非人 生業と役負担
非人の生活を支えた生業は勧進である。
小屋ごとに勧進場というテリトリーがあり、小屋
ごとに勧進権を独占した。
非人の課役は、行刑下役・警察役などである。
本来町や村は、共同体を維持するため、よそ者や乞食を
排除する目的で番人を雇っていたが、非人はこの役を務めた
(番非人、非人番) 番太郎・番太とも呼ばれた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E4%BA%BA 非人番(ひにんばん)
とは、江戸時代に農村の治安維持の任務を与えられていた生業を指す。
名称は似ているが、物乞いを生業としていた野非人とは全く異なる
人々である。主として、関西地方に存在した。
非人番の社会的役割
彼らに与えられていた役割は、盗賊および野非人(本来非人身分では
ないが、経済的困窮により非人の状態になった者、乞食)の取締りで
あった。その報酬として米や麦を与えられていた。これを非人番給という。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E4%BA%BA%E7%95%AA 番太(ばんた)
は、江戸時代に、都市に置ける夜警、浮浪者の取り締まりや拘引、
牢獄・刑場などの雑用、処刑などに携わっていた人たちのことである。
都市に設けられていた木戸に接した番小屋と呼ばれる粗末な家に住み
、多くは非人身分であった。番太郎(ばんたろう)ともいう。
明治7年(1874年)に近代警察組織警視庁が士族を中心に発足したが
、同年巡査の欠員500人を補充するため、番太から優秀な者を採用す
ることとなった。6000人中500人程度であったが、武士や与力、同心
から巡査になった者は憤慨し、辞職者が相次いだという。
このため警視庁は巡査2000人を各地から募集する破目に陥った。
警察官のうち、最も階級の低い邏卒(らそつ。現在の警察制度では巡査)
に当たる人たちは、薩摩藩など遠い地方から出てきた下級武士が多く、
ことばもわかりづらく、行いも粗暴なところがあり、人民からは怖れら
れながらも田舎っぺと軽蔑されていた。
気位ばかりが高くて何の役にも立たない吏員を、番太みたいな奴など
と言うこともあった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%AA%E5%A4%AA