2020年2月03日
https://jp.rbth.com/science/83192-dainijisekaitaisenchu-no-soren-no-zannenna-sensha
これらの戦車は、1930年代ならまだ活躍できたものもあったが、ナチスが侵攻してきた頃には旧式になっていた。また、開発当初からまずいものもあった。
1. T-26
1941年6月、侵攻してくるドイツ軍を1万両のT-26軽戦車が迎え撃った。しかし、1930年代にはソ連の主力戦車だったT-26も、バルバロッサ作戦が始まった時点では完全に旧式となっていた。
45mm砲を搭載したT-26は、ドイツ軍のI号戦車、II号戦車、38(t)戦車に対しては効果的だったが、より新式の戦車や敵のほぼすべての対戦車砲に対して完全に無力だった。
開戦後数ヶ月で、戦闘中の被弾や故障によって何千両ものT-26が失われた。大半の戦車に大修理が必要だったが、そんな時間はなかった。
ソ連は損傷を受けたT-26を修復するよりも、新型のT-60やT-70に置き換えることを選んだ。またT-26は、冬戦争(フィンランド・ソビエト戦争)などのより「穏やかな」前線にも配備された。さらに、1941年8月に英ソが共同でイランに侵攻した際には、千両以上のT-26が投入された。
T-26は、ソ連の日本への攻撃も含め、第二次世界大戦の終盤まで戦った。だが、この戦車が参加した最後の大規模な攻撃と言えば、1943年初めにスターリングラードでドイツの第6軍を追い詰めた「鉄環作戦」だ。
2. T-60
旧式となったT-26とは違い、T-60はドイツ軍の侵攻が始まった時点で最新の戦車だった。1941年8月に開発され、翌月までに量産が始まっていた。
だが、新しければ良いというものでもない。T-60は戦争の行方を変えるキープレイヤーたり得なかった。この戦車の20mm機関砲「ShVAK」はドイツ軍の装甲車両にとって大した脅威とはならず、薄い装甲はドイツ軍最弱の戦車砲や対戦車砲の砲弾でも容易に貫通した。
可燃性のガソリンエンジンのため、T-60はしばしば蝋燭のように炎上した。戦車兵らはこの戦車に「二人用共同墓」というあだ名を付けたほどだった。
スターリングラードの戦いでは、ShVAK機関砲は数発撃つと空気中の塵が原因で頻繁にジャムを起こした。その場合T-60は機関銃のみで戦わねばならず、そうすると第一次世界大戦初期の戦車と同レベルになってしまうのだった。
1942年後半以降、T-60は主にT-34やKV戦車の弾薬補給車として用いられた。
3. T-35
世界唯一の量産型5砲塔戦車、T-35は、1930年代にはソ連最強の戦車だった。しばしば「地上の戦艦」とまで呼ばれた。
76.2mm砲一門と45mm砲3門、複数の機関銃を搭載したこの戦車は、敵に地獄を見せることができた。しかし、この強力な武装はT-35のアキレス腱でもあった。戦車長は5つの砲塔すべてからの砲撃を効果的に統制できなかったのだ。
一時は万能だったT-35も、1940年代初めには完全に旧式となっていた。重さ58トン、非舗装路での最高速度は時速14キロメートルというのろまな怪物は、装甲板の厚さが20ミリメートルしかなく、敵の最新の対戦車砲にとっては格好の餌食だった。
とはいえ、第三帝国との戦争が始まった際には、49両のT-35が現役だった。その大半はウクライナ西部の戦闘で失われたが、数両はモスクワの戦いにも参加した。ちなみに、T-35はドイツ軍側で最後の戦闘に臨んだ。ドイツ軍は、鹵獲したT-35を1945年のベルリンの戦いで使用したのだ。戦車は被弾して大破した。 >第二次大戦中のソ連の残念な戦車
日本の戦車はもっと残念だった
残念な戦車とは言え、後の戦車開発に教訓を生かしている。
何でシベリア抑留強制労働の損害賠償しないのだ?
北方4島すぐ取り戻せるだろ
神戦車T34の陰にはこんな駄作も数多くあったのだな。
>>4
どうせ払わない相手に何を話しても無駄じゃねえ? T26が駄作?w
装甲は兎も角、砲はとても優秀な戦車だが?w3号4号戦車の装甲も抜けるべ
そんな事を言ったら、バルバロッサ作戦時のドイツ戦車も相当なもんだと思うがねw
開戦時の制空権がない圧倒的不利な状態では、どんな戦車でもどうしようも無かっただろう
戦車を相手にする前に空軍の対地攻撃を受けて粗方撃破されて組織的な攻撃は不可能だったのだから
別に『優秀なドイツ戦車』が多数のT26を撃破した訳ではないw
ドイツ戦車がソ連軍相手に戦車の性能で有利に立ったのは1942年末から1943年のほんのひと時だけだ
それ以降は質量共に優秀なソ連軍戦車に圧されまくられたのがドイツ戦車の実情だ
日本はアホ〜だから、敗戦国は損害賠償も要求できないと思って居るから・・しないだけ!!
こんなソ連の片割れのロシアには、当然要求する権利も、払ってもらう権利もある」!!
>>7
T-26はノモンハン事件の7月の戦いでは日本軍の37ミリ速射砲に狙い撃ちされて
外れて突進してきたら火炎瓶をぶつけられて、百数十両が炎上した。
炎上して停止した戦車から引きずり出されたソ連兵は日本兵の銃剣で串刺しにされた。 質的劣勢だった独ソ戦緒戦のドイツ戦車がソ連軍戦車相手に優勢に戦えたのは
空陸一体の指揮体制を確立出来てたからに過ぎない
独機甲師団の前進を猛烈に阻止するソ連軍部隊が居たら、空軍に無線で知らせて攻撃させる
で、攻撃が終わった後に再び前進して壊乱した敵を突破・掃討する
相手がT26だろうとT34だろうと、スツーカの爆弾の前には無力だ
開戦数ヶ月で多数撃破されただけで駄作と言うのは、どうかと思う
戦車の質でドイツは勝ったのではない
無線通信を駆使した空陸一体の迅速な航空支援が、ドイツ軍の強みだったのだから
で、ようやく戦車の質的均衡を達成したドイツ軍だったが
その時には制空権が敵の手に奪われて、手も足も出ない状態になった
>>7
制空権がなければ90式を持って行けたところでやられちゃうかもね。 バルバロッサ作戦の時のT34やKV戦車の街道上の怪物の逸話は
ドイツ軍の対応のギャップが産んだもの
航空支援を要請するまでもない抵抗だったが、通常の地上兵器では撃破困難だったT34やKVに手を焼いたと言う話
ドイツ軍が持ってた通常使いの対戦車砲ではT34やKVは撃破困難、歩兵の肉攻か88ミリ対空砲しか対処法がなかった
T26やBT7は装甲が薄かったので、ドイツ軍は通常の対戦車砲で対処可能だった
対戦車砲以上・88ミリ砲以下の火力ギャップが街道上の怪物を産んだ正体
T26やBT7が駄作だったからではなく、T34やKVがドイツ軍の通常の保有火力に比して卓越してただけだ
日本は戦闘機や戦艦は一時代名をはせたやつあるけど戦車は自分の知るかぎりダサいデザインのだけ
>>16
戦車のエンジンはよかったのだけどな。
結局あの大戦中でディーゼルを戦車に乗せることができた国は日本とソビエト
だけだったのだし。
あの米軍やドイツ軍もガソリンエンジンだったからな。 ロシアのプロパガンダサイトの記事なのに誰に向かって文句言ってんだ?>Y5MdcSNv
ロシア人よりソ連軍をヨイショする日本人とかアホじゃねの
>>11
日本帝国陸軍の戦車よりよっぽどましだよな(笑) ソ連軍ヨイショと違うだろ・・w
つーかID:PwOXgSgIさー
WW2の欧州戦の軍事知識あんの?
