天才打者が元祖「怪物」について語る「江川さんがピッチャーでNO1だと思ってます」
読売巨人軍史上屈指の好打者と言えば、通算1696安打をマークした篠塚和典氏(1992年途中までの登録名は篠塚利夫)。
1975年のドラフト1位で銚子商から入団し、圧倒的な打撃技術の高さ、そして、華麗な守備で現役時代に多くの名シーンを生み出した。
Full-Countでは、天才打者が現役時代を振り返る連載「篠塚和典、あの時」を掲載中。今回は、篠塚氏が語る「江川卓の記憶」前編。剛速球と縦に大きく割れるカーブを武器に活躍した江川氏は、
わずか9年間という現役生活で通算135勝をマーク。高校時代から数々の伝説を作った元祖「怪物」について、篠塚氏は「ピッチャーでNO1だと思っている」と話す。
巨人ではチームメートとして江川氏と共闘した篠塚氏。だが、高校時代には2歳年上の「怪物」と対戦したことがある。その時の印象はあまりにも鮮烈だったという。
「対戦したのは高校の時。一番速い時期だったのではないかと。本人も言ってました。高校の時が一番速かったと。私は江川さんがピッチャーでNO1だと思ってますからね。
2試合しか対戦してないけど、こんなに速いピッチャーいるんだって思いましたよ」
プロに入ってからは、多くの名投手と対戦を重ねた。もちろん、高校生だったときに対戦した投手と、その後にプロで対戦した投手とを単純比較することはできない。
ただ、バックで守っていても、江川氏の凄さに変わりはなかったという。
「プロになれば、自分が速い球でもそういうふうには見えなくなってきているから、高校の時に江川さんを見た感覚とはちょっと違います。
でも、やっぱりいざという時の速さ、ランナーがスコアリングポジションに行ったときは凄かったですね。ランナーがいないときは大体7、8分(の力)で投げている感じ。
体の使い方を見ていると、それほど大きく使わずドローン、ドローンと投げるんだけど、セットに入って足を上げてからの速さは全然違いました。
ランナーがセカンドとかサードにいると、ギアが上がる。それはすごく感じました」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200523-00779139-fullcount-base&p=1
5/23(土) 7:10配信 直球とカーブの2球種で活躍「山倉さんはノーサインでいいと言っていました」
江川氏の直球のスピードは、現在のスピードガンで測ればもっと速かったとされる。また、初速と終速の差が少なかったとも言われる。「体感速度」があり、「ホップする」とも……。実際にはどうだったのか。
「ホップっていうよりも、落ちない球ですよね。投げたら普通はボールって(失速して)落ちてくるんだけど、江川さんは投げたらそのまま真っ直ぐ来るイメージ。実際には、絶対に浮くことはないですからね(笑)。
江川さんの球は、打ちにいってボールの下を空振りしてしまう。だから、みんなホップすると感じたんだと思います。
スピードガンでは、当時は145キロとか、150キロ出たときもあったけど、今なら155〜7キロくらい出るんじゃないかなと。浮き上がって、ズドーン、ズドーンと吸い込まれていく感覚。そういうボールでした。コントロールもよかったですね」
そして、それだけ直球が速いからこそ、織り交ぜるカーブも効果的だった。江川氏はほぼ2つの球種だけで、高校、大学、プロと結果を残し続けた。
「あれだけの真っ直ぐとカーブだと、やっぱりスピードの差があるから、打ちづらいですよね。なかなかカーブを狙っていくのは難しい。真っ直ぐの割合のほうが多いわけですから。
(捕手の)山倉(和博)さんはノーサインでいいと言っていました。(サイン)盗みが出た時に、山倉さんが『お前2つしかないんだからいいよ、ノーサインで』って。真っ直ぐと思っておけば、全部捕れちゃうんです。
江川さんがマウンド上で首を振ったりとか色々してたんだけど、実際にはサインはなくて、自分が思ったボールを投げていたんですよ」
江川氏以外にも、当時の巨人には「守りやすいピッチャーが多かった」と振り返る篠塚氏。「西本(聖)さんもそうだし、定岡(正二)さんもそうだし。やっぱりリズムですよね。
ピッチャーは打たれると、どうしてもマウンド上で仕草が多くなる。そういうのはあまりなかった。一定で投げていた」。球史に名を残す好打者の脳裏には、同僚だった好投手たちの記憶がしっかりと刻まれている。(続く)
ドラフト拒否しなければ通算250〜300勝はしていたか?
