https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170912-00000004-mai-soci
9/12(火) 3:00配信
<明智光秀>密書の原本発見 本能寺の変直後、反信長派へ
本能寺の変で織田信長を討った重臣の明智光秀が、反信長勢力とともに室町幕府再興を目指していたことを示す手紙の原本が見つかったと、藤田達生(たつお)・三重大教授(中近世史)が発表した。変の直後、現在の和歌山市を拠点とする紀伊雑賀(さいか)衆で反信長派のリーダー格の土豪、土橋重治(つちはし・しげはる)に宛てた書状で、信長に追放された十五代将軍・足利義昭と光秀が通じているとの内容の密書としている。【松本宣良】
藤田教授によると、書状は岐阜県の美濃加茂市民ミュージアムの所蔵。和歌山県内で伝えられ京都府の古書店に渡ったものを美濃加茂市の篤志家が入手して寄贈したという。
鳥居和之・名古屋市蓬左(ほうさ)文庫長らとの共同調査で、形状や紙質などから手紙の原本と断定し、筆致や署名、花押から光秀自筆の可能性が高いと結論づけた。本能寺の変に関する光秀自筆の書状は極めて珍しい。
書状は天正10(1582)年6月2日の本能寺の変から10日後の12日付で、返信とみられる。「上意(将軍)への奔走を命じられたことをお示しいただき、ありがたく存じます。しかしながら(将軍の)ご入洛(にゅうらく)の件につきましては既に承諾しています」とあった。
京を追放された義昭は当時、中国地方を支配する毛利輝元(てるもと)の勢力下にある鞆(とも)の浦(広島県福山市)にいた。義昭が京に戻る際は協力することになっていると重治から示され、光秀自身も義昭と既に協力を約束していることを伝える内容という。
書状の手書きの写しは東京大史料編纂(へんさん)所に残っていたが、原本は縦11.4センチ、横56.8センチで、細かな折り目がついていた。畳んで書状を入れる包み紙も一緒にあったことから、使者が極秘に運んだ密書とみられる。
本能寺の変の動機では、2014年に岡山県で見つかった石谷(いしがい)家文書などから、光秀と懇意で信長と敵対関係になった四国の戦国大名、長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の窮地を救うために起こした「四国説」も浮上している。
光秀は京に上る前の信長と義昭を取り持ち当初は双方の家臣だったとされる。藤田教授は「義昭との関係を復活させた光秀が、まず信長を倒し、長宗我部や毛利ら反信長勢力に奉じられた義昭の帰洛を待って幕府を再興させる政権構想を持っていたのでは」と話す。
光秀は書状の日付の翌日、備中高松城(岡山市)から引き返した羽柴(豊臣)秀吉に山崎の戦いで敗れ、逃げる際に命を落とした。
◇発見された書状の現代語訳
◆本文
仰せのように今まで音信がありませんでしたが<初信であることの慣用表現>、上意(将軍)への奔走を命じられたことをお示しいただき、ありがたく存じます。しかしながら(将軍の)ご入洛の件につきましては既に承諾しています。そのようにご理解されて、ご奔走されることが肝要です。
一、雑賀衆が当方に味方されることについては、ありがたく存じます。ますますそのように心得られて、相談するべきこと。
一、高野衆・根来衆・雑賀衆が相談され、和泉・河内(ともに大阪府)方面まで出陣されることはもっともなことです。恩賞については当家の家老とそちらが話し合い、後々まで互いに良好な関係が続くように、相談するべきこと。
一、近江(滋賀県)・美濃(岐阜県南部)までことごとく平定することを命じ、それがかないました。ご心配されることはありません。なお使者が口上で申すでしょう。
◆追伸=書状では冒頭にあり
なお、必ず(将軍の)ご入洛のことについては、ご奔走されることが大切です。詳細は上意(将軍)からご命じになられるということです。委細につきましては(私からは)申し上げられません。
訳・藤田教授
【ことば】本能寺の変
天正10(1582)年6月2日、京都の本能寺に宿泊中の織田信長が謀反した明智光秀に襲われ自害した。信長は羽柴秀吉の毛利攻め救援で出陣する途中だった。秀吉は急きょ引き返し、京都・大阪府境で起きた山崎の戦いで光秀を破った。光秀の動機は信長の隙(すき)に乗じ天下を狙った「単独謀反説」や「怨恨(えんこん)説」など諸説ある。 光秀って男性だったんやな
ゲームでしか知らんかったわ
これは凄いな。
確かに足利に大きく関与して厚遇されてた奴だしな。
やっぱ裏切り者じゃん
なにが新事実!光秀は裏切ってなかっただよ
領地替えに絶望とか母親見殺しとかじゃなく
ずっと室町幕府再興の機会を狙ってたってこと?
主人殺しの単なる言い訳の可能性もあるよね?
まさか信長は上洛の折に足利一党を誅する
つもりだったのを明智が力づくで止めた説も
出てくるな。でもなければ友軍主力に囲まれてる
中で大将殺す愚は犯すまい
毛利だって野心があったから将軍を匿ってたわけだし、上手く相互でやり取り出来てたら毛利上洛もあり得たんだな
本能寺の変の直後から、光秀は朝廷からの支持を得るなどの行動に出ている
それは成功したが
しかし秀吉の方は、高松攻めから取って返すと
信長の遺臣団を抱き込み、光秀を主殺しとして討伐する側に動いた。
光秀は朝廷の権威で織田家臣団をはじめとする
諸勢力を押さえ込むことができると思ったようだが
秀吉の方は、もっと現実的に織田家臣団を纏め上げ。光秀討伐に動いたのだ
む、謀反じゃあ〜〜
やっぱ信長がマジ基地だから寝返ったんだな
つーことは、光秀は忠義の人ってことか・・・
意外だわー、自分で天下取るつもりだと思ってた
結局、司馬遼太郎のいわゆる司馬史観で正しかったんじゃん。
知ったかネラーが、司馬史観プッとか言ってるけど。
足利家のための行動ならどうして細川親子は光秀につかなかったん?
信長とかを神格化して見てるのがいるだろ。
糞尿から生まれた八百万の死んだ神々の国には
そんなバカがまだまだたくさんいる。
>>17
軍略的には秀吉の大返しの時に、毛利が後ろから追撃するのが上策だったよな
なぜ毛利は動かなかったんだろう? 光秀が信長を討った理由はいろいろと言われるけど
私はもっと直球で考えた方がよいと思うけどね
要するに光秀は、織田信長に代わって天下がほしかったのよ
信長が本能寺におり、秀吉など、ほかの有力家臣が各地に散っていった
このときこそ、その絶好の機会と捕らえたから
光秀は信長を討ったのでしょうよ
黒幕もなにもなく、単にそれだけだと思いますね
これすげえ事じゃねえの。
速報もんでしょ
ウチテレビないけど
>>8
大日本帝国最高をもくろむ日本会議みたいなもんか 主君裏切りの光秀にとって将軍家再興なんて分かりやすすぎる大義名分w
つか偽書だろうけどw
雑賀衆と関係深めたのも摂津衆や細川、筒井の懐柔に失敗したからかな
あれだけ切れ者と言われた光秀が情勢も読めず愚かにも幕府再興の為に起こしたのか
義昭なんて何の力もない傀儡を慕い綺麗事だけを追求して無駄死にした只の馬鹿だな
>>26
現実主義の細川は、理想主義者の光秀に勝ち目はないと見做していたからじゃないの。
結局、理想よりも自分の身が一番大事だからね。 どうやって調べるんだ本物と
なぜ今出てきたんだ
あやしい
光秀だと紀伊雑賀衆を味方につける為に将軍の名前を
出しただけの可能性もあるから、これだけで謀反の
真相を分かったと考えるのは慎重した方がいいな
なんかー、ボスは自分が神だとか魔王だとか言い始めてー
もうついていけないっすわー
神輿は軽くてパーがいいの古い時代が良かったっすわー
声かけたら味方になると思った細川とか筒井がこちらについてくれないから大義名分として義昭の名前を勝手に使ったんじゃないの?
もし義昭と共謀していたら毛利にだって話しは行ってるだろうし秀吉を追わないという選択肢はなかったかと
これが現実だと仮定すると、すげードラマチックな話になるよなw
大河で光秀やるかもよ(´・ω・`)
そりゃあ秀吉に倒されそうな毛利が画策したんでしょうに
>>29
その毛利軍にはすでにその体力が残ってなかったからと
本能寺の変を知らなかったからだろ
秀吉は街道を封鎖し、毛利方に信長の死が伝わるのを防いだのと
毛利の家臣団の多くが、長い兵糧でつかれきっていたから
戦いが終わった後に振舞われた食料をたらふく食って
ほとんどが死んだと言われている。
何しろ、長期に渡る水攻めで食料がなくなり
城内では、兵たちが死んだ仲間の肉に群がって食べていたとされる状況だった
いきなり腹いっぱい食べるのは、体に大きな負担をかけるので
断食の後は、薄い粥など、軽いものを少しずつ増やして体に負担をかけなくするものだが
そんなのお構いなしに食べたもので、兵たちの多くが死亡したといわれている >>1
直前直後の空手形連発なんてどこでもやってるだろ、それを持って室町再興の意思があったなんてアホですか、と 光秀はただの本物の裏切者だったって事だな
信長を利用して足利幕府再建を目指してたのかねぇ
しかし、ゴミだわ・・・
これからは信長の野望やるときでも早々に使い捨てようww
光秀の経歴を考えればなるほどなぁとは思わされるな。
元就が存命だったら賭けに出て追撃する可能性もあっただろうが
当の本人が遺言で領土拡大せずに維持に努めよと言ってるからなぁ・・
>>32
それを目論むのは、日本会議ではなく北朝鮮
もっとも、今度は、大日本帝国じゃなくて「大朝鮮帝国()」なのかも知れないけどw 義昭は誰にでも手紙出してただろ
証拠になるわけねーだろ
>>51
光秀も戦国武将だ
あの時代の武将の多くが夢見たであろう
天下取りを、彼も望んでいたとしても不思議はないだろ
それくらいの気構えがあるやつでないと、あの時代に頭角を現すわけないしな 再来年の大河ドラマの布石ですね
主演:木村拓哉 ー 明智光秀
義昭が共謀者だったら秀吉を追わない毛利にムチャクチャ文句を言いそうだけどそういう話しは聞かないな
みんな信長にはうんざりしてた頃だから知ってても見て見ぬ振りしてる奴はいそう
こういうのがちゃんと残ってるってのが凄いよなぁ・・・(´・ω・`)
>>50
毛利の惨敗だったの?へー
秀吉が中国攻めに手間取って、信長を呼び寄せようとしてたと思ってた
確か信長は中国へ行く途中で、本能寺に宿泊してたんでしょ?
毛利が手強くて、信長の加勢を頼んでたと思ってたよ
味方の死体を食ってたのか・・・(´・ω・`) 結局は足利を神輿として再興し旨い汁を吸いたい人たちが謀っただけだったか
まあそんなもんだよな
>>70
惨敗というか、硬直状態だったのよ
詳しくは長くなるから適当なサイトで調べてよ 無性に池上遼一の信長が見たくなってきた
何処にしまったのだろうか
>>70
京都に少数しかいなかったから信長は殺された
信長はイベント好きだから水攻めを見に行ったと思われ 光秀は本能寺の変の直後に北上して近江と美濃を押さえたんだけど
北上ではなく西下して長駆姫路を突けば結果が変わってた可能性は無い?
別動隊1000騎程度を派遣して姫路の兵糧と火薬を焼くとか。
信長と信忠が来ていることを知って、「2人ともやれば俺の天下じゃね」
と目先のことに目がくらんで急きょ謀反を起こした
あれはパチンカスのような行動だろ
てっきり、信長と長曾我部の間で板挟みになって、
自棄おこして謀反企てたと思ってた。
>>3
せやな
書いた日をみれば
秀吉が目の前まで来てるわかってるし 朝廷を形だけでも立てつつ政権の中枢を牛耳るというところかな
家臣や親族による地固めもそれなら理にかなってるし
三英傑とほぼ同格の光秀が信長とメル友将軍の格を見誤るわけねーから
これは建前で本音は野心だな。間違いない
秀吉を姫路で足止めさえできれば長曾我部、毛利、明智で囲んで楽勝だったろうに・・・
その状況なら嫌でも細川とか筒井は光秀に付かざるを得ないし。
すでに実権のない義昭なんて毛利からみたらただの厄介者だろ
神輿にしたいなら本拠地に呼んで秀吉軍に対応してるわ
本能寺の変後、同志とも言える細川藤孝が光秀からの誘いを散々断って、
死んだ信長の為に剃髪して坊主になったわけだから、>>1の説はどうだかな。
ボスを殺した裏切り者の光秀の誘いを皆が断わり続けて困り果てた光秀が、
とにかく自分が信長を討った正当性を世間にアピールしただけの話だと思うがな。
細川藤孝と光秀は流浪時代の足利義昭を共にささえた同志なんだけどね。
室町幕府の再興とか、今の感覚だと「今の日本の内閣を、江戸時代の幕府制度に戻そう」みたいな事だったのかも。
つまり「今更室町幕府の再興とかアホか」という時代だったんじゃねーのかね。
そんなアホみたいな事を書くしかない程、誰も光秀に味方してくれないので追いつめられたってだけの話じゃねーの? >>84
ちなみに秀吉は信長が生きてるとウソをついて味方を増やしてる これが仮に本物だとすると秀吉黒幕説だの家康共犯説なんて下らない陰謀論より
普通に考えるたらあり得ないけど色々、考察したらコレしか無いと言われていた
光秀「ついカッとなってやった今では後悔している」
を補強しているだけじゃね?
本能寺の変の時点で毛利家で冷や飯食らいしてる足利義昭なんて担ぎ上げるって現実的じゃないし
自分の感情に任せた愚行に対する言い訳として利用しただけでしょ将軍家の名前を
今の安倍と前川みたいな関係だ
ただ安倍さんは信長と違って上手く切り替えしたけどなw
>>88
信長ばっかに注目してるけど
本能寺の変で大きかったのは信忠殺したこと
当主を失った混乱をつかずにどうする
予知能力でもなければ姫路にはいかない 将軍は、大義名分だろ。
自分が粛正されるのが怖くて、出来心でやっちゃっただけだろう。
ノイローゼっぽいし。
プライド高かったから、怨恨もあっただろうし。
一番の原因は、たいした理由じゃないよ。
信長、信忠が隙だらけだったこと。
普通に軍隊率いていれば、光秀も攻めようとは思わなかっただろう。
>>29 あれから動いたって遅いよ。敵の本拠地にノコノコ乗り込んでくるようなものじゃないか。 織田有楽斎が信忠に対して「逃げ道は無いので防戦あるのみ!」と勧めて
自分はこっそり一人で遁走したんだよな。
>>99
本能寺から離れてる二条城に居た信忠なんて幾らでも逃げれただろうにな 信忠は武闘派だったんだよな。
甲州攻めでも自分が最前線に突っ込んでいって、
城の柵に取りついたりするし。
信雄のセコさを少し分けて上げたかった。
>>50
鳥取城の渇え殺しの話とごっちゃになってない? 普通に考えたらそう
外国人黒幕とか家康、秀吉、ましてや公家とか
全部嘘だろ
>>99
裏臭いすげーよな
大阪でも自分だけ生きたし >>97
明智の逸話や同時代の光秀の評価を見ても相当若いころから
計画的に立身出生を考えてたっぽいからな
高齢であと余命も限られてるならその機に謀反も納得 長男の信忠が生きていればいくらでも各地にいる織田軍集合で盛り返せる
秀吉家康黒幕説なんかは一笑に付す
>>50
仮にそうだとしても、そら高松城のとこだけで毛利全軍の話じゃないな 幕府再興これが一番光秀らしい
よく考えれば光秀は諸国を放浪してた訳だし
褒美に不満があれば鞍替えするのはおかしい事ではない
室町幕府再興が目的なら堂々とそれを宣言してただろうな
しかし信長が直属の手勢もロクに率いずにノコノコ中国に出向くのが
奇襲で破った今川の皮肉みたいだよなぁ
幕府再興して執権として義昭を傀儡にすればいいわけだし
>>117
阻止してくれる筈のミッターマイヤーはどこっすか? 信長も初期は将軍家再興を大義名分に利用したし秀吉も織田家を復活させる事をいい
家康も三成を討ったとき豊臣のためとか言ってた
今もそうだが軍人と政治家の言葉を全うにとっちゃいけないな
,ィ竺ヽ
_,.ムニ==ミ.,_
. ,. ´ `丶
/ ヽ
. 〃 ハ
/ミ 彡i
. iミミ …ー- -一 彡}
. |ミ ヾシ‐ 、
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j:{ し } ¬せハ:} {:ィせァ |ノ j:| つくっておいた
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ヽ ヽ-ェェェ-/ /
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もしかして、秀吉とか家康とか利休とか
その辺のだれかと通じてた、ってという説は
全部ウソだったのか
ノープランな謀反だったんだと思わざるを得ないw
今の世にまで残るほどあちこちに送りまくったんだろうな
有楽斎がまともだったら伏見城から大坂まで信忠を護送して中川清秀まで送り届けただろう。
ていうか義昭に関しては光秀が担ごうが何しようが
豊臣家が滅んだ時点でオジャンになって
結局は無理だったわけでw
光秀が裏切り者である事実は変わらない
>>10
光秀と義昭は割りとガチに戦いあってるし、取り立ててくれた信長への感謝を述べてる文書もあるので
ずっと室町幕府再興の機会を狙ってたということはないと思う。
どちらかというと、光秀自身が信長の後継者になることを狙って謀反を起こしたという『野望説』への反証材料になるのではないかな。 >>124
本来なら信忠も信長と同じだけ重要なターゲットなのに
二条城の包囲は遅れていて信忠も逃げようと思ったら
逃げれた状態だったからね 義昭は毛利領にいた。毛利と織田は交戦中。毛利が不利。
義昭が毛利のために動いたとも考えられる。毛利が滅びたら義昭は行き場がない。
信長が生きてたら信長が皇帝の大日本帝国が17世紀にできてたな。
信長の代では朝鮮半島までが領土。
息子の代で中国も日本領土。清国に相当。
>>123
分からん。謀略だったら証拠なんか残さんだろ 手当たり次第手紙送ってたらしいし、ノープランだったのは確かだと思うよ。
光秀さんは秀吉さんによってずいぶん貶められて後世に伝えられてるよね
フロイスさんの光秀評が低いのは光秀さんがイエズス会の信仰による侵攻を警戒してたからではないかな
ガラシャさんも熱烈な切支丹だし、光秀さん自身も割りと切支丹的なところはあったみたいだけど
明智から毛利に送った密書の内容も想像できるな。
それが途中で秀吉に奪われず毛利に伝わっていたら、
毛利・明智連合に支えられた足利幕府再興が実現したかもしれない。
家康だろ、歴史は勝者のものだからな
自分が殺した信康を殺したのも信長とかにしてるし
義昭が毛利側にいるから毛利を味方にさせるため
どこの大名よりも一足早く毛利に本能寺の一報を知らせた
これが運悪く一番早くに秀吉が知ることになってしまった
毛利なんかに手紙出さないでさっさと忍者部隊を出して姫路城の米蔵と火薬蔵を放火するほうが良かったのに
本能寺の頃にはもう信長は表向き隠居してて当主はもう信忠だったからな
>>32
いや、江戸時代回帰をもくろむアカ共産主義者みたいなもんだ >>132
そりゃ使える奴だったからに他ならない
信用し過ぎたのは間違いだったが 内容がマンマ、ベタで、結構詳細に書いており
急いで大量の書状各方面に送ったにしては微妙じゃね?本物かどうか
「応援すっからよ、やっちまえよ」といろんなやつに言われて「いけるかも」とやっちまっただけだろ
>>143
江戸時代って共産主義なの?w
↓これは妥当だがなw
32 名無しさん@1周年 sage 2017/09/12(火) 03:34:21.48 ID:7I+6kDi20
>>8
大日本帝国最高をもくろむ日本会議みたいなもんか そんな手紙より光秀が燃やした安土城の本当の姿を知りたい
>>148
詳しい設計図残ってて、全貌わかってるじゃん 信長はなんで光秀のような裏切り者を重用してたの?