あったら普通の指摘だと判るはずだけどね
>ロシア人よりソ連軍をヨイショする日本人とかアホじゃねの
随分とまぁ、東亜の臭いがするなぁ・・w
自分が気に入らないレスを書いた相手に「反日」レッテル貼りそうな雰囲気がねw
>>19
グランドパワーの国の戦車と比較されてもね >>25
イギリスと比べても日本はかなり劣るんだけど… 私個人的には、日本戦車ほど戦車らしい活躍をした戦車はなかったと思ってるがね
中国大陸では終戦まで無敵の鐵牛にふさわしい活躍をしてた訳で
そもそも、離島戦で戦車は不向きだからね
三式戦車とか、4式戦車が、離島にへばり付いてても役に立たなかったと思う
日本軍がM4シャーマンを恐れたのは、師団単位の火力では対抗困難だったから
要するに、日本陸軍の極端な機動戦思考の結果
重い重火器を廃した機動戦に適した師団編成だったので、M4シャーマンに対抗困難だった
それでもジャングルみたいな険しい地形での戦車は不向きなのは変わりないので
日本軍の師団がもう少し有力な火力を持つことが出来てたら、ソコまでM4シャーマンを恐れなかったと思う
日本軍にM4シャーマンでも沖縄戦では200両も多数撃破されてる
視界が悪い険しい地形で、いくら優秀な戦車でも容易に撃破されるのだ
性能的に日本軍戦車はパッとしないが、性能向上の必要に駆られない中国大陸の戦線では仕方ないと思う
もし、日本軍が戦車の性能向上をしたら、今度は輸送に難儀しただろうし
万難を排して離島に配備しても、視界の通らない戦場では性能を活かせなかったと思う
ラパロ条約で、ドイツの戦車戦闘機研究を盗み見れたソ連
ヤルタ会談で技術提供を受けたスターリン
ほんまソ連はあの時代をうまく泳いでた
国外逃亡させてしまったレーニン主義者が、アメリカでネオコンなるものに変貌を遂げ、アメリカ政界で一定の勢力を得てしまったのは誤算だったろう
あれがなかったら、ソ連はアメリカとうまくやれてたかもしれない
>>7
なぜ優秀な工業力を持っていたドイツが、劣った戦車しか造れなかったのでしょうか?
ここが何とかなっていれば歴史が変わっていたかもしれない。 >>30
ヴェルサイユ条約で戦車戦闘機の開発が禁じられたから
ドイツはソ連とラパロ条約を結んで、ソ連国内で秘密裡に戦車戦闘機の開発をするしかなかった ロシアには日本に賠償金払えない
どん底貧乏になっちゃったから。
原子力潜水艦の廃棄も全額日本に金出してもらってやった
こんな情けない国に賠償金払える訳が無い。
火事場泥棒で奪った島も、今となっては貴重なたんぱく源だ
憐れんで大目に見てやろうじゃないか
ロシアはドンゾコ貧乏なんだ
>>31
やはり第一次大戦の敗戦が後々まで響いたということでしょうか。
よく考えたら、条約で再軍備を制限されていたはずなのにいつの間にかあれだけの戦力を整えていたのだから、
今のIMFだの核不拡散防止だのといっても結局はザルでプロレスでしかなくて、当てにならないってことですね。 横からやけど
IMF(国際通貨基金)じゃなくて
INF(中距離核戦力全廃条約)
ソ連の戦車で残念なって言ってたら旧日本軍の戦車なんてどうなんのよ米軍では邯鄲に貫通炎上するからブリキ缶って揶揄してたのに
終戦,降伏宣言を発した後にロシアは関東軍に猛攻を迫撃砲により加え、
アリューシャン列島の我が国の北方領土に侵攻を開始する。
主目的は北海道占領と不凍港釧路の確保。
日本陸軍は、是を前以て想定し占守島に虎の子の戦車部隊を勢揃いで配備済み。
小さな37ミリ砲弾、時速15キロメートル程度の貧弱な車両だがこの島の防備には極めて有効、
この島に上陸を仕掛けたロシア軍は戦車を配備せず、兵隊のみで大損害。
占守島日本守備隊は全滅したが、日本本土防衛の役目は完遂、合掌。
(作家浅田次郎氏著参考)
そして>>32
今のロシアは貧乏ではない
IMFの適正外貨準備高でいえば、
(外貨準備の対輸出額、短期外貨債務、対マネーサプライ、その他債務)
ロシアルーブルは中国人民元より圧倒的に安心度が高い
各国の通貨は金本位制ではないが、依然として金地金保有高は通貨の信認度合として存在する
その金地金の準備高(保有量)は19%以上で世界5位。
ロシアはとうとうスイスをも追い抜いた
有事にも強いと言える。ちなみに日本はわずか2%台で9位or10位
中国は世界一or二の外貨準備高で3兆ドル水準だが、全然足りない
IMFは中国を国内資本逃避に弱い、危険度が高い国として挙げている 日本を呪え!
お前をコケにした日本に復讐しろ!
いいぞ!呪え!復讐しろ!怒りを解放するのだ!日本は決して反省などしない!
日本が、はらわたをはみ出し、血反吐を吐き、地べたを這いずり回り、空を仰ぎ、カミに救いを求め、絶望して、絶命するまで、攻撃の手を緩めるな!
