https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170912-00000004-mai-soci
9/12(火) 3:00配信
<明智光秀>密書の原本発見 本能寺の変直後、反信長派へ
本能寺の変で織田信長を討った重臣の明智光秀が、反信長勢力とともに室町幕府再興を目指していたことを示す手紙の原本が見つかったと、藤田達生(たつお)・三重大教授(中近世史)が発表した。変の直後、現在の和歌山市を拠点とする紀伊雑賀(さいか)衆で反信長派のリーダー格の土豪、土橋重治(つちはし・しげはる)に宛てた書状で、信長に追放された十五代将軍・足利義昭と光秀が通じているとの内容の密書としている。【松本宣良】
藤田教授によると、書状は岐阜県の美濃加茂市民ミュージアムの所蔵。和歌山県内で伝えられ京都府の古書店に渡ったものを美濃加茂市の篤志家が入手して寄贈したという。
鳥居和之・名古屋市蓬左(ほうさ)文庫長らとの共同調査で、形状や紙質などから手紙の原本と断定し、筆致や署名、花押から光秀自筆の可能性が高いと結論づけた。本能寺の変に関する光秀自筆の書状は極めて珍しい。
書状は天正10(1582)年6月2日の本能寺の変から10日後の12日付で、返信とみられる。「上意(将軍)への奔走を命じられたことをお示しいただき、ありがたく存じます。しかしながら(将軍の)ご入洛(にゅうらく)の件につきましては既に承諾しています」とあった。
京を追放された義昭は当時、中国地方を支配する毛利輝元(てるもと)の勢力下にある鞆(とも)の浦(広島県福山市)にいた。義昭が京に戻る際は協力することになっていると重治から示され、光秀自身も義昭と既に協力を約束していることを伝える内容という。
書状の手書きの写しは東京大史料編纂(へんさん)所に残っていたが、原本は縦11.4センチ、横56.8センチで、細かな折り目がついていた。畳んで書状を入れる包み紙も一緒にあったことから、使者が極秘に運んだ密書とみられる。
本能寺の変の動機では、2014年に岡山県で見つかった石谷(いしがい)家文書などから、光秀と懇意で信長と敵対関係になった四国の戦国大名、長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の窮地を救うために起こした「四国説」も浮上している。
光秀は京に上る前の信長と義昭を取り持ち当初は双方の家臣だったとされる。藤田教授は「義昭との関係を復活させた光秀が、まず信長を倒し、長宗我部や毛利ら反信長勢力に奉じられた義昭の帰洛を待って幕府を再興させる政権構想を持っていたのでは」と話す。
光秀は書状の日付の翌日、備中高松城(岡山市)から引き返した羽柴(豊臣)秀吉に山崎の戦いで敗れ、逃げる際に命を落とした。
◇発見された書状の現代語訳
◆本文
仰せのように今まで音信がありませんでしたが<初信であることの慣用表現>、上意(将軍)への奔走を命じられたことをお示しいただき、ありがたく存じます。しかしながら(将軍の)ご入洛の件につきましては既に承諾しています。そのようにご理解されて、ご奔走されることが肝要です。
一、雑賀衆が当方に味方されることについては、ありがたく存じます。ますますそのように心得られて、相談するべきこと。
一、高野衆・根来衆・雑賀衆が相談され、和泉・河内(ともに大阪府)方面まで出陣されることはもっともなことです。恩賞については当家の家老とそちらが話し合い、後々まで互いに良好な関係が続くように、相談するべきこと。
一、近江(滋賀県)・美濃(岐阜県南部)までことごとく平定することを命じ、それがかないました。ご心配されることはありません。なお使者が口上で申すでしょう。
◆追伸=書状では冒頭にあり
なお、必ず(将軍の)ご入洛のことについては、ご奔走されることが大切です。詳細は上意(将軍)からご命じになられるということです。委細につきましては(私からは)申し上げられません。
訳・藤田教授
【ことば】本能寺の変
天正10(1582)年6月2日、京都の本能寺に宿泊中の織田信長が謀反した明智光秀に襲われ自害した。信長は羽柴秀吉の毛利攻め救援で出陣する途中だった。秀吉は急きょ引き返し、京都・大阪府境で起きた山崎の戦いで光秀を破った。光秀の動機は信長の隙(すき)に乗じ天下を狙った「単独謀反説」や「怨恨(えんこん)説」など諸説ある。
1が建った時刻:2017/09/12(火) 03:23:37.93
前スレ
http://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1505215999/ 負け犬明智は無駄な事をして無駄に日本社会の発展を妨げた国賊
追い散らされて農民に殺されるのがお似合いだわ
>>5
筒井なんて雑魚だよ
光秀が一番あてにしてたのは雑賀衆だね
主君の後ろ盾の毛利と長宗我部も加われば光秀の頭の中では勝算あったんだろうな 秀吉が予想外だったんだろうけど、
家康も取り逃がしてるしなあ。
何にしても誰かに倒されてたよね。
義昭来たら事態が一変すると思ってたんだろうか。
しかし京都周辺で偵察なり警戒
してなかったのか信長は?
普通、警備役は回りは味方でも
警戒する
結果論から言えば、確かに3日天下
柴田は北陸戦線に張り付いたままで動かず
秀吉だけが抜きんでていた
秀吉が中国戦線に張り付いたままなら、果たして3日天下だったかどうか
信長の暗殺がなかったら日本はなくなってたかもしれんしな
光秀は未来を変えたと思うわ
このハゲー、と言われてマスコミにリークして主君を抹殺するのと同じだよ
何の効果もない育毛剤やハゲに効くという食べ物にしがみつく世のハゲは単独犯行説に納得している
信長の遺体を発見できなかった時点で詰んでた
信長生存の可能性を怖れて誰も光秀に味方しなかった
金正恩がつねに戦車や重武装した
数千の護衛に守られてる重要性分
かるよ。
反乱されていつ襲われるかわか
らないから
>>15
どういうこと?
結局日本は近代化して白人の世界制覇を止めたわけだが ねえねえ、おじさん、明智って小五郎じゃないの?
おじさんは毛利で小五郎だけど。
あれれー、僕小学生なんで分かんなくなっちゃった。
間が悪かったとしか言えないな
本能寺の変のころ雑賀衆の頭は長宗我部と会ってたらしいしこれじゃ間に合わないね
やる前に雑賀衆と蜜に連絡取れてたら間に合ったかもしれないけど
それとなんといっても秀吉に想像を絶する早さで来られたのが痛かった
>和歌山県内で伝えられ京都府の古書店に渡ったものを美濃加茂市の篤志家が入手して寄贈したという。
すごいなこんな国宝級?の密書が古書店で売っていたのか?
信長は光秀にやられなくてもいずれ殺されていたと思う。
松永久秀とか野心強くても全然警戒しないほどの人間だったみたいだし。
秀吉や家康はそこらへん半面教師になっているのか極度に恐れているイメージがある。
世界征服をそんなに真剣に考えていたのかね
安土城で天皇とゴルフしながら隠居生活を楽しむ予定じゃなかったのかね
ルイス・フロイスの光秀評
「・・・裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、己を偽装するのに抜け目がなく、
戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった・・・」
これさ、褒め言葉だよね、戦国武将としては。
秀吉が毛利に手間取って、
雑賀や長曾我部と上手く手を組めたところで
上手く行ったとは思えないんだよなあ。
>>12
伊賀越えは予想外だったんだろ?
>>30
その前に脳梗塞か糖尿病で死んでる。
塩分とりすぎな上、糖分とりすぎの
生活してるからな >>30
松永久秀だっけ?ハウツーSEX描いてたの >>31
秀吉からの救援要請を受け、毛利攻めに赴く途中
光秀軍を待っていたという話 人間50年下天のうちをくらぶれば夢幻のごとくなり
だいたい50だわな(・ω・`)
こんな既出文書で騒ぎやがって。
完全に藤田達生の陰謀に乗せられてるだろ。
>>31
毛利攻めの秀吉を手伝いに行く筈だったんじゃね
その途中 毛利家を期待していたんだったら、何故事前に伝えて、秀吉を討たなかったの?
そしたら、中国からの返し前に追撃すれば良かったのに
>>31
秀吉の援軍要請を受けて自ら軍を率いて毛利を討ちにいく途中
信長は少人数で先行してあとから大軍が急いで追い付いてくるという進軍スタイルを好んでいたので
それが裏目に出た 徳川幕府が将軍警護にやたらと
力いれたのは本能寺の変があった
から。非常時は甲州街道経由
して甲府に逃げれるようにして
た。街道途中に八王子1000人組
みたいな部隊の配置をしてた。
信長が生きてたら朝鮮半島を併合したかな。
二代目で満州、三代目が中国。
って、大日本帝国やん。
>>38
しかも秀吉のその救援支援は、信長様へのゴマすりだったってのも皮肉なもんだ
「サルめ、待っておれよ。総大将のワシが直々に乗り込むぞ〜ww」ってウキウキな所を突かれたんだよなぁ >>45
光秀「( ゚д゚)ハッ!50だから殺さないと」 >>1
10日も後じゃねえかよw
光秀は変後細川忠興父子に充てて忠興のために本能寺の変を起こしたとかわけのわからん手紙書いたりしてんだぞw
殺してみたはいいけど思いのほか味方が集まらなくてパニくってあちこちに手紙出してる時期じゃねえかよww
馬鹿じゃねえかこの学者w >>35
どこまでほんとか知らないが、信長横死という書状を毛利より先に秀吉が押えたという話がある
毛利に渡っていたら、さてどうなることやら >>919
徳川家康が水野勝成が日向守を欲したときに
光秀遺愛の槍を与えてそのときに『光秀にあやかれよ』と明言したこと 報道ステーションで山口組のニュースの後 続いてはあの織田〜 織田 信長が びっくりしたわ 最初から本能寺の変てよめよ
>>43
すぐ帰ってこれないと思った
知らせる前に秀吉が使者を捕らえた >>33
知的ですました文化人のイメージあったけど、光秀もまた戦国の梟雄だったってことだなあ、だとすれば本能寺も納得 >>32
硝石がアジアだとマカオでしかとれないから
少なくともそこを押さえに出ると思うよ >>48
ゴマすりなんてのは戦略がわかってない人間の戯言。
信長は大兵力を投入して一気に毛利の息の根を止めるつもりだった。
狙いは朝倉殲滅戦や武田殲滅戦の再現。 光秀ほどの優秀な武将が信長討伐後の絵を
大雑把にしか描いていないという事はありえないと思っていたが、
討伐を事前に打ち明け根回しすることもできないから
出たとこ勝負になっても致し方ない。
混乱の中で活路を見出だすつもりが
秀吉が予想外の知略と行動力を発揮してオジャンになったんだろう。
>>48
備中高松を完全に水攻めにした後、、、お願いします だった気がするw >>47
結局、限界ギリギリで動くしかなかった
あれ以上遅れたら白人の世界制覇は確定したね
まぁ、アメリカが味方が欲しくて日本を開国させたかったわけだけど 信長も凄いけど統一までの秀吉の迅雷な行動と兵站の利用の上手さは凄いわ、近代かと思わせる
家康は戦後処理が上手い
>>59
信長と信忠の予定なんて誰も知り得ないから出たとこ勝負しかないわな
つうかたまたま信長と信忠があんな状態で京都いたからすぐそばの丹波で大兵力を動員してた光秀に千載一遇のチャンスが到来したわけで
発作的という他ない
光秀は信長討つときに対信忠への軍勢配置すらミスってるくらいだからとても計画的なもんとはいえんよ >>59
家康は知ってたんじゃないの。
時系列的に発生とほぼ同じ時間に伊賀越え出発してるし ところで光秀が朝倉に十年仕えたのは事実だろうか?
どうも文献でもはっきりしたものはないのである
しかし一乗谷から出てくる義昭の使者ではあったから、一乗谷で義昭に出会ったのは確実である
また道三側近の土岐氏のエリートなのはどうも本当で、濃姫とかなり近い親戚である
以上を総合すると道三さえ滅亡しなければ美濃で家格の高いエリート人生を歩むはずであったろう
極めて高い教養があるのも頷ける
しかるに朝倉ではほぼ無名であるのは極めて地位が低いか又はそもそも朝倉に仕官せず浪人暮らしもあり得る
ちなみに最近、朝倉時代に福井の戦闘に加わった記録が出てきたらしいが
仮にそうだとしても美濃でトップクラスの家格にしては地位が低過ぎる
このような朝倉時代、相当落ちぶれた光秀をまた世に出すのは亡命将軍義昭との出会いである
義昭から見ても暗殺に怯える中、命を捨てる覚悟で警護する名も知らぬ下級武士が名門土岐氏だと知った時、
なんとか彼を世に出してやりたいとの心情が生まれたと思うのである
もし光秀がいなければ信長帝国でイギリスやスペインあたりと争って世界の植民地を二分できたかもな
>>64
秀吉は光秀やっつけてからの織田家乗っ取りまでもスゴイよね
何がスゴイってアレだけのことやっといて、悪く言われていないというw >>32
定年なんて考えてないでしょ
天皇を格下に見てたから仲良くごるふはないんじゃない? 光秀が余計なことしなければ脱糞狸如きが調子に乗ることはなかった
反乱起こしたとしてもヘタレ糞狸を家臣諸共惨殺してればまだ許せたのに
役に立たないハゲにはお似合いの末路
>>65
信長の守りが手薄な好機ってのが稀であれば
他を犠牲にしてでもそのタイミングしかないことになるな。 >>59
戦線を切り上げて、仇討に走ったのは秀吉だけ
仇討に走る奴がいなければ、それなりにはなったと思う なんだかんだ★5
おまえらよっぽど日本史、しかも戦国時代〜安土桃山時代あたりが好きなんだな
幕末も面白いがほぼ正解が出尽くしてるから議論はあまり白熱しない
この辺の時代の方がいろいろ推理できて面白い
>>72
光秀が優秀であればあるほど謀反の意が洩れるのを防ぐことと信長を確実に殺害することに集中する
だから信忠への配置すら怠っていたんだよ 『光秀の定理』読んだばっかりだからそそられるわ、このニュース
ならば、何故義昭も京に戻り、毛利や長曽は京にはせ参じなかったのか?
ちゃんと合意がなされていなかったんだろ。
合意を済ませてからやれってな話ww
>>73
秀吉の大義が単純明快な敵討ちというのもまた良かったのかもね 本能寺の変の知らせはどのくらい
の期間で全国に広まったんだろ
う?
大坂や大津あたりはその日のうち
にとして。北朝鮮だと口コミは
二日で全土に広まるらしいから
日本全国に広まるまでに1週間
くらいかな?
黒幕は義昭で秀吉はそれを知ってた。
それで秀吉は内緒で義昭と内通し義昭の後押しもあって毛利と講和し中国大返しをした。
その見返りに(将軍の権威を利用したい思惑もあったろうけど)命を取らず1万石の領地を与え生活の保障をしたのだろう。
光秀がいなければアジアで日本の大航海時代が再現してただろうな
信長亡き後の秀吉はスケールが小さすぎたし徳川はその後の鎖国につながるので論外
>>68
歴史的にはスペインが没落するから大英帝国と何処までやれたかかな
七つの海を支配させてはいないだろうな
信長は信忠に帝王学を授けて家督も譲ってるからね >>74
幕末はどうせ龍馬批判に集約しちゃうからな >>46
適当な事言うなよ、猿
三河の先輩、足利義満にならっただけだろ
義満は、いざとなったら三河に逃げる為、奉公衆を近江、美濃、尾張、そして三河に集中配置した
室町幕府 三河人の日本支配構造
【奉公衆】
・奉公衆は、室町幕府に整備された幕府官職の1つ
・将軍直属の軍事力で、5ヶ番に編成された事から番衆、番方などと呼ばれた
・奉公衆の人数は全国合計250〜300人
・三河国の奉公衆は全国で最大人数、又三河国出身の奉公衆も最大人数
・5番衆の番頭
一番番頭 細川氏、二番番頭 桃井氏、三番番頭 上野氏、四番番頭 石垣氏(畠山氏)、五番番頭 大館氏
三河国の奉公衆一覧(全52家)
【藤姓熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)
【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田
【足利被官】
饗庭、朝倉、飯尾、岩堀、大草、高、久下、小嶋、中条、二宮、彦部
【三河源氏】
足助、水野
【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永
【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)
【桓武平氏】
伊勢、神谷、山下
【その他】
宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、堤、長、西部、本郷、丸山、三浦、大和 >>59
5月17日、光秀が中国出兵を命じられる
5月29日 信長が本能寺に入る
6月1日 本能寺
信長は本能寺に入る当日まで自らの出立を明らかにしていなかったので
光秀には根回しをするだけの時間はなかったと思われる 家康を堺で殺して毛利を味方につけて筒井、細川を加えて秀吉を挟み撃ち。
長宗我部・雑賀を味方につけて丹羽を殺して柴田・滝川に備える。
このぐらい短期間で出来ないと無理だからかなりキツイな秀吉がほんとに早すぎた
本能寺の変は明智光秀の部下が義昭あたりと組んで起こした事件であり、
本能寺の変が起きた時は、実はまだ明智光秀自身は信長を殺したことに気づいてなかったって言う可能性ある?