秀吉はなんで家康のような裏切り者を重用してたの?
家康はなんで酒井のような子孫が裏切り者になる奴を重用してたの?
>>148
残して欲しかったよな
最高の観光スポットだったのに惜しいわ >>30
つまらん、お前の話はつまらん
ど直球すぎて何の捻りもない >>149
えっ、そうなん。今からググって調べるわw 陰謀説ははずれか。
大返しの秀吉が天才だったんだな。
信長も将軍義昭に対して謀反をしている。
本来信長は将軍の家来だからね。
将軍の命を受けた光秀が忠臣なのだが、そうなると信長や秀吉は
足利将軍家に対する謀反人になるから、秀吉が本能寺は光秀の怨恨による謀反にしたのだろう。
>>153
設計図なんて残ってるわけねーだろ。
最初から設計図ねーしw 我こそは!隙あらば!みたいなやつが群雄割拠したのが戦国時代なんだから
けっきょくこれで良かったんじゃね?
基地ボスにいつ粛正されるかもしれん恐怖と戦いならがも野心を持ち続け
ガバガバの隙を見せた信長に対して
いまここで討てば!となったわけだ
宣教師が安土城はヨーロッパ最高の建物と同等と言ってたくらいだしな
光秀も歳だったし、このまま信長にこき使われて、
一回でもミスしたら佐久間みたいにポイ捨てされるのを恐れたんだろうな
んでチャンス到来してやったのはいいが、大義名分を後付けした書状だと思うわ
>>154
秀吉は柴田との戦いでも美濃大返しをやってる
52kmの距離を僅か5時間という中国大返し以上の驚異的なスピード >>42
これが正解だろうな
この土橋某との提携はずっとまえから判明してる事実だし、何を今更って感じw ま
晩年の信長って末期の始皇帝やヒトラーみたいな感じで
疑心暗鬼で古参の家来追放したり
自分の回りに若いイエスマンだけ置いたり、
しかも気まぐれになり、
末期的状態だったからな
元々足利につかえてた光秀が、信長倒して室町幕府再興とか思うのも無理はない
でも光秀って信長より高齢で、室町幕府再興なんていうダサいアイデアで行こうとするあたり、
やっぱ中高年はダメだな、という実例だな
秀吉有能すぎた説になるんだろな
秀吉は情報掴んでたかもしれんなこれ
親しくもない小豪族宛てににわざわざ自分で筆を取るかね
祐筆にやらせんじゃないの?
>>88
長曽我部と毛利も対立関係にあるからどうだろね
柴田や徳川もいるし光秀は京から動けない 将軍呼び戻しには毛利の協力が必要だけど
毛利は清水宗治の首をお土産にして秀吉を京へ送り返した
さすがお前ら。
これだけでもって、義昭が黒幕だったと
言ってる奴がいなくて感心したよ。
まあ言われてるとおり
信長がやりすぎて各方面から反発されたってことだな
信長の自己責任だわ
>>168
http://www.sasakijo.com/note/tenka1.html
内藤昌(名古屋工大教授)氏は、上記資料や報告に加え、
昭和44年に東京の静嘉堂文庫(当時、国会図書館分室)で発見された
『天主指図』と題された建物の図面を復元に援用した。
『天主指図』なる図面が「安土城天主の」「設計図面の」「写し」である、
と措定した案である。
図面自体は、もともとは加賀藩の大工棟梁、池上家に伝わってきたものであるという。
ちなみに、
発掘でも礎石とかがこの図面と一致してるよな 思いつきだったんだな
戦以外は計画性の無い行き当たりばったりの小賢しい金柑おじさんだったのね
信長が天下とっても倅どもボンクラぶり見てると戦国に直ぐ逆戻りしそうだし
伴天連共の暗躍で植民地化されるだろうし
それなりに日本の功労者なのかな光秀は
どんだけ密書や歴史的な公文書がでてきたって本当の行動の理由は
分からんよな。本人が心中告白の日記でも毎日書いてて残ってたら別だが。
>>139
正直、こういう重要な書状は複数送ると思うので、実際は毛利も受け取っていたか
あるいは毛利から秀吉にリークした可能性すらあるのではないかと想像せんでもない。
毛利の方は中央の戦争に巻き込まれるのは面倒なので講和が成立して秀吉が帰ってくれればそれでよく、
そのためには清水宗治をも犠牲にしたが、毛利が本能寺の変を知っていたとなると
「忠臣を見捨てた酷い主君」ということになってしまうので書状が届かなかったことにしたとか。 >>171
黒幕だったら秀吉の中国大返しがあり得ない 当時の信長の増長ぶりとキチガイぶりはやばいから光秀じゃなくても誰かに撃たれてたと思う
もしかして信長だけ撃たれて信忠が後をつぐ方が織田にとって一番理想的だったかも
信忠は真面目で人望があってしかも軍は強かった 信忠の天下は磐石だっただろう
え!? 本能寺の変の首謀者は秀吉じゃないの!?
秀吉みずからが信長の胴体を一刀両断するも上半身と下半身がくっついて「その刀、安いぞ!」と叱責。
信長が自身の血で茶をたて「サル、貴様との関係はダール・イ・レゼベールだと思っていた…意味が分かるか?」
碗を秀吉に託しつつ「愛よ」と崩れ落ち、秀吉が血の茶碗を飲み干す。
これ史実だと思ってたのに!!
時系列的に
細川も筒井を助力しないと判明したのちだから
足利幕府再興でもぶち上げるしかない
新しい発見でも無けりゃ、光秀の動機心情を測るには遅すぎる
安国寺恵瓊が予言するぐらいだから
信長は光秀じゃなくても誰かに暗殺されていただろうな
中国大返しは早さだけじゃなく畿内を偽報で混乱させつつ
帰り道も宇喜多回避してるのが神憑ってるから
光秀が無能だった証明には全くならない
>>179
とは言えこの書状の速さ次第で歴史は全然違ってたろうな 秀吉は毛利攻めに信長を招待していたから信長本体が来れるように
中国ー大阪間を整備してあった。大返しはできる。
信長はもともと義昭の命令で天下布武を始めた。
室町幕府再興が義昭と光秀の考えで信長に命じてやらせてた。
しかし信長が義昭に謀反をして室町幕府を滅ぼし織田が天下を取ろうとした。
ま、秀吉は信長になんかあったときの行動計画は常に立ててただろうな
足利家って誰かいたっけ?本能寺時点で義昭はまだ生きてた?
>室町幕府再興を目指していた
光秀を唆した黒幕は尊氏。
>>173
そのサイトでは
> たぶん織田信長は、この設計案に賛成しなかったろう
って結論になってるけど 信長は自分の主君である織田信友を殺害してるし
さらにその上の主君である守護・斯波義銀をも追放してるわけで
足利義昭がなんで主人を二回も裏切ってる信長に頼ったのか意味が分からん
100万%の確率で義昭を裏切る事も最初から分かってたじゃないか。
信長は本能寺の変のとき最初に息子信忠が謀反をしたと疑った。
信長自身が三度、主君を裏切ってるので自分もいつか息子か家臣に裏切られるという予感は持ってただろうね
信長は征夷大将軍じゃなく
摂政・関白になろうとしていたという説
信長暗殺は皇室の意向でもあった
アサヒ新聞が会津市民の名前を騙って天皇陛下は朝鮮人で長州薩摩はただの憎悪すべきテロリスト
とか言い出したのには、さすがに日本国家の危機を冷静に感じざるをえなかったわ
>>202
天皇どころか神になろうとした説もあるよね
天守閣を天主閣と呼ばせたり 信長が死んでしまったから永遠に彼の胸中は分からないけど
今までの行動規範から言えば朝廷を傀儡にして最後は追放したはずだよ。
>>167
伊予の河野通直は毛利元就の曾孫でもあるから
長宗我部元親は河野氏と毛利氏は一体と見做していた部分もあるみたいね 秀吉さえいなければ、光秀の謀反も成功していたんだけどね。
現に秀吉以外の信長の家臣は変の直後、駄目駄目だったし。
秀吉が居なかったとしたら近江・美濃・京を押さえた光秀に対して
家康・柴田・丹羽が挟み撃ちするけど細川・中川・筒井などがどっちに味方するかで
光秀のクーデターが成功するか否かが決定しただろうね。
>>197
義昭は信長以外にも武田やら有力大名に片っ端から助力しろと言ってたからな
その中で信長が勝ち残った
まあ利用するつもりが利用されるのは無能義昭本人もわかってたんで
光秀みたいなスパイを懐に忍ばせてたんだろうな >>199
寝ぼけた頭で考えて、他に攻めてこれる勢力が思い浮かばなかったのだろう。
亀山と本能寺の距離感を錯覚していて、警備に見つからずに光秀の大軍が来るとは想像もしてなかったか
自分の予定や宿所がリークしてるとは思わなかったか。 >>208
もうそれが誰の目にも明らかだから
出自のアレな秀吉が天下人になったわけだ
つまり光秀こそ天下人秀吉の立役者w 光秀の裏切りというけど
実際は信長の日本国への裏切りだったのかもな
心から天皇陛下を尊崇してたのに、成功者の脚をひっぱるためだけに生まれてきた
ネトサヨブサヨみたいな連中にさんざん不快なヘイト垂れ流されて、さすがにゲンなり
してたところ、ブサヨの傀儡光秀に暗殺された。すべては憎日左翼の陰謀
>>208
光秀がそのタイミング狙ったんだよな
秀吉だって毛利相手で動けなかったはずだった 原因は信長のパワハラによるノイローゼだろ
光秀が今に生きてたら新小岩に飛び込んでただろ
それをガン無視して豊臣が政権を引き継ぐという。
豊臣のクソサラリーマン臭はなかなかだな
隣のミサイルキチガイの国も
光秀みたいなやつがいればいいのに
「いつ粛正されるかわからない、いまならヤレるっ」みたいなw
これだと将軍が裏で糸を引いていたか
光秀が将軍の名を利用していたのかわからない
秀吉含め全員信長嫌ってたんだろうな
その後の秀吉の行動見ればわかる
一気に朝廷よりも上に立とうと思ったのが信長の失敗だろう
信忠が生きてても織田家の天下であったかどうか
【近世の三大ヒール】 *名前に「秀」の字が付く奴はクズ説の根拠にもなっている
・松永久秀…ドケチ・狡猾でルイス・フロイスの手記でも評価最低、「蓑虫踊り」の考案者。
・明智光秀…主君を殺し天下を狙ったが人望ゼロで秀吉に大敗、落ち武者狩りの農民に首を取られる。
・小早川秀秋…家康と内通していたくせに西軍の補給物資を大量にネコババ。小早川姓の善人は野球選手のみ。
この書状は本能寺の変の後の3通目ってことだよな
最初から室町幕府の復興をあげて謀反したってことだな
黒幕はやはりいそうだな
新宿古着屋ワタナベも逮捕とともに次々とオトモダチから裏切られることでしょう
もうまもなく、いやもう始まっているかもしれませんが
明智光秀を信長の家臣と決めつけてる輩ばかりだが
光秀や家康はそもそも信長の家臣じゃないだろ
謀反というのは豊臣家が後世に作ったくさい
倒された信長も当初は幕府担いでたから何とも言えんな
>>221
「このやろう、謀反を起こしやがって」とニタニタしながら
漁夫の利を目指す秀吉みたいのがいるからできない 有楽斎が呂大后くらい有能だったら・・
信雄と信孝に「織田一族で天下を支配しよう」と持ち掛け
信雄を太政大臣で西日本の支配者、信孝が征夷大将軍で東日本の支配者にして
三法師を関白かつ織田家の後継者として一族で完全に日本を牛耳ってたのに。
戦国武将ソーシャルゲーム
相手に合わせて書状の内容を変えていた可能性もあるんじゃない?
この武将は室町幕府再興って言っておけば釣れる筈
みたいな。
ノッブの弟や息子たちがまとめてみんな無能で秀吉はラッキーだったよね
>>197
そんなこと言ったら正統な守護大名しか身方にできない
一人も残ってないだろ >>9
古文書は結構残されてるんだけど、当時のくずし文字を読める人があまりに少なく人手不足
読めて理解するまでの習得にも時間がかかり、解読に時間がかかりすぎる
今まだ翻刻されてない古書をどっかの大学がネットで一般に開放して
外部と一緒に翻刻作業するそんなプロジェクトもある、それは主に地震関係の古書だけど
くずし文字が読めたら博物館の古書も今まではツマラナイ存在でしかないのが
本当に楽しいワクワクする存在になるだろう。そこまで読めるのになるにはかなり勉強する必要があるけどね
ちなみに初心者向けのくずし文字を習えるアプリもある >>234
なんにしろ
光秀は「狙ってた」わけだから
これは一つの大きな解だな
信長の是非もなしってのも
やられるかもしれんほどのことを
してきたという自覚だな * *
* + うそです
n ∧_∧ n
+ (ヨ(* ´∀`)E)
Y Y *
細川氏はよく切り抜けたな。公家への義理か、力の強い者へ巻かれるか、判断を誤ればどうにもならなかったろう…
どのクジ引いても地雷の、1/10,000くらいの確率で生き残った稀な例が細川といえるのかもしれない。無論、生き残るための術に長けてたんだろうし。
やはり戦国時代ってのは太平の江戸時代とは心持ちが違うんだな
ヤルかヤラれるかというギリギリの人生
足利義昭の知謀と政治は90代後半でもよさそうだな。
>235
長益ほど有能な武将、いないと思うけど。
強いかどうかは別としてw
信定信秀信長のラインが優秀すぎて日本史の中で役割を果たしただけでもいいじゃん
吹けば飛ぶような身分だったんだし
林秀貞や佐久間信盛の粛清が荒木村重の謀反を引き起こし
それが明智光秀の謀反の遠因になってるわけだし
自業自得以外の何物でもないわな。
足利将軍家なんて、応仁の乱以後はお飾りみたいなもので、後継争いに終始していた。
今更足利幕府の無能な元将軍で、世の中が収まるわけがないんだがなあ・・・。
幕府権威の凄さを逆に思い知らされるな
下剋上の戦国時代と云っても現代人が考えるほどには荒れてたわけではない
既存権威のもとで世の中を安定させるというほうがおそらく大方の考え方だったろうな
歴史ifになるけど
・信長が天下統一してたら
・光秀が天下統一してたら
この2つはすごい興味ある
大返しの元祖は信長。
信長の京⇄岐阜を参考にしたんだろ。
もしホンマに明智光秀が室町幕府再興を目的にやったんだとしたら
切り取った領地を足利義昭に譲渡すると朝廷あたりに伝えて勅諚でも降ろしてもらって布告するやろ
足利将軍の命を受けた光秀が忠臣。
信長や秀吉は将軍家に対する謀反人。
秀吉が光秀単独犯にして光秀を謀反人にして自分が足利家に謀反したことを
隠した。
毛利と光秀で秀吉を挟み撃ちしていれば勝てた。しかし毛利は秀吉を滅ぼすより
秀吉に恩を売ったほうが得策と判断した。
>>228
光秀は複数の資料で明白に知行(安八郡、志賀郡、坂本城、亀山城)と役職(京都奉行など)を与えられてることがわかるので
名実ともに信長の家臣 >>248
現実的かどうか以前にとりあえず手当たり次第にてきとーに口説かないと
殺されちゃうじゃん マニフェストのようなもんだ
「これでやるつもりですとは言ったが、やるとは言ってないw」
ポルポトと同じように人を殺しまくった信長
光秀の方が本当の英雄だわな
>>250
革新的な信長なら朝廷や天皇制すら無くなってた可能性
保守的な光秀なら家康とさほど変わらん幕府制統治 wikiで足利義昭の経歴見てきたけど、明智の言ってることって無理あるな
後付っぽい
やっぱ本能寺以後、光秀は諸々手を打ってたんだね
窮鼠の野望説に1ポイント追加
信長が重用しただけの逸材だしなあ
それ以上に秀吉が天才的魔術師だったんだからしょうがないねw
林秀貞、佐久間信盛、安藤守就、丹羽氏勝の同時処分がなぁ
これで信長に対する家臣たちの忠誠度が−20Pずつくらいになったはずなんだよな。
今まで茶器を与えたり金を与えてコツコツ上げてきた忠誠度が台無しジャン。
明智光秀にはだーれも味方についとらんから思い付きで勝手にやったんやろ
>>234
それはあるだろうね。光秀ほどの知将なら相手の
説得のウィークポイントとかを熟知してただろうし
そういう相手に対する多様性が本能寺の変の
真の動機を判らなくさせているのかもな 対秀吉戦では光秀は御領所を避けて布陣したとかだし
権威的な裏付けは持ってたんだろ
まぁ、散々言われてる信長さんだけど
ノッブ居なかったら下手したら何十年〜百年単位で戦国時代終わってないよね
あの苛烈な生き方や信念を持ってないと近代化が著しく遅れただろう
これ10日だけど
本能寺の変の二日後の4日に土橋が織田側だった雑賀衆の鈴木派を紀伊から一掃してて
その後ろ盾が長宗我部なんだよな
多分、日本人お得意の空気やで
空気を読んで信長やったんやろ
朝廷、家臣、商人、町衆みんなが「信長怖いわー誰かどうにかせえや」って空気を醸し出してたんやろ
光秀は賢くて折衝事も得意やったから、そこらへん敏感そうやし
自分が最前線から外され信盛りみたいな最後が見えてたから古巣の義昭と
密通してたのか、義昭側からの命令で動いたまでなのか
どちらにせよ大義名分の後ろ楯もボロボロなのに
古文書で本人の本音が書かれているのはラブレターだけ。これ豆な。
しかしあれだけの大事件だったのに動機について誰も語ってないのはどうしてなのかね
誰か本音を聞いていた人はいないのか
>>273
言われへんような動機やったんちゃう?
「何かムカつくやん?」とかそんな感じ >>261
あのサル自体が天才な上に、黒田官兵衛っていうチートスキルもってた。
光秀陣営に斎藤利三とかいたとしても、官兵衛には勝てない。 策士光秀よりさらに策士秀吉
その策謀のせいで晩年弱ったときに仕返しに恐怖し発狂する
>>263
秀吉が信長は生きていると嘘を言って光秀の味方にしないようにした。
嘘をつかなかったら光秀側についたやつもいただろうから秀吉は嘘をつく必要があった。
毛利が義昭が領内にいるにもかかわらず光秀の味方にならなかったのが痛い。
毛利家も吉川と小早川で考えが割れていて親秀吉の小早川の意見が通った やっぱ細川に逃げられたのはでかかったな
わざわざ幽斎宛の書状に信長死後幽斎と忠興がが早々に剃髪したことに怒ってるとか書くから
その後剃髪はしゃーないから味方になれってフォローしてもね
足利と通じていたなら、やはり光秀は相当のやり手だな。
パワハラされて切れただけの人ではなかった。
秀吉がそれ以上にやり手だった。
やっぱり足利義昭を生かしておいたのがダメだったな。信長にしては甘かった。というか裏切り者でも有能なら割と許されたりしたから甘いといえば甘いか
秀吉だけ言われるけどその時点で徳川は豊臣に勝ってるんだよね
光秀が生きて幕府を再興させていたら
明智は室町幕府の忠臣
信長は足利将軍家の謀反人
になってた
>>22 >>129
当の信長だって義昭を進んで立てただろ...