ハッチを溶接して、退却を禁止して敵に突っ込ませた戦車もあったそうですね。
もはや残念な戦車と言うより、スターリンとソ連が残念すぎる。
>>1
アメリカイギリスは「日本に謝罪しない」と改めて表明した
日本人ホロコーストの謝罪賠償から逃げて捏造南京、
レイプマンが集合して捏造慰安婦で協力した時と同じだ
違法・不法に奪われている日本領土について
触れるべき時に「ウィルス!」だぞ
アメリカイギリスロシアに対し国交断絶すべき程の事件だろ
こいつら同じ立場だから協力し続けるぞ
侵略ジェノサイド乗っ取りの汚物どもだ
アメリカイギリスロシアに謝罪要求して
日本領土を返還させるのが政府の役目だ
ザイニチ政府は何かしたのか?
日本人の命と財産を守る行動を取ったことがあんのかよ
汚物ハクジンは人類にとってのウィルス
マザーファッカーの犯罪者とその子孫なんざ一匹も要らねーんだよ
『アメリカとイギリスは変わらずロシアとオトモダチのソ連』 >>40
ヤルタ会談・ヤルタ密約(正統史観
1945年(昭和20年)2月4日〜11日、ヤルタ会談・ヤルタ密約
第二次世界大戦と大東亜戦争の勝敗が明らかになりつつあった
1945年(昭和20年)年2月、
アメリカのフランクリン・ルーズベルト、イギリスのチャーチル、
ソ連のスターリンがソ連領クリミア半島のヤルタで協議を行った。
ここでルーズベルトは、なんとスターリンに、
ドイツ降伏の3ヵ月後に日ソ中立条約を侵犯して対日参戦するよう要請した。
ルーズベルトはその見返りとして
日本の領土である千島列島、南樺太、そして満州に日本が有する諸々の権益
(日露戦争後のポーツマス条約により日本が得た旅順港や南満洲鉄道といった日本の権益)
をソ連に与えるという密約を交わした。
日本に対するアメリカの勝利をさらに確実にするため、
いかなる非道なことをしてでもソ連に参戦してもらいたかったのだ。
日本には認めないとあれほど言い張ってきた満洲の権益を
共産主義のソ連には認めたわけで、アメリカの提唱してきた「門戸開放」なるものは
単なるまやかしにすぎなかったことを露呈した。 >>41
ソ連はこの密約を根拠に、1945年(昭和20年)8月の終戦間際、
日ソ中立条約を一方的に破棄して満州、千島列島、樺太に侵攻を開始した。
ヤルタ密約は、【 当事国が関与しない領土の移転は無効 】という
【 国際法の条文に明白に違反 】しているため、
ソ連・ロシアによる南樺太及び千島列島を侵略・占領する法的根拠は
まったくないのだが、日本政府がまともに抗議せず、また、アメリカに反省がないため、
南樺太、千島列島は現在に至るまでソ連に占領されたままである。
2005年(平成17年)にはアメリカ大統領のブッシュは、このヤルタ協定が
東欧諸国における圧制を生むなどした諸悪の根源と非難したが、
【 アメリカが日本の分割の原因となる秘密協定を行なったことに対する反省はまったく示されなかった。】 >>42
『中国での旧日本軍兵器の行方』
以下、『蒋介石秘録』より引用。
崩壊寸前となった日本に、ソ連が”分け前“を求めて参戦を急ぐことは確実であった。
中国にとっての最大の問題は満洲であった。
満洲を軍事占領したあとのソ連は、必ず中国に難問を吹っかけてくることが予想されたからである。
8月7日、モスクワで中ソ友好同盟条約の交渉にあたっている宋子文に次のように指示した。
『満洲にある各種の工業施設および機器類は、すべてわが国の所有に帰し、
倭寇(日本)のわが国に対する戦債償還の一部分とすべきものである。
この点を(ソ連との)条約締結の際によく協議するか、あるいは声明するように』
予想した通り、ソ連は8日夜日本に宣戦、ソ連は満州になだれこんだ。
『モスクワでの交渉で、我々は次のように国家権益に関して重大な譲歩をせざるをえなかった。
共産党が最も欲しがったのは、日本軍の持っていた武器弾薬の類である。
その狙いは、いうまでもなく国民政府に対して武力による反乱をおこすところにあった。
共産軍は各地で勝手に日本軍を武装解除しようとし、
また輸送路を破壊して政府軍の接収地点到達を妨害した。 >>35
日本は基礎工業力が極めて低い
野砲でさえ大阪でしか造れないレベルだった
しかも派遣元、派遣先の港湾施設が弱くて送れないし整備する国力もない
なによりも中国戦線のインフラが弱くて大型戦車を使えない
野砲でさえ小型軽量化をするレベル
国内も都市部を除いて田んぼと脆弱な道路が多くて活動に制限がある
(M4よりもチャーフィーが好まれる世界)
ガソリン不足に対応するためにディーゼルで馬力不足
こんな状態で立派な戦車を造ってどうすると ロシヤ人はロマノフ王朝時代から今のロシヤ人に至るまで、全員が農奴だ。
ロマノフ王朝、スターリンの奴隷、ソ連崩壊後はソ連のKGBの残党のプーチンの農奴になって、
未だにその農奴が普通のロシヤ人の2倍の給料をもらって外国をロシヤ領だと占領している。
ロシヤ人は現在元KGBの秘密警察の農奴である事に変わりはない。
北方領土に今住み付いてるロシヤ人はシベリヤ抑留でその一割6万人も、
日本人を奴隷にして虐殺した人数は、全千島列島に住んでいた日本人の3倍の人数だ。
この悪逆行為を日本人は絶対に許さない。
ロシヤと条約を結ぶのは意味がない。
ロシヤは外国の決めた国境を認めない、ロシヤの国境があるだけだけだから、
奴らは外国の領土に住み付いてロシヤ人は住んでる土地はロシヤ領だと主張し、そこにロシヤの国境を主張する。
ロシヤ人には、外国との条約を守る意思は絶対にない。
>>43
まず、満洲でソ連軍が行ったあくなき略奪ぶりを明らかにしたい。
最初の略奪は、一般兵士によるものであった。
彼らは中国人家庭や商店、工場に乱入し、片っぱしから金目のものを奪い去った。
瀋陽、長春、ハルビンでは、列車に乗ろうとする中国人に
金や銀の装飾品の供出を強要し、拒否すると射殺した。
ソ連軍の規律は乱れに乱れ、彼らの進駐するところは、たちまち無法地帯と化した。
