福岡市東区の志賀島で発見されたと伝わる国宝の金印「漢委奴国王」の製作を再現する実験が始まった。取り組むのは「九州鋳金研究会」に所属する鋳造技術や考古学などの専門家たち。古代の金印がどのように作られたのか、いまだ詳しいことが分かっていない謎の解明への挑戦だ。
3月末、福岡県宗像市にある福岡教育大の鋳造室。九州鋳金研究会会長で、鋳金が専門の宮田洋平教授(58)が溶解炉を熱していた。地金を溶かす「るつぼ」が炉内にある。木炭を炉に入れると、火の粉が高く舞い上がり、真っ赤な炎は勢いを増した。
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」への金印の登録を目指すNPO法人「志賀島歴史研究会」(福岡市東区)の要請を受け、九州鋳金研究会は金印の製作技術の研究を始めた。
昔の官印に関する文献を踏まえて工法を検討し、古代中国でも行われた蝋(ろう)型鋳造法を採用。金属を溶かす熱源は、現代ではコークスを用いるのが一般的だが、当時の工法に近づくため、木炭を使うことにした。
鋳型は、宗像市の鋳物師、遠藤喜代志さん(68)が製作。福岡市博物館にある金印のレプリカを参考に、蜜蝋と樹脂を混ぜて原型を作った。実物よりわずかに大きくしたのは、後で加工するためだ。
□ □
歴史研究会のメンバーや福岡市博物館の学芸員など合わせて約30人が見守る中、実験が進む。
火入れから約1時間。炉内の温度が千度を超えると、地金をるつぼの中へ投入した。金の含有率は実物と同じ。湯口まで満たすため、地金は実物よりも約90グラム重い。
15分ほどで地金が溶けた。炉内の温度は1188度に達していた。地金を鋳型に流し入れると、オレンジ色の液体は急速に赤みを失って固まった。
さらに1時間後。宮田教授が冷ました鋳型を木づちで割ると、砂まみれの金印が現れた。しかし…。
「残念ながら失敗です」と宮田教授。金印の印台の一部が欠けていた。
宮田教授によると、熱源に使い慣れていない木炭を使ったことで、地金が十分に溶解せず、湯口に近い部分まで行き渡らなかったようだ。
当初は金印を鋳造後に印面に篆刻(てんこく)する予定だったが、その手法を含めて製作法を再検討し、実験は原型作りからやり直すことになった。ただ、古代の技術解明のためには、失敗を追体験することも大切なことかもしれない。
九州鋳金研究会は、志賀島歴史研究会が10月に開く金印シンポジウムで一連の研究成果を報告する予定。歴史研究会理事の岡本顕実さん(74)は「金印を技術的に検証し、製作法が明らかになれば、世界の記憶登録への追い風になる」と期待を寄せている。
【ワードBOX】国宝金印「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」
江戸時代、志賀島で農民が発見したと伝わる。古代中国の史書「後漢書」に、後漢の光武帝が57年、福岡平野にあった奴国の王に印綬を与えたと記され、「漢委奴国王」と刻まれた金印のことだとされるが、偽物説もある。一辺2.3センチ。重さ108グラム、金の含有率95%。福岡市博物館所蔵。
金印の製作を再現する九州鋳金研究会のメンバーたち=3月30日、福岡県宗像市
溶かした金を鋳型に流し込むと、あっという間に固まった
九州鋳金研究会が作った金印。湯口に近い部分が欠けている
関連過去スレ
【歴史】国宝「金印」は本物? 後世のニセモノでは、との声が後を絶たず[朝日新聞]
https://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1508837001/
2018年04月17日 17時00分
西日本新聞
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/409269/ 刀鍛冶ならいざ知らす 今はコークスを使わないだろ
高周波溶解炉のはずだぜ
>熱源に使い慣れていない木炭を使ったことで、地金が十分に溶解せず
当時の職人は木炭がデフォだったのならノウハウもあったんじゃね?
>世界の記憶登録へ
へぇ、2000年前だものなぁ。
登録騒ぎ起こしてもいいな。喧伝は南韓国がやるだろうし。
きんいんきんいんきんいんきんいんきんいんきんいんきんいんきん
古代の金印じゃないよ(笑)江戸時代後期の彫金師が造ったんだよ。
>>15
発見当時の人が作ることができないって話を覆せてないんだな
覆せないと捏造説の根本が成り立たん 鋳型を温めてないからだよ、入れる先から冷めていくからね、
まだ贋作とか大昔の俗説信じてる奴がいるのか。
考古学が20世紀以降の大陸の出土品からはじめて知りえた特徴を
矛盾なくそなえてるものを江戸時代に出し抜けに一個だけ作れるわけがない。
温度管理ができてないだけじゃん
謎も何も技量が不足しすぎ
いやそもそも江戸時代の腕のいい彫金職人が作ってるフェイクだから。
古代技術では無理だよ。
ちなみに他の中国の本物の金印らと印面の鮮明さや造形を比べてみなよ。
明らかに近世の偽物って解るから(本物は現代人から見ると素朴である)
>>20
こういう「証明」を発行してたんだから、鋳造は一度や二度ではないよね 卑弥呼の金印ゴッドハンドが掘り出すための第一歩だと思う
福岡が早いか奈良纒向が早いか
>>11
倭寇に略奪された物だから返還しる!とか言いそw >>1
要らないから棄てたのに、わざわざ復元とかよほど支那の下僕に成りたいようだなw とりあえず金印贋作説がまるっきり根も葉も無いデタラメなのが丸わかりでんがなまんがな
>>22
古代支那の技術の高さが知れ渡るね。
支那人にとっても結構な事だろ。 金印贋作説を垂れ流してるウソつき野郎が、
どの程度のウソつき野郎なのか丸わかりでんがなまんがな。
おっと、それは拙者のインキンでござるよポリポリ
>>18
∧_,,_∧ .・(U) ボ
( ゙゚'Д゚')∴;∵ヽ('∀' ) ン
⊂|、, つ.;.;.;’ ヂ
((, |・," /
| | ノ ッ
(.(_)
(U) 金印の再現に失敗しました!