スピードガンと体感って全然違うらしいな
ペドロマルチネスもスピードガン以上に凄いストレートだったらしい
>>4
阪神ファンだったのでよくわからないけど青い稲妻の松本とは違うかな? よく「ギアが上がる」というけど
車で加速するときは、回転上げるためにシフトダウンするんだよね〜
広島には成績良くなかった江川
当時の広島の打線は強力だった
高校野球で江川からホームラン打ったってだけの理由で
プロに引っ張られた選手がいたくらいだからな。
やっぱり今のスピードガンだと10キロくらい早くでるんだな
>>18
プロ野球選手って晩年によく名前変えるよね。姓名判断かな。 >>14
この頃の江川はもう終わったとかマスコミが報道してて
オールスター後に落合がマスコミに激怒してたって逸話が好き 風呂で誰かが熱湯流したら、床にチンコ付いててやけどしたんだっけ?
篠塚のちんこは、メジャーでも通用したというのは定説
>>27
わかんねーけど、普通に考えると昔の方がタイミングやら何やらの問題で、高い数字はカットして
遅めの数字しか信用できないような気がする。 篠塚、原、吉村とこの頃の巨人は生え抜き強打者多くいたけど
怪我でダメになった選手が多かったな
>>1
地元が栃木で高校時代のパーフェクトやノーヒットノーラン何度も見たけど
試合はまったく面白くなかったぞ
いつの間にか始まっていつの間にか終わってるのばっかだ
おそらく半分以下の力でしか投げてなかったはず
コントロールがめちゃくちゃ良くて、ミット構えた位置に投げてるだけ
相手のバッターはかすりもしないのがほとんどで退屈だった記憶しかない
甲子園の満塁押出し負けは泣けたけどね 若い頃は篠塚格好いいと思ってたけど最近は生気のない死体みたいな顔になっとる
ちなみにパパイノエールはポルトガル語でサンタクロースのこと
篠塚のおかげで少し賢くなった
>>42
松本篠塚クロ原吉村
駒田岡崎山倉(P)
なんとなくそんな打線だったような気がするが
エグいよな
相手P休むとこないな 引退した年に、代打で三遊間にヒットを打った時には客席から感嘆の声が出たよな
高校時代が全盛期、
本人も含めて、そう言っていて、
大学に進学して、いろいろ遠回りして
プロ入りして、それでも結果を残す
金村も、最高の投手は江夏と江川と断言していた
現役時代の短さもあって、突出した記録は少ないが、
怪物投手だったのは間違いない
9年で135勝年平均15勝って今ならめちゃくちゃ評価されてるよねましてや引退なんて考えられないよ
裏口から巨人に入団して大炎上してたのに
ピッチングだけでアンチ全員を黙らせた
本物の怪物ですわ
江川は20勝はいつでもやれたがあえて狙わなかったと言っていた
なぜなら20勝のあとに10勝だと年俸を下げられてしまうが
連続15勝だと年俸が上がるからだそうだ
>>54
当時でも20勝投手なんてもう出なくなっていて17〜18勝が最多勝ライン
斉藤雅樹と西本で久々に20勝が2人出たって話題になってた 菊地成孔によると篠塚ですら
なかなか悪い人だったらしいからな
篠塚とイチローのバットほぼ同じモデルで全体的に細いタイプ
江川卓
1980年16勝
1981年20勝
1982年19勝
銚子商の頃から地元じゃ極太バットで夜の三冠王なんて言われてたくらいの逸材だからな
謹慎食らって二軍でロッテと対戦した時落合にボキボキ打たれて
「速くなかった」と言われていたが
>>7
大学時代もかなり酷い酷使をされてるからね
現実と同じ年に引退したとしても100勝は上積みしてるし
そもそも肩を摩耗してないから選手寿命も延びる
300勝もいけただろうね >>46
年取ってカッコよくなるタイプとそうでないタイプがいるが
篠塚は残念な方だな ユーチューブにこれが初速160出てたと言われてる20勝した時の映像があるね。
ヒーローインタビューはいつも
山倉の言う通りに投げたって言ってたような
あ、ごめん全然飛ばしてない。
もう済んで十分みそぎも済んだことだから気にしないで長生きしてくれ。
>>42
後の世代の松井、高橋も怪我だから、球場が悪いんだろう 江川は大学は慶應に進学したかったんだよね
