ゴーン氏元弁護人が国を提訴
「検察の捜索は違法」
2020/12/23 21:09 (JST)
©一般社団法人共同通信社
カルロス・ゴーン被告の海外逃亡を巡り、弁護人を務めていた弘中淳一朗弁護士は23日、拒否したにもかかわらず、自身の事務所を東京地検が家宅捜索したのは違法として、国に約300万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴した。
訴状によると、地検は今年1月、弘中氏の事務所を捜索。弁護士らが拒んだが、検察官は裏口の扉を無断で解錠するなどしたとしている。
刑事訴訟法は、弁護士などが他人の秘密に関するものを保管している場合、押収拒絶権が認められると規定。原告側は「押収拒絶権を行使する以上、許されない」と主張。
東京地検側は「個別の訴訟案件についてはコメントを控える」とした。
https://this.kiji.is/714450330093240320 もう暴かれ終わってる事なのに 何で未だに逃げ回ってんだろな
正式な謝罪をしたくないというハクジン&自称ユダヤ特有の病気のせいかね
>東京裁判は、国際法に則ったものではないことは、今や常識であるが・・・
ベン・ブルース・ブレイクニー弁護士は、東郷茂徳、梅津美治の弁護士を務め、
所詮A級戦犯は免罪であり事後法である事を主張する際、原爆投下を引き合いに出したことはよく知られる。
【 その部分に言及した途端、日本語通訳が切断され、日本の速記録にも「以下、通訳なし」としか記録されなかった‼ 】
>昭和21年1月10日、GHQの最高司令官ダグラス・マッカーサーは極東国際軍事裁判所設置を高らかに宣言。
ウェッブ裁判長が回答をはぐらかした東京裁判の真実
>>6
>この東京裁判には決定的な弱みがあった。
それはこの裁判が準拠すべき法律があらかじめ定められていない、という問題である。
GHQは裁判所を設置してみたはいいものの、何によって裁けばいいのか、てんで明確になっていなかった。
だから東京裁判をつかさどる連中は、心中ひそかに困っていた。
「ポツダム宣言に基づけば、戦争犯罪人などと呼ばれる者を裁く権限は、この裁判にはないはずだ」
昭和21年5月13日、日本人弁護団副団長 清瀬一郎弁護士 が、ウェッブ裁判長に、この急所を突いた質問をした。
「平和に対する罪、戦争自体を計画すること、準備すること、始めること、、、
そのこと自体を罪に問うなどということはこれまでの文明国共通の観念にはありえない」
「この裁判は、一体なんの法律に基づいて裁かれるのか?」 もうめんどいからこいつに青葉容疑者をぶつけろ
文字通り煮るなり焼くなりやっていいぞ
>>8
公平にみて、国際法の専門家がみれば、明らかに日本側の筋が通っていた。
「戦争犯罪人」なる者を裁くべき法律が世界中のどこにもないのである。
さて、裁判官は一体これにどう答えるか?
答えによっては、
「 この裁判は法律に基づかないこと 」、「 ただただマッカーサーによる私的な「政治裁判」であること 」、
「 そんなリンチ同然のものであるなら東京裁判自体が成り立ちえないということ 」、を明らかにしてしまう。
清瀬弁護士の陳述から5日後の5月17日午前、裁判長から回答があった。
「清瀬弁護人の申し立てを却下する。その理由は、将来宣明する」
こう回答してその場を切り抜け、裁判の進行を図った。 >>10
日本側弁護団はこの回答をまだか、まだか、と待ち続けた。
しかし、いつまで経っても回答はない。
そして何もなかったかのように2年6ヶ月が経過し・・・昭和23年11月4日の「判決言い渡し」を迎えたのであった。
結局、【 連合国側はこの裁判がどこの法律に基づいているのか、答えられず、曖昧にしたまま逃げたのである…! 】
つまり、この裁判は、最高責任者であるマッカーサーの、マッカーサーによる、マッカーサーのための「政治裁判」ということを意味していた >>12
>昭和26年5月3日から5日にかけて、アメリカ合衆国議会上院の軍事外交合同委員会で行われた、
米国の極東政策をめぐってのマッカーサー証言
「・・・彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が【安全保障の必要に迫られて】(自衛生存)のことだったのです。」
「日本の侵略」を裁くとして始まった東京裁判…
この裁判は、どこの国の裁判管轄にも属さずに、
どこの国の法律にもよらずに、マッカーサーの権威で行われたもの。
しかし、その最高責任者であったマッカーサーが自ら「あれは日本の自衛・生存のためだった」と証言し、自らの過ちを認めたのである・・・ >>13
当時はまだ巣鴨プリズンに約800名のBC級戦犯が幽閉されていた頃、、、その中には無実の犠牲者も少なくありませんでした。
シベリアには戦犯≠ニいう名において、何十万という日本人が鉄鎖につながれ、重労働にあえいでいました。
【 祖国のために戦った、私たちの直接のおじいさんたち 】 が…です。
不当に虐げられたこれらの人々は、本当に戦犯と呼ばれるべき人だったのでしょうか?
そしてその家族は、ただでさえあの敗戦直後の焼け野原で貧しい生活を送っていた中・・・
権力追随の事大主義的ジャーナリズムは、その家族に追い打ちをかけるように耐え難い屈辱と悲惨な生活を強いました。
(※犯罪GHQによる占領政策によって「公職追放」「言論統制」等が強制され、戦後日本を守る人々が虐げられ追放されている) >>14
「史考大東亜戦争」二見書房 中井良太郎 昭和17(1942)
第四章 米國の對日挑戰を推進した老獪惡辣の英國
(一) 米英共犯
矢面に立ち大東亞戰爭を挑發したのは、米国であることは何人も認識する所であるが、
米国の對日挑戰を裏面から推進したのは英国で、米英は此の戰爭の挑發責任者としては同罪だ、
我が日本を、絞殺しようとした犯人は米国だが、英国も亦其の一場に在った共犯者として論告すべきだ。
米国を强盗とすれば、英国は此の强盗を煽てる蔭の妖情婦である。
援蒋と對日包圍陣とは米英共犯で、日本絞殺の爲、豆絞を日本に擬した下手人は米国で、
此の豆絞で日本をやっつけろと云ったのは英国だ。 押収拒絶の対象となるか否かを誰がどうやって確認するんだ?