( '∀')ノ 熱意が足りなかったようです! 金印がどうやって作られたのか、現代科学でも今もって分からないあーだこーだって状態なのに、
「金印は江戸時代の贋作キリピカ」ってやってんだよ。
どのくらいのうそつき野郎か良く分かるだろウソつき野郎どもwwwww
本物かはともかく出自は怪しいね
長年土中に有った割には傷や変形が少ない
本物だったとしても長年箱の中で大事に保管されてたのでは?
発見からそう遠くない頃に何らかの理由で埋められたのでは?
金印がどうやって作られたのか、
現代科学でも今もって分からないあーだこーだって状態なのに、
「金印は江戸時代の贋作キリピカ」
ってやってんだよ。
どのくらいのうそつき野郎か良く分かるだろ
ウソつき野郎どもwwwww
中国にやり方習えよ
今でもその時と同じ手法でやってるだろうから
この前、福岡市立博物館で見てきたけど、
意外に小さいのな、あれ
もっと大きいものだと思ってた。
江戸時代に贋作を作る意味も無いしなぁ
江戸時代の人も漢の時代のことなんかよく知らなかっただろうし
偽物作るならやっぱ秦やろ!
始皇帝がくれた金印の方が価値がある
>>45
温泉に入るとか日本猿にもロマンはあるけど、
ロマンを求めないのは猿以下だろ w 江戸時代の飾り職人が作ったんだから、藩庫でも調べりゃ製法書いた書付くらい出て来るだろう
古代中国? 馬鹿かw
金印がどうやって作られたのか、
現代科学でも今もって分からないあーだこーだって状態なのに、
「金印は江戸時代の贋作キリピカ」
ってやってんだよ。
どのくらいのうそつき野郎か良く分かるだろ
ウソつき野郎どもwwwww
>>44
畿内の古墳から出ている銅鏡と同じ石棺構造だろ。 何故に漢の萎(イorリ)の奴隷国王が、倭国のことといいはれるのかが不思議
江戸時代は初期過ぎると国学がブームになってくるから
日本の成り立ちも関心が持たれる頃
当然中国の日本に関する文献もよく読まれる
贋作も根拠なしではないのがややこしい
>>57
漢の時代は倭と委がほぼ同じ発音だったんだろ
(金印とほぼ同時代の説文解字つう辞書には、倭の説明のとこに委声、とある)
だから金印に倭ではなく委を使われたのかも 本物かどうかは別にして極めて怪しいのは事実だろう
黒田藩も危険を感じたのか門外不出とし明治になって公開された
近年他の金印(本物)との比較で日本では当時分からないはずの意匠や造形であったことが知られ
本物説が主流であるが
本物を模したフェイクである可能性もあるだろう
ちなみに蛇の意匠は誤りで本当は駱駝の意匠が崩れたものではないかとの見解も最近出ている
言われてみればどうみても蛇ではない
金印がどうやって作られたのか、
現代科学でも今もって分からないあーだこーだって状態なのに、
「金印は江戸時代の贋作キリピカ」
ってやってんだよ。
どのくらいのうそつき野郎か良く分かるだろ
ウソつき野郎どもwwwww
では本物を模したフェイクあるいは江戸の職人が本物を造形し直したという見方はできないだろうか
それは印面の文字が誤りである点、蛇の意匠が打ち直し(本来は駱駝であったはず)である点
からもどうも本物をかなりいじっている可能性は否めない
そうする理由は、本物の金印の位置づけを、発見者に有利に変えたいからであろう
そこで発見者である或る無名の国学者が問題になってくる。
>>61
石板で囲んでありその中に金印があた
伝承によれば 前漢の滇王之印は蛇紐で、漢倭奴国王印とほぼ同じ時代の廣陵王爾は
亀紐だが意匠は似てる(どちらもデザインとして円形の掘り込みあり)
サイズも大体近い。偽造ってのは考えにくいかも
>>21
江戸時代には中国古印が美術品収集の一分野として確立していた上にいろいろな印譜が流通していた
当時の篆刻家が漢印の特徴を知らなかったわけがない なぜか 畑に捨てられてたって聞いたことあるんだけど
中国の奴隷の国って意味だよね
ジャップ哀れw
そんなものが国宝だなんて
奴隷献上しただけで金が貰えるなら
奴隷を万人単位で献上してるのでは
>>68
江戸時代に流布してた印綬のサイズはまちまちで、漢の時代の一寸のサイズは判ってなかった
印綬の紐の部分のデザインについては、残ってる記録ではラクダか亀、っていう記述しかなく、蛇が無い
(ただ滇王之印から、蛇紐があったのは確実)
倭にしても、贋作ならわざわざ委にする理由も恐らく無いし
紐のデザインについても、江戸時代じゃ判らない
ほぼ同時代の廣陵王爾は1981年発見だし、紐の動物に小さな丸を入れるようなデザインがあったなんて
江戸時代には判らない
確実に本物だと断定は出来ないが、本物の可能性は結構高いんでは、と思う 型に流し込んであと加工で仕上げるより、最初っから削り出しで作った方がよくね?