野望説だとしても、神輿を担ぐのは当たり前だ
謀反による簒奪の正当性に逼迫している状況だから、反信長で将軍である義昭は最適 そりゃ大義名分がなければただの謀反
足利再興は光秀の大義名分として便利だっただけだろ
これだけで謀反の本当の動機と断じるわけにはいかないよ
これは前川某の貧困調査と同じで、やっちまったことを正当化にするために後付けで考えた理屈だろ。
本能寺が事前に計画されたものなら、周囲への根回しとかちゃんとやっとくから秀吉に三日で逆転されたりはしない。
秀吉さんはすぐに信長のガキ三法師を担ぎ出したり早かった
だから柴田勝家とかを打ち破れた
秀吉は百姓の出ではなく、武士の家系だったという説もあるね。
光秀は元々、かなりのやり手だったらしいが・・・。
義昭とノブの仲を取り持ったのが光秀
晩年は後悔して大軍を持って無防備のノブの前を素通りする機会が訪れる
この際討ち取って清算して死のうってのは理解できる
>>285
足利義昭と信長は犬猿の仲だったからなあ。 >>278
認知症説もあった、家康もてなす時の失態が酷いから。
でもあれは老人の嫉妬でわざとなのかもなぁ 戦国武将の信長が脇ガバガバで隙だらけの時なんてそうそうあるもんじゃないんだろ
そのときが突然来たのでやるしかなかったと
本能寺さえなければ太平洋戦争は勝ってただろうな
戦国時代の日本は世界最大の経済大国(金銀銅の産出量世界いちぃぃぃいい)であり、
人口大国でもあり、鉄砲の普及率は世界いちぃぃぃいいいの超絶軍事大国だった
海軍力でも信長の鉄張り軍艦は世界最強だっただろう
その結果、まず第一に、欧米によるアジアの植民地政策に日本も乗れたこと
当然それは史実より欧米諸国が弱体化する一方で、日本は史実より国力が大きく高まっていただろう
第二に、海外との交流は史実以上に深まっただろうから欧米の技術にも落伍することもなかったと思われる
当然それによって太平洋戦争直前の日本軍の軍事技術は史実よりも大きく向上していただろう
第三に、日本が欧米によるアジアの植民地政策に乗り遅れることがなければ
太平洋戦争前から東南アジアの一部をすでに牛耳ってる状態から戦争がスタートする
その結果、日本軍は持てるリソースを最初っからアメリカとの主戦場たる中部太平洋に全力を注ぎ込める
本能寺さえなければ太平洋戦争は勝てた説
秀吉の中国大返しは太閤記の創作だよな
黒幕だったかは別として
使者捕らえる前から動いてた
理由ははっきりしてるよ
イジメに対する日本史上最大の反撃
他の理由は後付けでどうにでもなる
信長は政治的に革新アナーキズムだし、光秀は優等生保守という感じだから
なるほどあり得る話だなあと思った。
本能寺の変を起こさなかったら佐久間、林みたいに突然土地没収されて放逐されてたろ
自衛戦争だ。
>>273
足利家の命に従って信長を討った光秀が忠臣。
信長や秀吉に与した奴らは足利将軍家に対して謀反人。
自分たちの謀反を隠すには光秀1人を謀反人にしたほうが得策 >>208
徳川がいるじゃん。
気づけば結局 徳川幕府 織田家は尾張半国の奉行の家系とバカにしてたから戦国時代の成り上がり大名に仕えてたら
いずれ謀反起こしてただろうな。
雑賀衆、というか鈴木重秀はこの時秀吉の配下になってなかったっけ
雑賀衆の頭領である雑賀孫一が秀吉の下にいるのに雑賀衆が光秀に協力?
今まさに秀吉を見ている俺にはタイムリー
渡哲也の織田信長かっこよすぎるぜ
>>293
辺境防備の田舎の外様家来衆(同盟者ではない)なんだからあんなもんでいいんじゃね?
名門でもなんでもないし 「鳴かぬなら、はなしてみせようホトトギス」
by 明智光秀
丹波を取り上げられて石見をやると信長に言われたという説は本当なの?
年齢的に最後のお勤めだった可能性もあるな
後で秀吉に加勢とか、予備役だろ
>>304
雑賀衆は織田派と反織田派に分かれてて
本能寺の変までは織田に恭順してたけど
本能寺の変の二日後に土橋に織田派は一掃されて
織田派(秀吉派)に戻るのは小牧長久手の戦い後だよ >>263
婿の細川忠興に天下を譲っても構わないとかの細川幽斎に宛てた味方したい一心の書状もあったっけ。
ルイス・フロイスの書いたものには「光秀は人を欺くために72の方法を持っていた」とかもあったなあ。 >>310
雑賀衆の中で派閥があったんか
同じ集落で生活してたろうにさぞかし暮らし辛かったのでは 大義名分の為に室町幕府の再興という御輿を担いだだけでしょ
本心かどうかは分からん
まあそれがガチの本心だとしたら古臭い金柑頭してんなと逆に失望する
いつの時代でも戦の勝者が歴史を自分に都合が良いようにする
明智光秀は極悪非道の謀反人織田信長を誅した室町幕府再興の忠臣だったのだw
>>314
集落や生活圏で一つにまとまっていたと思うぞw >>285
京都から義昭が追放された時点で室町幕府は滅びたと諸大名には認識されており
信長が義昭を将軍位につけた時に比べて権威や利用価値は相当低く、
それを神輿にするのはむしろ自分の権力基盤の弱さをわざわざ露呈するようなもの。得策とは思えない。
また細川藤孝の勧誘の書状でも「おおよその仕事が終わったら天下の事はあんたの息子とかに任せて自分は隠居する」
などと弱気な事を書いており、俺は光秀の本音として「もう戦や政事から手を引きたい」という
気持ちになってたのではないかと想像する。 >>108
まさに裏臭い。
裏事情に精通してそう。 >>257
あの時期民間人の殺害や人身売買を規制していたのは織田と今川くらいだぞ、小卒
割と殺し放題してるのは、毛利武田辺りか 信長のキチガイじみた粛正の恐怖におびえてたのなら
過去の体制に戻りたい、戻さなければという気持ちにもなったかもしれん
秀吉もそういう感じで残虐な粛正は抑えているし
しかし秀吉も策謀やりすぎて自身が猜疑心で発狂してるから
徳川ではそういうことも控えてる
太平まで3段階の反省が必要だったな
>>314
派閥というか
雑賀衆は国人の集まりで
主要なのが鈴木家と土橋家
鈴木家の当主が雑賀孫一って呼ばれる人ね
この土橋重治って人の兄が土橋家の当主で
雑賀孫一に謀殺されて、重治は長宗我部頼って土佐に行ってた でも謀反してなかったら相当高い確率で最後は粛清されてたと思う
>>325
信長に粛清されるのは光秀だけじゃなく秀吉も家康も柴田もだよ。
天下取ったらようはない >>1
秀吉と家康もグルという説はやはりなかったな。
秀吉の中国大返しはやはりその場の判断と行動だった、やはり秀吉はすごい。 土橋への書状なんてだいぶ前からあっただろ?
何を今さら・・・
タイムマシンで当時に戻って調べる事が出来たら最高に面白いだろうね
このおっさんずっと足利義昭黒幕説にこだわってるよな
前回谷口研吾や藤木久志や柄谷行人の総攻撃にあって論破されてたのに懲りない奴だ
光秀って何故か若いイメージが定着してたけど
信長よりも一回り年上の爺さんだろ
ボケただけんじゃね?
>>326
そだね、馬廻りの近習は可愛がったろうが
無駄に力をつけた方面司令官には容赦ないだろうね 光秀の場合裏切り者というより、古来の伝統ある権威への忠誠を優先した感じだけどね
信長は皇室すら壊しかねなかったから、そこを尊重する勢力につく選択したんだろうと思ってる
過去の歴史が変えられんように
未来の歴史も決まってんじゃねーかな
たられば言っても結局なるべくしてなるように
>>319
室町幕府は信長の謀反で滅びた。
信長秀吉は自分たちの謀反を隠した。
それで忠臣の光秀を怨恨による謀反人に仕立て上げた。 >>322
戦国時代は狂人の方が強いから
狂人に支持が集まる。
平和になると、狂人は嫌われるので
穏健派のリーダーに支持が集まる。
これは世界的な法則。 家康が関わっていたなら決死の伊賀越えはないよね
このエピソードが工作作り話なら家康凄いけど
>>323
そのメンバーが後に相模に逃れてさいか屋を設立するのか この書状は昔からコピーされたものは知られていて、学者には有名なものだ。オリジナルが見つかったことが学術的にどんな意義があるとか、新しい知見の有無は全く記事にはない。学者がメディアを使って自分の名前を宣伝しているだけだなあ
>>337
家康は信長に妻子を殺されてる。
本音では信長を憎んでいただろう。 光秀の幕府再興の夢は徳川へと引き継がれた
家臣の娘お福と家康との間に出来た子を三代将軍家光とし
己の身内を僧として徳川幕府最高ブレーンとして入れさせ成功した
>>1
この件に関しては見付けて寄贈した奴が1番凄いよなw
目が肥えてらっしゃる 高齢で忍耐力が低下して「いまヤラなきゃやられる」感は強くなってたかもね
足利義昭が黒幕なら、光秀は細川父子宛に勧誘の書状を出したとき義昭の名前を出さなかったのか説明が付かない
筒井順慶に投降を呼びかけた書状に付いても同じだ
この人は義昭黒幕っていう結論が先にあってそれに都合がいい史料を集めて継ぎはぎしてるだけ
とても学者だとは思えない。そういうことなら在野の歴史好きな作家に任せればいいのに
光秀の末裔の人が否定してたけどやっぱり首謀者じゃん
>>344
ガチの女武将ならその一人じゃなく妙印尼だろ >>326
秀吉は信長から秀勝もらってるから
お家存続には抜かりがない
早死にしちゃうけど 目の前に転がってきた絶好のチャンスに飛びついてみたが、冷静になってみたら自分を討った者が次の権力者に一番近くなる旗頭だと気付いて必死に野心無いってアピールしているようにも見える。
友好関係にあった細川家に早々にそっぽ向かれた辺りが運の尽きだったかな
信長も齢とって狂気の度合いが深まっていたのだろうし
この2人がこうなるのは時の流れの必然だったかも
だから是非もないんだろう
小沢センセみたいなやつだなー
自分がトップになりゃいいのに
秀吉が織田政権を継いだ経緯が知りたい
足利将軍や毛利勢、信長の次男以下血縁者、寺社仏閣勢力はなぜ大人しくなったのか?
朝廷の後ろ盾を得たから?
柴田を滅ぼして家康を何とか従属させ、匹敵する相手が居なくなったから?
信長を討ち取った後の明確なビジョンがあったような感じがしない
入念な計画を練った上での行動とは思えないんだよね
千載一遇のチャンス到来で我慢できずに取り敢えず
出たとこ勝負でやってしまった感じがするんだけど
>>360
ということは隙あらばやってやろうと
ずっと思ってたわけだろ
家臣全員に嫌われるほど信長の茶坊主だったのに >>339
そうだね。岡本さんだっけ
この土橋重治も秀吉の紀伊攻めの後は相模で北条に仕えてる その割にクーデター後に室町再興とそんなに言ってないような
秀吉に消されたのか、言行不一致だったのか
>>358
秀吉は光秀討伐の功で信長の孫の後見人になった。
そして反秀吉の柴田らを織田家のためという名目で滅ぼす。
秀吉は公家になり関白になったので朝廷の位では織田家より自分が上になり
下剋上が完成。 >>363
怨恨説が作り話なだけでそんなに単純ではないよ
中国大返しも伊賀越えも作り話だろうからな >>349
将軍の名を出した書状が見つかってないだけかもしれん。 キンカンそこまでバカだったか
畿内の領地を手放したくなかったんかねえ
室町幕府再興で管領狙いか?
やっぱ毛利宛の密書が秀吉軍に抑えられたのが痛かったのでは?
あれが毛利に届いてたら秀吉は挟撃されて終了だったはず
信長は多くの人々から恨みを買い過ぎたってのも遠因だろうと予想する
必然と味方も減る
晩年の秀吉も
日頃の行いって大事だなあ
その点を家康は反面教師にしたのか上手くやったと思う
こんな時でも足利家には利用する価値は残ってたんだねえ
そら信長討ったとこで官位や権威が光秀に移るわけでもないしな
>>367
ガチキチというよりも、あまりにも先進的過ぎて当時の人間の理解の範疇が及ばない不気味な存在だったんだろうね。
黒人奴隷の弥助を側近に取り立てたり、相撲大会を開いて優勝者を無差別に召し抱えたりって、今の時代でもやったら反響がすごいと思う。
そりゃ優秀だけど行動が読めない人物相手に仕えていたら不安になるだろなぁ。 室町再興とか意外にそんなもんなんだな。まー確かにそう考える奴は当時ならゴマンといただろうけど。。
資料が無いと、黒幕説やら怨恨説やら好き放題、面白くしようと捏造されまくるな。
>>377
前例のない残虐さ
部下をもてあそぶような粛正
キチガイぶりは史実じゃん
こうやって現代から想像するより
リアルに横にいた感覚ははかりしれないし >>369
いや、光秀は細川藤孝宛の書状で変の動機について藤孝息忠興を引き立てるためとはっきり書いている
見つかってない可能性は否定できないが、自身の娘の嫁ぎ先であり身内である細川を調略するための重要な書状に
真っ先に義昭の名を出さないのはおかしすぎる
変の理由が義昭の命じゃなく忠興を要職につけるだぜ? >>373
大谷吉継が石田三成に対して忠告する際「家康は大身なのにも関わらず人にへりくだって人気があるが、お前は威張っていて人気がない」と言ってるから、家康の謙虚さは有名だったんだろうね。
幕府を開いてからは強気になってるけどw この頃の雑賀衆の反信長派の幹部は土橋氏(粟村、根来専識坊)、岡氏(岡本)、島本氏(狐島)、宮本氏(湊)、松江氏、岡崎氏、鈴木氏
親信長派の幹部が鈴木孫一、太田党、津田氏(根来杉ノ坊)
鈴木孫一(雑賀孫一)は鈴木の家と主旨を異にしていた
>>377
現代に信長がいたらおそらく発達障害のレッテルを貼られると思う
常識を越えた発想をするから >>362
マジだったのかよ
今や風前の灯火であるさいか屋にそんな歴史があったんか 明智光秀の幕府再興のシナリオ
義昭を京に呼び戻して傀儡政権誕生へ
自分は室町幕府の管領として事実上実権を握る
細川、筒井などは副管領として幕府の重職へ
将軍家の威光の元、毛利上杉北条長宗我部と組み各織田軍団を挟み撃ち
光秀の史実からみるパーソナリティは
頭脳明晰、勇敢、策士、ええ恰好しい(下々に)
こんな感じで信長には徹底的に茶坊主
これが謀反起こすのは、やはり信長の狂気にたいする自分もふくめ反感がマックス高まっていると
判断してのことだろ
そして脇ガバガバの好機が来た
あとはやるしかない
理由はぜんぶ後付でもしょうがない
細川親子ってこの時代は長岡姓を名乗ってたんだよな。
後世の歴史家が一々分けるのがめんどいから細川忠興とか言ってるだけで
足利義昭と密約が出来てるのを知ってて毛利は敢えて動かんかったの?いずれにしろ信長が殺されたってわかった上で小早川が追撃しないって判断してんだから結果は一緒だけどさ
でもその密約があったかどうかで毛利というか小早川隆景がどういう意図だったのかが全然変わるんで、こっちの方が新史料としての意味合いあるよね
てか将軍云々の話になればほぼ光秀独断という話であって、陰謀厨的には将軍なんざ黒幕でもなんでもないからつまらんくなるw
>>380
まっさきに義昭の名前を出した書状は見つかってないだけかもな。
名前を出してもいうこと聞かないから別の書状を出したのかもしれん。
秀吉が信長は生きているって嘘をついていたから日和見していたんだろう >>379
んー、信長は残虐さばかりがクローズアップされるけど、村の障害者(もしくはおもらいさん)への保護を村人に命じたり、秀吉の奥さんを励ましながらたしなめたりと言う点もあるんだよね。
本能寺の変でも最後の言葉は「女は遠慮せず出て逃げろ」だから、残虐なだけではないと思う。
当時乱暴狼藉や人買いを厳しく禁じていたのも信長だしなあ。
ただ、気に入らない茶坊主を手打ちにしたり、敵対した相手をなで斬りにするというのも信長の性質。
比叡山については信長よりも足利義教の焼き討ちの方が程度が酷かったらしいが。
この寛容さと残虐さの織り成す奇妙な二面性というのも信長の魅力ではある。
家臣としては大変だったろうけど、柴田勝家のように一度は裏切りながらも織田宗家に忠義を尽くした人物はいるし、魅力はあったのだと思う。 >>395
けなげな人間に
頼られると頑張っちゃう人って感じ ノッブ「降伏したら許す」
敵「降伏します」
ノッブ「許すわけねーだろバーカ 皆殺しじゃ!」
これを毎回やりすぎて最後の方は誰も降伏しなくなってたよね。
松永も荒木も。
>>395
そういう魅力は離れていれば客観的に評価できるが
横にいたらいつ狂気のとばっちり受けるか
わからないからこうなるのでは >>392
細川文庫の膨大な史料の中にその文書がないのは可能性としては相当低い
実際に真っ先に依頼を断ってるわけで、織田に組するにしても中立を貫くにしろ処分する理由がないどころか武器として使えるのに
ましてや忠興=細川の今後を考えれば残しておかない意味がない 書状は胡散臭くも感じるが、謀反を起こしておいて、上意のためです、
ってやるのは理屈にはあってるな。
ただ、そんなもんが古本屋に埋もれてた、ってのは嘘臭い。
>>385
実際発達障害というか双極性障害の気質はあったんだろうね。
宣教師のフロイスも「家臣はみんなビクビクしていた」と書き残しているし。
信長に好意的だったフロイスでさえこう書き残していることは、その気紛れさに閉口していたんだろうね。
家臣や同盟者の立場を離れたフロイスのような宣教師たちだからこそ、ある意味現代の俺達みたく中立的な立場で信長を見ることが出来たのかもしれない。 足利義昭が明智光秀に命令して本能寺の変を起こしたってのは以前から言われてたよね
それが確定したってこと?
>>395
俺も信長の二面性は魅力的だと思うんだけど
メジャーな信長作品では人間味のある個所はほぼカットされてるから
一般人からすると信長=残虐でしかなさそう・・・ 黒人奴隷の弥助は落ちのびたんでしょ
という事は蟻一匹出られないような包囲網ではなかった?
>>377
今の日本の経営者に足りないものを全部持ってるな信長はw >>391
毛利は天下狙わない家訓じゃなかったっけ 雑賀衆を見方に引き入れる書状では、室町幕府の再興を理由にしただけであって
なんとも言えん罠
それが野心であるか、忠義であるか、怨恨であるか
なんてのは
>>406
捕まってるはず
それでお前は人間じゃないからって
理由で解き放ちになった
それ以降の行方は不明 でも、根来衆だの雑賀衆だのが味方で尚且つ足利義昭のお墨付きがあってって・・・。それで大名が味方に付かないとか光秀ってやっぱりアレな人だったのかな?