>>68
1600年より少し前だよねw
日本では取れない硝石を確保するためにも、明とは事を構えなかったろう
イギリスはその頃はまだ大航海に出る前、ただしスペインの縄張りは確認しておく必要がある
俺案外、北に活路を見ん出したんじゃねえかな?とも思ってるw何の根拠もないけどね これは信長と信忠が主力引き連れて中国へ行く寸前だったってことを忘れたらだめだ
信長と信忠の本軍が近江に居たんだぜ
信長と信忠がほんの数百人で京都に居たのは偶然なんだよ
そしてその瞬間に光秀が丹波で大軍勢を動員していたのも
全部そろわないと実行不可能なことを神以外予測するのは不可能
本来秀吉は典型的な家来タイプだからこんなのが天下取ったお陰で戦国時代後の日本開花がなくなってしまった
明智光秀は発作的に謀反を起こしたと思います
嘉吉の乱を見ても、あまり部下を追い詰め過ぎると、後先構わず発作的に謀反を起こす
まあ、信長は天皇の使い道がなくなったら処分してた気がするけどね
お前らは話題に出さないが
秀吉が天下とったら長宗我部は徹底的に潰され
キリスト教は弾圧された
全部サンフェリペ号事件のあとだ
必ず光秀、長宗我部、キリスト教は繋がってるぞ
光秀の娘はガラシャだ
信長公はキリスト教を利用したが、利用されることはない
これは子どもや側近がキリシタンになってないことでも分かる
光秀はこの逆、自分は信長公の目があるからキリシタンにはなれないから娘がなった
>>90
さすがにそれは偶然じゃないよ
光秀は丹波亀山城(今の亀岡市)にいたから京都の情勢はすぐにつかめた
信長と信忠が丸裸同然で京に逗留して
なおかつすぐそばで自分は大軍を率いているなんて千載一遇のチャンスだ >>82
大英帝j国と同盟結んで近代国家になれたんじゃないかな
信長は西洋かぶれだからいい物はどんどん取り入れたはず >>89
当時としても北は行けば行くほど極寒の原野だってのはわかってるからねーわ >>94
本能寺の変も南欧グローバリズムが画策した >>91
天下(統一)は取ってないだろう
最大の目標にしたんだよ >>82
信長が天寿を全うしても確実に秀吉が乗っ取ってる
それに日本には大安宅船みたいな内海専用の戦艦はあっても外洋航海できるガレオン船を造船する技術がなかったから
秀吉の大陸侵攻と同じ流れになってると思う まぁしっくりくる説かな
超革新の信長に超保守の光秀がついていけなかったてことか
どうころんでも光秀が天下取ることはないよ
光秀はあくまで義昭の家臣のつもりだったし光秀の構想では足利幕府を毛利、長宗我部、光秀などで支えるつもりだったんだろ
歴史を巻き戻そうとするやつは滅びる
それて未来の世界で悪人にされる。
光秀がそれだ。
よく理解しとけよ安倍。
>>101
秀吉は急遽だから世継ぎ問題で駄目だった
信長は信忠はじめ子孫に受け継がせる体制を整えてたよ >>101
日本の船って耐波性ないし、イギリスと違って周りの海が荒れている。
それに船って木材を大量に消費するから日本から大量に海外に出て行くのは敷居が高い。
元寇でさえ朝鮮半島から森林がなくなるくらいの影響があったのに >>97
その話おもしろいねw
アルマダ海戦によりイギリスの優位が確立されたのは1590頃
信長が生きていればイギリスと組んだ可能性もあるかもね >>101
戦国末期日本船が東南アジアに大挙して進出してるよ >>85
戦国時代の政権闘争が嫌だったんじゃないかな
その後、出家して身を引いてるし 秀吉の朝鮮征伐の欠点は世継ぎがいないこと
秀吉が死んだら終わりなのは明白だったわ
まだ、秀次だったら朝鮮征伐はもっと真剣だったろうに
鎖国するまでの間に朱印貿易が盛んだったのすら捏造する嘘つきがおるな
イギリスと組んだら日本は消滅したと思うよ
アングロサクソンの謀略は信長の比じゃない
織田信長というのは相当なスケールの人間だから秀吉みたいな雑魚とは比べ物にならないよ
光秀が日本の発展を200年遅らせたと言っても過言じゃない
>>101
秀吉は信長の4男於次丸秀勝を養子にして極力信長の機嫌をとってたわけだし
信長が死ななければ茶々を側室に迎えることもなかったずで
実子がないままならそれほど天下に執着はしなったと思う
さらに言えば2,3年以内に信長が天下を平定する可能性は極めて高く
何よりも信長が早くから後継に指名していた信忠が生きていたら
いかに秀吉がその気でも天下を取るのは難したっただろう 日本史は、特に戦国時代は
世界史の中でも特筆すべき面白さだ
それに比べてゴキブリ朝鮮史は
世界史の中でも特筆すべき詰まらなさだ
ただひたすら支那人に土下座した半万年
>>96
信長と信忠が揃って少人数で京都に居て近くに他の織田家の軍勢がおらず丹波の光秀軍しかいない状況は偶然でしかないだろ。
特に信長はいちいち行動を予告して動くような男じゃないんだからな >>116
病気を持ち込んだり、ワケありな物をプレゼントしたり色々やるからね。
まあ、日本も高速でパクるから今でも生き残っているんだろうけど >>116
それはあるな奴等は何百年単位で戦略を建ててるからなぁ >>117
当人の能力はそうだろう
ただそれが持続できるかどうか、、信忠ぐらいならどうにか
家康の運がいい所は、子供の秀忠、孫の家光がそれなりに賢かったところ 戦国末期伊達政宗が南蛮船再現したり日本の造船技術はかなり高かったし朱印貿易といって日本の船が東南アジアに大挙して進出してた
信長が死んでなければ間違いなく日本による大航海時代が来てたね
比叡山焼き討ちとかキリシタン禁止令出すとか、
先人にならって、俺らは朝鮮人排斥令実行するべきだよな
あいつらと共存なんて反吐がでる
この漫画思い出した >>92
光秀って若い頃、美濃で反乱っぽいことしてなかったっけ
なんか馬鹿にされたとかで、仕返しに少人数で城を乗っとってたような話があったはず
そういう性格を利用されたんだと思う 秀吉は所詮信長の部下、夢も理想も信長から見聞きしたことしか描けない、朝鮮出兵もそう、最終的にどうしたいか描けないからぐだぐだに終わった
徳川は武田、織田、豊臣が滅びるのを見た上で家の存続というものだけに執着した引きこもり、鎖国では世界の大局に取り残されるというのがわからなかった
つくづく信長だけだよ日本の未来を奔放に描けてたのは
光秀のせいで危うく有色人種が未来永劫白人の奴隷になるところだった
光秀は「仏の嘘は方便、武士の嘘は知略」ってのたまった人だから、
室町幕府再興も彼の方便か知略だったりして。
結局、
明智が将軍を後ろ盾にして謀反。
秀吉はプランを知ってたけど、信長には黙っていたという事なのかな。これ。
本能寺が無かったら、秀吉はそのまま毛利の後は島津まで攻めて
九州の大大名として終わってたか、
信長の世界構想で朝鮮まで駆り出されてたか
>>124
孫の家光のお陰で日本は200年以上停滞して欧米に植民地支配される寸前まで立ち遅れたんだよ
家光は日本の歴史上最悪の支配者 全然話変わるんだが
荒木村重って何で寝返ったの?(´・ω・`)
雑賀衆の土橋氏は傭兵として長曽我部元親の初陣になった戸ノ本合戦にも長曽我部方として参戦しているし
三好氏と長曽我部氏の抗争の際にも阿波に渡海している。
さらに土橋氏が運営していた根来寺の泉識坊は根来衆でも一二位を争う勢力で、足利義昭の元にいた頃の明智光秀の求めに応じて根来泉識坊の軍勢が傭兵として参戦したこともある
>>120
ああ、そうだなそれは偶発的な状況だ
>>90のレスをよく読んでいなかったので
光秀が信長や信忠が京にほとんど丸裸でいるのを知らずに挙兵したというふうに誤読した結果だ
申し訳ない ちなみにスペインやポルトガルってもうこの時代にはかなり疲弊している
特にスペインは、北ドイツのプロテスタント戦争と、オランダ独立戦争に苦しめられてヘロヘロ状態
それでも日本ではバテレン大名に武器や人身売買などの悪業を勧めボロ儲けした
もしこの何倍もあくどいイギリス来たらどうなっていたか
確実に日本は滅んでるね
>>106
>>118
乗っ取ると言っても、謀反を起こすとは限らない
鎌倉幕府の執権のように小競り合いを繰り返しながら実権を掌握していたことは確実でしょう
>>110
でも、なんであっちに行かなかったんだろう
エスパニアと勢力範囲を隣接させてくなかっただけなんだろうか >>135
いやいや、そこまで悪く言うのはかわいそうだよ
やっぱ信長公を途中で無くして世界戦略がない状態では引き込もって防御するしかないさ
家康でさえ、フィリピンを叩いておくかどうかで悩んだんだから
それでいて国民の識字率を爆上げして江戸を栄えさせた功績は大きい
つまり兵隊を増やしたわけだ >>141
もともと日本にそういう適性がないからでしょ 秀吉は所詮信長の家来でしかなかったし本人も天下取るつもりもなかったので跡継ぎも作る努力してなかった
光秀のボケが本来殺ってはならない人を殺ったために日本の歴史は大きく狂った
>>131
こういうのは1つだけじゃなくて同じ状況で他の人にも送った全部の書状を読み比べないと真意は見えないよねえ >>127
誤算じゃ無くて目論見が甘かっただけだと思うが
この漫画おもろいなw >>135
@250年間、外国と戦争をしなかった
A地域限定ではあるが、清とオランダとの交易がある
B幕府による苛烈な潘のおとり潰しで、武士は農民となり、地域地域で読み書きそろばんを教える
C1700年代だったかな、関という人による一大和算ブームが起きる
ただの計算問題ではなく、非常に小難しい数学の問題が、庶民の間ではやりまくるw
D極めつけは、伊能忠敬の恐ろしいほどの正確な日本地図
かりに1600年代において、東南アジアに殴り込みをかけていたとしても、同じように撥ねつけられるだけ
日本は対波性を備えた外洋航海用の軍船を作れるとは到底思えんしな そもそも世界を植民地化するイギリスにかなうわけがないんだが
日本を救ったのはバテレン追放にシフトした秀吉と
鎖国した家康だよ
なんかデタラメ書いてる人いるけど日本の造船技術はかなり高かったよ
伊達政宗は南蛮船を日本で再現したし日本で作られた船が東南アジアなどに進出してた
海洋技術が全くなかった朝鮮人が知らずに書いてるんだろうけど
>>145
秀吉はとんでもない好色のエロガッパだったぞw
でも如何せんタネ無しだったんだよね
茶々との二人の子供は・・・いったい誰のタネなのか、コレも謎 >>145
そうなんだよなぁ
秀吉も天下とれると知ってるならもっと早く子どもを作ったよ
>>148
その時代は西洋もそんなにすごくないしね 日本で大型船が作られなくなったのは徳川幕府による規制で海外に渡航できないようにするためだね
それまでは日本で作られた朱印船が東南アジアなどに大挙進出してた
事実に反する書き込みしてる嘘つきいるのでおそらく朝鮮人だろうね
倭国って李舜臣の亀甲船以下の水軍力だったんだろ(´・ω・`)
>>149
いつの時代の話だよ。
当時のヨーロッパ勢は人口過疎地に入植するか利益の見込める港湾都市を確保するくらいしかできてないぞ >>131
光秀の誤算は、秀吉だよ。当時の序列は秀吉光秀、以下平家臣だった。秀吉さえ居なければ
京都でグズグズできたはずなんだ。実際に変後の滝川や丹羽なんかボロボロで、敵討ちどころ
じゃなかったわけで。
実際は、秀吉と家康の知略の方が光秀よりも優れていたんだな。中国大返しも伊勢越えもその
実現準備が万端だったんだから。信長を呼び込むための兵站が、大返しのための兵站だとは
誰も気づかなかった。 >>150
一隻二隻作れますかって話じゃなくて、艦隊を作れますか?という話だよ
作れたとしても、運用できますか?という話
1590年ごろには、帆船同士が戦ったアルマダ海戦もあるんだから 朝鮮水軍の亀甲船ていうのが捏造だって言われてるからね
朝鮮時は造船技術なんて無かったのは当時の日本側の資料調べればわかるよ
中国大返しって、本当に軍師官兵衛の策なの?(´・ω・`)
秀吉って、絶対謀反知ってたよね。黒幕じゃないだろうけど。
そうじゃないとその後の展開の説明がつかないし。
ひかりハゲとはひどい名前だなぁ
親もすごいハゲだったんだろうか
朝鮮人が混じってきてデタラメ書き出したね
ほんとうざいわ
当時日本で大型船大量に作られて東南アジアに航海してたのは歴史的事実で朝鮮人が船作った事実は捏造しかないです
日本の歴史に朝鮮人が勝手に入ってこないでください
>>153
その時代の西洋は、外海において帆船同士の海戦をやっているw
イギリスとスペインの間でアルマダ海戦というやつをね >>163
髪型は母方の祖父に似るって言うぞ
だから、俺は心配してる(´・ω・`) >>147
この人(重野なおき)の漫画結構面白いのでオススメ
四コマでギャグ展開でフィクションもあるけど割としっかり考証されてる >>162
光秀すら予測できんことをどうして秀吉が予測できるんだ?w >>165
まぁ、どのみち鎖国してまったくノータッチの史実より
何かしら世界に出て戦った方が白人の被害は小さかったよ >>162
用意周到に、謀反あり!の密使をとらえてるからね。なんかあるだろうなー
くらいは、考えてたろう。 >>162
無理。
信長が少数の兵で大軍を率いた光秀の近くに宿泊するなんて、前々から予定されてた動きではないので。 >>105
それな
円安、株高、全体主義、アメリカ追従、しか頭にないバカだから >>157
思いますに光秀は教養人だったゆえに大義名分とか従来の手順に固執して秀吉の後手にまわったような
気がします。自身を正当化すれば味方が増えるような思惑が、この度の書状には見受けられます。 大名や豪商個人が交易目的で大型船作って航海してたからって
エスパニアの艦隊と戦争ができるのかって話なんですけど
>>164
少し落ち着けよww
貿易船は数多く作っていたかもしらんがよww軍船はどうなんだい?
1590年ごろには、スペインの無敵艦隊とイギリスで海戦やってんだよw外洋で
そういう所と対抗するだけの軍船は作れたのか?ということだよ
それが作れなきゃ、造船技術と言い張っても意味ないだろ?? 仮に信長の側近に裏切り者がいたとする
しかし今の時代みたいに即座に通報する方法なんてないのよ
信長が前もって行動計画を発表しない限り誰があの状況を予測できるのよ
無理だろ
そしてあの状況でないと謀反なんて無理なんだよ
あの瞬間逃したら近江美濃から続々織田本軍がやってきて光秀軍よりもはるかに多い人数になってたんだから
秀吉もしくは他の勢力に負けるということは予想できてたんじゃないかね
それでも信長を討ちたかった
私怨なのか大義なのか両方なのか
アジアで独立できた極めて珍しい国のひとつ
日本が鎖国したのは極めて正しかったと思うぞ
軍事技術もさりながら白人の侵略は、
宗教、武器、麻薬、人身売買など、
なんでもありの非道行為で来る
そんな白人に日本人が対抗できたかなー、無理だと思う
>>172
何月何日に決行という所までは知らなくてもさ、
ある程度の情報掴んでないと、その後の反応が不自然すぎるよ。 >>170
1600年当時で言えば、
帆走の軍船を作れない状態で、余所に打って出れば、それこそ太平洋戦争以上の悲惨な状態になるw 光秀の配下で本能寺に一番に乗り込んだ本城惣右衛門の記録によれば
門は開いたままでネズミ1匹いないような静かな状態だった
寺の広間は蚊帳が吊ってあるばかりで人がいる気配もない
寺内で抵抗らしい抵抗はなかったとある
ほとんど戦闘らしい戦闘もない制圧だったのじゃないか
13000人の大軍で襲うようなものではない
後世まで光秀は主君殺しで卑怯と言われ続けるのはこのやり方だろう
>>183
ある程度の情報って信長しか信長の行動知らんのにどうやって掴むんだよ
仮に掴んだとして掴んでから秀吉に情報伝わるまで最低数日かかるんだぞ 信長て日本の歴史上類を見ない異端児だよな
討たれなきゃ日本は300年早く西欧列強並に近代化してたろうに
2chは歴史の話題は盛り上がる。いま芸スポに伏兵鶴田真由の日ユ同祖論のスレもあって、今日は眠れない。
>>185
遠方の相手を占領する力がないし
正直なところ白人が世界制覇できる力をもったのは
核やマシンガンなどの大量破壊兵器が展望できるようになった1910年以降だよ >>183
だから「ある程度」をつかむことすら全く不可能なんだよ。
そして秀吉の行動は変の発生後に急報を受けたとして十分に説明のつく範囲でしかない。 >>136
本願寺に米を売った理由は知らん
その事を詫びに安土城に行く途中に
中川清秀と高山右近に殺されるから行くなって言われて
あとはご存知の通り官兵衛監禁の狼藉ですわ
まあ中川清秀と高山右近の方がカスと俺は思ってるw >>184
物流ですけど。ヤマト運輸のトラックで北朝鮮とどうやって戦争するのよ? 明智のせいで日本が悪くなった
されど明智のおかげで俺達が生まれた
>>184
木津川合戦の鉄甲船だろ?
海戦の現場は、瀬戸内
その鉄甲船の動力はなんだい??
人力だろ
もうねそうじゃないんだよw向こうは
風の力で走り、強力な砲門を備えている、、、そんな船を持ってたわけよ >>194
外洋航行能力は低かったかもしれんが大砲まで載せた立派な軍船だろ。 秀吉は黒幕ではないだろうし、事前にハッキリと知ってもいなかったと思うが、
処世術の天才で人の心の機微を読みとったり
顔色伺う才に長けていたから光秀がやらかしそうな雰囲気は
けっこう前から感じていた可能性はあるわな。
>>192だな。
謀反あるなら、このタイミングでかなー、、ぐらいだろ。嘘?まじでー?
って感じだろうけど密使つかまえる知略は、スゴいわ。 信長公記読めばわかるけど信長はわがままな独裁者でその行動は予告はほぼなくいつも突然なんだぞ
信長以外に予測は無理
必ず少人数ってのなら京都に来る日がわかってりゃ狙えるけど
大軍で来ることもあれば少人数で来ることもあるし全部信長次第
こんなの予測は不可能
>>199
そんなこと言ったらあの時代やらかしそうな奴ばっかだろ 織田信長の命令で作られた大安宅船による艦隊は村上水軍に大勝しました
しかし、海を渡ってエスパニアの無敵艦隊と交戦したらどうなるでしょうか
というか、海を渡れるの?あのガレイ船は
素直に秀吉は凄かったと認める方がわかりやすい
運の強さも含めて
天下人はそのくらいの人物がなるものなんだよ
>>196
その程度の差は、明治維新のときの欧米との差より遥かに小さいよ
必ず鉄砲のように追い付いて追い越すよ >>188
近々信長の身によからぬ事が起きる不穏な話を見聞きしてて、
遠征するにしても、いつでも戻れる準備してたとかさ、
その為に誰かを使って信長の行動を報告させてたとかさ、
別に秀吉が黒幕だと言いたい訳じゃないよw >>199
秀吉も家康もそういうところがあったから
天下取れたんだろうな >>148
伊能忠敬の地図は技術がすごいんじゃなくて労力がすごいんだよね。
だけど外人から見たらそんなことわからないから一目置かせるには十分だった。
あと対馬には伊能忠敬以前にすごい地図を作った人がいたみたいで
すでに精密な地図があったらしい 反逆が臨機だったんだから、後の策略も臨機だろ
細川を味方にする目算だったんだし、幕府再興は使える方便
そのあとほんとに再興するかはその場の流れ次第だろ
光秀のせいで危うく有色人種が未来永劫白人の奴隷になるところだったぜ
日本の船はつぎはぎの板で作った船に家を建てたような構造だから骨がない。
だから大波が来たら壊れるでしょ。
人力で漕ぐのが主で帆の構造も簡素。
信長秀吉軍に滅ぼされた我が先祖一族の恨み、いつか晴らして見せる
>>216
明治の近代化より簡単に吸収して凌駕したさ
そうすれば第二次世界大戦のような多くの犠牲もでなかった 光秀と秀吉が超有能だったから本能寺の変〜秀吉の大返しがあったんだよ
そら織田家は強かったわけだ
この2人と似たレベルの武将が他に3人もいたんだしな
一介の浪人(との説もある)から織田家ナンバー2まで登り詰めるのだからその知力はすごいよ
現代で言えば氷河期派遣がトヨタの副社長になったとか
そういうレベル
船なら伊達政宗がガレオン船作って支倉が太平洋横断したろ
ま、鎖国になったからそれっきりだったけど
信長「ワシがここで討ちとられても信忠がおるから安泰じゃ!!
潔く腹をきってみせようぞ!゚(゚^∀^゚)゚。ブァッハハハハハハッハハ !!」
あの世
信長「な、なぜおぬしまでここにおるのじゃ…」
信忠「………」
海賊がよく使ったキャラック船は積載能力が高くて大砲も積めるから港湾都市を脅迫するのには向いてて戦国末期の日本でも作ってたのかもしれないけど、
エスパニアの正規軍と出くわしたらほぼ確実に瞬殺されてたと思う
>>210
だからさ、戦争で追い越すまで見過ごしてくれるとなぜ思うの?
新体操とかで選手が頑張ってコーチの想定を越えたスーパープレイやらかして感動ドラマみたいなのが戦争の世界であると思う? それにしても白人の強かさは恐いな
兵器で武力支配できるとなったら日本を外から逆に封鎖して没落させようとした
ある意味、鎖国の逆バージョン
これで世界制覇確定だった
今のイスラエルを見てみろ、パレスチナをどんな扱いか
大陸をヨーロッパまで攻め上がれば良いだけなのになんで船の話をしてるんだ?
>>225
見過ごすもなにも遠方の国を統治する武力などその時代にはないのだよ
1910年以降のは違う 光秀には佐久間のように功臣でも容赦なく排斥する信長の冷徹な合理性で幾ら功を重ねても
いつかは使い捨てにされるのが予想できたので、虎視眈眈と本能寺のような機会を覗ってたんでしょうね。
自身も無類の戦上手だったので信長の遺臣を各個撃破できると踏んでいたとか。
>>206
作れるんなら、木津川合戦時において、風の力を利用した軍船を作っているw
信長程ならな
あの信長をしても作れないのなら、手を出すのはやめようという判断は、非常に賢明
それから、明治維新後、急速な西洋文明の吸収を可能にした遠因は、江戸幕府による250年間の涵養による
250年間の涵養がなければ、明治維新はなく、西洋に分断され、日本もご多分に漏れず植民地となっていた 信長の時代にはすでに日本は世界一の鉄砲大国だったんでしょ?
陸上戦なら外国勢と戦えたんじゃ?