>>16
(二) 英國の罪惡
自己の競争国が擡頭すると、必ず之を壓倒しやうとするに在る。
そして、此の壓倒の爲めには强弱を論ぜず、他国を誘引して、之を犠牲として野望を達するのだ。
・・・今日迄、印度やビルマ馬来を苛斂誅求(税金や借金などを容赦なく厳しく取り立てること。)し、
凡ゆる手段を盡して搾取し、印度の住民の家内工業を奪って、印度住民を飢餓に陥れたことから、
印度住民をば原料供給の奴隷的存在、イギリス製品の强制消費者として、
イギリス榮華の犠牲として居ることなどは言はずもがなであるが、其の征服に當っては、先づ非道の苛斂誅求を爲し、
印度人は之に反抗すれば、彈壓目も當てられぬ殘忍を敢てして之を征服し、
印度国内土侯の反目軋轢を醸成して之に乗じて征服し、印度ヘ徒と囘教徒とを故意に反目せしめて、
印度住民の心的合一を妨げて、統治を容易にして居ることなど擧げて數ふれば大冊の書も尚かき盡し難きものがある。
無頼漢上りのクライブや假令無頼の徒に非ずとも非道官吏的なヘスチングの遣口などを見れば全く鬼畜の業である。 >>18
濠洲を罪人の流島とし、濠洲土人を鏖殺して今日殘す所なきが如き非人道を敢てするのがイギリス人の本性である。
理不盡なる阿片輸入に依り、阿片戰爭を挑發して支那蚕食を初め、香港や九龍を奪ひ、上海を我物とし、
支那各地に勢力を植ゑ付けた歴史は周知の通りである。
斯様な老獪、惡辣、殘忍性も、人道とか、紳士とかの假面に匿れ巧妙極まる欺瞞を以て其の手段とすること、
恰も講談に在る男たらしの妖婦の如き觀があり、全く老狐の化物と同様である。
併し此の欺瞞は何時迄も看破せられずに済む筈もない。
化けの皮の剥れる日が来ることも當然であり、老狐、妖婦の正體を見れば、何時しか劍客、義人の刀の錆となることは天道である。 ゴーンを逃がした大ミスだか売国奴ぶりは棚に上げてよくやるわ、クズが!
>>19
(三) 最近の米英關係
アメリカとイギリスは持ちつ持たれつ世界を我物として
何時迄も榮華を貪らふとするのであるが、アメリカの横著と自惚れ、
御調子者的氣分に付け込み、强盗たらしの妖婦の如く立ちまはったのは彼れイギリスである。
御伽噺で云ふならば、イギリスは虎の後から行く狐である。――虎の前を往かず後から行く
――所が、此の虎は實は狸が虎の皮を着たのであり、狐は狸を瞞し、狸は狐を欺かうとして、
アメリカ狸奴がイギリス老狐の爲瞞されたと云ふやうな感じもする。
何れにしても、イギリス欺瞞政策の化の皮を引き剝され、老狐も、將に毛皮とならむとしつつある狀況だが、
尚最後の足掻きを爲しつつあるのがイギリスの最近3、4年間の様相である。 こいつに何のメリットが?
それとも国外脱出の事、こいつ知ってたとか?
保釈中の適切な指導を怠った弁護士を訴えるべきだと思うけど
『第6号文書』安全区国際委員会
「1938年1月14日付のドイツ上海総領事宛のジョン・ラーベの手紙」(ジーメンス社社長マイアー宛の手紙)
『ヒトラーへの上申書』『ラーベの日記』
1937年、支那事変の発端である第二次上海事変の前、
蒋介石は1932年の第一次上海事変の上海休戦協定を無視し、呉淞と真茹を結ぶ線の北側の非武装地帯に
クリークや2万個以上のトーチカを作るなどして軍事要塞線(ゼークト・ライン)を築いていた。
【支那にいたドイツ軍事顧問団の最高責任者アレクザンダー・フォン・ファルケンハウゼン】が
保存していた内部文書。(ドイツ、フライブルク連邦軍事資料館所蔵)
ファルケンハウゼンは【ドイツが国民党軍に武器を供給する際、その取引可否を決裁する権限を持っていた】
この人物と家族ぐるみで親しかったのが 南京安全区国際委員長でナチ党員のジョン・ラーベで、
【ラーベはシーメンス社の武器部門責任者】だった。
フランスのイエロージャケットデモ隊の人が「日本はゴーンが逮捕できてすごい。基本、悪い金持ちは捕まらないから」みたいな事言ってたのが忘れられない
>>22
>>24
>>27
根暗のオウムチャーンww
>>28
1938年2月28日に南京からの退去を日本軍に命ぜられ、ドイツに帰国したラーベは
母国ドイツが日本・イタリアとの三国同盟を予定していることを知り、これに反対する政治活動を開始する。
ベルリンその他で日本軍の残虐行為を喧伝するフィルムの上映・写真の展示を行うとともに、
ヒトラーに上申書を提出し、日本軍による非人道的行為を止めさせるよう働きかけることを提言した。
しかし、【 政府からはまったく相手にされない 】 どころか、直後に 【 ゲシュタポによって逮捕勾留 】 される。
【 シーメンス社の介入によってすぐに釈放された 】が、写真の類を没収されるとともに、以後公での発言を禁止された。
【 シーメンス社はその後も彼を雇用し続け 】 、【 ラーベの身の安全を確保するためアフガニスタンに一時的に転勤させた 】 後、
終戦までベルリン本社で海外出張する社員の世話をする庶務係として勤務させた。wiki
(これ Gメン とも発音できるなぁ 「G」ダイスキだよなw) >>29
支那事變の時の日本軍も言われてたな
マジで金融だのそこら辺の全部敵に廻して正に「世界大戰」だった
>>31
↓分かり易いよなぁ
2009年に、ラーベを主人公としたドイツ・中華人民共和国・フランスの合作映画 『ジョン・ラーベ 〜南京のシンドラー〜』
(20世紀フォックス配給、原題 John Rabe、英国タイトル City of War - the Story of John Rabe)
が製作され、同年4月2日にドイツで、続いて同28日には中国でも公開された。
同年11月にはベルギー、フランス、イタリア、スペインでも公開されている。
第59回ドイツ映画賞にて、主演男優賞(ウルリッヒ・トゥクル)・作品賞(ベンヤミン・ヘルマン、ミシャ・ホフマン、ヤン・モイト)・
