https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170912-00000004-mai-soci
9/12(火) 3:00配信
<明智光秀>密書の原本発見 本能寺の変直後、反信長派へ
本能寺の変で織田信長を討った重臣の明智光秀が、反信長勢力とともに室町幕府再興を目指していたことを示す手紙の原本が見つかったと、藤田達生(たつお)・三重大教授(中近世史)が発表した。変の直後、現在の和歌山市を拠点とする紀伊雑賀(さいか)衆で反信長派のリーダー格の土豪、土橋重治(つちはし・しげはる)に宛てた書状で、信長に追放された十五代将軍・足利義昭と光秀が通じているとの内容の密書としている。【松本宣良】
藤田教授によると、書状は岐阜県の美濃加茂市民ミュージアムの所蔵。和歌山県内で伝えられ京都府の古書店に渡ったものを美濃加茂市の篤志家が入手して寄贈したという。
鳥居和之・名古屋市蓬左(ほうさ)文庫長らとの共同調査で、形状や紙質などから手紙の原本と断定し、筆致や署名、花押から光秀自筆の可能性が高いと結論づけた。本能寺の変に関する光秀自筆の書状は極めて珍しい。
書状は天正10(1582)年6月2日の本能寺の変から10日後の12日付で、返信とみられる。「上意(将軍)への奔走を命じられたことをお示しいただき、ありがたく存じます。しかしながら(将軍の)ご入洛(にゅうらく)の件につきましては既に承諾しています」とあった。
京を追放された義昭は当時、中国地方を支配する毛利輝元(てるもと)の勢力下にある鞆(とも)の浦(広島県福山市)にいた。義昭が京に戻る際は協力することになっていると重治から示され、光秀自身も義昭と既に協力を約束していることを伝える内容という。
書状の手書きの写しは東京大史料編纂(へんさん)所に残っていたが、原本は縦11.4センチ、横56.8センチで、細かな折り目がついていた。畳んで書状を入れる包み紙も一緒にあったことから、使者が極秘に運んだ密書とみられる。
本能寺の変の動機では、2014年に岡山県で見つかった石谷(いしがい)家文書などから、光秀と懇意で信長と敵対関係になった四国の戦国大名、長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の窮地を救うために起こした「四国説」も浮上している。
光秀は京に上る前の信長と義昭を取り持ち当初は双方の家臣だったとされる。藤田教授は「義昭との関係を復活させた光秀が、まず信長を倒し、長宗我部や毛利ら反信長勢力に奉じられた義昭の帰洛を待って幕府を再興させる政権構想を持っていたのでは」と話す。
光秀は書状の日付の翌日、備中高松城(岡山市)から引き返した羽柴(豊臣)秀吉に山崎の戦いで敗れ、逃げる際に命を落とした。
◇発見された書状の現代語訳
◆本文
仰せのように今まで音信がありませんでしたが<初信であることの慣用表現>、上意(将軍)への奔走を命じられたことをお示しいただき、ありがたく存じます。しかしながら(将軍の)ご入洛の件につきましては既に承諾しています。そのようにご理解されて、ご奔走されることが肝要です。
一、雑賀衆が当方に味方されることについては、ありがたく存じます。ますますそのように心得られて、相談するべきこと。
一、高野衆・根来衆・雑賀衆が相談され、和泉・河内(ともに大阪府)方面まで出陣されることはもっともなことです。恩賞については当家の家老とそちらが話し合い、後々まで互いに良好な関係が続くように、相談するべきこと。
一、近江(滋賀県)・美濃(岐阜県南部)までことごとく平定することを命じ、それがかないました。ご心配されることはありません。なお使者が口上で申すでしょう。
◆追伸=書状では冒頭にあり
なお、必ず(将軍の)ご入洛のことについては、ご奔走されることが大切です。詳細は上意(将軍)からご命じになられるということです。委細につきましては(私からは)申し上げられません。
訳・藤田教授
【ことば】本能寺の変
天正10(1582)年6月2日、京都の本能寺に宿泊中の織田信長が謀反した明智光秀に襲われ自害した。信長は羽柴秀吉の毛利攻め救援で出陣する途中だった。秀吉は急きょ引き返し、京都・大阪府境で起きた山崎の戦いで光秀を破った。光秀の動機は信長の隙(すき)に乗じ天下を狙った「単独謀反説」や「怨恨(えんこん)説」など諸説ある。
前スレ
http://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1505154217/
1が建った時刻:2017/09/12(火) 03:23:37.93 ゼロの仕事・・・・
ゼロってダレだ!?ゼロって!!w
明智家は美濃源氏の名門であり、
足利幕府の血縁が前提の官僚である。
信長の家臣であるが、幕府の関係は血縁であって、
切っても切れない仲。
足利義昭は利用価値があるとは言え人望はあったのだろうか
傀儡にされてすぐ形だけの幕府になりそうだが
毛利が秀吉を追撃しなかったのがわからん
義昭より秀吉だったのか
将軍職を狙って謀反を起こしたと思っていたのに義昭ごときを立てて再興を図っただけとは。
きんかんにはガッカリしたわ。
明智氏は室町幕府に直接仕える奉公衆であって、
その仕事は信長の家臣になっても脈々と続いていた。
>>1
これ、当たり前の説なのに未だに秀吉や家康が殺したと言う説を言う人いるな。
光秀は元々気位の高い人物。
癇癪持ちの信長なんか大嫌い。 光秀の本音はどこにあるかはともかく大義名分が必要だからな
信長に反旗を翻す大義名分としては「室町幕府再興」はわかりやすい
これって時期的には秀吉軍が畿内に侵入し摂津勢を取り込んで
光秀勢にも城西の急激な悪化が明らかになっていた時期よな
ここで秀吉勢の存在に全く触れてないのはどういう事やろ?
明智光秀勝利条件
秀吉撃破→柴田勝家撃破→織田信雄撃破→徳川家康撃破→滝川一益撃破
こんなに勝ち続けられるわけがない
諸説あって、五里霧中だったから、貴重な真説と言えるだろう。
この足利は既定だった
朝廷と寺社がどの程度関与していたかだ
>>14
小早川隆景のおかげ
好戦派だった吉川はそれで冷遇
それが関ヶ原での勝敗に 本能的はあれこれ言われてるけど、光秀がパワハラでノイローゼになっただけなんだろうなあ
朝廷と敵対していた義昭を復権させるなんて行動が支離滅裂すぎるわ
へうげものって漫画はコメディっぽいけどちゃんと調べて描いてます感が半端ないよな
凄い歴史の勉強になる
>>21
光秀は見通しが甘いのよ。
筒井、細川に裏切られた時点で勝負はついた。
もしかしたら秀吉や柴田は知り合いだから攻めてこないと思ったかもな。
実際秀吉以外は動けていない。
だが、さすがは秀吉。
すぐさま敵討ちを行った。諸説あるが本当に仇討ちしたくてやったのだと思う。 。
足利が黒幕か・・・・。
まあこれで決着ついたな。
。
>>21
秀吉を破った時点で勝家は明智に付くんじゃね 秀吉の情報統制が上手くいったからな、
光秀の密使が毛利に素早く届いていたら、中国大返しはないだろうし。
上手の手から水が漏れた。
。
結局、再興が目的だったとなれば長曾我部に対する信長の挙兵とかも理由だっただけだな。
光秀は先をよむ力がなかったんだなぁ。
きっと幕府が無くなることがよほど不安だったってことだな。
信長の世界になれば足利もいずれ殺されるからね。
。
>>21
秀吉と勝家のうち、滅亡寸前だった上杉と対峙する勝家とまだかなりの動員力のあった
毛利と対峙する秀吉では勝家の方が来襲する可能性は高かった
秀吉は敵地で孤立して身動きできないと想定して近江方面に兵をさき
対勝家防衛線を最優先で構築するのが光秀の戦略だったと思われる
実際、本能寺の後光秀真っ先に近江平定に手をつけている
安土入城もその一環だ
勝家を破れば畿内の日和見してる勢力(細川、筒井その他)が味方につく可能性が高まる
更に友好関係にある長宗我部を上洛させれば明智軍の総兵力は5万を超えたはず
ここまでくれば天下は見えたと思うが 廃れた漢王朝を再興しようとする劉備に自分を重ねたのかな
歴史的意義なんもないのに
>>1
嘘つけや
焦ってたからでまかせ言っただけだろ >>26
光秀なら、自分が間を仲介出来ると考えるやろ >>24
知ってるけどおかしくね?
秀吉を生かして返せば毛利が滅んだ可能性があったのに
小早川も恩売れば厚遇されるなんて知恵者のように思うけど
秀吉の気分次第の話のに生殺与奪預ける意味が分からん >>17
光秀も本能寺のあとに、洛中でもの凄い虐殺をやって死体であふれかえったらしいよ。
常識人とはほど遠い。秀吉を民衆が支持したのにはバックグラウンドがある。
ちなみに、信長も虐殺はしたが相手がはっきりしていた。
いずれにしても室町幕府は皇室には逆賊扱いだったから、皇室の関与はないな。
よって、秀吉政権が発足することができた。 問題点は1つ、
足利義昭支持なら、足利義昭囲ってる毛利家が秀吉を討たない事で破綻してる。
将軍はあくまで大義名分のための神輿
でもそれすら後付けで持ち出してきた言い訳っぽいしやっぱり突発的な衝動でやってしまったんだろうな
足利が足掻いた結果か
武家の頂点を譲ることができへんかったんやな
>>27
俺もあれ見て秀吉が信長を真っ二つにしたんだって勉強になった >>31
流石に勝家も
主君殺した奴に付けないと思うが
明智の方は朝廷から綸旨引き出して
織田家臣連中を朝敵にするとかやってきそうだけど 。
まあ黒幕が分かってよかったな。
ここはずっと見解が割れてたからな。
足利が黒幕説はあったけど証拠がなかった。
これで一件落着。
。
信長が光秀に送った手紙の現代語訳がマジなら酷いよなw
そりゃ謀反も起こしたくなるわ
>>31
付かないでしょ
秀吉が光秀を倒した後にも敵対してんだから
ましてや信長を殺した本人に仕えたら信長の後継者名乗れないじゃない
秀吉よりももっと接近する余地がないと思う >>21
秀吉や勝家や家康が大人しく光秀を主君と認めて臣従するかというとしないだろう
そこは光秀もわかってる
だからこそ光秀には担ぎ上げる御輿としての足利将軍家が必要だったんだと思う >>21
細川とか周辺勢力が味方するという前提だったが、誰も味方せず当初の予定が
狂った。根回しが必要なとこだが、事前に発覚する危険があったのでそれも出来ず。
順番としては丹羽撃破→柴田撃破→毛利と秀吉を挟撃→滝川・徳川撃破だろうな。 >>40
光秀による虐殺って、秀吉の世論工作って事はないの?
秀吉の性格からして、そういうのは丁寧にやりそうだけど。 もう一人の元凶である義昭が安楽な余生を送って普通に寿命で死んだのが笑える
>>17
まぁ「こういうタイプ」で分けちゃえばそうなるわな。
キャリア官僚とヤンキー大臣みたいなもんだし。 >>38
毛利はもうボロボロだろ
配下が付いていくとは限らない 虐殺って言えば、大河あたりが乱妨取りをリアルに描写したらネトウヨあたりがファビョりそうだなw
>>1
どう見ても建前だろ。
大日本帝国を復活させようとか時間的な感覚で言うとそれに近いんじゃないか。
当時としても事実上終わってた政権を建て直そうとかパブリックな場では言いそうだけど本気になってたらちょっとおかしい人扱いだったんじゃないの。 アメ公が倒れた後、中朝の脅威から免れるためにも、帝国再興するしかない。
まずは変態とアカヒから家宅捜査して、完全に潰す必要がある
「何で秀吉は都合よく大返し出来たんだ?」とか言って陰謀論唱える奴よく居るけど
そういう事が出来る軍団(統制、機動力)を作り上げて指揮してたから天下獲れた
>>57
秀吉のご機嫌伺いの腰巾着になれ下がったからね 本能寺の変の時光秀は60才超えてたんだろ?
信長討った先のことはあまり考えてなかったのかも。
主君を殺すような大義名分がないやつに誰も協力するわけないし詰むのもわかってたはず。
違うよ
信長が蘭丸に光秀の頭を鉄の扇子で叩かせたからだよ
それで光秀は切れたんだ
。
手紙があれば足利義昭が黒幕で決まりだよな。(´・ω・`)
私念じゃなかっただ光秀らしいけど。
きっと保守的な人だったんだろう。
リベラルな信長には合わなかっただけ。
。
>>37
光秀が40代だったのならそういう大仕事も出来ただろうが、本能寺の時は60前後だからなあ >>62
主君殺しを正当化する口実としては室町幕府再興はいいネタなんじゃね?