元々本能寺を襲った明智光秀の軍勢は、堺だかで行楽していた徳川家康を殺害するために信長が密かに命令した説があるね
実際明智の元に集められ兵士や家来たちもはじめは徳川家康を討ち取るための集合だと認識していたみたいだ
信長ほど家臣に背かれた武将は居ない。
みんな信長の事、マジで大嫌いだったと思うよ。
光秀が殺らなくても他の誰かに殺されていただろう。
>>230
要するに自分を買い被り過ぎて慢心して何も得なかった人だな 本能寺に家康あり!家康を討つぞ!の嘘っぱちが
一介の兵卒たちにも通用するような空気感はあったという事だな。
>>233
前提に無理がある。
殺すのが目的なら堺見物などさせる必要はない >>231
力説してて申し訳ないが
内燃焼機関ができるまではそこまでの驚異はないよ
遠い国を武力制圧できるものでもない 織田家のその後を見ると秀吉が信長を嫌ってたんだなと思う(大恩人なのに)
>>227
めちゃくちゃ効率悪いだろww
いや俺もよ、案外北に活路見出すんじゃね?と書いたんだか、、寒いからそれはないといわれたw
まあ、そうかなと思っている
1600年ごろの沿海州なら、そら切り取り次第だが、切り取ったところで寒いばっかりだしようw >>234
本願寺を下したあとで佐久間、林が粛清されたときには、みんな明日はわが身と思ってただろうね。
そして武田を下したあとでは、信長にとって徳川と明智が明らかに邪魔なのよね...。 >>244
邪魔なわけないだろ。
国内統一もまだだし、その後は海外に進出する計画だってあるんだから。
信長は使えるヤツは粛清してない。 大陸に陸沿いに攻め込んでる時点で海軍力が皆無
>>240
指導力が大きければ自分だったらこうするってのが押さえきれないくらい大きくなるだろうね 本気で泣いたのは勝家ぐらいか
でも勝家も30年前ぐらいに信長の兄弟を担いで信長と殺し合いした過去があり
佐久間折檻状を参考にすればいつ信長に誅殺されてもおかしくない
誰も本気では悲しまない点に信長の欠点が如実に出ている
>>234
家康も散々背かれてるぞ
戦国時代ってのはそういう時代だよ
好き嫌いだけで命かけたりしないぞw 光秀は中国の韓信の狡兎死して走狗煮らるを当然知ってたと思うから
信長の天下統一後の粛清を恐れての謀反に一票
>>246
戦傷で戦闘員ではなくなった服部小平太とかも役替えでちゃんと養ってるから
結局与えた身分と重責に見合わない奴に注意喚起のお手紙出して、分からない奴は捨てるだから優しいと思うけどな 家臣に一番背かれた戦国武将は上杉謙信でしょう
信長を裏切ったのは盟友
>>240
信長の後継者として担いだ三法師に岐阜13万石しか与えなかったけど
関ケ原で西軍についたぐらいだから、彼もこの処置をあまり不満にも思ってなかったのだろうし
ほかの大名たちもこの件で秀吉が冷酷だとは思わなかったんじゃないかな
信長があと何年か生きて天下を平定していればまた別な話だけど
実際に天下を統一したのは秀吉だしね >>239
あなたはねww
@日本が1600年代において、
A帆走可能な
B砲を備えた軍船を建造可能だった
という根拠を出してよwwまず >>231
その時点で信長に必要だったのは燃えない船で積載機動性に優れた船じゃないんだけど。 >>240
余計な野心を持たなきゃ安泰だったろ
三法師は秀吉死ぬまで信長ゆかりの岐阜城主 >>249
だって、信長って経済界進出にしか興味ないアスペだもん。家臣たちの常識から見れば。 光秀だって京都に自邸か懇意の屋敷や宿や寺くらいあるだろうし、主君の動向あれば知らせる早馬は来るだろう、一位二位争う出世頭なんだから
で今まさに一万三千の兵を率いて出陣するその瞬間に、たまたま早馬が来て、信長公、信忠公、馬周り衆のみで上洛、わずか10キロかそこいらの本能寺宿泊
なんて報告を聞いちまって・・・瞬時に思いもよらない考えが浮かんじまったんだろうなあ
>>258
サン・ブエナ・ベントゥーラ号は家康が三浦按針に命じて作らせた1607年竣工の120トンガレオン船だ。
本当に本気になればもっと大型のガレオン船の量産をもっと早い年代に行うことだって可能だったと思うぞ。 >>259
??
機動性に優れた船は要求したんじゃない??
どうしても燃えないことを優先するならば、機動性は捨てねばなりませんと九鬼に言われただけでw >>216
んなバカなw
13世紀から16世紀にかけて倭寇の船だって朝鮮中国大陸の海で暴れまくってたんだぞw
ウリナラいい加減にしろw 佐久間は石山合戦の中頃に七万の大兵で石山の門徒・兵員・兵糧供給地だった雑賀を攻めて撃退されたこともあるからなあ
でも信長も12万の兵で雑賀攻めても滅ぼせなかったけど…
そんな雑賀衆も1585年3月の秀吉の紀州への総力戦の末、太田城の水攻めで解体されちゃった
>>258
人違いじゃないか?
そんなことは書いてないぞ
日本より優れていてもその当時の船で遠方の国を統治するのは不可能だってこと
陸から攻める方が領土は拡大できる
もちろん、アフリカやアメリカ大陸みたいな原住民相手に領土を拡げてたんだけどな
アジア、特に中国や日本を相手に奴等も戦争する気はないよ 秀吉の何が凄いのか
秀吉はBだと思う
だから大坂、京都のBと瞬時に呼応することができた
光秀は前川のような香具師だから大義はあっても人心をつかむのは難しい
下請けに発注しなければならないから体制を固めるのに時間がかかる
信長=地方の役人→光秀=中央の役人→秀吉=B=民主党政権
だから天下はまた家康=地方の武将になった
大安宅船は村上水軍の主武装である火矢と鉄砲と榴弾みたいな大筒の直撃を受けても大丈夫な防御力を備えているが外洋の航海能力はない
外洋を航海して戦闘できるガレオン船とは全く異なる
最晩年の家康に若い衆が「信長はどんなお方だったんですか?」
って質問したら「お館さまは…」って言っただけで答えなかったらしいな。
まあ一言二言で説明できるような感情ではなかったんだろう。
>>270
弾正信長、B秀吉登用。
ウム、通常の自然な流れだな。西では湊をおさえてたのもBだし
信長の志向と一致。 >>265
ガレオン船である以上は、帆船だな
で、その軍装は??
カタログスペックでもいいから、どんな軍装を予定していたの?
そして、どこに発注していたの?
量産なら、国内での造船が最低条件だ
まぐれあたりの一隻二隻では話にならんとさっきから言ってるだろww >>274
質問した趣旨は信長公は偉大だから聞いた 信長の死に方はかっこよすぎる。これが逃げて捕まって斬首
とかだったらここまで人気出なかったと思う。
そういう選択をしなかったあたりも潔くて好き。
>>276
洋式帆船を神聖視し過ぎ。
そんなもんどこででも作れる。 家康は長男も信長とのあれこれで切腹に追い込まれてるし家康殺す気満々だったとおもうよ信長は
真相は最も普通の理由だったのに、歴史学者達が勝手に複雑に妄想して
「戦国時代最大の謎」にしてしまってたわけだw
つうか、ガレオン船を建造てきたにしても、艦隊が編成されたという記録がない時点でどういうことかわかるでしょ
妄想とか願望で歴史的事実を歪めるのやめてちょうだい
鉄甲船はあったとしても
ペンキがなかった時代だから、潮風ですぐに錆びて使い物にならなくなったかも
お前ら、今もキリスト教は日本を狙ってるからな
そういうやつらだ
>>281
だから、それを感じていた家康も伊賀越えを、準備出来てたしな。正に怪我の功名。 >>263
最近明智の子孫を称するのが日本だけじゃなく海外の文献や記録を詳細に調査して出してた本の記述に
本能寺の前に安土で信長が光秀に暴行を加え余の企ては絶対じゃと言ったを彌助が見てるからそれが原因だろ >>267
民間の商船相手でいいのか??
1580年ごろ、イギリスもスペインも国家所有の艦隊をぶつけ合ったんだぞww
商船相手に暴れまわっていた!!
それがなんだよww >>281
神君・家康公が妻子を殺したじゃつごうが悪いので
のちに信長の命令で殺したことにしただけ
家康は同盟相手で、家臣ですらない。
家臣ですら、妻子を殺せと命じたら反乱起こすだろうに
従うのはおかしいし、そもそもそんな命令を出せる立場に信長はない >>280
どこでも作ることができないからこそ、西洋の植民地主義は1945あたりまで長引いたんでしょww
どこでも作れるようなシロモノなら、東南アジアの各国において造船し、イギリスやオランダに抵抗してるだろ? ヤケクソが思いの外上手くハマって慌てて大義名分掲げてあちこちに送りまくったんだろうなあ
黒幕も陰謀もないけど人間臭くて面白いよね
義昭は過小評価されがちだが、あんな底の状態から継いで
悪戦苦闘しながらよく頑張ったよな。
もうちょっと違う状況と時代で生まれてたらなと思うわ。
本能寺で死んだと思われていた信長だが、その遺体は誰も見ていない。
実は信長は生きていたのだ。
イエズス会の助けにより海外に脱出。
かの地で子孫を残し、ユダヤ人たちの助けもあり、子孫は大いに繁栄した。
そして時は過ぎ、本能寺の変からおよそ350年後、
信長の子孫は日本に戻ってきたのである。
その名はGHQの総司令官、ダグラス・マッカーサーである。
>>291
継ぎはぎだらけで大波が来たら壊れるって、ほざいたばかりじゃん 足利義昭と今川氏真はかなりすごい人よ
氏真はかっての家臣の前で蹴鞠を疲労したとかで馬鹿にされてるけど、神業レベルのリフティングだったり、剣の腕も相当なものだったらしいし
>>296
信長死んじゃうとは、思わなかったんだろうな。もう今後、暴れる機会ないだろうし
1回ぐらいこのタイミングで信長ビビらしとくか的な。
嘘?まじでー?無抵抗って?無抵抗で死んじゃったの?どうすんの?俺。的な。 明智光秀は 織田信長を生かしておくことが日本にとって害悪であると考えたのであろう
>>275これな。
円高だし、安っすい韓流でも買って流しておくか!っていう信長商売と
B秀吉の商魂が一致したんだな。お互いに寺が邪魔って思ってたし。 明智光秀が室町幕府を再興するために謀反したというのは
明治維新が天皇の世を再興するための革命だったと言う程度に、間抜けな話だと思うぞ。
前政権の再興を大義名分するって、どっかで聞いた様な
足利義昭は京を追放される前からずっと有力大名に信長討伐の檄を飛ばし続けてるし
みんな分かってるよ、って空気が充満してた
分かってるけどみんな地元の地固めや国事に奔走してて、なかなか討伐に行動を移せない
そんな状況下で信長への怨恨を爆発させた光秀が突発的に謀反を働き成功させたが
実際に自分が天下取ることなんて考えてもいなかったから具体的な構想が浮かばない
なのでその後は室町幕府再興を軸に織田家残党勢力を討ちつつ外様大名との寄り合い所帯を築こうとした
考えてみれば、ごくごく普通な流れ
>>297
それはそれで過大評価かも
武田や上杉が上京したところで、協調するしたかどうか分からんし
結果として子飼いの戦力となるはずだった、細川や筒井に背かれたのが全てだと思う
自滅でねかな 織田信長は 天皇家をもどう始末をつけようかをも考えてもいた
明智光秀が 阻止した
大河ドラマで主人公の黒田官兵衛が「戦のない世界を作りたい」とか言ってたけど、
だったら、信長殺せばよかったんじゃ?
関東人:どうでもいいスレ。
関西人:つまらないスレ。
名古屋土民:歴史もの読むしか娯楽ない。良スレ。
>>308まあ結局、これな。
光秀なんか自称知略家なわけだから、謀反しても信長には怒られない、むしろ
今後殴られないように、1回ビビらしておこっ(ハート)なんだから、構想なんかあるわけない。 >>312
あれNHKの嘘だからw
実際は九州で隠居した後だって、関が原の時、九州で大暴れするくらい戦好きだよw 足利義昭には 備後の鞆の浦にあっても室町幕府第15代将軍という中世的な権威はあっても
明智光秀も 主君殺しという汚名までは拭えなかった
羽柴秀吉に中央的権力が集中することになった
>>312
全部見てるわけじゃないが、大河ドラマスでは大抵の主人公は「戦の無い世の中を」って
言ってるな。戦後の日本人左翼の思想をストレートに反映している。思想教育と言っても
いい。言うまでもないが、当時の大抵の武将は平和なんて望んじゃいない。 >>21
SF小説で過去で信長助けて現在に帰ったら日本が無くなってたってのがあったな NHK大河ドラマ
織田信長 「この国に 二王は必要ない」
明智光秀 「・・・」「なんと恐ろしい・・・」
武将は軍人で戦争が飯のタネだからな
本気で平和を祈念したのは、天下人になって
幕府体制が末長く続くように画策した徳川家康くらいでしょ
秀吉も朝鮮従えて明国まで攻め入る構想で
国内であぶれる武将のはけ口考えないといけなかったし
>>320
Wikiによると
戦国時代 (日本)
日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、
15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。
乱世により室町幕府の権力は完全に失墜。
守護大名に代わって全国各地に戦国大名と呼ばれる勢力が出現した。
領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、
領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。
こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。
だとさ。
でも人類の歴史は戦の歴史なので、どこからを戦国時代と呼べばいいのか分からんよね(´・ω・`) 本能寺の変の時、明智光秀は何歳説が正しいの?俺は67歳説だと思うんだが。
大阪の陣も、大量の浪人処理に利用できるからと
幕府は喜んでたくらいだしな。
イメージよりも本能寺の光秀ってお爺ちゃんだからねw 死ぬ前にこんなチャンス来たら一か八かやるよね
信長とは合わなかったと思うしw
>>8
信長の天下が確立してそれなりに長寿を全うしたら
今どんな日本だっただうろと妄想すると残念でならない
まー外に手だして国自体無くなってたかもしれんがね >>322
晩年の家康は平和を望んだかもしれないが、別に民百姓のためじゃなくて、
自分の馬鹿息子が秀頼みたいに打倒されないようにだよ。 人間五十年 下天の内を比ぶれば 夢幻の如くなり
滅せぬ者の あるべき也
>>136
不明とされてる。
村重は後年秀吉のお伽衆になってるので「なんでお前あの時反乱起こしたんや」「あーあれはなー」
とかネタばらしがあってもよさそうなのに。
「反乱したかったから反乱した」ぐらい当時の認識としては普通過ぎてあえて語るようなことでは
なかったのではないだろうか。
以下個人的な想像:
元々村重は摂津の池田氏の譜代家臣だったのだけど、次第に頭角を現して
最終的に主家を乗っ取り、今の池田市や豊中市、尼崎市、伊丹市の当たりを勢力下に置いた。
将軍を奉じて上洛した信長の勢力を恐れて臣従はしたけど、自前で軍と物資をそろえて
自力で摂津を平定し、その間信長の近畿での軍事行動のヘルプもやってる。
当人や家臣たちは信長とは協力関係で自分たちは独立した勢力という意識があり、
信長のことは陰で田舎者とバカにしてた。
ところが信長は近畿支配を完成させる過程で中央集権的な発想で摂津に対しても
ガンガン軍を通過させて、村重もほぼ自分の家来と同様バシバシこき使ったので
不満がたまっていき、このまま従ってたら摂津は奪われ、完全な子分にされると危惧するようになった。
で、本願寺と毛利が健在な今ならまだ彼らと組めば、信長の勢力を東に追い返し自立が保てると判断して
反乱に踏み切ったのではないだろうか。 織田に付いていけないなぁと思った家臣は、結構居るからなぁ
NHKは大河も含めて75年以前の物はほとんど現存してない始末
まして400年前のことなんてほとんどわからないことだらけなんだろうな
記録って大事だよ安部ちゃん
>>332
播磨の別所の寝返りと同じで、丹波の波多野が関係してる気がしなくもない 信長は自ら神となろうと天皇を排除し大陸に攻め来んもうとして、
光秀は前にいた朝廷に、信長が天皇排除としてるからなんとか
しろとか言われ、信長から前に失敗して信長に殴る蹴るの暴行を
うけた家康の毒殺をめいじられ、家康は毒殺せれるだろうと思う
が、信長の接待を断れば、もっと危険だと嫌々、食事会に行った
光秀と家康の利害が一致して信長暗殺計画を立てた、それが秀吉
の情報網に引っ掛り、秀吉を次の将軍にすることで秀吉も加わり
、光秀の計画で、秀吉が全国制覇の記念の毛利攻めのしめ
を信長にとらす事で九州まで信長を呼び、比叡山焼き打ちで信長
に恨みがある本能寺に信長を
泊まらせ、皆で信長を撃ち取った、多分、信長は本能寺の隠し通路
で脱室しようして出口が塞がれてて焼け死んで埋まったンだろうな?
関ヶ原の例からもわかるとおり、決戦の前には両勢力とも空手形をいっぱい発行しますよ。
どれが本当になるかは、決戦が終わってみないと本人だってわからない。家康の手形だって
多くが無効化したから。毛利に与えた空手形を筆頭に。
>>323
人類の、というより生き物は皆大抵は「縄張り争い」がライフワークですよね(;^_^A
実は「人類の」などと殊更ヒロイックになる根拠はどこにも存在していないように思うのですが如何でしょうか? 信長ってサイコパスだから、光秀が裏切るなんて思いもしなかったんだろうな。
惜しいよね。同じ状況におかれた場合でも、秀吉、勝家、長秀、一益、、だったら多分本能寺はなかったと思う。
つくづく先見の明がない男だな
よくいえば優秀なサラリーマン社長
美濃の出だとは言われてるが・・・
光秀は、織田軍団の中では比較的新参者だからねぇ
雑魚時代の信長の時期から仕えて来た股肱の臣下と違って
そのへんの呼吸が解らなかったのはあるかもね
本能寺の信長にはさ、盲目の占い師が付いてて、この男のせいで、
叛乱軍は信長の切腹したところに踏み込めなかったんだよ。
足利義昭 → 織田信長 → 明智光秀 → 豊臣秀吉 → 徳川家康 ・・・
本能寺の変ののち、明智光秀は、所領の丹波、近江滋賀郡に加え、京都、近江、美濃を押さえましたが、信長が制覇した国々に比べればわずかなものでした
光秀謀反の原因は、過労によるノイローゼで間違いないよ。
彼は本能寺までの丸一年、ほとんど休みを取ってない。
織田って典型的なブラック企業だから、みんな休みなんか取れないよw
織田信長って、同盟を結んでいたとはいえ家康に対する警戒心低すぎやろ
家康神格化バイアスがあるにせよ江戸時代初期からすでに酷評されていた信長
存命時でも家臣からは現代ほどの評価は得られていなかったのだろう
勢力確かにすごいけどまだまだ乱世だろ?
大殿が天下人にふさわしいとはとても思えんわーとかそんな感じ
>>349
信長の晩年とか、周囲からしたらひたすら恐怖と薄気味悪さに満ちてたと思うよ。
何考えてるか分からない、相談もしてくれない、命令ひとつで簡単に追放。 マイケルは、これでやっとグッスリ眠れるって言っていた
>>339
>同じ状況におかれた場合でも、秀吉、勝家、長秀、一益、、だったら多分本能寺はなかったと思う。
そいつらに信長のような才覚は無いからその仮定が無意味
歴史的に近代の扉をぶち破ったことと、仮にサイコパスであったこととは矛盾しない
人間誰しも毀誉褒貶があるんで、良いとこ取りは出来ないからな 信長・道三を再評価したのが司馬遼太郎の国盗り物語
それまではどちらかと言えば極悪非道な人物のカテゴリーに入る部類
この小説で一般世間的にも人気が一気に上がった
信長は光秀の謀反を想定できなかったというのはあれだよ、
残業、パワハラだらけのブラック企業の上司が、部下が自殺するとは
まさか思わなかったというあれだ。
ほんとに分からないんだよ。
戦国好きは一周半回って信長sageに落ち着くらしいがそんなに狂人かね
比叡山焼き討ちは英断だし築山斬殺は家康に依頼されたんじゃないのと思う
>>356
そこは下剋上の戦国だから光秀はうまくいくと思ってたんだよ
実際は空気も時勢も読めなかっただけで 信長討ち取った後に、まさか自分が孤立するなんて思ってなかったんだよな
いろんな大名に手を回してたけど、主を裏切るやり方があまりに仁義に反するから誰も味方になってくれなかった
光秀は死ぬほどしんどかっただろう。
近江坂本で落ち着こうと思ったら、機内平定にこき使われたあげく丹波の整備。
その間、武田平定でもこき使われ、休む間もなく家康の接待。
その最中に、今度は出雲に行け、所領は没収なと一言で丹精込めた所領を取上げられまた仕事。
どうせ丹波とっても次は九州だろ。その後は関東か奥州に回される。それでお払い箱で追放か、
朝鮮にでも出兵だ。俺はいつ休めるんだ?
