太平洋戦争末期に軍用機を開発した旧中島飛行機三鷹研究所の建物が残る国際基督教大学(ICU、東京都三鷹市)で、
旧陸軍初のジェット戦闘機「火龍(かりゅう)」に搭載される予定だったジェットエンジンのものとみられる部品が見つかった。
戦時中に国内で生産されたジェットエンジンはほとんど現存せず、専門家は「当時の航空技術を知るうえで非常に重要な資料だ」と話している。【伊澤拓也】
見つかった部品は、排気ノズル(直径74センチ、長さ73センチ、重さ71キロ)2点と、それを覆うカバー1点でいずれもステンレス製。
三鷹研究所に関するリポートを作成するため学内を調べていたICU4年の古川英明さん(21)が2015年6月に資材置き場で見つけた。
戦後にICUが買い取った三鷹研究所の敷地内で出土し、1950年代前半までにICUの保全業務に携わる建設会社社長宅の軒先に
置かれた後、約20年前に資材置き場に移されたという。70年近く雨ざらしにされて全体的にさびているものの、カバーの一部を除いて目立った破損はない。
古川さんの恩師で、三鷹研究所の歴史を調べたICU高校の高柳昌久教諭が、日本航空協会と東京文化財研究所に部品の調査を依頼。
形状や当時貴重だったステンレスが使われていることなどから、三鷹研究所が日立製作所とともに開発を進めたジェットエンジン
「ネ230」の部品の可能性が高いことが判明した。
太平洋戦争末期、旧海軍がジェット特殊攻撃機「橘花(きっか)」の開発を進めたのに対し、旧陸軍は米軍の
爆撃機B29を迎撃するために「火龍」を計画した。ネ230が1機に二つずつ搭載される予定だったが、
試験運転をしただけで実機は完成しないまま終戦を迎えたという。見つかった排気ノズルには他の部品と
接合した痕跡がないため、試作品とみられる。溶接が粗く強度が不足しており、ドリルで開けた穴にできる
「バリ」と呼ばれる突起も多く残っている。
日本航空協会の長島宏行・専任部長は「当時、世界最先端だったジェットエンジンを作る基礎的な技術はあったが、
熟練工が不足した時期で、粗雑な点も見える。悪化する戦局を打開するために開発を急いだことがうかがえる」と話す。
ICUは部品を貴重な近代化遺産として学内で展示することを検討している。
11/11(土) 15:00配信 毎日新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171111-00000052-mai-soci
画像 ジェットエンジン「ネ230」のものと見られる部品の説明をする国際基督教大学(ICU)高校の高柳昌久教諭(左)と、
ICU構内で部品を見つけた古川英明さん。部品は左が排気ノズル、右がそのカバー=東京都三鷹市の同大で、竹内紀臣撮影
厚木基地の土の中には本体も埋まっとるがな
ICUとなりのSUBARUの地下にも埋まっとる
橘花に似てるな。 ICUって国際基督教大学のわけないしなんの略かと思ったら大学だった
綺麗な形で残ってるなー。さすがステンレス、なのか?
ICUの地下について調査したグループが文化祭で表彰されてたけど、その成果がどこにも残ってない
警察や行政からストップかかったの?
ハーロックのライバルのコスウォーリアー零に出てきた戦艦だな
>>10
オタを自称するのは自由やが、レベルはとてもじゃないが届かないことも多い、要注意な 1930年代までは、まだ複葉機が現役だったってのに、40年代半ばにはジェットが試作されてるんだから、
大戦期の技術革新というのは凄まじいものがあるな。
当時
米軍はすでにジェット戦闘機「P-80A」を
900機も完成させていて、実戦配備も始まっていたし、
さらに5,000機を発注していた。
一方日本は、まともに飛べるジェット機はゼロだった。
ジェットエンジンのファンは高温高圧に耐える必要があるので強度のある素材(なんだったかは忘れた)が必要なんだが
日本の場合はそれが入手困難だったのと、ファンを1枚1枚削り出してたので量産どころか試作も大変だったという
>熟練工が不足した時期で、粗雑な点も見える
「兵隊が足りないから熟練工も徴兵するお!」なんてやってたから昭和19年以降の航空機や艦艇の出来は悪かったとか
空母信濃も「ペーペーの作業員がやった溶接やパッキンがガバガバで水密扉を閉めても隙間だらけで向こう側が見えた」って証言があるくらい粗悪だったらしい
>>19
ソ連でさえも、イギリスから盗み出さなきゃ作れなかったんだよね。
高温に耐える素材。 >東京都三鷹市
あの辺って、中島飛行機とか、
横河製作所(現横河電気、戦闘機のメーター作ってた)があったりするから
あってもおかしくないな。
ICUも、中島飛行機の跡地にできてるし。調べたら他にも何か出てきそうね。
横河のグランド掘ったら何か出てくんじゃねーのw
これ最適な形状がわからないから
開発責任者が当て板とハンマーで
微調整していたって開発史で読んだ
>>19
アメリカのジェットエンジンは排気音が 低く設定されていた
なぜならエンジンの設計元が発電用蒸気タービンだから これは奇跡やろ
2個あった大型の戦車の試作機は1個は日本軍が沼に沈めて、
もう1個は米軍に解体されたやろ
>>35
四式中戦車はアメリカに輸送中に船が嵐に遭って転覆を防ぐための重量物投棄の際に捨てられたって話もあるな ドイツ系のジェットエンジンは レシプロメーカーが設計したんだが
アメリカ系のジェットエンジンは電機メーカー(発電機)が設計したんだよ
だから日本でもIHではなくて東芝が設計していたら
けっこうはやく実用化できたかもしれない
中島飛行機武蔵野製作所の社員寮は
10数棟もあって寮間には大きな防空壕があってな
海軍さんと横河電機の職工さんが手伝ってくれたんだ。
昭和19年の9月だったかなその防空壕に米軍の落とした
爆弾が直撃してなたくさんの職工さん家族が生き埋めに
なったんじゃ。こわいのー。
>>28
たしか、イギリスがソ連にジェットエンジン本体をプレゼントした。
そのあと、朝鮮戦争になり、ミグが突然現れたときに、アメリカは激オコしたと思ったが?
>>戦後発足したアトリー労働党政権によって、
>>ソ連にニーン35基とダーウェント Mk.V 25基が供与されたが、
>>早速デッドコピーされ、ダーウェント 5 は RD-500 に、ニーンは同 RD-45 に化け、
>>更に RD-45 の発展型 VK-1 は MiG-15 戦闘機やMiG-17初期型に搭載・・・ >>13
ドイツでは大陸間弾道弾V2号がすでに実用化されていたしな 大日本は独、英に継いで
世界で三番目にジェットエンジン搭載機を実用化出来た国
そもそも戦前の段階でアメリカ本土にはプライベートセスナが何万もあったんだってな
農業用の散布・監視機だけじゃなくレジャー用もあって、農場の奥さんなんかが免許持ってた
戦争に突入して大量生産された戦闘機は、製造後の試験飛行をそういう女性がアルバイトでやってた
年産百万台レベルのフォードの乗用車工場ではCCKWトラックとジープなんかがポンポン造られてるし
ぱっと見Me262に似てるが、並べると大きさも形も違う
コピーというより模写に近い
齢90になるじぃちゃんが
「ジェットエンジンの安定供給は無理と現場で判断してて、
ロケットエンジンで瞬間加速だけでもと零戦でテストして、
死にかけた」といってた。
>>46
アメリカやソ連では民間の航空機同好会が盛んだったので
その御蔭で大戦中もパイロットの補充が切れることがなかったとか 世界で二番目のジェットエンジン機を作ったのはイタリアだったりする。
ただ内部でプロペラ回してたから完全なジェット機じゃなかったけどな
火龍は戦闘攻撃機と言うことで地上攻撃を主体としていた。
B29の迎撃用専用機では無かった。
コピー元のMe262は完全に対爆撃機の迎撃専門機だったけどね。
やっぱ日本人は戦闘民族なんだよ、
戦争に明け暮れてこそ日本人だ。
>>50
トラ・トラ・トラでも攻撃隊と民間の練習機が遭遇してたな。実話でもあるが。 熟練工を飛行機で飛ばして潰したからねー
生産機械なんて今ほど発達してない時期に無謀だよな
>>56
実際加速器作ったり、原爆作ろうとしたりしてたし
つか、原爆は当時完成しないって思われてたんだけど、
金と人海戦術の力技でアメリカが完成させちまったのよ >>46
日本じゃ、あまり知られてないが、日本以上にアメリカは生産力を軍事に回してた。
金属の徴用なども盛んだったんだよな。
男が兵士に徴用されちゃったんで、大リーグが開催できなくなり、
女性リーグを作って興行試合を全米を回ってやってたんだよね。 第二次大戦中の主要国の技術力
ドイツ>アメリカ=イギリス>日本>ソ連>イタリア=フランス>中国
ジェット機作りだせたドイツからアメリカの旧式戦闘機のコピーしか作れなかった中国までの
差は絶大だった。
>>46
リンドバーグが1920年代に飛行機で郵便配達やってて、その延長で1927年に大西洋無着陸横断やるわけだから
ライト兄弟が1903年に初飛行して20年でこれだから、すごいよ >>62
いやいや それなら日本軍もすごいぞ
ロシアのバルチック艦隊と戦ったとき
無線機で位置をしらせているだけど
これはマルコーが自宅で無線実験してから10年ぐらいだよ >>1
間違っちゃいないが【東京】ってセンスないな >>59
真珠湾で鹵獲した日本軍の甲標的を見世物にして金属供出や戦時国債の購入を呼びかけるキャンペーンとかやってたな >>60
ちょっと違う。
後退翼のドイツと、他の国にはヒマラヤ山脈位壁があると思う。 >>60
あまり知られてないが、ジェット機の初飛行は第二次世界大戦前で
実戦投入はドイツ、次にイギリスだったかな、それも数週間の違いだけだよ。
もっとも、V1の迎撃任務で欧州戦線には投入されてない。
アメリカも一応、実戦投入を視野に頑張ってたけど、エンジンの出力がでずに
軍は発注をキャンセルしているんだよね。 ジェット機を戦時中に実用化できたのはドイツ、アメリカ、イギリスのみ
日本、ソ連、イタリア他は実用化出来なかった
>>63
一式陸攻の操縦士だった人の動画見たことあるけど、自動操縦で、サイパンの位置入力すると自動で飛んでいったと言ってるの見てびっくりしたことある
驚いてる方が無知なだけかも知れんが、1940年だっけあのころには飛行機の自動操縦できてたわけだし しかし、Me262vsP80は実現して欲しかった
ミーティアだったらMe262には敵わんのは明白だが
リンドバーグが英雄になったのは、一人で操縦し続けて横断したからで、途中で居眠りして墜落しかけてるからね。それが13年後の日本では量産機で自動操縦だもんなー。進歩のペース速い
知らない人が見たら鐘か鍋に見えるな
てかメガネの人ここからスタートしてどこに走るの?
