モデルの益若つばさ(35)が避妊リング(ミレーナ)を子宮内に入れたことを6月8日、自身のインスタグラム、ユーチューブにて公表した。それに伴い、多くのさまざまな反響があった中で、やはり理解のないコメントも多いという。
避妊リングという名前に、ギョッとした人もいるかもしれないが、避妊リングは避妊目的だけでなく、生理痛や月経困難症などにも効果があり、2014年から「過多月経」「月経困難症」の場合には、保険適用されるようになった。それにもかかわらず、言葉のイメージだけで偏見を抱いている人も多いように感じる。
ネット上でも<避妊リングというネーミングが悪いと思う><避妊リングなんて便利なものがあるんだ!って勘違いする男多そう><会社でやりたい放題じゃん!って言われました>などとリアルな女性の声が散見された。
■女性にもあるピル使用に対する誤解
最近では緊急避妊薬として知られる「アフターピル」の市販化や、件の「避妊リング」などが話題に上がることも多く、議論を生むこと自体はとても良いことだと感じる。
ただ、その度にアフターピルの市販化検討時にもあったような「女性の性が奔放になるのでは?」という、それらを使用する女性に対しての偏見を実感する。
実は、筆者はのたうち回るほど月経痛がひどい"月経困難症"のため、婦人科で処方されたピルを服用していた時期がある。しかし、ピルは避妊のためのものというイメージが根強く、それを服用していることを知られたくないという、どこか"罪悪感"に近いものを感じていた。
さらに、女友達とピルを飲んでいる話になった時「そんなもの飲むなんてとんでもない。将来子供が産めなくなったらどうするの!」と誤解に基づく言葉によって傷ついたこともあり、女性だからといって全員の知識の足並みが揃っているわけではないという難しさも実感した。
■日本の性教育は「臭いものには蓋」
そもそも"避妊"がどうして"女性の体を守るためのもの"である前提が、なかなか生まれないのだろうか?
「女性の性が奔放になるのでは?」という言葉を耳にした時も思ったが、なぜ「無理矢理レイプされた場合」や「望まぬ妊娠を避けるために」ということを真っ先に想定できないのか?
避妊リングを装着しようが、アフターピルが市販化されようが、性に奔放な女性は元々奔放であるので、この件とそれらは正直、切り離して考えるのが適切だろう。
それに女性が性に抑圧されていて、そこから開放されたがっているという考え方自体が、偏見であり、女性に対する差別的思考だと思ってしまう。
本来であれば、ピルなどを心の底から使いたくて使っている女性の方が少ないと思う。
アフターピルも嘔吐や頭痛、眠気などの副作用もあり、ピルも血栓症のリスクがあり、筆者は実際に血栓の数値が上がり使用を中止した経験がある。
そして本来であれば、それらの知識は学校で性教育として知りたかったと感じている。「妊娠しないように気をつけろ」と教師が言うだけの性教育を受けてきたが、そんな性教育に一体なんの意味があるのだろうか?
日本では海外に比べて性に対して保守的な部分があり、それが日本の慎ましさや繊細な気遣いの精神などの美徳を生んでいるとも感じるが、性に関して言えば「臭いものに蓋をしている」ような気がしてならない。
今回の益若つばさの避妊リング装着の公表が、パンドラの箱となり得ることを一人の女性として願ってやまない。
(SALLiA/歌手、音楽家、仏像オタク二スト、ライター)
https://news.yahoo.co.jp/articles/5c436ee81b95a0467185a5476ead33c87ee456fd