>>47
無理無理
あそこは王朝変わるたびに技術全部失ってて何も持ってない上に共産党がとどめさしてるからな
耀変天目茶碗なんか絵の具で模様書いてる有様 その方法が当時の技術なのかどうやって実証するんだ?
>>72
日本全体じゃなくて日本のうちの小さな一地域だから
金印がどうやって作られたのか、
現代科学でも今もって分からないあーだこーだって状態なのに、
「金印は江戸時代の贋作キリピカ」
ってやってんだよ。
どのくらいのうそつき野郎か良く分かるだろ
ウソつき野郎どもwwwww
新日鉄とかなら木炭使って簡単に作れるんじゃないの?
>>82 えーでも江戸時代の職人は木炭の扱いに慣れてたんじゃねw?コークス明治時代からだし 失敗したんかいw
つかこれ実物ビックリするくらい小さいよな
「え?マジでこれなの?」って絶対に思う
無知すぎてごめん
一応大事なものなんでしょ?なんでこの島から出てきたの?
政治の中心地だったの?
>>90
不明
出土位置も多分嘘で記録におかしな点が多い
そこは弥生時代にはラグーンでそもそも埋められない
ただ物自体は本物 >>41 奴→ナ=那 で諸那邦(稲作倭人邦)の内のどれかが漢に恭順を示したに過ぎないと思うけどね
何でイコール邪馬台国までトリップできるのかオレには云う連中の頭の仕組みを能く理解できない 福岡にあった国(奴国?)が何か理由があって志賀島に隠したのかもだし
口伝だと糸島半島にある細石神社から盗まれた、て話も
細石神社のすぐ傍には伊都国の王墓があり、細石神社はその拝所だったという話も
今の細石神社は小さな村の神社、て感じだけど
まあ実際は判らんけど
>>24
佐渡でざくざく取れてた日本産の金で作ったて聞いたわ 1回でこのレベルが出来たんなら。
10個作れば1つくらい完成品は出来るだろ。
>>88
江戸時代の職人は鎌倉時代の刀を再現できなかったからな
失われた技術の再現てのは実際のところ難しい >>88
金印がどうやって作られたのか、
現代科学でも今もって分からないあーだこーだって状態なのに、
「金印は江戸時代の贋作キリピカ」
ってやってんだよ。
どのくらいのうそつき野郎か良く分かるだろ
ウソつき野郎どもwwwww
つかUMAとかでよくやるペテン手法だよなw
「現代の科学でも再現できない」
とか言う言い回し
正確に言うと
「現代では既にそんな古臭い方法使ってないからその方法使えない」ってだけ
まるで現代科学を超える超技術で作られたかのように言いふらすから笑える
金印はオーパーツなのか?
教科書とかに載ると無批判で信じちゃうからな
まぁどっちでもいいけど
>>102
ペテン乙
金印がどうやって作られたのか、
現代科学でも今もって分からないあーだこーだって状態なのに、
「金印は江戸時代の贋作キリピカ」
ってやってんだよ。
どのくらいのうそつき野郎か良く分かるだろ
ウソつき野郎どもwwwww
>>103
金印がどうやって作られたのか、
現代科学でも今もって分からないあーだこーだって状態なのに、
「金印は江戸時代の贋作キリピカ」
ってやってんだよ。
どのくらいのうそつき野郎か良く分かるだろ
ウソつき野郎どもwwwww
別にオーパーツでも何でもない
もう使ってない技術で再現しようとしたから失敗しただけ
それ以前に金印自体に色々と疑いがある
いわくつきの遺物
>>44
これに尽きる
こんな超貴重品である金の塊が畑に埋まってたとかウソやん
ファンタジーもファンタジーで現実離れもいいとこ 江戸時代の技法で作ればいいじゃん
その時代に作られたんだから
>>109
金印がどうやって作られたのか、
現代科学でも今もって分からないあーだこーだって状態なのに、
「金印は江戸時代の贋作キリピカ」
ってやってんだよ。
どのくらいのうそつき野郎か良く分かるだろ
ウソつき野郎どもwwwww
中国で言えば三国志の時代だろう
あんな印鑑ぐらい普通に出来て当たり前に思える
なんで畑から出土したっていう設定にしちゃったのか逆に不思議だ
そうしないことには金印の由来や経歴を示す資料を用意する必要があるからかなぁ
でも資料の捏造は難しいよなぁとなると、畑に行き着く可能性大
遺跡から他の遺物と一緒に発掘されたのならともかくも、
これ一個だけがポツリと田んぼから見つかったという状況が怪しすぎる
出土したとされる地点が嘘なだけで、本当の出土場所は志賀島の別の場所の可能性が高い
記録を見ると志賀島の別の場所に合致する
なんでワザワザ位置変えて報告したのかは謎
300年前に俺が作ったときは丸い塊から削り出して
後で泥にくるんで焼いて削った後消したんだけど
何で鋳物にされてんの?