この光秀の過労による自問自答は確実にあった。
室町幕府再興なんて愚かとは今だから言えるんだろう
当時としたら光秀ほど優秀な武将が本気で実行したわけで
だから信長なんてほとんどが面従腹背でとんでもないキチガイだとみんな思ってたんだろうよ
>室町幕府再興を目指していた
嘘つけ。足利義昭を持ち上げてさえもまだ孤立していた光秀の絶体絶命さが伝わってくる。
足利義昭が、我々の認識している以上にすばらしい陰謀上手だったというのはあるまいか
信長包囲網とかおみごとだと思うわ
俺が信長だったら美濃とったあたりからロードしてやりなおしてる
アレをやりすごした信長もやっぱ只者じゃねーや
信長の野望・創造 戦国立志伝 人気投票結果
1位 織田信長
2位 真田幸村
3位 上杉謙信
4位 伊達政宗
5位 真田昌幸
6位 武田信玄
7位 立花宗茂
8位 黒田官兵衛
9位 山県昌景
10位 島津義弘
15位 大谷吉継
17位 北条氏康
30位 立花ァ千代
37位 尼子経久
57位 井伊直虎
76位 島津豊久
98位 長宗我部盛親.
信長の野望・大志 父親にしたい武将アンケート
1位 真田昌幸
2位 毛利元就
3位 上杉謙信
4位 北条氏康
5位 織田信長.
将軍という強力な(?)「錦の御旗」も当時はまったく通用しなかったわけだ。
信長の野望・大志 上司・部下にしたい戦国武将
1位 織田信長
2位 武田信玄
3位 北条氏康
4位 上杉謙信
5位 徳川家康
6位 真田昌幸
7位 黒田官兵衛
8位 羽柴秀吉
9位 羽柴秀長
10位 毛利元就 わいは、利三独断説或いは利三主導説を押したい
四国説を言うと、斎藤利三の異父妹の石谷光政の娘が長宗我部元親室ってだけ語られて根拠が薄いと言われるけど
血縁を掘り下げると極めて関係が濃厚、そもそも石谷、蜷川、斎藤(利三の家)の三家は婚姻や養子縁組を重ねた血盟関係にあって、この三家と明智家は何れも元幕臣
元親の母は美濃守護代斎藤家(道三に乗っ取られた家)最後の当主斎藤利長の娘で利三の家の本家筋の娘
明智家と石谷家は両家とも美濃守護土岐家の分家の同族、利三の母は蜷川親順(親長の祖父)の娘
例えばこの時期だけでも、利三の実兄石谷頼辰は石谷光政の養嗣子で娘婿、蜷川親長の室は利三の妹、親長の弟は利三の義兄弟斎藤親三
石谷光政、蜷川親長は長宗我部の庇護下で、四国攻めはいち長宗我部家の問題じゃなく
美濃土岐一族と石谷蜷川斎藤の三家を中核とした五家の互助共同体の死活問題だったと思うんよね
信長の野望・大志 部下にしたい戦国武将
1位 竹中半兵衛
2位 石田三成
3位 片倉小十郎
4位 真田昌幸
5位 羽柴秀吉
6位 直江兼続
7位 黒田官兵衛
8位 島左近
9位 山中鹿之介
10位 羽柴秀長 毛利宛の書状が秀吉に渡り、講和がなって数日で返ってくるとまでなると
これは光秀でなくても予想外だったと思う。
四国討伐に向かうために畿内にいた信孝、丹羽軍とまず戦かと思ってたら即、瓦解
関東の滝川一益も北条に敗れて逃げ帰ってくる
秀吉も当然こうなると計算するのは間違いではなく、実現する可能性の方が高かった
筒井、細川が即断しないというのは誤算だったろうけど
謀反から地固めして足利擁して織田残党を討ち外様をまとめ、室町再興を果たす。
戦略的には間違いではないわな
>>312
信長秀吉家康で天下統一して戦を終わらせた真の平和国家が日本だろ
世界に日本だけなら世界平和達成だぞおまえ 秀吉の大返しさえなければある程度はスムーズに行ってたのか
そう考えると怨恨説も捨てきれないが構想も持ってたのかもね
>>365
ジジイから引き継いだバカ孫と比べるだけ失礼w
信長の領土膨張率見てみ。遥かに基地外度は上
本気で天下取ろうとか誇大妄想もいい所。
ゲームだと全武将が狙ってるがなw 実際は信長だけ 主君を裏切る下剋上どころか
明智は幕府の忠臣やったんやね?
>>366
信玄死ななきゃ信長は尾張捨てて岐阜城に籠城だったからな。
義昭は義昭で余すところなく権威を使えてるよ
だけど義昭も光秀も計画自体は間違いではなくても
やっぱり最後は「運や勢い」なんかな
本能寺の変に秀吉や家康が噛んでたという書状出てこないかな? >>1
仲間を集めるには自分を信じろというよりも大義名分がものを言う。
室町幕府再興を大義名分にすれば仲間を集めやすいと考えただけだろな。 明智光秀に織田信長を殺させて 豊臣秀吉が天下を獲得した
>>378
確かに戦国大名と言っても周辺の大名の領地を奪う程度で天下統一まで考えてたのは信長だけだろうな
他の戦国大名には天下統一なんていう大それた発想は無かった いやもう秀吉黒幕説飽きたわ
今にして思えば秀吉嫌いな朝鮮人がプロパガンダで秀吉貶めてたんちゃうの?とすら思う。
ザビエルとかルイスフロイトが日本にいたのは
キリストの布教とイスパニアによって日本を攻めさせ植民地かする事であって、バチカンから
散々はやく植民地かしろとか言われてたんじゃないかな、あまりに信長が恐ろしくて出来ないから、光秀をそそのかし信長を暗殺したが秀吉も恐くて出来なかったかもしれない?
光秀が天海として家康につかえた
日光東照宮に明智の家紋の桔梗紋がある
鶴と亀の像は明智と徳川の象徴
春日野局は明智と血縁者で大奥は明智の血も
継承していた
光秀の名の漢字、家光と秀忠に使われている
関ヶ原の戦いが徳川本体も居ないのに、徳川勝利で六時間ほどで終わらせたのは天海がシナリオかいてやらした、
家康は影武者でそれを見抜いた天海が裏で徳川家を乗っ取っていた
それを知った服部半蔵が篭目の唄を作り松尾芭蕉として全国に広めた
徳川埋蔵金は日光東照宮のと赤城山の二つあるのかな?
赤城山の埋蔵金はフランスのロスチャイルドからフリーメーソンのグラバーに命じて回収させた?
前々から狙っていて、今がチャンスと飛びついたというのがほんとのところみたいだが
その兆候を秀吉は掴んでたとは思う
それを黒幕というのかわからんが
本能寺の変によって 京都の朝廷は織田信長に取り潰されずに済んだ
室町幕府の再興は大義名分とはなっても 人心は集めなかった
羽柴秀吉の行動が速杉た
秀吉が殺した説って全く証拠もないしありえない話なんだよな。
本当は美談なのに、そこをわざわざ崩そうとする現在人。
秀吉の中国大返しは大恩ある信長の為に愛と怒りと悲しみの
反撃だったのだ。
テレ東のチープ歴史ものみたいなスレだなw
YouTubeにあるから見てみな
まったく肩が凝らなくて酒飲みながら見るのに最高w
信長は朝廷を最初こそは利用してたが
晩年は朝廷からの官位申し出をことごとく無視してたからな
自らの居城安土城に天皇を呼び寄せる計画も考えてたらしいし
光秀が利用されただけで黒幕がいたとしたらよ、黒幕は動くだろ
あっけにとられて誰も何もしないんだから
>>292
徳川氏や徳川家康に都合がいい説は、徳川を美化する可能性が高い大久保彦左衛門の著作が出典でも、
従来は無批判に世間で信じられて来たところがありますな。
信頼性が高い史料に基づけば、築山殿と松平信康の殺害を命じたのは、家康本人でほぼ間違いない。
徳川氏関係は「徳川家康が日本初」といった美化した通説も、他説を精査せずに流布させ過ぎ。 >>332
禿げるほど同意です
そもそもこの時期、部下といえども、名門出身だったり(光秀)、
ひとかどの自立した土豪勢力だったり(荒木、佐久間)
それぞれ通常とは異なるプライドや意地がある
だから武田など各部下の背景と性格を踏まえ適材適所に腐心した
しかし信長は全員ロボットと決め付け、全く人間味のない過激な奉公を強いる
荒木でなくともキレますわな 足利を追い出して自分が将軍になろうとした信長を旧臣であった光秀が色んな恨みもあって謀反したって話なだけだろ?
時代がまだ早かったんや
変なやつが湧いてるが、当時は海洋戦を想定する必要もなかったから船は内陸用に鉄甲船がつくられただけ。海戦の必要があればつくられてたよ。築城技術に比例するから。なんで日本下げな椰子がわいてんだよ
>>332
村重君は謝りに行こうと思ったら、
道すがら寄った
兵糧を横流しした張本人の中川君が
「ヤバイっすよ!! 一度裏切ったら
最後は殺されますわ」と説得して、謀反。
でもその中川君と高山くんは、
さっさと降伏して、
村重、ボッチ。
悲惨な運命でした。 そもそも日本上げ下げではなくて
信長が存命していた場合、東南アジアなど海外に進出すれば、
その政権はいずれスペインやイギリスと戦火を交える
そのとき当時アルマダ海戦のように艦船の大船団で交戦していた西欧に、
いかにして日本が対策できるか、或いは困難か、
という論争だと思われるよ
信長不要説見たい奴がいるみたいだが日本人じゃなさそうだな。当時の京都周囲は群雄割拠で一向衆も加わって諸大名を平定したのは大きい。加えて貧しかった朝廷に金を送ってる。
日本史でいう信長はナポレオンの同格かその上なんだよな
>>403
イギリスから東南アジアまで何日かかるか解ってる?戦費も。西欧は国体がある中国や日本には手出し出来てない。というより欧州同士で戦争してたから、アジアが海洋戦する必要も見いだされなかっただろう。
戦国時代の日本の兵はめちゃくちゃ強く、明を丸呑み出来たかもしれない。ただ国境を越えると文化の違い等で統治は無理筋だと思うが。 信長は唐討ち入りする予定だったってのが
どの程度信憑性があるのか
当時の戦力で、信長が率いた唐出兵を見たいものだ
朝廷も幕府も貧乏だけど、信長ばかりクローズアップされるから解らなくなるが、
名門と言われる武将は、結構莫大な支援を16世紀前半から将軍や御所に実施してきたのである
例えば、一乗谷で義昭上洛を支援しないので有名な朝倉だが
しかし朝倉の歴史を紐解くと実は数十年も前から足利将軍を庇護して、その上洛を助け、朝倉軍団が京都入りして来た長い歴史がある
こんな北陸の雪深い武門がよくぞそこまで出費したなと思わせるものがある
もっとすごいのは謙信である
しかし大半の日本人はそこまで昔の歴史に興味がないから知らず、
あたかも信長だけが上洛し、将軍や御所を助けたかに誤解する人までいるぐらいである
歴史を見ると全て必然だったように思ってしまうが、どこに転ぶかわからない多くの偶然の結果なんだよな。
信長が生きていたら、明を本当に亡ぼしていただろうな。これは確実だろう。
>>1
森蘭丸が呂布だったら、信長は死んでいなかっただろ 知って聞くけど、明智光秀って誰?何やった人?
信長暗殺した人っていうくくりでしか、この人を説明する仕方ないのか?
>>412
織田家の出世頭
丹波丹後平定に抜群の功績を残し
将軍家や朝廷との交渉でも手腕を発揮
って言われてもあんま意味ないでしょ
柴田勝家が何したって言われても困るのと同じで 長曾我部だけでなく密かに家康とも通じていたんじゃないか。家康も不要な存在になり命の危険があった。更に変後の甲斐信濃への出兵は中山道を抑えて助力したのかも。家康にとって光秀は命の恩人とみるとその後の厚遇も理解できる。
時事系列見た感じ勢いで信長やっちゃったから
とりあえず大義名分でっちあげましたってところじゃねーの?
そもそもちゃんとした大義があったなら
もっと派手に宣伝しそれが現代にも残っていた訳で
本能寺の変の動機がここまで議論されなかったはずだろw
しかし光秀に味方したやつが
カスばかり。室町幕府再興って
当時も時代遅れだったのでは?
戦国史ファンなので図書館行って朝日・毎日・読売・産経の4紙読んだが、
朝日は驚くほど平板で記者の蓄積が感じられなかったな。
どうなってるの朝日は。
左翼紙でも数年前までは歴史分野はコピーしてスクラップに貼っていたのに…。
信長は始皇帝になろうとしてギリギリでなれんかったな
項羽や曹操は超えてたが
>>90
近江にいたはずの本隊は本能寺の変のあと何やってたんだろう?
明智軍と戦った? >>403
秀吉からの臣下の礼を取れという書状(恫喝)に恐れをなしてマニラから逃げ出してるんだけどw >>421
近江や美濃の信長、信忠直属の連中はこれからそれぞれの城から出て合流するところだったんだよ
本能寺の変の知らせ聞いてみんな城に戻って様子見 >>8
すぐに秀吉が跡を継いだじゃん
地方が政治・軍事・経済で独立国家みたいに振舞ってた戦国時代は種子島の登場したときに
成立しないことが確定した。
あとは国家統一するだけ このハゲ と言われてキレたってのが定説
とんでも論はもう良いよ
明を滅ぼしてどうするつもりだったのか
傀儡政権を立てるのか、直轄統治か
はたまた、日本の都を大陸に移すのか
どれでも日本本国のほうはだんだん弱くなりそう
パワーゲームからさっさと下りた黒田官兵衛は頭が良い
秀吉は死ぬまで下りられなかった
信長が明を亡ぼしていたら、アジアは劇的に変わっていただろう。閉鎖的な中国社会は開放的な
国になり、日本も同じ。そのショックは全世界的なものだっただろう。
>>424
なるほど
軍勢はいるけど指揮できるレベルのひとがみんな揃って死んだ感じ?
方面軍が遠征していて、当時の畿内に軍事的空白が生じたって説明を聞いたことがあるけどなんだか印象違うなあ 欧州から大船団組んで東南アジアで戦うとか絶対無理
○スペインの拠点だったマニラだって清や少数のイギリス艦隊に
やられまくてったけど1度も艦隊で救援に行か無かったし
スペインからすればメインはアメリカ交易だったので主力艦隊をアジアなんかに
行かせたら年単位でアメリカ航路でイギリスにやられまくってたろう
○イギリスにしても条件は同じだけど艦隊のかなりの部分海賊を取り込んでたから
彼らがアジアへ行くとか考えられないしインドの安定の方が大事だから
産業革命が本格的に進むまで日本とは同盟関係の方向へ向かったろう
○オランダとはひょっとしたら香料諸島を巡って
すごい海戦バトルが繰り広げられた可能性はある
ただオランダは国力というか人口に問題があったから仮に日本と全面戦争になったとして
日本を維持する国力はなかったろうから日本が全面的に敗北するというのはなかったろう
多分香料諸島で線引きして争うか共同管理で共存してた可能性は大
○信長大航海時代はロマンがあるね!
>>426
そうだよな
このハゲと言われて主君の首をとった秘書と同じだよな
はげの恨みは深い >>434
光秀の出身って関西じゃなくて美濃では? もし秀吉(信長)が朝鮮出兵して明までやっつけて大日本帝国作ってたら
人口の9割漢人になるのよね
それって日本じゃなくて日本朝中国でわという問題が
>>431
菅屋福富村井斎藤
団忠正
織田信房
坂井越中
この辺のメンバー二条御所で
信忠と一緒に壊滅だからな 秀吉でも豊臣家滅亡の原因ともなった朝鮮侵略
ましてや明朝平定なんてただの冗談ではないか
>>105
信長にかこつけてケチな政権批判ネジ込むな 豊田の首をとった秘書
恨みを晴らしただけであって別に将来展望があるわけではない
そんな程度のことだ
>>427
日本は信忠に任せて
信長は直接統治するつもりだったんじゃ
もっと戦線を拡大してるかもしれんがw
>>437
漢民族意外が何度も統治してる国(地域)だし >>19
そんなん、テキトーにそのへんの死体にこれ!ってさせればいいだろ。
やはり生真面目だったのかな?
生真面目が謀叛起こさないか 信長なら明滅ぼしていたらヨーロッパに対抗する航海時代をつくった可能性がある。
みしらぬ南蛮国が日本国になるとかな。
信長もこの頃は、必要無くなってきて害毒になりつつあったからね。
幕府再興、天皇家の立て直し、キリスト教の受け入れと腐敗仏教の破壊。
この光秀の方針が、今の日本の基礎になってるように思えて仕方ない。
>>30
野心はあっても能力がないから
実際無理だと互いにわかってた。
秀吉なんかのほうが警戒されてたし嫌ってたかも >>438
そう
近江と美濃尾張の連中は信長信忠の直属だから2人が死んだらそもそも命令者が居ないから武将も各自で判断するしかないバラバラ状態
しかも信長信忠の側近連中は本能寺でほぼ全滅だから代わりもいない
側近で一番有能な堀は秀吉の監督に中国に行っていて、
次に有能な長谷川は家康の付き添いで堺に
これじゃ織田本軍は動きようがない まだ全然出てこないけどキリスト教を事実上追放する素地は本能寺の変だろうね
バテレン大好き信長が死んだから秀吉がバテレン追放に動けた
もし本物なのだとしたら
あの先見性の欠片もない義昭の行動を見て再興をとか言ってるのはただの馬鹿としか
光秀の子孫がご先祖様は騙されただけだとか本を出したが
結局裏切ったのは光秀の意思じゃねーか
恥かしい子孫だなw
>>447
地位を確立してしまったら後継は守りに徹する王朝になってしまって
結局大陸の歴史は同じ流れになるじゃないだろうか 前スレでフロイスの話があったが
フロイスの信長評価は短気残忍と果断知力あいまってまあまあ正当といえる
しかし光秀は抜け目なく策謀に通じ信用できな腹黒さを強調し
>>454
先進的な発想をもった信長の参謀だったけど
なんだかんだいって信長より年上で、もともとは朝廷に出入りしてた人間
ってことじゃないの
秀吉みたいに、百姓や商売人出身だから、信長に最期までついていけただけで。
勝家だって、当初は信長を裏切ってるし >>454
大義名分として利用するには足利将軍家の名前はでかい
相手によって相手が喜びそうなこと書いて誘うのが常套だし >>457続き
一方フロイスの秀吉評価は実に罵倒の極みに近く、好色下品で卑しく世間の鼻つまみ者となる
つまりフロイスから見るに、
信長だけが一応真人間で、光秀はサイコパス、秀吉はブタ扱いだが
果たしてこれは正当な見方か大変疑問である 風呂椅子は布教させてもらったからべんちゃら言ってんだろう
フロイスに限らず異国人は日本人は蛮族としか見ていなかったろうよ、今でもたいして変わらん
最近、流行りだった秀吉謀略説も
これで終わりだな。
>>445
光秀子孫は光秀はもう70近いからと否定するけど
野望はあったと思う
義昭を持ち出したのは元義昭の家臣だから
謀反者と言われるのを避けるためだけだと思うけどね 秀吉にしてみりゃ信長は夫婦ともども大恩ある主君だし裏切る動機がほとんどない
信長の元にいれば楽なんだし
これが出ても怨恨説が一番有力なのは変わらないよ。
こんな主君(信長)ではやってられないと光秀が感じたので謀反を起こした。
光秀は自分にカリスマが無いことが分かってたから、足利義昭を担ぎ出したに過ぎない。
友達に霊能力者がいて一緒に本能寺に行ったことがある。
信長や光秀の軍隊の姿が目の前に見えるって言ってた。今その場に居るような臨場感で。
信長は槍で刺されてケガを負い寺の奥に姿を消したそうな。全て見えていると。
帰りに本能寺でお参りしたら信長が感謝して頭を下げてる姿が見えたそうな。
こんな能力持たずに産まれて良かったよオレは。幽霊とか恐いし。
光秀70説ってどうも信用できない
そんな高齢で信長に無数の感状をもらうほど働けるかな
俺も光秀が70は間違いだと思うよ。おそらく40台だったんだと思う。
室町幕府と国連って、結構似てる
どっちも戦勝国が作ったシステムだが、その後の紛争によって権威がなくなっていった
そして各国が金を出して利用するだけの形態に成り下がっても生き延び続ける
大国の圧力に簡単に屈するってのも同じ
>>419
朝日の歴史面ってそんなもんなの?