光秀は元々幕臣だったわけだし、室町幕府の忠臣光秀が忍従の末機を見て逆賊信長を倒し
幕府再興のため立ち上がったのだ、ってのはまぁ筋が通る 義昭はアホ扱いされるけど物凄い精力的であの手この手を打ちまくってる
中々侮れない男だと思う
原本は縦29.7センチ、横21.0センチのA4サイズコピー紙で、細かな折り目がついていた。
畳んで書状を入れる包み紙も一緒にあったことから、使者が極秘に運んだ密書とみられる。
>>44
関ヶ原の合戦では投石気にエロ本いれて飛ばしてたらしいな。 >>41
秀吉が快勝するとは限らず、織田領内の内戦を狙った可能性 >>68
違うよ、信長から「このハゲーーーーーーー!」っ言われたからだよ。 秀吉との和睦で生贄にされた清水某の子孫はパヨって昭和天皇狙撃するし
>>60
ボロボロだから逆転のチャンス逃すのがおかしいと思うけどな
織田を崩壊させなきゃまた攻めてくるんだから 光秀は、インテリでしょ、
秀吉より、秩序を重視するタイプ、古い秩序に従う。
義昭は現実が見えないから、神輿としては不適切、後醍醐天皇より能力低いだろう。
秀吉を伐ったところで、光秀は苦労の上結局誅殺された可能性が高そう。
>>64
というか信長を中国に迎えるための準備をそのまま大返しに転用しただけだよな
特に不思議でもない 光秀はずっと義昭の家臣
光秀からすれば主君信長を討ったのではなく主君義昭を追放した信長を討ったということだな
光秀は真の忠義者
>>68
確か実際にそれでブチ切れて、頭叩いた茶坊主をたたっきた奴いたな
若い頃の前田利家だけどw 光秀はあくまでも足利幕府の役人として、
信長政権に協力していただけ。
>>66
足利義明を立てればみんなついてくると思い込んでたんだよ。(´・ω・`)
まあみんな全くついてこなかったけど。
光秀が保守的な考えなのは生前の動きでも分かるハズ。
だから信長の考えに賛同できなかったのは理解できるはず。
まあ時代が変わったことを悟れなかったのが敗因だな。
もうこのときには昔の戦国時代とは違ってたから。
信玄も謙信も坊主もみんな死んでついてくる人いないしな。 >>38
もちろん秀吉も撤退するにあたって備中高松城の堤防を切ってるわけで
撤退するにあたって一日様子を見てたんだけど、その間に攻め込もうとしたら
その瞬間に堤防を切られてたんじゃないかな
あと、伊予の水軍がすでに秀吉方についていたので、秀吉を追撃しようとしても
逆に毛利勢が追撃される危険もあったし 明智光秀は利用されただけだって墓の前で&ロ愛子のばっちゃが言ってた
前すれのレス
武田信玄は初婚は小学6年のときは
相手は中学1年。1年後に子供出来
けど奥さんは死亡。
これは戦国時代に限らず、遊牧民は
どこも早かったからな
>>54
あのときにそんな時間がない。それに秀吉の工作なら後世にもっと伝わってる。
天王山の戦いは民衆がドキドキしながら結果をまってたのが想像される。
義昭をかついで天下をとる基礎を作ったのは信長なんだから。
まあ、二番煎じ。我欲のなせる技でしょ。 >>75
戦国時代にA4コピー紙なんてあったのかね?それに日本の文書ってB判じゃないのか? >>93
どの説にも証拠がなかったんだよ。
でもこれで証拠がでてきて黒幕と確定しただけ。 実際は光秀がカムフラージュに備中に送った荷駄部隊の物資を奪いながら
中国大返しを進めてたんだけどね
>>64 >>84
秀吉の情報網だと
毛利への使者を捕らえるより前に
本能寺の変知ってたはずだから楽だったんでしょう 光秀は能力高いけど、思い込みが強い、
秀吉の方が視野が広く、多面的に流動的に考えられたから、勝ったんではないかな?
>>61
信長はそれを厳しく取り締まって民衆の支持を得た。
逆に武田とかはご褒美として許容していた。 >>81
逆転より延命が優先だったんでしょ
実際、秀吉に恩を売った毛利は生き延びて更に豊臣政権で重要ポストに付いてるんだから
結果だけ見れば毛利の秀吉追撃断念は正解だったわけで >>75
原本がコピー紙?
何を言ってるのかわからないよ 信長の正体が二十面相だと知ってキレたんだよ明智くん
>>90
追撃したら秀吉は挟み撃ちになるんだぞ
どう考えても秀吉が圧倒的に不利 >>21
だって毛利が秀吉追撃して潰走する予定だったんですもの
家康だって伊賀越えの前に死んでるはずだった >>102
ど田舎と都会だからな
まぁ一緒に出来ない部分もあるよ >>97
この書状でも黒幕である可能性は大して上がらないでしょ
光秀が大義名分にあげていたってだけで
義昭に信長を倒してくれとは言われてたとは思うけどな 足利義昭が追放された後も、
幕府の役人を大量に家臣に組み入れていた。
丹波はそれらの家臣の元々の領地だった。
>>64
そそのかしたってのは厳しいと思うが、
こいつひょっとしたらやるんじゃネーかとはどっかで思ってたんじゃないか。 味方にするために工作はするよな。
約束が果たされるとは限らないけど。
>>81
このあと情勢がどう転ぶか我々は知ってるけど当時の人間にはわからないのよ
内紛で元織田の勢力が自滅する可能性もある
和睦になって当面の危機は去った
ここは当面様子見でいいやと思ったんじゃないかな 謀反起こす直前に領地没収されて敵地を分捕ったらくれてやんよ、って鬼畜な所業をされたのが
原因って聞いたんだけどどうなん?>詳しい人
>>87
義輝は刀術は凄かったがやはりそこに目を付けられた。
あいつは危ないタイマンならかなり強いぞ、とな。
上泉や数多の武芸家とも仲良くしていた。
だが最後は将軍らしからぬ剛毅な討ち死に・・本人は幕府再興より一武芸者の方が幸せだったな。
一振り4000万とかの名刀を存分に奮ったのはこの人だけだろう。 >>107
毛利も伊予の水軍に追いかけられる危険があったってこと
あと、高松城の水攻めで堤防の中にあった水が一斉に流れだしたら
ちょっとした洪水状態になるよね >>100
変の詳細な情報を1.5日後に秀吉が掴んでるのはおかしいけどな
京都から200km、6月2日未明の事件を秀吉はなぜ3日深夜には知ってたのか
しかも翌朝までに毛利との和睦を成立させてたのか
このスピード感の方が大返しよりよほど異常 >>103
それがおかしいって
織田を崩壊させることできたのになんで延命選ぶんだよ
明らかに結果論だろ毛利が存続できたのは 光秀があっさり負けて良かった
ホントに室町幕府再興とか始めてたら
スペインvsオランダときどきイギリスみたいな代理戦争の舞台にされとったかもしれん
>>106
朝廷も将軍も保護した信長が?
しかもあんだけやった将軍を殺さずに済ませた信長が?
何の簒奪?
「革新的ヒーロー」とか戦後に作られたイメージだから
元々は保守的で朝廷の保護者として見られていた 秀吉が光秀との密約を反故にしたって可能性はないの?
明智くんって信長の部下じゃないしな 裏切りっていうのは間違いやろ
直前の和睦がないと、戦線を放棄することは不可能、秀吉も動けないわけで、
>>109
というか、それをやり出したのは信長が最初。専門の軍隊を創設したことにもよる。
しかし、売春宿は許容してたから。慰安所の走りも当時からあった。
民衆の支持をもの凄く気にしていたのがある。
二条城の工事で見学の女子にちょっかいをだした部下を信長が切って捨てたのは有名な逸話。 >>26
もう少し勉強してから何か言えって。
テレビドラマぐらいの知識で恥ずかしいよ。 >>119
毛利は秀吉との戦いで既にボロボロで、織田に取って代わるなんて
大胆な事は考えられない状態だったんだよ
何より秀吉と戦い続けてた毛利が秀吉の強さや怖さを誰より知ってるわけでな >>118
当時でも狼煙、色つきの狼煙とか活用してたからな
10km毎に中継したら1時間程で情報伝わるんだよね とりあえずこの場を借りて信長が焼き討ちしたのを
高野山とか石山本願寺だと思ってたことを歴史上の関係各位に謝る。
さてとなんかくうかい
>>122
レスつけれなかったから再投
天下の簒奪者って言ってるだろ
天下とは畿内のことだよ >>133
高野山は実際に焼き討ちする計画があったらしい
秀吉の紀州攻めでもあわやというところで命拾いしてる 義昭上げは毛利と同盟結ぶためだろ
室町幕府再興まで考えてたのかねぇ
信長や鎌倉幕府みたいにお飾りにするかも知れないが
>>114
それこそ結果論だろ
北条見てみろよ追撃して滝川から領地奪ったのに
追撃しないほうがおかしい状況だよ 元々、幕府再興をうつけに託したのが始まりだからな
従っているふりをしてチャンスを伺っていた
と考えるのが妥当
>土橋重治
たまに信長の野望に出てくるザコ武将だな
>>122
秀吉:近衛家の養子になって武家関白に→源平藤橘に次ぐ新しい姓を下賜させる。
家康:禁中並公家諸法度発布、孫娘を天皇の后に
これに比べたら信長は全く手付かずだな。 >>117
毛利の水軍だってあるのになんで恐れてんだよw >>136
高野山に僧兵いたかな?
宗派違うような? 一旦背を見せたら、後退中潰されるとかあるからな、二正面作戦では勝算は薄い。
光秀の子孫が本能寺に付いて本を書いてるから
この件に関してコメントしないかなぁ
書状はどこで見つかったん?
クーデターとか普通のオチだったのかー
>>132
狼煙では変の詳細な情報は伝わらないだろ
犯人は誰か、被害者は誰か、犯人の戦力はどの程度か
などなど全部分からないと独断で毛利との和睦なんか出来ない
虚報の可能性もあるから、光秀の密使を捉えて情報をつかむ
なんて精度の低いやり方は論外だしな >>137
重要だと思うよ
信長を殺した大義名分になるし、まだまだ一大名に過ぎない光秀が単独で上に立つのは無理だし
後になってから邪魔になったら処分すればいいだけ
この時点では十分に利用価値がある >>142
毛利の水軍の主力は伊予の来島氏や能島氏で、そいつらが秀吉方についてたんだよな >>128
いやノイローゼ説は意外と馬鹿には出来んぞ
パワハラも単純に信長に嫌がらせされたとかではなく佐久間林ら重臣の追放事件や
四国攻略担当解任等で光秀が疑心暗鬼に陥っていた可能性は十分にある 明智家の家臣団には幕府の役人が大量に居たので、
幕府再興に関して、積極的な感情があったのは想像に難くない。
丹波召し上げは、幕府の名門家臣達が代々の領地を失う事を意味していた。
毛利は両川体制だったのが仇になったな。
両巨頭が180度正反対の意見を強く主張したんだから動けるわけねーじゃん。
>>21
そんなに戦うつもりはないだろ。
秀吉は中国に釘付け
家康は逃さずに捕らえて人質
信長と仲の良くない勝家は味方につける 今本能寺の変みたいに首相官邸を攻めて焼け落として国会議事堂を占拠したら犯罪になるの?
それとも攻めた人らの天下になるの?
秀吉の中国大返しを疑問視してる人も居るが、こう考えたら、どうだろう?
秀吉が連れてきている兵力と毛利勢は拮抗していた、そこに信長が後詰として来ると言う。
これは毛利勢としても和睦ないし停戦の話があったら乗りたいところだ
実際毛利の領地は広く、いくら信長が来たとはいえ一朝一夕で平らげられるわけがないからだ
そこにまさか光秀が謀反を起こしたということなど想像もつかなかっただろう
そして情報は遅れてもたらされた・・・
光秀は信長を討った、しかしこれはテロの一種であって、完全に足場を固めたわけではない
光秀がこのまま織田家の戦力を手中に収められるわけがない
秀吉が保持している戦力も馬鹿には出来ない、現実に戦場では毛利勢と拮抗していたからだ
秀吉が信長から預かっている領地も小さいものではない
そこに先の和睦話を反故にして後ろから襲い掛かったら、どうであろう?
秀吉を討ち取れるか?
必死に抵抗するだろう、上手く落ち延びる可能性が高い
しかも秀吉なら自分の領地に帰って戦力を立て直す可能性が非常に高い
そうしたら今すぐとは言わないが必ず毛利家にたいして深い恨みを抱き後の禍根となるだろう
光秀は謀反を起こしたのだから織田家の残りの宿老たちが決して許さないだろう
早晩光秀は滅ぶ・・・すなわち結ぶに値しない勢力だ
秀吉に恩を売って、光秀を滅ぼした後に織田家内で宿老同士の内輪もめをさせたほうが
毛利家にとっては利益になるのではないか・・・そう考えての小早川の決断だったんだろう
小早川の予想を遥かに上回ってしまったのは、光秀のモロさと秀吉の後の動きの早さ・・だったんだろうな
まさか、秀吉が完全に織田家を飲み込むとは、さすがに予想はしてなかっただろう
>>127
緒形直人の信長で
ルイスフロイスと初対面の場面で
走っていってそいつを首はねて
首のない胴体がばたっと倒れる場面があった 信長が天下取ったとして、末期は光秀も秀吉も実力武将は残らず天下泰平のために粛清していただろうから、本能寺も長期的に見れば正当防衛w
>>129
だからそれは結論ありきから導きだしてる話だってことだな
織田にとって代わる必要はない
秀吉を追撃して明智と組めばいいだけだから >>156
なげーよ
100万円賭けてもいいが
誰一人そんな長文読まない >>153
鳥取であんなことされた吉川家がほいほいと許すわけないわな
めぐりめぐって関ヶ原であんなことに 光秀は信長を尊敬していた・・みたいなフィクション作品が多いけど
実は最初からずっと忠誠を抱いていたのは将軍家のみだった可能性もあるな。
本心を隠したまま使えてきたが好機が出現して実行しただけなのかも
>>144
僧兵といえば延暦寺というイメージだけど、他の大寺にも僧兵はいた
高野山しかり、筒井順慶だって元をたどれば興福寺の僧兵だしね >>1
江戸に描かれた作文を信じる自称歴史学者
気になるのなら、明智家の家紋を見ろ >>138
北条は結局豊臣政権とパイプがなくて滅亡しちゃってるじゃん
秀吉に恩を売って豊臣政権とパイプ作った毛利が正解だったわけよ >>162
あんなことって吉川経家はむしろ自ら進んで腹切ったんじゃん
信長も秀吉も切腹リストからは外してたんだし >>155
その後に民主的な手続きで議会を形成し憲法して正当性を確立しないととISISと一緒でただの匪賊集団w 本能寺の変直後は数多くの日記等が、後日処分されたり改変されたと聞く
当時の心境とかを後日、豊臣政権に知られるとまずかったか?