日本刀も平安とか鎌倉あたりの刀は再現出来ないとか聞いたことがある。
でも実は当時の技術云々ではなくて、年数が経ったことで何かしらの変化が鋼の中で起きてるだけなんじゃねーの?と言うのは言うと殺されるらしい。
金印は、学研の科学と学習の付録についてたな。
金じゃなくてプラスチック製だったけど・・・。
ほんとだ、惜しいな〜 十分な温度になるよう長めにくべて何個も作るの繰り返せば1つぐらい出来上がる
昔も1つを一発で完璧に作ったわけじゃないのかも
こういうものは当時の人間国宝みたいなとっても優れた職人が手間隙かけて丹念に作ってんだろうから
作ったことないニワカが一度で成功するのはなかなかないんじゃないかな
といつも思う
科学はいろいろ覚えてるけど、
学習の付録で覚えてる数少ない付録。
サイズを知るよしがない
持ち手のデザインを知るよしがない
倭を委にしたのはなぜ?
とまあ
後世贋作説は詰んでる
>>115
江戸時代当時の農民には発掘とか貴重なものという概念はないだろうから
土器がごろごろ出てきても邪魔物という認識しかないだろう
ただし「銭になる」金製品なので、目についたのだろう
ただ、発見してすぐに調査をしとけばよかったのだが、どれだけ経ってから届けたのか、また、
物が何であるかを調べるのに時間がかかったのと、当時の事情などもあって、よくわからなく
なったのだろうとは思う
いずれにしても奴国王の印である以上、墓があるとすれば博多平野側を向いている位置にあるとは思うが >>9
そんな野蛮な手法を持ちいらなくとも非破壊検査がありんす 島の中で漁師達の領域みたいなものがあって本来の発見場所だと揉めるから位置変えたと言う話がある
中立地帯で見つかったことにして揉め事を避けた的な
>>129
知ってるぞ 同じ重さの金をお風呂に沈めてこぼれる量の水を計るんだろ?
でもなぁ 金印の質量じゃ表面張力でこぼれないんじゃないだろうか? >>131
体積を知りたいなら別にこぼさなくてもいいんでは
例えばメスシリンダーみたいなのに入れて
上がった水位を測れば良いわけだし 今なら金を含んだ樹脂製の粘土で成形
オーブンで焼けば
あら完成
地元にこだわるにしてもなんで福教大?
せめて九工大とかにやってもらえよ
1000年前2000年前だからって劣ってるとは限らんよなあ
現代が優れてるように思えるのはひと握りの人が発明したコンピューターとかエンジンとかが古代にはないだけで
個人の能力や社会構造は全く進歩してないか劣化しているまである
魏の明帝が他の国にあげた銀印とかは海外で出土してないもんなの
>>10
↑
ナ
ニ
言
っ
て
ん
だ
ろ
コ
イ
ツ >>137
明帝のかは知らんけど、銀印が出たって話はあった気がする
朱廬執刲ってのが海南島で出たとかなんとか
他にも色々ある模様 日本一小さい国宝
京都の国宝展で見たけれど ほんとにちっさー 1時間待ち
難升米も銀印貰ってるんだな
これがゴッドハンドによってもうすぐ発掘される可能性がある
北部九州のゴッドハンドが勝つか纒向のゴッドハンドが勝つかスピード勝負である
>>137
大月氏国が同じく明帝から金印をもらっているはず(出土はしていない)
これは司馬懿の敵であった曹真の功績なので、司馬懿が作った政権下で書かれた魏書ではたった一行しか書かれていない
逆に司馬懿の功績である倭国の朝貢に金印を与える理由をつけるために、呉の近くの、大月氏と同じくらい遠いところから来た
巨大な国と誇大化する必要があったので、あんな無茶苦茶な旅程になったわけだ
すべては当時の政治事情によるものだったわけだ
今と大して変わらんなw
ちなみに前漢の武帝より送られた「てん(さんずいに眞)王之印(金印)」が発見されている 北九州は掘って出そうな古墳があんまない
平原遺跡からは印綬出なかったしな
畿内は取り敢えず箸墓を掘ってくれ
>>102
すごい有用な技術ではないし実用性はないけど考古学的に同じものを再現するには必要な技術だったりするんだよね。
既に国鉄SL用ボイラーが作れないとかあったね。
だからウエスタンリバー鉄道レベルはなんとか作れるけど(これすら危うかったが)D51新造は無理とか。 >>57
旧唐書に倭国は古の倭奴て書いてあるからだろう made in chinaと書いてなければニセモノ
>>127
その状況でさらに>>1。
どの位贋作説連中がウソつき野郎か良く分かる。 実験の肝となる鋳型はプロ職人が現代の技術で適当に作ってるのかww
日本の当時の技術では無理だが、後漢なら余裕だろうに?