>>71
アメリカ軍なんて、無線操縦で実機をミサイル代わりにして
敵目標を粉砕する作戦を実践してるよ。
計器などは、テレビカメラで随伴機におくり、随伴機から無線操縦するシステム。
さすがに、離陸まではできなかったので、機を離陸した後、爆弾の起爆装置をONにして
操縦士は脱出することになっていた。
しかし、起爆装置の欠陥により、スイッチをONにしたとたん大爆発した。
死んだパイロットの一人があの、ケネディ大統領の兄貴なんだよね。 ネ20の排気側のタービンブレードの寿命がみじかく
溶接したブレードにすぐヒビが入ったり
割れたりしてしまう。
必死で高品質の溶接を模索したが
あまり寿命は長くならなかった。
高温になるので、膨張と収縮で
溶接部分の内部応力があるところが
割れていく。
これはドイツも一緒で
短時間で交換するしかなかった。
一方イギリスは量産したブレードを
軸に凹みをつけてはめ込み、
溶接しなかったので寿命は長かった。
そもそもWW1に数万機もの軍用機が投入されているからな
すごいというならそっちの方がすごい
スマフォ並の普及力
日本でもラジコン実験やってたな。
熱海の温泉旅館の風呂に飛び込んだのは
有名な話。
>>79
航空兵器じゃないが標的艦摂津も無線操縦が可能だったな だけど、ドイツの技術陣の思い付きなどは驚愕させられる。
アメリカは無線操縦を考えてたけど、ドイツは戦闘機の下に
もう一つ、航空機をくっつければいいんじゃね?とばかりに
ミステルなんてものを作り、実戦投入してる。
ほんと、第二次大戦のドイツ軍はオーバースペックだわw
物量に押されなかったら勝てただろうね。
結局、兵器の性能より、物量が物を言ったわけだね。
戦争って急激に技術が発展するよね
1年戦争とかザクからジオングだもんね
>>38
いや、ラムジェットは単独では使えないから、置き換えられない。 >>76
タービン羽根を軸に嵌め込む作り方は
蒸気タービンではよくやる方法で
船舶用のた数千枚 >>82
ドイツ軍兵器→必要なのは分かるがそこまでして作る必要があったのか
イギリス軍兵器→やりたいことは分かるがなぜそうなったのか
米軍・ソ連軍兵器→必要なのは分かるがそこまで作る必要があったのか
日本軍兵器→やりたいことは分かるが本当にやるとは思わなかった >>60
第二次大戦中の主要国の技術力
ドイツ>アメリカ=イギリス>イタリア=フランス>ソ連>日本
水冷エンジンもまともに作れない日本なんか技術力あるわけないじゃん >>59
呉を攻撃して撃墜されたB17の機長が、当時20歳だったな。戦後は、大学に行って教授になってる。
捕虜になった乗組員は、原爆で被曝して亡くなったけど、機長は東京に連行されたおかげで無事だった。 >>88
水冷エンジンは飛燕に搭載して実用化出来てたし・・・
まあ不具合が多かったのは事実だがね
それからソ連はイタリアより上だと思うぞ >>88
ソ連のT-34のエンジンはアメリカやドイツですら複製困難だったオーパーツやで 三菱が戦後も飛ばせるゼロ戦の完品一機を隠してるって都市伝説を聞いた事がある
>>82
ドイツ人の頭脳は偉大だよ
ジェットエンジンの他にもV2ロケットや誘導魚雷など、すべて現代の
主力兵器で当分代わる物は現れないだろな >>86
兵器には国柄がでるね
ドイツは性能を追求してメカに凝る
アメリカは性能は割り切って大量生産する
ハーフトラックなんかによく表れている
ドイツは性能を追求して装軌式車両にちかい複雑な機構を持つものを作った
アメリカは既存の四駆の軍用トラックの後輪を履帯にすることで
性能は平凡だが必要十分なものを開発し大量生産した >>91
アメリカはシャーマン戦車に
空冷星形エンジン積んでるだよな
なんかわろた >>80
マジかよ服有りかよそのタイムマシン男専用にしようぜ もし1945年のドイツが韓国の位置に存在して居て北朝鮮と戦争したら
いい勝負できそうなのが怖い
それだけ進んでたからな
>>68
後退翼どころか前進翼をやってるところが
さすがはドイツ
この奇怪な姿に胸熱
>>96
戦車でもティーガーやフェルディナントは強いんだけど野戦整備がクソ大変で稼働率はイマイチだったせいで
性能では勝るがこっちより数が多いシャーマンに負けたしな
>>97
一口にシャーマンと言っても細かく分類すると数十種類近くになると聞いてビビった記憶 量産化進んでたら凄かったな。大和と合わして
アニメ化
呂号艦本式ギャードタービンエンジン76000馬力なんて
造ってるんだからタービンなんてチョロいだろ。 海軍。
>>90 >>91
T34のエンジンは
イタリア・イスパノイザからライセンス生産してた航空機エンジンをディーゼル化したものなんだよね
イタリアは工業力は低かったが技術力はそれなりに高かった
日本がまともに生産できなかったDBエンジンも楽々生産して、マッキ202などの高速戦闘機も作っている オリジナルのメッサー262には与圧キャビンだが残念ながら我が国製作の機体には搭載出来なかった。攻撃対象の米軍機には搭載されている機体が多くこの時点で技術力の負けだったと思う。
秋水も火龍もナチスドイツのコピー、旧帝国陸軍はナチスが
好きだったらしいが海軍は嫌っていたらしい
>>104
艦艇のエンジンもなかなかの性能だった>イタリア
戦後のソ連の魚雷艇や駆逐艦の機関はイタリア製の発展型だったんだが
最大戦速50ノットの駆逐艦とか最大戦速80ノットの魚雷艇とかキチガイじみたものを作ってる
日本海軍もイタリアから魚雷艇を輸入して研究してたがこっちは満足なものは出来なかった >>82 逆にソ連は量産体制を保つためT34の改良は頑として認めなかったって話は本当? >>82
最初の2年ぐらいはそうだったかもしれないけど3年目ぐらいで76o砲→85o砲に改造したから
改良がダメってわけでもない
むしろ改良したらダメなのは今の日本の自衛隊・・・・
74式戦車改を葬ったのはいただけない >>110
10式戦車を開発する時にも予算節約のために74式や90式のアップグレードも提案されたが
防衛省側が「拡張性が無くて無理」と蹴ったんだっけ? >>90
水冷エンジンがまともに作れなくて
飛燕の首なし機体が余ってしまって
金星エンジンに換装したのが5式戦
海軍の彗星も金星に換装したね >>111
10式はいい戦車だけど90式や74式の改良を認めないのは意味分からんね
旧日本軍でも戦車を現地改造したら上から怒られた話もあったし体質かな? 飛燕はハ140をスーパーチャージャーに対応させて飛燕三型ぐらいまで行って欲しかった
ドイツの発想はどこからくるんだろ
今から70年も前に全翼機なんて凄いとしか言えない
>>109
T-34Mという別物の新型を開発してたけど、ドイツが長砲身75ミリやタイガー戦車投入してきたので生産ラインに入れる余裕無かった >>114
>現地改造したら上から怒られた話もあったし体質かな?
新しい戦車を開発し続けないと技術が停滞するって理由と関係企業に仕事を振るためって理由が混在してそうだな
あと戦車じゃないけど官品の個人装具の使い勝手が悪いからと私物のマグポーチやレッグバッグを使うと怒られると聞いたことがある(部隊によってはおkの所もある) >>1
マンコみたいな穴を指差して童貞くせえ学生にセックス指南て
どんな大学だよw ■1903年
ライト兄弟のライトフライヤー号初飛行。世界初の固定翼機による動力飛行。
ツィオルコフスキーが著書で液体燃料ロケットの概念を発表。
■1910年
フランス人パイロットのレオン・モラーヌが106km/hの飛行速度記録を樹立。
ライトフライヤー号のエンジン出力・速度と比較すると、7年でほぼ10倍に達した。
ルーマニア人のアンリ・コアンダがジェットエンジン搭載の航空機、コアンダ=1910を製作。
飛行には失敗したが、地上実験の際に噴流が凸状物体の表面を沿って流れる現象が確認された(コアンダ効果)
■1928年
ドイツのアレクサンダー・リピッシュ設計のグライダー「エンテ」が、航空機としては初めてロケット動力推進によって飛行した。
■1939年
ドイツで有人液体燃料ロケット航空機、He176が初飛行。
その2ヶ月後、世界初のターボジェット式航空機He178も飛行に成功する。
■第二次大戦中
世界初の実用ジェット戦闘機Me262
世界初の実用ジェット爆撃機Ar234
史上唯一の実用ロケット推進戦闘機Me163
世界初の実用液体燃料ロケット式弾道ミサイルV2
後の巡航ミサイルの祖となるパルスジェット式無人飛行爆弾V1
などがドイツで造られる。
■1947年
アメリカのチャック・イェーガーがベルX-1によって人類史上初めて音速を突破。
ライト兄弟の初飛行から44年。
■1957年
ソヴィエト連邦がR-7ロケットによりスプートニク1号打ち上げ。
世界初の人工衛星。
■1961年
ソヴィエト連邦がボストーク1号打ち上げ。
ユーリ・ガガーリンが人類史上初の有人宇宙飛行を達成。
■1968年
アメリカのアポロ8号が月周回飛行に成功。
■1969年
アメリカのアポロ11号司令船が月の軌道に乗り、月着陸船が月面に到達。
ニール・アームストロングとバズ・オルドリンが、人類史上初めて月面に降り立った人間となる。
ライト兄弟の初飛行から66年、イェーガーの音速突破から22年で、人類はお月さまに行った。
アメリカ人が発明し、ドイツ人がチート級に発達させ、米ソが美味しいとこを持っていった66年でしたとさ。
>>114
新型導入だと財務省が予算を通してくれやすいという話。
改修にはなぜか渋い。
アメリカは全く逆で、既存装備の改修案は議会の予算審議を通りやすいけど、新規取得は渋い。
だから、個体番号が打刻してあるパーツだけ残して、残りを全部新規改装なんて事になる。 >>53
確かに戦闘民族だな!でも少子高齢化で世界征服はほど遠くなったね >>41
アメリカに助けてもらった癖に何してんだブリカスは ようするにドイツのMe262のコピーを陸軍と海軍で別個で作ってたのか。
国難なんだから一致団結しろよ。お役所仕事というかセクショナリズムというか
すげー日本人ぽいな。
>>52
Me262が爆撃機だったのは有名な話だと思ったが >>125
共同開発して居ればもっと早く完成してたのにな ハインケル He178(独1939年8月 世界初のジェット機)
カプロニ・カンピニ N.1(伊1940年3月)
ハインケルHe280 (独1941年3月 世界初のジェット戦闘機)
グロスター E.28/39(英1941年8月)
メッサーシュミット Me262(独1942年4月 世界初の実用ジェット戦闘機)
P-59エアラコメット(米1942年10月)
グロスター ミーティア(英1943年3月 連合国側で大戦中に唯一実戦投入された戦闘機)
アラドAr234ブリッツ(独1943年6月世界初のジェット爆撃機)
デ・ハビランド DH.100 バンパイア(英1943年9月)
P-80シューティングスター(米1944年1月)
ハインケル He162(独1944年12月)
---------------<超えられない壁>---------------
橘花(日1945年8月7日 世界初のジェット特攻機(笑))
キ201火龍(設計のみ。実機なし)
>>126
戦闘機として設計、ヒトラーが急降下爆撃機にしろ!と横槍を入れる。
仕方なく、爆撃機として設計、戦局が悪化、連合軍の爆撃が激化し
防空戦闘機が必要になる、ヒトラー、前言撤回し量産を支持が本当の話だけどな。
戦局が優勢に働いてた時には、いらないんじゃね?と予算などカットされ、
細々とジェットエンジン、機体の開発してたんだけどね。
最初から爆撃機じゃなかったんだよ。 >>51
"内部でプロペラ回してた"のはカプロニ・スティパ
コアンダ-1910やカプロニN1とは別 >>125
元になったMe262は戦闘機と爆撃機の兼用が可能で陸軍は局地戦闘機兼戦闘攻撃機として開発
海軍は特殊攻撃機(本土に上陸してくる米軍を攻撃するために地上のカタパルトから発進させる計画もあった)として開発
微妙に用途が違った 橘花よりも本物に近いのがあったのか。知らなかった。
>>129
一生懸命、クグッたのは褒めるけど、
桜花はジェットじゃないよ、ロケットです。
コメートは液体ロケットだが、桜花は個体ロケットを使った。 >>97
あまりもんじゃね?