美術賞(屠居華)・衣装賞(リジー・クリストゥル)の4部門で受賞した。 >>29
だから民主主義が機能せずにデモばかりしてるんだよね
汚い所も知らないと理解できない >>35
↓ちなみにこっちも馬鹿ばかしさ満点の分かり易さだ
『南京』(英:NANKING)は、アメリカ合衆国製作で2007年に公開された南京事件に関するドキュメンタリー映画。wiki
1937年末に旧日本軍が南京を占領した様子が、西洋人の視点から描かれている。
映像では生存者の証言を集めたほか、
当時ジーメンス社の南京支社長として赴任していたジョン・ラーベや米国人女性教師ミニー・ヴォートリンなどが、
南京に南京安全区を設立して住民20万人以上を虐殺から保護した行いを、
ヨーロッパにおいてユダヤ人をホロコーストから救ったドイツ人実業家のオスカー・シンドラーになぞらえ「中国のシンドラー」と位置づけている。
また文豪アーネスト・ヘミングウェイの孫娘のマリエル・ヘミングウェイ、ウディ・ハレルソン、ユルゲン・プロホノフ、
スティーヴン・ドーフ、ミシェル・クルージら米国の著名人や俳優を起用し、欧米人の残した日記も読み上げている。 >>39
中国共産党中央委員会の機関紙人民日報によると、この映画は大量の写真や史料をもとに制作され、
米国会図書館から当時に関する記録や多くの貴重なフィルムを発見している、としている。
また監督の2人は、中国および日本において80人におよぶこの事件の生存者を探し回り、そのうちかなりの人数がこの映画に実際に出演している。
米紙ワシントン・ポストによると、この映画のプロデューサーで当時アメリカ・オンライン(AOL)の
副会長であったテッド・レオンシス(2007年末現在、名誉副会長)が、
『ザ・レイプ・オブ・南京』を著した中国系アメリカ人女性作家アイリス・チャンの自殺をめぐる古新聞の記事を目にしたのが、
製作のきっかけだったと同紙に説明している。
監督のビル・グッテンタグは、アカデミー賞短編ドキュメンタリー賞を2度受賞している人物。 >>40
>>1
南京捏造事件
●日本人が本当の市民を殺した信用できる数字はどこか…それは安全区にある。
ここにしか市民がいないはずだから、ここで何人殺されたかを見ればいいわけである。
これに対しては、反日で凝り固まった白人が現地にはたくさんいた。
彼らが日本の公使館に文句を言っている。
それらの数字を全部合わせても、占領後3ヵ月間で47人ぐらいである。
とばっちりで殺された人もいると思うが、本当に確実に殺されたという証言は、東京裁判の証言でも1人なのだ。
なぜこんな確実な数字が世の中に知られないのか。
《渡部昇一 「新しい歴史教科書を「つくる会」が問う日本のビジョン」》 ゴーン逃がしたゴミ野郎のくせに
かわりに罰うけろや
>>42
はいよw
>>41
●広島原爆の数字は、被害にあった家を一軒一軒、亡くなった方を一人一人積み上げ、
それでも不明だった人が約1万人いたというものである。南京大虐殺と対比するとは、あきれてものが言えない。
《櫻井よしこ 文芸春秋2005/8月号》
●南京事件のおりに、欧米の宣教師が現地に居て苦労した揚げ句、安全区をつくり、
10万人の無辜の市民を守ったことを誇らしげに記した手紙が、エール大学の神学校に残されているといわれる。
それが事実なら、大虐殺などなかったということになる。
《松原仁 正論2007/3月号》 >>3
>>5
>>44
(※真実は 『滿洲大虐殺』『レイプ・オブ・滿洲』
ソ連による滿洲侵略時のソ連兵・シナ・コリア・滿洲人他らの蛮行。在滿洲の日本人強姦・虐殺数と一致。)
↓
●アイリス・チャン『レイプ・オブ・南京』
米国もアイリス・チャンの陰謀に加担したが、その動機が改めてわかった。
TIME(14年11月22日号)が次のように書いたからである…
「アイリス・チャンが残した業績は日本軍がいかに残虐な行為を南京でなしたかを歴史的資料を探し出し、
その数は広島・長崎の原爆の犠牲者よりもおそらく多いとした点だ。
アイリス・チャンの作品は大歓迎、喝采を受けた」 …米国のホンネがのぞいた。
《宮崎正弘 「瀕死の中国」》
↑
(※ソ連、共産党員のホンネものぞいている。>広島・長崎の原爆の犠牲者よりもおそらく多い) >>45
(※滿洲や樺太・千島列島にソ連兵がなだれこみ、ところかまわず一般市民の殺害を始めた…これは歴史的事実である)
↓
●12月13日開城と同時に日本兵が城内になだれこみ、ところかまわず一般市民の殺害を始めた…
とするチャンの記述は、荒唐無稽と言うより他ない。
《藤岡信勝 東中野修道 「『ザ・レイプ・オブ・南京』の研究 中国における「情報戦」の手口と戦略」》
●重要なことは、蒋介石も毛沢東も誰も「南京大虐殺」を言った人はいないという事実。
「南京大虐殺」が最初出てきたのは東京裁判。
それが忘れられた頃に騒ぎ始めたのは朝日の本多勝一で、それに乗ったのが当時の社会党の田辺誠と言われている。
《渡部昇一 「こんな日本に誰がした」》 >>46
●日本の南京攻略を誇大に歪めて吹聴した人物として、米国人宣教師フィッチがいる。
フィッチは東京裁判に出廷こそしなかったが、書面で「南京虐殺」を告発している。
彼は明確に日本に対して敵意を抱いていた反日家だった。
宣教師の目は決して純真無垢でも善良公平でもない。
宣教師は宣教師の利害や打算・計算のもとに行動しているのだ。
20世紀初めアメリカから宣教師が5千人近く中国に渡った。
最も米国のキリスト教会が資金を費やして力を尽くしていたのは中国での布教であり、中国人の信者獲得だったのだ。
米国から宣教師に送金された資金はケタ違いに多かった。