そのあとにきたものは、さらに大規模な、そして組織的な略奪であった。
「九・一八事変」以来14年間、
日本は百億ドルを超える資金を満洲に投下、膨大な発電設備をはじめ、
銅、鉄、石炭の採掘、セメント、紡績、石油、化学工業など
最新設備の工場を建設し、三千五百万人の満洲同胞の血と汗のうえに、
一大軍事工業システムをつくりあげていた。 >>46
国民政府は、これら満洲にある日本の鉱工業資産は、
すべて中国に対する現物賠償に当てることをソ連に通知していた。
しかし、ソ連側は、これに一切耳をかさず、
満洲の鉱工業はソ連の“戦利品”だと言い張り、そっくり取り外して盗み去ったのである。
電力関係では、満洲の総発電量の65%に相当する電力供給設備が持ち去られた。
鞍山、宮原、本渓などの製鉄工場は、設備の80%が盗み去られた。
撫順、本渓、阜新、北票などの炭鉱も、略奪の被害は甚大であった。
米国国務省が現地調査の結果として、1946年12月に発表した数字によれば、
ソ連軍の占領中、満洲の工業がこうむった損失は20億ドルに達した。
ソ連の略奪は、生産設備にとどまらなかった。
日本の関東軍の武器、装備も大量にのぼる。 >>47
これらの武器を、ソ連は共産軍にそっくりそのまま引き渡した。
すでにマーシャル三人委員会の停戦、軍隊の移動禁止命令が出てから、一ヶ月を経過していた。
共産党は、みずからの約束を平気で破り、満洲へ兵を集中させていたのである。
軍隊の移動禁止令では、政府軍の満州進駐だけは例外とされていた。
しかし、ソ連は、政府軍の進駐に妨害のかぎりをつくした。
その間に、共産軍がやすやすと進駐したのは、ソ連の“手引き”があったからである。
はたして、共産軍が配置についたのを見とどけると、
ソ連軍はこっそり共産軍にあとを引き継いで撤退しはじめたのである。
ソ連から“事後通告”を受けた政府軍が一足遅れて接収に向かうところを、
待ち伏せていた共産軍が攻撃するという筋書きである。
ソ連軍は、日本の関東軍から押収した武器を共産軍に与えた。
近代兵器にうとい共産軍の兵士たちは、はじめ、
それらの武器の扱い方を知らなかったが、ソ連軍は軍事教官を派遣し、使用法を訓練した。
この結果、1946年の暮れには、共産軍は“精鋭部隊”に生まれかわるのである。 >>48
アメリカイギリスが引き起こした
日本人虐殺・強姦・拷問、強奪
『終戦〜日本人 引き揚げの悲劇』
1945年8月9日、ソ連は日ソ中立不可侵条約に違反し、
満州や北方領土などに攻め込み、日本侵略を開始した。
ソ連は日本から日米の終戦交渉を依頼されていたにもかかわらず、
日ソ中立不可侵条約を一方的に破棄し、
原爆投下後の日本に対し、宣戦を布告したのだ。
そして、ソ連軍は、その頃手薄になっていた満州や樺太に上陸し、
略奪・強姦・殺戮など悪逆・暴虐の限りを尽くした。
さらに、ソ連は、100万人以上の日本人を拉致し、シベリアに強制連行し、
強制労働をさせた所謂『シベリア抑留』で50万人以上を大虐殺した。
原爆の日は学校やマスコミで毎年大きく取り上げるが、
「ソ連による侵略の日」は殆ど無視されている。
満州残留孤児も、北方領土問題も、
「8・9ソ連侵攻」から始まっていることを日本人は忘れてはならない。 >>49
アメリカイギリスが引き起こした
日本人虐殺・強姦・拷問、強奪
葛根廟事件
1945年8月14日、満州国興安総省の葛根廟(現在の中華人民共和国内モンゴル自治区
ヒンガン(興安)盟ホルチン右翼前旗葛根廟鎮)において
日本人避難民約千数百人(9割以上が婦女子)が
ソ連軍によって攻撃され、1,000名以上が虐殺された事件。
――――――
三船殉難事件
第二次世界大戦末期(日本の降伏文書への調印予告、および軍隊への停戦命令布告後)の
1945年(昭和20年)8月22日、
北海道留萌沖の海上で樺太からの婦女子を主体とする引揚者を乗せた
日本の引揚船3隻(小笠原丸、第二号新興丸、泰東丸)が
ソ連軍の潜水艦による攻撃を受け、小笠原丸と泰東丸が沈没して
1,708名以上が犠牲となった事件を指す。三船遭難事件とも呼ばれる。 今の「瀋陽」とかの、中華共産党の大嘘は止めよ。
あの満州の土地名は「奉天」だ。
>>50
アメリカイギリスが引き起こした
日本人虐殺・強姦・拷問、強奪
終戦により、日本軍は38度線を境に、南鮮はアメリカ軍、
北鮮はソ連軍へ降伏するように指令された。
南鮮の日本人は終戦の年の暮れまでにほとんどすべて引揚げたが、
北鮮では約31〜2万の日本人がそのまま残っていた。
もともと北鮮に住んでいた27〜8万と、満州から戦火をさけて逃げてきた4万人である。
北鮮にはいってきたソ連軍は、満州におけると同様、略奪、放火、殺人、
暴行、強姦をほしいままにし、在留日本人は一瞬にして奈落の底に投じられることになった。
白昼、妻は夫の前で犯され、泣き叫ぶセーラー服の女学生は
ソ連軍のトラックで集団的にら致された。
反抗したもの、暴行を阻止しようとしたものは容赦なく射殺された。
「各地の凄惨な記録は読むにたえない」と、
『朝鮮終戦の記録』の著者森田芳夫氏は書いている。
それらは主としてソ連軍兵士によって行なわれたことであり、
また占領地の住民の保護にあたるべきソ連軍当局の責任であることは明らかだが、
ソ連兵に触発された朝鮮人の暴行も多かったし、
ソ連軍を背景に行政権を掌握した北鮮の人民委員会も、その責任はまぬかれない。 >>51
満州国軍とか意味無かったな
日本に独立させて貰っておきながら恩を仇で返した特定アジアンでしかない
傀儡国という捏造が本当であったならば日本軍が集結していたであろうに
僅かにいた日本の守備隊は最期まで戦い亡くなった
>>52
アメリカイギリスが引き起こした
日本人虐殺・強姦・拷問、強奪
荒れ狂う婦女暴行
ソ連兵の日本婦人への暴行は、すさまじいの一言に尽きる。
それが12、3歳の少女であろうと、70歳近い老婆であろうと、