でもまあ冷却系に一発食らったら終わりの水冷より空冷のほうがいいのは確か 当時国内で製造されたジェットエンジンがほとんど存在してないのなんでだ
子供の頃、ノーズに大きな対戦車砲を付けたMe262の写真を見た時はワクワクしたなぁ。
ジェットエンジンはレシプロエンジンと比較して量的には大量の燃料を消費するが
その燃料は低質のケロシンで良いために原油を基準にすると燃費が良くなる
ヒトラーに説明するときにこの点を説明し忘れたため燃料消費に神経質になっていた
ヒトラーは大量の燃料を消費するエンジンとして即座に却下してしまった
原油ベースではむしろ燃費が良くなると最初から説明してればおそらく大戦中期には間に合ったはずだ
>>125
モーターボートに爆弾積んて敵艦に特攻するだけの兵器を陸軍海軍別々で作ってたくらいだから。
陸軍 四式肉薄攻撃艇 マルレ
海軍 震洋
>>134
当時と現代では"ジェット"の用法も違うけどね ICUの辺りも激しい爆撃を受けて今も不発弾が大量に埋まってるんだろうな・・・
>>134
桜花は入れてないはずだが。
橘花は特攻機だよ。
すったもんだの挙句、機銃を積むことになったがメインは爆弾を積んて特攻すること。
まあMe262の推力の半分では飛ぶのがやっとで爆弾なんて無理だろうな。 >>129
ミーティアとP59エアラコメットは西部戦線に投入してそれこそ戦闘攻撃機として
使って欲しかったね。空戦より対地攻撃向きでしょうし。 >>138
ヒトラーはなぜか、急降下爆撃機が大好きだったw
何でもかんでも、口挟むと急降下爆撃が可能にしろ!というんだよw
なんと、双発のHe177まで、急降下爆撃を要求したんだよね。
別に、ジェットの急降下爆撃機 Hs132まで試作だが作ってたりする。 オリジナルの262の飛行可能機体があるんだね。感動したよ、松本零士の戦場まんがで描かれかっこよすぎで後年ハセガワの模型を購入し完成させたな。この機体と互角のかっこよさはレシプロだとT a152かムスタングかな。
>>111
下手にアップデート認めたら新品発注できなくなるじゃん ヤコブレフYak3(ソ連)vsMC205ベルトロ(イタリア)
ソ連機vsイタリア機の頂上対決して欲しかった
>>145
いやいやw指摘してる所は
>>橘花(日1945年8月7日 世界初のジェット特攻機(笑))
世界初のジェット特攻機w 桜花はジェットじゃなくて、固形ロケットだろうがなんですけどw >>68
後退翼の理論は知られていたけど、
Me262の後退翼は重心位置がずれた対策(DC-3同様)
Me163の後退翼は無尾翼機の為 ネ20は石川島播磨が持ってるよな。
上野の科学博物館で「帰ってきたはやぶさ展」やってた時、ドサクサまぎれに展示されてて激アツだった。
Me262の速度域では後退翼効果もわずかとのこと。 >>148
ミーティアは現存してるが、Me262は一機もなかったはず。
飛行してるのはレプリカでエンジンは別な物を搭載してたと思ったけど。
エンジンは使い捨てだったから、当時のエンジンは使用できないから仕方ないか? >>157
技術交換でわざわざ潜水艦で設計図を運んでもらったのに、パクリ呼ばわりとかひどい 秋水なんかどうでもいいから火龍に注力して欲しかった・・・・
>>89
B-24"ロンサムレディ"のトーマス・カートライト機長の話じゃない? >>157
つか元々日本でも原案はあったけど認められなかった
それがドイツでもやっている、と情報が入り突然予算がついた
ドイツから来た設計図はごく簡単な三面図に過ぎずほとんど参考になってない >>122
ケロシンだろw
どっちかつーと灯油だな。 >>5
ベルリンの黒騎士が最後に乗っていたやつか
(漫画だけど) >>158
何機か現存展示されている
もちろんフライアブルではないけど >>137
オーバースピード試験で、破壊するまでぶんまわしてデータ採って終わった。
中村良夫自伝に書いてあった。 もし橘花や秋水、震電が戦争に間に合ってたらというならば
おなじ理屈で日本の空にはP80やベアキャット、H型マスタングにシーフューリーが飛んでいたわけで
ベトナム戦争で大活躍のスカイレイダーだって大戦中に初飛行を済ませてる
潜水艦には技術士官が乗って研究してたんだよね
最後に日本の占領地域まで運んでたUボートが、ドイツ敗戦で途中で
連合国に降伏した時は、日本人士官は艦内で自害してる
>>160
不完全な設計図と写真だけで、作り上げた日本の技術者の執念はすごい。
現物のジェットエンジンと完全な設計図 分解された機体は潜水艦とともに海の藻屑になったのと、
ドイツ敗戦で、輸送途中のUボート U234はアメリカ海軍に見つかって投降、
随行してた日本軍士官 2名は自害だったけ?
あと、都市伝説レベルの話になるが、U234にはウランが運んでいて、
アメリカ軍が接収し、それが広島に落とされた原爆、リトルボーイに使われた。という話もある。 >>157
ちゃんと400万マルク(だったと記憶)出して買ったんですよ? Me262がモデルと言いながら実機の完成した海軍の菊花は特攻機で
実機の完成してない火龍は戦闘機だっけ?
>>170
日本の重爆より搭載量の多い単発機ってもうね・・
あそこで辞めてよかった >>170
奇天烈機のツインムスタングを忘れてないかい?
一応、朝鮮戦争で実戦投入されてるからなw >>175
艦攻の癖にMiG-17まで食っちゃうとか。
爆弾下ろしたら紫電改や疾風にも勝っちゃうと思う。 >>146
初期のジェットはエンジン寿命の短さだけでなく
燃費が悪く爆弾積んだら速度ガタ落ちで機動性用もレシプロ機に及ばず。
戦闘爆撃機運用は適性がなかったのでは? >>177
昔読んだ架空戦記でA-1スカイレイダーは戦闘機のF6Fより強い攻撃機だったけど
実際に模擬空戦をやったことあるのな? >>173
ドイツは日本からゴムなどの天然資源とか金とかで支払いさせてたんだよな。
ティーガー1型を金出して買ったのはいいが、ドイツから運び出す手段がなく
ベルリン攻防戦の折、ドイツ軍にリースしたって話が残ってたりする。
イタリアには優しいドイツさんだけど、日本にはがめつく商売してたんだよね。
タダで供与されたものはなく、戦線での協力もなかった。 >>182
へー、日本て実質たった一国で戦ってたんだな
まぁ、今も日本の友達って白人のアメリカしかいないしな >>180
イギリスが使ってたロールス・ロイス ウェランドは使い捨てじゃないよ。
今でも、当時のジェットエンジンで飛行可能なミーティアがあるからね。
ドイツのユモは現在主流の軸流式ターボジェットなんだけど、
当時の金属、加工技術などで問題があって、耐久性がなかった。
いまじゃ、問題なく稼働できるがな。 >>184
後は台湾ぐらいか?