「南京事件」について報じたのは、ダーディン(ニューヨーク・タイムズ)とステール(シカゴ・デイリーニュース)という2人の特派員である… >>47
◇ステールは、台児荘の局地戦で日本が戦略的に一時撤退しただけで、世界中に「中国軍大勝利」と打電する。
実際には百人単位の死者なのに、「日本兵が2万人死んだ」などという間違ったニュースを流すなど、
露骨に中国へ肩入れした報道が相次いだ。
◇ダーディンは、昭和13年6月、後退を続ける国民党軍が日本軍の進軍を阻むために黄河を決壊させ、
中国人も多数溺れ死ぬといった被害を、「日本軍が黄河を決壊させた」とあべこべに報じている。
…特派員といっても、公正中立とはとてもいえない虚報が多数流されているのだ。
《阿羅健一 正論2008/1月号》 >>48
●ユネスコの南京記憶遺産に登録された、中国政府が提出した「南京大虐殺に関する資料」11点は、すべて論破できる。
例えば、当時南京にいたマギー牧師が撮影した「マギーフィルム」というのがあるが、
それは南京城内の死体の様子だけを映したもので、
その死体がどういう原因で誰に(日本軍なのか中国軍なのか)殺害されたものか、などということは判明しない。
この程度のものを「記憶遺産」と言われてはたまらない。
第一級資料というのは、史学でいう「その時、その場で、誰が、どんな状況で」といったものが判明しているものを言う。
「南京軍事法廷が調査した犯罪の証拠」も記憶遺産として登録されている。
これは南京でも行われた軍事裁判の資料だが、これも証拠にならない。
なぜかというと、当時、米軍と中国軍が共同でどのような日本軍による残虐行為があったかを、南京市民に聴き取り調査をしたものである。 物的証拠は「他人の秘密に関するもの」に当たらないから、押収拒絶権に行使できないってことで一蹴だろ。
>>50
ところがその調査では、市民は「冬のセミの如く語らず」と表現しているように、誰も何も語らなかった。
そんな話、聞いたことないという感じだったわけである。
それで困った調査側は、市民に策を講じて(カネ等を渡したのか?)証言を引き出し、突然「50万人」という数字を導き出した。
しかし、50万人というのはあまりに多いということで、20万人に落ち着いたという。
また、戦死者の遺体を掘り起こし、それを写真に撮って虐殺の証拠としている調査結果もある。
もちろん戦争なので、戦死体があるのは当たり前のことで、「虐殺」の証拠にはならない。
こんなインチキ資料のオンパレード…。
《松尾一郎 >>52
●「中国の旅」(南京大虐殺を書いた本)は、文革時代の71年、
朝日新聞記者・本多勝一が国交のなかった中国に特別に入国を許され、中共が用意した人たちに会い
「毛沢東主席のおかげで私たちは幸せです」と嘘を語る証言者たちの言葉を、そのまま朝日に連載し本にしたものである。
《投稿 SAPIO 2006/6/28》
●第二次大戦にドイツが敗れた直後の2ヵ月間で、約10万人の女性がロシア兵に強姦された。
1万人強が妊娠し、その90%は医師が中絶したが、千人強は出産したという。
だが、南京でそのような“不幸な赤ちゃん”が産まれたという記録はどこにもない。
《東中野修道 産経新聞2010/2/20》
●中国兵は、安全区域内で撹乱工作員となって強姦や略奪を繰り返し、それを日本兵の仕業に見せかけていた…
という記事が当時の「ニューヨーク・タイムズ」や「チャイナプレス」に載っている。
《南京事件調査研究会 「南京大虐殺否定論13のウソ」》 >>54
●日本軍は日清戦争と義和団事件による北京出兵で、
「外部に被害を与えない歴史上初の軍隊」として世界各国の賞賛を受けた。
50年後にはより秩序整然として水準の高いこうした軍隊が、昔でさえしなかった野蛮な行為をしでかしたという話は信じ難い。
《金完燮 諸君! 2003/7月号》
●河村たかし名古屋市長は、南京で終戦を迎えた父親が南京の人々から温かいもてなしを受け、
お礼に桜の木をプレゼントしたことなどを話し、その背景について「南京事件はなかったのではないか」と述べた。
《産経新聞 2012/2/24》 >>55
●上海・南京戦で日本が最も悩まされたのは、支那独特の便衣兵である。
彼らは戦況不利と見るや、軍服を平服に着替えて一般市民を装い、武器を持って市中に潜伏し、隙を見て日本軍を攻撃する。
このような卑怯な方法をする便衣隊は、交戦者としての資格を有してはいない。
《中村粲 「大東亜戦争への道 」》
●中国では戦線のうしろに絶えず「便衣隊」が出没して、日本軍に対する奇襲・破壊工作をする。
これでは日本軍も南京の敗残兵や難民に疑心暗鬼にならざるをえない。
同じ苦しみを、30年後にアメリカ軍がベトナムでいやというほど味わった。そうして「ソンミ村の虐殺事件」というのを起こした。
《長谷川慶太郎 「歴史頭脳を持っているか」》 >>58
ジョン・ギレスピー・マギー アメリカ合衆国の米国聖公会牧師wiki
日本軍による南京事件についての証言を東京裁判で行った。
また事件の記録映像(マギーフィルム)は中国政府が世界の記憶へ申請し、2015年登録された
マギーは米国聖公会の教会牧師だった
東京裁判でのマギー証言
マギーは極東国際軍事裁判では南京事件の証人として証言台に立ち、
日本軍による殺人、強姦、略奪事件について、被害者からの直接聴取、自ら行った被害調査などを基礎に証言を行った
(※全て【日本人が被害者の惨殺事件】を基にしたすり替え) >>59
南京攻略戦時に福知山連隊(歩兵第20連隊)大隊長を務め
南京とその周辺の警備に当たっていた森王琢は
「検事側の証人としてマギーは二日間にわたって詳細に証言したが、
ブルックという弁護士が反対質問で問いつめると二日にわたって証言したことは全部ウソで
結局窃盗と婦女暴行が各一件だけ(※この件ですら便衣兵なのか日本兵なのか不明)