そして、人前でも白昼でも、また雪の上であろうとも、そういうことは全く頓着しなかった。
樺太の場合同様、女性たちは丸坊主になり顔に墨をぬり
男装して難を逃れようとしたが、
彼らは1人1人胸をさわって女であることを確かめると引き立てていった。
南満へ疎開した人達が、終戦後また新京の自分の家に帰る途中、
公主嶺の駅で進駐してきたソ連軍の列車とばったり出くわしたとき
起こった事件は「誰知らぬ者もない事実だ」という。
それは、あわてて発車しようとする日本人の乗っている列車をソ連兵が止め、
女は1人残らずプラットフォームに降ろされ、
「白日の下、夫や子供や公衆の真ん前で集団暴行を受けた」のである。
もとより日本女性のすべてが唯々諾々とソ連兵の毒牙に身を任せたわけではない。
陵辱に耐えかねて、死をもって抗議する若い婦人、
暴行から身を守ろうとみずから死を選ぶ人妻もいた。
例えば敦化の日満パルプ株式会社の社宅では、
ソ連軍は命令によって男と女を分離させ、170人の婦女子全員を独身寮に監禁し、
夜となく昼となく暴行の限りを尽くしたが、この際、23人の女性は、一斉に青酸カリによって自殺している。 >>2
確かに残念だが、残念と言うか、完全に旧式のまま進化できなかった。とにかく開発力が低かったし、仮に新式の大型を開発できていたとしても、アジア戦線のインフラに耐えられなかった。それを維持する補給線も維持できなかった。 ネトウヨは自分と国家を同一視しちゃう可哀想な子だから、批判に耐えられないんだよ。
この前、土蔵を整理していたら爺ちゃんがウラジオストックの捕虜収容所から婆ちゃんに宛てた葉書が出てきた。
達筆な英字のローマ字だったので検閲のための代筆だったのだろうけど、多分婆ちゃんには読めなかったと思う。
ちなみに爺ちゃんは帰って来れて自分の家の畳の上で亡くなった。
>>4
日本が国連に加盟するために、鳩山一郎が勝手にソ連に譲歩して賠償請求権を放棄したのだよ。 第二次大戦中のイギリスの残念な戦車
ファイアフライ以外全部
>>44の
>ガソリン不足に対応するためにディーゼルで馬力不足
には少し違和感あるな
ディーゼルの特徴/ガソリンの特徴は物理的制約で致し方ないわけだが
前線で使う以上、実態にあわせた戦車であるべきで
カタログデータだけスンバラシイ戦車作っても、無駄に兵士を死なせるだけになるんでねーか
ディーゼルはなるほど馬力ではガソリンに負けるが、低速からのトルクはガソリンより大きく加速性は良い
その反面、馬力がないからガソリンに比べるとどうしても最高速度は頭打ちだ
(無論車体の寸法・重量や転輪・履帯が影響するので一般論。トランスミッションも影響するしな)
一方でディーゼルは燃費は良い。補機の数が少なくて済み構造が簡単、つまりは前線での稼働率に繋がる
(反面、頑丈さを要するので部品は重くなる。重くなるから高回転にすると機械ロスが大きくなり高率悪化、そして振動・騒音が大きくなる)
何より燃料の軽油は難燃性で、被弾すれば引火爆発するガソリンより安全性が高い
被弾時に無駄に兵士を損耗しないのがディーゼルだよ
・・・そういう特質から現代の戦車でもディーゼルは主流となってるわけだがね
もしかして「高馬力で高速を出せるガソリンでないとカタログスペックで見劣りするから
ツマラナイ戦車である」とでも断じるつもりなのか?
各国の戦車ドクトリン、戦術思想、国家・軍の状況、戦局によっては
「高スペックでないとツマンネー戦車」ってのは当てはまらないだろ
ディーゼルでも過給機で馬力は上げることは可能だが、構造は複雑になり、生産に問題が出て
信頼性が落ちて稼働率が下がる
その愚を嫌った兵器の思想がソ連流なんだけどね(その逆がナチスドイツだった。その結果、兵器の生産性にまで影響し戦局を悪化させてしまった)
すでに戦争になった状況で、何よりも兵器の生産性を上げ、信頼性を高めて使える兵器として投入し
さらに兵士の損耗を避ける必要性があるのは人的資源・工業力の劣った国にとっては大事なことだと思うんだがね
ま、「兵器はカタログ値が命w」みたいな軍ヲタも居るので、こういう思想は理解できないか
(ソ連/ロシアの兵器は頑丈だが、単純な構造で、スペックでは精緻な西側兵器に見劣りするからツマンネと言う奴は多いよな) 日本の戦車は戦地への適正とか諸々考えたら言うほど悪いもんじゃない
なんだかんだマレー侵攻でも使えたしソ連食い止めるのにも奮戦はしたしな
少なくともマウスとかKV-5みたいな狂気の産物よりはマシだろう
T-60はそもそも偵察用の軽戦車なんで火力が足りないのは仕方ない
他には、KV-85やIS-1は重戦車なのに砲が中戦車と同じで活躍できなかった
KV-1とKV-2も防衛戦では活躍はしたが、重すぎたせいで機動力が足りず
IS-2やSU-152、ISU-152に取って代わられた
>>56
そもそも支那戦線の補給や整備で手一杯な上に
港湾設備と輸送艦が脆弱で、性能に制限が掛かったのも大きい
しかも新型戦車を開発しても本土決戦で温存したので前線には届かないという チハが弱いわけじゃない
直ぐ85・88mm砲で撃ち合うようになる欧州戦線が異常
>>65
支那戦線で補給手一杯で新型戦車作れないほどなのにアメリカと開戦するんだからな(笑) >>68
書き込みをする前に、古典・漢文の勉強をしていたのかもしれない >>1
汚物が関わってるもんは全て残念だ
>アメリカイギリスは「日本に謝罪しない」と改めて表明した
>日本人ホロコーストの謝罪賠償から逃げて捏造南京、
>レイプマンが集合して捏造慰安婦で協力した時と同じだ
>違法・不法に奪われている日本領土について
>触れるべき時に「ウィルス!」だぞ
>アメリカイギリスロシアに対し国交断絶すべき程の事件だろ
>こいつら同じ立場だから協力し続けるぞ
>侵略ジェノサイド乗っ取りの汚物どもだ
>アメリカイギリスロシアに謝罪要求して
>日本領土を返還させるのが政府の役目だ
>ザイニチ政府は何かしたのか?