大戦中の国民党空軍はアメリカのP36ホークのコピー機とかソ連のI16ぐらいしか作れなかった。
今は経国と言う立派な国産機を作れるまでになった。 >>185
しかし、フォーランド(ペッター)は使い捨て戦闘機を構想したのであった 総力戦なのに
陸軍も海軍もエンジンの名称も別々だし、当然補充用部品の番号とか違って、お互いに部品の融通も効かずに、おまけに航空機用の機関砲や機関銃の玉すら別物を使ってるんだから、これじゃ負けて当然だよね
プロペラのA-1とジェットを戦わせれば
もちろんジェットのほうが優位だが、
A-1は3000馬力近い最後の単発プロペラ機。
はじめは勝てないと逃げ回っていたが
出始めのジェット相手だと結構いい勝負して
ジェットを撃墜したA-1が出たという情報が伝わると
立ち向かうパイロットが増えて
ジェット撃墜記録が増えたそうな。
>>188
せめて陸軍航空隊と海軍航空隊(地上基地部隊だけ)を統合して日本空軍を
設立するべきだったかもね。空母機動部隊だけ海軍に残して陸軍航空隊が海軍航空隊を
吸収する形で空軍作ればそういった問題も無かったはず。 >>188
えーっとその・・・・頭悪かったのだと思うよ 日本空軍が出来て居れば零戦の量産に集中できたので隼は要らんかったし
鍾馗があるから雷電も要らんかった
火龍もギリギリ間に合ったかと思う
>>190
陸軍&海軍「これ以上敵を増やさないでほしい」 結局の所品質管理も規格統一もできなかったってのは、大量生産の概念が薄かったからっていうのもあるんじゃないかね
戦前日本の自動車産業なんてフォードの片落ちノックダウンが最大のシェア占めてて軍用トラック含めて数万台くらいしかないでしょ
今のトヨタの品質管理の礎だって戦後アメリカから輸入したものだし
>>188
そこら辺を統一すれば勝利も可能だったと? >>193
太平洋戦争を見据えるなら陸上機は零戦より隼が欲しい
あと、統合する際にスロットルをどっちかに統一してほしい >>198
そんなこまい事すら統一できないんだからもうね >>88
その通り、ただドイツ、アメリカ、イギリスは殆ど横並びだと思うわ
ドイツのベンツもユンカースも作れなかった2000馬力級の水冷エンジンを唯一実用化させたのはイギリスだけだし
WW2レシプロ最良戦闘機はP51かもしれんが、最強戦闘機はグリフォンエンジン搭載のスピットファイアだろうし 過小評価され気味だが
ソ連のラボーチキンLa9とヤコブレフYak9P
イタリアのG56とMC207
の4機種はレシプロ機の最強候補に入れてもいいと思う
日本機では烈風改
>>172
他の国はゼロから作ってたわけで
日本だけ数年遅れでその癖ジェットが戦争に間に合ってればB29を撃墜しまくりという調子のいいifが多すぎる。 何気にB29は第二次大戦の日本軍が一番多く落としている
朝鮮戦争のMIG15よりも多くね
期間的には朝鮮戦争の方が3倍ほど長いにもかかわらず
レシプロ最強候補ねえ
P-51H
F8F
スーパーマリンスパイトフル、シーファング
ホーカーテンペスト、シーフューリー
マーチン・ベイカーMB5
Ta152H
Do335
テスト飛行だけで量産化には至らなかった
MB5は欠点なしともいわれるけど
実際のところはどうだったんだろうかね。
>>198
それDB601ライセンスのエピソードと同じ、真実に混ぜ込んだデマだぞ
九七戦の頃ならまだしも、一式戦の頃には統一されてる >>60
中国はそこには載らんゼロだから。
中国が載るんだったらその他残りの国全部となる
適当なこと書くな 燃料のオクタン価の統一すらできなかったからな。
隼が零戦に劣るとも言われる一因もそこにある。
>>206
圧倒的な強さを誇ったのはドイツだよ
実質、列強全てを敵にして甚大な被害を与えた
米軍でさえ対日戦の倍くらい戦死者が多い 中島飛行機の武蔵野工場は昭和18年までは、道路1本隔てて高い塀で囲まれた、別々のエンジン工場で陸軍海軍の同じエンジンを作ってたんだから、さすがに三菱は工場を別々にする要求は拒否したらしいよ
>>202
ドゥーリットルはB25、通称ミッチェル。
大戦中に訓練飛行で、エンパイヤステートビルに衝突したのと同形機。
B24は空母に乗らない。 >>171
その技術士官は潜水艦に乗って研究してたのではなく
ドイツで学んだ最新技術を日本に伝えるために乗ってたんだよね
それに軍属で士官になってたけど実質は民間人だし 「厚木三〇二空と、第三一二及び飛行第七〇戦隊に全力出撃命令を出せ!皇国兵器を出撃。驕敵を撃滅せよ!!」
おお、昔、PSのゲームでて出来た。
ゲームの名前は、思いだせん。
>>182
第一次大戦の時に太平洋側の植民地荒らし回ったニポンの雄姿()を忘れていなかったのさ 規格統一に向けて各方面へすり合わせを行うと、話がまとまる前に戦争が終わる。
そんなことはいいから今のまま生産しろ、となる。要は量産を優先したってだけの話
アメリカは規格統一したはずが湿気対策(米本土は乾燥地が多いので)が甘くて
思わぬ苦労してる
レシプロ最強候補
<アメリカ>=P51Hマスタング、P47Mサンダーボルト、F8Fベアキャット
<イギリス>=スパイトフル、スーパースピットファイア、テンペストMK2
<ソ連>=ラボーチキンLa9、Yak9p
<ドイツ>=TH152H、TH152C、Bf109K14、Do335プファイル
<日本>=烈風改、震電
<イタリア>=MC207、G56
<オーストラリア>=カンガルー
<フィンランド>=ピヨレミルスキー
早々と降伏したフランスとP36の改良型が最強だった中国やポーランド、オランダなどその他は除く
>>225
カタログ性能値だけはすごい欠陥機ばかりだなぁw
初期不良が改善されてないのが大半じゃねぇか >>190
陸軍省・海軍省の統廃合には憲法の改正が必要だったんだよ
アメリカだって空軍が独立したのは戦後だし そうか・・・ライト兄弟が飛んだ時に10歳だった人は
76歳で人類が月に立つのを見たんだね
1980年代に生れた人は、死ぬまでにこれほどの飛躍を目にできるだろうか?
なんとなく人類停滞してない?
>>225
TH152じゃなくてTa152の間違いだった 日本の機銃の規格が同口径でも陸海軍で違っていた云々は
単に、規格を統一したらコストも時間もかかり工作機械も生産ラインも
一新しなければならず前線の戦力が低下するってのとバーターにして
そのままにして生産していただけで、別に規格化の発想が無かったわけではない。
旧軍への人格批判は筋違いというもの
日本でも大正10年に工業規格統一調査会が設立されて、日本標準規格(旧JES)があった。
昭和13年からは航空機標準規格、昭和14年からは臨時標準規格、いわゆる戦時規格ができてた。
逆に工業技術や品質管理は、JIS規格のある昭和40年代でも戦前とあまり差がないだろう。
それとアメリカでもヤード・ポンド法の会社と、メートル法の会社がある。
2社でボフォース40o機銃生産させたら、2社の製品に互換性がなかった。
後は欧州のISO規格とか、国際規格も会社によって違ったりするし当時の工作機械も独製や米製で違う
アポロ陰謀論とか根強い理由の根っこには、この停滞があるのでは
宇宙探査も無人では大きな成果を上げているんだけど、有人はそうでもないからな〜
一見停滞しているように見える罠
>>45
それはベイオウルフ(人狼)じゃね?
ワーレンの艦がサラマンドル(火竜)じゃろ。 地元民だけど話題に入れない俺涙目
>>217
あの古めかしい建物もついに用済みになった模様 >>224
>アメリカは規格統一したはずが湿気対策(米本土は乾燥地が多いので)が甘くて思わぬ苦労してる
日本より高温多湿なフィリピンが植民地でしたが? 軍装備の企画化で言えば日本工業の金字塔と言ってよいのが陸軍の統制型エンジン
シリンダーを初めとする各種部品を共通化して気筒数を変えることで馬力と大きさを調整し
トラックから戦車に至る各種車輌のエンジンを部品レベルで統一するって奴
各国にも同様の発想はあったが実現させたのは日本だけだった
ドイツの戦闘車両はバリエーション豊富でプラモデルにするにはもってこいだが
形式がバラバラで部品調達に相当の問題がりドイツ軍にとって悩みの種のひとつだった
>>237
結局負けるにせよ陸軍と海軍で共同してやればもうちょっとマシだっただろうにね。 確か陸軍所有の空母もあっただろ。
きさまあ、陸軍だけで戦争をおっ始めるきかあ! ぐらい言ってやりたい。
世界的に見れば何処の国も似たようなモンだけどね
ガダルカナル上陸に成功した直後、三川艦隊に急襲されて大損害を出したアメリカ艦隊は
海兵隊を残してとっとと退避してしまった
激怒した海兵隊は”海軍のクソ野郎は二度と信用しない”を合言葉に独自航空隊の創設を要求した
>>201
疾風の乙型は20mm四丁、最高速度660/kmで500機以上量産されてるし
それで甲型の旋回性能や上昇力がなくなった訳ではないので加えて良いと思うよ
ただし高度6000mまででお願いなw
(それ言い出すとイタ機やソ連機そうかw) >>238
海軍陸戦隊は海兵隊的な位置付けだから、着上陸しての戦闘やるからね
基地航空隊の方が変なんだけど、これはそうでもしないと数が負けすぎてて話にならないからだし こう言うの見てると昔の日本と北朝鮮がダブるな
ろくな自動車も作れない工業力なのに兵器開発には背伸び
結局パッチモンしか作れん
>>228
逆にこれからブーストしたら俺たちが特養に入る頃に火星に行っているかもしれない >>71
オートパイロットは大戦前からの技術。中型機以上はたいがい付けてたな。ジャイロコンパスで三舵をコントロールできた。
海軍はアメリカのスペリー式のパクり、陸軍はドイツのテレフンケン式のパクりを国産化して使用。 >>241
世界初の強襲揚陸用空母あきつ丸だな
上陸戦の担当が陸軍か海軍かまだハッキリしない時代だったからねぇ >>246
平時からレーダーもアラート機動かせない北朝鮮と
降伏するまで三年半三正面の全面戦争して尚、降伏後もレーダーも迎撃機も動かせた日本
似てるわー(棒読み >>249
あきつ丸なんて話にならない
連絡機しか詰めないクズみたいな船だ >>251
なにごとも最初の船というのはそんなもんよ
イギリス最初の空母だって艦載機を甲板員が手で捕まえて着艦させたりしてたしな〜 >>237>>241
陸軍の空母や潜水艦は海軍の技術供与のおかげで実現できているんだが。
そもそも運用目的が違うんで批判するのは筋違いというもの >>246
当時、兵器開発に背伸びしてない国がどこにあったんだよw >>255
そんなんでもあるのと無いのとでは全然違う あきつ丸はどう見ても空母だが、陸軍は揚陸強襲艦と言い張っておっての。
諸外国対策じゃろが・・・
80年後も同じでござった。
>>252
じゃあ海軍の技術を教えてもらえばいいじゃないか
それもしないで船舶工兵なんてわけのわからん組織を作ってるのは
いかにも陸軍らしい欠陥知能 >>258
船舶を運用する以上は専門の運用員を準備するのはそれほどおかしくは無いな
鉄道運用するのに鉄道連隊があるようなもんで
これほどの艦船でなくとも陸軍は上陸用舟艇ももってたし
どっちかというと海軍の無理解が問題じゃね? >>224
M-4シャーマンのエンジン、数種類あるし、生産した工場、受けよった会社で違う。
海軍機は星型空冷を好み、陸軍はイギリスから供与されライセンス生産した
マーリンをつかってたしな。アメリカは規格の統一というより、
国のすべての生産力を軍事に注いだ結果の物量だと思うぞ。
GMに銃の設計、製造させたり、なりふり構わずにやってますよ。
そうそう、F4FはGMで作られたものが一番多い、 >>258
それ間違いだとおもうぞ。
兵站を海軍がやってくれないので、苦肉の策だろ。
自前で輸送潜水艦まで作って運用しないといけない羽目になってるんだからな。
海軍の潜水艦と違って、損失したのは、4隻くらいだったな?
戦後、ほとんど残ってたんだよね。 >>258
海軍の技術供与があってはじめて完成したことを知らない無能w
丸とかクダラナイ軍事雑誌程度にも最近はそれくらいのことは書いてるぞ >>228
デジタル技術やPCや携帯、スマホ、インターネットなどの出現と進歩を見れば停滞どころか飛躍が加速してるように思える >>258
>どっちかというと海軍の無理解が問題じゃね?