であることが判明し、法廷で笑い物になった」と述べている
元来が国際政治裁判だった東京裁判で、松井被告は死刑になった
(キリストカルト教徒や自称ユダヤ、特亜蛮族による無実の罪による私刑殺人) >>1
この弁護士、マジ誰かに殺されればいいのに
日本国民全員から投石の刑に処せよ こんな弁護士がいるからハシゲみたいな連中が出てくるんだよな。
>>1
「動乱の世界」牧書房 萩原新生 著 1941
第一 ユダヤ金權政治 一 支那事變の蔭に動くもの
日本は、日獨伊三國同盟を結んだ。
日本が、これまでソヴェート聯邦の共産主義を防ぐことに、専心努力してきたことは改めて言ふまでもない。
ドイツやイタリーも亦、同様な立場にあるので、東洋への侵略の手は日本が防ぎ、
ヨーロッパへの侵略の手はドイツがこれを喰ひ止め、共に撃滅して各々世界の新秩序建設の役目を果す約束をしたのだ。
毛澤東の率ゐる共産軍の勢力は、蔣介石の力では、どうすることも出來なかった。
最初は蔣介石も共産軍を排撃したが、抗日侮日といふ點では、彼の主張と一致してゐるといふ苦しい言ひ譯を考へ出し、
つひに「容共」と看板を變へて、共産軍と手を握った。 >>62
>>63
>>64
>>65
そして、支那とソ聯との不可侵條約が結ばれたのであった。
言ひ換へれば、蔣介石は国民黨を共産黨に賣ってしまったのだ。
今日の重慶政權は、国民黨と共産黨の合作の政府といってよい。
抗日、侮日は、もとより日本の敵ではあるが、むしろ共産黨が眞の敵である。
これを撃滅しなければならぬことは言ふまでもないが、敵は、もう一つある。
蔣介石は、これまで、浙江財閥と緣を結んで、支那の国民政府(今は重慶政権)を支えてゐた。
浙江財閥といふのは、宋一家だ。
支那の国民政府の欧米派の巨頭であり、支那財政の一大勢力たる宋子文こそが、宋一家の代表的人物である。
蔣介石夫人宋美齢は、實は宋子文の妹である。彼女の姉が孔熙夫人といふわけだ。 >>66
宋一家には、不思議な欧米の財力が、よほど前から侵入してゐた。
これまで、支那の財界には、イギリスの資金が相當はいってゐた。
それが鐵道や、關税や、その他いろいろの利權を擔保として押へてゐた。
共産主義を以て下層勞働農民の階級をその支配下におくと共に、サッスン財閥の財力によって、
支那の權uをかたっぱしから手に入れて、骨までしゃぶらうといふ怪物の正體をあばき、
これを討滅せしめようといふのが今度の支那事變なのだ。
そこに始めて、東亞共榮圏の意義があるのである。 >>67
大戰の裏で北叟笑む惡魔
・・・昨年(昭和15年)の末から、アメリカの對英援助の强化にともなって、
太平洋方面に於ける英米の對日共同線なるものは、いよいよ具体化してきて、今や、カナダを始めとして、
濠洲、ニュージイランドを加へ、更に蘭印をも引き入れつつ、東南兩方面から、日本を包圍しようとする態勢を進めてゐるのである。
支那事變以來、北方ソ聯の對日陣は、支那に於ける抗日戰線の合作として强化されてゐたことも、
今更いふまでもなからう。
昨秋、皇軍の佛印進駐についで、タイ・佛印国境紛争事件に對して、日本がその調停に立ったとき、
日本の南進工作を阻止しようとして非常な妨害をしたものは、イギリスとアメリカであった。
英・米・蘭の軍事協定の成立はその一つである。
また英・米の援蔣强化、英蔣軍事同盟の締結は、その妨害の二である。 >>68
果せるかな、獨ソ開戰を見るや、ABC同盟(イギリス、アメリカ、重慶)なるものは、
更にソヴェートを抱き込まうとしてきたではないか。
イギリス軍の、タイ国包圍態勢に至っては、實に、對日包圍陣から、更に一歩を進めて、
日本に對する挑戦的意図を暴露したものと云はなければならぬ。
マレー水道を機雷原化し、濠洲よりシンガポール派兵が行はれてゐることは、
いよいよ以て世界大戰不可避といふ印象を深めつつあるばかりだ。
歐洲近代史は、いかにイギリスがヨーロッパ大陸に勢力を伸張したかを、明らかに物語ってゐる。
イギリスのヨーロッパ抑壓、否、世界制覇は、隠れもない事実であり、イギリスがドイツの膨張しようとするカイゼリズムに對して、
これをかたっぱしから叩きつぶさうとした所産であることは、多くの史家が既に認めてゐるところだ。 ゴーンを逃亡させた男の悪あがき
武富士時代のお友達に吉村がいる
>>69
東亞に於て、いつも厄介千萬な国は支那であった。
個人主義的で、利害打算以外には行動しないといふ支那人一流の遺伝的性格が、ユダヤ人と極めてよく似てゐる。
どんな手段を講じても、儲けさへすればよいといふ支那人と、国家を持たない国際的流浪の民ユダヤ人とは、共通した點が多い。
・・・共産軍―人民戰線が容易にひろがって、蔣介石政權が資本主義的資本家であり、
権力階級であるにもかかはらず、容共政策をとるやうになったのは、甚だ矛盾のやうであるが、
これは支那人の共産主義が偽せものであるやうに、蔣介石の防共政策なるものも、もともと相當インチキ性があったのだ。 糞みたいな検察はぶっ潰すべきだな
俺は未だにゴーンは無罪だったと確信している
>>70
>>71
何故、支那の共産主義が偽せものかといへば、かの共産黨が蔣介石を西安に幽閉したとき、
宋子文と宋美齢と、當時のイギリス大使とが救ひ出しに出かけたことを思ひ起して見ると判る。
無論、金で解決した。
張学良一派が共産軍と結んで、蔣介石を人質とし、ギャング式に一儲けしたのである。
支那の共産主義の偽せものである所以はそこだ。
敵将を引っつかまえて金にかへるなど、ギャングのする業だ。
彼らの云ふが如き、世界人類の幸福と安全を主張する思想的改造運動者のする仕事とは云へまい。
では何の必要があってイギリス大使が、さういった取引に顔を出さなければならなかったか?
