◇文政権に流れる革新系の融和DNA
文在寅大統領が、金正恩の実妹、金与正や金永南最高人民会議常任委員長を大歓迎した。
しかし、会談では、国際社会の懸念材料である北朝鮮の核開発問題には触れなかったという。
それだけでも大きな問題であるが、金正恩の要請を受け入れて訪朝するようなことになれば、さらに北朝鮮によって利用される可能性が増し、
北への圧力を強めようとしている日米との共同歩調を乱すことになりかねない。
◇なぜ文在寅は、このような危険を冒しても北朝鮮との融和路線に走るのか。二つの理由がある。
第一は、第二次大戦後、日本も韓国も外交安保政策が保革を分ける基準になるという特殊事情である。
日本では、日米安保に賛成が保守、反対が革新とされてきたし、今でも基本的には変わっていない。希望の党の分裂騒ぎは、
皮肉にも、この保革区別の軸がまだ健在であることを示している。改憲・護憲の対立も同様である。
欧米の民主主義国においては、安保外交政策で与野党は基本的に一致し、経済・社会保障などの内政で対立することが多い。
韓国もまた、日本と同じである。韓国では、北朝鮮と厳しく対峙するのが保守、融和政策をとるのが革新とされている。文在寅はむろん後者である。
文在寅は、金大中、盧武鉉の系列である革新(左翼)陣営に属しており、金泳三、李明博、朴槿恵らの保守(右翼)陣営と対立する。
1998年2月に大統領に就任した金大中は、北朝鮮の金剛山の観光事業を支援し、2000年6月には金正日と平壌で初の南北首脳会談を開催した。
2003年2月に大統領となった盧武鉉は、金大中の太陽政策を引き継ぎ、翌年12月には開城工業団地で生産が開始された。
こうして経済援助を手にした北朝鮮は核開発を進め、2006年10月には初の核実験に成功している。
そして、2007年10月には、盧武鉉もまた平壌で南北首脳会談を行ったのである。
その後、李明博、朴槿恵と保守政権が続き、北朝鮮に対抗する姿勢をとってきたが、昨年5月に文在寅の革新政権が生まれ、
革新のDNAが南北融和路線へと方向転換させたのである。
因みに、旧宗主国である日本を常に批判するという点では、韓国の保革は一定している。
第二の理由は、分断国家特有のもので、日本には無縁な民族主義の問題である。第二次大戦後、ドイツやベトナムも米ソ両陣営に分かれ、
その後、前者は自由主義陣営によって、後者は共産主義陣営によって統一された。
とくにドイツでは、旧東独の統合、東西格差の縮小が30年経った今も大きな課題である。
朝鮮半島については、すぐに統一できる環境にはないし、米中露も現状維持を望んでいる。
しかし、「朝鮮民族の統一」というスローガンは朝鮮半島の住民の心の琴線に触れるものがある。
それを背に、金正恩が「統一」を旗印に平昌五輪を政治利用したのである。
一朝有事の際に、邦人救出のために自衛隊が韓国に出向くのを韓国人は嫌う。文在寅政権下で、南北融和路線によって民族主義が高まれば、
自由な民主主義という価値観を日米両国と共有していることすら忘れ去られてしまう。
大きなリスクを背負うのは韓国だけではない。日本もアメリカも、対北朝鮮政策について、難しい舵取りを求められそうだ。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180227-00010000-socra-int
文在寅大統領が、金正恩の実妹、金与正や金永南最高人民会議常任委員長を大歓迎した。
しかし、会談では、国際社会の懸念材料である北朝鮮の核開発問題には触れなかったという。
それだけでも大きな問題であるが、金正恩の要請を受け入れて訪朝するようなことになれば、さらに北朝鮮によって利用される可能性が増し、
北への圧力を強めようとしている日米との共同歩調を乱すことになりかねない。
◇なぜ文在寅は、このような危険を冒しても北朝鮮との融和路線に走るのか。二つの理由がある。
第一は、第二次大戦後、日本も韓国も外交安保政策が保革を分ける基準になるという特殊事情である。
日本では、日米安保に賛成が保守、反対が革新とされてきたし、今でも基本的には変わっていない。希望の党の分裂騒ぎは、
皮肉にも、この保革区別の軸がまだ健在であることを示している。改憲・護憲の対立も同様である。
欧米の民主主義国においては、安保外交政策で与野党は基本的に一致し、経済・社会保障などの内政で対立することが多い。
韓国もまた、日本と同じである。韓国では、北朝鮮と厳しく対峙するのが保守、融和政策をとるのが革新とされている。文在寅はむろん後者である。
文在寅は、金大中、盧武鉉の系列である革新(左翼)陣営に属しており、金泳三、李明博、朴槿恵らの保守(右翼)陣営と対立する。
1998年2月に大統領に就任した金大中は、北朝鮮の金剛山の観光事業を支援し、2000年6月には金正日と平壌で初の南北首脳会談を開催した。
2003年2月に大統領となった盧武鉉は、金大中の太陽政策を引き継ぎ、翌年12月には開城工業団地で生産が開始された。
こうして経済援助を手にした北朝鮮は核開発を進め、2006年10月には初の核実験に成功している。
そして、2007年10月には、盧武鉉もまた平壌で南北首脳会談を行ったのである。
その後、李明博、朴槿恵と保守政権が続き、北朝鮮に対抗する姿勢をとってきたが、昨年5月に文在寅の革新政権が生まれ、
革新のDNAが南北融和路線へと方向転換させたのである。
因みに、旧宗主国である日本を常に批判するという点では、韓国の保革は一定している。
第二の理由は、分断国家特有のもので、日本には無縁な民族主義の問題である。第二次大戦後、ドイツやベトナムも米ソ両陣営に分かれ、
その後、前者は自由主義陣営によって、後者は共産主義陣営によって統一された。
とくにドイツでは、旧東独の統合、東西格差の縮小が30年経った今も大きな課題である。
朝鮮半島については、すぐに統一できる環境にはないし、米中露も現状維持を望んでいる。
しかし、「朝鮮民族の統一」というスローガンは朝鮮半島の住民の心の琴線に触れるものがある。
それを背に、金正恩が「統一」を旗印に平昌五輪を政治利用したのである。
一朝有事の際に、邦人救出のために自衛隊が韓国に出向くのを韓国人は嫌う。文在寅政権下で、南北融和路線によって民族主義が高まれば、
自由な民主主義という価値観を日米両国と共有していることすら忘れ去られてしまう。
大きなリスクを背負うのは韓国だけではない。日本もアメリカも、対北朝鮮政策について、難しい舵取りを求められそうだ。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180227-00010000-socra-int