日本の武家政権(天下人)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー平安時代
平清盛 三重県松阪市
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー鎌倉時代
源頼朝 愛知県名古屋市熱田区
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー室町時代
足利一族 愛知県岡崎市
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー安土時代
織田信長 愛知県愛西市
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー桃山時代
豊臣秀吉 愛知県名古屋市中村区
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー江戸時代
徳川家康 愛知県岡崎市
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー明治時代
島津斉彬 鹿児島県鹿児島市
毛利敬親 山口県山口市 ※明治天皇は長州田布施部落出身の大室寅之祐
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー昭和時代
GHQ 敗戦で植民地化
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー平成時代
豊田章男 愛知県名古屋市昭和区
藤原道長(摂政)→藤原長家(大納言)→三井高利(三井財閥創始者)→三井高長(嫁は惣領家)→豊田章一郎(嫁が三井博子)→豊田章男
>>343
妻子殺しは後世に信長のせいに書き換えた説の方がしっくるくるけどなあ
妻は元々今川出で当然今川滅ぼす時に一悶着あっただろうし、同じ境遇にあった武田信玄は今川責めに反対した長男を切腹させている >>377
腹が立つといきなり切り殺そうとしてきますよ。
・ある時、観内(かんない)という茶坊主が信長に刃向かい、信長はその者を手打ちにしようとした。
観内は台所のお膳の棚の下に隠れた為、信長は刀を振れず、棚の上から刀を差し入れて成敗したという。
このことにより、この刀は「圧切(へしきり)」と名付けられた。 織田信長(尾張)vs足利一族(三河)
豊臣秀吉(尾張)vs徳川家康(三河)
の戦いだったんだよ
>>409
元就が父親とか兄を
大内義興の上洛の時に
苦労の末酒の毒で失ってるから
その辺が影響してそう >>401
古書店から発見されるパターンは結構ある
最近だと真田信繁の有名な歯も抜け髪も黒いところがなくなったって書状の原本や、秀吉の秀頼への大勢の家臣がいたから口吸いできなくて残念って書状も古書店から発見されてる
所有者が相続の際に売却したり、戦後の混乱で散逸したりってのが結構ある 雑賀衆の岡氏の頭領だった岡了順の次男・岡太郎二郎吉正(石山合戦時に織田信長を狙撃して重傷を負わせて有名になった)の長男・左馬助家長が岡本を名乗り、相模に残った末裔がさいか屋の創業者岡本家
>>399
>>402にも書いたけど、フロイスが「家臣は常にビクビクしていた」と書き残しているから、いつ気紛れで処分されるか家臣や同盟者はたまったもんじゃなかったろうね。
松永久秀も荒木村重も粛清を畏れて謀反しているし。
ただ、同じく謀反した高山右近等は早期に降伏したんで優遇されている。
佐久間信盛追放の際の書状を見るに、家臣のことを良く見ているんだけど、裏を返せばそこまで見透かされてしまっているんで、本当に不気味ではあったろうと思う。
後、土地信仰が今よりも強かった戦国時代に、土地に捉われずポンポンと家臣を転属させるという点についても、当時の家臣からは「いつ飛ばされるかわからん」という不安もあったろうね。
武将を土地から切り離すというのは、信長が嚆矢だろうから。 太閣立志伝の明智光秀はそんなイベントになっていたなぁ…。
>>413
本能寺で信長の首が見つからなかった。
秀吉が信長は家臣とともに逃げて生きていると嘘をついて武将が
光秀に味方しないようにした >>409
うん。なので光秀の動機としての義昭黒幕説が本当だとすれば、毛利はハナから将軍を担ぐ意図なんかなかったということになるんじゃないかな
結果を知ってやめたとしても同じく
どのみち義昭担いで云々って全国の大名にほぼ効果ないよねw
大義的には使えるけどさ 項羽と同じで単なる恐怖政治じゃ結局天下は治まらなかったと思うよ
>>295
本能寺さえ無ければ太平洋戦争は起こってなかったが正しいと思う。 長く戦国の世が続いて足利自体が権威持ってないのに、そんなの担ぎ出しても上手くいかないだろにな
>>409
毛利に限らず人間想像もつかない天変地異な事が起こると⁉︎⁉︎っとなって動けなくなるのかもな
ましてや軍を動かすとなると…
実際本能寺の変後動けてたのは明智本人と秀吉周辺のみ
あとは知ってても様子見で傍観 初期の信長と同じやり方やって、第二の信長になる気マンマンじゃん、的な
>>433
その忠義先である室町幕府は鎌倉幕府を倒し後醍醐天皇を追放し
以下ループ >>427
毛利も吉川と小早川で意見が割れていてギリギリで小早川の意見が通った。
小早川は義昭光秀を切って秀吉に恩を売った >>405
信長=残酷な革新者とする方がキャラが立てやすいという演出上の効果があるからね。
実際は皇室や宗教団体という古い権力も利用するなど、もっと柔軟な人物だったと思う。
>>417
立花道雪や福島正則の逸話のように、家臣を生殺与奪を主君が握ってる時代という点があるから、手打ちは珍しいことではなかったろうと思う。
別の逸話で、信長が京都で女性をからかった家臣を手打ちにしたり、神妙裁判での敗訴を認めたがらない家臣を手打ちにするというものがあるけど、それは残虐と言われないからなぁ…。 >>435
一応、戦国時代にはキャラックのコピー船を造ってるよ
朱印船貿易なんかもやってた 老い先短いからいじめの仕返し&足利再興なんていうノスタルジーに夢見たんだな
本人にトップに立つカリスマ性も自信もなかったんだろうね
傀儡お飾りを用意しないと人を動かせない
それだと乱世を生きて勝ち抜いてきた人間は従わない
>>424
関ヶ原の戦いで、怒り昂って旗本に切りつけたという逸話があるから、表ざたになっていない手打ちはあったろうと思う。
まあ、家康も本質はかなり短気で、爪を噛む癖があったらしい。
ただ、それを自覚していたんで、自身をコントロールできる術をもってたんだろうね。 >>90 細川藤孝は、光秀が勝てないことを
わかっていて誘いにものらなかった。
明智軍に細川軍が加われば、秀吉軍と互角
になると思うが、それでもやや足りないんだろうな。
あと、本能寺の変の直前に、信長からの動員命令を
シカトしているから、細川藤孝は何か知っていたらしい。 >>442
パワハラで精神が壊れて誇大妄想に取り付かれたんだと、考えると切ないなあ >>403
うちのネコみたい
うちでメシ食って昼寝して夜だけ実家に帰ってる >>443
信長も室町幕府再興を名目にして動いたんや。
信長は途中で義昭に謀反をした。 >>439
どのみち足利義昭と光秀にそこまでの権威と力量を感じてなかったってことだよね
大内の脅威>>>義昭・光秀 >>444 家康が本能寺の変のあと
やったことは、まっさきに穴山の領地を
攻めとることだった。京都へ軍勢を出したのは
遅くて、そのあと。
伊賀超えで、穴山と家康は別行動をとったというのに
穴山は最後に切腹したことを知ってる。家康が
殺したらしい。だから浜松に帰ったあとは
すぐに穴山の領地分捕りに動いた。 >>448
裏切られたのは信長の方な気もするけどなw >>440
火起請とか普通に自分でやるんでしょ。頭がおかしいとか。 >>444
爪を噛むのと茶坊主を切り殺すのを一緒にされても・・・・ 信長はどうも残虐面ばかり取り沙汰されるな
関所撤廃や楽市楽座などで領土は富み、アレだけの戦争を行える経済基盤を作り
他国からの移住者は、どんな者でも、まえまえからの者と差別しないなど
虐げられる対象だった町民達も織田軍は軍規が行き届いて乱暴狼藉を働かないから
他の大名支配地域より安心して暮らせたと思うんだがな。
>>344
謙信が女とかネタで言ってるんよね?
時々本気で信じてる馬鹿がいるから判断に困る アホみたいな謀反に付き合わされて光秀の部下が不憫でならないわ
>>451
互いに利用する気でしかなかったんだから、どっちも裏切られたってことはないかなw
本人らの内心的には裏切られたってことになるんだろうけどさ >>442
68歳って、ものすごく高齢だぞ。
長男はまだ13歳ぐらい。
実際はもっと若くても良さそうだけど。
同年齢ぐらいの滝川は上野(群馬)に
派遣されて、茶友達に手紙を出した内容が
絶望そのもので悲痛。 >>454
勢力拡大後の織田の清州とか岐阜辺りは暮らしやすそうではある
北条とかいいけど
北の軍神様の乱どりがあるから >>456 部下が主導したんだよ。光秀は
それに乗っただけ。 言い訳じゃね
たまたまビックチャンスがやってきて
成功しただけで
今度はそれを動かす権威が欲しいからってだけだろ
秀吉や家康もいじめ、いびりうけまくりの前半生だろうが
そこで暴発しない、チャンスがこなけりゃあきらめるというのが最後にかつんだわな
足利幕府が有名無実化していたとしても
あの時代に多少なりとも将軍家の威光はまだあったよ
上杉謙信が本気で室町幕府再興しようとしていたんだし
>>462
言い訳というか大義名分アピールだろね
朝廷がバックなら朝廷の名前出せばいいだけの話なのに没落将軍だからねぇ 捏造でしょ、こういうのは
日帝の従軍慰安婦関連や南京大虐殺みたいに証拠はとことん隠滅するもんだろうし
>>267
信長いなければキリシタンに蹂躙されてたかも
戦国時代で良かった >>452
当時は火起請とか神託が真面目に信じられていた時代で、判断に正当性が認められていたからね。
今の視点だとカルトとか宗教狂いのように思われるけど、当時の人たちに取っては今の裁判所の判断並みに絶対視されていたものだったんだよ。
だから、火起請をした信長が特段狂っているわけではない。その逸話も、信長がイカれているというよりも、部下と同じ条件で公平性を持つ主君としての側面が強いと思う。
あと、部下を殺すことについてだけど、部下思いで名将と知られた立花道雪ですら、正月に無断で帰省した部下を家族もろとも斬り殺せと命じた逸話が残っている。
その逸話の恐ろしいところは、部下本人への処罰が問題で残った逸話というより、部下の家族も連座して処罰するのが珍しいということで残った逸話だということだ。
だから、部下の手打ちというのは、わざわざ資料に残すまでもなく一般的だったんだろうなと思う。 信長の野望・創造 戦国立志伝 人気投票結果
1位 織田信長
2位 真田幸村
3位 上杉謙信
4位 伊達政宗
5位 真田昌幸
6位 武田信玄
7位 立花宗茂
8位 黒田官兵衛
9位 山県昌景
10位 島津義弘
15位 大谷吉継
17位 北条氏康
30位 立花ァ千代
37位 尼子経久
57位 井伊直虎
76位 島津豊久
98位 長宗我部盛親
「本能寺の変」の真相!信長を殺し世界支配下に日本を組み込む
http://rakusen.exblog.jp/22192745/
今回番組は織田信長について事前調査を行った所、愛知県の西山自然歴史博物館に信長にゆかりの
あるものがある事がわかった。実際に博物館を尋ねると、そこには信長のデスマスクが残されていた。
館長の西山氏によると、これは黒人の彌助という家臣が信長の首を持ち出し、作ったものだという。
「家忠日記」という歴史資料に彌助という名前のくろ男を信長が連れていたという記述が残されていた。
更に「信長公記」などを調べると、信長と彌助の出会いの記述も残されていた。彌助は日本語を話す
こともでき、信長は海外の事についていくつも質問していたという。
当時なぜ黒人が日本にいたのか、当時の事に詳しい南蛮文化館を尋ねた。当時の南蛮屏風には
宣教師が黒人のお供を連れて日本を訪れ、次々と南蛮寺と呼ばれる協会を建設した様が描かれていた。
彌助も宣教師のヴァリニャーノのお供として日本を訪れたのだという。
織田信長は中国大陸制覇を進めようとしたので、それを阻止しようとしたイエズス会(ヨーロッパ植民地支配)と
さらに織田信長が金本位制も進めようとしていたので、国内で不利益を被る金融マフィアの京都の角倉、
蜷川一族と天皇公家の吉田兼見がイエズス会と信長の次を狙う徳川家康(どうも黒田官兵衛も一枚かんで
そうだな!)らと組んで企てた暗殺計画だったのではあるまいか?(※その後、徳川家はイエズス会を
スキップしロスチャイルド家と結びついていった。ただ黒田家は維持?)
なお当時のマスコミ役の僧侶の行脚・宣伝によって明智光秀が犯人にされてしまった。
また、この世界支配下に日本を組み込む、と言う内乱は明治維新でも同じ構造だった事がわかっている。
信長の最期:イエズス会の誤訳ではなかった!
http://blog.goo.ne.jp/akechikenzaburotekisekai/e/a391e78107d1f3dcf60cf4a01aa20cf4
池田家本は「その後、御鑓(やり)にて御戦いになり、御肘に鑓疵を被り、引き退いた」とあるが、尊経閣本では
「その後、御長刀(なぎなた)取らせられ候ところに、御肘に鉄砲あたり、引き退き候」となっている
ところが、尊経閣本はなんとフロイス『一五八二年日本年報追加』と同内容なのです!「やりをなぎなた、
やりきずを鉄砲きず」と書いてあるのです。
これから推理できることは以下の通りです。
太田牛一が本能寺の変直後に書いた素稿は尊経閣本の原本だった。その原稿(あるいは写し取ったもの)が
京都のイエズス会を経由してフロイスへ渡った。誤訳はなく、牛一の原稿を正しくポルトガル語に翻訳していた。 信長の野望・大志 父親にしたい武将アンケート 結果発表
1位 真田昌幸
2位 毛利元就
3位 上杉謙信
4位 北条氏康
5位 織田信長
最新作「信長の野望・大志」
織田信長
織田市
伊達政宗
山県昌景
関ヶ原
織田vs朝倉
武田北条今川長野
今冬発売 >>464
威光は完全にないよ。謙信こそ関東菅領の名分があったからこそ足利将軍家云々をアピールしなきゃならんかったわけで
個人的な義やらなんやらはあったろうけどね 大義名分は必要だからな
今の日本でクーデターする際に大日本帝国や江戸幕府の再興とか言うようなものだ
>>464
足利幕府の将軍が京都から追い出され、その後有力大名を頼って復帰するというのは室町後期の良くある話だからね。
義昭も、一度追放されたくらいでは諦めていなかったろう。
現に、足利義晴なんて何度京都を追い出されたことか。
もっと、室町後期のカオスな状況は知られるべきだと思う。 全ては将軍家の為にっていう義の人だったんでしょ
良いか悪いかは置いといて
信長が革新的、革新的とかいってるけど、
結局は身内大事で部下は使い捨ててるのが見え見えだったから
謀反されて殺されただけじゃねーか
徐福伝説って名古屋市熱田なんだわ
熱田の古名は「蓬莱(ほうらい)」
熱田神宮の中には「楊貴妃の墓(五輪塔)」
熱田神宮の古名は「蓬莱の宮」
名古屋の古名は「蓬左(ほうさ)」
名古屋城の別名は「蓬左城(ほうさじょう)」
それで「蓬左文庫(徳川園)」や「あつた蓬萊軒(ひつまぶし)」
細川は日和見で室町幕府再興なんて考えてなかったから光秀の誘いを断ったのか
まあ歴史的な価値はあるだろうけど
光秀の行動に意外性が見られるわけでもないし、大したインパクトも無いな
>>474
いや、室町幕府の威光が残っているからこそ、信長は上洛の大義名分として足利義昭を奉じたんだろうと思う。
んで、足利義昭と仲たがいしたから、将軍家とは別の権威である皇室の権威を利用したというのが、信長包囲網時代の政略ではないのかな。
権威が無ければ、わざわざ足利義輝を討った三好三人衆が傀儡将軍として足利義栄を擁立しないだろうし。 名目上は、義昭は秀吉が九州を平定するまで将軍だった(1588年)
信長が西洋の魔術で魔王を降臨させようとしていて
それを察知した陰陽寮の陰陽師が光秀に討たせたんじゃなかったの?