鉄器だって青銅だってあったんだし。向こうにはすでに。
後漢ならとっくに石炭ぐらいはあったんじゃねーの?当時から。
いまだに日本の技術力って古代の韓国未満なんだって証明だな
金印すら造れないとか
実物だって何度も失敗して、マグレで成功した物だけを残したんじゃね?
天皇陵を掘りまくれば、いつか何か当たりを引く気はする
湯口をどこに作るかという問題じゃねーの?
あと、金を注ぐスピード?
>>153
そりゃ、設計データを入れて、金の塊をマシニングセンタで彫ればものの数分で終わるよw
>>1には、金印が当時のどんな技術でどのようにして作られたのかはわかっていない旨のことが書れていて、
彼はそれを推測するために実験したわけだ
日本語を正しく読めないというのは悲しいことだな しかし西日本新聞て本当にクソ新聞だな。
普通地元紙が贋作説なんて書かんだろ。
金印贋作説は畿内説が言ってるだけ。
>>154
それ餌のゴカイ
いやはた迷惑の後秦か w 銅鐸作成キット押入れにまだあるわw
プランクトンの卵も
しかしこんな古代のものが奇跡的に出土したものだわ
真贋はともかくロマンがある
まだ偽物説を「俺は真実を知っている」みたいなつもりで言う恥ずかしい奴が残ってるのか
そもそもなんでこんな重要な物を田んぼの溝に捨てたんだろう
>>169
記録だと人間2人で動かすくらいの石の下にあったらしい
石室か石棺的な物があったと思われる ついでに伝国の玉璽も再現して欲しいのう
周王朝のレガリアである、九鼎の再現は中国でやったんだっけ
>>127
他の国に贈った金印とサイズは一定だったの? >>169
田んぼの溝から出てきたのではなくて、田んぼの溝の土手を修復する際に掘っていたら出てきたらしいが、
しかし、その発見の経緯や発見者の存在がそもそも疑わしいので、>>170の書く通り、石棺があったと考えるほうが自然かもね
で、墓を荒らしたとお上側に問題視されるのを恐れて、地元の名士と話合って、存在しない奴がその辺で見つけたことにしようという
話になったのかもしれん こ−ゆうのは何十回も繰り返してアタリを付けていくもんだろ
>>159
古代大韓の技術すら未習得なのを笑ってるんだが ジャップ不器用だな 中華文明の真髄にはまだ猿真似パクリジャップは追いつけないようだ
>>175
古代大韓の技術とは具体的に何を指すのか?
古代大韓で印綬用の金印が作られていた根拠があるのか?
で、その技術が既に解明されている、あるいは現代に伝わっているのであれば、その文献(論文)名をどうぞ
日本人の私にはあなたの思考方法がまるで理解できませんので、わかりやすくお願いします
>>176
>>170の石云々はあとになって出てきた資料で、そこから推測したもの
墓に印を埋めるのは大陸でもあることなので、墓から出てきてもおかしくはない
それが箱式石棺という型式であっても、とくにおかしくない
もちろん、弥生時代の北部九州に多く発見される甕棺のうえにたまたま大きな石があっただけかもしれないが >>178
別段埋葬がされて無いのに石棺と考えるのは無理。 >>180
別段埋葬がされてないとする根拠は?
そんな資料はなかったと思うが 宗像沖ノ島だって、金製指輪が当事のままで出土してるからな。
宝物としての島と埋物の関係としては十分にある。
金製品や銀製品は材料自体に価値があるから、その製品の使途や効力がないのに長い年月原型を
保つことは不思議なことだ。
金印が歴史的価値を持つのは近世になってからであり、近世になってから造られたと考えるのが自然だろう。
>>181
お前はバカだろ。
まずあったと言う証拠を出せ。 >>131
てんびんに吊り下げて含有相当の地金と金印を水平にする。
それを水にぶちこんで、バランスが崩れなければ本物。
崩れれば金印に違う密度の物質が混ざっていて体積が変わっていることになる。 「石棺から出ていないという証拠を出せ
出せなければ石棺から出たに違いない」
詭弁のテンプレート
志賀島は発見地とされる南部よりも北部に遺跡が集中してる
重要なのはこっち
発掘状況の描写も多分こっちを指してる
日本の技術力って思ったよりなかったんだな
中国すげー
>>184
>>178で推測だと書いてるじゃないか? 君も日本語が読めないのか?(苦笑)
都合が悪くなると、いきなり罵倒し始めるのはこういうスレでは毎度のことだけれども(苦笑)
ま、どうせ根拠もなく思いつきで断定しているのだろうから、これ以上追い詰めないよ
>>186
もちろん、本来貸与されたもので、外交印ではあるけれども、「広陵王璽」など実際に大陸で王墓にいれた例がある以上、
また、それなら、そんな重要印が重要でもない場所にただ転がっていたことの説明も必要となる以上、簡単に否定はできないさ >>176
昔の墳墓なんて発掘するか潰すかするしかないからな >>191
お前な、埋葬って人間の埋葬だぞ。
ちっこい金印が見つかったのに、大きな人間の埋葬跡が何も見つかって無いんたぞ。
なのに何の証拠も無しに埋葬があったかも知れんつーのかお前は?