南都北嶺ってことわざを知らない人が多いんだね
みやこは北の比叡山と南の奈良の僧兵で守られてるという事を前提とした単語だが
>>150
それ一部だよ
毛利水軍に攻撃されて秀吉のとこにいったんだから 「室町幕府を再興するため」に信長を討った んじゃなくて信長を討った以上はもはや反信長勢力の一員とならざるを得ないから足利義昭を担ぐ勢力と連携する必要があったと理解した方がよさそうに思うんだが
歴史学者ってとにかく定説を覆して自分の名前を売るのが第一目標の奴らばかりだからね
真偽なんてどうでもいいから自説に都合のいい資料だけ取り上げて否定するような資料があっても黙殺する
>>160
毛利にとって大事なのは毛利の存続でしょ
織田家のどこかの勢力に肩入れしたら他の勢力を明確に敵に回すことになる
毛利には織田家のどこかの勢力と一蓮托生するほどの密接な関係もない >>159
いやいや、殺さないよ。
寧ろ今までの活躍の論功交渉、各自加増で頭を悩ます。そして茶器の出番だ。 >>156
一応、長文読んでみたが、長い割りに中身がない。
朝廷、旧室町幕府、光秀、秀吉、家康らの協働だった予定が
秀吉が途中で裏切ったとは考えないの? 秀吉に全部なすりつけて
被害者面してた明智の子孫って、まだ偉そうにしてるの?
ああ古書店で見つかったのか
しかし生きているうちに知れたことは運がいい
あと気になるのはケネディぐらいかな…
当てにした筒井は来ない、細川
来ないだからな。普通謀反するな
らそういう連中抱き込まないと
できないだろ?勝算なく謀反したの?
>>160
秀吉相手に連戦連敗で、生き残るかどうかが最優先課題だった毛利が
秀吉と戦って領地奪うなんてリスク高いかけすると思うか?
秀吉が引き上げるというなら黙って見送った方が安全だわ! >>179
間違いなく追放しただろう。
まさか林とか佐久間とか安藤とか丹羽信勝が悪いから追放したとか言い始めないよな? もともと義昭を奈良から担ぎ上げたのは光秀じゃなかった?
あぁっ、あぁ、あぁぁぁぁぁ、みつひでどのぉぉぉぉぉぉーーー
>>175
それやな
信長みたいな大勢力になってからでも困らされた事が多いのに
謀反直後の一大名が何の名目もなく天下に号令なんて出来るわけがないからな
朝廷だの将軍家だのは丁度いい口実になる >>161
秀吉つえーわ、ついでに信長も来るって、これやべーわ
え?信長死んだの?追撃?ムリムリ秀吉絶対逃げ切るし討ち取れねーわ
それよか、約束守って恩を売って、織田家で内輪もめさせといたほうが良くね?
その間に毛利家も戦力建て直せるし
・・・で、おk? >>178
毛利の存続を考えるなら織田の崩壊
義昭を抱えてる毛利が明智と組めばいいだけ
秀吉と一蓮托生するほうがわけわからんよ >>185
秀吉と光秀が追放?
信長の手紙でもいつでも褒められてる優秀なこの二人が??
なんでよ >>44
俺もあれを見て秀頼が攻め寄せる家康勢を片手でつかんで投げてたんだーと勉強になった 正親町天皇とまではいかずとも、公家が一切絡んでいないとかねえわ。
足利尊氏や楠木正成、新田義貞らが京の公家とどう絡みあったかをみれば、
当時の公家が静観していたかどうかは容易に想像できるだろうに。
小早川隆景は追いかければ秀吉軍を壊滅させられる事は知ってただろうと思うよ。
でもその後、弟や甥と協調して天下を維持する事は不可能だと思ってたろうね。
信長厨の俺からしたら光秀はとんでもないことをしてくれたわ
山崎の戦い前日で味方が増えず焦りまくってる時だな
嘘でもいいから大義名分作って味方を増やしたい状況
その辺を考慮して読むべし
結果として細川ですら味方に出来てないし
義昭追放のときから機会があればやろうと決めていたけど
その機会が突然きちゃって根回しが全然足りてなかった感じ
事変後の味方集めもなんか必死さがない
本人は信長討ったことである程度満足しちゃったのかも
>>175
意味不明
反信長勢力になるのが嫌なら信長は討たないだろw >>180
家康の伊賀越えを見たら・・そりゃ無理じゃね?
朝廷は元々、そういうのに一切関わりあいを持とうとしなかったから、どの時代も生き残ったし
複数人の陰謀説は、無理がありすぎる 結局、幕臣だったんでしょ、謙信とかもそうだし、信長の配下は仮の姿。
>>187
滝川一益に一定の力を残せば豊臣政権でもある程度発言力が生まれたはずだから
(清須会議にも顔を出せたろうし)
滝川一益に貸しを作るのは北条としてはアリと思うなな 有能な武将が何人も乱立した状態じゃそもそも天下が治まらんって
どんな体制でも集団でもそうだが、安定には粛清が必ず必要になる
>>188
細川幽斎やなかったかな
明智は亡命先の朝倉におったんだと思う >>196
有能だから天下統一を成し遂げて、用済みになったら邪魔でしょ。
自分の息子らが家督を継いだとき、一番の障害になると考えるのは今日でも普通でしょ。 >>184
連戦連敗だった北条も追撃しましたよ?
主君が殺されて逃げかえるのは補給ができずに
戦線を維持できないから
どうも毛利が許されたから結果論で物事語ってる人多いな 俺は小学生のとき足利さんと徳川さんと同じクラスだった。
女の子でどちらもその子孫だと言ってたな。
>>189
逆だろw
秀頼の撤退戦がより厳しくなるだけだよ やっぱり、有能でも年上の部下なんか持つもんじゃないな
足利義昭にそそのかされて行動を起こした
しかし、予想以上に義昭が無能だったため光秀は孤立してしまった
これだろ
>>207
伊賀越えも眉唾なんだよな
穴山も切腹したって文献もあるし >>196
本人達はともかくそれ以降がどうなるか分からんから
信長の息子を跡継ぎのための養子に貰った秀吉はまず安泰だったかも知れんが
織田家と明確な結び付きのない光秀はその辺が不安定だったとも言える 北条は本能寺で織田領に攻め込んでなければ生き残れたかも
第一目標が信長討伐
幕府再興は第二目標
光秀の中の順位がこれだったから
結果として山崎で終了
>>鳥居和之・名古屋市蓬左(ほうさ)文庫長らとの共同調査で、形状や紙質などから手紙の原本と断定
この化学万能時代に、化学的な年代測定しない理由って、何だろう?
>室町幕府再興
やはり凡人だったんだな 官僚タイプ
>>196
まさに優秀だから危ないんだろ?
信長が衰えたり、死んだら織田家に謀反起こすか傀儡乗っ取りを企む恐れ >>213
佐々木道誉とか赤松円心といった功臣を厚遇しすぎたせいで室町幕府はグダグダになったしなぁ 信長の最後の言葉は?
・我が生涯に一片の悔いなし!
・お前がナンバーワンだ
・バスケがしたいです
・是非に及ばず
>>209
おい本気かよ
滝川が後にどうなったか調べてみろ >>223
いや、家康が三島まで来て説得したように
大坂まで来て関白にちょこっと頭を下げるだけで間違いなく存続できた >>160
毛利は滅亡寸前だったし
田植えあるから早く帰りたかった
織田が大友使って背後牽制して
たしな。 実際、北条家は滅んでないじゃん。
氏政の兄弟に北条家を継がせて幕末まで1万石の大名家として生き残ってるだろ
>>218
義昭の無能さなんて周知の事実だったのに
明智がそんなのにそそのかされるとは思えんな >>207
いや、本能寺の変は当初の狙いは信長による家康殺しだったんじゃないか?
その役目を光秀に任せていたが、光秀が家康に打ち明けて助けて逃がした。
秀吉との繋がりは分らんが、光秀と家康が裏で繋がっていたのは、
その後の歴史を考慮すると十分、考えられる。 >>227
義昭を担いで上洛した信長も凡人の官僚タイプだよな >>198
細川藤孝が怪しい
光秀を炊きつけておいて、あっさり寝返るとかやりそう >>195
毛利は織田家の内紛に介入しなかっただけで
秀吉側についた訳ではないでしょ >>231
滝川一益は北条の追撃で力を失ったから、
後々織田家内紛でも豊臣政権でも重要なポジションにいられなかっただけやろ 家康なんて本能寺までは吹いて飛ぶような三河のザコじゃん
光秀みたいな大武将とは格が違うし相手にされないだろ
>>237
本能寺を主導した明智筆頭家老斎藤利三の娘が後に徳川幕府で権勢を誇った春日局だからな 公家衆としては関白か太政大臣についてくれという要請を
信長が蹴ったことを懸念してたよね
朝廷管理下におきたいのに、なにか信長が朝廷改革的なことを口走ったかも
秀吉や家康黒幕説よりは義昭の方がまだ説得力あるけどね
死にかけの爺が一族の運命かけてクーデターして家臣がついてくるって
自衛か
信長じゃだめだという共通認識がないと
説明つかなくね
足利家と細川家の関係を考えたら、
足利義昭から細川幽斎への手紙もあっただろうな。
細川や筒井は秀吉が踵を返して帰ってくるのに、ビビって、裏切ったんだろ。
小早川隆景はまさか羽柴藤吉郎が関白になるとまでは絶対に思ってなかったはずだよ。
この後も織田家は弱体化しながら生き残って秀吉たちがずーと内紛すると確信してたはず。
だから時間は織田家に味方せず毛利家に味方すると思ってた。
しょぼいな。土岐足利今川武田と有力源氏が没落してんのにそこで義昭御輿とは
>>230
やだよ〜、死にたくないよ〜(ジタバタ >>245
チョウスガメは利三の妹婿なのに酷いことになったがなw 足利義昭を追放する時
ノブ「一度は臣従を誓ったのですから命は取りません。何処へでも好きな所に行って下さい。今回の事が私の不忠から来るかどうかは後世の人々が決めるのとです」
って言ってんだよな 非常に思考が現代人っぽい
>238
信長は足利に忠臣を装ってただけで目指すのは織田幕府だろ、当時は若かったこともあって足利の言いなりにはならずやり放題。 光秀は歳も歳だし本能寺後に明智幕府を目指せる器量は無い
足利幕府の筆頭家老に居座るだけ
小早川はおとっさんの言いつけ通り天下を望まずでしょ
秀吉が帰ってくれるならなんでもいいわってかんじ
北条は滝川を滅ぼそうなんて思ってないよ。
わざと厩橋から小諸城までの道筋を開けて
そこを通って撤退してください。上野国は返していただきますから
という姿勢に徹底してた。
神流川の戦いでもその姿勢は崩してなかった。
小早川もそうだけど、安国寺恵瓊の発言が大きかったんじゃないかな
恵瓊はたびたび外交使節として上京してるし
でもって、恵瓊は早くから秀吉を評価してたんだよな
>>256
信長ってかっこよすぎる
光秀のせいで下種吉が天下人で変な感じになっちゃったな >>249
ビビッてというか、秀吉が上手く調略した結果でしょ。
推測するに細川は光秀を快く思っていなかった、たとえ姻戚関係にあっても。
何故なら従前の室町幕府では細川家は筆頭家老、明智家なぞは土岐氏の家老で下の下。
信長政権になって、立場が逆転し、面白いわけがない。 みんなの為に成すべきことを成した偉大な人だな。秀吉も家康も落ち着いて考えたらホッとしたろw
信長は日本人には合わないリーダー。歴史的役割を果たしてくれて死んだ
>>238
信長は自分の都合がいいように足利義昭を利用しただけだと思う
ところが、だんだん邪魔になって討伐するつもりだった
それを事前に察知した義昭は信長を討伐する策を講じた
こういう流れかと 普通に考えようぜ
羽柴藤吉郎を壊滅させて強大な明智政権なんて作られるのが毛利にとって最大の悪夢じゃん。
むしろ藤吉郎を生き残らせて明智、柴田たちと戦わせた方が漁夫の利を得やすいでしょ?
実際は漁夫の利を得られなかったけど、それは未来人じゃないと予測できないんだから仕方がない。
大義名分は織田幕府を目指しながら最後は豊臣の体制にしてしまった秀吉がワル 身分上将軍になれないから公家に入って関白になってしまう裏技も
なんで信長は短期間であんなに勢力を広げられたんだろう
あのときの、毛利は
秀吉に切り崩され家臣離反続出
大友が背後から攻撃してきそう
戦の連続で金ない
農民兵なので生産力激減
当主が馬鹿
吉川はどちらかいうと脳筋
小早川が実質当主
歴史は積み重ね。
バカサヨはいずれ、日本の近代化流れを助長したとして、本能寺の変も批判し始めるだろう。
>>269
殺しはしないんじゃないか
地位を利用できるだけの権威がまだあったわけで
殺害しちゃうとめんどくさい >>273
一つには兵農分離やな
他の大名は農繁期に戦がでけへんのやw >>273
政治のダイナミズムと解釈されるらしいよ >>273
津島貿易のおかげでもともと資金が潤沢だった上に
チート石高を誇る尾張と美濃を領有した時点でほぼ勝ち確だった >>243
農作業あるだろ?