科学面は難しいことをわかるように伝えようとしてるの伝わるんだけどな >>470
当時長生きの武将とか結構おるぞ
柴田勝家も瀧川一益も結構な高齢で光秀と大差ないぞ >>464
秀吉サゲの方針から信長サゲに方針が変わっただけだよ >>466
人間五十年
信長はいつ死んでもおかしくはないし息子たちはどうかな
脳筋の信忠を始め、信長の足元にも及ばんボンクラどもが、天下が統一されて更に信長亡き後自分を使えるか >>473
足利家直属軍隊だった
奉公衆がいたけど
大内細川山名とかに比べたら
大した兵力じゃないしな 焚きつけた足利義昭は天寿を全う。やってられんだろうな
そもそも義昭はかなり有能
信長の監視をくぐり包囲網を作るのだからなー
司馬作品だと無能腰抜けが定番だがちとヒドイ
細川も明智もずっと足利と織田と二股に仕えてたもんだからな。
>>471
提唱されたのが江戸時代だったというだけの話。
主君を騙し討ちするには相当な理由があるんだよ。 >>469>>476
当時の本能寺は本能寺跡の石碑があるだけだけで今の本能寺が舞台ではないけど、
信長の霊自体はそちらに移動してる可能性大だな。
祀られてる方にいくだろ霊だって。 >>469
おれも見えなくて良かったよ
お薬とか飲まないとならんだろうしな この「光秀は幕府再興のために信長を殺した」という「新発見と解釈」とやらが本当だとして
主君殺しに変わりはない気がするんだけど?
計画練ってやったなら細川筒井は既に抱き込んでおらねばならず、
安土に入ってここを拠点に東の大垣、北の長浜を取れば、
坂本から押し出して筒井細川と連合して信孝の丹羽の軍勢を追い出せたはず
一番得をした奴が黒幕の原則に従えばやっぱり秀吉だよ
黒幕というよりは光秀の腹の中と不穏な動きを知っていたが黙って見ていた
中国大返しは手際がよすぎる
前もっての準備と、予想が当たって光秀が事を起こした時には
天下を取るというあらかじめの決意が無ければ無理
明智の子孫の本読んだけど
騙されたってより秀吉が有能だったとしか読めなかったけど
光秀には謀反をする理由が無数にあって家康とは通じてたけど実質単独犯
>>490
二条城にいた嫡男の信忠は生き残れる可能性があったので、
秀吉黒幕説はなかなか難しいんだよ
信忠の死こそが秀吉にとって最大の幸運なわけだからな >>490
光秀が殺るか殺らないかはわからんが、秀吉が光秀の心中は察していたと見るのが妥当だと思う。 >>488
主君を殺すのが悪というのは、その良し悪しはともかく受け身な概念だとは思うがな
殺せないようなやつは天下を取るチャンスもないわけだし >>490
・本能寺の変が成功するかどうかの博打
・毛利との交渉がまとまるかどうかの博打
・事が固まる前に返し強行軍が間に合うかどうかの博打
・織田軍団最強の光秀軍に勝つという最大の博打
こんだけ博打要素があるのに「秀吉が黒幕」ってアホか。 >>490
焚き付けるような手紙は書いてるぞ。信長は息子を重用しだして
自分ら普代の家臣の行く末はどうなるんだろうみたいな 黒幕はいなくて焚きつけたやつが沢山いたと言う戦国あるあるだな
>>496
別に主君殺しの善悪はもともと気にしてないが、事実認識としての話。
「幕府再興のための正義の乱だった!」って大河ドラマ化狙いミエミエの宣伝工作臭いからさ。
>>殺せないようなやつは天下を取るチャンスもないわけだし
天下統一した秀吉は、主君殺ししたっけ?
主君殺しした明智は天下取ったっけ? >>495
一緒にいたのが長益ことのちの有楽斎
このへんがなんか吹き込んだかもね >>498息子養子にもらってるから
お家存続自体は安泰だろ
本人高齢で子供がいない柴田の方が
よっぽどあぶない >>495
本能寺まで駆けつけた。ウラクサイ凄いよな >>497
だから、光秀の謀反の意思を薄々感づいてはいたが黙って見ていたという事
裏で何かを仕掛けたという事ではない
だが「その時」に常に備えていたはず
そういう意味合いでの消極的な黒幕だよ 散々数々の作品の悪役に使われてきたのに
本当に歴史って学問はコロコロ代わるよな
三国志でいうと司徒王允が呂布を使って董卓打倒のクーデターを起こしてその後すぐにつぶされたようなものだな
クーデターを起こす人は目的さえ正しければ実行した後うまく行くかなんてそんなに気にしない
光秀の謀反が私欲によるものではなく大義名分があるものだったなら同様の事が起こりうるだろう
秀吉説はありえねえ
忠誠ってより、このままの方がさらに出世できそうなんだし
>>500
チャンスと書いてあるの読めない?
あくまでも一般論だよ >>505
そんな理屈www
「北朝鮮がミサイル打ってくるのは
北朝鮮以外のすべての国が『消極的黒幕』だ!」
ってのと同じくらい、
オレ解釈造語を使った詭弁だよ。 >>505
それくらいなら、潰されそうな上杉景勝と長宗我部元親は動機だけなら首位独走ですよ。
まあこの二人には手段が無かったわけだが。 >>488
足利将軍家に対する謀反人を征伐したみたいに持っていきたい >>508
それは微妙、「そろそろ次は俺が目をつけられるかも・・・」的な立場になりつつあった。
逆に「殿がご乱心されても、ワシが目をつけられるのは最後」が光秀。 この密書の写しは知られていたというけど、江戸時代は知られてなかったんだろ?
明智光秀が室町幕府の再興を願ってたなんてことは江戸時代には知られてなかったから
安土城での饗応に失敗したとか蘭丸に鉄扇で額を割られたなってエピソードが作られたんだと思うぞ
>>491
怨恨で主君を殺すことは戦国時代では頻繁にあったよ >>455
証拠の品がいっぱいあったけど、関東大震災で焼けて無くなった(=今は、証拠がない)。
じつは、光秀には側室との男子がいて、私は、その子孫だ。
あの作家、本当に子孫なんかw
織田信成の家系なりに怪しいではないかwww >>515
光秀や秀吉、家康やらの場合は信長に怨恨どころか感謝しか無いよ 外様だった明智が、織田家重臣トップ5にまでなったんだからな。
少々の怨恨では謀反起こす動機にはならんわな。
一応本能寺は要塞だったからな。
信長もセキュリティ上警備がや
りやすい妙覚寺や本能寺を京都
にいるときは利用していた。
>>497
松永や荒木の謀反があったし、織田家中には不穏な空気はあったと思う。
黒幕かどうかはおいといて、秀吉は、
信長に何か起こった時の対策(情報収集、軍の迅速な移動準備、警戒線)は、十分してたと思うよ。 >>107
当時から外洋船はあったし、前時代の和冦すら艦隊組んで遠征してる
信長の時代には西洋船の技術も導入されてるしな
木に関しても日本のたたらがどれだけ木材を消費してたか
植林を含めて資源保護の考えはすでにあったから問題ないよ 有楽と信忠一緒にするな
織田家の当主の信忠は信長と一緒に葬らないといけないが、有楽なんて雑魚どうでもいい
有楽が逃げられたから信忠も無事とはいかないわけでね
信忠にしてみたら近江に逃げるにも坂本城は光秀の居城で、大和の筒井の動向は不明で、
大坂方面まではやはり光秀の勢力が強いとこを突破しなきゃならずで進退窮まってる状態だよ
信長は本能寺の後秀吉のとこに
いく予定だったけど動員兵力は
どうするつもりだったんだ?
明智と細川、筒井だけでは二万
くらいにしかならないけどほか
から動員する予定あった?
政策における信長と光秀の対立点がわからない
だから今となってはクーデターの理由もわからない
怨恨や野望でクーデターは起きない
515事件の理由が怨恨や野望で起きたなんていったら笑うだろ
>>519
天王寺の戦いでは信長が先陣切って助けに来てくれてるしな
佐久間折檻状でも光秀は名指しで誉められてる立場だし 明智が足利を匿ってた毛利家への手紙を秀吉が見つける
まあ、秀吉はラッキー
>>525
いや元々秀吉軍だけで十分で「最後の美味しいところは殿がどうぞ」の体で呼んだだけ
この件といい、その後の中国大返しといい、秀吉黒幕説が出るのはそのせい >>526
センゴクって漫画では
信長の唐討ち入りに反対するってのが理由の一つになってた >>525
近江80万石のうち60万石くらいは信長の直轄領だからこれで2万
信忠の美濃尾張が120万石くらいだからこれで4万
親子で6万くらいの直率部隊率いていく予定だったろ 光秀の密書「室町の幕府を復興させるためだから、味方せよ」
秀吉の密書「上様の敵を討ち、織田家を、お守りするためだ、味方せよ」
家康の密書「三成ら逆臣を討ち、豊臣家をお守りするためだ、味方せよ。」
・・・・・正義(恩賞を担保するため)を主張するもんだよ。本心かどうかは別。
本能寺の変から、10日後の書状だろ。
幕府復興とか言い出してる時点で、光秀は、相当、追い込まれていたってことの証拠さ。
関ヶ原の混乱に乗じて本州に乗り込もうとしてたヤツがブレーンにいたからな秀吉陣営は
信長は光秀や秀吉、勝家といった
既存の連中を粛清。そのあと小姓
だった蘭丸や婿の蒲生氏郷起用し
て官僚政治やろうとしてたのは
なんとなくわかる。
軍閥化して脅威になるのが信長
には一番厄介で。最大の軍閥勢力
になりそうな明智が真っ先に
やられそうになってた。
>>533
>まだ単独説とかトンデモがいるのか?
昨夜、叩かれてたお前かwww 結果的には家康が難を逃れて勝ち残ったんだから、光秀の思惑通りやん。
>>479
大した戦力じゃないとか、頭がおかしいのか
徳川家臣団≒足利家臣団だろが
三河に勝った事ねーじゃん
日本の歴史(中世〜近世)
◆鎌倉幕府(1185〜1333年)◆
【勝者】源頼朝:清和源氏、藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府(1338〜1576年)◆
【勝者】足利尊氏:清和源氏、三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国碧海郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467〜1477年)◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603〜1868年)◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614〜1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平 >>539
南朝復興阻止説には何も反論できず、ぷるぷる震えてたんだろWWWWW >>450
高野山と間違ってない?
延暦寺が信長を許したのはつい最近。
だから弔う墓があるわけない。 何時になったら、室町幕府が三河政権と頭に入るんだ?
徳川は三河政権たる室町幕府側の人間で、信長や猿吉は敵だ
◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇
【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
>>538
で、その明智勢力圏の真ん中で「どうぞやってください」レベルで宿営したんかw ざつと流し読みしたところ誰も南朝復興阻止説(事実だが)には沈黙か何ひとつ反論できなかった
みたいだな
確定ということでよろしいかな
>>532
どこで集結する予定だったんだろ?
京都か大坂?明智や細川筒井はその 先陣として露払いだったんだろう
けど。
>>530
あれだけでは足りないかと。
兵力の半分が宇喜多だからな。
毛利も一応五万くらいいたから
信長に本当に出てきてもらわ
ないとキツイかと。
現に播磨攻めの時も信長に泣き
ついて信忠軍の援軍もらってる。 >>547
少なくとも信長に光秀粛清の気はとりあえずあの瞬間はなかったってことだわなw
もちろんその後どうなるかはわからんのが信長の怖さなんだがw もし本能寺の変がなかったら信長の家来だった弥助が城持ち石持ちの領主になって
由緒あるアフリカ系日本人という謎家系が出現しそれらはフィジカルエリートとして日本のスポーツ界を引っ張っていたのかもしれない
>>549
当時の軍隊の行軍は案外三々五々バラバラだよ
最前線の備中までは味方の領地だからそれぞれバラバラに備中で集結する予定だったんだろ
信長はところどころとどまって、そこで集まった連中を引き連れて次第に大軍になっていくというパターン
桶狭間なんかもそんなだったよ >>547
一応要塞である本能寺にいた。
あの寺は当時は要塞だったから。
ただし護衛である馬まわりを
分宿させたり分散させたのが
不味かった。 秀吉は仮に冷遇されたって
露に生まれて露に戻るだけで損しない
こう考えると光秀はかねてから狙ってはいたんだろうな
だから信長信忠無防備京都滞在の情報は直ぐに光秀は把握した
ただ、いつ信長が無防備になるから読めないからやはり計画的犯行というのは無理
>>554
じゃ具体的に本論してみい、できんくせに、おまえは負け犬なんだよ >>552
なるほど。信長がゆっくり行動
してたのは合流してくるのを
考えてのことか。
京都から高松城まで5日くらい
としてその間に合流できるよう
にしたわけね。 >>434
何で三河と尾張を一括にするんだよ
しかも関西は関係ねーわ
三河政権たる室町幕府に逆らった尾張を三河の家康が征伐した構図だ
室町幕府の支配層一覧(三河繋がり優遇)
■将軍御一家
【三代将軍足利義満時代】(3家)
・西条吉良氏(三河国幡豆郡吉良、三河県西尾市)
・今川氏(三河国幡豆郡今川、三河県西尾市)
・渋川氏(上野国群馬郡渋川)
【八代将軍足利義政時代】(4家)
・西条吉良氏(三河国幡豆郡吉良、三河県西尾市)
・東条吉良氏(三河国幡豆郡吉良、三河県西尾市)
・石橋氏(三河国設楽郡石橋、三河県新城市)
・渋川氏(上野国群馬郡渋川)
■三管領(将軍に次ぐ最高の役職、将軍を補佐して幕政を統括)
幕府執事(管領の前身)(3家)
・高氏(三河国額田郡菅生、三河県岡崎市)
・仁木氏(三河国額田郡仁木、三河県岡崎市)
・細川氏(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
管領(3家)
・細川氏(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
・斯波氏(三河国碧海郡矢作、三河県岡崎市)←初代足利家氏は、祖父より三河国碧海郡碧海荘を相伝し本拠とした
・畠山氏(武蔵国男衾郡畠山)←初代畠山義純は三河国生まれ
■七頭(管領家とともに幕政に参加できた七家)(7家)
・一色氏(三河国幡豆郡一色、三河県西尾市)(四職)
・山名氏(上野国多胡郡山名)(四職)←初代山名義範の実父は、矢田城主(三河国幡豆郡矢田、三河県西尾市)の矢田義清
・京極氏(山城国葛野郡京極)(四職)←京極高秀(佐々木道誉の嫡男)親子は三河国額田郡下和田郷(三河県岡崎市)の領主
・赤松氏(播磨国播磨郡赤松)(四職)←善住寺(三河県豊川市)に赤松円心親子の墓あり、赤松円心は一時、赤田和城(三河県岡崎市)に隠れ住む
・土岐氏(美濃国土岐郡)(五職)
・上杉氏(丹波郡何鹿郡上杉)(関東管領)←事実上の初代上杉頼重の屋敷あり(日名屋敷、三河県岡崎市)
・伊勢氏(出自不明)(政所執事)←活動を記録した最古の資料では、初代伊勢俊継は父、叔父、従兄弟と共に三河国額田郡賀茂郡(三河県岡崎市・豊田市)で活動 >>550
他の人も書いてるけどもし信長に冷遇されるとしても、光秀はリストの最後だよ >>558
当人は分からない。
ただ配下の斎藤利三は春日局の親だったせいか
「事前に精いっぱい制止したのです」
「奴が蜂起しろと煽った」
と毀誉褒貶が激しい。 >>562
関係なし。それであなたは反論できなくなったよね。 >>558
無防備といっても馬回りという
精鋭部隊伴ってたから簡単には
襲えない。
おそらく信長周辺に内応者がい
たんじゃないか?信長の予定なん
て最高機密だから近くに誰か
いないと把握できんでしょう。 この時代の書状って、それが本人の直筆だってどうやって判断したんだろうな
いくらでも捏造できそうな気がする
>>553
「当時の寺は要塞だった!」は
「その気になられたら確実にやられる状態だった」という事実には無関係だから。 信長の行動を掴める立場
光秀と利害関係あった
信長の側近って誰だろ?こいつ
が本能寺の真犯人では?光秀に
状況知らせないと襲わないはず
だから
>>572
>信長の側近って誰だろ?
明智光秀。京都の朝廷・義昭担当だったからね。 細川幽楽斎は事前に変の計画を知らされ協力する手はずになっていたことが明らかになっている
細川が土壇場で裏切らなかったら光秀の天下になっていた可能性が高い
日本は、最大の皇室御領(三河国加茂郡)、最大の源氏御領(三河国額田郡、設楽郡)を有した三河の王が頭だからこそ治まるんだよ
松平は、その最大の皇室御領を発祥とし、最大の源氏御領を本拠とした
身の程知らずの尾張の田舎猿、信長や猿吉はでしゃばりすぎたんだよ
最大の皇室領荘園だった豊田市に繋がる鎌倉将軍家、足利将軍家、徳川将軍家、トヨタグループ
今も昔も、三河は皇室を庇護する日本の上級国民だわな
■三河国高橋荘・高橋新荘
豊田市全域は源頼朝の曽祖父が開発し、後に皇室に寄進された最大の皇室領荘園
高橋新荘から松平家が、高橋荘からはトヨタ自動車が発祥した
・平安末期〜戦国期に見える荘園名
・矢作川中流域の低地と山間部、豊田市(旧上郷町・高岡町を除く)・三好町・藤岡町・小原村にまたがる大荘園
・八条院領目録に院分御荘として「参河国高橋荘」「参河国高橋新荘」とあり、鳥羽院政期の院領寄進系荘園の一例とみられる
・寄進者は藤原(高橋)惟康か←藤原伊周の孫、源頼朝曽祖父の妹の息子
・八条院没後、春華門院昇子ー順徳天皇ー後高倉院→安嘉門院邦子ー亀山天皇ー後宇多天皇ー昭慶門院憙子と相伝される
・昭慶門院目録に、高橋荘は亀山院の時石清水八幡宮に寄進、新荘は冨小路前大納言(小倉実教)とあるのは領家職とみられる
信長の京都での予定を光秀に
教えたやつが真犯人だよ本能寺の
変の。
前日までに本能寺に出入りして
警備状況見て光秀に通報でき
るやついるかな?