w >>191
お前が言ってることって、大きな石があるたびに「埋葬跡かも知れん」(キリッ
見たいなことだぞ。 宗主国の金印を偽造する卑しき倭人ジャップは基礎冶金技術が無かったかw
ヤマト王権が攻めてきたので奴国としては慌てて隠した
ということもあり得る
>>197
ロストテクノロジーって多いんだよ
古代の製法を再現しようとしたんだろうから
現代の技術でどうこう言ってもねって話
今は古代の玉鋼を作る技術でさえわからんのだ
今は今の製法あるけどもね ちなみに中国も韓国もロストテクノロジー多いからw
日本はまだ残っている方
>>198
ダンワラ遺跡の鉄鏡の事もあるしもしかしたら奴国の王が何らかの理由で宝物を各所に隠蔽したのかも知らんね たとえ贋作でも、江戸時代に出来たものなら経緯次第でそれも価値があるかも。
九州は各地から金銀製の冠や太刀、耳飾りなどが大量に出土しているが
奈良(近畿)からは全く出土していない、奈良は非常に文化が遅れた地域だった
と言う事だ。
寸法
蛇紐
文字
これらが江戸時代では知りえなかった情報で正確に作られている
?王之印も含めて合致する資料が今になってようやく見つかって判断がつくようになったレベル
江戸時代に贋作を作るのはほとんど不可能
なので物は本物とみられている
水銀とのアマルガムを型に詰め込んで、熱して水銀を飛ばすんだよ。
宮内庁が目を光らせてない古い墳墓を徹底的に掘ればもっと色んなもんが見つかるはず
北部九州と出雲と岡山はもっと熱心に掘るべきだな
小中学生に授業の一環でやらせると奴らは何かのキッカケになるものを見つけるはず
これ毎度言うんだけどさ
遺跡ってのは宮内庁関係なく基本的に発掘できない
壊しちゃうからね
掘れるのは「工事する」「壊れて維持できない」「たまたま出てきちゃった」時に掘れる
維持して行くのが基本方針だから何でもない遺跡は掘れない
そして陰謀論者が大好きな継体天皇陵(本物)は掘り放題
どこにもなんにも闇の力(笑)なんて働いてないよ
>>1
江戸時代の日本の技術じゃないと再現不可能だろ。 水晶ドクロよりも加工は簡単だから古代でも余裕で作れるだろ。
ちなみに西谷王墓は中学生がその重要性を見出して有名になった
それまではただの方墳だと思われていた
もうとっくにみんなやってる
現代技術では作成可能だけど、当時の文献を頼りに作成すると作れないんだろ?
ここから導かれる答えは一つじゃないのか?つまりはそういうことだ。
金印が有ったと言うだけで正確な発見場所も不明、埋没状態も不明
どっかの家にあったとかの方がまだマシな理由
当時と同じ技術で作るとなると当時のプロと競う事になるぞ
素人じゃ無理だろ
>当初は金印を鋳造後に印面に篆刻(てんこく)する予定だったが
そもそも鋳造印というものを理解してない恐れが
>>203
素材そのものの価値だけでも凄いんじゃね?
金印については見つかった経緯といい時代といい完成度といい"まがいもの"とオレは長年判断しているのだけれども、
仮にそうだとしてこれだけの純度の高い金を使ってこれを制作することが誰得なのか?という謎が反対に残ることになる。 >>220
鋳物だとなんで思うんだろうな。削り出しの可能性もあるんじゃないか? 入れる器も温めておかないと温度差ができて上手くいかないんじゃないの?
古代技術の謎というより、作ってる側が何も考えてないような気がするんだけど
>>225
ですよね。ヘタクソなんじゃないか?と思えてしまう。 >>74
それは否定するものではないが
印綬の文様は蛇ではなく駱駝とみるほうが適切ではないか
他の金印、銀印と比べてみてほしい
昔から意匠の不自然さから蛇ではないという見解はあったようだが
最近のシンポジウムで駱駝説が出てきている
材質と寸法が本物らしい点は、否定するものではない
しかし材質については純度の高い金という以上の同定はされていないようで
結局のところ寸法が正確であるという点が本物説の最大の根拠であろう
そこで注目したいのは、
そもそもこれの最初の鑑定人とされる国学者の親類縁者がある神社の関係者で
そこから古代の印綬が消えたという逸話があるらしき点である 亀井南冥という国学者を中心に見ると偽造説にも説得力が出てくる
ちなみに本物説はすでに紹介したので以下はあくまで偽造説からの見解である
亀井は、国学者としては無名であるが、当時有名だった本居宣長とは異なり
日本の歴史や文化も中国の文献や学問を含めて調べるべきだとの立場である
当時の国学はまだ黎明期であり、日本純粋の史学を主張する宣長とは異なる流派は色々あった
したがって金印発見後にその鑑定を行うには中国の史学・文化に通じた亀井が適切であったと言える
亀井はこれを見るやたちどころに史書にある倭国王の金印と見破り、鑑定書を作成
これを多くの著名国学者に送付して大いに名を挙げた
本居宣長もこの鑑定には理解を示したと言われる
ちなみに亀井が鑑定した当時、黒田藩では藩校新設騒動の最中であった
つまり伝統ある藩校1つしか設営できないとするルールを破り
無名の亀井が藩校設立の許可を得てしまったため
藩をゆるがす大騒動となっていた
そのさなかに、志賀島の場所不明の地から氏名不詳(確認できない)の百姓が金印を土中から発見し
それを亀井が鑑定するというアクロバットな奇跡が起きたのである。
前漢の職人と魏の職人とそれぞれ技術クオリティ、様式なんかはだいぶ違うのかね
>>94
倭の奴の国って解釈、変だと思う
那珂川の奴の津あたりが奴の国?