今と違って農薬なんてないから
手間がかかる。人手取られたら
それだけ収穫量は減る >>265
本能寺の時は、細川幽斎じゃなくて当時は長岡藤孝
長岡家は細川家の分家の分家ぐらいで大した家柄じゃない >>50
そうとは限らないでしょう。
本能寺の変の時点では秀吉は勝家より明らかに格下。
逆に光秀は家臣団の中で最大の領地を与えられている格上。
勝家は信長に敵対した事もあるしな。 >>273
上洛できたのは幕府再興という大義名分があったから
あとは尾張美濃近江の高い生産能力と、天下を獲るという明確な意思と
そのための的確な方向づけができたから 明智打つまではわかるけどそっから織田家家臣が秀吉にしたがうってひどいよな
>>273
何だかんだで将軍確保して、当時の日本の中心地の畿内をまとめ上げたからじゃないかね
みんなそれをやろうとしたけど地元の事情で動けなかったところで今川を倒したお陰で先に行動できた プロイセンとかイタリアがなんで短期間で天下統一できたんだろうという謎があるが
信長が短期間で勢力を伸ばせた理由と同じようなメカニズムが働いたと考えられてる
>>273
> なんで信長は短期間であんなに勢力を広げられたんだろう
ちまちました土地の取り合いから滅ぶか滅ぼされるかの大将の命の取り合いに
戦争の目的を変えたからだと思う
負けた方は死んで舞台から退場 >>273
やってる事は六角のパクり
まあ親父の蓄財が凄かったのと濃尾平野を拠点に出来たのが大きい >>245
>>255
長宗我部もズブズブだったな
盛親が下手うたなければ幕末まで残ったんだけどな
家臣の讒言で徳川側と仲よかった兄殺したのは痛かった なんで信忠まで死んでんだよって展開だもんな。
なかなかの器量だったといわれる信忠が
二条に篭らず逃げて生きてたら、
織田家はもともと既に当主だった信忠の下でまとまり
歴史は全く変わっていただろう。
表向きは誰でも正当性が主張できるような体制に持って行こうとするもんだよ。
秀吉だって清洲会議で信長の長男の息子である三法師を抱きかかえて正当性を
主張したが、彼に与えた領地は僅かなもんだったしな。
多数化工作で大義名分が必要なので文面に入れるのは当然でしょう
今さら何を
>>198
よくある近衛竜山関与説だけど
二条家やライバル公家に漏れたら
信長にチクられる可能性あるし
だいたい公家が絡む陰謀はどこ
かで漏れるパターンばかり >>289
プロイセンがドイツ帝国になれたのは、早々にオーストリアを枠の外に追い出したからでしょ 動き始めたら慣性の法則にしたがって兵は地平線までずっと動きを止めないのが正解。
それをチンギスハンもその他の英雄たちも実戦した。
一々農繁期に兵を戻すなんて事やってたら永久に天下統一などできんわw
明智家は土岐家の家臣というより、足利将軍家直々の近衛兵としての奉公衆という役職。
>>258
目指すのが織田幕府っていう時点で吹くわ 本物の「密書」かどうか決め手はないだろ 入手関係者が「価値・権威」を上げるために後付けしした疑いがある
毛利と織田じゃ調達できる鉄砲硝石の量にどのくらい違いがあったのかね
武田がそれで苦労したのはどっかで見た
信忠は脱出できたのに要領が悪いよな〜
一緒にいたのに雑兵に紛れて脱出した有楽斎のほうが優秀だと思う←ゴミだけど
大河は本能寺の変で一年やってほしい
朝廷黒幕説ペースでw
信忠はやっぱ坊ちゃんだったんじゃないの。いい奴だったろうw 信長が息子の立場なら逃げてるな
なんか今更では
そもそも光秀は足利義昭の家臣だったんだし、室町幕府復興を考えてたとしても不思議じゃない
そういう説は随分前からあったしな
ぶっちゃけ戦争がやーやーそれがしはって呑気に名乗る時代で止まり続けてれば平和だったのに余計な事しやがって
信長は別に誰も考えなかったことをやったんじゃない
みんなやろうとしてた事を先に出来ただけの事
今川も武田もみんな上洛して朝廷と将軍を確保して畿内を制圧したかった
でも出来なかっただけ
>>246
安土に天皇か皇太子を下向させろ
と言ったのでは?
安土城には御所みたいな建物も
あったらしいから天皇動座させ
て遷都狙ってたかも。
信長からしたら京都という存在
が政治するには邪魔だろうからな。 つまり本能寺の変の黒幕は足利義昭だったってわけだな。
足利義昭の反撃
>>284
だったら余計に本家筋の細川一族の意向を呑まなきゃならん立場でしょ。
足元の地盤が固まってない段階なら、外部よりも家臣団の安定を優先せざるを得ない。 >>299
ナポレオンもナチも帝国も戦線伸び切ったせいで負けたw 尾張美濃統一に12年かかってるんだが
そこからはトントン拍子だけど
要は石高がダンチだったんでしょ
秀吉は身分が低いしあくまでも織田の忠臣を演じて織田家の再興を目指しながら実力NO1の光秀 筆頭家老の柴田を倒してから天下の野心が芽生えた
だったら最初から毛利に話通しとけよっていう
目的が幕府再興でも行動が突発的過ぎる
>>305
黒幕数パターンそれぞれをやって欲しいわ >>290
片目「ああすればええんやな」
オラオラァ!
ひいいい親族なのに皆殺ししてくるううう >>309
今川も武田も「天下統一」なんて考えた事もなかったはずだよ。
信長が「天下布武」を言い始めて、初めて彼等も「上洛して天下を獲るんだ!」と気づいたはず 自分が反逆者だから味方になりそうな奴に適当なこと書いて仲間に引き入れようとしてたんじゃないの?
どうせ、その約束も反故にするよ裏切り者のキンカン頭は。
>>265
細川本家は足利将軍家に比肩す権門中の権門だが
幽斎の細川は分家も分家じゃなかったか? >>278
当然あったよ。
明智家の血筋、義昭との繋がりを考えれば筋の通った話。
が、歴史ミステリーとして秀吉や家康といった大物タレントによるさらなる謀略の存在を望んでいた人も多く、”諸説”のうちの一つに留まっていた。 神視点で見れば衰退の足利なんて担ぎ上げてる時点で光秀はアホということになるが
人間としてみればまぁこんなもんなんだろうな
もっと頭の切れる大観できるってキャラだと思ってたわ
秀吉も織田家をちゃんと立てて天下をってたら死にぎわに信長の悪夢を見なくてすんだのに
>>273
どっかから資金とか貰ってたのではないかなーとか想像してみたことがある
SLGで信長でプレイしててもたまにアレってなることあるんだよな
つまりは・・・ >>300
土岐系の人は幕府に仕える人
多かったからな。土岐氏が室町
幕府からやたら敵視された歴史
から土岐氏の関係者が大量に
奉公して幕府へ忠誠示したり
工作したりするために 毛利は本能寺や関ヶ原で天下取りできそうな位置にいたのにボンクラやなぁ
>>314
毛利が中国地方の大半+九州の一かけらで120万石
尾張+美濃で120万石 >>328
潤沢な資金で買いそろえるのは鉄砲ということでいいの? >>332
孔明も曹操も爆乳美少女だった
最近ではネロが爆乳美少女だと勉強したよ >>305
隆慶一郎の「風の呪殺陣」は大河にちょうどいいと思うわ
エログロなのが玉に瑕やけどなw >>319
織田が足利を裏切ったように、
光秀も同じやり方で義昭の仇を取りたかったんじゃない? >>仰せのように今まで音信がありませんでしたが<初信であることの慣用表現>
この表現を改造してビジネスメールで使えんやろか?
なかなか面白い表現な気がする。
>>314
これに対抗できるのは灌漑整備が整った関東八州位だからなぁ やっちゃったは良いけど自分はトップの器じゃないし慌てて義昭の名前つかったのでは
織田信忠は二条城から脱出しようと思えば出来たんだよな
織田有楽斎が脱出したんだし でも此処が死所だと決めてしまった
きっとあの世でノブに「大うつけが!」と叱られたんだろな 武田攻めで偉大な父親に認めてもらったばかりだったのに
>>313
信長も兵を辺境に全て置いたせいで政治の空白地帯が生じて頓死した >>320
大内や三好も実行したが「一時的な京都確保」もしくは「畿内地方政権」で終わってるから
信長上洛も同じだろうと地方の有力大名は静観したんじゃねぇの?
それが畿内諸勢力を併呑して急激に強大化し始めて初めてそのやばさが分かったと
最初に動いたのは武田でこの時はまだワンチャンあったが、
肝心なところで信玄がくたばったけど >>275
バカウヨはそのうち本能寺の変もなかったことにするんだろう バカバカしい光秀は名将だぞ
本気で信長倒す気ならしばらくとりまいたまま何もしないとか
死体がみつからずずっと探し続けるなんて不手際するわけないだろ
光秀は知らなかったんだよ
基本は春日局の父親の斉藤内蔵助の仕業
>>273
金ある
人いる
生産力ある
年中戦える
人口と経済力あるとこはいつも
強い。武田信玄も金あればもう
少し早く出てこれた まあ本音か建前かはともかく光秀は光秀で展望はあったけど、この時の秀吉が更に上手やったって話やな
信長はあくまでも幕府だろ 帝を押しのけて織田王国にはしない 今までは明智が朝廷派で信長が帝を殺す動きがあったから謀反を起こしたという説もあったが。
三国志で言えば劉備的な英雄か?
それはそれで格好いい
長年信長に仕えていた佐久間信盛、林秀貞達が追放され
成果を挙げなければ自分もいずれは追放されるのではないかという不安から信長を倒したという説。
丹波攻めが長期戦となって無能呼ばわりされたからこの説が有力だと思う
>>273
ゲームだけどノブヤボ創造をプレイすると尾張と美濃がチート地域だと言うことがわかるよw
あと関東八州もチートw >>346
信長の野望だと武田って生産力低いのに家臣ばかりたくさんいて
COMにやらせると勢力伸ばす前に自壊するなんてことがままあるからなあ >>339
家康と伊奈忠次の関東治水と大開発はもっと評価されていいと思うがな >>350
明智勢のみでの丹波平定は激賞こそされ無能呼ばわりなんてされてないけど? 何処で仕入れたそんなヨタ話 >>343
いや武田が動いている時点で手遅れ。
朝倉や本願寺がやる気だして浅井長政がきちんと反信長で動いてくれれば信長の天下は無かった 信長は馬回り以外に直属軍いなか
ったからね。しかもたくさんいない。
そりゃ謀反起こせばやられてしまう。
なんで親衛隊作らなかった?
秀吉でさえ、七手組いたのに。
>>348
そう。
応仁の乱以降途絶えていた伊勢神宮の式年遷宮を復活させたのは信長。 信雄は無能無能と言われてるけど家を残した兄弟で一番優秀(無能だけど)
センソー、センソー、人の歴史はセンソー
俺達は、北の核でやけどする運命さ〜♪、べろんちょ
>>35
地方の野蛮な武将が日本を統治するより公家に近い高貴な室町幕府の再興こそが世の安定をもたらすと考えたのでは?
織田信長みたいな野蛮な武将が将軍とかになると
誰でも将軍になれてしまうことになるから
その後の治世が保てなくなる恐れがある 信長親子がたった2000人ぐらいの部下を従えて京都に宿泊
自分は1万人以上の部下を従えてすぐ近くにいる
光秀じゃなくても信長を襲いたくなるよなあ。
信玄は天下を獲る器じゃなかったよ。
もし信長が信玄の立場だったら諏訪に遷都して
強引に甲斐の武将を地元から引っぺがして独裁制を完成させてた。
秀吉死後に豊臣を乗っ取ったのが淀 江戸で大奥を支配したのが江 最後の最後は女が凄かったな
>>346
それにしては尾張や美濃が政治の中心になった事が無いな まぁ当時の感覚からしたら「将軍」「朝廷」は無視できない
鎌倉にしろ室町にしろ名目のお上を頂いて成り立っているわけだからな
目指す場所が封建か集権かの違いはあるだろうが天下に号令をかける意思のある奴は確実に畿内の制圧を行う
信長は早く動けたというのが勝利のポイント
今の感覚だと好き勝手にやれば良いと思うかもしらんが別以外でも新事実でも何でもないと思うがな
>>367
そもそも信長は平家の血筋だから将軍√は無理だった気がす >>369
自己正当化のための最後の悪あがきだったとみるのが正しいんだろうね >>350
義昭を持ち出して思ったのは光秀は老人になって
近畿から追い出されて死ぬの嫌だったんじゃねと
当時の感覚から都落ち感覚は尋常じゃないほどあったから >>351
関東は江戸中期まではダメな地域
だろ?関東ロームのため生産量
なんてクソだったはず
家康が何十年かけて治水やって
なんとかなった
>>354
だから信玄は農繁期でも戦して
略奪で飯食ってた。農業だけで
はとてもー >>370
今生まれて初めて長野来たけど
山国と思い込んでたけどすごく広い盆地が平野みたいに広がってて面白い土地だね
まぁ、日本アルプスの中に盆地が島みたいになってるとこだから
統一大名が出なかったのも納得したがw >>330
領国内で石見銀重金主義派と瀬戸内重商主義派で対立してだろうし仕方ない とりあえず字綺麗だな
内容に関してはこれだけでどう思ってたかなんて分からんから保留
>>348
信長は平家筋だから将軍になんてなれんし幕府なんて開けねーよ >>377
家康も本来無理なハズなんだがな
信長って武力で公家や皇室に圧力かけてたから将軍職与える流れになってたと思う
だから逆に殺されたんだと思うわ 秀吉返り討ちにしてたら、、光秀と室町幕府とで世界に打って出て貿易大国になってたのか
>>383
十カ国と国境を接する地域だから統一するのが大変だったんだよね。
信玄も信濃を統一したのは晩年だし。 今で言う、ミンス主義の敗北がー
とかいっちゃうのとにたようなもじゃないかね
ほぼスルーされたとおもわれ
何はともあれアホの秀吉家康黒幕説厨が消えて良かった
>>368
ならねえよ。
目の前に商品が置いてある。店員は離れたところにいる。
ポケットに入れるのを誰も止められないっ!!!