海軍陸戦隊が強襲上陸に無理かだった点はあるだろうが
俺が言ってるのは「外洋船の基本性能」も持ってないような船を作る神経だ
まあ、復員船としては大活躍だったらしいが >>264
Googleマップも映像で、しかも最近は鳥瞰が出来る時代だから、この辺の進歩は凄い。
建物とか街の風景はあんまり変わらないのだけどね。IT関連は飛躍的に伸びているよ。 >>253
潜水艦は海軍にソッポを向かれ冷やかししか受けてない
造ったのは造船所ではなく機関車工場だった >>230
工業技術や品質管理は、JIS規格のある昭和40年代でも戦前と革命的に差がある
今日の日本の高い技術や品質管理は朝鮮戦争でアメリカから導入前されたものが原点
それ以前と以後で全く違う 海軍に技術支援を仰げばとか言ってるけど石油の精製技術で長じていた海軍は
陸軍にそれを教えようとはしなかったような国だぞ
>>267
造船所を使用することで起きる前線兵力の低下とバーターしてそうしたってだけ 海軍は海軍で艦隊の再建に必死だったからね
そもそも制海権があれば輸送用潜水艦はいらんのだし
造船所の熟練工でも、飛行機製造工場の熟練工でも、考慮せずビシビシ徴用していったからね。
世界一公平な徴兵制度とかw
生産量がガタ減りでも委細構わなかった模様。
戦局の実相は誰がみても日本に必要なのは多数の護衛用小型艦艇だってのは明白だった
だが海軍は建艦計画を大改編しようとはせず戦前からの計画を維持しようとした
伝説としては魅力的だが戦略的必要性が疑問視されだしたイ400型の建造を進めてたりしてた
陸軍としは頼むから護衛用艦艇の建造にシフトしてくれ、と叫びたかっただろう
>>273
決戦で勝てない状況では
護衛用小型艦艇だけ大量にあってもあまり意味は無い
ましてや開戦後しばらくは米軍の潜水艦は魚雷不良や運用の拙さもあって全然脅威じゃ無かったしね
ちなみに海軍の建艦計画はミッドウェー以後抜本的に変わってる >>274
ホントだったら普通の神経の持ち主はそんな事書けない。 >陸軍ジェット「火龍」
日本製ジェット戦闘機、いいですね゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○プハー
-----------
★1940年代のジェット戦闘機
■世界最初の実戦投入されたジェット戦闘機は、ドイツMe262。
メッサーシュミット社、エンジンはBMW。重量4.5屯、
最大速度時速870km、30mm機関砲x4。
1944年10月米軍機15機を撃墜する戦果(被害は6機)。
■1944年潜水艦イ29によって設計図が日本に来る。特攻機橘花の
ヒントとなるも実戦前に終戦。
■英でもミーティアというのが同じ頃実戦投入。
■ロケット戦闘機はMe163があり撃墜14機を記録。これを元に
日本で秋水が作られるも実戦前に終戦
■ジェットには以下の欠点があった:
・燃費が悪く1時間位しか飛べない(プロペラ機は4時間)
・重い。1屯近くある(プロペラ機の3倍)。このため機動が難しい。
『ジェット空中戦』(光人社NF文庫/木俣滋郎)
ジェット機の登場で、機関銃による空戦は徐々に廃れ、
ミサイルの時代へと発展していくのであった゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○プハー
-----------
『ジェット空中戦』(光人社NF文庫/木俣滋郎)
■赤外線追尾型のミサイル「サイドワインダー」は1958年頃登場した。
そのころは左右30度の範囲で発射すれば命中した。台湾海峡での戦闘
(1958/09/14)では命中率は67%に達しミグ17を11機撃墜した。
■第?次印度パキスタン戦争では、印度側F86は33発のサイドワインダーを
発射し9発が命中。相手が爆撃機だとよく当たるが機動力がある戦闘機だと命中率は下がった。
■ベトナム戦争(1965-1973)の北爆の結果:
【被害】48機(高射砲機関銃によるもの8割、地対空ミサイルによるもの1割、空中戦1割)
【戦果】113機撃墜 ※F4ファントム(推力4.9屯x2、マッハ2.2)が投入された。
■ベトナム戦争全体
【米被害】538機(事故316機、敵機による被撃墜16機、他は地対空砲ミサイル)
■第三次中東戦争(1967/6/7)
イスラエル空軍全戦闘機196機で敵飛行場奇襲。敵エジプト軍のレーダー手が
休む午前7時45分に実施。奇襲は成功し地上で300機操縦手350人が喪失。
イスラエル側被害は30機(ミラージュ3など)。
■第四次中東戦争(1973)
【イスラエル空軍被害】全体の20%107機(空中戦によるもの10機、地対空ミサイル砲火40機)
【イスラエル陸軍被害】兵士の10%、戦車の30%
【アラブ側被害】 390機(空中戦によるもの287機)
■イラクイラン戦争(1980)
射程110kmのフェニックスミサイルが投入されたが戦果無し。F−14(推力9屯x2)が参加。
■フォークランド紛争(1982)
【英ハリアー戦果】30機(サイドワインダ16機、機関砲8機、他爆撃等)
【英ハリアー被害】10機(機関砲、事故、空中衝突、地対空ミサイルなど)
>>275
根本的って言う程変わってない、艦隊決戦ではなく島嶼基地の争奪とそれへの補給戦こそが
決戦に変わったんだと認めなかった
決戦で勝てなければ護衛艦があっても意味がないってのは海軍主流派の理屈だが理があったとは思えない >>280
それ以降もマリアナ、フィリピンと決戦はちゃんと生起して
そこで破れたら護衛艦が有ってもどうにもならんのだが
太平洋でも大西洋でも、決戦に勝った上での護衛戦力という状況はまったく一緒 >>92
中島のエンジン設計はプリンスを経て日産の中に息づいている
つまりGTRこそ誉・栄エンジンの正当な子孫であり
インプレッサは遠い親戚でしかない >>30
スバルモ日産もテルモも東芝も
日立もNECも富士通も多摩地域にあるのは
元は全部軍需企業だから >>281
決戦なんてするから1日で負けて逃げ帰って陸上で餓死者病死者累々になるんだろ。
日本がどれだけ頑張って決戦用なる軍艦作っても昭和18年以降にそんなもんやったら数の上で即負けるくらい明白だろ。
太平洋からアジアまで本土含めて物資の補給を滞りなくする為に、一体どれだけの方面で決戦なるものをするつもりだよ。 >>126
Me262は戦闘機として設計されたが、開発責任者のメッサーシュミット博士が一応爆弾の搭載も可能と答えたので
ヒトラーが高速爆撃機として運用することを望み開発計画が促進された
だが、爆撃機として運用する場合は搭載量不足や爆撃用の照準器が無い等の問題があった
建前上、戦闘爆撃機型を少量生産しながら大部分の生産力は戦闘機型に向けられていたことが発覚しヒトラー激怒 初期のジェット戦闘機は爆撃までは無理で、朝鮮戦争でもP-47とかF4Uコルセアを戦闘爆撃機として
使用せざるを得なかったようだ。純戦闘機のF8Fは小型すぎて爆弾が詰めずに、あっと言う間に
陳腐化して退役。小型にしてしまうと汎用性で落ちるから仕方なかった。不運な戦闘機。
>>288
史実では決戦と呼べるのはミッドウェー、マリアナ、フィリピン沖の三つだけ
海域の帰趨を決めたという意味ではマレー沖も入れても良いかもしれないが
あとは極論すれば局地戦
護衛艦が居ても制海権を握った海軍の封鎖を突破できるわけはないから
陸上で餓死者累々なのは変わらない >>289
※この激怒はほんとに激怒です
「CMあけヒトラーマジギレ!」的な生やさしいもんではありません >>280
F8Fは空戦に特化した戦闘機ですからね。F4Uよりも空戦では強かったし。
でも朝鮮戦争の時にはジェット機が実用化されていて出番が無かった。 >>59
敗色濃厚な戦争末期でも大相撲開催されていた。
ただ食糧事情の悪化により力士の体格は見る影もなかったようだが。 日本も赤外線ホーミングミサイルを試作していた。
それは航空機から敵の艦船に向けて投下するタイプのもの。
しかし、たぶん完成する前に中止にしたかなにかで、
実戦には投入されていない。
>>294
四つに組んで20秒動かなかったら「敢闘精神に欠ける」と、両者黒星だったようだ。
そら、腹も減って動けないですって。 >>295
八木アンテナで有名な八木秀次が推進した熱線誘導兵器だね
この研究で後にSONYを作った井深大と盛田昭夫が出会った >>291
そのたった3つの負け決戦の為に日露戦争以来40年以上国費の半分を投入して決戦用艦隊作った挙句350万人の犠牲者の半数以上が餓死病死ってどうなんだよ。
米軍に撃沈される為の決戦用空母なんか作るんだったら対潜水艦用の護衛空母でも作って本土のシーレーン守ったほうがいいだろ。
そもそも海軍なるものはシーレーンを守る為に存在するもんであって一体イギリス海軍から何を教わったんだ?
イギリス海軍で決戦にさえ勝てばシーレーンは維持されるなんて発想無いぞ。 >>295
特攻ロケット機桜花を吊り下げて離陸する一式陸攻が
敵艦に接近前にバタバタ撃ち落とされていたから
空中発射式は使い物にならないと判断された >>299
本土のシーレーンが脅かされるのは決戦に負けて制海権を喪失したから
イギリス海軍は決戦兵力で仮想敵を優越した上で護衛戦力を作ってる
イギリスが決戦兵力を棄ててたら独潜水艦だけじゃなくてビスマルク以下の水上艦艇によっても本土のシーレーン封鎖されるわけだが
こうなったらいくら護衛艦がいても突破できないでしょ >>134
桜花の推進力は固形ロケットだけど、カツヲドリって無尾翼グライダーにラムジェットを搭載したジェット機の開発経験が元になっている
ジェットエンジンが実用化できなかったから固形ロケット特攻機として生まれ変わるしかなかった >>59
プリティリーグて映画あったよな、トム・ハンクスが女子野球チームの監督役の >>148
カッコ良さでは震電も負けていないと思う
美しさでは百式司偵 そもそも、わざわざアメリカと戦争しに太平洋くんだりまで出掛けなきゃ
日本に守るほどのシーレーンなど無いのだ
列島回りと福岡、朝鮮ぐらいだからな
そもそもシーレーン保護のためには決戦で敵水上兵力を排除するのが大前提で
制海権を失ってもなお潜水艦というシーレーンを脅かすことが出来る兵器が生まれたから
さらに護衛艦が必要になった
従って、決戦戦力護衛戦力どっちも必要なのであって、決戦戦力を削って護衛戦力があれば良いというのは間違い
どちらが優先されるべきかといえば決戦戦力なのは当然
>>54
当時の呼称にするなら皇軍だな
それをテレビで言えれば戦後は終わる >>54
同じことを思ったが
旧(制)陸軍のことだと勝手に解釈している。 >>305
アメリカは、ドイツが先に原爆開発に成功する事を最も恐れてたから
日本軍が強くて西海岸を脅かされる事態になれば、日本有利な条件で
和平を結び、対ドイツに全力を注がなければならなかった
対米開戦の判断は間違ってはなかったけど、現実の日本軍は弱すぎた >>272
それドイツでも全く同じっていう以前に、そもそも年々爆発的な量的拡大で量産された
航空機工場の現場で“熟練工”なんてものは最初からいなかったんだよ。
昭和アホ俗説の最たるもの
Q)キムチ臭いのが「日本の航空機生産は激減したニダ!」とか言っているけど
A)そんな事実はありません
----
■日本の航空機生産量は以下の通り:
41年 0万3千機
42年 0万6千機
43年 1万4千機
44年 2万1千機
『日米情報戦』(光人社NF文庫/実松譲元海軍大佐)
>>310
三国同盟がある以上日本の単独和平は無いよ >>311
高等工業学校や工業専門学校から入社して工作機械扱ったりメンテしたり生産管理してる連中が徴兵でいなくなったら機能不全になるだろ >>313
三国同盟はソ連封じ込めが目的だから、ドイツがソ連と不可侵条約を
結んだときに実質的に終わってる
ドイツに義理立てする必要は無い >>312
1945年の生産機数は?激減してないと言い張るなら比較しやすいように月産で書けよ
Q)キムチ臭いのが、未だ固執しているけど
A)1945年は8月までしかないし、空襲による影響が大きい。
「徴兵で熟練工がいなくなったから」ではありません。
>>317
朝鮮学校では統計どころか割り算さえ教えてないのか? 火竜が部隊配備されたころにはアメリカはセイバーを出してくるな
>>295
日本にそんなもの実用化できる技術なんかあったはずがないなw >>307
日本海軍は伝統的に西太平洋で日本海海戦の再現を狙った艦隊決戦を夢見ていたから
シーレーンなんて発想は元々ないがね。駆逐艦はガタルカナルで大量に消耗して
護衛に回す駆逐艦なんて全然なかった。
ガタルカナルはベテランパイロットも多数失うし、鬼門だったな。 >>320
セイバーは朝鮮戦争でP-80がMig-15にボコられてから出てきてるので
出てくるのはP-80 >>54
旧 は単に「昔の」も意味するから、現陸軍や新陸軍が無くても間違いじゃないぞ 真空管はあったんだから
赤外線に反応するものは作れるだろ。
実用化に至らなかっただけで。
しかし同じ電探でも
手動でアンテナ動かしてオシロスコープ覗くのに比べれば
回転式スコープを考案したイギリスはすげえな。
電波の回路は似たようなものなのに。
>>328
岡部さんが世界初の分割陽極型マグネトロンを開発したけど日本じゃ蟲師されて海外で評価されて研究発展したんだし
日本じゃ(ヾノ・∀・`)ムリムリ >>326P80は1945年にはすでに実戦配備だから烈風とベアキャットよりも悲惨な事態になるな > 溶接が粗く強度が不足しており、ドリルで開けた穴にできる「バリ」と呼ばれる突起も多く残っている。
当時の日本の工業技術力では完成できない
>>333
日本には世界に誇る職人さんがいるやないか
零戦も少しでも最高速度上げるためにリベット溶接したあとに職人さんがヤスリでリベットの盛り上がったところを
手で入念に削って空気抵抗下げたんだぞ
なお、一機一機手作業でそんなことしてたから生産数が少なかった模様 この国で長年、大勢の国民に危害を加え続けている集団ストーカー、テクノロジー犯罪の犯罪者集団
の最高責任者、内閣総理大臣安倍晋三、国家公安委員長前任者松本純、警察庁長官坂口正芳、警視総監
沖田芳樹、各自治体県警トップらを即刻処罰すべきである。
>>314
航空機生産が数年で10倍とかになってるんだから
そんな論は意味ないっての そういえばセイバーの初飛行って1947年だから火竜と変わらなそうじゃね?