大義でやったなら、足利復興のため、という口上を述べてから攻め入り、犯行声明もすぐにださないと
織田信長を殺したのは、明智光秀ではなかった?黒幕は宣教師?新説・本能寺の変
http://biz-journal.jp/2015/07/post_10593.html
八切止夫氏は、1967年に『信長殺し、光秀ではない』(講談社)を上梓し、「本能寺を襲撃したのは明智光秀
でなく、信長はイエズス会宣教師が持ち込んだ爆薬で殺害された」という衝撃的な新説を提唱した。
加藤廣氏の『信長の棺』(日本経済新聞社)は、時の首相が愛読したことで話題を集めた。同書では、
「信長は、光秀の襲撃を受けながら、南蛮寺への抜け穴の存在により、脱出できるはずだった。だが、
羽柴秀吉の配下が抜け穴を封鎖したことから、窒息死する」という設定が用いられている。
立花京子氏は『信長と十字架―「天下布武」の真実を追う』(集英社)で、「信長は南蛮勢力(スペイン・
ポルトガル)の指示にもとづき、国内の統一を推進していた。にもかかわらず、イエズス会の宣教師は、
信長の存在を危険視し、光秀に対して信長襲撃を命令した」という衝撃的な説を提唱した。 >>481
筋で言えば一番足利家に忠義示さなきゃならんのは三菅領の細川家だからね。なんせ義昭を表に引っ張り出したのは誰あろう藤孝なわけで
でもそれをしなかったってのは一度出奔してまた出戻り…ってのもあったろうし、忠義を尽くすだけの理由も権威も感じでなかったのが最大の理由だろう >>18
鳥羽伏見では朝敵というだけで、戦局が大いに変化するほど効果があったけど
戦国時代は朝廷の権威が落ちぶれており
朝廷なんかに時間割く暇があれば、織田家臣取り込んどけばと思うね
明智はまず近江を制圧し、最初攻めてくるのは柴田勝家だと思ったのだろう
しかし予想を覆し西から羽柴秀吉が攻めてきた
これが大きな誤算だったのだろう >>481
細川は信長に不満は無いからな
嫡男の忠興も信長に気に入られていたようだし >>483
すまん、信長上洛時代の話はしてないんだ 将軍になるには、謀反の理由と権威がいるからな
信長への恨みもあったんじゃないの
>>423 家康は信長からは舎弟扱いされているけど、
家来じゃなくて独自の大名だから、意外と言いなりでも
ないんだよな。同盟は長く続いてはいるけどね。
同じく舎弟扱いされた浅井はああなってしまっているし、
信長の武田攻めのさいに、家康は穴山に甲府を勝頼の代わりに
任せることを条件として、内通している。
しかし信長はそんな家康の苦労を無視して(四国の長宗我部と
連絡した明智とも同じだな。部下のメンツをつぶす行為)
穴山の領地は現状維持のままで甲府は与えずに、織田の領地にしてしまった。
家康は約束違反となってしまって気まずいから、信長へ交渉する、何年でも。
かなわないなら穴山と強力して(信長へ)実力行使も辞さず、という文書を穴山に与えるほど。 >>477
変直後の明智光秀から細川親子への手紙も原本が残ってるけど、将軍家の為などと書いてないどころか
細川親子の為とかよくわからない事まで書いてる始末。将軍家なんてその場限りの言い訳に使ってた
可能性の方が高い。 元々明智光秀は細川藤孝の家臣だったのを、足利義昭が直臣にしたという話もある(byフロイス)から、義昭に対する個人的な忠誠心は持ち合わせていたのかもしれない。
でも、それなら義昭が信長打倒のために挙兵した時に義昭側に参加しているだろうから、その点引っかかるところがある。
義昭の挙兵を不利とみて裏切ったけど、その後悔が本人をして信長打倒に走らせたのか。
あるいは、義昭が信長の勢力拡大による家臣団の大編成に心揺らいでいた光秀を焚き付けたのか。
信長神格化してるから単純な事実が見えない
この時代、部下に寝首を取られる武将は沢山いたし、勝算のない謀叛も沢山あった
信長と光秀の相性は最悪
しかも勝頼が死んだため信長の敵は八割方滅亡し、いよいよ織田家による日本支配の寸前まで来た
このとき功労ある家臣の大半を信長は誅する予定であるのは家中トップクラスの光秀はひしひしと感じていた
殺さなければ殺されるギリギリのタイミングで当然の決断だろう
かつて仕えた義昭の名を出すのは一人でも味方を増やしたいためでありそもそもこんな目的じゃないよ
こんなの後付の理由だろ
畿内で思ったより仲間が増えないから無理やり正当性を補っただけ
義昭を庇護している毛利が秀吉と組んでいるだから苦しすぎる
逆に大したこと正当性もなく実行したことを示す証拠に見える
室町幕府再興で旗揚げしたのに義昭を追放した信長は謀反人。
義昭の命に従って信長を討った光秀は忠臣だった。
でも信長秀吉たちは自分たちが足利将軍家に謀反をしたことを隠すために
光秀単独犯にして光秀を謀反人に仕立て上げた。
>>489
京兆家じゃないし
そんな思いあったのかな >>491 細川は信長とは結構ウマが合うし、
なんといっても秀吉と細川は大の仲良し。
秀吉からは「何の隠し立てもしないから今後もよろしく」
という文書のやりとりが本能寺の変の前からあったくらい。 >>489
藤孝は管領家の細川じゃないぞ
分家の分家の分家のかなり相当遠い親戚で違う苗字だったし 自分が死ぬ頃には 実はチンギスハーンは源義経でした なんて言われるかもしれない。
http://www.link-21.com/earth/box/026.html
1582年、信長は、次男・織田信雄の領地である南伊勢に、ユダヤ教の聖地を作ることを決めて、造営費用
3000貫を用立てしました。信長は、イスラム教の聖地であるマッカのカアバ神殿のような神殿を南伊勢に
建立することを計画し、神宮と称する社を計画します。後の伊勢外宮(豊受大神宮)です。
また、この時期に、イタリア人の宣教師(伴天連)アレッサンドロ・ヴァリニャーノが信長に謁見した際に奴隷
として引き連れてこられた黒人を弥助として家臣に取り立てています。かれはイスラム教徒であり、神宮の
建設の際のアドバイス役でもあったでしょう。
ルイスは、比叡山の焼き討ちや、一向一揆や本願寺との戦いで、信長が反キリスト教であることを見抜いて
いましたが、信長の神宮の建設計画は考えもつかなかったことでしょう。ルイスはイエズス会本部に信長の
イスラム教へ接近と聖地建設を報告します。
これに激怒したイエズス会は、ルイスに信長暗殺を指示します。ルイスは、比叡山や公家と共謀し、1582年、
本能寺の変を起こしました。
京都に残っていた明智光秀の軍は、信長の救出に向かいますが間に合わず、家康を護衛しながら江戸に
逃げます。光秀は出家して天海となり徳川家の家臣となって徳川幕府の建設の尽力することになります。
本能寺の変で信長と嫡男の信忠の死で神宮建立は頓挫しますが、キリスト教が武家と対立することを信長
から学んだ羽柴秀吉と徳川家康は、神宮の建立の遺志を受け継ぎます。
1584年、羽柴秀吉が黄金250枚を神宮の建立資金として寄進1609年、徳川家康から6万石分の兵粮米が
造営費用として寄進され、伊勢外宮(豊受大神宮)が建立されます。
江戸時代の伊勢外宮への集団参拝は、まさしく聖地への巡礼です。 >>503 細川って、実質的に室町幕府を
動かしていた実力者だよな。
義昭もやる仕事はたくさんあっただろうけど。 黒幕は上杉景勝と思ってたがまさかの将軍義昭だったか
まぁ何はともあれ、秀吉や家康が黒幕というアホな陰謀説が消えたことは良かった
織田信長を討った時点で秀吉が味方につくかどうか
光秀には分からないんだから
秀吉宛てにも書状を送った可能性は充分にあるよね?
秀吉がそれを受け取っていたらその書状を
光秀謀反の証拠としてプロパガンダに使いそうだけど
それをしなかったのは書状に秀吉にとって都合の悪いことが
書かれていたからだったりして。
仮に最初から秀吉と共謀した謀反だったとしても
それはそれで秀吉に『フェイズ1終了』の書状を
送る必要があるけど
そっちは100%闇に葬られる類いの書状になる。
興味あるな。
秀吉あての光秀の書状
足利幕府は元々体制が極めて脆弱で、義昭追放後からすでに9年経っている本能寺の時点で
幕府再興は全く現実味がない話
この書状は仮に本物としても、味方をたくさん集めたいためだけの口実だろう
あと、本能寺の変に黒幕なんていませんから
いい加減にミステリー仕立てにして興味を引き付けようとするしょーもない珍説には
幕引きしよう
仮に室町幕府再興を本気で考えてたなら光秀って時代が読めなさすぎ。
信長は守旧派を甘く見て殺されたのか
楽市楽座も信長から始めたわけでもないし
なんだかしまらない人物だ
>>507 光秀はキリシタンでもないし、
イエズス会とはそんなに仲良いわけでもないから無理筋。 古い時代の再興を目指す人が現在の信長の時代を終わらせたら
どっちも消えてしまったというなんともかんともなオチでござるな
これは別に幕府再興説を補強していない
写しの内容と変わらんし
>>511
秀吉に書状なんて送るわけがない
そんな可能性は0
毛利側に密書届けるのに、秀吉の陣営をいかにかいくぐるか苦労したのだから
これって原本が見つかったというだけで写しは今までもあったのでは?
新事実が明らかになったわけじゃないよね
>>512 味方をたくさん集めたいためだけの口実
という案に賛成。結局、味方しなかったし、
というか、秀吉の軍勢が大杉。 >>155
太田牛一「違うよ、公方様が御謀叛された」 >>420
それは分かるけど、だからこそ捏造の王道なんだよ。
こんなもん出てきて、はいそうですか、信じますね、とはならんよ。 >>1
写しは前からあってそれの原本が今回見つかったってことか
別に世紀の新発見て訳でもないんだな >>513
信長も名目上、室町幕府再興で義昭担ぎ上げて上洛したのだから間違いではない >>519 光秀からの手紙があるというのは、
協力者と見なされて危険だから処分されて
残ってない、という考え方も一理あるけど、
写しを作ったということは、わざと残してあるわな。
細川家への協力依頼の手紙もわざと残したんじゃないかな。
偽造説もあるけど。 と言うか、こういうことして多数派工作して、主力武将を戦線に張り付けるのが
戦略だったことは分かりきってる話だろ。
秀吉の思いがけない畿内進出で意表を突かれただけで。
当時の情報伝達の遅さからするとほとんどの大名は何が起こってるんだ?えっもう終わったの?
みたいな感じなんだろうな
>>492
上洛以後も、信長は朝廷を通じた上で将軍命令として敵対する比叡山との和睦交渉を進めているから、義昭が信長と対立して追放されるまでは権威はあったろうと思う。
追放された後、足利義昭の鞆幕府がどれほど権限があったのかは分からないけど、毛利氏の客将扱いだったから全く権威が無かったわけではないと思う。
>>494
個人的には、徳川家康は限りなく織田信長に臣従していたのだと思う。
今川からの独立時は三河一国を掌握していないし、独立の経緯を見ても、織田家に臣従する算段をつけていないと今川の反撃を受けて滅亡する恐れがあった。
信康事件(家康と信康との主導権争いという説に立つ)でも家康はわざわざ家中の問題を信長に報告して伺いを立てているし、甲州征伐でも主導権は完全に織田側にあって駿河を信長から拝領する形になってしまっている。
本能寺の変の時は、その駿河拝領のお礼のために安土や堺を訪問させられているし、同盟者というよりも完全に家臣扱いだと思うんだよね。 信長のパワハラは羽柴(豊臣)秀吉や徳川家康に対してもあったからね
彼らは最後まで忠義を尽くしたし織田政権時代で既に有能さが際立っていた
信長はかつて裏切った柴田勝家を許し筆頭家老にしたり
松永久秀の裏切りを1度許したりもしている
一方では長島一向一揆、浅井長政、朝倉義景、武田勝頼らに対しては徹底的だった
長島と勝頼は和睦を申し込むも拒絶し無残に滅ぼし
浅井浅倉は親戚であったのにも関わらず容赦なく滅ぼした
それらに関しては信長を怒らせただけの理由はある
謎なのは織田家臣で柴田丹羽同様有能で大物でありながら
ある日突然追放された「佐久間信盛」
桶狭間にも参戦し、三方ヶ原で家康援軍の大将として武田信玄と直接戦った唯一の重臣
織田家にとって最大の敵であった本願寺相手に10年も戦い続けた名将だよ
>>7
最初から、足利側。
と言う解釈なら裏切ってはない >>51 秀吉は、家康の甲府・信濃の
簒奪を、清洲会議でも黙認しているからなあ。
本来なら家康に「返せ!」といってもおかしくない。
あと、本能寺の変の数ヶ月後に、「惟任退治記」を
秀吉は出版しているが、信長のことを悪く書いてる。
秀吉は信長のことを内心嫌っていた模様。女をはべらせて
いたのが嫌だったらしい。 >>525
細川には息子たちのためにやったという書状を書いて、土橋には足利幕府再興のためと書いているあたり、単にパニクってる必死なおっさんしか思い浮かばない
やっぱり後先考えずに突発的に殺っちゃったんだろうなと思う
黒幕は誰?とか考えるのは楽しいけどねえ 信長の合理主義は家臣団にも発揮され順繰りに誅殺していく予定であった
信長の見方では、そもそも軍隊とは資金を提供する主君に忠誠するものであり、中間管理職はできればリストラ=誅殺して経費削減したいのである
この合理主義てか酷薄なセンスでのしあがり、そのせいで部下に殺されるという大馬鹿者のうつけである
文人や知識人から信長の評価が極めて低いのは当然であるが、戦後なぜか評価が上がったのである
>>532
佐久間は無能だったから追放されたんだろ。秀吉や光秀に比べたら見劣りするから。 で、光秀はなんで謀反したんだ?
幕府再興なんてのはタテマエに
しか見えないけどなあ。
足利家再興を心に秘して信長に仕えてたのだとするとまた面白い信長ストーリーがうまれそうだな
>>532
佐久間信盛の追放については、信長による「折檻状」がその理由を詳しく述べてくれているからまだわかりやすい。
曰く、他の武将が頑張ってるのに何やってんの!、策が無いなら聞きに来いよ!、知行を増やしても家臣を増やさないのはどーゆうことよ!って感じで、細かく理由を書いてくれている。
んで、追放されるのが嫌ならリベンジしなさいよという感じで挽回の方法まで教えてくれているから、あながち無理目な話でもない。
それよりも、林秀貞の追放の方が、いきなり二十年以上前の謀反の責任を蒸し返された上の話なんで、無理筋ではあるんだよね。 >>532
緒形直人の信長だと
何もやってないこと批判されてたね
佐久間の笛が上手くなったことが
良き事かって激怒してたw >>539
自分もこのままいけば使い捨てで粛清されると思ったんだろ。 雑賀衆とコンタクトしたら義昭側だというので俺もそうだよと返事しただけじゃんw
>>7
家康がどうたらこうたらとか言ってた人もいたなあ >>532 佐久間信盛は、本願寺相手に10年間の間、
ろくに戦いも調略も仕掛けなかったことが
信長には気にいらなかったらしい。ただ囲んでいた
だけじゃないかと。佐久間信盛は追放後にわりと
短期間で死ぬから、体調が悪かったんじゃないかと思うけどね。
信長は本願寺攻めで先頭にたって陣頭指揮していたら
鉄砲で打たれてしまって、本当に死ぬところだった。
だから坊主相手だからといって甘くみるんじゃない、と極めて強硬。 >>531
家康は織田の家臣同然だわな
同盟国同士だと思ってるのは歴史の勝者に誘導されてるだけだね 秀吉も大勝負に出たもんだな
光秀にもうバックがついてるかもわかんないのに
信長の末期家臣への待遇を見れば既に信長自身光秀だけでなく家康にも嫌疑の目で見ていた雰囲気はあるしこの密談は薄々信長自身感じてたんじゃねえか
>>548 秀吉はさらにあとで
義昭を家来にしているからな。
征夷大将軍義昭を部下にして、秀吉は関白。
まさに理想的態勢だな。 >>538
子孫というか甲冑マニアが
分家の養子に入り込んだんだろ。
あと、次郎法師(女)と別人の直虎(男)が
いたっていう説だったはず >>552
バレたらまずいものなら処分するだろうけど
そういう間柄でもないし、残しててもおかしくない >>534
家康はいわゆる清須会議には参加してないよ
織田家当主を誰にするか決めるほうが優先されたのでは?
返せといったところで、実力行使して家康から領土を奪還できる織田家勢力が甲信には残ってなかったし >>70
秀吉は信長におべっか使った説がある。ほぼ制圧できる状態が整った段階で信長を呼び寄せてトドメを刺してもらう。
良いとこ取りの信長は気分良しで、ライバルに手柄を渡すわけでも無い秀吉の評価も上がる。 秀吉じゃなくて信長が天下を取っていたら、全東アジアを支配できたかもなあ。
この藤田って学者が唱える説は割とトンデモ寄りで学会ではあまり相手にされてなかったはず
眉に唾付けて聞いた方がよさそう
>>547
真面目な話、織田政権下の中の徳川家は織田の同盟者として見るよりも東海道担当の方面司令官と見た方が分かりやすいんだよね。
そもそも徳川家は独立時点で三河を掌握できていなかったし、織田に臣従することで東海道での勢力拡大を図っていたとしか考えられない。
んで、その「臣従していた」過去を消したいがために「徳川は織田の同盟者」だと江戸時代に喧伝したんだろう。
>>550
裏を返せば、雑賀はまだ当時も足利義昭の権威を認めていたということになるよね。 奇抜なこと言わねえと注目されねえからこんなこと言い出したのか
>>562
この書状をもって、室町幕府再興説はキツイよね 機内を管理させてた譜代の佐久間を追放したツケだな。
末期の信長はほんとに疎漏さが目立つ。
光秀の子孫によると
家康殺そうとして罠にはめたつもりが
逆に家康に罠にはめられていた
光秀は家康派だったが秀吉が横から天下をさらっていった
らしい
あんま好きじゃないけどガチ子孫だったからか本は売れた
信長が生きてたら、世界史がまるで変っていたはずだ。
東アジアはほぼ日本が統治、その段階で西欧と正面から戦争。
文化も鎖国の江戸時代がないので、かなり違っていたはずだ。
ある意味、別世界だろう。
あれ、三日間だけの天下だろ何日経ってんだよ、
偽物だなこれ
本意はどうあれ、これしか大義名分がなかったのだよ。
義昭を奉ずる毛利、関東管領の上杉、三好と戦う長宗我部、
反信長勢力すべてをまとめるにはこれしかなかった。
>>558
んで信長は「猿め、わしに手柄を渡そうと芝居を打ったな。こざかしい、さがれ!」
つんでれだよな、信長は こういう手紙とか文献がちょこちょこ出てくるのってどういう仕組みなん?
時にはそれまでの常識や通説をひっくり返すほどの貴重な資料が発見されたりもするけど
誰かが小出しに世に出してるの?
戦乱に明け暮れた内政面の権力バランスが崩れた
丁度民進の崩壊して行く様なもんか
>>32
ゴキブリ在日は半島に帰って北か下で戦ってろ あれか、明智は旧主君を匿っている毛利を攻めろと命令されて
進退窮まって謀反を起こしたのか
となると、救援要請をした秀吉もグルだな
毛利と光秀は連携してないと思う
おそらく信長が死んだのは知ってたと思うがまさかそれが織田政権瓦解になるとまでは思ってなかっただろうから追撃もせず様子見したんだろ
>書状の手書きの写しは東京大史料編纂(へんさん)所に残っていたが
ちゃんと記事読めよ
光秀は毛利領地への国替えとかいう無理ゲーでキレたんじゃないの
まあ、将軍を奉ずるというのは、発想としては応仁の乱以降、
細川、三好、織田がやったことなので、実にオーソドックスといえばオーソドックス。
秀吉は織田家を担いだが、光秀はもう担げないんで。
>>583
水運考えたら
ふつうに大阪だと思う
岐阜既に信忠の居城だったし >>568 本能寺の変の実質的首謀者である斎藤利三、
その娘と家康はズブズブだったからなあ。
家康の晩年は子煩悩なのに、そんな時期に次期将軍になる孫に
本能寺の変の首謀者(の娘)を養育にべったり付けたんだぜ。 >>570
いまごろ日本人はモンゴルで遊牧をやってるかもしれない >>29
隆景が止めた
それを功とし、秀吉は毛利家を潰さなかった 自分への支援取り付けに奔走していた頃の手紙を真に受けるなよ。
そなたには○○一国進ぜようと何ら変わらんぞ
歴史にタラレバは無い
言いたい奴は妄想膨らませて小説でも書けば?