いはば西安事件は、内的事件にすぎないから、外国の使臣が嘴を入れるべき筋合ひのものではないのである。 まぁあれは普通に違法だと思う
あれが許されたら否認の刑事弁護なんてやってられん
>>26
>>73
>>74
>>75
ところで、実際、蔣介石の内部工作にも、国民黨の三民政策にも、相當、インチキ性があって、
蔣の国策といふものは、明らかに不可思議な魔手によってなされてゐたことが暴露されたわけだ。
支那では、人民に對しては共産主義的人民戰線運動が魔手をのばしてゐたし、
政府に對しては国際的財政――秘密にして出所の不明な金が流れこんで、諸種の利権を奪ってゆかうとする魔手がのびてゐたのだ。
蔣介石政府が財政的に窮乏してゐるので、
イギリスのリースロスがやって來て、いろいろうまい條件で、金を貸すやうな工作をした。
支那の窮乏を眞に救済しようといふ深切心で金を貸すのなら、それがアメリカであらうとイギリスであらうと、
そんなことをツベコベ日本が言ふ必要はないのだが、支那が借りるところの金は、抗日侮日の資金であり、
支那をして支那事變にまで駆り立てた軍備に使ふ金であったのだから、日本として到底忍ぶことは出來なかったのだ。 >>76
>>78
ユダヤ系リースロスがサッスン財閥の金を引っぱって來て、支那にバラ撒いたものに外ならない。
かうしてバラ撒いた種は、抗日人民戰線運動の芽をふいて、支那全土に喰ひこみ、
枝葉は遂に支那全土を蔽ふやうなイラ草となり果てたのである。
粤漢鐵道は、漢口と廣東とを結ぶ大陸横断鐵道だ。
その長沙から分岐して、上海、杭州を結び、更に長沙から貴州、雲南へも枝をのばす鐵道が、
このサッスン財閥の金で着手せられたのである。 >>79
長沙から安源までしか行ってゐなかった鐵道は、支那事變当初に、安源、南昌間が急に開通して、杭州、上海まで貫通した。
武漢方面と廣東方面からの上海への大道が開かれたのは何の爲かといふと、
イギリスから送りこまれる武器彈藥を香港に陸揚げして、それを上海へ輸送するためだった。
わが海軍は支那海を封鎖してゐるが、堂々イギリスの旗を立てて香港に入る船は、
如何に敵の武器彈藥の軍需品を積んでゐやうが、日本は之を指をくはへて見×××わけには行かなかった。 もう暴かれ終わってる事なのに 何で未だに逃げ回ってんだろな
正式な謝罪をしたくないというハクジン&自称ユダヤ特有の病気のせいかね
>東京裁判は、国際法に則ったものではないことは、今や常識であるが・・・
ベン・ブルース・ブレイクニー弁護士は、東郷茂徳、梅津美治の弁護士を務め、
所詮A級戦犯は免罪であり事後法である事を主張する際、原爆投下を引き合いに出したことはよく知られる。
【 その部分に言及した途端、日本語通訳が切断され、日本の速記録にも「以下、通訳なし」としか記録されなかった‼ 】
>昭和21年1月10日、GHQの最高司令官ダグラス・マッカーサーは極東国際軍事裁判所設置を高らかに宣言。
ウェッブ裁判長が回答をはぐらかした東京裁判の真実・・・
>>81
「この裁判は、一体なんの法律に基づいて裁かれるのか?」
清瀬弁護士の陳述から5日後の5月17日午前、裁判長から回答があった。
「清瀬弁護人の申し立てを却下する。その理由は、将来宣明する」
こう回答してその場を切り抜け、裁判の進行を図った。
日本側弁護団はこの回答をまだか、まだか、と待ち続けた。
しかし、いつまで経っても回答はない。
そして何もなかったかのように2年6ヶ月が経過し・・・昭和23年11月4日の「判決言い渡し」を迎えたのであった。
結局、【 連合国側はこの裁判がどこの法律に基づいているのか、答えられず、曖昧にしたまま逃げたのである…! 】
つまり、この裁判は、最高責任者であるマッカーサーの、マッカーサーによる、マッカーサーのための「政治裁判」ということを意味していた >>82
>昭和26年5月3日から5日にかけて、アメリカ合衆国議会上院の軍事外交合同委員会で行われた、
米国の極東政策をめぐってのマッカーサー証言
「・・・彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が【安全保障の必要に迫られて】(自衛生存)のことだったのです。」
「日本の侵略」を裁くとして始まった東京裁判…
この裁判は、どこの国の裁判管轄にも属さずに、どこの国の法律にもよらずに、マッカーサーの権威で行われたもの。
しかし、その最高責任者であったマッカーサーが自ら「あれは日本の自衛・生存のためだった」と証言し、自らの過ちを認めたのである・・・ >>83
当時はまだ巣鴨プリズンに約800名のBC級戦犯が幽閉されていた頃、、、その中には無実の犠牲者も少なくありませんでした。
シベリアには戦犯≠ニいう名において、何十万という日本人が鉄鎖につながれ、重労働にあえいでいました。
【 祖国のために戦った、私たちの直接のおじいさんたち 】 が…です。
不当に虐げられたこれらの人々は、本当に戦犯と呼ばれるべき人だったのでしょうか?
