■ゆがんだ教育実態知らしめる
朝鮮大学校(東京都小平市)。懐かしい名だ。昭和40年秋、大阪外大朝鮮語学科の1期生だった私はここに招かれ、300人ほどの前で下手な朝鮮語であいさつをした。責任者の朝大生はとても喜んでくれ、学生食堂に案内してくれた。「ここで食事をした日本人はあなたが初めてですよ」と。
あれから50年あまり。「反北朝鮮」「反総連(在日本朝鮮人総連合会)分子」の一人とされた私に今や朝大も総連も固く門を閉ざしてしまったが…。
在日コリアン約50万人のうち、今や朝鮮籍者は約3万3千人。北への盲従を止(や)めない総連から人もカネも逃げてゆくさまは本書にも詳しい。その総連の幹部や、独裁者一族を崇拝させる偏向教育を続ける朝鮮学校の教員を養成するのがまさしく朝大なのだ。
朝大の“60年の闇”を追った本書に登場するエピソードの中で、私が忘れられないのは朝大副学長だった朴庸坤(パクヨンゴン)氏である。
昭和47年、北朝鮮の金日成首相(当時)の還暦祝いとして朝大生約200人を“人間プレゼント”さながらに北へ送り出した。嫌がる朝大生を説得したのが朴氏である。これらの事実は私が同年5月、「赤旗」の平壌特派員になって初めて知った。
後に訪朝した朴氏を、そのとき送り出された元教え子が訪ねてくるくだりは切ない。地獄のような地に送り出してしまった自分を土産物まで持って訪ねてくれた教え子に朴氏は激しく心を揺さぶられる。取り返しのつかないことをしてしまったと。
悔やみきれない朴氏は後にテレビ番組に出演し極秘だった“北送り”の事実を暴露、すべての肩書、称号を剥奪されたという。
独裁者に忠誠を誓い、反日教育を行う朝大を認可し、税制面などで優遇措置を与えているのは東京都だ。約50年前、美濃部亮吉都政下で強引に行われた認可をいつまで続けるのか。産経取材班は、認可にまつわる多くの「疑惑」を暴いた。知事の決断を後押しするのは世論の力だ。
朝大のゆがんだ教育実態を知らしめた本書の読者が、まず怒りの声を上げることであろう。
評・萩原遼(ジャーナリスト)
http://www.sankei.com/life/news/170625/lif1706250024-n1.html
http://www.sankei.com/life/news/170625/lif1706250024-n2.html
『朝鮮大学校研究』(産経新聞出版)
朝鮮大学校(東京都小平市)。懐かしい名だ。昭和40年秋、大阪外大朝鮮語学科の1期生だった私はここに招かれ、300人ほどの前で下手な朝鮮語であいさつをした。責任者の朝大生はとても喜んでくれ、学生食堂に案内してくれた。「ここで食事をした日本人はあなたが初めてですよ」と。
あれから50年あまり。「反北朝鮮」「反総連(在日本朝鮮人総連合会)分子」の一人とされた私に今や朝大も総連も固く門を閉ざしてしまったが…。
在日コリアン約50万人のうち、今や朝鮮籍者は約3万3千人。北への盲従を止(や)めない総連から人もカネも逃げてゆくさまは本書にも詳しい。その総連の幹部や、独裁者一族を崇拝させる偏向教育を続ける朝鮮学校の教員を養成するのがまさしく朝大なのだ。
朝大の“60年の闇”を追った本書に登場するエピソードの中で、私が忘れられないのは朝大副学長だった朴庸坤(パクヨンゴン)氏である。
昭和47年、北朝鮮の金日成首相(当時)の還暦祝いとして朝大生約200人を“人間プレゼント”さながらに北へ送り出した。嫌がる朝大生を説得したのが朴氏である。これらの事実は私が同年5月、「赤旗」の平壌特派員になって初めて知った。
後に訪朝した朴氏を、そのとき送り出された元教え子が訪ねてくるくだりは切ない。地獄のような地に送り出してしまった自分を土産物まで持って訪ねてくれた教え子に朴氏は激しく心を揺さぶられる。取り返しのつかないことをしてしまったと。
悔やみきれない朴氏は後にテレビ番組に出演し極秘だった“北送り”の事実を暴露、すべての肩書、称号を剥奪されたという。
独裁者に忠誠を誓い、反日教育を行う朝大を認可し、税制面などで優遇措置を与えているのは東京都だ。約50年前、美濃部亮吉都政下で強引に行われた認可をいつまで続けるのか。産経取材班は、認可にまつわる多くの「疑惑」を暴いた。知事の決断を後押しするのは世論の力だ。
朝大のゆがんだ教育実態を知らしめた本書の読者が、まず怒りの声を上げることであろう。
評・萩原遼(ジャーナリスト)
http://www.sankei.com/life/news/170625/lif1706250024-n1.html
http://www.sankei.com/life/news/170625/lif1706250024-n2.html
『朝鮮大学校研究』(産経新聞出版)