>日本人の命と財産を守る行動を取ったことがあんのかよ
>汚物ハクジンは人類にとってのウィルス
>マザーファッカーの犯罪者とその子孫なんざ一匹も要らねーんだよ
『アメリカとイギリスは変わらずロシアとオトモダチのソ連』 ヤルタ会談・ヤルタ密約(正統史観
1945年(昭和20年)2月4日〜11日、ヤルタ会談・ヤルタ密約
第二次世界大戦と大東亜戦争の勝敗が明らかになりつつあった
1945年(昭和20年)年2月、
アメリカのフランクリン・ルーズベルト、イギリスのチャーチル、
ソ連のスターリンがソ連領クリミア半島のヤルタで協議を行った。
ここでルーズベルトは、なんとスターリンに、
ドイツ降伏の3ヵ月後に日ソ中立条約を侵犯して対日参戦するよう要請した。
ルーズベルトはその見返りとして
日本の領土である千島列島、南樺太、そして満州に日本が有する諸々の権益
(日露戦争後のポーツマス条約により日本が得た旅順港や南満洲鉄道といった日本の権益)
をソ連に与えるという密約を交わした。
日本に対するアメリカの勝利をさらに確実にするため、
いかなる非道なことをしてでもソ連に参戦してもらいたかったのだ。
日本には認めないとあれほど言い張ってきた満洲の権益を
共産主義のソ連には認めたわけで、アメリカの提唱してきた「門戸開放」なるものは
単なるまやかしにすぎなかったことを露呈した。
ソ連はこの密約を根拠に、1945年(昭和20年)8月の終戦間際、
日ソ中立条約を一方的に破棄して満州、千島列島、樺太に侵攻を開始した。
ヤルタ密約は、【 当事国が関与しない領土の移転は無効 】という
【 国際法の条文に明白に違反 】しているため、
ソ連・ロシアによる南樺太及び千島列島を侵略・占領する法的根拠は
まったくないのだが、日本政府がまともに抗議せず、また、アメリカに反省がないため、
南樺太、千島列島は現在に至るまでソ連に占領されたままである。
2005年(平成17年)にはアメリカ大統領のブッシュは、このヤルタ協定が
東欧諸国における圧制を生むなどした諸悪の根源と非難したが、
【 アメリカが日本の分割の原因となる秘密協定を行なったことに対する反省はまったく示されなかった。】
●日本に関するもの以外でヤルタ会談で決定されたこと。
この会談の結果、第二次世界大戦後の処理についてヤルタ協定を結び、
イギリス・アメリカ・フランス・ソ連の4カ国によるドイツの戦後の分割統治や
ポーランドの国境策定、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)
の処遇などの東欧諸国の戦後処理を発表した。
ソ連は西ポーランド(ドイツ占領地域)へ侵入し、
首都ワルシャワに迫り、モスクワ放送で、ポーランドのレジスタンスに蜂起を呼びかけた(ワルシャワ蜂起)
ポーランドのレジスタンスはソ連の支援を信じたのだがソ連は裏切って助けなかった。
ソ連の裏切りを知ったヒトラーは、ワルシャワの徹底的破壊を指示し、
レジスタンスは壊滅、ワルシャワ市内の8割の建物が破壊され、15万人以上の死者を出したといわれる。
アメリカとイギリスは、ソ連にポーランドのレジスタンスへの支援を要請したがスターリンは無視した。
当時、ロンドンにポーランドから亡命していた指導者たちで作る
ポーランド亡命政権が存在しており、イギリスはその政権をポーランドの正式な政権として承認していた。
カティンの森事件が発覚し、ポーランド亡命政権とソ連は関係を断絶した。
ソ連は各国に、ポーランドの正式な政権は、ロンドンの亡命政権ではなく、
ルブリン共産党政権だと認めさせるために、ルブリン共産党政権に、
ポーランドの実質的な統治をさせたいと考え、そのために邪魔となる恐れがあったレジスタンスの
ポーランド国内軍をナチスドイツに壊滅させたのだ。
イギリスとソ連は、ロンドンの亡命政権とルブリン共産党政権の
どちらが正式なポーランド政府かを巡って対立した。
結局、アメリカの仲介で、総選挙により国民自身で政権を選ぶことになった。
ところが、スターリンは戻ってきたロンドン亡命政権の指導者を
逮捕し裁判にかけてしまい、ポーランドはルブリン共産党政権によって
統治される社会主義国となってしまった。アメリカの大失敗だった。
ヤルタ密約では、アメリカとソ連は、カイロ会談で出てきた
台湾の支那(国民党政権)への割譲を確認した。
朝鮮半島は当面の間は連合国の信託統治とすることとした。
しかし、米ソの対立が深まり、その代理戦争として朝鮮戦争が勃発し、
朝鮮半島は今日に至るまで分断されている。
更に、連合国自らが領土拡張の意図を否定した「カイロ宣言」なるものと矛盾することも批判を招いている。
この会談以後の戦後体制をしばしばヤルタ体制と呼ぶ
アメリカイギリスが引き起こした
日本人虐殺・強姦・拷問、強奪
『終戦〜日本人 引き揚げの悲劇』
1945年8月9日、ソ連は日ソ中立不可侵条約に違反し、
満州や北方領土などに攻め込み、日本侵略を開始した。
ソ連は日本から日米の終戦交渉を依頼されていたにもかかわらず、
日ソ中立不可侵条約を一方的に破棄し、
原爆ホロコースト後の日本に対し、宣戦を布告したのだ。
そして、ソ連軍は、その頃手薄になっていた満州や樺太に上陸し、
略奪・強姦・殺戮など悪逆・暴虐の限りを尽くした。
さらに、ソ連は、100万人以上の日本人を拉致し、シベリアに強制連行し、
強制労働をさせた所謂『シベリア抑留』で50万人以上を大虐殺した。
原爆の日は学校やマスコミで毎年大きく取り上げるが、
「ソ連による侵略の日」は殆ど無視されている。
満州残留孤児も、北方領土問題も、
「8・9ソ連侵攻」から始まっていることを日本人は忘れてはならない。
【ウェッブ裁判】
東京裁判・裁判長 ウィリアム・ウェブ
本裁判の手続き法としては、大体において英米法に拠る場合が多かったが、
特殊な点においては裁判長は独特な方法によって、自ら裁定を下して審理を進めた
ウェッブ氏は公平なる裁判官として、
日本が侵略したかどうかを審理するのではなくして
日本が侵略戦争を行ったということを大前提として
この事実に対する、もっともらしい理屈付けと
証拠固めをすることがその使命であったようだ、彼はそれを明確な自分の義務だと公言した。
「私はイギリスの判事、オーストラリアの判事であります。
したがって不必要に自分の国家、
またはここにおる11ヵ国の判事の代表する国家を
侮辱されるような言葉はこらえることはできません。
私にとり自分の国に対する忠誠心というものは、
この上もないものであります。これ以上のものはなんらありません」
と述べた。
この敵対的な憎悪の一言!戦勝国の利益代表!
