

船橋市で発掘調査が進む取掛(とりかけ)西貝塚西側で、縄文時代早期前半(約一万年前)と縄文前期(約六千年前)、弥生時代中期(約二千百年前)の竪穴住居跡が見つかった。同遺跡で市と市教育委員会は、市内初の国史跡指定を目指している。二十日には報道機関向けの現地説明会があり、市教委は「一帯は大規模集落だったことが確認された」とした上で、「貝塚を伴う約一万年前の縄文遺跡では全国最大級」と話している。 (保母哲)
取掛西貝塚で市は昨年度から本格的な学術調査に着手しており、本年度は六月から西側約三万平方メートルで発掘調査を進めている。市教委によると、約一万年前には東西約五百メートルの台地に集落跡が大規模に広がっていたとみられる。
今回調査した西側からは、縄文早期前半が七軒、縄文前期が三軒、弥生中期が六軒の竪穴住居跡が出土した。これまでに海水と川の水とが混じり合う汽水域に生息するヤマトシジミが主体の貝層が、縄文早期前半の地層から見つかっている。今回は、縄文前期の地層から海水域に生息するハイガイやハマグリなども見つかった。このため市教委埋蔵文化財調査事務所は「約一万年前から約六千年前に起きた環境変動を示す遺構としても重要」と説明。弥生中期の住居跡からは、多数の土器も発見された。
この遺跡では当時の植物の状況などを探るため、植物の種や果実が土器にくぼみとして残る「種実圧痕調査」も実施。市教委は、その時代の植物の利用方法や植生を復元できる可能性があるとみている。
都市化が進む船橋市で、こうした貴重な遺跡が残ったことに、同事務所の石坂雅樹所長は「まさに奇跡的」と指摘する。標高二三メートル前後の高台の台地にあり、これまでほぼ葉物野菜中心の栽培が行われてきたため、開発の手が伸びなかったのが要因という。
この土地で約一万年前から集落が形成された理由は、(1)汽水域が近く、川の魚も捕れた(2)食用となる野生動物がいた(3)湧水があった−などを挙げる。
昨年度からの調査は三年間の予定で、本年度の発掘は今月末まで。来年度は補充調査を行い、国史跡に向けて二〇二〇年度に総括報告書を文化庁へ提出。その後、文化審議会に諮問されることになっている。仮に国史跡に指定されれば、船橋市は一帯に公園を整備する方針を示している。
<取掛西貝塚> 船橋市中央部の飯山満(はさま)町から米ケ崎町の台地にある遺跡。面積は約7万6000平方メートル。1999年から第1次調査が行われ、2008年からの第5次調査ではイノシシ7体とシカ3体の頭骨が配置された「動物儀礼跡」が出土した。国内では5遺跡6例目となり、最古の儀礼跡と分かった。
東京新聞 2018年9月21日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201809/CK2018092102000134.html