0001首都圏の虎 ★
2020/01/19(日) 16:37:25.68ID:qhdwiUBu9メアリー・ジーン・アイゼンハワーさん、メリル・アイゼンハワー・アトウォーターさん、ご来賓の皆さま。本日、日米安全保障条約調印60周年の、よき日を迎えました。
メアリーさん、私たちの祖父はゴルフで友情を育てました。1957年の6月、ところはベセスダのバーニング・ツリー・クラブです。
戦争が終わって、まだ12年しかたっていませんでした。日本の首相はワシントンまではるばるやってきて、一体どんなゴルフをするのかと、大勢の記者たちはじめ、みな興味津々だったと、のちに祖父は私にそう話しました。
「最初の一打に、日本の名誉がかかっている」。そう思うと、手に汗がにじんだそうです。ところが、それまでのゴルフ人生で最も緊張して放った一打は「生涯、最高のショットになった」と、祖父は自慢げに私に話していました。
どよめいた観衆は次の瞬間、盛大に拍手をした。「アメリカ人はフェアだ」とも思ったそうであります。
岸信介は、日本の首相としてアメリカの大統領とゴルフをした最初の人物でした。2番目はといいますと…、私でありまして。
私はもう4回、トランプ大統領とゴルフをともにしました。これも日米同盟深化の証拠であろうと、口にはいたしません、心で思っているだけでありますが…、スコアは国家機密にしておくという約束になっております。
ともあれ、アイゼンハワー、そして岸のふたりがバーニング・ツリーでつちかった友情は、2年半の熟成を経て、新しい安保条約となって実を結ぶのであります。
1960年1月19日午後2時40分、大統領と首相をはじめたくさんの人が埋めたホワイトハウスの「イースト・ルーム」で調印式は始まりました。
先立つランチで乾杯に立ったとき、「こんな集まりは、本当ならゴルフ・コースでやるともっと成果が上がるんだ」と言って首相の頬を緩めさせた大統領は調印式に臨むと、真剣にこう切り出します。「この条約は、不滅である」−。
その通りでした。いまや日米安保条約は、いつの時代にもまして不滅の柱。アジアとインド・太平洋、世界の平和を守り、繁栄を保証する不動の柱です。
同盟強化の努力を日夜続けた人々に深い感謝をささげます。
アジアの平和に身命を賭(と)した無数の、無名のアメリカ人兵士たちに。地震と津波が日本を襲ったときに、被害者と涙をともにしてくれた米軍の将卒に。
歴代自衛隊員を含む、同盟の充実に労を惜しまなかった日米すべてのアンサング・ヒーローズ、名もなき英雄たちに。
彼らの払った努力と犠牲が、われわれを平和にし、繁栄させました。同盟をつなぐ信頼を不抜にしたのです。
歴史の配剤の妙でしょう。調印からさかのぼること1世紀の1860年。日本が初めて送り出した外交団は、ところも同じ「イースト・ルーム」で時のブキャナン大統領に会い、信任状を渡しています。日米関係の始まりでした。
それから100年。岸首相はアイゼンハワー大統領とあいともに、世紀の節目に立ち会いました。「これから始まる新たな100年、両国に、さらなる信頼と協力あれ」と、岸はあいさつで念じています。
いま、当時の祖父と同じ年齢に達した私は同じ誓いをささげようと思います。
私たちは、日米を互いに守り合う関係に高めました。日米同盟に一層の力を与えました。これからは、宇宙、サイバースペースの安全、平和を守る柱として、同盟を充実させる責任が私たちにはあります。
60年、100年先まで、自由と民主主義、人権、法の支配を守る柱、世界を支える柱として、日米同盟を堅牢(けんろう)に守り、強くしていこうではありませんか。
100年先を望み見た指導者たちが命を与えた日米同盟は、その始まりから「希望の同盟」です。私たちが歩むべき道は、ただ一筋。
希望の同盟の、その希望の光をもっと輝かせることです。
ありがとうございました。
1/19(日) 14:56配信
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