような話が記されている。 「大国主命が海岸であれこれ先行きのことを悩んでいるときに、美しい光で海面 や空を照らしながら近づいてくる神が現われた。その神は大川主神に『私の魂を 祀って戴けるならば、あなたに力をお貸ししましょう』と語った。 そこで大国主命は、その神の意向によって大和の東方の三輪山の上にその神を お祀りした」 この神話は、大物主神を祭神とする桜井市の大神神社の起こりを説いたもの である。 大物主神は大国主命と同一の神で、出雲の大国主命を守る「幸魂」つまり幸運 や思いもよらぬ奇蹟をもたらす神とされていた。 大物主神は、南方に広くみられる竜蛇信仰の流れをひく神である。古代の ベトナムや江南には「竜神」と呼ばれる蛇の姿をした水の神を祀る習俗 が広くみられる。 そのためにそのような竜神が、人間の若者の姿になって人間の女性と結婚 する「異類婚」の神話や伝説も各地に残されている。
>>980 地図一生けん命見てるじゃん 怡土のあたりが古代伊都国の中心だとするだろ 重機できりひらいた現代のバイパス通って 早良の山側までどんだけ距離あるのか いまいちど確認してみろよ 無理wwww 「記紀神話の中の南方系神話」 天皇を中心とする朝廷の人々が最も愛着をもっていた物語が「記紀神話」である。 だから「記紀」神話を読み込むことを通じて、皇室の源流となる地域がどこで あったかを知る事ができる。 さまざまな話を集めた「記紀神話」中のかなりの部分が、南方的な信仰や文化の流 れをひいている。 前に紹介した北方的な要素は一部の神話だけに見られるもので、騎馬民族の文化 の影響は表面的なところに限られている。 そこでこのあと、日本神話の中の南方的要素を持ち込んだのはどのような 人びとだったかを考えていこう。 「日本に移住した江南の航海民 」 皇室の日向に対する思い入れ『古事記』と『日本書記』の中に、日本人が北方 から来たという発想はみられない。 「記紀神話」などには、南方を日本文化の故郷とする意識が見え隠れして いる。江南の航海民は、日本の南方から来て南方系の文化を伝えた。 そして「記紀神話」がまとめられた時代の大和朝廷の勢力の最南端が、 日向であった。 それゆえ皇室の祖先にあたる二ニギ尊が降臨した地は、日向の高千穂の峰で なければならず、磐余彦は日向から大和に来て初代の天皇になったとされた のである。 皇室の先祖は、江南から来た移住者の首長であろうか、あるいは江南系の文化 を学んだ日本に古くからいた縄文系の首長であろうか。 武光誠 2019
三種の神器って iPhone iPad AppleWatch?
在日韓国人の祖先の半島穢族は あの悪辣な顔相で、 犬を食べ、 獣の肉を捌き、 獣の毛皮を着て地べたに座りっぱなしの生活で 高床式がなくて 土穴に住む蛮族 土蜘蛛や日本の民話に登場する悪鬼そのもの
>>991 間違ったこと言って逃げるなよ 名前と住所を早く書け >>991 >重機できりひらいた現代のバイパス そうやって嘘で逃げるのは君の悪いクセだな 山を崩すほど削ったりはしていないのは、道の両側を見れば分かる もともとここは山が途切れて平坦だったんだよ >>995 お前は何一つ反証できない 雑魚だなw 日本人に負けるわ おまえ弱すぎだし >>984 半島民族学校の教科書はそうなってるの?w ワカタケは雄略帝で中国文献の武ですからね 初歩の初歩ですね lud20210519032413ca
このスレへの固定リンク: http://5chb.net/r/newsplus/1620396751/ ヒント: 5chスレのurlに
http ://xxxx.5ch
b .net/xxxx のように
b を入れるだけでここでスレ保存、閲覧できます。
TOPへ TOPへ
全掲示板一覧 この掲示板へ 人気スレ |
>50
>100
>200
>300
>500
>1000枚