だけどあたまが悪いから問題が解けず白紙で出したら不合格になった
だけど法政大学は合格したよね
>>78
初速、終速出てるの見たけど、初速でも普通に145ぐらいだったよ。
終速と初速の差は少なくてびっくりしたけど、大谷とかMLBの見るとさすがに絶対的スピードでは現代の投手には敵わないよ >>92
江川の昔の試合をジータスで結構やってるけど
入団当初はデビュー戦で平均130km前後、MAXも139km
その後も全盛期で平均140km前後、MAX145超えるぐらいだな
当時のスピードガンと江川はストレートの伸びが凄くて
球速より早く感じると言っても
今のスピードガンなら160km出てだとは思えないな
せいぜい全盛期のMAXが150km超えるぐらい 江川はフォームがゆったりしてズドーンと豪速球が来るからタイミング合わせづらいだろうな
豪速球に合わせてると同じフォームでカーブ投げて来るしね
テレビで観てても江川のストレートが一番速く感じたよ
それは松坂 ダル 大谷を観ても変わらないな
本当にゆったりと軽く投げてるように見えるんだよ
それでスーッと糸を引くような軌道でズドーンと来る感じ
同時期に小松や槇原が江川以上の球速を記録してたけど、江川以上の速さを感じた事なかったな
1番 松本 レフト
2番 篠塚 セカンド
3番 クロマティ センター
4番 原 サード
5番 吉村 ライト
6番 中畑 ファースト
7番 岡崎 ショート
8番 山倉 キャッチャー
9番 江川 ピッチャー
いい時代だったなあ。
江川の球種はストレート、縦のカーブと、マスクメロンだろ
縦のカーブ、大きく曲がるカーブ、
ちいさく曲がるカーブだよ
入団当初はシュートとかパームも投げると解説が言ってたw
王の55本に迫るバースに勝負避けろ指示したベンチ無視して真っ向勝負の江川
入団の仕方は姑息だったがこれはかっこよかった
>>1
江川のカーブは横にスライドして落ちる感じで縦に大きく曲がるとは違うと思う。
以外と知られてないけど、入団当初はチェンジアップも投げてた。 >>1
縦に割れるカーブ、って当時はドロップとかいってた球種? プロは凄いな
俺の球を当てるんだから
って掛布に話したエピソードは聞いた事ある
>>95
原って巨人の4番にしては打ててない印象だったけどな
こっちの間違ったイメージかな 高校時代が全盛期って結構いるよな
桑田、松坂、江川あと格下だけどハンカチとか
プロ入り1〜3年目までの松坂と直球が同レベルで
それに110〜123km/hのカーブがあるって感じ
>>103
桑田は間違いなく全盛期は
87年,94年あたりだろ 松坂はキューバの選手にけっこう打たれたイメージある
外国人には松坂の直球は打たれる
晩年の太ってちょっとコミカルなイメージだった頃しか記憶にない
松坂と江川のストレートの質は対照的
松坂は鉄の塊を投げ込むような感じ
江川は綺麗な軌道を描いてホップするような感じ
藤川の三者連続三振の動画とか見るとスピードガンの数字とか意味が無いのがよくわかる。
わが母校高校野球部応援歌(30年更新なし)
1.ライアル
2.立浪
3.山倉
4.岡崎
5.若松
6.原
7.江川
8.篠塚
9.中畑
チャンステーマ ダッシュ慶應、オーメンズオブラブ
江川はプロ入りした時すでに肩を壊してたから騙し騙し投げてた
江川の直球は狙った一流打者は当てられた記憶しか無い。
カーブ、配球の上手い印象はあるけど。
>>102
間違ってない。原は86年に手首を骨折してから本来の打撃が出来ず、
ごまかしながら続けてただけ。
>>98
王と江川は物凄く仲悪かったからね。 篠塚は絶大な人気を得てたからなー、守備も打撃も華麗だしマスクも甘かった。
なんだよ和典って、
右へ左へ流し打ちをする篠塚は利夫でなければならない。
篠塚も首位打者2回、2位1回で2001本安打達成すると思ってたけど腰痛でヘロヘロになってアウトだからな(´・ω・`)
江川の球生で見たことあるけど素人目でも他の投手と球質が違うのがわかった。
山倉、笹本にもインタビューして、江川について聞いて欲しい?