光秀天海説って好きなんだけどな、それを裏付ける証拠にはならんかw
>>588 信長は故郷というか生まれ育った地域
にあんまりこだわりがないよな。
次々に本拠地を移していってる。部下にも強要。 時代を読めなかった男
室町幕府再興なんて武家も庶民も望んでいなかったというね
なんか後付けっぽいけどな。
酒の席で部下を虐めるパワハラブラック上司なら、理屈抜きでブチ殺したくもなるわ。
戦国武将と言うと聞こえがいいが、
ISISみたいな連中だよ。
粛清してたら周りもたまには反撃するだろ。
>>574
まとめると言ってもなあ
反信長勢力なんて以前から「敵の敵は味方」程度の団結力しかなかったじゃん
そうでなければとっくの昔に織田家は滅んでるよ
そんな烏合の衆を集めてどうするつもりだったんだろうか >>582
お手紙の時代だし毛利としては不確かな情報で動けないだろう
秀吉は毛利攻め止めてガセだったら信長にブチ切れられるのに大返しした
たぶん秀吉はある程度事前に掴んでたんだろう >>588
家督は信忠に映って移ってから、徳川幕府で言う駿府が大阪だったかも。 >>596
こだわりないことはないだろうけど
尾張美濃は有数の穀倉地帯だし
経済的に重要拠点だから
そういった側面でも大切に考えてたと思う こんな研究も歴史も何もかもロシア中国北朝鮮の水爆ミサイルで吹き飛ばされて終わりだから意味ないよ
これすげー発見じゃないか
ホモ間の痴情のもつれ派は反省しろ
>>577 価値ある文書が残っていても、
現在それを保管している人がそれを読めないのよ。
だから内容も価値もわからない。
とりあえずとっておくから、こうなる。 >>600
効果はともかく、大義名分掲げて、
とりあえず、柴田、秀吉、丹羽と和睦するのはやめてくれ、という懇願みたいなもんでしょ。 >>605
石山本願寺跡地利用については
信長のアイデアのパクリだと言われてる そらあの状況で味方増やそうと思ったらそうでもいうしかないだろ単なる打算
>>570
そうなってたら今頃日本中国人だらけで日本人はマイノリティーになってるよ
もはや別の国 これはその時、歴史は動いただな
袋叩きを逃れるための大義名分が必要やったんやな
信長生きてたら織田幕府か織田王朝を開いたのは確実だし
スペインあたりと提携してルソン征伐とかやったかもしれないが
そのせいで重税と海外戦争に苦しめられる武士も農民も死にかけただろう
そもそも内政に手腕ある光秀を無能の極みとして領地没収し中国九州方面で転戦せよとは死ねと命令するに等しく
そもそも日本を経営できるような知能は信長にはない
能吏である光秀は信長の器量を見抜き日本を救う意識もあったであろう
ちなみに義昭の護衛をしていた光秀を引き抜き足利関係の仕事やらせたのも俸給が安いのによく働くという理由であり、
最初に任されたのは朝倉攻めの撤退戦で通常ならば確実に死んでいる任務であった
最初から死んで当然の使い捨て要員であった光秀は信長の酷薄な性格を熟知していたのである
>>588
信長が生きていたら、滋賀が首都になる可能性があったんじゃね
信長は流通の要衝琵琶湖押さえて息子は二条城にいたし 430年以上前の紙にしては白すぎる(´・ω・`)
そんな資料が日本各地にあるんだ。w
>>604 秀吉も故郷の尾張のことは
それなりに大切に考えていたのだけど、
偉くなってからその地域をたまたま通ったとき、
昔おさないころに秀吉をいじめていたガキ大将がいた
ことを思い出して、探し出して首をはねるように命令。
あいにくそやつはもう死んでいたから報復はできなかった。
イジメはよくない。こういうことになる。 >>605
やっぱ安土だろうね。
京都監視と戦術的にも良い場所だし
何より城自体の拘りがずば抜けてる >>610
そんなんあるんだ
秀吉ならありえそうだ >>616
正当化しなかったらよってたかって袋叩きにされるもの >>601
いくら後ろに大内がいると言えどもほぼ間違いなく挟撃が見込める状態の圧倒的有利な追撃戦をやらないのは不可解だからね
光秀が義昭とつるんでるのを知ってても知らなくても、どのみち畿内の情勢の詳細はよくわかっていなかっただろう >>575
信長は部下の声望が自分より高くなるのを許すタイプじゃないから秀吉はそのへんよくわかってた。信長も馬鹿じゃないからおべっかだとはわかりつつも、秀吉のことをかわいいヤツと思うのは人情。 タラレバうぜ
おまえらの間抜け妄想なんか聞きたくねえ
指紋ついたところが大抵劣化するのだが(´・ω・`)
何故か一度も封書が開かれた形跡がない。w
>>615 光秀は信長から重用されたけど、
光秀の子供は重用されそうもなかった。
老い先短い光秀としては、不安になるだろうね。 全然関係ないけど花押ってカッコいいね。
何かファッションにすれば売れそうだな。
しかし、権威の失墜した室町幕府にどんだけの価値を見出していたんだろうな
ほとんど効力なかったと思うんだけど
>>615
天皇を安土に招いて暗殺する予定だったろ 皆にお手紙出したのにシカトされた明智くんは
今なら既読ついてんのに誰からもLINE返ってこないようなもん
>>630
ほかに大義名分もないしな。
光秀の個人的野望と粛清恐怖に室町幕府再興を担いだってのが実際だろうな。 旧体制を否定し続ける信長に対するストレス、長年の義昭との関係。
自分に対する待遇、色々なことが重なってたからな。
この書状は事実であろうが、本心かは実際のところは不明。
味方にするための説得に一番いい言葉を相手に応じて使っただけということも。
当時の光秀の立場だったら、少しでも味方を増やしたいから将軍とつながるのは当たり前だな
>>627
小さいんだったら
信忠付の小姓とかにして
将来保証してやればよかったのに
家康あたりだったらやると思うが >>631
父親の信秀が尊皇だったから信長は天皇は尊重してただろ。 信長は幼い頃から従った家臣でも、合戦で使い物にならないと容赦なくリストラしたからな
その辺の危機感も光秀にはあったんだろうよ
そら錦の御旗として足利家を出してくるのは当然だろ・・・
安倍ちゃんだって中国包囲網とか盲言吐いてるけど嘘に決まってんだろ
佐久間親子を見ていたら次は俺と思うよな、家康ですら暗殺という噂が流れていて
本能寺襲撃の兵士も家康を殺しに行ったと勘違いしてたやつもいたくらいだ。
最終的には秀吉も殺されていただろ、光秀の判断は正しい
>>632
筒井くんからは返事あったろ
最初にお断りして落ち込んだところにしばらくしてから思わせ振りな返事がきて喜んでたらやっぱり無理っていう無慈悲かつ上げ下げ激しい酷い返事が ああ完全に長州だね、光秀って日本人だったんだろうか?
長宗我部はもともと光秀に近いし、特に毛利と上杉へのメッセージの意味が強いと思うな。
毛利は義昭を奉じてるし、上杉は関東管領。
どっちも室町幕府最高の際には重要な地位になるので、頼むから秀吉、柴田と和睦しないでくれ、
というメッセージだろう。
やっぱり光秀は忠臣だったな
もともと室町幕府の幕臣だったしね。
いつかやってやろうと思ったんだろう。
素晴らしい人物だよ
>>638
林秀貞はちょっと理不尽だな。佐久間も降格程度で追放するのは行き過ぎだった。家中が動揺するリスク考えなかったんだろうか。 秀吉が物資の輸送を止めてたので、毛利は弾薬等が不足し、兵はいるのに攻めかかれないって状態だたらしいよ
槍くらいはあるんだろうけど、それじゃ長篠の二の舞になっちゃうしね
比叡山には歴史文書が山ほどあったのだが、
織田信チャンが焼き払ってしまったため、貴重な歴史文書を失ってしまったという事実。
残念無念。
>>647
伊勢長島との戦で親族衆がめちゃめちゃ削れた上に、譜代の林、佐久間が追放で、
特に、機内の管理者だった佐久間追放で、機内を新参が占めることになったリスクを見逃してたね。 沼に大蛇がいるっつう迷信を証明するのに沼から水を引き抜いたくらいの男だから、当時神格化された天皇がただの人間だと知るや自分の家臣になるかこの世から消え去るか選択させるだろう
重治の手紙への返信…本能寺の変を起こす前(天正10年5月中旬頃、光秀が甲州征伐から信長のもとへ帰還した後に)届いたんだろうな
義昭様入洛の際は支援よろしく!お味方して頂ければ恩賞弾むよ♪って懐柔工作的な内容ね
信長討って、大義名分化するため朝廷抱き込み工作しつつ反信長勢力に室町幕府再建の支援要請
あとは情勢整い次第に毛利軍勢に擁護させながら義昭を入洛の手筈が、当時としては考えられない超特急で中国大返しをした羽柴猿に討たれる大誤算
光秀も「是非に及ばず」
手書きの写しは現存してるし、書状の内容は以前から分かっていたから歴史的価値な大発見とまでは言えない
ただ、光秀自筆資料としては一級品…箱(書状を入れる包み紙)付きだし、鑑定団に出したら200万超える値段いくだろう
>>647
佐久間の場合は仕方ない
三方原の時からしっかりとした理由があって叱責されてるのに全く改心する様子が見てとれない これマジなら何故毛利が動かなかったかでやっぱり盛り上がってるな
新しい謎がこれはこれで埋まれる
義昭??嘘くせぇ。
これが事実なら光秀はアホだろ。
>>649
式年遷宮の資金提供した話とか
本人は本能寺で見られなかったが >>647
坊ちゃんだから仕方ない。
だから本能寺で無防備なんだよ。
本拠地もコロコロ変えるから結局簡単に討たれた
元就、信玄、謙信みたいに本拠地をがっちり固めてそこに居座っていれば
天下は取れなかっただろうが殺されることもなかった。
>>655
三方ヶ原で突撃しろなんて無茶だろう。
本願寺を力攻めなんて無茶だろう。 >>646
同じく足利の重臣なうえ娘婿の細川さんなのに無視された時の気持ちも
どっかに書き残してないかな そりゃ正直に信長に怨みがあったんで、、とか
領地替えされそうだったんで、、とか訴えても
部外者からしたらそれはお前の事情だろ、
知らねーよってなるからな
>>641 家康も当然そのウワサは知っていただろうよ。
家康が気付かなくても、家康の家臣たちがうわさを知って、
家康に注進するだろう。
家康一行としては、注意しつつも行くしかなかろうが。 しかし、信長が存命中であった筈の期間に何故か安土城の天守閣が焼け落ちた史実がある。(´・ω・`)
光秀が動いたのはその後。
そして豊臣秀吉は明智光秀の首をとっていない。光秀が死亡した筈のずっと後に、
何故か光秀の名前で光秀が懇意にしていた寺院などへ多額の寄贈があるのも事実なのだ(´・ω・`)
そもそも信長の生い立ちが非道くて兄弟たちと殺し合いの末にようやく家督相続している
これにより人間的感情のないサイコパスに育ったのが信長の実像である
だから身分が卑しく馬鹿にできる秀吉など好ましいが
それなりに家康のように家格があったり、光秀みたいに教養があるタイプは疎ましい
ヤクザの親分と思えばそっくりな性格なのである
家康、幕府を開くにあたり古今東西の法令と儀礼を研究して三百年の安定を築いたが
もし信長が天下人なら織田独裁のファシズム体制になり、10年ももたなかったと思われるね
>>1
まだ義昭主導なのか光秀主謀なのか、細川なり第三の黒幕説なのかわからんね。
けど井沢の突発的発作説は消えそうだな。 >>1
そもそもフロイスの書簡見りゃ光秀は権謀術数に優れた
裏表のある人物って書いてあるのにこれ無視して光秀
いい人みたいな解釈がおかしかったんだよ。 もし秀吉や家康が黒幕で光秀と組んでて裏切ったならこんな手紙書くかな?って思うし
その辺の黒幕説は全部消えるな、そもそも胡散臭い説だけど
光秀:室町幕府最高? バカですか。ワシが靭本町に幕府起こすんだよ。
>>663 天海と光秀が同一人物かどうか
筆跡鑑定されたことが有名だよな。別人と断定。
せいぜいわずかな可能性は親族かも、という程度。 光秀が朝廷サイド意見を執り持つ立場だったんだろうが天下布武とか言ってる人ワンマンにそんな意見が通用するはずがない
本能寺がなかった場合の家康との関係は興味深いね
天下統一目前になった頃には邪魔でしかないし、暗殺するつもりだったのか、
旧友として領地安堵だったのか、信長の本心知りたいわ
>>673 組んでいたなら、その黒幕の名前を
出すよな。密書なんだから。それにもう光秀はピンチだ。 キンカン頭のクセに生意気だった訳だね
岐阜県(美濃国)出身としては恥ずかしい
(´・ω・`)
>>657
謎ってほどでもないんじゃね
もし将軍と光秀が連携してたとして、地方豪族を取り込むのに将軍家の名前を出しただけで、毛利的にはさほど重要な話でもない
なんせ将軍は手元にいるんだから最初から全てを知っての毛利の行動だとしても何の不思議もない
要するにこっちに来ちまったもんを邪険には出来んけど将軍家の権威なんぞ全く当てにしてなかったか、余程の秀吉を見込んだか、家訓を守ったか、九州勢を気にしただけという、通説通りの話を踏襲するだけだから >>678
秀吉政権でいう前田家の位置付けだろうな。 光秀は武家言葉できたから
重用された。あの当時外交は
これないと無理だった。
>>678 武田は滅んでいるから、東方への備え
という意味では、家康の価値は相対的に低下している。
とりあえず、北条への攻めや調略には使われただろう。
駿河は信長からもらったし。 >>638
昔の日本人はドライなんだよね。
自分に利益のある相手に従うだけ。 >>678
普通にどこかに国替えじゃないかな
小田原征伐の秀吉でさえやれたんだから
権力基盤がもっと強くて絶対的な信長だったら
やれるだろうし
近畿東海は身内で固めたいだろ 明智光秀の桔梗の印、南光坊天海とは違う裏桔梗だが、裏返しというのが清和源氏の名残なんだよ。w
家康が江戸に本拠を構える前後、常に警護する連中が居たが彼らは他の武将とは違って無名であった。
家紋は伏せられ、常に「五」や「伍」の旗印を持っていたのさ(笑)
>>678
家康は欲がないからな
たまたま天下が転がってきたから拾ったけど、そうじゃなけりゃ三河一国で満足して信長に従うだろ
信長もそーいう気質知ってるからなんもしないよ >>683 秀吉を中央で外交を任せるのは
やや無理があるわな。
なんといっても秀吉の直筆は、漢字があまり書けない。
秀吉は、地方攻略の司令官が適任。 >>678
消すつもりだったんだろ家康を。
堺を見ていけとわざわざ命令し
てるからな。そこを明智に襲わせ
消すつもりだったのでは?
明智の兵隊は家康成敗にいくの
かと思ってましたと証言ある
から当時家康は消されるという
噂はあったんだろうね。
信長って妙にケチで、領土ある
やつを理由つけてどんどん消して
るわけで 偏差値58の大学に言われても、何の信憑性もないよなぁ。
京から追放され幕府滅亡した結果を見て義昭を馬鹿にしてるけど
あの時代の将軍の威光はまだ凄いよ
義昭の一言があれば浅井朝倉本願寺と一時休戦できる
しかもあの武田信玄が甲斐から重い腰を上げるぐらいだ
天皇を担ぐなんてビジョンは現実的でもないし信長は朝廷には敵対してないだろ。朝廷も信長に喧嘩売ってしくじったらタダでは済まないくらいわかるだろうし。
>>680
土岐源氏の系統だから生意気って事は無いだろう。
そういう俺は旧苗木藩の者だが >>78
空白になった京に柴田勝家がなだれ込んで
秀吉との挟み撃ちになるのが関の山 >>568
やはり家康は光秀を援護するために、
訪問していた堺から急いで伊賀越えで三河に戻ったのでは?
ところが明智に援軍を差し向ける前に、秀吉が先に明智を討ち取ったんじゃないかな?
しかし今回の文書は、足利家と光秀の関係が良かったことを必ずしも証明するものではないとしても、光秀に対して哀れむ声が当時見られないのは光秀に同情を禁じ得ません。 光秀は姉川の戦いで信長を見限り、家康と内通していたと見るのが正しい歴史観ではあるんだけどな。
何故かトヨタグループに配慮して信長を持ち上げてきただけの事。w昭和初期まで信長など全く注目されなかったのだよ。w
意味わかるかなw
>>685
信長が特殊なんじゃないの?
信長は那古野→清州→小牧→岐阜→安土と本拠地をあっさり変えすぎている
殺されたのは京都だしさ
地元愛がない >>689 信長と長く付き合えるのだから
家康の性格が穏やかなのだろう。
言い返していたら、信長は根にもつからな。
関ヶ原で家康の目の前を馬に乗ったまま横切ったのに
怒って、家来を斬りつけた話があるからキレ易いのか温和なのか
よくわからんけども。 >>691
当時の家康て武田のとこ取ってないからそこまで驚異じゃないし 大義名分として室町幕府を出してたんだろうよ。
信長でさえ、はじめは足利義昭の後見人の
立場だったからね。
味方を増やす大義名分でしかない。
>>690
信長の上洛早々に京都奉行に任ぜられ対西国外交任されてるんですけど…… >>700
信長ですら騙されるレベルの名優だったかもしれんw >>698
昭和初期なの?戦後って本で読んだけど。 >>688
朝廷が黒幕なら、もし毛利が知らされてれば動かんわけがない。大々朝臣をうたってる家だぞ
毛利を動かしたいなら一番有効なのに隠す理由は >>697
山崎の合戦直後から秀吉のプロパガンダで統制されたからじゃない? >>202
三職推任のことかな
ちなみに本能寺の変が起こった時点では征夷大将軍の官職は足利義昭のまま >>690
公家相手だとそれなりに教養ない
と意味が分からんからな。公家
は比喩や花鳥風月に言葉を借りて
物事いうクセあるから
連歌できるやつが得だったんだわ。
連歌の会と称して交渉やれるから。
連歌師はその仲介役で金を得て
商売してたわけ >>699
地元愛がないのはちょっと言いすぎじゃないかな
尾張美濃を後継者信忠の領地になってるし
愛がないんだったら家来に分割して
分け与えてもよさそうだし >>710
平手は死んだだろう。
死ななかったお前が悪い!!!というのは無理じゃん。 >>691
ケチではなく家臣ではない地方大名を認めない方針だっただけ
秀吉や家康みたいに地方大名を認めたら、いずれ内戦になる事を分かってたから中央集権国家を目指していた 腹の中はどうであろうと
室町幕府系の大名を敵に回す利点はないからな
まぁ、そりゃそうだろうな
キンカン頭とか言われたから謀反とか全然説得力なかったし
>>699 家康はもともとは本拠地をあまり
変えたがらない気質だと思うが、
領地替えとかは信長の影響を受けているよな。
そして領地を替えると、土地の所有権が一新されて
(所有地が2人以上の権利者があるというのがよくあった)
税収もよくなるという効果があったので、その後は
領地替えしまくり。豊臣家の直轄領も大名の領内の一部に
豊臣領として献上していたが2重権利みたいな扱いになっていた
から、領地替えで一新して分捕りに成功。 これは信長討った後に諸侯や有力人物に充てた手紙の一部でしょう
義昭を担ぎ出し懐に置く事ができれば大義名分ができるし
追随して味方につく勢力も増えるだろうしね
これが動機だと決め付けるのは安直すぎる
>>717
いや意外と人間てそういうこと根に持つんやで >>699
名古屋は交通の要衝じゃないから抑える意味がなかった
名古屋→岐阜→安土にいったんだろ
海外との交易目指してるなら、最後は堺か神戸に遷都してたかもしれんが >>669
徳川(松平)って家格はたいしたことないだろ。 >>695
僕は父方が旧尾張名古屋藩士で母方が旧岩村藩士なんですよ
(´・ω・`) >>714
援軍なのに部下含めて全員無傷ってのがおかしいって話だろ。誰も死ねとなんか言ってない
事実、家康も佐久間はまともに闘ってくれんかったと言ってるわけで 光秀と義昭は連絡はしてただろうけど
具体的に謀反どうこうなんて話し合ってるはずはない
光秀は適当に義昭の名前使ってただけ
>>717 このハゲー!