ポケットに入れた後のことは、入れた後に考える ← まさにこれ >>368
だって信長が家康暗殺を企んでたとすると、わざと手薄にして畿内へ誘き寄せる策だから。
供応役の光秀が暗殺実行者だったはずが、その盲点を突いた。 >>387
その基本概念を圧倒的な武力で公家を黙らせてたのが織田信長という人物 >>374
関東に比べるとやや狭い
畿内に比べると(淀川+瀬戸内海と条件揃ってる機内に比べ)水運などの物流面に問題がある
てわけで、どの時代でも2~3番手にしかなれないのが濃尾地方やろね >>383
信濃は三つの平は肥沃の地と善光寺辺りの小学校で校歌として歌われる土地柄だと司馬遼太郎が書いてたなあ >>374
応仁の乱で終結を決定付けたのは
美濃の土岐氏の家老齊藤氏の上洛。
齊藤が周せんして足利義視引き取る
話であっさりケリがつき終了。 毛利は史実通り様子見がベストな選択だろう
何せ天下取りなんて夢見るんじゃねーよって元就が遺言してるし
>>382
佐竹&里見「未開発の関東なんて楽勝だと思っていた時期が俺達にもありました…」 信長は普通じゃないから平家だけど将軍になって織田幕府で実質日本支配だろ 公家なんかになるかよ
信長は日本の張飛だろ
酒飲んでしこたま部下を殴った挙句
刀を預けてベッドで寝てしまう人
足利義昭の強かさは以前から言われてたしそもそも明智光秀は足利義昭の部下だった。
明智氏自体が足利体制の守護大名だった美濃土岐氏の一族だし
これは面白い事になったな
当時、足利義昭は毛利家にいたんでしょ
秀吉と戦ってた毛利家は、全部知ってたんだよ
>>339
関東がそうなったのは江戸時代中期
では?あの当時の関東は何もない
田舎 >>374
今でこそ治水がしっかりしてるが
当時は大洪水多発地帯
栄えるわけがない 禿明智の大義名分が将軍家再興とか草生えますわ
貰った方も「こいつ噂通りマジで呆けてきてるやんw取り敢えず適当に口裏合わせといたろ」と大爆笑やろな
禿明智がボケてた説があるけど信憑性強まった感
>>395
だから公家に媚びて将軍√なんて信長はやらんよ
やるなら王になる√やろ
まあその前に息子に家督継がせて隠居√だろうけど 信長はローマ教皇の家臣としてフィリペ2世より上と自負していたらしい。
安土城の天守閣は大聖堂を模した、ドーム状に鐘と言う構造になっている
まーたバカな学者もどきがアホな事言ってるよ
今までも散々他の書状で光秀は味方に付けるために「自分がトップに立たない」とか言ってるんだよ
相手にどう言ったら効果があるか、相手によって誘い文句変えてるし
本能寺の変は
日本にとって太平洋戦争よりも影響が大きかった
世界線が360度変わっただろう
信長って朝鮮からの渡来人だったらしいじゃん
だから光秀は謀反 ネトウヨみたいなやつだな
>>406
そっか、江戸時代に薩摩藩に堤防作ってもらったんだった 明智光秀とか頭おかしい三日天下の武将のイメージがあったが覆せそうで良かったね
光秀はもともと頭のなかは古い。
てかなんでこの記事、アタマんとこド下手なんか。
もっとするっと書け。頭わるいのか
あの当時美濃は京都除けば
大都会だよ?
国府あった川名は西の山口と
比較されるくらいの都市。
>>405
関東が本気だしたのは開発後だけどそれ以前も八州統一時点でかなりの国力だよ
少なくとも日本の中では有数の国力だよ 織田信成とかいう気持悪いゴミいるけど信長もあんな感じだったんだろうなあ
本能寺の変♪ 本能寺の変♪
ほんの〜じ、の、へん♪
>>406
戦国時代から江戸時代初期がちょうど転換点なんだよな
洪水のリスクが比較的少ない内陸の盆地が人口や文化の中心だった日本が
戦国時代以降に治水技術が発達して、江戸、大阪、名古屋のような大河川河口付近に大都市が生まれるようになる
並行して日本の人口も3倍近くに急増してる 毛利は織田信長との戦いに負けたが謀略込みでは戦争で勝ったということか
>>29 調べてみると翌日には、もう
山崎の合戦だしな。
ともあれ、今回は返事を書いただけだから、
軍勢を派遣してもらうには急すぎる。 >>408
> まあその前に息子に家督継がせて隠居√だろうけど
確か長篠合戦のあたりでもう既に信忠が名目上の織田家のトップだったんじゃないかな >>406
それでも大都市として山口と並んで
有名だった。美濃の国府は >>421
そもそも信長は朝廷との中はあんまり良くなかったからなというか軽視してた
朝廷との橋渡しに公家との関係&経験ゼロの佐久間を起用したほどだからなw >>413
テレビで本人って言ってたよ
鑑定が正しいかどうかは知らん 羽柴殿、果たしましたぞ! 光秀
↑こんなんまだですか?
>>423
無能かもしれないけど根性はあるよな義昭
まぁ、斎藤龍興とか今川氏真とか、無能と呼ばれる人ってよくしらべると
ものすごく根性あるんだけどね、この時代の人って >>404
事前に知っていた毛利が安国寺恵瓊を使って
秀吉に早くから教えていた可能性もある 当時は、戦をするための大義名分みたいなのは、必要だったんですかね?
戦国時代だから、好き勝手攻めても許される感じ?
>>433
朝廷公家との橋渡し役の中心人物が明智光秀だったのでは? >>408
足利義満の例にならい
親王ねらいでは?正親町天皇は
退位してもらい次の天皇の義父
みたいな地位狙う。 仙台も東京も名古屋も大阪もみんな江戸時代以降に栄えた街か 札幌横浜なんて明治以降
京都と博多は流石だな 博多は戦国期には廃れて官兵衛が再興したみたいだけど
神戸広島はどうなんだろ
>>440
なんか理由が無いと家臣が付いてこないだろう。 足利の幕府に求心力が残ってるどうか、ほんの少し冷静ならわかる
突発的犯行説を補強する物証にしかならないな
>>431
ボンボンなイメージだけど武田攻めの時は武田領の中でも重要な城攻めを1日で成し遂げた実績があるからなぁ
本願寺で死ななければ歴史は変わっていたかと >>441
朝廷公家との交渉はほとんど村井貞勝に一任してた
光秀はあまり関わってない なんという厚かましさ、そして恥知らず
信長の下だからこそ組織ナンバー1にまで出世させてもらえてたのに
他所なら譜代の臣下以外は全く上に上がれんのだぞ
>>435
そやな
長宗我部ともカンツーの土橋くんだしな >>440
大義名分は必要だけど本当に必要なのは力
勝てば官軍だからな まあ結果として、最後には徳川家康が天下人になり、
家康の血筋が270年天下泰平が実現したのだから、
光秀がガイキチ信長を殺したことはよかった。
吉宗以降はガイキチ織田の血は一滴も入ってないんじゃね。
>>441
その前が佐久間
んで見事に公家の反感を買ってしまい後のリストライベントの一因となるw >>447
神戸は平清盛からだからかなり古いね
でも、日本の都市のほとんどは安土桃山時代以降の建設
治水技術の進歩で平野部の開発が進んだ成果だ >>452
武田信玄みたいに真田を重臣にし
た例もある。 江戸時代は治水の歴史でもある 利根川を大規模に開拓して今に至ってる。
太平の世であぶれた武士たちをうまく労働者にもできたしコメの増産もできて江戸が栄えた
>>436
自分と協力して秀吉のことを挟み撃ちにしちゃおうよ
どうよ?毛利君!
あなたの心強い友人、光秀より愛をこめて♥
・・・てな手紙は見つかってなかったっけ? 怨恨説から抜け出せない行き当たりばったりに思える。
カッとなってやった感。
>>452
財務省から民間に派遣された官僚が派遣先で重用されてたが、財務省の指示で会社潰したようなものか >>461
日本の川のほとんどは江戸時代の治水がそのままって最近問題になってるな 母親が折檻されて亡くなったのを恨みに思ってたとかノッブが世界に羽ばたいちゃうと自分の傍からいなくなっちゃうからとか
謀反の動機が諸説あったけどこれでまとまりそうやね
細川・筒井「は?おまえ何殺しちゃってんの?誰のお陰でここまでこれたんだよ」
明智「い、いや・・・落ち着いたらオレ隠居するから」
明智「ちょ、ちょっと聞いてる?じゃあ室町幕府再興っていうことで」
明智「誰か味方になってえええええ」
>>462
戦時も無難にやりくりしてる時点で信忠の方が上 つか部下や兵士も信長討つのに従うわけだから
もともと討つ気はあったんだろうな
完全に行き当たりばったりだよなこれ
本能寺の前でも直後でもなく結構たってからって・・・
俺の光秀評価が下がってしまう
>>469
信長の忍びの光秀で脳内再生されたwww しょせん将軍義昭の家臣として上洛した信長は将軍義昭に討たれたか
基本的に、明智光秀は、足利幕府の役人として、
織田軍団に参加していたにしか過ぎない。
領地も家臣も、単に旧幕府のものを再編していっただけ。
だから、信長に出世させてもらったという恩は無いだろう。
>>472
部下には「家康殺す」って説明してたらしい
本当の標的は一部の幹部にしか知らされてなかったそうな >>316
いや、結構前から義昭と通じてそういう動きはあったって話だ
単に信長の身辺が急に手薄になったから一気に畳み掛けた感じになっただけ >>477
とーぜん殺すつもりで動いてたろ
で、家康は有名な伊賀越えで逃げ切ったわけで 後付けの話じゃん。
苦しい立場になりつつあったから、藁をもすがる心境で正当化を図ったというところだろ。
間違って政権取れちゃった民主党が後付けで政策を定めたけど、何一つ実現しなかったのと同じ。
>>476
光秀自身は美濃の土豪の倅でいい歳になるまで浪人だったり足軽だったりしたんだぞ
秀吉とまでは言わないが相当な大出世なのは確か >>476
一方、光秀よりも密接に足利家の役人だった細川幽斎は秀吉を選んだ悲しみ 信長には森蘭丸とイタリア人と黒人がボディーガードだったろ
まあ家柄を考えると野蛮な織田信長なんぞに日本を統治させるよりは室町幕府の再興にかけた方がましだわな
結果もっと酷い家柄のオッサンが日本を統治することになってしまった訳だが
信長軍は、武将の兵士じゃなく、武将に兵士を割り当ててただけ
と聞いたけど、
だったら光秀にいつまでも従ってるわけないと思うのだが
>>485
織田木工も格好いいしね
けど一番好きなのは北条の三つ鱗w 電話もメールもない時代だし
あまりにぜっこうのチャンスがきたら
やっちゃうだろうな
>>472
部下たちはみんな「家康を討つ」と思ってたらしいよ
そしたら自分たちがノッブを殺してたんでビックリ仰天。 >>119
あの時代、みんながみんな本気で天下統一を狙っていたかというと
そうでもないんだよ
要はちょっと領土が広がりゃいい、ちょっといい思いできりゃいい
なんてのが殆ど
せいぜい隣国を滅ぼしてやろうくらいで、天下を
志してた大名が何人いたか クーデターの仲間を募って周到に事前準備していたら
たぶん実行前にバレてアウト
>>445
秀吉黒幕説は梅林寺文書の中川清秀宛の書状があるからあり得ないな
秀吉が黒幕なら先ず事前に摂津衆の中川、高山らを調略してるよ
大返しの道中でわざわざ信長と信忠が生きてて膳所まで退いたなんて嘘までついて、摂津衆を光秀方に走らせないようにしてるし >>468
頭がいい人間ってのは一つの理由で一つのことをするというより
あれもこれも頭を悩ますことがあってこれをやれば全部解決するって理由で大きなことをやるものだよ 黒人弥助「うがーーー」
光秀「こいつは人じゃないから捨ておけ」
ひどい 今なら光秀のSNS大炎上
>>473
側近にはとーぜんある程度根回ししてたろ
じゃなきゃ兵を簡単には動かせない >>486
けど秀吉の功績は凄いぞあれ
センゴクで関白就任イベントを事細かくやってたけどあれが出来るのは正直秀吉しかいないわな 面子説と将来不安説がしっくり
くる
近畿管領だったのがいきなり、
出雲石見の地方大名に格下げ
いまでいうから常務兼本社部長
から取締だけど地方の支社長に
格下げされたようなもん。
そこにいままで担当だった四国
も切り離され従ってた長曽我部は
討伐対象に。面子丸潰れにされた
恨みから信長をってね。
あの時代の日本人は中国人じゃ
ねぇのか?と現代なら思うくらい
面子大事にされた時代ですから。
面子潰されたら相手殺して自分
も死ぬのが名誉とされた時代
室町幕府が再興してたら後世の評価は
織田信長は足利幕府の逆臣
明智光秀は足利幕府の忠臣となる
本能寺の変の光秀、実はお爺ちゃんなんだよなw 死ぬ前に乾坤一擲の勝負だろ
光秀は穏健な知識人だから、苛烈な信長がいつかやらなきゃダメだと思ってたんだろうな
秀吉や家康も内心感謝した筈w
江戸時代のはじめごろまで霞ケ浦は海だったけど終わりごろには湖になっていったんだろ
浅間山の噴火で火山灰が多量に流れたとか環境異変も起きた
首がなかったのが痛かったな、悪魔が死んだか分からんのに光秀には付かんわな
信長自身もミッツが将軍様を連れてきて「こいつを道具として利用して天下獲っちまおうぜ」と
そそのかさなかったら天下統一なんて思いつく事すらなかった。
>>494
そもそも秀吉は毛利攻略寸前だし上手くいけば毛利滅亡後の毛利領ゲット出来る可能性があるしわざわざ信長打倒の博打は射たんやろ >>499
武士の本懐とは、舐められたら殺す!