江川が投げると放送時間より30分くらい早く試合終了して昔の名勝負とか名場面のVTRを流してたな
長嶋の天覧試合とかV9時代とか
「0.1tくんは・・・」
⇒高校野球とプロの差、ということでしょうね。
江川本人は以前『コーチは打診があっても受けない。監督以外での球界復帰はしない。』と明言してたけどどうなんだろうな?
栃木に住んでた叔父も言ってたが江川だけ軽いボール使ってるかと思うくらい凄かったらしい
叔父はのちに社会人の名門に入社してトップアマを経験してるが銚子商業の土屋は中の上くらいで明らかにレベルが違ったらしい
>>14
この時期あたりからカーブの軌道が変わったのかね
速くて小さい
コシヒカリというやつ、 陰茎が23センチあるらしい 風呂場で篠塚見て
「ワンちゃんだけじゃなく、巨人ではこんなルーキーのナニも大きいのか」
巨人に移籍してきた張本が落ち込んでいたらしい
篠塚は腰痛持ちで酷いときがあるのか全盛期でもたまに試合休んでたな
あれが無ければ2000本安打余裕だったろ
阪神ファンの巨人選手と巨人ファンの阪神選手多すぎ。
巨人生え抜きで2000本はv9時代のONと柴田の3人だけ。他球団に行った駒田、松井を含めても5人。
ピッチャーは堀内だけ。衰えると容赦なく斬り捨てられる(´・ω・`)
篠塚は出てくるのが遅かったからな、プロ6年目で初めて規定打席到達だし
しかもその年は原が入団してセカンドで使う方針だったので開幕時は控え選手としての扱いだった
>>130
そうそう。異常に試合進行が早いんだよな。江川の時だけ。 篠塚って2年夏にチームの四番だったような気もするけど
それでも1年から打席に立ってたなんて甲子園優勝するようなチームだろ江川と対戦したの本当なの
他のピッチャーと違うところ、、、、
終盤に(7〜9回)に近づくにつれて球威が凄味を増してくるところ、、
これが並みの投手とは違う
九回に衣笠を見逃し三振に取った球は今でも脳裏に焼き付いている。
それから、時たま打つホームラン
ちょこんとバットに当てたボールがそのままスコーンとレフトスタンドに入る
これも印象的・・・・・・・
80年代ジャイアンツはスターがゴロゴロいて最高だったな
それに比べて今のジャイアンツは悲しくて涙が出るよ
>>148
単に世間の意識が変わっただけだよ
今の時代なら篠塚中畑って誰?だし、当時なら坂本なんてスーパースターだろな 全盛期の江川は本当に凄かったな。
今はスピードガンの性能が上がって良い数字が出るけど、大谷や佐々木の球は普通に見えるからね。
江川の高校時代の球はほとんど見えなかった。
しかし速球王と言えば江川も出来なかった9連続三振をやった江夏や阪急黄金時代の山口高志の方が上だったろう。
しかしその江夏の球を見た張本がやっぱり格が違うと断言した金田は別格だろうね。
なんといっても400勝投手。日米野球であのミッキー・マントルがキリキリ舞いさせられてたんだもの。
しかしやはり一番速かったのは沢村栄治かなあ。本当に戦争が悔やまれる。
ノーサインは初めて聞いたわ。確かに直球とカーブの組み立てだが投げる方も投げる方だが受ける方も受ける方だわ
篠塚の流し打ちも衝撃的だったのでは
ただレフト線またぎながら曲がって外に飛び出す打球は藤田監督の頃しかなかった
>>65
爆笑問題の日曜サンデーでそんな話してたな 作新学院時代センバツ初戦で相手打者が初めてバットに当ててファールしたら
球場中がどっと沸いたという有名エピソードもあるぐらい
通算9年で135勝
怪物の割には短い選手寿命だった
達川率いる広商が振り遅れるからって、全員バントしたっていうのはさすがにネタか?