そしてその家族は、ただでさえあの敗戦直後の焼け野原で貧しい生活を送っていた中・・・
権力追随の事大主義的ジャーナリズムは、その家族に追い打ちをかけるように耐え難い屈辱と悲惨な生活を強いました。
(※犯罪GHQによる占領政策によって「公職追放」「言論統制」等が強制され、戦後日本を守る人々が虐げられ追放されている) ●東京裁判で日本側弁護人を務めたアメリカ人、ウィリアム・ローガンの冒頭陳述…
「欧米諸国は日本の権利を完全に無視して無謀な経済的立法を行ったこと。
また、真珠湾に先立つ数年間、故意に且つ計画的に、
しかして共謀的に日本に対して経済的・軍事的圧力を加え、
しかもその結果が戦争になることは十分に承知しており、そう言明しながら彼らが右の行動をとったという事実がある。・・・
《諸君!2002/2月号》
●ロス在住のアメリカ人弁護士…
「1941年8月による対日石油禁輸の決定は、国際法上の戦争に当たる行為であり、
同年12月の真珠湾攻撃は防衛的な性格のものであるはずだ。
このことを日本人はなぜもっと主張しないのか。不思議に思っている」。
《藤岡信勝 湊川栄太 「歴史の本音」
●アメリカは1938年7月から、日本に対して経済的な抑圧策を取り始めた。
そして、その翌年の7月26日に対日通商条約を一方的に廃棄し、日本に苛酷な経済的重圧を加えてきた。
東京裁判の検察側は、対日経済封鎖に対して
「たんに軍事的補給品の減少のみを目的としたもの」と言い逃れているが、弁護人側はこれを反駁し、
封鎖はあらゆる種類の民需品に及び、通商、さらには食糧にさえ影響を与えたとして数字的にこれを検証し、
多くの動かし難い記録や証拠を提出した。
東京裁判のパール判事…
「禁輸が有効になったときの品目ならびにその日付を一瞥しただけでも、この措置が、
民間人の生活にも、どれほどまでの影響を及ぼしたかが明らかになるであろう。
疑いもなく、これらの品目の多くは、日本の民間人の生活にとって、絶対に必要であった」
石油を禁止した途端に戦争になるであろうということは、アメリカの政治家や評論家・軍人の間の常識となっていた。
しかるに、彼らはあえてその石油禁輸を断行したのである。
《田中正明 「パール判事の日本無罪論」
>東京裁判判決「日本側に全然誠意がなかった」「一歩も譲らずに戦争準備の時間を稼いだ」
●アメリカ歴史学会会長、チャールズ・ビアード博士は、
著書『ルーズベルトの責任』でルーズベルトには日米開戦の責任があると明確にした。
たとえば、1941年11月26日にハル国務長官が日本に首肯した10項目の要求、通称「ハルノート」についてこう書いた。
「1900年以来、アメリカのとったいかなる対日外交手段に比べても先例をみない程強硬な要求であり、
どんなに極端な帝国主義者であろうと、こうした方針を日本との外交政策に採用しなかった」
ビアードは野村吉三郎駐米大使や来栖三郎特使が日米戦争回避の道を探り、
暫定措置を決めて、そこから本交渉に入ろうと懇願しても、ハルは相手にしなかったと、
公表された政府資料、報道などを入念に分析して、詳述している
物によって押収は拒絶できるけど捜索はオーケーでしょ
本文見る限り捜索を拒んだけど裏口を解錠されて捜索されたってだけたけど
>>87
ハーバート・フーバー大統領の『裏切られた自由』は、ビアードとは異なる情報源によるものだが、
開戦の責任はルーズベルトらにあると、同じ結論に達している。同書には生々しい会話が頻繁に登場する。
たとえばハルノートを日本に手交する前日、11月25日に、ルーズベルトは
ハル国務長官、スチムソン陸軍長官、ノックス海軍長官らを招集した。
その会議でルーズベルは
「問題は、いかにして彼ら(日本)を、最初の一発を撃つ立場に追い込むかである。
それによって我々が重大な危険に晒されることがあってはならないが」と語っていた。
11月28日の作戦会議では、日本に突き付けた10項目の条件についてハル自身がこう述べていた。
「日本との間で合意に達する可能性は現実的に見ればゼロである」。日本が絶対にのめない条件を突きつけたのだ。
《櫻井よしこ 週刊新潮2018年1月18日》 ●東京裁判での開戦の最後通牒の問題について、ブレークニー弁護人はこう切り込んだ。
「12月7日の日本の通牒(ハルノート)は、宣戦布告でもなければ最後通牒でもないと言うが、
ルーズベルト大統領は『これは戦争を意味する』とは言わなかったか」。
そしてアメリカ国務省から来た証人、つまりアメリカの立場を代表する人物であるバランタインから
「そういうことを聞いたことがある」という証言を引き出す。
バランタインは弁護人の追及がうまかったためしばしば答えに詰まり、結局、自分個人の意見という形で逃げてしまう。
もちろん、個人の意見では証言としての力がなくなってしまうことは言うまでもない。
《渡部昇一 「『東京裁判』を裁判する」
●東京裁判のパール判事…
「国際法の基本原則によれば、もし一国が、武力紛争の一方の当事国に対して、
武器・軍需品の積み出しを禁止し、他の当事国に対して、その積み出しを許容するとすれば、
その国は必然的に、この紛争に軍事干渉をすることになるものであり、
宣戦の有無にかかわらず、戦争の当事国となるのである」。
「中立義務」というのは、国際法にも明記されている非常に重要な条項である。
日中事変が起こって以降、米英は交戦国である日中両国に対して中立国としての義務を守ったか。
1945年12月、上下両院合同調査委員会で、
参謀総長マーシャル大将は共和党H・ファーガソン上院議員に次のことを認めた。
「アメリカ軍は、日米開戦の前、すでにフライング・タイガー社の社員に偽装して中国に行き、戦闘行為に従事していた」。
なお、1991年、米国防総省は、右民間義勇軍259名を正規兵であったことを認めた。(91年7月8日読売新聞夕刊)
《田中正明 「パール判事の日本無罪論」
●アメリカは日中戦争中、現役の空軍パイロットを義勇軍と称して、飛行機ごと中国に寄贈した。(フライング・タイガー隊)
《高山正之 週刊文春》
●当時中国にはアメリカの軍事顧問団に加え、約2千人の米人義勇団がいた。これは中立国としては絶対に許されない行為である。
《渡部昇一 小室直樹 「封印の昭和史―戦後50年自虐の終焉」》
●アメリカ南カロライナ大学のロバート・トンプソン教授…
「旧日本軍による真珠湾攻撃の1年前から、米国が当時の蒋介石国民党政権に多数の爆撃機を供与し、
工業地帯を中心に日本空爆をひそかに計画していた」
《毎日新聞 1991/12/7
昭和21年1946年10月8日 一週間しか参戦していないソ連の主張に注目が集まった。
ソ連代表のゴルンスキー検事の冒頭陳述は英文65ページにのぼり
キーナン首席検事の冒頭陳述をも上回る長さで、朗読に1時間半もかかった。
しかし、その内容は饒舌で、冒頭陳述としては迫力に欠けるものだった。
おまけに 1904年に起きた日露戦争から1945年8月にいたる
「ソ連に対する日本の侵略」を立証するとして、明らかに起訴状が言及する期間(1928年〜1945年)を逸脱したものだった。
起訴状が限定した機関に起きた日ソ紛争といえば
張鼓峰事件とノモンハン事件の二つであるが、この二つの事件にしても
当時、日ソ間で協定が結ばれて解決済みの問題である。
>>93
どうやらソ連は、日ソ中立条約がまだ生きている1945年8月9日に、
突如日本に宣戦布告した自らの『条約違反』を何とかもみ消そうとしていたのかもしれない。
当然のことながら、ブレイクニー弁護人らから異議申し立てが出された。
「陳述は結論的、理論的、推論的、扇動的で、具体的事実を述べていない。」
「この陳述は、当時なお有効であった日ソ中立条約を侵犯して
日本に宣戦布告をしたことに対して、自分の立場を正当化しようとして議論しているに過ぎない。」 1946年8月16日
満州国皇帝の愛清覚羅溥儀が注目される証人として、8月16日から8月27日まで証人席に座った。
終戦の翌々日1945年8月17日、溥儀一行は日本に脱出しようと
奉天(現在瀋陽)飛行場で乗り換え機を待っている時、突如進駐してきたソ連軍に捕らえられ
ハバロフスク郊外で抑留生活を送っていたが、東京裁判の検察側証人として空路、東京にやってきた。
常にソ連の官憲が溥儀を監視していた。
東京裁判に証人として召喚された溥儀は、もっぱらソ連から言われたとおりに証言し、
すべては日本の軍閥の仕業であり、自分はまったくの傀儡にすぎなかったという答弁に終始したのである。
満州事変当時、溥儀が陸相南次郎大将に宛てた親書の中で、
満州国皇帝として復位し、龍座に座することを希望すると書いていたという事実を突きつけられても、
溥儀はそれを偽造だと言って撥ねつけたのだった。
A級戦犯として起訴され、有罪判決を受けた重光葵は
「私がモスクワで見た政治的の軍事裁判と、何等異るなき独裁刑である」と評している。
白人コンプレックスには、同情しないわけでもないが、
ゴーン氏こそ、白人でさえないわけなんだが?