衰退している古い体制にしがみつく方が負けるのは歴史観
>>575
まさか、隠居しちゃうとは思わなかったろう。ガラシャまで上げてるのに 徳川上洛は信長を無防備にする策略だった可能性がより一層高まったな。
>>577
通報も何も
信長「おう光秀、いま京都、本能寺にいるわ」 光秀の失敗
信長の首見つけられず
本能寺燃やして火薬をパーにした
世論は当時から卑怯もの扱い
石山にいた信孝攻撃しなかった
中川と高山を味方にできず
>>582
光秀とかは
重役だね
文字通りのそばに仕えてたのは
森蘭とか堀久とか長谷川とか
後者2人は現場にいなかったが >>578
信長も朝廷に献金したり
義昭と和睦しようとしたりしてたから
信長が滅んだのも自然な成り行きだな >>580
まだ全然働き盛りでの隠居くらいしないと当時も今も非難ごうごう
だっただろうからなw 自分の出自をよく知る家康が反足利になる事は絶対にない
事実、信長の思い出話は一切しなく、猿吉一味は歴史から無きものにされた
これの感覚は、三河に生まれ育たなきゃ分からんよ
■今川記(1553年成立)より
松平信光(第3代目当主)
正室:一色氏の娘
一色満範の娘の仮定する
源義家→義国→義康→足利義兼(初代源姓足利氏)→義氏→泰氏→一色公深(初代一色氏)→範氏(母親は今川国氏(初代今川氏)の娘)→範光→詮範→満範→娘→松平親忠→長親→信忠→清康→広忠→徳川家康
■熊野国造家 和田家系図より
松平親忠(第4代目当主)
正室:鈴木重勝の娘
・加茂(足助)重長→足助重秀(母親は源為朝の娘)→重朝(母親は安達盛長の娘)→重方→親方→貞親→重範→鈴木重員(母親は楠木正成の娘)→重勝→娘→松平長親→信忠→清康→広忠→徳川家康
>>587
信長は権威を利用した。光秀は権威に憧れた、屈服した 三職推任の話し合いで
征夷大将軍を受けると決めてしまえば良かったのだ。
光秀は、彼の思想からいって勅旨であれば従わざるを得ない。
いやむしろ、ついに我が殿が武家の頭領になったと喜んで、
祝いの挨拶に家来全員で駆けつけた
のを誤解されて収拾がつかなくなったのかもしれないな。
>>592
筆まめの上に「あれはワシが指示した」が得意のアラファト将軍だしな 明智の同族であり蘭丸ばかり可愛がる亭主にぶち切れた帰蝶が怪しい
>>594
元上司がストーカーしてラブレター送ってくるでこざる >>596
「やっちゃえよ、やっちゃえよ」くらいは言ってるよ
「やっちゃえOK」とは宅八郎の決めゼリフだったなw
宅八郎の代表作「処刑宣言」 幕末の慶喜は徳川幕府再興を小指の先ほども目指してなかったな
>>183
それだけ秀吉は神がかってた。
ここ一番の凄さはハンパない 信長は上位者を討ったことないから義昭も討たんだろ
織田宗家、斯波家、いずれも追放してるだけ
戦国の世でも上位者を討ちとったりしたら民意が離れていくことを知ってんだよ
光秀との決定的差ともいえる
>>605
下克上とは遠い人だよね。
教科書の記述が近いから代表格みたいに思ってる人がいたんだけど 下剋上でのし上がった父親を見て思うことがあったんだろうか>信長
官位は大切だもんな。
関ヶ原以降、秀頼を関白にさせまいと朝廷に根回しした家康といい。
将軍には源氏しかなれないん
じゃないの?平家の織田がなんで
なれるの?
将軍殺しなんて評判悪くなることを信長がするわけ無い
やっぱり朝廷ができてからは
革命をやらないメンタリティなんだな
あの当時の将軍ブランドってある
のかな?古河公方のほうがまだ
ありそうだけど
朝廷黒幕説、義昭黒幕説、家康黒幕説はいいだろう、源氏北朝だしな
家康の新田源氏は自称だろうけど、新田というのは南朝さんに気を使ったのかな
源平交代説も根底にはあるだろう
将軍という災いを贈り物にした
んだよ織田が毛利への。
長宗我部黒幕説は?
丹羽と信孝は今まさに四国に漕ぎ出さんとしてたし
>1
本気でそうだったのか、与力を求めるいい訳なのか微妙なところ
光秀の領地がまだ敵地の出雲と石見
に国替えされたことがショックだった
って本当?石見銀山と海運ゲット
だから実質栄転だろ?
>>616
斎藤利三が主導したみたいな話もあったね 藤田教授は当然南朝復興阻止であることは百も承知だろうけど
本当のこと言うといろんな嫌がらせで村八分にされるからいえないんだろうな
朝廷黒幕説ですらあの手この手で嫌がらせするしな、実にけしからん
>>618
そうなの?平家でも将軍なれる
の?先例がないとダメだとか公家
がうるさいのでは? >>622
そもそも織田家が平家でもないし
徳川家が源氏でないように 東京本社で常務兼部長してた人
が地方支社長に格下げされそう
になって会長と社長をクーデター
で解任したようなもんか?
>>623
信長は平家自称してなかった?
交代説意識して。 >>622
そういういいががりで信長将軍を断念させたかった朝廷
だが、天正とか元号作っちゃう信長は上皇に成りたかった説もある。まあ、正親町天皇もしたたかにかわしてたな 皆様は愛知県の天白の由来を知っていますか?
昔、源氏が平氏のところに引越しをした際に源氏(白)が平氏に転じるということで
転白が天白になったのです。
>>624
むしろ格上げされそうになってる状況だろ >>625
自称はしてたよ
いやまあ 征夷大将軍になるのに平氏も源氏も関係ないし
三職推任とか見ればわかるけど、議論は多いけど >>625
信長は桓武平氏ですね、また忌部氏でもあります(日ユ同祖論きたな >>25
韓国は朝鮮王室儀軌を初めとして、さまざまな国書を神田の古本屋に売った
そこから散逸してしまい殆ど無い
日本が併合していた時代に、写本が宮内庁で保管してあるので、韓国が調べたい場合は宮内庁に閲覧を依頼するということらしい >>600
慶喜はもう将軍やるの嫌だったんだろう
太平の世に生まれたものの海の外には帝国列強
それらへの備えを唱えようにも国内は潘幕同士の予定調和と腹の探り合い
自分ではもう舵取りなんか出来やしない、だったら家を保証してくれるなら誰かに国政明け渡した方が楽になれるもの 林田力 東急不買で検索すると消費者契約法違反が分かります
明治、平氏→大正、源氏→昭和、平氏→平成、源氏
源平交代思想やね
平成は源氏北朝であり北朝鮮も源氏北朝であるからお仲間か
一部には満州人脈の統一教会であるという話しがあるが
>>634
ほんとに良かったよ
幕府は日本を半植民地にしちゃったからな
法を知らないのはまあ仕方ないとしても、話し合い一つで国が無くなるって発想がなかった >>600
幕府の家老と仲が悪かったんでしょうがねぇ >>639
> 幕府は日本を半植民地にしちゃったからな
> 法を知らないのはまあ仕方ないとしても、話し合い一つで国が無くなるって発想がなかった
なんでそんな話になるんだか
小説でそんなんあるのか
実際に幕府は列強との交渉でそうとうにしのぎを削ったのだが 半植民地になりかけたのは四国戦争した長州と生麦事件から薩英戦争した薩摩のせいだろ
長州と薩摩はイギリスとグルになって幕府を転覆させたからな
>>634
慶喜はもともと幕府内で浮いてた
し当人も幕府ダメなのわかってた
から。 >>642
仲悪かった旗本や大奥のほうで
老中クラスからは家康の再来と
期待されてた。
あと皇族の血の入った初めての
将軍だから 少しでも味方が欲しい光秀が
使えそうなものはこの際ゴミでも拾っとけって感じで
しゃしゃってきた義昭に調子合わせてるだけやんw
1 織田家が各重臣を司令官してい行っている各地の地方遠征は、大きな手柄をたてる最後の機会。この後は、もう大きな戦はない。
2 自分は遠征の司令官を外されて畿内警備。地方遠征で大きな手柄を立てる他の重臣と大きな差がつく。
3 目の前に、信長がほぼ無防備でいる。畿内の武力は自分の軍隊だけ。重臣たちは簡単には帰ってこれない。天下取るチャンスである。
4 織田家の「重臣ナンバー5」の地位から、「重臣4人とその他の武将」になってしまうぐらいなら、ここで天下取りに賭ける!
これが本能寺の変の動機と自分は思う。
>>603
突然の浅井の裏切りで、死ぬ覚悟で殿やった経験があるんだから
常に不測の事態を想定してたろう 光秀の誤算は細川家と毛利家だと思うわ
秀吉の大返しは置くとして
信長は激し過ぎるからな。中世体制を破壊するには良かった
この人も天命終えて死んだ感じの人だよな
>>644
下関戦争は攘夷実行の天皇の意向と幕命だろ
幕府も下関戦争の責任が幕命にあることを認めて賠償責任を取っている >>652
一番の誤算は信長の死体とっとかなかったことだと思う。
「もしかしたら信長様どっかで生きてるかも・・・
もし光秀についたのが後でバレたら・・・」
の不安感はただ事じゃない。 >>656
燃えてるからね、どれでもいいから
仕立てればよかったのに >>658
秀吉があんなに早く戻ってくることを予測していない光秀は、
「いや、迂闊な偽首を晒して偽物と看過されたらマズイ」
と考えたのだと思う。
結果的には、想定外の秀吉の到着くらうんだから
偽首でもいいから晒して、とにかく既成事実化した方が良かったんだけど
あくまで結果論で、秀吉のラッキー加減ハンパねぇって話。 義昭 信長を〇デ、自分が討ち取った! ヶ 如き書面を有力諸将に郵送。
八百代言人生
かなり切羽詰まってからの手紙だとあてにならんな。
秀吉なんて最初から嘘だらけの書状をバラ撒いて味方増やしているし。
このスレは歴史学者がかなり覗き見してるんじゃないかな
渡邊大門は即効でブロックするから困ったもんだ
某テレビに出てたのを観て怒りがこみ上げてきたぞ
信長は人格障害だったんだろ。
人使いが下手なんじゃなくて、障碍者なだけ。
現代でもそういう人間は多い。
そういう頭のおかしい人間を英雄扱いするのは
辞めたほうがいい。
春長軒が本能寺普請の時にもそっと改造しとけば良かったのに
>>667
だってさ、武功夜話をしつこく偽書よばわりしてたからな、頭にきたんだ
武功夜話や浪合記の南朝関連が原因なんだろうけど、ちょっとだけ南朝話しただけなん
だけどな >>669
信長が宣教師を優遇したおかげで当時の日本の事がかなりわかったのだけど
当時の日本語の発音が分かったのも宣教師のおかげだし
その宣教師を優遇したのは信長 >>669
井沢元彦は足利義教とか信長とかキレやすい短気な武士を評価している
変態もいろいろ 忌部氏→イエズス会→織田信長(六茫星、ダビデの星やな
事実関係並べたら
「信長はキレやすい」なんて
絶対出てこないはずなんだが。
>>665
秀吉は無敵
韓国では様々な時代に秀吉の傷跡が! 韓国の歴史教科書では徳川幕府は新羅政権だとか
しかし新羅を江戸時代にまでひっぱる半島史観はある意味凄い
浅井に嫁いでいたお市の方が、
兄の信長にあずきの入った袋を使者を通じて送ったという
逸話は本当なんだろうか?
>>676
しかし信長支持者はもっと怒りっぽいので、彼等に比べれば温厚なのは認める 半島史観では秀吉は憎き百済め!という感じなんだろうな
恨みが何年続いていることやら
>>23
と言うか
秀吉は光秀謀反の動向をかなり前から察してたのでは無いだろうか
出ないとこの大返しは無理
つまり、秀吉が裏で煽ってた可能性まである >>643
安政の五カ国条約って知らない?
話が違うぞ!と怒鳴り込んでいって、帰ってくるとまた新しい不平等条約を締結してくるとまで言われてた
近代日本はこれの払拭に苦労したんだよ 超時空太閤WWWW
でも秀吉の白村江の戦いのリベンジは返り討ちにあったけど
光秀の母親を処刑を見殺し ⇒ 嘘
勝頼処刑時に鉄扇で頭を叩く ⇒ 嘘
家康が安土城に訪れた時にふるまった料理を貶される ⇒ 嘘
領土を召し上げられ、これから攻める場所がお前の領土だという ⇒ 嘘
>>686
先日久々に静かなるドン読んだから「出所」の字で、ずらってならぶヤクザの出迎えシーンが浮かんだw >>684
白村江の戦いの原因はなんだとお思いでしょうか?
百済が新羅にしらじらしい奴といい、新羅が百済にくだらない奴と言い合い
したのが原因だそうですよ >1
本当にそれなのか、味方に引き入れるためのいい訳なのか、ちょっと怪しいw
>>610
そりゃあ鎌倉以降の風潮だし、
故事なら、東漢の坂上田村麻呂だって
なってるから、
無理押しすれば何とかなるべさww >>689
日本人はA型が多いからそれっぽいのがB型っぽいのにイジメられ耐えるのが美談になるんでしょ 一般的にA型は弥生系、B型は縄文系というけど
関西のA型は騎馬民族だからな
>>672
方言やら高身分の言葉は有っただろうけど
実際のとこ発音は現代と大して変わらんだろ
あんなの宣教師にはそう聞こえたって程度のモノ 秀吉の大返しも怪しいけど
家康の伊賀越えも怪しいよね
大袈裟に神話のように言われてるのがどちらも似てる
どちらもそのおかげで本能寺の変が寝耳に水だったというアリバイになってる
ホントは予想していたけど信長を見殺しにしたと思う
>>319
井沢元彦の落陽城の栄光だったかな、アジアに進出したら人材が流出して三流国になったんだっけ。 信長が月代を推し進めたのって自分が禿げてきたからってマジ?
>>698
やっぱり「このハゲ―!」と散々罵倒されて、ブチ切れたんだろうかw >>685
明智が信長倒したから同盟しよう、秀吉を挟み撃ちしよう、って手紙を毛利家に送らなければ、また、使いが秀吉につかまらなければ秀吉は全く知らぬ
秀吉はラッキーだったんだよ 信長死んでるのに毛利と薄氷を踏む思いで講和
手紙が毛利に届いてたら、秀吉こそ命はやばかった >>706
大返しの成功には黒田官兵衛の知恵もあった
秀吉が官兵衛を生涯恐れたのもわかる 信長の声はジャパネット高田の社長みたいに声が甲高かかったそうだ
つまりなジャパネット高田の社長の声が織田信長の声だ
いろいろ想像するといい、楽しいぞ
>>706
ラッキーだし、決断力もすごい。
当時の情報の精度を疑って、動かないって選択肢を選ぶのが無難だと考えるのが普通だと思う。
事実確認の早さもすごい 信長は実は戦国大名の中ではかなり優しい人の部類に入るそうだ。
浅井親子の頭蓋骨の金箔の話も、当時のしきたりでは討ち取った相手に対する最大級の賛辞なのだそうな。
信長は恐いと言うそう言うキャラクターに塗り替えられた。
秀吉が信長を悪くして書物に残し、江戸時代になり更に適当な逸話が作られて恐怖の魔王となってしまった。
秀吉は自分の悪事を小さく見せるために信長よりはマシやねん!としてる。
>>716
>最大級の賛辞
そんなことはない
秀吉を陥れるための反日マスゴミのトンデモを真に受けた情弱か?w >>717
織田家の定期連絡網とかじゃなくて自前の情報網だろうな
信長とかもそうだけど、情報の精度を重視してたのが垣間見える >>719
秀吉を陥れるための反日マスゴミのトンデモ、、、、
ひょっとして白馬青牛とやりあってた奴か? 細川幽斎の書斎の奥の謎の小部屋には信長の肖像画がかけられてた
これは鎮魂のためか
忠興も生涯信長の死を弔い続けてたね
良く知らんがマスコミに限らず
異常なほど秀吉貶めるのはなんか裏があるんじゃないの?とは思う
鳥取の兵糧攻めとか、普通兵糧攻めなんてされる側が叩かれるだろ・・・
なんで味方の被害0で落城させた秀吉が叩かれるんや
>>716
処罰にも結構ちゃんとした理由あるからなあ
この時代は気に入らないとかなんとなくで殺されるのが当たり前にあったなかで >>723
落城させる為に大勢の民を苦しめて殺したやろ >>722
懺悔して、幽齋だからなぁ。本当はやはり、明智とつるんでたと思うよなぁ 毛利との講和がすんなり決まったのも大きいな
明智は織田家臣達との戦いをいつぐらいに設定していたんだろうか?
>>704
もっとひどいのが在特会の川口デモ
男組の木本拓史が出現した途端デモ隊みんなで「ハゲハゲハゲハゲ!」「ハゲハゲハゲハゲ!」たまに「嫁がブス!」」
明智の主人公ミュージカルあったら似たようなシーンありそうw >>689
というか勝頼は処刑じゃない
>>696
島津某さんが残した当時の日記に今日光秀さんと会ったけど
広いおでこでそこにしか目がいかず困ったみたいなことが書かれてあるから
ハゲないし薄毛だったのは間違いないかと
ドラマ信長のシェフではこの話を考証に使ったらしく光秀のズラの月代は
他に比べ広めw 信長が破壊した中世体制とは、荘園、寺社、郷里、惣村などの相互補助の自治・軍事・経済活動の契約関係(一揆)の無効化及び討伐
これにより自活を行っていた国人や土豪、地侍、寺社はは集権武家(大大名)や分権武家(小大名)の元に被官化(家臣化)され、士分以下の身分は明確に隷属化させられた
楽市楽座、分国法、足利幕府との対立、伊勢長嶋、比叡山、越前一向一揆、伊賀の根切り(絶滅戦争)、石山合戦などが目に見える信長の中世価値観の破壊活動
>>136
あんたいいカンしてるね
話は何もかわらないさ
村重も光秀の秀吉の下になるわけにはいかんのよ
将来を期待され金を集めていた成金だからね
成り上がり者には堪えるんだよ
金の切れ目が縁の切れ目 >>706
上杉、北条、毛利、彫塑壁には送らんと、
織田の各方面軍が無傷で戻ってくるから、
しからないんよ。 とにかく在特会のクズは下品なんだから、下品な口で何が愛国心だよ
日本に対して褒め殺しやりやがるからな
幽斎「鞆公方さま、あの折りは日向守が討たれてようございましたな」
義昭「何を申す! 討たれなければ、日向守に擁されわしは今頃…」
幽斎「殺されあそばせてましたな…日向守は織田右府より甘くはございませんでしたので…」
>>726
それはさっさと城開けわたさなかった城主の責任だろ・・・ >>734
民族派自体みんな下品だから問題ない
上品な右翼などいないし
反ヘイト界隈だって小林よしのりがハゲを差別しろ!と描いたことあり酷い >>737
小林よしのりは反米保守で下品なアメポチと対立してるだろ >>736
敵が攻めてきて主の許しなくさっさか開城するアホがどこにいるんだよw
敵が攻めてきました
開城を求めています
↓
どちらにしますか?(受け入れる 抗戦する)
みたいなゲームの世界じゃないんだよw >>735
靹公方w
個人にはそう呼ばないでしょ?
公方様とかじゃないの?
無礼者は丸刈りだな >>738
小林よしのりは民進党や木村三浩と親しく、言動からも明らかに反ヘイト界隈
ハゲヘイトについては明智光秀に詫びてほしい >>687
やっぱり、そんな個々の事象で全体を推し量っているタイプだな
あのね、幕府の役人も海外の文献をかき集めて、各国との交渉に臨んでいる訳
これが基本中の基本な
もちろん失敗はあるし、明治になって不平等の解消には苦労するんだけど、「役人が無知だったから」と早計するのは知識が足りないとしか言いようがない
それは古い物の見方な訳さ
幕府はコチコチに凝り固まって海外に良いようにやられたって見方な
史実は失敗したので後年苦労するけど、それと幕府が世間知らずで太平楽だったというのは、理解にかなりの開きがある >>741
ハゲヘイトしたよしりんはけしからんな
すぐ調子に乗るとこるがあるしな >>743
スレ違いになってしまうので私はもうヘイトの話はしない
ハゲの話はするが
あんたも自重してくれ 話の流れがおかしいわw
ウヨだのチョンだのはスレチだからよそいってくれ
光秀としては、柴田、羽柴、滝川ら軍団長クラスが遠国にいて急には取って返すことも出来ず、
石山、堺、住吉、岸和田に兵を集結させていた惟住長秀、三七信孝の傘下兵についても
本能寺の変を聞くと大半が逃げてしまい、流浪の兵団と化していた
>>745
だからもうしないってば
(チョンの話はしてない)ハゲの話題が脱線しただけだ >>746
信孝軍団は酷いな
抜け落ちるように脱落者が… まあ、ハゲと言ってもね
そもそも、他人を利用しても理容されるなってのがみっちゃんのモットーだからね
>>742
鎖国してたし、これまで経験が少ないって事情も察するけどさ。
条約って国際法だよ。
法律の無知は罪としか言えん。
赤信号?知らんって言ってもあの世に行ってからじゃ遅いのよ。
無能のそしりは免れない。
オレならなんとかできた!とは言わないけどさ。 >>749
ハゲしい時代を駆け抜けた明智光秀
主役大河ドラマの制作の希望を亀岡市民から聞きますが、信長は絶対悪者になるw 黒幕は秀吉だな抜け道塞いでたし
まぁでも信長はちょっと油断しすぎ
>>712
秀吉は交渉力が凄いよな。あと、直感も冴えて当たる方だろう
晩年は残念過ぎるけど >>748
むしろ、軍を崩壊させずに中国から戻ってきて、さらに丹羽軍の残党などを集められた秀吉が凄すぎる。
秀吉の自前の軍隊はそんなに大きくなく、中国攻めでは織田の主力部隊を預かってやってた状態。
つまり、秀吉が持ってた軍の多くは、秀吉に忠誠を誓っているわけではない軍隊。
そんな忠誠心の低い兵が、毛利を眼前にし、総大将が死亡し、畿内からの援軍は期待できず、
むしろ準備万端の明智軍に迎え撃たれる状況だと言われて、逃げないほうがおかしい。
実際、自前の軍隊を持たない丹羽長秀が集めた四国征伐用の軍隊は、信長死亡を聞いてみんな逃げちゃったんだから。 最初は配下の兵にも信ちゃん死んだことは伏せておいたんじゃね
>>756
くそーそこまで誉められると超時空太閤じゃ理由にならんw >>328
それな。秀吉と家康からの江戸幕府で数百年遅れたとか >>757
そもそも本能寺の時も雑兵は誰と戦ってるか知らなかったみたいだしな 信長って本当に本能寺で死んだの?