江川は当時の周りのレベルと比べて凄いってだけ
中学野球の大会に今のダルビッシュが出てくるぐらいのレベル差
今の選手と比べるとスピードはソコソコだけど早く感じる
並みの良い選手って評価
動画で知ったが82年の江川はシーズン初めから終盤まで所々でフォーク投げてるシーンが目立つ
多分杉下に教わってたんだろう
でも江川のワインドアップは脱力して球握ってないから挟むのは大変だね
セットならいけるだろうけど走者いるとやっぱ無理か
全力でも球がおじぎしてる
たいして速くない
チャップマンとかの方が段違いで速い >>156
登板中に肩痛くて意識飛ぶ状態だったのに普通なら登録抹消すればいいのを黙って13勝しながらも引退
それと高校でも大学でも国民的知名度のスーパースターぶりで酷使がたたったのと
浪人生活と球界揺るがす入団騒動で長持ちは難しい 江川も掛布も元阪神の不世出な選手だけどどっちも選手生命は短かったよね。
法大時代、省エネ投法だったから東大には案外打たれてた記憶がある。
あと受験で落とされた慶應にも。
たぶん明治相手か優勝がかかった試合でも8割方の力で抑えてたと思う。
当時の法大は江川以外にも槍田や中林とか好投手がいたから、江川は極力連投せずに済んだ。
カリスマ性は抜群だったけど簡単にホームラン打たれてた印象
地味だったけど斎藤雅樹とか北別府の方が凄かった
>>169
当時知らないけど肩疲労骨折したらしいから防衛本能で本気出さなくなったんじゃないの オールスターの連続三振ってそのシーズンそんなに良くなかったしその後の登板も負けて本当に確変だったようだね
晩年の江川氏しか知らないから
全盛期の江川氏を生で観てみたかったな
松坂、まーくんより怪物だったんだべ?
>>168
掛布ちゃんファーストにする予定がバースが打つからサードのままだったと
先日誰か書いてくれてたな
守備負担減らせば膝壊さずにもっと打てたのかもなあ
阪神優勝できないけど >>170
江川の現役9年間で135勝は凄いと思うぞ
プロ1年目から毎年15勝というアベレージ >>175
今の測定方法で現役時代の江川のMAXスピードを計測し直してもらったら、
164km/hだったって槇原が言ってた
つまり、普通に150km/hのカーブを投げて、160km/h近いカーブを投げる時もあったという事だ
あくまで当時のビデオを元にだけど、ちゃんとスピードガン協会みたいなところで測ってもらったらしい >>164
上手かったよ。
ただ打ちたいものだから、1回目はわざと失敗して、2回目が出たら成功させる。 >>170
上原、和田みたいな球速以上の評価をされる直球を投げる奴は本塁打を打たれる印象があるな ノーサインでたまに来るカーブ捕れるってキャッチャーすごくね?
>>146
練習試合だろう
強豪高は毎週遠征して練習試合やってる
銚子商と作新は何度もやっててチームメイト同然だったとか >>179
江川がライアン以上だって?w
馬鹿じゃねえの 送りバントしようとした江本がストレート3球ともバットにかすりもせず三振した。
>>174
そのオールスター自体も珍しく担いで投げてて下半身のバランスが良い時の江川じゃないフォーム
パリーグの打者が後半から加速してくるストレートとゆったりじゃなく小さい高速カーブにイメージと合わず対応出来なかった 銭湯で間違えて熱湯を洗い場に流したらアチーって行った話?
江川はなんでチェンジアップを習得しなかったんだろ
まあストレートカーブのみで抑えられるけど
巨人の投手なんて言うのは過大評価の塊みてえな奴ばかりだよ
何せ巨人打線相手にしなくていいのだから
唯一評価できるとしたら全盛期に巨人打線が貧弱だった菅野と斎藤雅樹くらいのもんだ
後はまがい物
桑田とか江川なんて高校時代の貯金だけで凌いでいただけだわな
>>135
コシヒカリ、マスクメロン。実質的にはスライダー、スラーブだね ノーラン・ライアンが「こんな男が極東の島国にいたのか・・!??」と絶句した
>>48
キヨシは?