って最近なんかのマンガで見た >>486
ガイキチの信長の血筋が天下人にならずに、家康の血筋が天下人になったのは日本にとってよかった。
途中秀吉みたいな中ガイキチも挟んだが。 >>404
そしたら秀吉と和解するわけないじゃん
とすると将軍も知らなかったことを明智は誰にも打ち明けずに計画を遂行した >>486
並み居る強者を押し退け百姓出のハゲ猿とうんこ漏らしのタヌキが日の本を治めたと思うと武勇とか家柄とか才智ってなんなんだろうなと思う次第 >>498
家柄最悪の百姓のオッサンが関白やるとか当時の反発は半端なかったと思うわ
儒教的秩序の崩壊やん
下克上が横行し日本の歴史が中国化するおそれもあったよ ノッブが初対面のミッツの突然四千貫を与えて猛烈の寵愛したのは
将軍と出合わせてくれたことだけじゃなくて将軍を使って天下を獲るパッケーフプランを提示されて
「こいつデキル!」と思ったからだぞ。
>>505
それじゃ天下布武の印使用や岐阜改名の説明がつかないじゃん >>38
アホか。そんなやり方で後ろから討ったら、光秀と和睦して烈火の如く怒り狂って攻めてくるわ。 足利家を支持してた上杉や毛利は、それぞれ柴田と羽柴を抑えておいてくれるはずで
光秀にとっては勝ち確定の謀反だったんだな
納得はできる話だが、そうなると裏切ったのは小早川隆景か
義昭黒幕説の補強史料か
しかしこの博物館は、そんな貴重な史料が自分とこにあるのを、
今まで知らんかったんか
穴山bye雪「じゃあ、オレこっちの道から家に帰るわ」
俺が信長だ! 現世に信長は二人もいらぬ!
って流れで謀反に及んだのかと思ってた
>>507
ほんとにそういう時代だから。
相手に馬鹿にされたら相手に
勝負挑み降参させるか殺すかしな
いと当人は一生涯馬鹿にされる。
その上そんなやつはいらんと
奉公先も追い出されてしまうと
悲惨。
中国というよりアラブ社会に
似てるわ当時の日本は。 >>511
けど公家の決まり事を整備して形骸化していた関白の地位を実績ある地位まで高めた間違いなく秀吉だぞ
気になるならセンゴク見てみ? 毛利は元就の長男が働き盛りで死んじゃったのが痛かったな
>>519
古文書って膨大だぞ。「今日の晩飯の秋刀魚が美味かった」なんてしょーもない情報の海に
気まぐれに紛れてる重要書類見つけ出すのがいかに大変か
砂漠の中に紛れた砂金を探すようなもんだろ 禿鼠だって信長様は生きてるぞーって書状出しまくってたし
室町幕府再興するっていう建前で味方を集めたかったんだろ
そもそも織田信長は明智光秀の謀反の可能性に気付けなかったの?
間違いなく敵を数多作ってる人だろうし、人一倍その辺りには敏感だったのでは
テレビぐらいの知識しかないからこの点がよく分からない
>>506
秀吉が韓信の話を知ってたら行動起こしてもおかしくないけどな 本物か偽物か分からんが
本物だとしても、大義名分に足利幕府再興って掲げた文書で味方してもらおうってだけだろ?
>>511
藤原の名家出身の2人がお互いを大嫌いであいつだけには関白をやらせたくないと譲らず関白が決まらなかった。
そこにじゃあ私がと名乗り出て上手く収まったらしい >>27
あほか
ガラシャの最後なんだあれ
その他突っ込みどころ満載だろ >>512
そりゃあ平家の血筋で将軍家とは縁のゆかりもなく成り上がり状態な信長からしたらまさに天からの贈り物状態だったろうなw 公家は戦国時代で没落してたから金が欲しかった 秀吉は家柄が欲しかったんだろ
両者の利害が一致
>>525
それを無理やり矯正したお犬公方綱吉は偉大よの 発見というより朝廷側が隠してただけだろ
ホント公家は屑だなぁ
>>118
6月2日未明の事件を
秀吉は3日深夜または4日未明までに
知っていたが、200キロの距離を
たった2日で伝達したことになる。
しかし、もっと遠い北陸の柴田勝家でも
4日には情報を入手している。
よって、伝達速度は1日100キロほど。
徹夜で馬を走らせたと思われる。飛脚の中では
最もコストのかかる伝達の仕方だから、あまり一般的ではないが。
(馬よりも人間が走った方が値段が安い。ただし馬よりも遅い) 信長は実質、イエズス会の操り人形。
ローマ教皇の忠実なるしもべ。
それに対して、明智家は幕府代々の近習。
いつか信長は始末しないと、
日本にとって大きな災いになると思っていたのは間違いないだろうな。
>>533
サイコパスの気味があるから気づかないんじゃないかw 信長は共感力が足りない >>512
幕府役人だから朝廷との交渉やれ
る。
尾張弁で公家相手に話ができる
わけなく。あの当時言葉ができ
ることは特技だったからな。 >>539
利休の最期もだが、そういうディテールの話でもないだろ 本能寺の変で信長は二百人ぐらいの兵しか連れてなかったらしいけど
そんな少人数で移動してたら襲われて当たり前な気がするけど、その辺がよくわからんな
それとも普段はもっと大人数で本能寺はたまたまだったのか
結局300年後に毛利と島津が天下取ったんだから当時の判断は正解だったってことだな
>>507
そらそう。力で領地支配してんだから舐められたら終わり。
マフィアやヤクザ等の抗争でも見れる全く同じもの >>515
光秀と和睦って秀吉が?
面白い展開だがそれで明智秀吉が有利になるわけじゃないけどな
単純に物事考えすぎ 光秀が攻めてきたのを知った時の信長の「是非も無し」というセリフが
ますます深い意味を持つ言葉になった
600年も昔の事がわかるなら、慰安婦問題も真相がわかるだろ?
論文で発表して、世界に正式に歴史を認めさせろよ!
>>548
「へうげもの」では秀吉が本能寺で信長を一刀両断にしてたなw >>529
印とか書名である程度のカスは省けるでしょ? 次の大河狙ってるな
井伊でもなれるならって思ってそう
>>519
よくある話。寄贈された資料は
金がないから編集されずに放置さ
れてること多い。
それを学者が発見という形で
見つける。結構手間なんですよ
資料の編集って。 >>14
兵農分離された織田軍と農業兼任の毛利軍の違いが解らない馬鹿。
追撃追撃言ってるが本拠地からまとまった軍を万単位で何百キロも動員出来たのは織田だけ。
籠城で周りの農民かき集めてるのに追撃なんかしたら兵站が持たないし、自分の土地を守るから戦やってる農民は余計なムチャすれば直ぐにイッキを始める。 >>544
明治の時実験してるけど、当時の人間の走る速度は長距離では西洋馬より早いぞ
江戸時代の飛脚みたいに人足が褌いっちょうで走るのが最速
途中の宿場で交代要員に変わる駅伝方式だとなお高速化が可能 >>558
朝鮮のやつなら単なる捏造だから朝日に責任取らせた方がいいぞ >>538
名乗り出たというよりはお前やらね?みたいな形。いわゆるタナボタ状態。
けど公家の政争に巻き込まれる危険性を省みずに逆に公家に乗り込んで公家との論戦を制覇して決まり事を整備して今までお飾り的な役職だった関白を実績ある地位に整備し直した功績は秀吉しか出来なかったと思うよ 光秀は統失か何かだったんじゃ無いかと思ってるんだが
つまり誰かのやる事なす事全て自分を害してくるって思い込む状態。
転封も信長が光秀のこと信用してたからだろ
石見に何があるか考えてみれば分かる。
そして山陽道に誰がいたかということも含めてみれば筋の通らない話でも無い。
しかし光秀はそれを信長が自身を切り捨てる兆候だと受け取ってしまった。
その結果があのガバガバ本能寺の変
ノブナガ暗殺後10日後の書状ってか・・・明智光秀の三日天下って嘘だな
細川はこれに乗らなかったおかげで現代まで足利家を残せたんだよな
どっちが忠義者だろう
>>549
自軍の勢力範囲内での移動だったからだ
それと側近に寝返られたら防ぎようがない
信用出来るから側近なんだし 信長が生きてれば、天下統一のあと
すぐに朝鮮・明の征服に乗り出していただろう。
信長は常に最前線に首都を持っていくから、大陸進出したら
そっちへ首都を移す。
支配地は楽市楽座、移動は自由で、半島からどっと人がなだれ込んで
日本国内は多民族化。
信長自身も、優秀なら朝鮮人でも中国人でもバンバン幹部に登用。
朝廷に遠慮せず改革できるから日本の支配をあえて朝鮮人にまかせる
ようなこともしただろう。
日本という国は大きくなるが、日本の国柄は失われ
大陸国家のような雑多な国になったろう。
>>533
いろんな説がありそれを色々重ね合わせると
明智光秀そのものには謀反する気がなく
やられそうになった三河の王徳川家康が
光秀の家老斉藤内蔵助(春日局の父)を抱き込んで一発逆転したというのが正しいと思うよ
何か正統派歴史学者の人は徳川家康がらみは話をごまかす人が多いから >>549
アウェイではともかくホーム(のような)とこだからなあ・・・ >>532
将軍を追放した織田家の下で働いていた以上
今更義昭を担いで室町幕府を再興することはできない
しかも義昭を囲っていた毛利を攻めていた
天下を取るためには秀吉としては将軍よりも位が上の関白になる以外ない >>465
コネで採用して取締役にしたら、社長を追い出して会社を売り飛ばそうとしやがった
あわてて出張先から戻った営業部長(執行役員)が事前にそれを食い止める 今の日本に閉塞感が漂っているのは主に公家のせい
信長は光秀が朝廷の犬なの知ってたから冷遇して
自分に寝返させようとしていた
この原本は朝廷側が全責任を明智に押し付けるために
お蔵入りさせてただけだ
絶対に騙されるなよ
天皇制はもう廃止だ
>>523
そりゃ拡大した先に織田が来たんだからできるわけがないw >>551
そのあと日本が吹き飛んだけどな
やはり敗けを知らないといつかガクンと来るわ
家康はその点勝ち負けのバランス絶妙 >>542
高田馬場の決闘みたいに完全に
矯正されたわけではないけどね。
浅野の例の切りつけも吉良が浅野
を他人の前で批判したことへの
恨みとも考えられるし >>564
「ボケ老人の暴走」とか言われてきた朝鮮出兵も、
実は西欧によるアジア侵略から日本を守るための正しい行動だったと分かって
見直されてきてるしね うつけが「余が神である」
とかほざいた時点で完全に見限っただろう
当然の事
>>577
その家康が本能寺の変で大変な目に遭ってるんだが 明智の子孫が必死こいても、謀反を企てた事実は変わらん
三日天下って比喩だぞw
それほど短かったって馬鹿にした表現法だw
三日坊主と一緒だよ
実際の日数が三日というわけではないw
室町幕府足利義昭だなんて、時代遅れな神輿だったな。15代だし、元来が信長の神輿だし。
>>564
たしかに
そうでなかったら植民地化されてた可能性たかいよな つまるところ、現在の9条信者と同じか
暴君だが、仕事できる信長と
仕事できない、しょうもないワガママ坊やの義昭と、それを大事に奉るばっかりで仕事はできる部類だが、融通の利かない光秀のコンビ
そりゃ信長倒しても、協力者現れないワケだわ
黒幕は朝廷だよ。
そしてその密書が表に出ることなどない。
信玄動かせたのも光秀ごと消し去ったのも
朝廷のなせる技だろ
>>577
そこに長宗我部の話を足すと現実味が増す もし仮に初めからそうであったとしても、幕府の権威をどうやって高めるつもりだったんだろ?
>>387
武力で名字まで貰った秀吉位な事は余裕でやるだろ。 >>591
そもそも天下獲ったの小田原に居た秀吉だし >>585
そりゃあ今川や武田や信長、秀吉に嫌と言うほど身をもって教えられたからねw >>565
ちょっとかじった程度でその発言はw
兵農分離してないから兵士が集まらないってあほですかw 光秀の方がかなり年上なんだよな
年上の部下のハゲ頭を容赦なく叩き割るとかキチガイだわ
>>184 信長の朝倉攻めでも、浅井が離反したあと、
では朝倉が追撃をかけたかというと、これが手ぬるい。
追撃をかけたのは浅井勢で、朝倉は10日以上もたってから
ようやく進撃。
また岐阜にたどりついた信長が、浅井へ攻め込んだのは
じつに一ヶ月以上も経ってから。
ようするに追撃をかけるにしても軍勢を動かすのは
日数がかかるってことだな。すぐにはなかなか動けんわ。 >>601
大事にしてたなら目付けに佐久間なんてつけねーよw まあ複合的な理由だったのかもね。
ぶっちゃけ信長さえ倒せれば良いやとしか考えてなかったのかも。
>>586
てか、「舐められたら殺す」って価値観で生きてた当時の人々には
ある意味近代的な人名尊重法令遵守、弱者保護を掲げる綱吉政権への鬱憤があって
それを晴らしてくれた赤穂浪士への喝采が赤穂浪士を英雄に祭り上げたんやない?
もちろん綱吉は赤穂浪士を切腹させるしかなかったんだけど >>563
捏造するにも簡単な手続きだな
下手すりゃ見つけたって言いながら自分で混ぜればいい
どこかで……ゴッドハンド!? >575
朝鮮なんて制圧はできたけど支配までできなかっただろ 明はさらに無理 信長でもできない
中華の秩序は日本式は通じない 日本が無くなる危険も
>>387
鎮守府将軍は?信忠の官名みる
とそれねらいでは? 「それでは団体戦を始める」
織田高校 先鋒羽柴 次鋒信孝丹羽 中堅信雄 副将滝川 大将柴田
明智高校 先鋒明智 次鋒明智 中堅明智 副将明智 大将明智
>>606
朝倉と本願寺が真面目に本気だしていたら第一次信長包囲網戦で織田家は滅んでたよ >>597
朝鮮人にとっては許しがたい蛮行って事にしたいんだろうな
ま、あまりに惨敗しまくって現実逃避したくなるのも分からんでもないしw 漫画とかゲームとかいった創作物で
ことごとく悪役にされる信長氏の子孫の方々は
どういう気持ちなんだろう?