というのを恨みに思って、というのがかつての
理由だったからな。当時からハゲは侮蔑の対象だったらしい。 あんなに腐り切った室町幕府を再興したところで、いずれかの傀儡になるんだから必ずまた乱れるだろ
あくまで帝や室町将軍の元で働こうとした光秀、傀儡にして権勢を振るおうとした信長と秀吉、自分が将軍になろうとした家康
自分の死後の安泰まで考えた家康が優れていたのかな
>>725 本能寺の変の一報が届いて、
義昭「えっ、オレが?」 黒幕が居たとすると光秀くんの行動が必死すぎるやろ
少しはケツ持ってやれよ
いたとしてもちょっと煽ったらあの馬鹿ほんとにやっちまったよどないしよとかそんなんだよ
>>721
合理的なんだろうけど、本拠地をコロコロ変えるのはそれはそれでリスク。
だからああいう殺され方をした。 光秀として読み上げた辞世の句
順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元
順逆二門に無し 大道心源に徹す 五十五年の夢 覚め来れば 一元に帰す
さて問題です。当時の光秀、織田信長の他に誰の配下であっただろうか?足利家ではありません(笑)
最後の「一元に帰す」というのは、つまり信長ではないという意味ですw
ちなみに豊臣秀吉とはうまが合わないものの、秀吉とは懇意にしていましたが、秀吉は同期ですw同期を旗印にはしませんよね。
>>714
死ねとまでは言わなくとも援護くらいはしろよってことだろ 勝頼が死んだのが大きいんだよね
勝頼って馬鹿扱いされてるけど家臣団の豪傑たちを謀叛あれどもそれなりに臣従させていたし人望もあった
生きていればいつ再興して来ないとも限らない
しかし死んでくれたから信長は欣喜雀躍して以後言動がムチャクチャになってくるのである
おそらく一種の躁状態で将軍も天皇もそのうち潰してルソンに派兵するかぐらいの気持ちであった
こうなると功労有る家臣団なんてただの老害のゴミに見えてくるから
気に入らないやつや取り替え可能なやつは適当に理由つけて取り潰しや戦死させましょうと。
その粛清リストの1番に家柄もなく教養ぶってる光秀が入ってしまった
それだけの単純な事件だよ
>>726
ハハハハハ。
信長ってキレたら豊田議員みたいだったかも まぁ歴史学的に1番可能性が高いと思われた説が
正しかったって結論が出て良かったじゃん
そういう大義名分が無いと人は集まらないからなwww
歴史好きな人間なら「まぁそうだろうな」って納得w
とにかく光秀としては、毛利、上杉、長宗我部に
一日でも長く柴田、秀吉、丹羽を現地で引き止めて置いてもらいたいのよ。
そのための大義名分以上のものはないと思うよ。
まあ、あとは機内勢力の糾合ぐらいで。
結局、全部失敗したけど。
>>724 援軍は後方につく。
戦場で戦うのは、地元の衆が先手、
というのが戦国時代の慣例。 勝頼、毛利、家康…領地が広がればみんな本拠地替えしてるね
当たり前だよな。戦略として常道なんだから
寧ろ領地拡げていつまでも元の本拠地に要るなんて無能の証でしかない
ちなみに家康と信長は性格上、真逆の人物であったのは言うまでもない(´・ω・`)
>>723
実家に藩主遠山さんからの文があるんだが、お宝買い取ってくれてありがとうって内容。苗木は貧乏だったので。 >>728
家康には人を集める力があったんだろうな。
滅ぼした敵方の重臣を召し抱えたり、逆に味方であっても不行跡があれば抹殺したり。 >>744
細川って足利の末裔じゃね
応仁の乱までさかのぼれるやろ 単なる謀叛の口実だろう
光秀が室町幕府再興を目指していたなら
室町将軍と対立していた信長の部下であった期間の説明がつかない
>>735
光秀のかつらをむしって、ハゲた頭を露出させて、
そこへ鉄の扇で叩いて出血させる、とか、
やりたい放題に後世の戦記は書きまくっているけどな。
でも、光秀を足蹴りにしたのは実話らしい。 信忠が秋田城介任官してるから
信忠を征夷大将軍で
後ろから大御所として支配はあり得そうだな
一旦、太政大臣とか受けといて
公武両方の頂点を占める
大義名分なんて今も昔も全く当てにならん
それが大層なものであればあるほど
パイプ役としてリスク承知で採用したが
御しきれてなかったってことか
>>731
秀吉は本拠地なんかなかったし、家康は本拠地を頻繁に変えてた(変えさせられてた)んじゃない? >>741
毛利って戦がない世の中になる前に本拠地変えてたっけ? 当時も幕府で働いていた人間は多かったので、
そういう人脈でつながっていたのだろう。
美濃源氏の名門だしな。
一時は義昭を見限って(捨てて)信長の家臣になったんだろ?
その後、秀吉の台頭や、用済みにになりつつある自分を林や佐久間のように信長が捨てようとしてるのを察知して、室町復興を偽の旗印として反逆。
要は調子のいいやつってことだ(笑)
>>744
鎌倉公方始祖の
喜連川家が残ってたはず >>745 家康は信賞必罰。
公正に判定するというのは、大事なことだし、
人に信用される。 主君を打つんだからそれなりの名分が必要だったというだけの気が
>>697
家康は辛うじて命を拾った程で、自分を殺そうと考えてる奴に援軍なんて送るわけ無いだろ
光秀の行動は時期が早すぎたんだよ
あの時代、信長の後をまとめれるのは秀吉か家康しか無理だったろう >>728
信長は天皇より上の存在になろうとしてたから消されたんだよ >>755
最初から日本の中心である京・大阪に本拠地を構えた秀吉が天下統一のために本拠地を変える必要はない
そして明侵攻になると佐賀に変えてるだろw >>749
お前さあ。謀反なんて当時の信長体制下で本当に出来たとか思っているのか?
信長が謀反で死ぬとしたら姉川の戦いだぞ。w
有力武将は確かに各地の最前線へ派遣されてはいたが、実弟殺しの前後から
信長は用意周到に近辺警護と情報収集に怠りは無かった。
本能寺の変前の安土城天守閣の謎の消失と光秀の転封加増の時期が近い。 >>741
いや家康は本拠地映しているけど、信玄は移していないし勝頼の代にやっと移す気になった
元就も同じ吉田郡山から本拠地を移そうとしたのは輝元の時代
猿掛城から移ったのは家督を継いだからだしね 岐阜でも改築した別宅に住んでたし、何より名声に集まる権力者がすり寄ってきたから必然的に立地のいい場所を選び引っ越すのは当然だろう。岐阜でモデル構想を練って安土で形にしたんだろが生きてればそこに留まることもないか
家康が信長や家康と同じように大坂を拠点にしたら京も近いしいろんな文化を生み出せただろうなぁ
江戸は大規模な火事もあったが平和だけのダメ都市だった
>>760
秀吉はその通り、家康は信長の影響があったんだろう。あとは伊達政宗くらいかな
それでも信長ほど頻繁には変えていない >>751 信長は上総介と自称していたから
なにもそんな僻地の地名を使わなくてもいいと
思うけどねえ。 >>766
天皇など今よりも下に見られていたのにか?www
当時の庶民の殆どは天皇という存在さえ知らない。
足利幕府という存在さえ知らないのだからな。w
庶民が実際に見聞きしていた事実は、天皇を持ち上げていた周辺の貴族や武将だけ。
そいつらが日本の中枢だと思っていた庶民がほとんどなのです。w >>766
そーいうのから距離おいたから天皇家は生き残れたんであって
権謀巡らしてたらとっくに滅ぼされてるよ >>762
家康の判断基準が、当時の戦国大名たちに安心感を与えてたんだろうね。
信長には基準がないし、秀吉は身内びいき一辺倒。 滅んだ政権は滅ぶだけの理由があったってことだ
過去のブランド復活させても駄目なものは駄目
現代にも通じる
第六天魔王とか大昔の人間のセンスじゃねえわ
信長かっこよすぎるよ
>>781
信長が中二病だったのは史実からわかる(´・ω・`) 強い者が生き 弱いものは死ぬ 只それだけ それが戦国
>>743
でも、遠山さんは源頼朝公の御家人・加藤景廉の子孫の家系で名門なんでしょ
遠山家で唯一大名になったのが苗木藩だから誇っていいよ 光秀の権限は信長の保証があって、成り立ってるんだよな
三成の権限も秀吉があってこそ
義昭って室町幕府最後の将軍だったっけ?
信長包囲網とか聞いた記憶がある
幕府再興はならなかったが信長は倒せたわけか
>>781
思い付いたのもっと昔の仏教徒じゃないの >>781
信長より100以上前にそう呼ばれた足利義教も褒めてやってくれ >>772
江戸時代も学問は上方にいけと
いわれるのが常識だった。特に
医学系は京都、大坂、長崎、
その他西日本にいくのが普通。
それが明治になり医学部や病院
出きるときに顕著に現れ、いま
の医学界の西高東低問題に繋がる >>778
西に同盟国の今川と武田、そして越後上杉に追い詰められてる状態で移せるわけねーだろw
今川滅亡後ももちろん 確かに本能寺直前の密書なら本気で室町幕府再興を目指していたと思うけど
直後なら大義名分の後付けとも理解もできるわな
>>774
平家を自称するようになって、
将門由来の上総介 ならなんで毛利は秀吉と休戦協定なんて取ったんだろな
>>774
鎌倉時代の有力御家人だった
安達氏が世襲してたり
名誉職として扱われてた
秋田城介 信忠が死んでなかったら歴史は変わってるんだろうな
二条城で一緒になった有楽斎がさっさと逃げて生き延びただけに残念だな
武田、毛利、上杉、本願寺と同時に戦って勝ちつつあった
当時の織田信長はフロイス日本史にある通り、日本国王になる間際だったのだろう
このままでは信長の天下になる…と思ったのが謀叛した理由じゃないか
>>768
納得いかねぇな
信長だって部下に裏切られたことはあったろう
>>777
まあ信長と秀吉は確かに当時の評判が悪いみたいだな
本能寺の変も当時の民衆に喜ばれたという
少なくとも家康がこの2人よりは良い人だと思われていたようだ 上杉というか長尾もずっと春日山。
>>796
家康は信長の影響があったかもしれないが信玄や謙信は天下を取る気なら特に信玄だけどさ
信玄が生きている間に本境地をもっと西に移すべきだろう。
信長ならそうしただろう。 一時期、上総守を名乗った書状まであったなあ。
困ったもんだ。
光秀が義昭の護衛部隊からキャリアをスタートさせたのは事実だが
別に義昭を見捨てて信長直臣になったわけではないぞ
この頃義昭は朝倉に冷遇されて寒風吹きすさぶ福井一乗谷のボロ屋にいたからもう心身ともに限界
そこで身分は低いが護衛隊で人格教養にすぐれた光秀を使者にして
義昭擁護の交渉を当時野蛮の辺境とされた尾張まで行かせたわけだ
その結果見事成功し義昭は上洛を果たすが当然後見人である信長とのパイプが必要
だから光秀は織田配下となったのである
>>794
電話とかないからお手紙届く前に協定結んで撤兵しちゃった >>781
いや自分で名乗ってたわけじゃなくて仏門の連中にそう呼ばれてただけだぞw >>792
返書であるから
周りが味方になってくれなくて焦ってつけたわけではなさそう >>798
信玄がもう少し長生きしていれば・・・ 秀吉が秀頼が元服するまで生きていれば・・・・ >>798
秀吉や信孝の台頭押さえられたか
疑問。 >>778 武田もほぼ躑躅ヶ崎館のみ
(末期に移ったが。)
上杉は春日山城だし、本拠地は移さない大名の方が多い
というか、領土がどんどん拡張している大名なら
本拠地も変えることはあっても、増えない大名なら
変えるまでもないわな。 >>780
写しは見つかってたんだから内容的には新しい物はないんじゃね?
ただ金柑禿直筆らしいからそれはデカい
偉いぞ近江の農民百万年無税 まあ天下を取りたかったというより信長を討ちたかったんだろうな
と思ってしまうけどな
>>781
単なる仏教の弾圧者の名称
キリスト教で言うサタンやユダ
ユダヤ教で言うヒトラーとそのドイツ第三帝国
韓国や中国で言う日本 >>136
それ信長はイエズス会と手を組み家康はエリザベス女王と手を組んだ >>798 最近、セブンのコンビニで買った
歴史の本に、有楽斎が三法師を抱えて
二条城から脱出、とあったので、目が点になったわ。 義昭の名前はただ利用してるだけだろ
主君を討った裏切り者というレッテルを
和らげるために利用してるにすぎないと
思うけどね。本当の動機は別にある
>>800
領地を拡げる意図がない家の本拠地を移すだの移さんだの何の参考にもならん話だろ いやこれの写しはすでにある。
これは元本。歴史的発見とかではない。
では寝るとする。お休みなさい屑ども。
>>807
押さえるもなにも既に織田の家督継いでたんだから
歯向かったら明確に謀反人やん >>816
二度とも裏切ったのは義昭さんサイドからだしな >>38
たけのうちもんじょ見て―な者だろう。
あの皇太子がみゆきするんだとよ。
>>794
背後で大友氏が怪しく動いてた
ので守り固めるのと、毛利も早 く帰って農作業したかったから。
農民兵ばかりだから夏場の農作
業できなきゃその年の収穫に影
響でる。そうなるとつぎから動員
力落ちるし。
豪族の連合政権である毛利氏
はそのへんの世論には弱いから
な。 明智家は美濃源氏の名門だから、
幕府の内部でもそれなりの仕事をしていたのは間違いないだろう。
光秀のつながりもまさに幕府内の官僚達の人脈だ。
信長の家臣である前に、まず源氏の一族である。
コレは家臣よりも強い絆だ。
>>774
織田信長の父・信秀がわりと勤皇家でお金を寄付して官位を手にしてたので、織田信秀・信長親子の官位はその辺の自称官位と違って本物だったらしい >>794
それもそうだ
義昭と協力しているなら義昭は光秀と連携して戦おうとするはずだし
義昭を保護している毛利も光秀と連携して戦うはずだ
やはり一方的に光秀が主張しているだけなんじゃないか >>816
信長は一度目は基本許してくれるぞ
荒木だって二度目だし >>820
自分で浅井朝倉をけしかけておいて和議の仲介するんだからなぁ
いくら勅が出たとはいえマヌケ、いや、愉快な将軍様だよな >>827
織田家は金だけは余るほどもってたからな この時代にもなれば後世の作り物の文献だってわからないだろうな
>>797
そうなんですよ
元は加藤景廉が領地としてもらった岐阜県恵那市にあった遠山荘にやってきて、子孫が遠山氏を名乗ったのが始まりです >>830
謀反慣れしてるからな
身内には基本クソ甘いんだよなぁ >>794 備中高松城はすでに降伏の意を
何度も申し出ているのに、秀吉は許さずに
包囲を続けている状態だった。
だから和議を結ぶといっても、秀吉から
言い出せばすぐに実現できる状態。 >>818
軍団ごとに分割されてたから
各武将に軍隊もくっついてた。
意外だけど信長の直属軍って
すくかったから。馬回りでも
2000-3000くらいしかいない、
あとは与力と称して主要武将を
外に出してたからね。直属軍
に近い存在が明智や細川の軍
だったけど明智が壊滅して信忠
は丸裸状態になってたわけで >>829
義昭は信長を討っては欲しかったけど
本能寺の変の話は聞かされてなかったんでないの?
毛利から漏れても困るしね
あくまで大義名分と信長討ったあと義昭呼び寄せて神輿とするってだけでしょ 信長の生母は明智家の家臣の娘、
斉藤道三の正室は明智家の娘。
信長の正室は光秀の叔母だ。
>>835
紙が作られた時代を捏造するのはめちゃくちゃ難しい >>836
ありがとうございます
来年の岩村城の桜は金さんイメ
ージしながら見ます >>777
信長は家柄関係が無い能力主義なので
百姓の秀吉や他家の光秀を取り立てた
秀吉は敵対した徳川や毛利や上杉などは
所領安堵した所か大老にした
身内に甘い?甥の家族を死刑にしたろ
甘いんじゃなくて秀吉の弟などは優秀だったんだよ
家康というか徳川は関が原の合戦で
貢献した加藤・福島・田中などを改易にした
秀吉はほとんど改易にしてない
これが徳川幕府が長く続いた理由でもある 信長が許すのは使えるやつだけだろ
つーか無事天下統一したら、能力者は粛清した気がする
>>827
勤皇ではなく三河の守をもらうためにせっせと献金していた
実は三河の守だったw 守護代の下の戦奉行の男がなぜか守護を貰っていたことが判明している
どうも安生城まで落としていた、松平の居城ね。 >>846
4000貫とかだっけ
大大名だった
毛利元就よりずっと多い金額を献金してる 既得権に逆うベンチャー信長についてた電通光秀が有能秀吉に全て持ってかれたつう話だろ
>>815
武田も上杉も北条も領地は広げている。
ただ、中央志向がなかっただけ。
北条は最終的に関東各地に兄弟を派遣して、
方面軍化で対応したけど。
でないの? >>844
秀吉の本体は弟だからな
あれ本当優秀、いなくなってからボロボロだし >>830
許さないよ。
ただ利用価値があるときは執行猶予するだけw
林秀貞や佐久間信盛、西近江や越中国人の粛清みろ 秀吉に責任なすりつけようとしてた明智の子孫息してんのか
>>>248
それをしっていながらみんな世襲制にこだわってたよな。
その後の人たちも。
いつ無能な人がトップになるかわからんのにな。 >>844
いややっぱり秀吉は身内に甘いだろ
秀次処刑は秀吉が自分の子供ができたから、
前の後継者である秀次が邪魔になったからだ >>830
荒木の謀反では
・そんなわけないだろ?調べろ
・不満あるなら聞いてやるから
安土に越させろ
・とりあえず宥めろ
とかなり弱きだったから信長。
松永と荒木にはなぜか甘かった
んだよ信長 >>854
明智の子孫って家康と組んでた説でなかったか?
それはこれでは崩れんね >>835
書誌学者によると
高額で流通している平安時代の古写経などでも
カネに困った有名な大学教授が昭和に入って作ったものもあるらしい
ただ大学院の博士課程卒業程度の実力がある学生なら
真偽の判定ができるとか >>858
降伏してきたのにいきなり丹羽長秀に殺させたよね >>856
秀吉は秀次を殺す気はなかった説もあるよね
真田丸はそれだっけね 家臣だって若い時はみんなイケイケだけど
50歳とかになったらもうええやろって思うもんな
オーナー社長がもっと攻めるで〜家督を長男に譲ったしお前らもっと頑張れや言われても
いやいや、もう体がついて行きませんわってなるわ
>>467
何言ってんの?イエズス会の支援なしに信長が天下統一できたとでも? >>855
「菊と刀」によれば日本人は階級社会を信奉しているので
上の人間に逆らうことはあっても、階級構造自体を変える気はないらしい
一揆だって上の人間への反抗ではあるが、階級社会を乱した罪で処罰されることは
一揆側自身も納得しての行動だった 一乗谷から倒れそうな義昭が来たとき尾張のヤクザ武将に天下が転がり込んだ
しかし天下人の器量じゃないからまた天下は逃げていった
この両方に関与したのが光秀なのである
結局は、器量のある家康に落ち着くから歴史はうまく出来ている
まー信長死んで一番得したのは家康だよね
ただの三河のザコだったのに
>>848
有能秀吉は虎視眈々とチャンスを待ってたんだな >>851
もとは岩村じゃないの?女城主という
酒あるし
>>864
たしか鉄砲の火薬の原料は朝鮮出
兵くらいまで輸入だったんだよな。
硝酸が湿った暗いとこで取れる
と分かるまでは 家康の近辺警護専属組織が発生したのは光秀の死亡直後です。(´・ω・`)
「伍」の旗印は光秀が死亡したすぐ後に登場するw
>>849
うん。だから上杉や信玄時代の武田のようにあくまで将軍補佐としての目論みしか無い家と天下覇権を狙う信長を同列で語っても意味がないってことだろ
北条なんかは拡げたといっても微々たるもんで、上洛の意思もない上に三方を囲まれた状態で本拠を移すなんて自殺行為でしかないし >>863 正直な意見だな。
子供が親と同じようにできるとも限らんし、
丹羽みたいに100万石あっても息子が1万石でも
ええということにもなる。 信長健在なら日本は西欧化してたろうしキリスト教社会になってたろうな
義昭が間抜けだな 誰に頼ろうと結局天下獲りに利用されるだけ 裏切りの歴史が戦国の世の常
マジで信長が自分の家臣になって 足利再興の手助けしてくれると思ってたら相当のお花畑だろ
当時の記録書には、部下についての客観的な評価は記されてないんだろうな。
秀吉などは教養ある人格者にもかかわらずサルとかw
足利将軍を延命させて得するのは、自分の狭い範囲だけだったんだろ明智は
信長の全国区改革と比べれば小物のサンプルだわ
最近の歴史ドキュメントにチョロチョロしてる、自称・明智の子孫も胡散臭い
キチガイ・ジジイだしさ
>>849
「中央志向」とは何のことを言っているのか解らないわ
平安時代の公家のように、京都在住で自分の領地にはいない…というのが本当の中央志向ではないか?