俺はプリケツ淡口が好きだった ナイアガラとかササニシキとかマスクメロンとかの変化球なかったか?
クラウン拒否したのは正子と離れたくなかったのが理由だからロッテだったら入団する可能性があったんだっけ
>>167
ローテーションの柱になるような投手なら、
先発登板がシーズンに30試合ぐらいあって、
投球回数が200回を超えるのは珍しくない。
西本聖や北別府学ら同時代の投手と比較して、
江川卓だけが特別に酷使された事実はない。 >>79
山倉が構えたところに投げてたってことならウソではないよね
球種は江川が選ぶけどコースは山倉が指示する
山倉は全部ストレートのつもりで受ける
どんだけコントロールいいんだって感じだけど >>189
江川の時代にサークルチェンジ無かったじゃん
渡辺久信が90年開幕戦で10.21の反省から新球チェンジアップ披露してたが使い物にならん鷲掴みの棒球だったよ
メジャーでもマダックスあたりからブームじゃないの
でも堀内だけは昔の段階で日本で一人だけ知ってたみたいに言ってる ストレート想定であのカーブが簡単に取れるとは思えないな
山倉すげえ
藤田の打ち首(ハマチの刺身、御頭つき)
篠塚の貝狂い(ハマグリの蒸し焼き)
このメニューまだ大坂でやってるのか?
>>201
作新から法大入学あたりの酷使を言ってるのにいつプロの話? >>54
最後の年の成績が確か13勝5敗だからな。
最近の投手とは次元が違う。 高校時代のセンターカメラの映像あったらな
バックネット裏からの映像だとイマイチ凄さが分からないんだよな
江川はマグナス効果と制球力に重点を置いた
江川より速いたまを投げる投手は結構いたよ
150キロですら全盛期に数回程度だ
>>200
昭和56年春の選抜大会1回戦で槙原擁する大府高校と金村義明擁する報徳学園が激突。
雨中戦となり、ぬかるんだ状態のマウンドで槙原が投球練習始めたら、投げた球が速い上に伸び上がる感じで、日頃捕り慣れてるはずの捕手が取れずボールがバックネット裏に突き刺さったのを見てモノが違うと思った。
槙原は高校時代は荒れ球の印象が強かったが、プロ入りしてスライダーを覚えコントロール、防御率とも良くなった印象。 大学時代、後ろで守ってても打球が外野に飛んでくる事自体が少なかったから楽だったな
10年以上前にOB会で会って以来だから、また近いうちに会ってみたいもんだな
高いマウンドからオーバースローで投げおろしたら球がホップする訳ない
藤川球児だけは違うらしいけどw
>>214
どうだろう。
法大1年の時は4年生の高浦という捕手が何かと面倒みてくれたらしいし、1年上には後にプロで選手、コーチで活躍する高代が、同級生には
袴田という好捕手の女房役もいたからイジメとかは無かったと思うけどねえ。
何より監督が五明さんという名監督だったから
江川には何かと気を遣ったんじゃないかな?