あまり気にしてないのかな?
>>553
四国方面軍が和泉に居るんで迂闊に追撃しても叩き返されるよ 胡散臭いけど
最近よく言う奴が増えてうざい
秀吉が主犯だった説が完全に消えるからいいや
光秀単独犯ということだな
義昭はだだ利用価値としての存在ということだな
と言う答えでいいんだよね?
>>615
それだけ光秀のことを信頼しきってたんだろう 光秀は畿内を押さえようと必死だったけど
逆転の発想で自軍の兵を全員連れて光速で秀吉軍を撃破。
毛利領に亡命して客将として毛利水軍と手を繋いで上洛したらどうだったんだろ?
足利尊氏が九州に亡命して同じことをしたし
源頼朝も伊豆に亡命して同じことをしたよな?
>>553
単純なのはお前だ。
一つの例として出したまで。
言いたいのは秀吉が生き残った時に、皆殺しにする決意でいずれ毛利に攻めてくることが間違いないということ。
その程度の想像も出来ないのがお前と吉川元春。 >>619
センゴクで再評価されたから問題ないです
ほんとセンゴクは戦国ファンにとってバイブル的な存在ですね >>615
信忠は別
すぐなら逃げられたのに、本人の意志で踏みとどまった >>595
そもそも信長って処罰には結構理由あるよな
理由なしで粛清される時代なのに >>583
ちなみに細川護熙は明智(細川ガラシャ)の血は入ってないからね 本能寺は下準備をした形跡が一切ないのが不思議なんだよな
もちろん下準備なんかしたら信長に察知されるリスクが高いから出来なかったんだろうけど
林田力 東急不動産だまし売りFJネクスト迷惑電話6 [無断転載禁止]・2ch.net
元スレ http://mao.2ch.net/test/read.cgi/estate/1502435914/
1:東急不買運動 08/11(金) 16:18 97dKpwBb
東急リバブル東急不動産はマンションだまし売り、FJネクスト(株式会社エフ・ジェー・ネクスト、FJ Next Co., Ltd. 8935、東京都新宿区、肥田幸春代表取締役社長)はワンルームマンション投資の迷惑勧誘電話で評判が悪い。
被害者が怒りをぶつけ、彼らが自ら反省するまでその愚行を晒し続けることを目的としています。さあ、被害者の皆さん!彼らの迷惑ぶりをここに書き連ねましょう!
東急不動産やFJネクストのマンション建設は住環境を破壊する。
ブランズ六番町、二子玉川ライズやガーラ・プレシャス東麻布、ガーラ・グランディ木場などがある。
http://www.hayariki.net/
東急不動産は東急不動産だまし売り裁判において消費者契約法違反(不利益事実不告知)で売買代金返還を命じられた(東京都江東区、アルス東陽町301号室事件)。 省16
572:09/11(月) 08:15 ??? [悪徳不動産]
悪徳不動産
573:09/11(月) 12:01 5GdSqkBk
東急不動産不買運動で検索すると分かります >>608
佐久間が公家との交渉未経験なのは事実かもしれんが、織田家トップの実力者だろ。 >>631
いや信長は戦国大名の仲ではかなり甘いほうやで >>626
何もしないでも秀吉に攻められて滅ぶ可能性あるんだが
秀吉は聖人ですか?
なんて清い心の持ち主なんだろうか >>198 公家は強き者になびく。
自力では武力もないから、そういう伝統
は仕方ない。光秀が信長を討てば認めてしまうし、
秀吉が光秀を首にすれば、秀吉を認める。
公家や天皇はそういう風見鶏。 未だに天コロなんぞ持ち上げて自滅する
ジャップの惨めさよなぁ
>>94
その論でいくと、虐殺の方が信憑性ないのだが >>601
京都で軍事力見せつけて脅迫してただろ。
何れ国内の朝廷にまつわる文化そのものが否定される懸念があったんだよ
安土城後に建つ碑文読めば信長を悪に仕立てたい連中がわかる気がする。 >>635
答えは簡単
今まで騒がれてるような陰謀は無かった、もしくは光秀が関与したものでは無かったから。 >>634
その説もあるけどどうなんでしょあかね?
この手紙からは分からないからなあ タイムスリップできるなら黒田長政が生きてたの知った時の信長の反応みたいな。
あれ?3日天下とか言ってたから6月5日に殺害されたのかと思ってた
そこそこ生きてたんやな
>>613
中華もけっこう異民族に支配されてますが
まあ野蛮人の悲しさか、結局中国式に染まっちゃう。
信長は西洋文明知ってるから、むしろ後進国扱いしたかな 信長は征夷大将軍にならんでも
よかったからな。朝廷にはべつの
将軍号あったからそれになれば
よかっただけで。
じゃあ結局あんだけ裏切られまくったのに将軍殺さなかった信長がアホってことになるんか
>>615
へ?信忠は本能寺には泊まってないだろ
信長が討たれた後に二条城に籠城して自刃してんだし 光秀が信長を討ってからの行動は、昔からよく研究されている
性格的に事大主義者で権威に弱く、自分以外の者を低く見る
信長を討ったのちにまず打つべき手は周辺諸国への挨拶ではなく、
安土に入城して畿内をまとめることなのにそれをしなかった
細川や筒井すら二の足を踏む状況になったのは、
光秀が大義ばかり振りかざして実利をもって味方を増やさなかったからだろう
朝廷筆頭の天皇家は万世一系なので侵すことができない絶対な存在
戦国時代でも滅びなかった。
>>215 関東にも おだ氏 はいたよ。
つくば山麓の小田氏。小者だったけど。 >>655
レスをたどれ
そもそも信長も光秀も天下はとってない >>627
戦国ファンだけどあの漫画大嫌い
通説がどうたらこうたらと作者のドヤ顔が透けて見えて最高にイラッとさせられる >>651
義昭にそそのかされたわけではなさそうだから。
ただのお飾りとして必要としてたみたいな感じじゃん >>654
荒木の裏切りは信長むっちゃビックリしたってWikipediaに書いてあった >>639
仮に大返しの秀吉を背後から襲って秀吉を討てたとして
毛利にどんなメリットが?
光秀は喜ぶかも知れないけど…
秀吉を倒した毛利が更には光秀と決戦して天下取るというシナリオ? 光秀は足利将軍の力を盲信してて「諸大名への根回しは将軍様がやってくれる」と思ってたんだろうな
ところが将軍様は「え!?マジでヤッちゃったの!?」
>>201
その通りだと思う。
幕府再興うんぬんは味方を増やしたい多数派工作のための、後から考えた大義名分 >>226 炭素年代測定で調べるには、
近世すぎて使えない。 穴山梅雪
「なにか騒ぎが起こっているのは事実なようだが、まさか織田が討たれるなんてそのような夢物語はあるまい
この味噌野郎が仕組んで武田一族のわしを結局は亡き者にする気だな・・・
よし、ここは自分はこちらから帰るからって言って別れてやろう
言ってやったら味噌が「ええっ?」ってびっくりしたようなマヌケ顔してやがったw
オレのリスク管理すげえ、オレって有能すぎるンゴwwwwwwwwww」
ミッツ「オメーラ!!将軍様をお迎えにいくぞ〜!」
将兵「ワー」
ミッツ「よしサルも殺したし将軍様もゲットした。この足で京都奪還じゃ〜い!」
↑これじゃ駄目だったの?
>>657
はあ?なにフェニックス様ディスってんだよ >>661
秀吉、明智もビックリしてたからなw
秀吉の助っ人として後ろ任せてたらいきなり毛利側に裏切って秀吉が孤立無援になったからなw 徳川家はヘタレだから公家から嫁を貰って
お山の大将を気取って日本の発達を数世紀遅らせた
信長が天下を取っていたら今頃北朝鮮なんて存在してない
>>662
毛利は義昭抱えてるんだぜ?
光秀の大義が義昭を戻すことにあるなら
毛利は光秀から失った領地+の要求が通る
光秀と同盟組めれば東の脅威は消える >>671
光秀は当初猿よりも勝家の方を警戒してた
そしたら猿の方が早く帰ってきたからびっくり仰天よ >>273
南欧グローバリズムの後押しがあったから 長宗我部との約束を反故にして攻めるのは
毛利や上杉や紀州の連中を潰してからでも良かったんじゃねえの?
あれが原因で明智は裏切った可能性高いし
明智は紀州攻めでもやらせとけ
信孝は父や長兄と一緒に毛利との最終戦に参加させ
そのまま九州方面平定の総大将でもやらせとけ
秀吉の陰謀説唱えてる基地外がやっと死滅しそうで何よりだわ
あとアンチ光秀も涙目だろうな
野心家の光秀が主君信長を打倒したという筋書きが崩れたから
普通に将軍家に対する忠義者でワロタわ
>>661
浅井の時もマジやばかったっていったらしいからなw >>635
おそらく優柔不断でぎりぎりまで迷ってやっぱりこのタイミングしかないって決断したんじゃないかな。 >>658
591 名無しさん@1周年[sage] 2017/09/12(火) 12:40:21.54 ID:bZBtWOQh0
三日天下って比喩だぞw
それほど短かったって馬鹿にした表現法だw
三日坊主と一緒だよ
実際の日数が三日というわけではないw
602 名無しさん@1周年[sage] 2017/09/12(火) 12:42:21.92 ID:wVCq/7mm0
>>591
そもそも天下獲ったの小田原に居た秀吉だし
お前は基地外かよ死ね つまりバタフライエフェクトみたいなもので
お前等が天コロなんぞを持ち上げてるから
ミサイルが飛んでくるわけだね
自滅ジャップてのはそういうこと
>>659
まあけど今まで注目されてなかったところをクローズアップしてくれたから有り難いよ
しかもセンゴクの人物は格好いいしね
島津とか武田とか今川とか最高やろ やらかした後で適当にでっち上げた大義名分だろ
書状は本物でも動機は本物でじゃない
>>660
そそのかされるって言うか、そもそも光秀は義昭の家臣。
通じるものをずっと持ちつづけてたんだと思うぞ >>651
殺さなかったというより殺せなかったんだよ
義昭は将軍であり信長の主君でもあるからな
義昭を奉じて上洛し義昭の名のもとに諸大名を臣従させようとした信長では従来通りの京都追放が限界 >>669
50年100年の差が問題となる邪馬台国問題に、それくらいは誤差の範囲内のC14法の結果で断定するのが日本の考古学のレベル >>681
浅井ん時はマジでやばかったからなw
気持ちはわかるw 秀吉の本能寺の変の機転とその後の織田家での家督争いの政治的駆け引きは恐るべきものが有るよな
明智ごときでかなうわけ無いわ
荒木が謀反した理由は分かるよ。
直前に丹羽氏勝の部下が誤って信長が鷹狩で通る予定の路に大石を落とした事で
そいつを即座にぶった斬って、しかも全くのとばっちりで主人の氏勝に
「おぬしはワシを暗殺しようとした!」と激怒し放逐した。
荒木の部下が兵糧の横流しをした事で荒木も確実に放逐対象になったと確信しても仕方がない。
>>682
あと知りたいのはそこだよな
単独犯てのはまず間違いなさそうだから 秀吉は黒幕ではないだろうけど
光秀謀反の動きは察知して探ってはいただろう
山県昌景(140cm未満)「ワレこそが武田家中一の猛将!」
豊臣秀頼(196cm/160kg)「早死するぞチビ」
>>680
忠義者かどうかは分からない
謀反を起こすための大義名分って可能性も大きいから >>684
天下を獲ったのは、そのとき小田原に居た関白秀吉
だれも反論できない絵歴史的事実だ
おまえが気違いだろ >>681
浅井は義理の弟としてかなりかわいがってたから信長としても衝撃でかかったろ >>692
その後の対柴田、対家康もスゴかったよなw 秀吉黒幕説の根拠も単に中国大返しによる移動時間が異様に短かったからという程度のものだったしなぁ
ただ秀吉にしてみれば過去に荒木村重の謀反で自分の軍が遠征先で孤立してしまった痛い経験があったゆえに
また後方で謀反があっても退路が絶たれないように準備していただけに過ぎない
>>701
謀反起こさずにいたら
本能寺もおこったかどうか 状況をみて「今なら信長を殺して義昭を都に戻せる」突発的にやったんじゃないかな。それなら毛利や義昭と連携できてないことにも合点がいく。
本能寺の変の時に秀吉が小田原に居たと思ってるアホがいるのか、笑
信長は、桶狭間、浅井裏切りなど絶体絶命を
なんども切り抜けて、どんな窮地になっても俺は死なないとかえって思い込んじゃったかな
信玄、謙信がこれからやばいって時に勝手に死んでくれる。
俺は神の子、不死身だという過信が無防備な宿泊になった
>>699
島津の撤退戦のように殿が死にまくれば逃げれるだろうな
これを秀吉軍の崩壊というけど 佐久間父子「ノブはいつか誰かにやられると思ってました」
>>639
で?
実際に位人臣を極めた秀吉は毛利をどう扱ったよ?
本当お前はバカだな。 まだ信長の少し前の時代は、室町の名残が少しあったからな。
年寄りの光秀ならそうとうあるだろう。
信長なんて乗っ取り測った司馬一族ようなやつだし。
>>700
小田原から新幹線で中国まで移動してそこから徒歩で京都まで移動したんですかね…? >>701
ちよっと家臣のような扱いしてたからあいつ怒ったのかなあ?と言ったらしいw 近年、信長は天下布武で幕府の再興を目指していたとされていたが、
やはりそうではなかったということになるのかな?