新着画像 ↓「【古代】日本最古「三種の神器」が出土、弥生時代の早良平野に邪馬台国よりも以前に繁栄した王国があった! [樽悶★]YouTube動画>3本 ->画像>24枚 」 を見た人も見ています:・【古代】日本最古「三種の神器」が出土、弥生時代の早良平野に邪馬台国よりも以前に繁栄した王国があった! ★2 [樽悶★] ・【古代】日本最古「三種の神器」が出土、弥生時代の早良平野に邪馬台国よりも以前に繁栄した王国があった! ★3 [樽悶★] ・【邪馬台国】 徳島で弥生時代の鉱山遺跡が発見される。日本最古 ・【歴史】弥生時代の日本にバジルがあった? 邪馬台国の有力候補地で「花粉」見つかる ・【三種の神器】弥生時代の墓群から鏡、剣、勾玉が一緒に出土 佐賀県内初 [ごまカンパチ★] ・【奈良】「半島などから人と共に渡来し、日本の犬の形質が変化した」 古墳時代初頭に中型犬か、邪馬台国の有力候補地で出土 [樽悶★] ・【歴史】邪馬台国時代のすずり5個出土 交易でも文字使用か「日本の文字文化の始まりを考える上で興味深い」 福岡・西新町遺跡 ・【古代】邪馬台国と対立の男王国は岐阜にあった! 狗奴国東海説に迫る [樽悶★] ・【奈良】邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」で刀剣の柄、鞘が出土 「纒向に武器を持つ力がある拠点があったことを示している」★2 ・【奈良】邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」で刀剣の柄・鞘が出土 「纒向に武器を持つ力がある拠点があったことを示している」 ・【奈良】邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」で刀剣の柄、鞘が出土 「纒向に武器を持つ力がある拠点があったことを示している」★3 ・【疑問】税金を廃止したら世の中どうなるのか? 火は消えず、街中ゴミ屋敷に… 邪馬台国の時代から税を取り立てていた日本★2 ・邪馬台国は熊本平野にあった ・【古代】弥生時代の“すずり”に国内最古の文字か 松江の遺跡から出土 ・【古代】鳥装シャーマンの絵画土器出土 長野・東町遺跡で東日本初 西日本的な農耕祭事か 弥生時代中期後半(約2000年前) [ごまカンパチ★] ・【考古学】古墳時代のすずり出土 福岡市の比恵遺跡群 「邪馬台国時代に奴国で文字使用」 ・【邪馬台国】邪馬台国時代のすずり5個出土 交易でも文字使用か 福岡市・西新町遺跡[11/23] ・【福岡】さあ邪馬台国へ…倭人伝を裏付け、最古級すずり片が「伊都国」から出土 福岡の三雲・井原遺跡 ★7 ・【考古学】古墳時代のすずり出土 福岡市の比恵遺跡群 「邪馬台国時代に奴国で文字使用」★2 ・【新潟】東北と近畿、文化の境界 古墳時代の遺跡、続縄文土器出土 「新潟は邪馬台国から大和成立時の東西の動向が把握できる重要地点」 [樽悶★] ・【歴史】「邪馬台国が纒向にあったとすれば東海地方とも何らかの交流があった」 弥生期の奈良知って…邪馬台国候補地、名古屋でシンポ★2 ・【歴史】「邪馬台国が纒向にあったとすれば、東海地方とも何らかの交流があった」 弥生期の奈良知って…邪馬台国候補地、名古屋でシンポ ・【歴史】「邪馬台国が纒向にあったとすれば東海地方とも何らかの交流があった」 弥生期の奈良知って…邪馬台国候補地、名古屋でシンポ★4 ・【歴史】「邪馬台国が纒向にあったとすれば東海地方とも何らかの交流があった」 弥生期の奈良知って…邪馬台国候補地、名古屋でシンポ★3 ・【歴史】「中国や朝鮮半島からの先進文化などが伝わる海路の要衝だった」 兵庫・淡路で出土、弥生時代の青銅祭器「松帆銅鐸」の謎に迫る ・【佐賀】「筑後」焦点の企画展始まる 吉野ケ里歴史公園 「佐賀平野や筑後地域に邪馬台国があってもおかしくないことが分かってきた」 ・【福岡】「倭の中にあった邪馬台国も当然、九州だった」 邪馬台国「筑紫平野連合説」三部作完結…小郡の専門家、10年かけまとめる [樽悶★] ・【福岡】「倭の中にあった邪馬台国も当然、九州だった」 邪馬台国「筑紫平野連合説」三部作完結…小郡の専門家、10年かけまとめる ★3 [樽悶★] ・【福岡】「倭の中にあった邪馬台国も当然、九州だった」 邪馬台国「筑紫平野連合説」三部作完結…小郡の専門家、10年かけまとめる ★2 [樽悶★] ・【福岡】「倭の中にあった邪馬台国も当然、九州だった」 邪馬台国「筑紫平野連合説」三部作完結…小郡の専門家、10年かけまとめる ★7 [樽悶★] ・【福岡】「倭の中にあった邪馬台国も当然、九州だった」 邪馬台国「筑紫平野連合説」三部作完結…小郡の専門家、10年かけまとめる ★4 [樽悶★] ・【福岡】「倭の中にあった邪馬台国も当然、九州だった」 邪馬台国「筑紫平野連合説」三部作完結…小郡の専門家、10年かけまとめる ★6 [樽悶★] ・【福岡】「倭の中にあった邪馬台国も当然、九州だった」 邪馬台国「筑紫平野連合説」三部作完結…小郡の専門家、10年かけまとめる ★5 [樽悶★] ・【説】縄文人が日本列島に到達したあと、弥生時代に北東アジアから、古墳時代に東アジアから別の人類集団が渡ってきて → 日本人に [水星虫★] ・【佐賀】「よみがえる邪馬台国」展、「豊前の国」に焦点 「九州と畿内との違いを、出土した遺物を見て比較してほしい」 ★4 [樽悶★] ・【歴史】邪馬台国の卑弥呼がもらった?