那珂川の国なら、那珂国になると思う
だから、倭の奴の国じゃなくて、
な→助詞 現代語の の にあたる
倭 の 国王 なんじゃないかなと
他も、鬼奴国→鬼の国とか、全部のに訳す >>206
私も単純にそう思った
金印が志賀海神社の御神宝で、じつは
安曇氏が奴国の王の子孫だったのかって 魏志倭人伝に奴国で出てるのに脳内ソースで消去とかw
バカ最強っすね。
あれ?金印は江戸時代に作られた偽物だ!はどうした?
今の技術ですら作れないのか
金印は江戸時代から偽物複数説が優勢
複数というところが重要
>>218
どの当時のプロか分からんが
本物を作った古代の職人vs偽物を作った江戸時代の職人vs現在の職人 他に一例あるが常識的に言って
國の字を入れること自体がおかしい
木炭使うのはあってる 当時の技術だと削ると割れるから字もあれ彫らずにつくってあるからね
近隣諸国がコピー品作るのに普通は270年はかかってる
こんなショボイ炉と鋳型ってのがおかしいだろ
中国は紀元前200年以上前に高炉を発明して製鉄してるんだぞ
実は一緒にみつかっている印紐の方が再現難しいんだよね
あれはほとんどの国はコピーできなかった
>>232
畑で見つかったってので、神社との関連はよくわからないけど
志賀島って言えば安曇、そこで金印となると
王だったのかなーって思うよね。 >>87
1972年だったかな?中国で発見された填王の金印が福岡に来た時に志賀島で発見された金印と並べて展示されたことが有ったが、その時も金印のレプリカが販売され俺も買ったよ。 >>1
おまいら2000年前の古代人より劣るってことだよなwwワロタ
古代中国ってすごかったんだな この金印の出来だけが異様に良いのだが
他の金印はでこぼこの出来損ないに見えるぐらい
つまり古代中国の技術ではない江戸のものだと見るほうが納得行く
銅鏡ってさ 後ろにポッチがあるよね
俺さ あれが 単純に可動のための軸に見えてな
銅鏡って ただの鏡ではなくて 数集めて並べて角度調整して
太陽炉のための鏡だったんじゃないかと考えたりする
セクハラ、セクハラ、セクハラ、セクハラ、金印
の並びでほっこりするわw
プロ職人が焼いたたい焼きやたこ焼きが旨いのと一緒だ
>>247
現代ではどう作ったのかよく分からない過去の遺物は日本を含め世界中にある。
多くは他の技術の進歩で必要性が無くなって作り方が忘れ去られたものが多いんだけどね。 >>247
古代中国はほんと凄いよな
文字、紙、印刷、絹、火薬、磁石、陶器、麻酔……
鉄以外はほぼ全てってぐらい自前で発明してないか
実際は中東との交流の中で入ってきたものもありそうだけど 圧迫蓋も知らないのかよ。
こいつら本当に鋳造のプロか?
おそらく朝鮮半島あたりで作られた模造品
盗まれて日本に渡って来た
糞チョンと言う カス民族のゴミ捨て場になる前の朝鮮半島には 高度科学技術を
持った民族が住んでいたんだな。
現代で言うと ロストワックス法で作ったが 押し湯の量が足りなくて失敗に見えるが。
耐火煉瓦はなかっただろうし、るつぼも違ってるでしょ?
>>247
日本の発明
先物取引、自爆、特攻、ブラック企業(社畜)、過労死、鉄道テロ、銃器による暗殺、エロアニメ・・・ 「漢委奴国王」の表記なんだけど、倭国の奴国王なら委の字に人偏が付く筈でしょ!?
何故、委任の委の字なの?
漢が委任統治してたんじゃないの?
>>263
なるほど伊都国王か
伊都国王は光武帝崩御寸前の元日に朝賀使を送っているよね
還暦は独特な暦で、精通していないと元日に朝賀使を派遣は出来ないし
貢物の目録など準備や事前のアポイントも必要
漢の文官並の人物が伊都国に居たんじゃないの? >>248
不出来ゆえに贋作説が湧いたんだよ、ば〜か 国辱的な漢の属国だった事認める印鑑をありがたがって国宝にするってwおかしくね?
>>121
プラスチック?
そんな時代もあったのか?