>>328
PPIスコープは日本も同じアイデアがあったみたいだけど、物資欠乏で量産の目処がつかなかったとかり 中島飛行機東京工場総務部長 富澤喜一氏1944年記
かつてエンジンは「一種の芸術品」であり、「そこでは若干の優秀なる熟練工がその高い技能を誇り、
熟練者にあらざれば発動機の生産は期待し得ないという常識に支配されていたのである」。
しかし1943年頃に至り「技術的濃度の希薄化により、製品の品質低下が懸念されるであろう現状でもある。
而もその工員の素質は、独り技能に於けるのみならず、その体位に於いて、その心構えに於いて低劣化したにも拘わらず、
工作方式の単純化に伴い、多能工や熟練工の必要は漸次希薄化し、若干の優秀指導者あらば、単能工を以て生産増強を
期待し得るに至ったのである」
>>331
アメリカ軍P-80は、テストパイロットは乗りこなせたものの
平均的なパイロットが扱うには難し過ぎる機体で
エンジンの信頼性も低かったことにより投入は諦められた。
戦後は練習機に改造されT-33として自衛隊にも配備された。 >>342
一方、アメリカはフォードが確立した部品規格の統一化とベルトコンベアによる素人の流れ作業による
大量生産を兵器にも転用して大量生産をなしとげた
P-80とF8FはWW2で本格的実戦が無くてよかった機体。
どっちも空力設計(他F8Fのセイフティウイングチップとかもダメ機構)に
致命的欠陥があって大改造と長きにわたる熟成期間が必要だった。
例によってカタログ性能値 だ け でニワカにもてはやされる機体w
>>345
それでもアメリカの航空機生産は無駄多すぎだけどな
今月の歴史群像でも見てみろよ。
1944年には国力10分の1の日本が原料不足や爆撃という悪条件にかかわらず
アメリカの3割程度の航空機生産を達成してるんだから日本の航空機工場は
十分成果を挙げたと言える >>338>>342
素人かよ?
自動車生産でも新車の大量生産のラインが完成するまで熟練工だらけだ
徐々に冶具や作業動線の改良がくわえられて徐々に期間工などの単能工に入れ替わっていく
マイナーチェンジが行われた場合も熟練工が必要になる
零戦作ってた中島の工場もラインが完成したから多数の熟練工が必須ではなくなっただけで、
もし強引に紫電改や烈風などの新型機への切り替えが行われていたら生産力低下でどうしようもなくなっていただろう >>344初期型ジェットなんかそんなもんだしペラになれたパイロットは全員ジェットに
違和感感じるだろうよ。よほど今のジェットの方が操縦は難しい。 >>59
B-29の工具は主に木槌で、昼は女の子がコンコン叩いて働いて、夜はおっさんが工具を修理してた。日本にばれないように工場を白い布で覆ってた。
日本軍、カンザスまで行けませんって。 黎明期ジェットて速度乗ってる理想状況下以外ではむしろレシプロに負けるのが多いからなあ
日本の戦闘機は女子高生が部品を作って組み立てた物だし
その女子高生も軍部が職場を死守することを命じ、米軍の爆撃で殺された
>>347
それは単に国力を戦争に全振りしてた日本と余裕ありすぎて他のことにも普通に国力向けてたアメリカってだけだぞ
戦争中のアメリカは主婦向けの昼ドラが大ヒット、TVショッピングも大ヒットして通販産業が発展して運輸業も発達
夫が出征して暇になった主婦がソファーに寝転んでTVみながらポテチ食いすぎてデブってしまい、旦那が帰ってくる前に
痩せようと主婦向けのダイエット産業とかダイエットサプリメントも大人気になった利、不倫が社会問題化した・・・
アメリカはそんな国だぞw 戦争のために家庭から鍋やフライパンまでださせたり寺の鐘溶かして国力全振りしてた日本と
そんな比較しても意味ないわwww >>299
そら、誰がどういう戦略と技術もってて何やろうとしてて、とか全部わかってる状況で言うのは簡単な事だわなww
それに何かの兵器を、予算付けから開発から工場おさえるのから作るのまで、簡単に右往左往できるもんじゃないぜ
コーエーのゲームかなんかの感覚で語っても仕方ねえだろww
「レーダー技術と対潜技術に予算全投入しろ!!開発最優先な!」
で次の次のターンに開発完了みたいなwwアホかw >>310
米軍の太平洋戦争での死傷者数を見ると日本軍はそんなに弱くはないと思うけど… >>354
どこの並行世界の話をしてるんだよww
アメリカも物資不足には苦しんでいたんだよ。
開戦後、日本が東南アジアを占領したのでゴムの供給が途絶えゴム製品が姿を消した。
42年12月から主としてタイヤ節約のためにガソリンの配給制が始まった。行楽のドライブは禁止された。
まもなくハイウェイから車が姿を消し、舗装の継ぎ目から雑草が顔を見せるようになった。
アメリカの旅行業界、リゾート業界は大打撃を被った。
45年1月にはガソリンとタイヤ節約のために競馬場、ドッグレース場が封鎖。あらゆる鋼製品の製造が禁止ないしは
大幅に規制されるようになり、戦争終了前には軍ですら金属不足に悩み始めていた。
(「誰にも書けなかった戦争の現実」より) >>351
風船爆弾はいくつか到達してるし、単発だけど潜水艦搭載で爆撃したんじゃなかったっけ?
だからアメリカは極端に警戒してた。 >>354
アメリカでテレビ放送が始まったのは1941年。
一般家庭に爆発的に普及したのは戦後だよ。 >>354
戦争後半の日米国家財政における戦時国債発行比率は
日米同じくらい >>354
テレビのホームドラマはじつは日本でも戦前に作ってたよ
「夕餉前」ってやつ >>5
>>325
橘花、火龍ともにMe262から設計を変更してる
橘花とMe262を比べると、橘花がかなり小さい。
形状は似せてるけど構造や強度設計も別物と思える。
秋水もMe163と比べると、パネルラインや胴体形状にに大きな違いがあって
独自設計の部分が多い。
ドイツ側の資料が不足してたのもあるだろうけど >>7
どっちもエルロンとエレベーターは生地張りなんだぜ? >>355
それを数か月単位で開発していかに前線に投入するかで勝負は判れたんだよ
アメリカだって最初から全部持ってた訳じゃない
更にいえばレーダー技術そのものは元々日本は持っていたものが多く、兵器として組み上げる過程が
残ってるだけで海軍に先見の明さえあれば充分に戦力化できたでしょ >>362
風船爆弾は無人操縦装置が着いてたんだぞ
高度が低下すると32個ある砂嚢を適宜に切り離し
偏西風に乗り続けるように設計されている
また爆弾投下の自動で行い、爆弾投下が終わってから自爆する仕組みになっていた >>362
風船爆弾はじつは結構な脅威だった。
細菌詰められたらアメリカといえども手のうちようがなかったからな
乾季に山火事を起こされても厄介だった。
だからアメリカは多額のコストを割いて風船への万全の迎撃態勢を取るとともに
米本土に届いているという情報が日本側にもれないようアメリカ政府は
必死の情報統制を敷いていた >>362
風船爆弾って旧軍を馬鹿にするネタでたまに出てくるけど、調べると結構良く出来てたし、アメリカ軍も極端に警戒してたし、パニックを恐れて徹底的に隠蔽した。
あれに細菌兵器とか載せられたら大損害だから。
ちなみにアメリカ本土で民間人だけど数人殺してる。 >>299
第二次大戦イギリスは遠洋の植民地支配のために軍備を進めた結果
ああいった装備だから
ソ連との戦いしか頭に無かった日本と比較しても意味が無いだろう。
あと日本は空母も決戦戦力ではなく
むしろ陸上から発進する、陸上攻撃機に命運を託した。
戦争真っ只中、富嶽のような無茶な計画が進んでしまったのも
遠因はこれにあると思える >>340
アイデアじゃなくて実際に作って動かしてる。日本ではパノラマ式電探と呼んだ。
51号電探がそれ。 >>368
よく出来てたどころか
無人で太平洋1万キロメートル以上を突破するなんて
並大抵の技術じゃないんだよ
今でも炭疽菌積んで、アメリカに流されたら脅威だと思える
ミサイルで撃ち落とすにしても哨戒コストが膨大になるしな >>362
情報隠蔽する位脅威だった
一応戦果残してるんよ
山火事何件かと民間人数人殺害
大量に且つペストでも仕込めば更に泥沼だったろう >>363
エンジンに関する資料をドイツから日本に運ぶ途中船が沈められて一部しか伝わらなかった
独自に作り上げるところまでは持っていったが出力がドイツのものより小さかったため
必然的に機体も小さくなったという話だそうだな
最初の技術導入が成功していれば年単位で実用化が早まっていたかもしれないが
日本の工業水準では製作不能で結局同じだったかもしれないな >>367
アメリカ本土攻撃って、伊四百型+晴嵐のそもそもの目的だよな〜 >>371
高度維持装置とか良く出来てんだよな。
米軍はバラストの砂を解析して放球地点を突き止めて徹底的に爆撃した。 >>294
大横綱双葉山。映画がある。東京の蔵前国技館より大きい大阪大国技館で
最後の大相撲が行われたが、ここも空襲で破壊された。
あの頃、
米英とも国民総動員規模は日本以上だった。軍需工場への女子挺身隊の勤労動員
も彼らの方が先だった。若き日のエリザベス王女も挺身隊員として工場で働いた。
ボランティアの訳語が挺身隊だが、下司な意味に解釈している国がある。
大東亜戦争は欧米先進国とアジア唯一の先進国日本との、四つに組んだ大決戦だ
った。本土決戦すれば、多分日本は勝ったと思うが、原爆には勝てなかった。
原爆は日本でも、東大、京大で研究していたが、非人道的と反対したのが東条首相
その人だった。彼はナチスのユダヤ人排除にも身を挺して反対した。彼こそ人類の
恩人である。
日本はテレビの本放送を1940年と決めて受像機も独自に開発していた。戦争で
実現は10年程遅れたが。 >>372
「戦果」は少ないがその裏には米軍の迎撃活動もあったようだな
戦闘機に取り付けたカメラで風船に銃撃を加えるところを撮影したものがいくつか残っている >>373
最初に日本でタービン機開発してた当初は、遠心タービン(車のターボとかの形式)だったんだよな