しかし信長だって、そうした公家のように自らの本拠地である尾張を捨てて、京都に行ったわけじゃない
単に京都と尾張を地続きで領土が拡張できただけだ
武士は基本的には土地に縛られるものだろう
先祖の土地とかに縛られず、気楽に上京する…それが中央志向ではないか? ちなみに「伍」の旗は組織の名称であって、警護と同時に
大名クラスの人物へ伝令する外交の役割を果たしていた。
まさしく明智光秀の得意としていた内容ですね。w
>>870「伍」の旗印?。
屏風図では「五」の字のまんまらしいが、
視認してないのでわからん。 光秀謀反しなくても秀吉が謀反して
たかもな。軍団の中で領土と兵隊
抱えてたのは光秀と秀吉だった
から。
信長からしたら光秀がいつの間に
近畿に影響力持つ厄介な勢力に
なってのに気づき排除しようと
しはじめた矢先に明智謀反だと
考えたら合点がいく。
光秀やられたらつぎは秀吉が
粛清されてた
根っからの家臣ではないしな
家康が身びいきして譜代を周りに固めたのも
こういうのがあったからなんだろうな
>>856
左翼が好きなNHKの大河ドラマだと
秀次は自殺だろ
秀頼は優秀すぎて滅亡させられた
なぜ優秀なのかというと、まだ若いのに
大阪冬の陣でベテランな徳川家康と
互角に戦ったから
小牧・長久手で功をあせって
徳川に負けた秀次と比べたら
雲泥の差だ >>831
誰ですか? のふ・・・お・・さん?_______ >>876
訳が分からないな
信長と、その家臣との関係と
義昭と信長との関係とに
どのくらいの差があるというのか?
光秀や秀吉は信長の死後、裏切ったではないか
信長も利用されていただけではないか? >>883
伍=五
(´・ω・`)指物は実際に五だったのかもしれないが、伍として資料に掲載されてるでしょ。 足利義昭の為と言う割に味方がほとんどいなかったのが笑えるw
明智光秀はただの馬鹿だったってことじゃねーかw
ま、天皇関係ないしそんなものかw
江が家康の伊賀超えに同行して、安土の光秀に会いに行き意見する
そんなドラマがあったなあ
>>863
あの時代平均寿命が50代だから
もう晩年なわけで。
高校生くらいで結婚して子作り、
40来たら子供に家督わたして
隠居だしな。
現に家康が信康作ったのは高校生
くらいの時 >>856
秀頼重視は他に秀頼は織田信長の妹の娘が母という
豊臣家の格を上げるという身内に甘いというよりも
政治的な意図があったからだ >>804
第六天魔王は自称だよ
信長「信玄の野郎が天台座主?ならこっちは第六天魔王じゃ!」 この手紙だいぶ前から本なんかで取り上げられてないか?
将軍黒幕説は証拠として扱って
他の説は追い詰められた光秀の悪あがきでだした手紙扱いで
これだけじゃ決定的な証拠にならないんだよなあw
制度上グダグダにならざるをえない室町幕府再興はなあ。
南朝再興や王政復古ならロマンがあるけど。
光秀の小物ぶりには萎えるわ。
家康は長男と正室を信長に自害させられたしな。
本当に恨みつらみがなかったわけではないだろう。
>>872 刀一本もって、ただ一人になって
本能寺を脱出。二条城に入って、
本能寺の変を知らせる。そこでも奮戦したが、
なにしろ黒人で目立ってしまい、周囲を取り囲まれても
兵というか見物客が集まってしまったので、
ついにサムライがやってきてヤスケに「その刀をよこせ」
といって、投降させた。
この刀が、信長が秘蔵していた名刀中の名刀で
ある義元左文字。義元を討ち取ったときの義元所蔵の刀。 >>889
うんだから 戦国の歴史は裏切りの歴史
家康の秀吉の遺訓を裏切った 秀吉は信長の死後までは大人しくJしてたな 光秀は直で信長殺したけど 元々、義昭織田に連れて来たの光秀だしな、特別なんだろ
信長にとっては秀吉も光秀もサラリーで召し抱えるコマに過ぎないが
実はこの二人は超人的な才覚で織田株式会社を急成長させた功労者
ところが1株も与えずに放逐、粛清しようとしたから逆に首を取られたわけだ
古今東西、信長がうつけ扱いされる由縁である
>>903
光秀がやらなければ、秀吉がやってたかな? >>891
・バレるとヤバいから充分な根回し出来ない
・すると当然周りから信用されないし意図もわかってもらえない
・でもたぶん大丈夫!みんなわかってくれるよ
・、で実行した
まぁ馬鹿だわな
主目的が信長を殺すことだってのなら筋が通るけど >>869
そうなんですよ
あの女城主は遠山家に嫁いだ信長のおばさんのことです
ただ、岩村の遠山氏は廃れてしまいました
余談ですけれど、女優さんの遠山景織子さん、あの人は加藤景廉以来の通字である「景」を使った遠山さんなので、江戸時代に幕臣になった正真正銘の遠山氏の子孫 >>893 恐怖政治だしな。
威嚇と実行で、皆を黙らせる。三成はそのまま真面目に実行。 >>875
んなわけない
貿易の為にキリスト教の布教を許可したが、邪魔だと思ったら
第二の比叡山に躊躇しないのが信長だろ >>901
信康事件は信長は関わってないって説が有力 服部半蔵も伍の諜報員であった可能性も否定できず。w
丹波や丹波には忍者の里(伊賀)があったからなー。w
諜報工作活動、外交、武力を単独で実行できるのは雑兵や武術だけの
下流武家では無理なのですよ。w(´・ω・`)
明智光秀=天海説の方が面白いなぁ
足利将軍は無力なので徳川を将軍にするよう補佐しました、なら小説的に面白い
義昭の最大敗因は武田の崩壊だろ。
これが朝廷の権威将軍職の失墜と信長軍事力を国中に知らしめたんだし
>>891
大儀ってのは御旗になるだけで
それ自体に乗せられるのは破れかぶれのあほしかいないよ
大体天皇からして勝ち組にしか官位与えないじゃねえか >>909
甥の秀次の切腹事件も、秀吉のボケ気味な面もそうだが
光成ら取り巻き連中が、秀頼を後継ぎにしておいしい思いをしようとして
秀次を追い詰めた面が強いと思う >>911
信長が直接命令していないにしても、織田信長という存在がそうさせたのは間違いない。
形式事例や讃美歌が重用された時代だぜ。本人の一存では決まらない。 >>914
そっか?天海自体が美輪明宏や細江数子みたいなことしかやってないからそんなに魅力ねーな >>895
あなたは遺伝的に近い方を優遇する人の性質も理解できないのか?
甥では遺伝子の共有は25%だが、実子なら50%になる
あなたは実子より甥を大事にする人が、甥より実子を大事にする人より、多いというのか?
しかも男系血族重視の当時の理念で言えば
男系血族である秀頼の方が女系血族である秀次より大事になる
>>900
いや裏切っているだろ
織田家の領地を自分の物にしたり、織田家の人々と戦っているではないか >>17
毛利上洛はなくても、秀吉を足留めしておけば、丹羽、柴田を個別撃破してワンチャンはあったかもな。
まあでも、戦を交えて秀吉の軍事、外交、行政能力に心服したから、謀反者の光秀を積極的に応援する方針にはならなかったんだろうね。 >>918
今の通説の要約しらんだろ
全部徳川内部の事情による粛清って話だぞ
それを信長のせいにしたってだけの話 >>903
つまり「信長も秀吉も義昭同様、お花畑」…というのがあなたの主張なのか?
>>876はそうじゃないように読めるがね >>920
秀吉が推していた人が病死したからな
しゃーないんじゃねーの? >>890 なるほど、実際の物に書かれる字と
文献に乗せる字は違うという一例だな。
字の違いは、金印でも有名だな。 >>917
関ヶ原で逃げてた石田三成捕まえた
田中吉政が秀次側近で
秀次政権が続いてたら三成ポジションだったはずだけど
どんな思いだったんだろうね >>907
その根回しも京極、武田あたりの元守護家を旧に復させるなんて事いってるしな
当時の有力な織田家部将なんて成り上がりばかりなのに、そんなこと言うやつに加担するメリットがない >>922
だから徳川家の事情からの証拠は何一つないし、
信長がそうさせたという証拠も無い。(´・ω・`)
当時の政治体制は統制されておらず、豊臣家を見ていてもわかるように、
有力人物や有力家臣が台頭していた時代。
武田と内通していたと噂をもたれるだけで裏切りと周囲が煽る時代なのだから
力の無い大名は真意よりも、時勢に従うしかないのですよ。 信長て南蛮甲冑やら西欧服とか身につけてたんだよな
かなりぶっとんでたのは間違いない
・
2016年5月2日 昭和大学病院からの回答
昭和大学病院医療安全管理部門の Tです。
質問へのご返答についてですが、当院ではこれ以上の対応は出来かねます。
我々はこれまでもご質問いただいたことにできる限り、うそ偽りなく真摯に返答させていただいてまいりました。
また、ご入院中の提供した医療行為についても、必要とされることを適切に実施してまいりました。
しかしながら、これらのことについて、信憑性が疑われ、同様の質問を繰り返されておりますことから、
当院としましてはこれ以上の対応はできかねます。
ついては、弁護士にご相談いただき、
これ以上の対応を希望される場合には代理人弁護士を通じてご連絡くださいますようお願い申し上げます。
昭和大学病院 クオリティマネジメント課
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昭和大学病院からの回答は嘘に満ち、送られてきたカルテは幾つも改ざんされている。
どこが
「うそ偽りなく真摯に返答し、入院中の医療行為も、適切に実施した。」のだろうか?
こんな明らかな虚偽を、臆面無く書けるのは、この様な欺瞞を重ねてきたのだろうと思わざる得ない。
健康被害を受けた昭和大学病院の対応のまとめ
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*he12[/
>>914 明智光秀=天海という説は
年齢が合わんのや。光秀が110歳を超えてしまう。
天海が死んだ年はハッキリしている。
意外と長生きで、1643年だぞ。 >>918
そもそも信長に信康を殺す理由がない
事後の徳川家中の序列を見ると、信康に近い連中が軒並み冷遇されてる そもそも、本能事変前後の手紙で言うと、
秀吉が、「信長親子は無事逃げて存命」と書いた自筆の書が出て来たら、
本能寺の変後、信長は生きていたって話になるのかと。
>>909、>>893
しょうがないな
「フロイス日本史」によると大坂城の拡張工事は秀吉の死の直前まで続いたという
それは秀頼の安全を確保するためだったという
やっぱり秀吉も自分の死後、秀頼がうまくいかない不安があったんだよ
その不安を前提にしてみれば、秀次殺しも、朝鮮征伐で諸大名を疲弊させようとしたのも、理解できる
自分の遺伝子の存続のために、遺伝的に遠い者を利用する…
今の我々もやっていることだ >>937 良い両親からでも
グレた駄目息子というのは本当にできたり
するからな。 >>920
秀頼に秀吉の遺伝子があったかどうかはともかく、自分の(と信じてる)子の方が、甥よりかわいいのはあたりまえだよねw >>937
石川数正なんか、秀吉方に出奔してるしね。 光秀のような奴が今北朝鮮に現れて
金正恩将軍を討ち果たしてくれんかね
既存体制の維持を名目にするのはある意味当たり前
覇王信長を殺して俺が覇王になる
って言った日にゃ敵がわんさかやってくるだろ
>>940 嫁さんは中学生ぐらいだ。
あまり早いと信玄の最初の奥さんみたいに
難産で赤子もろとも死ぬ。 いわゆる後世の傾き者で領地で暴れるヤクザみたいな若者でした
室町の教養に精通した光秀とは全くウマが合わないのは当然である
ちなみに秀吉は各地の武家に奉公する小者つまり雑用係だったから
こういうキチガイじみたぼっちゃんの扱いは得意だったんだろう
結局は義昭という無能が天下を取り戻すことはなかった
やはり歴史は必然、あるべき方向に進んでゆく
>>944 ヒトラーの末期みたいに
失敗して皆処刑されたけどな。 信長を殺せば織田家は崩壊すると思ったんだろうな
秀吉が想定外の実力を発揮した
>>936
それな。当時の寿命では3代にわたる長寿だ。3人分の寿命にしては短いし、2人分の寿命にしては疑問が残る。
初代の天海が光秀、二代目が光秀の長男、3代目が長男の嫡男であるという可能性もなくはない。
それくらいに天海については謎が多い。なにせ、天海がどこで生まれてどこで教養を育んだのか、武家のルールや
公家のルールをどこで学んだのか、全く腑に落ちない点が散見される。 天才過ぎると何らかの理由で時代から排除されるんだよ。
お役御免みたいな感じで。
それが宇宙の秩序。
事に関係したメンツはそのお役目を与えられただけ。
今なら安部や自民を討てば
徳川幕府復活の時代に戻れる感じだな
なかなか難しいな
>>930
信長の指示、影響ってのが徳川内部だけの史料で他情勢から見て明らかに矛盾点が多いからの説だぞ
証拠がないって話で言えばそれは徳川史料も同じ事
せめて第三者的立場の史料でもあれば検討する価値もあるけど 信玄って最初の結婚は
婿小学6年
嫁中学1年
だからな
将軍の名を出して手紙出したのは土橋を始めとした旧態依然の既得権益者の土豪達を取り込むためでしょ
実際土橋は信長の経済政策に従って上手く迎合しようとしていた雑賀孫市と対立していたし
今更光秀が将軍のためになんぞ動くわけがない
>>918
信長には徳姫が信康の正室だから報告って程度で殆ど関係ないぞ
あくまで徳川内部のいざこざで、家忠日記によると家康は信康切腹の直前に、信康側近の岡崎衆を岡崎城から自領に戻るよう命令して信康から引き離してる。
家忠も築山殿から直接書状を受け取るなど怪しい点もある。その後家康自らが浜松から岡崎に来て色々信康、築山殿周辺の調査をしてるようだし、織田は関係ない >>931 イエズス会の情報収集能力は
ものすごいものがあるが(日本国の
最高機密レベルまで知ってる)、
本能寺の変にイエズス会が関与したというのは
明白な証拠もないんだよなあ。 >>914
あれ明治時代の小説家が言い出した話じゃなかったっけ
話としては面白いけどね 将軍傀儡にして自分が管令するつ
もりだったんだよ。
>>936
前にテレビに出てた筆跡鑑定の人は光秀=天海ではないと言ってたわ
ただ字の癖というか体質はかなり似てるので親子の可能性はあるとか言ってた 誰か担がなきゃいけないからな
単なる神輿でしかない義昭はお買い得
>>395
信長はたぶんアスペルガーだったと個人的には思ってる >>952
イエズス会の指示を無視して関係が冷え切っていたから消されただけ 錦の御旗が欲しかっただけやろw
信長を討つための口実として利用するなら凡人でも考えることじゃん
信長が殺されて秀吉以外は仰天してる
秀吉だけが元気
まさに想定外
>>965
たしか光秀は65歳説あるから
子供作れないわけではない 謙信・信玄・信長・光秀・・・果ては足利義昭まで!
男の尻を愛でた戦国武将は数知れず・・・・・
あ、サルは女一本だったらしいですw
家康は隠れ好色家で年増好きだったらしいが・・・
自分の愚行を正当化し、多くの人を味方につけるために書いているのだし
書状には室町幕府再興とか何とか耳触りの良いことを書いただけ。
光秀の本心じゃない。
奴は自分が独裁者になりたかっただけ。
光秀なんて、そういう卑劣な小男だよ。
徳川家康と水野勝成の間の光秀愛用の槍のエピソードから
明智光秀が織田信長の忠臣ということはわかってる
ややこしいのは主犯が家老の斉藤内蔵助(春日局の父)と
明智秀満(おそらく天海)が徳川家康のためにおこなったことなので
光秀がやったように見えること
>>958 家康が息子である信康を処罰しようとした。
その息子のヨメが信長の娘だから、信長に連絡と了解を
もらわないとしづらい。
信長は「すきにしろ」と言っただけ。だもんな。 >>972 戦場や戦陣には、奥方は連れていかない。
どうしても男ばっかりになってしまうので、
男色文化が生まれたらしい。
秀吉はどうしても嫌だったみたいだけどな。 >>958
だから普通は幽閉で自害さえさせない。寿命を迎えるまで寺に預けるのが習わし。
権力闘争に巻き込まれている時点で察しがつくわ。w
織田信長という存在に目をつけられたらという名目で秀忠寄りが暗躍したのかもしれないしな。
ちなみに秀忠の目付け役は井伊直正だったな。(´・ω・`)
結城秀康は次男で裏切りの噂すら流れなかったらしいが、何故か秀忠より冷遇されていた。
秀康側の家臣団に今川家が居たのも何か関係があったかもしれないなあ。そこは真相を確定する
証拠も知らないからそれこそ推論だがな(笑) 光秀にも野心はあったろ
数々の武功を挙げた戦術家なら何時迄も経営者に使われる奴隷でいたいと思うかね
歴史はいつも捏造されるんだよ。
当事者の気持ちは、当時の本人しかわからないからな。
後々の周囲が推測するのが歴史。
今問題の慰安婦連行、軍艦島の強制労働、南京虐殺、関東震災の朝鮮人殺害など、
全部そうだな、そう、後世の推測。
>>977 字の一部に似ているものも
あったので、親子でも似ることはあったので、
ごくわずかな可能性を言っただけ。 光秀もけっこうな年齢だったから
最後にでっかい花火を打ち上げたかったんだよ
>>18
見方になる約束がついてた
細川、筒井がうごかなかったことが痛い >>10
母親の処刑は作り話
あと鉄扇でビシバシもね >>982
当人もまさか成功した後10日程度で死ぬとは思って無かっただろうしなぁ まあ確かに義昭はいまだ将軍だし義昭以前にも
都落ちした将軍が再び上洛なんて何度もあったから
当時の認識もまた将軍帰ってくるかもねってのはあったかもな
信長を裏切った荒木村重と同じように明智光秀もノイローゼ気味であったと妄想
ただ、なまじっか頭が良かったので、とりあえずの心のよりどころで毛利のほうに匿われていた
足利義昭の策に乗っかって、あわよくば信長という自分の価値観から余りにもかけ離れた化け物から
逃れようと、そして自分の望む古来より続く由緒正しい武士の世が来る・・・と妄想に浸って、
どうにか自我を保っていたんだろうな・・・・
との妄想
今でも有能なリーマンは転職前から手を打ってるだろ。
>>988
光秀が謀反を起こすのを虎視眈々と待っていた秀吉の勝ちだわ 大儀掲げる為に義昭を利用した感じかな
本気で義昭のためにならもっと前もって
組織結成して殺した後動く様子見せるだろ
lud20221025105643ca
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