信長の骨って出てこなかったんでしょ?
明智の飛脚が羽柴に捕まったというより
飛脚はいつものように織田軍(羽柴軍)に向かっただけかもしれん
明智の飛脚が何度も何度も毛利軍に殺されてただけかもしれん
ヤバイと思った飛脚が羽柴軍への密告に切り替えたのかもしれん
>>715
実際その手紙が見つかってないんだから創作 吉川は信長死んでたのを後から知って激おこだったんだよな
>>764
密書だから見つからなくても当たり前
誰にも知られないように秀吉ならば燃やしてる >>756
それは明智軍だって同じじゃないかな
信長の配下大将の軍は基本自分の家臣と信長から当てがわれた兵の混成編成じゃないか 油断と言うか、たまにはリラックスしないとやってられないだろう。
流石に信長もあの光秀が襲い掛かってくるとは思うまい。
嫌、味方が襲い掛かってくるかもとは思ってはいたさ、しかしそれは
信忠。あの倅がさ、オレは親父の奴隷じゃねーっつって襲い掛かってくる
かもとは思うけど、まさかあのキンカアタマがねぇ…。
こないだのフジ27時間でも秀吉だけやたら悪く描いてたな
武士の家計簿のおっさんが
「秀吉はかなりエロくて、混浴をやってました」
とか。混浴はエロいのか。
「大悪人と言われた」とか、地震が来たらふんどし一丁で走り回ったり
>>768
あのさ、秀吉が見てすぐ燃やした話がなんで後の世に伝わってんの?
自分で言ってておかしいと思わんの? >>1
信用性あるかな?
もし本能寺の変が分かっていたら毛利は動いてたと思うけど >>755
すごいよね
毛利との講和でも、あちらにとっても渡りに舟とはいえ、なぜこのタイミングで?
と疑問に思われてもおかしくない
それ以前だって野盗と交流があったり半端ないよな 日向守殿ご謀叛!
この言葉を聞いた時、信長は何と言ったか諸説ある。
であるか
何故
是非もなし
どれだ?
古代日本の社会を支配してきた権力者
たちは
縄文人 カヤ人 百済人
白丁人・丁人。
安倍総理の先祖は丁人。
小泉純一郎元総理は全羅道顔、性格も
ガンコな全羅道性格。
日本人とは縄文語を話している丁人・百済人
だニダ。
>>773
信長死んでるのを知ってるのは明智と秀吉だけだぞ? >>777
本能寺の変で信長の声が聞こえるくらい近くにいた人はみんな死んだと思うからどれも結局は想像じゃないかな
個人的には是非もなしが胆が据わっている信長らしくて好き 信孝がもっとできる奴だったら光秀を討って家中を掌握してた
>>780
だからよ 仮に秀吉と明智しか知らないことなら、なんで今の世で当たり前に分かってるの?
よくある三流怪談話で全員死んだ話しをなんでそこまで詳しくわかってるの?って突っ込むのと同じ 隠居してもヒマだから死んだことにしてスペインにでも遊びに行ったな
秀吉は男には興味なかったみたいで、あるとき秀吉の前に美少年を差し出したら
苦しゅうないちょっとよれと言って、美少年が近づいたらそちに姉か妹はいるか
と聞いたそうな、それを聞いた周りの家臣がどんだけ男嫌いなんだよと、ずっこけた
んだってさ
>>751
いやいや、鎖国していたから無知というのではなく、幕府の役人もそうとう列強の要求をはね除けている
それでも押し切られたのは軍事力の差で、役人の能力では無いというのが最近の研究 >>761
異界に飛ばされ薩摩の芋侍を頭領にして
イエス率いる黒王軍と闘っていますw >>779
古代日本の社会を支配してきた権力者 たちは飛騨王朝、富士王朝、出雲王朝
筑紫倭國などである。
畿内ヤマト政権は285年以降なんだ、崇神天皇285〜318
ヤマト政権とは狗奴国、投馬国、孫呉の連合である。 本能寺の変が、6月2日早朝。
秀吉が信長死亡の話を聞いたのが6月3日の夜から6月4日の未明、毛利が知ったのが6月4日の夕刻と言われてる。
秀吉は、信長死亡の話を聞いて、6月3日の深夜から毛利と和睦開始。翌朝には和睦をまとめ上げ、午前10時ごろに高松城主の清水宗治が切腹。
それを見届けて、秀吉が即撤退。その数時間後に毛利が本能寺の変を知る。
本能寺の変を秀吉知ってから毛利が知るまでのタイムラグは、1日もなかった。
もっと言えば、清水宗治が切腹してしまうまでは和睦をひっくりかえすことも不可能ではなく、その場合はほんの数時間のタイムラグだった。
本能寺の変までに和睦の話し合いがなかったわけではなく、和睦の叩き台があるにはあったが、
本能寺の変を知ってから即座に毛利との和睦を決断した決断力と、数時間で和睦をまとめ上げた秀吉の手腕は、ある意味とんでもない。
>>790
へうげものだっけか?
何故か本能寺の信長の寝所に秀吉が忍び込み
気配を察して立ち上がった信長をいきなり
バッサリとか見てて意味わからんかったな…。 前田利家は信長から溺愛されていることを周りの家臣に自慢してたんだってさ
それで周りの家臣がそれはうらやましいといってたそうな
>信長が死んだのを知ってたのは明智と光秀だけ
そんな訳ないやろ
洛中で異変が起きたのは猿でもわかる
そこから本能寺が襲われたとすぐに京全体に話が伝わるだろ
慌ただしく動いてるのは明智軍だけ しかも信長家臣の残党狩りをやってる
これでわからなければ猿以下の知能だ
>>789
出典:民明書房刊「イエス!信長の野暮」だね >>793
追撃しなかった小早川 のちに秀吉から功績とされ、毛利は優遇される
信長が死んでるのに、死んでないふり交渉だからなぁ 凄いよ >>795
そのあとが最高だろ
胴で真っ二つからピタリと傷口くっついて何事もないように対応する信長 まるで三国志演義を史実のように信じ込んでるタイプの人が多いんだな
>>787
そもそも不平等と認識してなかった節がある。
というか、きっとあなたと自分は視点が違うんだよ。
あなたは歴史的出来事の一つとして話してるけど、自分は政治家の失敗のように思ってるから、努力賞は認められないって感じ。
未来人の視点で酷だけど、政治は結果が全てなので…
もちろん、すごく頑張ったんだとは思うよ。 >>797
織田も信長も殺されてるもんな
そりゃ羽柴も秀吉も慌てるわ >>797
雑兵の話じゃ無い。兵隊を持つ国の主だ。文化人が知ってても意味ないだろ 即座の講和 豪腕外交
中国大返し 神速機動
上様は無事 情報戦略
信孝軍吸収 大義名分
打つ手打つ手が神掛かってる
信長と言う重しが外れた秀吉の中の天才的能力が全開したんだろうねえ
特に 「上様無事」
のディスインフォメーション作戦は現代に置いて有用性が広く認められてたもの
天才の名に相応しい創造的作戦
>>800
マンガだなあ…としか。
信長協奏曲とかも秀吉犯人オチだったけど
どってつけたようなネタだったし、
秀吉犯人説を作ってるのはチョンなんだろうなあとしか。 明智配下の武将たちで反対や拒否するのはいなかったんだろうか?
あまりに危険な博打なんだが。
>>799
その話のポイントは交渉成立後に秀吉が
「あー実はウチの殿やられちゃってたんだテヘ」と暴露してるところ
それでも追っかけなかった奇跡のヘタレども(引きこもり体質?)だし。厚遇するわ。 信長の天下がどうなってたかがロマン過ぎるから光秀は糞ってならざるを得ない
>>808
初めは道が違う、と言われ、信長に馬揃えを見せてから出陣と言った
本能寺手前、重臣に告白。うろたえる重臣達
話を聞き逃げようとした部下を斬首
重臣独りが、今夜親方様が天下を取るぞ、出陣 >>811
ダークシュナイダーが言ってたもんな
不細工は美形に勝てない
ハゲ(光秀)は所詮悪者… >>812
武将クラスならともかく、下っ端なら逃げられなかったのかな?
これはやばすぎるって。
重臣クラスなら一か八かの賭けにもなるけど下っ端なら
得るものの割りにリスクが高すぎる。 >>723
秀吉軍は、実にすばらしい名将であったと、ぜひ九戸周辺の住民に聞いてみてはいかが?
九戸政実の乱
http://masazane.com/about/
合計6万5千の兵に包囲された九戸城ですが、政実はわずか5千の兵で籠城し、互角以上の戦いをみせます。
業を煮やした中央軍は、長興寺の薩天和尚を仲介として、偽りの和議を申し入れました。この和議に対して
謀略ではないかと反対する者もありましたが、一人でも多くの一族郎党を救おうという思いから、政実は中央軍に
投降します。
しかし、その後中央軍は開門した城内になだれ込み、火が放たれ、城内の者は撫で斬りにされたと伝えられています。
連行された政実は、中央軍総大将豊臣秀次の指示により、三ノ迫(さんのはざま)にて斬首されます。政実は
享年56歳であったと伝えられています。言い伝えでは、斬首された政実の首は家臣が密かに地元まで
持ち帰り、九戸神社近くの山中に埋めたと言われています。
これ以降、豊臣秀吉に対して組織的に対抗したものはおらず、この「九戸政実の乱」こそ、
「豊臣秀吉 天下統一最後の戦い」でした。 最後のチャンスと信長殺してみたけど
思ったより周りの反応が冷たいんで、私利私欲じゃないんだ、
みたいな言い訳してるだけだと思うよ
つうか明智だって天下取ろうとしてもいいじゃない
近代軍隊のクーデータと同じだろ
これはまずいとわかっていても兵は従うしかない
信長が本当にイスパニアとポルトガルの植民地政策への対抗をするつもりだったら、琉球、台湾までは進出したのかなあと
その辺りで寿命尽きて引き篭もりになるのは変わらないかな?
役目を終えたキリスト教も結局は弾圧しそうだし
貿易はやりまくりで、強力な海軍を持った中央集権体制で、幕藩体制の徳川政権とは相当違ったかもな
>>814
下っぱならなにも判断できないので上についていくだけでは >>818
ただ、本能寺の変の前の時点で毛利が早期和睦を求めてたのは、
「最後まで抵抗した結果、信長本隊が来たら、毛利家は滅亡させられる。」
というのがあったわけで。
信長死亡で、織田家本隊が来る可能性が消えた以上、秀吉と早期和睦する意味はないんだよな。
本能寺の変で毛利が窮地を脱したのは事実だが、秀吉を追っかけない理由はない。 >>818
同じ毛利でも小五郎と違い輝元にはコナンが側にいないからなw >>814
雑兵は誰と戦ってるか知らなかった
確か、一向宗やら、本願寺、やらと戦ってると思っている奴が居たらしい。後、三好残党とか >>821
信長死亡も偽情報で返り討ちのリスクを考えたのかも?
毛利にとっては「都合が良過ぎる」情報だから逆に警戒する ノブ助けに行ったけど謀叛人に間違えられた説は無くなったか
アントワネット(ハプスブルグのフレンズ)はそんなことは言ってないのだ。
中国攻めが遅々として進まない責任をとって秀吉が筑前守を信長に返上したか、もしくは剥奪されたってのは面白いよなあ
その後本能寺の変の一年前にまた名乗り始めてるが
>>693
となると伊達政宗のセガレもなれ
るわな。田村麻呂の子孫が政宗
の嫁だから 信長は鎮守府将軍のほう狙って
たのでは?信忠が秋田城介なんて
いうやつだった。右大臣のセガレ
なんだから中納言あたりもらっ
てもよかったのになぜか
ムーはたまにはいいこというぞ
失われたイスラエルの十支族とか、日本にガド族がきた
ミカドのカドである。
>>790
それは本能寺の変の謎の一つだね
密書説も元から知っていた説もなんの証拠もない 根回ししてクーデター起こそうにもバレる可能性高いから場当たり的に謀反起こしてその後に周りがついてくることに賭けたのかな
>>833
お前の大嫌いな桜井誠もムーの愛読者だろ
よかったなw >>819
少なくても鎖国はしなかったろうな
開かれた近代化進んだ海洋貿易国家になってた可能性 >>834
あんな講和じゃ、信長怒る。しかしながら、秀吉は毛利戦に信長出馬を要請していて、信長もそのつもりだった。
秀吉は信長の死を確実に知っていた >>838
あんな講和じゃ、信長怒る(と ID:hIT9q50P0は思っている)。
しかしながら、秀吉は毛利戦に信長出馬を要請していて、信長もそのつもりだった(と ID:hIT9q50P0は思っている)。
秀吉は信長の死を確実に知っていた (と ID:hIT9q50P0は思っている)。
不確定なことに確実ってつけたらダメだろうに
お前はタイムマシンで1582年見てきたのかw >>839
秀吉が会いに来たんだろ
超時空太閤だからな >>814
下っぱの記録に最初は徳川家康をやるつもりかと思っていたってのはあるな >>839
知ってなきゃおかしい行動だよ。
これを考えられるのは学習能力がある人間だけだ。
大返しに意味ない訳が無い >>842
いいよ、じゃぁ仮に秀吉が知っていたと仮定して、何故それが密書で知ったと言い切れんの?
何度も言うけど、お前は全部思い込みで話してるだけ >>836
なんだ、まこりんはムーの愛読者だったのか、支持層が広いの〜 信長死んだという光秀の一報だけじゃ毛利も動けないだろう 罠かもしれんし。
撤退中に秀吉は信長さまはご健在って諸侯に手紙でウソつきまくってるから、いろんな情報が錯綜してる。
ならまず目の前の実利を取った小早川は名将だよ。
>>846
毛利は動いても天下を治めえられないことを知っていた そら将軍保護以外には名分が立たないから調略するために当然な建前だよな。
実際には、佐久間が追放され自分も切り取り次第領地召し上げ言われたら、
流石走狗煮られる前にやるしかないって思って謀反起こしたんだろうと思うが。
大返しに成功したのは
信長のために道中の安全や物流(金 船 宿舎 食料 武器など)をあらかじめ確保してたから
>>850
歴史的視点だな
光秀では無く、秀吉がなぜ信長の後継者になったのか?
これが答え だと思うわ >>850
それじゃあ古臭いオジサンで終わっちゃうから明智支持者からは悲劇のヒーローな話題が出る >>849
宇喜多の勢力圏から
姫路に逃げたのが正解 >>847
もっと正解に言えよ
毛利氏の祖が三河でプータローしながら源頼朝の母方に仕えていた縁で武家として毛利氏がある
日本のトップに立つには徳川との対決は避けられない
徳川と喧嘩するとは、三河の源頼朝と喧嘩すると同じ事
毛利は三河に逆らわんよ
鎌倉幕府の支配層一覧(三河つながり優遇)
【鎌倉将軍】源頼朝(母方:藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
■将軍御一家(頼朝姻族、頼朝女系の一族)
・足利氏(下野国足利郡足利)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))の家系
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)
・一条氏(藤原北家中御門流)←頼朝同母(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))姉もしくは妹(坊門姫)の嫁ぎ先の家系
■御由緒家
・安達(小野田)氏(三河国八名郡小野田、三河県豊橋市)←安達(小野田)盛長は頼朝幼なじみ
・足助(賀茂)氏(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)←源頼家に室を出し、生まれた息が源実朝を暗殺した公暁
・比企氏(武蔵国比企郡)←頼朝乳母(比企尼)の家系←源頼家に正室を出す
・八田氏(常陸国八田郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系←八田知家の猶子である中条家長は高橋荘(三河国賀茂郡、三河県豊田市)地頭
・結城氏(下総国結城郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系
■門葉(鎌倉将軍と血縁関係がある源氏)
・源範頼(三河守)←頼朝異母弟
・源広綱(駿河守)←古井城主(三河国碧海郡古井、三河県安城市) ←太田道灌の先祖
・平賀義信(武蔵守)
・山名義範(伊豆守)←実父は矢田城主(三河国幡豆郡矢田、三河県西尾市)の矢田義清
・大内惟義(相模守)
・足利義兼(上総介)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
・加賀美遠光(信濃守)
・安田義資(越後守)
■執権・連署
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)
■政所(一般政務・財政を司う機関)
・大江氏←初代別当の大江広元は牛田城主(三河国碧海郡牛田、三河県知立市)
・二階堂氏(相模国二階堂)←初代令の二階堂行政は、母親が頼朝祖父(初代藤姓熱田大宮司(三河国額田郡、三河県岡崎市))の妹
■侍所(軍事・警察を担った機関)
・和田氏(相模国三浦郡和田) 小早川隆景は、高松城見た時点で絶対戦っちゃいかん相手だと思ったんだろうな。
実際それで毛利は上杉と同じく秀吉が蹂躙できなかったから、
隆景と直江を大大名にして主家と離間させようとしたけど、
隆景は毛利主家を最後まで守って養子は自分のところで引き受けたしな。
そのとき京都・本能寺に宿泊していた信長がそう言った。
見るとなんだか傾いているようないないような。
調査を命じられた明智光秀は、その原因がシロアリ被害によることをつきとめた。
「敵は本能寺のアリ」
光秀はそう言うとさっそく駆除に取りかかった。
当時、シロアリ駆除の薬なんて便利なものはないもんだから、被害にあった柱を片っ端から松明であぶってシロアリを追い出すという地道な作業を行った。
ところがそのうち柱に火がついて燃えだしてしまった。
「やべっ、信長様ぁ〜!」
本能寺は信長ごと燃えてしまった。
事情を知らない豊臣秀吉が信長様の仇と明智光秀を討ち、天下を取るきっかけとなったのは言うまでもない。
イエズス会が黒幕で、明智をそそのかして信長を討たせた可能性は?
>>861
むしろ、信長+イエズス会による日本乗っ取り&朝鮮出兵を潰すために、
明智光秀らが信長暗殺したとの説はないの?
光秀はその後に天海と名をかえ徳川を支えた説があるんだし 光秀と家康が結託して信長を陥れた可能性がまた一段高まったと考えていい。
基本的にはやはり奉公衆の人脈を中心にした、明智家と三河衆の暗躍と考えていいだろう。
後は、千利休が信長暗殺に関わってた説もあるよね
信長が千利休主催の茶会に呼ばれたところを討たれたって説
千利休は茶会にはいなかったってことになっているが、その後に
秀吉にも仕えたところを見ると怪しい限り
>>864
光秀+家康 vs. 信長+秀吉(+イエズス会) と考えるほうが辻褄合うよね
信長も秀吉も、イエズス会の支援は受けていたし、
秀吉は宗教としてのキリスト教を国内で布教することは禁じたが、物資の取引はしていた
鎖国にまで持っていったのは家康 >>843
伝聞でも良いよ。毛利と対峙してる時にゲットした情報だ。一番どんな可能性が考えられるかい? 信長は大聖堂様の天守閣を見ても明らかな様に、
イエズス会にドップリ浸かっていたと考えられる。
ローマ教皇の第一の家臣だと自負していた様だ。
秀吉はそこまでは無かった、イエズス会を、
日本侵略の為の尖兵だと見抜いて、
対応できたのは、やはり日本にとって救いだっただろう。
>>318
何を言っているの?武将達は平和を望んでいたよ。
ただし、平和は平和でも自分の家の平和だけどなw >>861
むしろ、秀吉の朝鮮出兵こそ、キリシタン大名懲罰戦争だなぁ >>865
利休七哲と秀吉は疎遠
利休は実はキリシタンにも関心あったんじゃ無いか?一夫一婦なんて秀吉にはたまらないだろう >>870
いやあ、西国よりの大名が
優先で出て行っただけじゃね?