当時の開発者的には、遠心タービンをそのまま開発続けた方が初飛行は早かったとか意見してるのも居るのよね
Me262は軸流タービンで、一から開発しなきゃならない代物だったので、余計時間が掛かってしまったという
でも、趨勢を見ると軸流タービンで正解だったw テレビも爆弾に付けて誘導兵器にすりゃよかったのにな
>>365
アメリカも真っ当な使い方でのレーダー運用は持てあましてて
むしろ銀紙による敵レーダー撹乱や
飛行機で巻いた銀紙を艦船レーダーにキャッチさせて
砲弾の誘導距離を延ばすみたいな応用で威力を発揮させた。
イギリスのレーダー防空が評価されてるけど
あれは近距離防衛に近く、日本が見舞われたような
800qとか2000q向こうから空襲に向かう飛行機をキャッチして
効果を上げられたか疑問もある。スパイの密告も活用していたそうだし。 軸流式のネ20を開発してて、
ドイツからボケた写真の見取り図だけが
なんとか届いて、
この方針で間違いなかったとホッとした、という話が
「ジェットエンジンに取り憑かれた男」
の本にあるね。
>>378
ミーティア(英)→Mig-15(ソ)→J5(中)
遠心式のまま実用化した国もあるんだけどな >>382
独逸と一緒で耐熱材料に欠かせないニッケルも無かったし、
結局終戦まで実用化レベルまで持って行けそうには無かったけどな >>383
好調なネ式の奴は縮小開発続行させつつ、軸流タービンに軸足移せば良かった
っつうのは結果論に過ぎんな、うんw
そんなに人材残って無いだろう >>13 零式戦闘機 一式戦闘機隼 二式戦闘機 三式戦闘機 4式戦闘機 五式戦闘機
たった1年で新型戦闘機の登場だもんな。 博物館にネ21とユモが並んでるが
あまりの工作精度の違い、早い話が水道管の取り付け工事みたいな日本のエンジンと
配管・プレス部品・溶接の完璧なドイツ製エンジンをみて、負けたのは仕方ないと実感したよ
戦後それを弾き返したのは見事だが
>>378
軸流の試作はTR-12エンジン(ネ12)で作図が終わっていた
その後ドイツの資料が届きネ20の開発が始まる
1942年(昭和17年) ・空技廠発動機部に研究2課が発足
1943年(昭和18年) ・遠心式TR-10の燃焼実験開始、クリープなど不具合を確認
1944年(昭和19年) ・発展型のTR-12を開発、軸流タービンを設計
・7月 BMW003の縮小写真、ユモ004の見学記録を入手
・8月 石川島ネ130 中島日立ネ230 三菱ネ330の開発開始
1945年(昭和20年)
・4月 ネ330の総組み立て完了、試運転を進めるも名古屋発動機の空襲によって中断。
・新潟鉄工所でネ330 2号機を製作中に終戦
三菱ネ330
・1944年7月に名古屋発動機で西沢弘 技師をリーダーに開発
圧縮機 鈴木春男、 燃焼器 吉井久 小林克己、 タービン 中野信 二木明
補機・駆動装置 小仲清一 という技師が担当 >>376
女性を軍隊に所属させたのも英米の方だしな。
日本は自衛隊が発足するまで女性の軍人が居ない。 >>387
ネ20も橘花も工場の割り当てがなくて農家の蚕小屋を改造した納屋で開発してたんだぞ
>>387
材質が違うから単純比較できない
ドイツは、燃焼室に耐熱合金を使用している
日本は、鋼にアルミをコーティングした代用素材で運転。
ドイツが耐用20時間
日本が耐用10時間という半分の運用時間になっている。
まあ捕獲されたネ20のテストでは、10時間以上運転しても破損が無く
安全率としては充分だったことが判明しているけど。 >>385
いやミーティアのエンジンは欠陥が多い
実験機なら充分だが
戦場に出すには制約が多かった
4G掛けるとエンジン停止するんで >>384
ドイツは空気の冷却効果で燃焼室の破壊を防いだが
日本も耐用時間を落とす前提ではあるが
鋼をアルミでコーティングした代用素材を燃焼室に使用した
ただ実験レベルだったのはその通りだが ドイツ=ジェット戦闘機
日本=ろくなエンジンも技術もなく
結局は使い捨ての特攻機
ホント恥ずかしい
そもそもあの枠だらけの風防を見てみ
情けなくなるから
>>353
女子高生じゃなくて女学校の女学生だろ。
女子高生なんて戦前は殆ど居ない。
学校制度が戦前と戦後では違う。
女子は義務教育終了後に女学校と言われる花嫁学校に行った。
女子で高校や大学に行くような人は例外中の例外。
戦前の高校生は殆ど男。
戦前の高校生=エリートなんだよ。
エンジンは少々ナニですが、機体はかなり優れていると思います
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『零戦の遺産』(光人社NF文庫/堀越二郎海軍零式戦設計主任/昭和35年頃の執筆)
■零戦は昭和18年19年でもまだ強かった。格闘性能には、旋回性能、円滑な操縦性、
上昇力、速度、加速度、視界、火力などがある。防弾の要求は19年頃から出てきた。
■日本の航空産業は96式戦闘機で世界水準に追いつき零戦で追い抜いた
■「設計者として零戦をよく知る私が、最もやりたいと思いかつ可能だった改造は、
馬力向上、防弾追加、13mm機銃追加よりも、20mm機銃2丁のままで
初速の早い二号銃(5型)に換装することだ。総重量を3000kg内外以下に抑え
その優れたバランスを崩さず旧式化を防ぐことであった」。
■イギリスは戦闘機の生産をスピットファイアなどに絞り国のエネルギーを
それらの性能向上に費やした。ソ連も同様。日本は機種が多すぎエネルギーが分散してしまった。
■敵機別
○対バッファロー 緒戦の頃基地戦闘機として使われた。零戦のよい餌食
○対グラマンF4F 艦上機らしい性格という点で零戦に似ており馬力と急降下以外では零戦勝っていた。
よく格闘戦が行われ零戦の特徴が100%発揮された
○対カーチスP−40&ベルP38 同じく馬力と急降下以外では零戦が勝る。一撃離脱で来ても手強い相手ではなかった
○対チャンスボードF4U 2000馬力エンジンで相当優速で零戦にはうるさい相手になった。1.3万機作られた
○対爆撃機雷撃機 ダグラスSBD艦爆、グラマンTBF艦攻、B25、B26などは零戦の好餌であった
○対B−17 落とすが難しく緒戦の頃敵の希望だった。防弾タンク、死角ない銃など。
○対グラマンF6F 自重4屯を超える大型戦闘機。まともに零戦と戦ってよい勝負をしたのは本機だけ。
1943年から生産が始まり1万機作られた。零戦が圧倒されたのは性能よりは数量だった。
○対英スピット 零戦には鎧袖一触という感じ蹴散らされた。
■零戦生産概数
昭和16年 0530機(累計)
昭和17年 1300機
昭和18年 3000機
昭和19年 4000機
昭和20年 2000機
※開戦の時わずか500機しかなかったこと、昭和19年が一番多い点に注目
■不用意に1kgの増加があったとするとその増加重量を支える補強材など
が増え最終的に2.5kg増える。また材料、工数の増加となる。重量感覚は大切。
■ジュラルミンそのものは1911にはあったが腐食割れが多く使えなかった。
住友軽金属ではその問題を解決できたので採用した。
>>100
日本の隼戦闘機も一応前進翼だぞ。
前縁が直線だが、機体接合部分は長くとってあって
翼の先ほど短くなっているから、揚力を出す膨らみ部分を
いえば、前進翼になっている。 >>395
枠だらけの風防は、直線のガラスを使うからだな。
曲面のガラスは作るのが難しいし、視界がゆがむ。
だったら直線のガラスを組み合わせて作った方がまだまし。
ただ、零戦の風防は枠だらけだが、隼戦闘機の風防は枠がずっと少ない。 >>331
オマケにアベンジャーやヘルダイバーの後釜にはスカイレーダーも控えてるで >>395
有機ガラスことアクリル板か。
まあ、枠の多いのは防弾ガラスを付けるときに役立つから、悪いことばかりではないが。 >>368
細菌兵器も怖いが米軍は「日本兵が風船爆弾に乗ってカミカゼエアボーンをするかも」と真剣に悩んでたとか >>356
アメリカ兵は朝鮮戦争やベトナム戦争より多く死んでいるしね >>399
枠組みの障子紙と同じで割れたらその部分だけ交換すればいいというメリットもあるしね 燃料もオイルも低質だったし、金属も足りないし
エンジンを使い捨てみたいに生産出来る国力のアメリカ相手というのは所詮無理ゲーだったのよ
>>395
日本も試作段階ではあるが地対空ミサイル奮龍という
時代を超えた兵器があった。
あと、フラッター現象のの数式化
強度テストでの繰り返し荷重試験(空中で発生するGと相関性を持たせている)
などはアメリカすら凌駕した技術だった
これらは実用機にも広く導入されている >>390
一応、アメリカ、イギリスは女性を前線に出さなかったけどな。
ソ連は男女関係なく前線に投入した。 >>399
隼も零戦も後部は透明樹脂(プレシキ ガラス)だ
残念ながら歪みや濁りが多く、隼、零戦ともに現代の感覚では後方視界が良いと言えない
まあ欧米のテストで零戦の後方視界は良いと言われているので
欧米の透明樹脂も似たようなものだったかもしれない
現在の戦闘機
たとえば三菱F-2戦闘機などは、天蓋の歪みを除去する技術こそが
飛行機の特徴と言われるくらい徹底して補正するそうだ
今だからできることだけど >>331
P-80は太平洋戦争に間に合ったとしてもミーティアくらいの活躍で終わるだろう
もし制空任務に就かせたら汚名しか残さなかっただろうな >>398
テーパーを付けず前桁を一直線にして翼端を細めた場合
自然と前進翼になる
隼はわざと前進翼にして、複葉機のように一部が失速しても
揚力バランスを維持すると言う意図があったそうだ。
隼に思うのは、せっかく3桁にしてるんだから
降着脚の収納をもっと工夫できなかったという部分だ。翼内機銃も無いし。
ゼロ戦は内翼・外翼の区別は無いと言いながら
胴体から9番の主翼・肋骨は一枚板になってて
内翼と同等に頑強に作ってある。外翼に相当する部分からはトラス構造になり軽量化。