元々光秀は義昭の家臣で、スパイとして信長の元に送り込まれた。
一度は義昭を見捨てた朝廷も信長の横暴さに自らの危険を感じ取り、公家を通じて義昭や光秀に働きかける。
一方、人を見る目が確かな秀吉はそんな光秀の動きを察知し常に監視を付けておいた。信長の備中高松城までのルートで何かが起きると感じていた秀吉は毛利との戦いよりも大返しの準備に重きを置いた。
有力な協力者である長曽我部を失っては大勢に影響が出るため、実行がその日なった。
朝廷との密約を公にできなかったのが光秀の敗因。
家康は呑気に少人数で大阪に居たので黒幕ではあり得ない。しかし、このどさくさ紛れに武田家滅亡の功労者である穴山梅雪を惨殺している。
>>708
いや、信長はある程度警戒してたと思うよ
本能寺はある程度防御力あったし家臣も数百人つめてた
でも信長が警戒したのは今で言えばテロやゲリコマ攻撃くらいのもの
まさか正規軍一個師団が戦車まで持ち出して襲ってくるなんて想定してない
例えばホワイトハウスだって、ゲリコマ攻撃くらいは撥ね付けるセキュリティ体制と思うけど
正規軍が裏切って襲ってきたらどうしようもないわけで いつでも京から逃げれる状態の信忠が、二条城で自刃したけど
もし京から逃げて各地にいる織田軍団を編成して討って返してきたら
ということまで光秀は想定していたかな
やはり無計画の思い付きで謀反を起こしたのが正解だろう
室町幕府再興は大義名分の後付けだろうね
>>709
宇喜多の後詰もあるからそう簡単には行かないし追撃の準備もなかったからね みんな俺の説を聞いてくれ
ノブやんか本能寺の変にあったのは大好きな敦盛の歌詞も同じ人生にしたかった為にワザと隙をつくった
>>21
そもそも光秀の部下や兵士の中にも信長を攻めているとは分かっていなかったヤツが相当いるんだろ
さすがに光秀ほどの男がこんな勝ち目の無い賭けをするはずが無い
と言う事は、信長自体の殺害が目的だったと見るべき、信忠への包囲は甘かったので
なにか信長がそのまま生きていることによって、光秀にとっては命と引換にしても受け入れられ無い
トンデモ無い事が行われることを知ったんだろう。
光秀は元々ただの下っ端で、豪族や武士とも言えず、若い頃の価値観のまま老年になった人物というのがポイントか 三好や松永でさえ将軍を軽んじて殺したりもしてるから信長だったらそれぐらいできて当たり前と考えるのはダメ。
信長は賢く力があっても田舎者だから近畿で生まれ育った三好や松永と違って権威を有難がった。これは上杉謙信とかも同じ。
いまだって東京で生まれ育った人間が有難がらない形式的なものを田舎から出てきた人間はありがたがってしまうように。
>>724
そもそも光秀は信忠が信長と一緒に京にいること自体知らなかったとか何とか 本能寺の変の前後は人間の性格性質とか色々考えるとこがあって興味深い
光秀のような人がこれを起こしたのも心理を考えると時代を超越して
現代小説のように思う
「本能寺が変」
そのとき京都・本能寺に宿泊していた信長がそう言った。
見るとなんだか傾いているようないないような。
調査を命じられた明智光秀は、その原因がシロアリ被害によることをつきとめた。
「敵は本能寺のアリ」
光秀はそう言うとさっそく駆除に取りかかった。
当時、シロアリ駆除の薬なんて便利なものはないもんだから、被害にあった柱を片っ端から松明であぶってシロアリを追い出すという地道な作業を行った。
ところがそのうち柱に火がついて燃えだしてしまった。
「やべっ、信長様ぁ〜!」
本能寺は信長ごと燃えてしまった。
事情を知らない豊臣秀吉が信長様の仇と明智光秀を討ち、天下を取るきっかけとなったのは言うまでもない。
>>700
中国地方に小田原って町があったとは初耳だw >>725
宇喜多なんて調略されても不思議じゃない
撤退戦は簡単じゃないよ
理由が理由だしな >>698
光秀は元から将軍家に尽くしてきてたし、大義名分としてってのは考えにくいだろ
他の武将なら大義名分として利用しそうだが そもそも信玄は自分の影武者をたくさん作っておいて
側近にすら自分の居場所を常に隠してたわけで
この警戒心の一部でもノッブが持ってたら死んでなかった。
信長はとことん実利重視したのに対して
光秀は京都や幕府という権威重視
毛利の土地くれてやるのも信長的には良い話が
光秀にとっては最悪の結果
とことん相性悪かったんだな
光秀は汚れ役を受けただけだろ。
そして捨てられたんだよ
>>603
皆滅んだね
今川だけお情けで残されたけど >>736
まぁ屁理屈捏ねればそうなんだろうけどなw >>742
京都本体を守ろうとするから駄目なんだ
山崎で戦えばある程度守れるんだよ >>719
義昭追放までの大義名分は室町幕府の再興だよ
義昭追放により織田家による天下(畿内)簒奪になった
信長自身が上洛前から義昭の追放まで考えてたかは分からない >>182
古書店で落合信彦のケネディの暗殺の真実がどうたらこうたらっていう書籍があった
ノビーの事を信じていいのかどうなのか判断できない 光秀の後先考えないクーデターに変わりないけど秀吉の反応の早さが知ってて放置した説は拭えない
>>737
Qべえみたいなやつだろうな
光秀は魔法少女。どう転んでももう駄目だと絶望しちゃったの。 美濃が守りに適さないってあのノブやんが10年近く平定出来なかったのに 稲葉山城は天下の要害ぞ
>>197
へうげものは創作過ぎないか
全部あのままというのはなあ >>751
アメリカマンセーのノビーですら、もうアメリカは終わりと言い出した >>747
いや当たり前の話なんだが
毛利が義昭を大儀に明智と呼応すれば挟撃できるし
お前が言ってるのは毛利が静観を決めた状況での話だろ >>754
そういうの言い出したら京都だって比叡山があるから守りは固いとかいうようなもんだ >>738
連携取れてなかったみたいだし、どうやら突破的な犯行だったみたいだし。 幕府再興を掲げさえすれば、賛同者が現れると思ってるあたり、光秀らしいっちゃらしいな
>>646
一言そうか
としか言わない気がする
内心すげーほっとしてても >>758
いや全然
浅井朝倉が比叡山に篭った時に京都の守りがヤバくなったか?
お前ってこの世で一番頭悪そうだな 多分、このハゲーーーーーって言われた事の恨みで謀反を決意したんだろうなw
>>758
南北朝の頃とか
京都は守っちゃダメだって痛いほど
教訓残してるのに >>553
そもそも毛利は本能寺の変を知らない
知った時点で秀吉は既に山崎で明智対峙する直前
この時点で兵を起こして京都まで攻め上がる事が出来ると思っているなら、それはゲームの世界だけ
当時の軍はそうホイホイ大遠征できるようなもんでは無い。
ましてや秀吉の侵攻に備えて兵糧戦やってる途中だし、秀吉の謀略の可能性も捨てきれない
そもそも明智と秀吉が共倒れしたとしても、それでも織田軍団は数でも石高でも戦闘力でも毛利を上回っており
のこのこ中央に出て行くのは自殺行為
明智と手を結んだとしても無理だし、そもそも何の外交ルートも無い明智とそんな短期間で意思疎通して連携するなどと言うのが無理
携帯電話でもあれば別だけど。 >>756
ノビーにまで見放されたら本当にやばいなアメリカは・・・・ 信長が天下統一してりゃ
朝鮮出兵もガチで行ってたろうし明や騎馬民族も平定して東洋統一やれたかもしれんなあ
子孫が有能ならそのままムガルやペルシャ、オスマントルコ、欧州諸国などを潰して世界征服で
>>766
ほぼ秀吉が知った同日に毛利も知ってたから >>14
毛利は光秀が謀反成功させたか確認してからじゃないと動けなかったんだろ
毛利に知らせようとした密偵を秀吉側が捉えたから知るの遅れたんじゃね >>768
秀吉ですら、世界情勢的に日本に篭ってるとやばいことになるってふいんき嗅ぎ取ってたのに、なんで家康は鎖国しちゃったかなあ >>749
義昭がアホすぎて結果的に追放になってしまった感じかな
大義名分や人からの評価を重視する信長としては最後の手段だったかと >>757
>明智と呼応
丹羽長秀の四国方面軍を放っておいたままそれが出来ると思ってんのかw
お前は本能寺直後の各勢力の配置図でも見てこいよw >>627
画がキモすぎて…
上杉家中がロシア人みたいなの >>755
本能寺で信長真っ二つになってくっつくとかギャグあるしな
清正は現代に実在してるし 室町幕府って、織田信長が終わらせたのか(´・ω・`)
黒田如水はいつか明智裏切るかもしらんなと思ってた節あるよね
秀吉の大返しの立役者だし
その後の手際めっちゃ良かったし
光秀は土岐源氏の流れをくむ由緒正しい血統、
宮中行事や作法にも精通し当代きっての歌人と称されるスーパーインテリ、
前川製作所の御曹司で東大出のエリート官僚だったビーチ前川みたいなもん、
信長は何処の出だかも定かでない田舎豪族、発想や行動は天才的だったが無学で粗野、
亀田のオヤジの部下として前川が働いてるところを想像してほしい、
しかも同僚で浮浪者あがりの秀吉が自分より出世してるときた、
秀吉が中国攻めを任されて自分は本拠地亀岡を取り上げられて鳥取へ行けと言われて
キレてしまったんだろう、発作的に。
関係ないけど最近の戦国時代ベースの漫画で薩摩というか島津がバーバリアン扱いされているのは何故なんだろうか
>>769
それは後知恵で言ってるだけで、確信してるわけでは無いから 毛利とってみれば「信長が死んだってことで秀吉軍が撤退する」という話事態がおびき寄せる罠かも知れんしな
>>773
状況が変われば情勢も変わる
と普通は思うけどね 信長は義昭を追放する寸前まで私が至らないのが一番いけないのですがどうか他国を使った策動をおやめ下さいと
ちょー頭を低くして義昭に頼み続けたからな 鳴かないホトトギスを殺しちゃうような性格じゃない
もしかしたら家康より我慢強い
>>780
知ってたよ
だから吉川が追撃なんて話がでてくる >>763
志賀の陣じゃ信長が偽装とは言え降伏したんだがw 甲州崩れの後
殿、苦労した甲斐がありましたな
甲 斐 だ け に
つった後にノブにボッコボコにされたのを恨んでの犯行って聞いてるけど
>>779
実際そうじゃん
日本中の地域別な民族性を書き残した「人国記」によると
人として最も大切にしなければならないことって質問に薩摩隼人が選んだ第一位が「戦場で死ぬこと」だぜ
当時の武士からもキチガイ扱いされてる >>771
鎖国で300年の太平築いたんだから十分だろ
300年後以降のことまで考えろってか
一番、警戒すべきなのはキリスト教を尖兵とした文化侵略で、国内を分断して侵略されることであって
国内を一枚岩にするか、少しの隙も見せずに外国勢力を徹底的に排除するかしてれば
物理的に日本侵略はほぼ不可能なんで、そこで鎖国政策をした家康の判断は間違ってはいない >>786
ちなみに四国方面軍には神戸(織田)信孝がいるから
畿内掌握も出来ていない明智にとっちゃ秀吉よりも目下の脅威だよw 光秀の最期って実際どんなだったんだろ。
合戦直後の深夜で落ち武者狩りのキチガイがうじゃうじゃしてる中、
お馬に乗ってパカパカとアホみたい移動するわけ無いし。
やっぱ連中に自分から名乗って金品差し出して警護を申し出たところを
フルボッコされたってのが有力なんだろうか。
天王山がなかったり明智が勝っていたら、明智は室町幕府の中で鎌倉幕府でいう執権とか
ヨーロッパの王国にいた宰相みたいなポジションについていたのかな
名門の再建が目標なら朝鮮や明に出兵までしてないかも
外交政策や交易方針によっては、時代の流れが全然違っていただろうな
>>794
まぁどこに誰がいたか見て毛利が追撃したらどうなるか
考えてみるといいんじゃね
それでその結果は君の中にしか存在しないもんだ >>787
なお配下武将の馬が欲しくて我慢出来なかったもよう >書状は天正10(1582)年6月2日の本能寺の変から10日後の12日付で、
この手紙を書いた翌日、光秀は山崎の合戦で敗北、非業の死を遂げるのだから
虚しいクーデタだったね
>>788
確かに出てる
でも、小早川は信憑性を危惧してたね
毛利のこの時の選択は仕置きだったみたい
毛利領内で裏切って秀吉軍に付いた連中は、突然の秀吉軍撤退に顔面蒼白だったろうなw
裏切った毛利領内の仕置きはエグかった >>797
そういうのは追撃を主張する側がやるんだよw 信長だって最初は足利義昭押し立てたように大義名分てのは必要だからね
自己正当化というそれだけの話でしょう
>>779
島津は由緒正しい家柄だが、薩摩の土着民は蛮族そのものだろうなあ。朝鮮系の血も大分混じっているだろうし。エンガチョ まあ光秀が当時60歳ならさもありなんてとこはあるな
毛利家は「普通ならば」って当たり前の感覚で見る方が間違い
毛利は関ヶ原でも、幕末でも意味不明な行動が多すぎるだろ?
隼人は大和とはちょっと価値観が違うので(それが先天的か後天的かはわからんが)
一緒にしない方が良いよ。単純に言って理屈より人につくから、秀吉面白いじゃんw
となると簡単につく。まあそんなだから熊襲は滅ぼされずに済んだんだろうけど。
>>496
信長公記に「その身の黒き事、牛の如し」
とあるから和牛のような黒光りしていたようで、
牛と人間の中間ぐらいだと思われていたのだろう。