東はどちらかというとお留守番みたいな。
東国でも行った人も居るけど。 >>875
地理的に西国ってのもあるが、なんやかんやでキリシタン大名を除外していったのが秀吉だからなぁ。まあ、蒲生氏郷だってキリシタン大名だったろうな >>803
論点がずれずれで古くさいなあ
努力賞とか勝手に採点しているけど、根本からズレている
「ボクの考えた最強外交論」なら相手に一方的に要求のませられる予定なんだろうけど、それってマンガや出来の悪いドラマの中だけ
だから最初にオプラーとに繰るんででいったのさ、「小説でも読んだのか」って
最終的に外交交渉は軍事力の背景で決る
正論が役に立つのは極一部
今だってそうだよ
軍事力の裏付けの無い交渉なんて画餅も良いところ
だから明治になって最速で軍事力の増強を図った
そして軍事力の充実と供に不平等条約が解消される
これが歴史を知るってことな
ボクの考えた方法なんて意味ないから >>706
普通に考えると、秀吉が信長や信忠の側に仕えている連中に何かあったら教えてって頼んでいないとは思えないんだが 毛利方が「秀吉よ、こんな密書が届いたんだけど」とかいって
みせてくれたのかもしれんよ。
>>13
一番京都で固い二条と本能寺に入って警備が薄いと言われてもね
遠征軍だからね光秀は 信長の家康暗殺計画で、実行犯は明智光秀だったのが、
光秀が裏切って信長を殺ったというのが最も腑に落ちる。
そうすると、信長が無防備に本能寺に居た理由も付くし、
家康も光秀を信じて、わざわざ上洛した理由にもなる。
実は明智は宗教には寛容だった。
淫らな坊主が流行る中、光秀は一夫一婦だった。
キリスト教に理解を示した否かは分からぬが
光秀も派手にやっちまったよな
もっと地味に事故や毒殺病死に見せかけて暗殺すれば良かったのに
>>878
ごく少数の側近で誰がまず戦火の中で第1に飛脚を遠い秀吉に飛ばすか?
信忠に飛脚は上手く抜け出して伝聞棄却は行ったが、遠い秀吉にはまず行かない。勝家の方が現実的、信雄も。 秀吉は信孝家臣宛の書状には備中高松から姫路まで一日で移動したと大嘘書いてるが、中川清秀宛の書状には信長・信忠が生きてると嘘も言ってるが、行軍に関しては正しい行程や日にちを書いてるとこが興味深い
>>879
それだったら、後詰めが来ないんだから、講和せず、秀吉を追っ払ってるだろう >>883
義昭の部下なんだよ。信長に仕えても明智と細川は 信長以外の大名は出来れば僅かな領土拡大とお家の維持存続と、身の保身しか考えてない時代
本気で日本を統一し戦国時代を終わらせようと思い実行した信長と家臣団は立派
それだけの覚悟があるから怠け者には厳しいだけで領民にも家来たちやその家族にも基本優しいのは色々な逸話で分かる
何もせん癖に意地や保身、ヤッカミで邪魔をするだけの他大名家は今の野党みたいなものだし
本当の大魔王であり大悪人は統一目前でそれを著しく遅らせ混乱を増大させた明智日向守、国賊である。
>>886
最初は反故追撃を恐れてか、信長の死を勘づかれるのを恐れてかユックリ返したんだよな 光秀 「敵は本能寺にあり!」
明智部下 「光秀様、見事、織田信長を倒しました。これで殿の天下ですな。ガハハ」
光秀 「へっ?本能寺に泊まってたの、家康じゃなくて信長様だったの・・・しもた・・・えらいこっちゃ、どないしよ」
>>885
勝家は越中富山にいるから京からは同じくらい遠い
勝家も大返し以上の速さで帰ったけど兵士はおいてきた そうなんじゃないの?
そうだと思ってたよ
それしか考えられんだろ
>>657
室町幕府を滅ぼした。僧兵を擁した宗教勢力を駆逐した 秀吉が凄かったっても秀吉も薄氷だったよね
もし、毛利が追撃してきたら多分終わってた
まあ、光秀が義昭を奉じても天下取れるとも思えんが
>>894
あの時代に宗教勢力を叩き潰すってのは
地域に根差す経済マフィアを叩き潰すのと同義だったからな
広範な経済活動の下地を作ったって意義はもっと評価されていいと思う 当時大名や有力武将は情報収集のための組織を持ってたからな
>>897
政教分離は信長のおかげだが、創価学会は信長否定してるのかなぁ それではみなさん。Até breve, obrigado!
戦国時代って、じつは主君を殺した奴ってごくごく少ないんだよね。明智光秀は、自分はもともと義昭の家臣だって言い張っても誰も納得しない。
主君の信長を殺した卑怯者。誰のおかげでその地位に居られるかが大事。
そういやあ信長協奏曲はどうなってるの?
本能寺の変でタイムスリップして現代に戻るんだろうけど
仮に光秀謀叛失敗でも、松永みたいに初回は許したかなぁ
>>901
それだけ異常事態だったのだろうな
あるいはよほど追い詰められていたか
主君殺し=卑怯者というのは事情を知らないうえで、観念的な見方でしかないよ 名のある武将は隙あらば天下を目指してた時代に不当な扱いを受けたからって、
柴田、秀吉をはじめとして敵が多い中たいして勝ち目のない反逆をするわけもないわな
何らかの工作の結果と考えるほうが納得いく
信長は自分が氏神の寺だったか神社立てたあたりからナルシズム満載になったよなぁ
神仏を信じない信長は立派だったが、信長が神になろうとしたのは間違いだったな
>>901
殺害は少ないとはいえ陶とか徳川とかいるぞ。 本能寺で亡くなった人間の名簿みたいのに
おのう
と、ある
キチョウかどうかは知らぬ
>>889
明智光秀が国賊なわけないだろ
再び国家を二分する事態になることを防ぎたかったんだよ これがマジなら
秀吉も同調してた可能性高いな
毛利が秀吉を攻撃しなかった理由にもなる
>>905
織田や浅井みたいに、
主家が没落してくれたら楽なんだけどね。 光秀はほんとうに家庭人だった。
長く苦労させた妻や子を愛する男だった。
そんな家庭人を仕事仕事に追い立てたのがブラック信長。
休暇を与えず、次の仕事まで給料を取上げ、ひたすらこき使う。
仕事に追いまくられてる間に愛する妻も死んだ。母も死んだ。
俺の人生なんだったんだ、このままずっと働いて、そして使われるのか?
もうこんな生活やめたい、落ち着きたい、でも信長は許してくれない。
もう殺るしかない。こんな心境だったろうよ。
秀吉は朝鮮出兵しちゃったが、信長だったら、貿易してただろうな
>>914
ノイローゼは確かにあるかも知れない
が、疲れた。休ませてくれ。って感じだろう。怨恨までは行かない >>914
一番つまらないね、そういう小市民的な解釈って >>914
そういう事は平定し国家が安定してから考えるべきこと
落ち着くとか平和に暮らしたいだのは未だ敵だらけの戦時に考える事ではない >>917
英雄の実像なんてそんなものなんだよ。
眠れないとノイローゼになる。 >>918
光秀にとってはな、機内平定が天下だったのだよ。
もういいだろ、少し休ませてくれよ。
機内征伐に甲斐に出雲にとどこまで続くんだよ。
次は九州か奥羽か?そしてポイ捨てか?こんなもんだ。 あの時代にそんな弱いメンタルの奴は
すぐに部下に寝首を掻かれる
それが嫌なら出家する
あの頃の織田家の戦役というのはとにかく常軌を逸してるんだよ。
軍団長クラスのこき使われぶり。他家にはまーまずない。
光秀はやはり、古い頭、権威に弱く宗教にも弱い
仏教徒ども焼き討ちの時も明智は信長に反対したが、それがあって、本願寺、延暦寺やら一向宗やらは明智に感謝してる
当時の色々な武将もきっと真意を測りかねたから積極的には応援できなかったんだろうなあ
しかし信長死んでマジで安心した首の寒い武将や快哉を叫ぶ武将が沢山いたから光秀を悪人とする見方は殆どなく
江戸時代になるとキチガイな上司に虐め抜かれた真面目人間が恨みを晴らす勧善懲悪の歌舞伎浄瑠璃として人気を博す
そもそも信長って嫌われてんだよ
現代人は忘れてるがね
>>925
そもそも信長が革新的な英雄でーなんてのは、戦後のイデオロギーにどっぷり浸かった発想だからね。
実に浅はか。 >>924
俺はノイローゼじゃ無いよ。
義昭と信長に重宝される光秀・・・
キリスト教やら南蛮文化が来て、そして銃を持つ僧侶
光秀は何を思ったか?
朝廷、義昭への窓口は光秀
疲れて当たり前 足利幕府を保護した毛利や上杉を味方にして機内から秀吉や柴田勝家を挟み撃ちにすることは可能だったかもね。四国の長宗我部とはもともと付き合いが深いし、管領明智光秀を目指したのかな?
>>902
あれも秀吉黒幕。
糞みたいな話だった。 娘は秀才でキリスト教を学ぶ
煩悩の固まりと化した仏教徒どもを光秀は信長みたいに軽蔑したのだろうか?
一夫一婦で女を持たなかった光秀にはやはり、彼なりの信念はあったろう。
まあ、武家の匂いすら感じない俗物秀吉を受け入れなれないのは当たり前だな
>>877
外交は軍事力を背景にしてる。そんなの当たり前。
それでも駄目なものはだめ。
それだけ。
そもそもきみの論点って、小説でそんな話があるのか?ってとこでしょう。
はい現実だよって教えたからそこでおしまいだよ。 >>931
それだけじゃ無い。誰かがストップしなければ、
ってのはあったろう。
バカな筋肉バカ武将には分からぬ教養がそうさせた。 やはり今東光先生だったかうろ覚えすまんが戦国武将の強さの江戸時代における定評は
家康、秀吉、上杉、武田、光秀、信長の順だという
信長が低いのは部下に首を取られた大馬鹿ということで
光秀が高いのは信長を一夜で討ち取った鮮やかな手腕を評価してらしい
現代から見ると納得いかないかも知れないがそもそも常在戦場の武家が備えもなく寝首とられたらこれ以上の恥はないのが当時の感覚で
だから間抜けの織田一門を追放した秀吉も正しいのである
10年前に出版された本読んだらこの文書は将軍黒幕説だの本能寺の変は計画的だったことの証拠に全くならないって書かれてて草
>>883
>>888
>>1に出てくる藤田って教授が足利義昭を過大評価してるやつなんだよ
10年位前に秀吉の本を出してるんだけどやたらと義昭は影響力があっただの義昭は追放されても将軍だっただの書いてあって誰のこと書いた本かわからなかった 黒幕いない単独説はありえても
計画的犯行以外には考えられん
おっ、まだこのスレ続いてたか。
フロイス評にあるような「策謀の達人」である一方、領民、家族を愛した教養ある武将。
抜け目ない策士の反面、朝廷・将軍家への想い、なんだかすごく複雑な男だったんだろうなぁ
光秀って。
>>937
まぁ、色々ある。ガラシャ、忠興、クリスチャン。光秀はクリスチャンじゃ無いが一夫一婦。
戦争、経済、宗教、哲学
信長みたいな天才を光秀はどう思ったか?秀吉なんて武士の誇りすらないおべっか煩悩、と思ったかも知れないが、神を仏すら否定した信長には恐怖したろうな 知らなきゃ知らないでごめんなさいすりゃ良いのに負けず嫌いだなあ
>>162
同感
日時までは知らなくても予め心の準備は出来ていた思う
そうじゃないとあの大返しは説明出来ない… 光秀は、敬虔な仏教徒、クリスチャン、やらに成りたかった人間な気はする
基本的に、真面目。女、酒NG
まあ、秀吉みたいな煩悩は見下してれば良いが、神仏、朝廷、将軍家を否定する第六天魔王信長を理解出来ないで苦しんだのはあるだろう
信長からしてみれば、キンカアタマは出世して良いだろ?俺、凄いだろ?これからも頼むぜ
って感覚なんだろう。だが、足利将軍の部下なんだよ。光秀・・・
>>944
古代ケルトのドルイド教(原始キリスト教)は日本にもやってきた、拝火教(ゾロアスター教)である
古神道の源流はドルイド教なんですね >>887
戦力は毛利は後詰入れて4万そこそこ、秀吉は宇喜田軍入れて3万そこそこで戦えないこともない。
高松城は水攻めで孤立して、後詰は直接救援することができず、城兵は餓死寸前の状態。
秀吉の側は後方は宇喜田が心配ではあるが居城の姫路城までほぼ勢力圏で、
光秀は京都、近江、美濃あたりの制圧で手一杯で、信長の息子たちや細川藤孝らを打ち破って秀吉へ攻撃することは
当面できそうもない。
逆に毛利は主力を備中に置き続けてたら山陰や周防を攻撃される恐れがあり、補給も心もとない。
当然正確な分析は秀吉も毛利もできなかっただろうけども、このまま戦いを継続しても秀吉を撃破できる
はっきりした見込みはなく、仮に秀吉を撃退しても光秀を倒した信長の後継者がしばらくすればやってくるだろう。
あるいは備中・美作・伯耆の確保や義昭の要請に答えるために東方に戦力を派遣し続けなければならなくなるかもしれない。
講和を打ち切った場合の利益:備中・美作・伯耆と清水宗治の命
講和を成立させた場合の利益:城兵の命と東方の安定
を天秤にかけて、後者を選んだというような推測がたたなくもない。
講和の条件が毛利に厳しすぎるようにも見えるが、元々がその条件で折衝していたわけで、妥協すれば
そもそも高松城城主の宗治が講和をひっくり返す恐れがあり、また双方密約の存在を疑われたりなど
後々面倒なことになるので妥当な線だと思う。
根拠の薄い憶測なのだが、逆に「秀吉はすげーラッキーだったんだぜ!」「光秀はチョンボで全て台無し」
という話も嘘くさく、秀吉の中国大返しと光秀の滅亡が歴史の必然だったと考える方が個人的にはすっきりする。 >>936
武田信玄上杉謙信は遭遇戦が多すぎて防衛大での評価はかなり低い。
両方とも戦略的に行き当たりばったり
それと領民からは重税ばかり課していて評判が良くない
一方、織田徳川の領地では領民の不満はあまりない >>342
随天か 中々なキャラだったな
信長の母ちゃんに手つけてたし ドルイドにとって戦争の犠牲者は崇高な宗教の儀式なのです
稲田のともちんが言っていた、稲田はドルイドの魔女やな
>>951
なるほど。面白いな。毛利家は実は知ってた?ってミステリーはあるな。興味深いわ >>955
真言密教、立川流(密教)後醍醐天皇、忌部氏、六茫星、イエズス会、信長
と一本の線で繋がる。 光秀から見れば、勝家、利家なんてバカ筋肉だろうなぁ
秀吉が織田家で出世出来たのも武士らしく無いから。光秀も武士と言うよりは賢人扱いかもな
信長からしてみれば、勝家やらは軍人、秀吉、光秀はブレインだろうなぁ
安国寺
「信長之代、五年、三年は持たるべく候。明年辺は公家などに成さるべく候かと見及び申候。
左候て後、高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候。藤吉郎さりとてはの者にて候」
毛利家がどこまで知ってたかはともかく、安国寺の先見の明は神がかってるな。
なぜこれが関ヶ原に生かされなかったかw
>>959
まあ、宗教は元々土着で、伝えられてく度に洗礼、華やかさ、儀式になるからなぁ
俺は光秀は汚れた仏教とキリシタンで揺れてたと思う 反日マスゴミ加担に秀吉悪人説にまんまと乗せられる情弱養分は多いw
嘘でも大声で100回言えば信じるバカも出てくるという典型例
>>961
安国寺が毛利家に吹いたのもあるよな。
しかし、言われて見れば謎だ 信長と秀吉は大日本帝国に祭り上げられてたから
敵視してる人多いよね
>>951
ちなみに、細川は光秀とKinKi Kids
まさか、細川が付かないなんて光秀は予想外だったろうな >>962
奴隷貿易で武器と交換してたからな、使節団が行ったとき日本人の女が素っ裸
で鎖につながれてるのを観て唖然としたというからな
なんとかミゲルだったか、それで疑問を感じてキリスト教をやめたとか >>952
徳川領は関東に移るまで飢饉が頻発しており、一揆も多発し不満爆発しまくってるってのに。
信長と家康では政治力に雲泥の差があるのを忘れているぞ。 >>965
秀吉こそ、織田家を乗っ取ったからな。
武士らしく無いし >>963
いまどきの感覚で考えたら戦国武将はほとんど悪人だろ 今の感覚で言うと、人殺しまくったりしてるけど、時代が違うだけでサラリーマンみたいな感覚で生きてるんだろうな。きっと。
>>967
まぁ、カトリックも鹿児島でこの地を捧げますだからなぁ。
教義と政策の狭間で日本は揺れたと思う
しかし、クリスチャンが増えたのはやはり、仏教が俗物してたのもあるかもなぁ
信長は宗教すら否定したが、このニヒリズムがちょっと観念的な教養ある人間には辛い、理解出来ないのかもな。 >>669
人権概念が低かっただけで当時ではまともだよ 今風で考えると、光秀は護憲派か、信長は親米?秀吉は反米?家康は自主独立か
>>972
漁師感覚じゃねw?
「(兜首が)大漁だ〜w」
「目印に笹噛ませとくわw」 信長は神仏を疑った。黒人の肌色も疑った
まぁ、リアリストだわなぁ。愛情、幸せ、なんて感情すらも煩悩と感じる機械主義
金を与え続けても寝首を掻かれる人間学には疎かったかもな
まぁ現代の善悪の物差しで測っちゃうとみんな悪人だわな。
でも最近の大河ドラマの主人公みたいにきれいごと言ってるやつより
野望でギラギラしてるやつについてこうって思わない?
もし自分が戦国時代に足軽とか一兵卒だったら。
>>975
異民族間の戦争も怖いですよー
日本みたいに、終わったあと、なぜか人数が増えてましたハハハじゃ済まない
しっかりと洗い出して処刑することになります >>973
鹿児島というと、あまり大きな声?でいえないが黒教(黒宗)だよな、下甑島がなんとやらとか >>977
合戦は狩猟系ですね
平和なときはなんだかんだと事務処理してるのかなw >>984
カトリック一団が流れ着き、イエスに語ったあれか >>965
やれやれ、秀吉、太閤さんは戦後でも人気者でしたわ。
人気落とされたのは、パヨクが幅利かし始めた、80年以降 >>986
兵農分離が出来ていた江戸&江戸時代だと
お勤めが貰えなかった(社内ニート状態)
嫁の視線が痛い しれっと用心棒募集のバイトチラシが置いてあった
みたいな日記が残ってるとかw
薩摩とか地方だと兵農分離が進んでおらず
畑耕したり鉄砲持ってイノシシ追っかけてたり
商売してたり
戦国時代だと兵農分離した方が強いけど
平時は逆に分離していない方が強い兵が用意できるという可能性w
サラリーマンと農家や猟師じゃ農家や猟師の方が兵隊向きだからなあw >>988
黒教やひえもんとり、oooキリシタンなどこれ以上は諸事情により語りません >>990
確かに、中国戦線では農家さんが、重いもの持って1日60キロ歩いて活躍したしなあ
貧乏な侍よりも貧乏な農家のほうがましかも
侍も辛いもんですなw 百済人に人気なのが信長、秀吉
新羅人に人気なのが光秀、家康なんだぞ
この意味がわからん奴は歴史の基本的な流れがわかっとらん証拠だ
江戸時代は家康
それでも秀吉は人気あって明治以降は家康は旧時代の象徴で
秀吉人気がうなぎ登り
戦前戦後ずっと人気
高度成長以降に閉塞の中を突破するキャラとして信長に脚光が来て
能天気な出世の時代でもなく秀吉人気は落ちた
今は信長の時代
江戸時代はともかくとしても戦前戦後も信長はそれほどの存在じゃなかった
司馬遼太郎は坂本龍馬ばかりが有名だが
燃えよ剣で新撰組、国盗り物語で信長を国民的ヒーローにした
悩めるハムレットの光秀、旧時代を吹き飛ばし光秀が立ち向かう
巨大な存在としての信長像が時代に求められた
このスレもその流れの一つ
秀吉は武家の子供じゃ無いから晩年が無様過ぎる
三成しかり
信長、家康には武士の気品を感じる
lud20220827024008ca
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