これがどうして、世界平和のための
公平な文明の名による国際裁判の裁判長の態度であろうか。
裁判長の右隣はアメリカ代表のクレーマー少将、
左隣が中国代表の梅判事であり、
その隣がソ連代表のザリヤノフ判事であった。
裁判長は常に梅判事と相談して審理を進めていたが、
この梅判事こそは、国民政府と行動を共にせず
現在中共に残って司法部で活躍している人であることを知れば、
ウェッブ裁定がどんなものであったか、想像に難くないであろう。
本裁判の記録を読む人は誰でも、本裁判の審理が弁護側提出の証拠を
いかに制限せんかとの苦慮に終始していることに気づかれるであろう。
ウェッブ裁判長の職務は日本の侵略否定に関する
被告らの主張なり立証なりを、いかに抑えんかの努力に尽きている。
【証拠の却下】
本裁判は日本は侵略戦争を行い、
無条件降伏をしたと断定し、これを前提として審理を進めた。
したがってわれわれ弁護人が主として争わんとした、
侵略戦争に非ずとか日本軍隊は無条件降伏したけれども、
日本国は無条件降伏したのではなく、
ポツダム宣言なる有条件降伏をしたのであるから、
連合国の同条件無視は許されぬ、
という主張のごときは考慮されず、これに対する立証も認められなかった。
【証言台の元満洲皇帝・溥儀】
昭和21年8月16日、元満洲国皇帝溥儀氏が証言台に立った。
その証言が進むにつれ、その供述は日本国民を唖然たらしむるばかりであった。
(略)
いかにソ連に捕われの身とはいえ、
あまりにも甚だしきその態度の豹変ぶりに驚き、
きく者みな口をきわめて罵倒し、
日本はこの不良児を永年の間世話をしてきたのか。
皇室もまことにお気の毒であったと臍をかむ者も多かった。
満洲皇帝同様数人の将官たちがソ連に拘禁されたまま、
あるいは宣誓口供書をつくらされ、
あるいは直接証言台に立つべく、日本に空輸されて来た。
その中の一人草場辰巳中将は、
昭和21年9月20日夜、検察側監視の隙を窺って自決した。
拘禁中に作成させられた口供書が、その本意でないことは想像に難くない。
しかもソ連の粛清工作には常にこの偽りの口供書がつきものである。
(略)
しかしいやしくも、もと軍の幹部として栄位にいた者として、
遠く異境において作成した口供書はとにかく、今、故国に還り、
かつての上官、同僚の罪を裁く資料として証言を徴せらるるに際して、
どうして嘘がいえようか。
いわなければ殺されることは必定だとすれば、
いわずに死んだ方がどれだけましか知れないと、
意を決して懐かしき故国の土と化したことは、
武人として本懐であったであろう。
【溥儀の自伝】
『我が半生』(英語題:The former half of my life)は、唯一の自伝である。
自叙伝『わが半生』では、
「今日、あの時の証言を思い返すと、私は非常に残念に思う。私は、当時自分が将来祖国の処罰を受ける事を恐れ」、
「自分の罪業を隠蔽し、同時に自分の罪業と関係のある歴史の真相について隠蔽した」と記している。
溥儀は遼寧省撫順にある戦犯管理所に収容中の57年から
自らの罪を語る形で「わが罪悪の半生」の執筆を開始。
『わが半生』はこれをもとに、【中国当局や専門家が内容を16万字ほど削除・修正し、64年に出版】された。
2007年、同書が中華人民共和国において大幅に加筆した完全版として出版されることとなった。
【極東国際軍事裁判での偽証を謝罪】し、
日本軍と満洲国との連絡役を務めた関東軍将校の吉岡安直に【罪を擦り付けた】と後に反省したことなど
1964年版当時に削除された16万字近い部分が今回盛り込まれている。
死刑になるべき犯罪者が「正義の人間」を裁くガワに立ち
偽証、違法行為を堂々と行い、冤罪で殺害を決定した
あらかじめ 日本 のみを裁く裁判所 条例を作り 、その上でおこなった裁判とは、
客観的に見れば著しく公平性を欠く裁判、つまり 復讐の ための裁判 であったということです。
復讐の意図を如実に示す次の証拠もありました。
昭和 20 年 ( 1945 年 )12 月 8 日の真珠湾攻撃の記念日を選んで、
当時東京の大森にあった戦犯収容所から A 級戦犯を巣鴨 プリズンに移送し、
昭和 21 年 ( 1946 年 ) 4 月 29 日の 昭和天皇誕生日 に被告たちを起訴しました。
フィリピンで バターンの死の行進の指揮官責任を問われた
当時の第 14 軍司令官の本間雅晴中将には、
2 月 11 日 の紀元節 ( 現在の建国記念日 ) に銃殺刑を宣告し、
彼が 4 年前に バターン半島の コレヒドール要塞に立てこもった米国と フィリピン軍に
総攻撃を命じた同じ月日時刻である 昭和 21 年 4 月 3 日の午前 0 時 53 分 に死刑を執行するという念の入れ様でした。
極めつけは昭和 23 年 ( 1948 年 ) 12 月 23 日 に、
東条首相以下 7 名の A 級戦犯の死刑を執行したことでした。
それはいかにも陰湿な欧米人らしく 当時の皇太子であり、現天皇の誕生日に狙いを定めて処刑し、
日本国民が末ながく祝うべき天皇誕生日を以後何十年にもわたり、 戦犯処刑者の血で汚す ことを意図した 飽くなき復讐の方法でした。
これ以外にも東京湾の戦艦 ミズーリ艦上でおこなわれた降伏文書の署名式典には、
嘉永 6 年 ( 1853 年 )に ペリー率いる 東 インド艦隊来航の際に、
旗艦に掲げた星条旗 をわざわざ米国 アナポリスの海軍兵学校から空輸して式場に掲示しました。
徳川幕府が ペリー艦隊の 4 隻の黒船 ( 軍艦 ) による武力行使も辞さない威嚇に
開港で応じたため、ペリーが果たせなかった 日本征服の夢を、その 92 年後に祝 う 為でした。
【連合国側の犯した数多くの 戦争犯罪 は、その後まったく裁かれずに現在に至っています】が、
これこそが【 彼等の唱える正義と文明の正体 】なのです。
【 マニラの軍事法廷で裁かれた [ 本間雅晴中将 ]】