隼の主翼・肋骨は全体に四角い肉抜き穴があって、
本当の意味で内翼・外翼の区別が無い。
先の3本桁・機関銃なしと統合すると、軽量化一辺倒の設計としか考えられなくなる。
まあ頑丈な翼は、
2式単戦・鍾馗に導入するつもりで隼には不要と思ったんだろうけど。 >>411
アクリル風防はヒシサイト等の商品名で旭硝子が製造してたんだが、開戦前に天測用の半球窓を射出成形できるようになって喜んでたので、技術面では欧米に何段か劣る。
プレキシグラスは独の商標名。 >>409
現在でも女性兵士を前線に大量に送れる体制で有名なのはイスラエル軍と朝鮮人民軍だな 風船爆弾は先々週のテレ朝科捜研の女でネタにされてたな
自分達が作ってた爆弾が「戦果」を上げた事を後悔していた女性が
後年会社を興し平和教育、しかし数十年後会社が兵器産業に手を
出しそうになったので自殺し他殺に偽装、その主導者をはめたとかそんなん
MTOW13.5t級のP1Y銀河急降下爆撃機にほぼ同等推力のネ30を積んで
飛行試験やろうとしたら滑走路オーバーランやらかして頓挫させたんだっけ。
ネ30ターボジェットエンジン 推力8.332kN(850kg)
ネ230ターボジェットエンジン 推力8.675kN(885kg)
海軍空技廠、東北大学教授陣、中島飛行機、日立製作所
現在でもこのクラスの推力のエンジンは民間機では根強い人気なんだよね。
HF118試作ターボファンエンジン 推力7.428kN(758kg)
HF120ターボファンエンジン 推力9.319kN(950kg)
本田技研工業、GEアビエーション(量産のみ)
FJ44-1Aターボファンエンジン 推力8.452kN(861kg)
ウィリアムズインターナショナル、ロールスロイスエンジン
>>390
日本も本土の防空指揮所のオペレーターは女性だった >>100
ドイツ航空界のでも異彩放つ
リヒャルト・フォークト技師は日本で設計に日本で設計に携わったこともあり
川崎航空機でキ5試作 戦闘機を設計している。
その時、フォークト氏から指導を受けたのが川崎航空機の土井武夫さんだった。
去年、三式戦闘機・飛燕が復元され
遺物である翼桁も公開されていたが
ゼロ戦や隼とは似ても似つかない、箱型の桁(トラス状の肉抜きあり)になっていて驚いたことがあった。
外見のみならず内部構造も日本機離れしており15Gまで耐えたと言われるのも納得。
世界の傑作機でも紹介されていなかったので
同じように驚いたファンも多かった事だろう。 >>414
商標だったのか。それは知らなかった。
戦闘機は寿命が短く、すぐ廃棄されるから
長く使うであろう観設備よりは幾らか甘い評価で済んだだろうな >>418
それが軍属といって正式な軍人ではないんだ
パレンバンなど占領した製油所でも石油技術に関わる軍属が多く送られたが
結局は軍の部外者であって歯がゆい立場に置かれたらしい。 >>415
両方とも国家存亡の危機に直面してるな
いまイスラム同士で喧嘩に忙しいから、イスラエルは当面無事だろうけど。 >>374
アメリカ本土ではなくてパナマ運河攻撃用だ。実際に晴嵐で運河の破壊が
可能だったかどうかはわからんがね。 >>386
零戦は海軍だし、残りは陸軍だ。隼は軽戦闘機で、鍾馗は重戦闘機でそれぞれ
用途が違う。零戦だって開発には3年かかってる。雷電が5年かな? >>13
良くネタにされるチハタンだって1930年代だったら割と普通だしね
米英独ソ特に1940年代の進化速度がおかしい >>416
さすがは(-@∀@)だな。
風船にKYとか書いてそうw >>425
同時代のドイツの戦車なんて2号戦車だからな。 ドイツも1号2号は軽戦車、中戦車の試作の分類だからね。3号4号で本格軽/中戦車。
パンツァー(5号)が対T-34用。6号T型U型で、世界的な重戦車となった。
まぁ、開戦早々の電撃戦は軽/中戦車だからのこと。そのとき6号があっても、重荷にしか
ならなかったのではないかと言われている。後退、防衛戦でこそ重戦車が生きた。
>>419
二式単戦からかなりの高Gに耐えられるので、単に零戦と隼が脆いだけ
まあ、スピットやBf109とかもそんなに強くはないしね >>428
>パンツァー(5号)
致命的におかしいw >>420
ドイツのIG辺りのアクリル製品の商標。セロテープみたいな。
あ、旭硝子の製品名はヒシライトだったので訂正。三菱のヒシ。
この辺で欧米に追いつこうと必死でやっていた投資が戦後に開花する >>429
二式単戦はインターセプター(局地戦闘機)であって
零戦や隼のようなファイター(制空戦闘機)と用途が違う
零戦も隼も終戦まで事実上の主力戦闘機じゃん
まあ隼は後継者がいたけど >>428
パンター(豹)やね
パンツァー(鎧)だと戦車全般の意味になっちゃう別な単語 >>429
零戦は2本桁で12.6Gまで耐えるぞ
隼は知らんが。
あと2式単戦がよく耐えたのはフラッター発生速度であって
Gの限界は12G前後じゃないか。
ゼロ戦と疾風の場合、旋回4Gくらいで、急降下引き起こしでも7Gと想定。
7Gに安全率1.8倍を掛けると、12.6Gになる。
キ106は疾風の85%の強度しか達成できなかったが
そのときn=6で良いと通達された
7×0.85=5.95なので、疾風の制限Gも7G程度。 >>428
ドイツ電撃戦=軽武装で快速ってドクトリンだからな
ドイツ詳しくないが、なんでタイガーみたいなのが出て来たのか不思議
ソ連の方は最初から重砲主義なんで
多砲塔とかKVとか居てもそんなにおかいしいとは思わない 自力でジェットエンジン作る技術がある位の国なら
パンツァー・ファウスト位は実戦配備できそうな物だが。
昔何かの手記で読んだ覚えがあるのが以下の様な内容。
それを書いた著者は戦争中は子供(小学生ぐらいか)。
戦闘機(たしか零戦かな)の風防の破片を布などでこすると、
甘くて良い匂いがする(酢酸エチルのような果物臭かな?)
そうして、風防の塊は熱で柔らかくなることを知って、
良い匂いのするかたまりの欲しさに戦闘機の風防を
火であぶってもぎ取ろうとしたら、引火して風防が
燃えだしたので逃げた。。。。
というもの。本当のことなのかどうか分からないが。
>>437
特攻に使われた桜弾機(桜花ではなく4式重爆を改造した特攻機)には
パンツァーファウストと同じ原理の火薬が搭載されている。
機体に瘤ができるほど巨大なパンツァーファウストって感じ >>438
風防のアクリルを子ども達が匂いガラスと呼び、破片を集めてたのは戦時中の回想によく出てきます。 武装解除で廃棄された軍用機の残骸がそこら中にあっただろう
五体満足な奴はアメリカが没収したらしいが
数年前、彩雲の胴体骨組みが鶏小屋として現存してたのが判明したこともあった
>>436
ソビエトはT-26までが装甲薄い軽戦車だろ
その他、装輪装甲車やBTシリーズなど機動戦を意識した配備で満蒙国境紛争、ノモンハンに挑んで
日本軍の火炎瓶などの肉薄攻撃や37o速射砲、12o重機関銃等でフルボッコ
そのあたりから重装甲重武装の戦車の重要性が加速
赤軍の戦車技師ミハイル・コーシュキンが数年前から温めていた新型戦車の構想にスターリンから認可が下りてT-34になった >>442
中島飛行機の工場があった地域だと疾風や隼の車輪(敗戦で工場の敷地内に積み上げられていたのを持ち帰った)を流用したリヤカーとかまだ残ってるらしいな >>445
隼の主輪(タイヤとホイール)は偶にオークションにも出てるな
ウォッチしてたときは3万円くらいが相場だったが
なんでも鑑定団だと2型の主輪で10万円もつけてた
塗装の残り具合とかで若干価格に変化があるらしいが 風防に放火して戦闘機を破壊した子供は、もしも犯人として
発覚していれば、特攻がしょっ引いて、親兄弟もどうなったか
と思うような話で、そういう犯罪の過去をおおっぴらに書ける
ようになった時代は、平和でしたね。
仮に今、自衛隊の戦闘機を放火した小学生がいたら、。。。
>>448
そんな子はおらんかったやろ
戦場掃除からもれたのがおもちゃになってただけで 知識あるやつじゃないとエンジンのパーツだって分からんな
>>345
フランスの兵器「何がしたかったのかはわかるが、やりかったことというのはその程度なのか?」
イタリアの兵器「どうしてそうなるのかはわかるが、そうするしかないものなのだろうか?」
イギリスの兵器「何がしたかったのかはわかるが、どうしてこうなったのかはわからない」
ソ連の兵器「どうしてこうなったのかはわかるが、何がしたかったのかはわからない」
ドイツの兵器「こうするしかなかったのはわかるが、そこまでしてやる理由がわからない」
日本の兵器「こうするしかなかったのはわかるが、まさか本当にやるとは思わなかった」
アメリカの兵器「必要なのはわかるが、そこまで沢山作る理由がわからない」 ターボジェットやなくて遠心式のジェットエンジンかな?
もしファシスト政権イタリアが先に陥落して国家滅亡していなければアンサルド社ピストイア工場は
艦載高角砲だかカノンだか戦車滑空砲だかを駆使しながら水平射撃で直接殴り合うことを想定した
日立製作所の水戸工場や亀有工場のような車両設計運用思想へと辿り着いていたことだろう。
九七式中戦車→二式砲戦車→四式十五糎自走砲→海軍十二糎自走砲
カルロアルマートM15/42軽戦車→セモヴェンテda149/40自走砲→おつぎは120/45対空自走砲?
敵国上陸地点周辺の街道要衝へと急派させて雲霞の如く押し寄せる敵機甲師団や敵機ヤークトボンバーに
擂り潰されつつ鈍重な主力部隊到着まで何とか遅滞戦術で陣取り合戦するためのペラペラ装甲車両というか
10式戦車砲120mmL44を搭載した24t級装輪威力偵察車やアリエテ戦車砲120mmL44なチェンタウロどら子は
現代戦には通用しないだろうから絶対にヤメレw >>454
アウトレンジでバシバシ当たれば良いが
着弾地点をどう見極めるか
有視界なら戦術としては知らんが兵隊は生きた心地がしないな