明らかに国策捜だったからな。
謀反人明智光秀こと西川が日産を、つまらないダメ会社にしただけ。
>>22
私は逃亡する事を知らなかったし最後まで付き合いますってこと ゴーンはフランスで訴えられとるが
こいつは何勘違いしてるんだ
>>1 ロ十●女末、顧問を頼んでた。レンタル衣装と言うな!ブログで警告してた。K姉妹=デ*ブログ?飼い猫プリンス〜PRINCE急逝/ボクサーと写真〜敗戦/DHCの宣伝〜社長の発言炎上 逃亡を幇助した米国人とゴーンが
弁護士事務所で面会してたんだっけ?
上級による上級有利のの法律なんて作ってるから負けるんやで
>>1
やるだけ無駄
この国は完全なる司法国家ではなく、都合の良いことのみの司法国家 >>56
どんな屁理屈を付けででも依頼人を守るのが弁護士だからなぁ
有る意味優秀だよ
一般人からしたら胸糞案件だけど アベには手も足も出ない東京地検特捜部がなんだって?
ゴーンの逃亡に加担した罪は?
こいつらがきちんと監視するからって条件で保釈されたんだよな
ゴーンを逃した代償として代わりに責任とって差し押さえ資産分ぐらいは支払ってから発言してくれ
結果が全てを物語っている
この人が弁護人として出てくる案件は、すごく隠したい秘密があるんだろうなと思ってしまう。
>>6
検察にしてみれば負けだからな。
そりゃ嫌がらせはするよ。
弱い者には強く、強い者にはとことん弱い。
それが日本の検察だ。 >>132
勝訴請負人だからな。
ゴーンの件にしても負けたわけじゃない。 >>1
Λ,,,Λ
(ミ・ω・)当然中の当然
Λ,,,Λ
(ミ・ω・)凶悪犯の創価ニシカワを放置して
Λ,,,Λ
(ミ・ω・)ゴンを逮捕とか、キチガイだろ
Λ,,,Λ
(ミ・ω・)バカ安倍の仲間の凶悪犯罪は全部無罪にして
Λ,,,Λ
(ミ・ω・)無罪の人間を冤罪で逮捕する税金泥棒の東京地検
Λ,,,Λ
(ミ・ω・)さっさと解体しろや 特捜解体してくんねえかな
何も期待してないし とりあえず捜査とか、なんにもしなくていいから
せめて犯罪を捏造するのだけはいい加減やめて欲しい
もう75歳だろ、この弁護士
先がないのに何をしようとしているのか分からん
>>126
はなっから逃亡してもいいって
感じじゃん、発言が。
助けてはいないかも知れんが、
防ぐ気はなかったと思うよ。
有罪にされるより逃亡してくれたほうが、
弁護士としては優秀なんじゃない?
被告人が有利になるように働いたんだから。
つまり、出し抜かれた検察が悪い。 礼状が出てれば拒否できないだろw
本当に弁護しか?
今振り替えるとカルロスゴーンは正しかったんだな
安倍の国にいたらどんな罪でっちあげられるかこわすぎ
逃亡幇助したあげくに国を訴えて金も貰おうとか反日左翼ここに極まれりだな。無期懲役にでもしてやれ
法律がまだ整備されてないから悪いことしていいわけじゃないし
キャロルに目の前で小便させた検察
米FOXが野蛮というのも無理はない
押収拒絶ができるだけで家宅捜索自体は合法なんじゃないの
令状が無いと出来ないよね?
それじゃあ、令状出した裁判所が悪くなるのでは?
企業はゴーイングコンサーンを目指すのが宿命なので、
あくまで企業利益は、
製品サービス力やアフターケアも含めた営業力で叩き出すべき。
ところがゴーンが日産でやったことといえば、
製品開発費や営業経費(人件費も含む)、購買費を削って、
BSやPLといった机上の数値を修正しただけ。
結果、企業力そのものが損なわれてしまい、
ゴーン就任時は売上高はトヨタ並にあったが、
今やホンダに抜かれるまでに凋落する始末(苦笑)
そんな逆境の中でも日産は、
電気自動車技術や自動運転システムを世界トップクラスに押し上げた。
すると今度はゴーンは、それらをルノーに譲渡しろと、と(怒り)
しかも!
ルノー・サムスンを通じて日産の先端技術が姦酷へ流出する恐れもあった!
(尚、フランス政府の持ち株比率を15%から19・7%に上げた時、
ゴーンが猛反対したのは、
政府介入が強まると自分の悪事がバレるからだった)
まー、実際に陸山会事件で検察が
虚偽の捜査報告書つくったからな。
クビになったのにまだやってるのか
プライドの高い老人は、引き際を知らんな