『1946年2月11日 マニラで米軍にようる軍事法廷で、本間雅晴中将に死刑判決が出る。』
[[ 死刑 ]有りきで行われた[ マッカーサーの復讐 ]と多くの人が思っている。]
[[ 東京裁判 ]の3か月前に死刑の判決が決まり、1か月前に死刑が執行されている。]
大東亜戦争においてフィリピン攻略戦時、本間雅晴が軍司令官として第14軍を指揮した。
マニラ米軍事法廷は、「判決が第一、証拠は二の次」の政治裁判でした。
山下大将と本間中将の訴状は、この裁判のためにつくった事後法[指揮者責任]だったのです。
【 マニラ米軍事法廷の判事五名は全員 】がマッカーサーの部下としてバタアン半島で
【 本間雅晴中将に降伏して捕虜になっていた軍人 】でした。
1946年5月3日から[ 東京裁判 ]が始まっている。
その3ヶ月前の2月11日に死刑判決が出て、4月3日に死刑が執行されている。
多くの被告が居り審理しなければならない多くの事が有った中で
本間雅晴の審理だけを東京裁判が始まる前に行い
弁護人の要求を退けて[死刑]有りきで米軍の軍事法廷で裁かれている。
本間雅晴の弁護団は、米国最高裁に再審を提訴しました。
最高裁は訴願を審理することを拒否したが、そのときの最高裁判事のひとりであるマーフィー判事は
「今日、戦場で敗北した敵軍の指導者である山下
(山下大将は12月8日に死刑判決が宣告され、2月23日、囚人服のまま絞首刑にされた)と
本間の生命が、法の正当な手続きを無視して奪われる。
・・・・・・
法の正当な手続きを無視した法律的リンチが、今後引き続いてぞくぞく発生するかも知れない」
と、東京裁判の法律的リンチを予見している。
>>56
開発力というか発想が旧態依然で歩兵を支援する役割のままだった
97式の57mm砲は野砲をそのまま載せた感じで初速が遅く弾道が山なりだったらしい 日本の場合限られた予算を航空機に注力したのだから仕方ない
>>2
日本の戦車は自称でアメリカからは撃破しても戦車としてカウントされてなかったからセーフ 日本戦車はオイとかオニが来ればシャーマンもザコやで
一式砲戦車を忘れてもらっては困る
実戦でM4を撃破している
>>91
撃破出来ることを自慢しなきゃならないレベルなのが悲しい
日本の戦車兵たちはどう思ってたんだろうな〜
ちなみに硫黄島?だったかではチハ車でシャーマン撃破しているはず
超至近距離で待ち伏せでね
一台撃破したらお陀仏 >>66
それな
むしろ欧州から見れば太平洋には化け物クラスの艦艇がそろってたわけで、主戦場の違いに過ぎない。
もっとも、両方やり切ったアメリカは化け物中の化け物ではあるんだが。 >>92
なんか誤解してるようだが、新砲塔チハで側方ならそんなに接近しなくても抜けるよ?
そもそもチハは歩兵支援戦車だから、対戦車戦闘は対戦車砲の仕事。
米軍も島嶼戦メインならM4運ぶより迫撃砲を欲しがるよ。 >>2
日本最強の戦車はアメリカ製のM3軽戦車だからセーフ ハ号だのチハだのには言われたくねーよなぁ?
45mm砲で穴開けてやんぞ
JS−2も残念な戦車?
T−34に比べると大分マイナーなんだけど
とはいっても
ドイツ側も数的には
1号、2号戦車が主力だっただろう
あと日本のゴミみたいな
戦車群はどうにかならなかったのか
大戦末期に開発された4式、5式戦車でさえ
有り得ない旧態依然としたものだった
>>100
T-34はタイガーの次くらいに有名だろう、 >>100
JS-2はかなり活躍してるだろ。
「携行弾数が少ない」とか「発射速度が遅い」とか短所はあるが、
単種運用じゃなくて、あくまで機甲戦力の主力はT-34で
T-34だと不利なドイツ側の猛獣戦車と戦う駆逐戦車的な扱いだから充分存在意義がある。 >>64
インフラとの兼ね合いで言うと悪くはないんだよな。
ソ連の戦車だって輸送のための重量制限と重武装・重装甲のバランスを追求した結果
搭乗員にはあまり優しくないし、
逆に、ドイツの重戦車は搭乗員には良いかもしれないけど、インフラや補給に優しくない。
日本の戦車はインフラとの兼ね合いでサイズや
それに付随する武装や装甲が劣るのは仕方ないけど、
もっとシンプルで生産性の高い形状だったらね。 大戦中の
日本戦車にだけは絶対に乗りたくない
いくら島国海洋国家で船舶輸送が前提だったと言っても
あの貧弱さと手抜きとも言える設計は
敗北前提で作ったとしか思えない
しかも生産を命じた首脳部も設計者も
誰も責任を取らず
それに比べればロシアの戦車は本当に優秀
>>105
戦車兵としての立場ならT-34やシャーマンでも微妙じゃね?
いくらチームとしては勝っても、自分が犠牲になるリスクが高すぎる。
ただ、どこの国もそうだけど兵士の大多数は歩兵だから
そういう意味では日本戦車だっていくら対敵戦車が絶望的でも
生身の歩兵よりずっと良いとは思う。
(戦車が絶望的な戦車戦をやらざる得ない状況なら
歩兵は火炎瓶とか持たされて突撃とかだろうし) >>105
>しかも生産を命じた首脳部も設計者も
>誰も責任を取らず
まあ、最終的に勝ったからあまり問題になってないけど、
アメリカもシャーマンの量産を優先してパーシングの生産を中々許可しなかったとかあるからね。
>それに比べればロシアの戦車は本当に優秀
同意。
カタログデータに現れないソフト面のマイナスを加味しても
量産性とか輸送とか車両単体での評価以外の項目で優れてるからね。
ただ、ロシア戦車の真価が発揮されるのはWW2みたいな総力戦であって、
昨今のアメリカやロシアが敵対的な中小国を一方的にボコる様な局地戦だと
どうしても戦車兵の生存率の高い西側戦車に軍配が上がりやすいと思う。 >>2
日本は海軍国だろ?
ソ連-ロシアの艦隊とか2年位前に初めて艦載機が実戦投入されたとか言うレベルだ
空母機動部隊同士の戦闘は人類で6戦しかない、
いずれも日米海軍で展開され日本の2勝4敗だ、いま米海軍に一勝できる海軍は存在しない