俺が持ってたのは合金製だったぞ >>267
日本の一地方が貰った金印ってだけで
そんなに興奮すんなよ
歴史的価値から保護するのは当然
韓国人的発想やめろよな >>267
歴史は事実を冷静に評価するものだから
都合が悪い、カッコ悪いからと隠した挙句捏造するとか言う恥ずべき国じゃないことが分かってむしろ評価できるな >>269
日本が成立してない時代に一地方もあるか
それぞれが国だったんだよ 結局、古代には作れなかったことが判明しました。
つまり、あれは贋作。江戸時代の職人が作った。
九州説は、これで消滅ですね
>>271
規模の話をしてんだよ
それを国とするのも悩むレベルの
一地方のまとまりでしかない 技術や知識は保存しないと失われる
そんだけ
今だって船や飛行機を昔は作れたのに今は作れないなんて企業もある
>>267
当時の中華は偉大だった
そのまま発展してくれれば日本は大中華の庇護のもと呑気に暮らせただろう
易姓革命で王朝リセットのたびに劣化し、モンゴルの尖兵となって日本に攻めてきたり
イギリスにシャブ漬けにされたり、欧米列強に切り売りされ、小さな日本が白人と大戦争するはめになった
そして今頃になって覇権国家を目指そうとしてる >>271
当時王のいる国があったのは北部九州くらいだろ。他の地方はまだ集落レベルでしかなかった。 金印授与は後漢政府の都合
別に北部九州が卓越した国だったからじゃない
王莽の新の対外政策の失敗で大混乱に陥った反省から後漢は当初外夷に対して融和的な政策を取った
で、かなり破格の扱いで北部九州一部でしかない奴国にも金印をくれたと
だがその後、後漢が対外政策に消極的になると北部九州から見つかる鏡が質量ともに低下することになる
>>279
そうか?
規模的には九州よりデカい古墳が九州以外の地域にもあるけど? >>281
畿内の古墳はそれまでの文明と連続性がないから、北部九州から移住した勢力のものだろうけど、出土した土器からも箸墓やホケノは4世紀以降だよ。 金印の頃の日本では北部九州が目立つ存在ではある
北部九州は紀元前100年〜100年くらいまでは日本の主たる勢力だった
ただその頃から出雲が勃興し始めて環日本海的な勢力を形成するに至る
実際、その後の史書でも奴国はもう卓越した存在として出てこなくなる
>>282
いや古墳時代の古墳ではなく、それより以前の古墳(弥生墳丘墓)のこと。
吉備、出雲、丹後あたりには、同時代の九州をしのぐ規模の古墳がある。 弥生時代の墳丘の規模は文化の違いだからそのサイズで一概に勢力を語ることは出来ない
北部九州は紀元前から地下式の小規模な墓を作るスタイルと言うだけ
小さい墓を作るから勢力も小さいとは判断できない
普通に南部鉄器作ってる匠に頼んだら?
向こうは専門職なんだし。
死んだ爺ちゃんは鋳物職人でした。満州で頑張ってましたがやがてソ連が攻めてきました。母兄弟5人を在留させることなく、皆で脱出できたのは幸いでした。ソ連軍の戦車の大砲弾が爺ちゃんのふくらはぎをかすめて飛んでいきました。その時の弾による火傷痕がありました。
平成になり死んだ爺ちゃんのことを法事で聞き直すと、火傷跡は逃げる時じゃなくて、通常勤務の鋳物作業でできたものだと知りました。
爺ちゃんは嘘つきでした。
大人なんて信じちゃいけないと思った中学の夏休みでした。
>>285
いや、語れるだろ。
さすがに、>>279>他の地方はまだ集落レベルでしかなかった
みたいな集落規模では、長さ40m高さ4m規模の墳丘を築くのは難しいと思う。 清朝で作られた趣味人向けの模造品だし
古代の技術で再現できなくても当然だろ
>>21
清は大国だったし日本人も支那風を好んで求めた
金印は当時の日本人にもロマンだよ 金印ってシンプルな工程の方が作りやすくないか?
当時、幾度も失敗錯誤して出来上がった物だろうしな
限り無く熱した硬石の型どりがあれば充分じゃないの?
鋳金や考古学の専門家とあるのに
鋳金は大学教授で考古学のほうが志賀島歴史研究会って・・・
あのね 作り方の謎なんかなにもないよ 金を鋳造して、金はやわいから字は彫り込んだだけのことよ。
ただ 金印の場合、鈕が動物でちょとややこしいから、印台と鈕は一体でなく、別に鋳造して
後で金ハンダ付けしてあるかもしれない
あのちっこい金印に細かい細工してるから凄いなと思う
>>265
他の金印と比較しろと言ってるのだが?
明らかに日本のだけ異様に造形が綺麗でオカシイのである >>140
あれ、行けなかったんだよなー
最後の週に1度だけ見ただけだった(・ω・) >>296
当時の金とその他の混ぜ物の採掘、錬成方法は?
鋳造にはどんな炉と道具を使った?どうやって炉の温度を上げた?材料の融解と調合の手順は?
どんな金型をどのように作って使用した?
彫る時に使用した道具はどんなだった?
どの工程でどんな人間が担当して作った? >>301
銅や鉄などと違って、金は地球上で唯一化合物としてではなく単体で産出される金属。
砂金は純度が85%くらいだが、一度溶かして固めるだけで90%以上の純度になる。
例の金印は92%くらいだっけ?
須恵器や陶器を作れる技術があれば金の鋳造品は作れる。 漢の国家事業として宮廷工房で鋳造したものだから、おいそれとは模造できないぞ。
>>298
だよなあ。
現代なら老眼鏡があるから、職人のスキルとキャリアとは比例するけど、
昔の小間物細工職人は大変だ。いくら技能を磨いても、目がダメになったら
素人と変わらないもんね。 現代人は剰りにも考えすぎかもよ
実はすげぇーシンプルな工程かもしれんし