曹操墓出土と同型の鏡 「皇帝の所有物にふさわしい最高級の鏡」がなぜ九州に? ・【奈良】「邪馬台国」へ時間旅行、橿考研博15日まで 桜井・ホケノ山古墳出土品展示「古代国家が誕生した纒向遺跡の全容が分かる展示」 [樽悶★] ・【大分】「邪馬台国は別府温泉だった!」日本史最大のミステリーに新説 「距離・方向ともに魏志倭人伝の記述とぴったり一致する」 ★4 [樽悶★] ・【大分】「邪馬台国は別府温泉だった!」日本史最大のミステリーに新説 「距離・方向ともに魏志倭人伝の記述とぴったり一致するのです」 [樽悶★] ・弥生時代「すずり」に最古の文字か 松江の田和山遺跡から 慎重な意見も ・【社会】弥生時代、文字使い外交か 福岡で最古級のすずり発見 ★2 ・【遺跡】 弥生時代の硯 糸島で出土 楽浪郡使節使用か★2 ・弥生時代のすずりに国内最古の文字 分析結果 油性ペンのインク [香味焙煎★] ・【兵庫】弥生時代の集落跡から縄文の土偶など出土 表情が平面的で弥生人の特徴を示す /神戸・玉津田中遺跡 ・【古代】日本の城のルーツ、朝鮮式山城 殺人やリンチ、弥生時代の集落で起きていたこと [樽悶★] ・【考古学】「重要な遺跡」弥生時代の箱式石棺墓29基 福岡の長井遺跡で出土 箱式石棺墓内に仕切り 新たな埋葬法か ・【青森】2200年前?「炭化米」出土 弥生時代の東北地方に水稲農耕浸透、貴重な史料 弘前・清水森西遺跡 ・【考古学】南島原で甕棺3基出土 2000年前、弥生時代の墓地か 自転車専用道予定地で見つかる 長崎 [ごまカンパチ★] ・【福岡】伊都国「王墓」のガラス玉、弥生時代と同時期に栄えた騎馬民族・匈奴の墓の出土品と一致 「半島を経由してもたらされた」 [樽悶★] ・【邪馬台国】大分・日田で出土の鉄鏡 卑弥呼の鏡「可能性高い」 ★2 ・【奈良】「邪馬台国近畿説」柱の一つ「卑弥呼の鏡」大量出土 天理市・黒塚古墳 ・【福岡】浮かぶ、筑後平野の先進性 邪馬台国「卑弥呼の鏡」説 三角縁神獣鏡発見で注目 朝倉・平塚川添遺跡 ・【京都】邪馬台国・卑弥呼と同時代、重要文化財の銘鏡など展示 宮津・丹後郷土資料館 ・【佐賀】「邪馬台国はどこだ?」 謎の国「不弥国」、候補の4地域にスポット…吉野ケ里歴史公園内、弥生くらし館で展示 ・【佐賀】「邪馬台国はどこだ?」 謎の国「不弥国」、候補の4地域にスポット…吉野ケ里歴史公園内、弥生くらし館で展示★2 ・奈良・纒向遺跡出土のモモ、放射性炭素測定で2-3世紀のものと判明 邪馬台国畿内説を補強する成果 ・【佐賀】吉野ケ里、謎の「不弥国」探る出土品展「よみがえる邪馬台国 邪馬台国と謎の国『不弥国』」開催 ・【大阪】「邪馬台国」卑弥呼の後継者“台与”の西晋朝貢以降〜「倭の五王」時代までの「空白の4世紀」に迫る特別展★4 ・【古代】邪馬台国の人はカエルを食べた? 奈良・纒向遺跡で骨が大量出土 「神への供え物にカエルが使われた」 ・【古代】邪馬台国の人はカエルを食べた? 奈良・纒向遺跡で骨が大量出土 「神への供え物にカエルが使われた」★2 ・【奈良】唐古・鍵遺跡の古墳期に迫る、田原本で企画展 出土品など164点 邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」との関係紹介★2 ・【考古学】『国宝 翰苑の世界』 天満宮に残る唐の事典 邪馬台国の卑弥呼などが記される 関連する北部九州での出土品も展示 福岡 [ごまカンパチ★] ・【福岡】後漢の銅鏡ほぼ完全形で出土 2世紀前半(弥生時代後期) 博多区・仲島遺跡[12/09] ・邪馬台国の卑弥呼からヤマトの天皇制の間って何があったんだ ・【佐賀】「九州に邪馬台国があったというのは無理がある」 ネット中継で「畿内vs九州」論戦、両者一歩も譲らず…吉野ケ里歴史公園★6 ・邪馬台国は九州にあった72
22:14:30 up 3 days, 18:15, 0 users, load average: 10.90, 13.04, 13.33
in 0.60341715812683 sec
@0.60341715812683@0b7 on 110612