投手も江川、左腕の槍田、中林と三本柱でキッチリ回してたし。 江川ってみんなにイジメられたんでしょ
内野ゴロ取らないとか
銚子商に篠塚、土屋、習志野に掛布、小川、市立銚子に石毛、成東に鈴木孝政、木更津中央に古屋…
当時の千葉が高校野球最強だろ
山倉さんはノーサインでも捕れる俺が凄いって話をしただけ
西本は巨人来る前は江川はテレビのインタビューとかの印象でエリート気取りのいけ好かない野郎だと思ってたけど実際に会うと意外なくらい明るくて社交的な男だったんで驚いたらしいが
山口高志は170センチなかったんだよな
ああいうの見ると沢村栄治もそこそこ速かったんじゃないかと思えてくる
風呂で篠塚に熱湯かけたら熱い熱いって飛び上がったんだよなw
入浴時に3回音がする。左足、右足、そしてまんなかでチャポーンと。
江川は今見ると大した事無い。
ただストライクゾーンで三振取ってたのはカッコよかった。
フォークとかワンバンの球を振ってるのは絵的に良くないね。
最後の年は数字は残してるけどもう限界。日本シリーズの映像見ると真っ直ぐが全然来てなくて
カーブで交わすピッチングが精一杯。引退はやむ無しだった
その後江川引退か?ってニュースが出てラジオの番組で放送中に自宅に堂々と電話かけて本当なのか聞こうとしてたな
出なかったけど。今ならあり得ない事
>>235
新ストライクゾーン以前で今なら誰も手を出さない
高めのクソボールを釣り球に空振り三振を量産してたんだぞ 大洋の遠藤は高校時代対戦した事あるのかな
もう野球はすっぱり辞めて建築だか大学で勉強しようしたけどやっぱり江川と勝負したくて急に進路変えたとかなんかで読んだ
>>199
世界を股にかけるスチュワーデスの奥さんが東京ー福岡くらいの距離が障害になるとは思えんがなぁ
今はどうか知らんけど、昔は国内路線乗り放題だったそうだし
まぁそれでもロッテはないだろうな。在京セリーグで妥協でしょ >>27
当時150キロ以上出してた小松が
160キロ出してたわけないだろ
江川も140キロ台の質の良い速球放ってただけだろ
それをコントロールよくね >>163
昭和59年はもう全盛期過ぎてるから。
オールスター前までは140キロも出ていなかった記憶 高校時代の江川の球速
今の時代のガンで計測したら170キロは超えているかなw
>>240
結婚前だから何がなんでも毎日会いたい
ロッテだろうが在京球団なら感激するほど大歓迎、でも1日でも離れるようなチームは絶対お断り
江川の性格は多分こうだと思う 江川さんと握手してもらったことがあるけど、あんまり手が大きくなくてびっくりした記憶がある。
どっちの足から座るかでカーブかストレート決めてたって現役やめたあとばらしてたよね
篠塚も本当天才だったよな。
今から見れば劣化版イチローだけど、当時はこんな天才二度と現れないと思った。
女遊びばっかりしてた印象だけど、実力はすごかったな。
巨人アンチだけど、1番松本、2番篠塚 は羨ましかった。
2番に河埜置いて3番篠塚でもよかった。
>>224
千葉それだけ強いのに選抜優勝0だっけ。
夏も各都道府県から1校以上出場できる今のシステムになってからは優勝0なんだよな。
意外と言えば意外。
関東だと昔から強いのは神奈川くらいだな。東東京も弱くなったし。
かわりに群馬、埼玉あたりがここ10年くらいは強いかも。 高校野球で左巧打者タイプだと「○○のイチロー」って呼ばれるけど千葉に限っては「篠塚二世」になる
逆一本足打法
これは打ちそう・・・・にないな
江川の球速は高校三年生の時に145キロって記録が残ってるだろ。
これは当時の簡単な機材で観客席から測った記録だけど、江川の場合はプロ入りしてからもこの記録からあまり変わりないから信頼性はある。
江川が高校生だった1970年代は140キロ出せればプロでも速球派だったし、高校生が安定して出してれば充分怪物だった。
江川が特別だったのは上にもあるが初速と終速の違いの少なさとコントロールの良さで、ここだけ取れば今の大谷なんかより上だろう。
B所さんからは
「あのレベルの投手はワシラの頃はゴロゴロいた」と酷評された江川さん
表示より速く見える投手は角
右打者ですら120キロそこそこの球を完全に振り遅れていた
そのえげつない角をカモにしていたのは、左打者の若松勉
ちょこんと当てて流し打ちじゃなくても振り切って流し打ちだったのはかっこよかったな
>>24
全試合出場した年がないし1989年を最後にレギュラー
陥落だからね
130試合制で10年間しかレギュラーを守れなかったに
しては凄い安打数なんだけどね
生涯打率も.304と堂々の3割オーバーだし >>256
初速と終速の速さがかわらないってことは、いまでいう4しーむの握りで投げてたんだと思うけど、
当時は2シームとかなかったのかね。
ストレートは4シームオンリー。
変化球は普通にカーブ、ドロップ、シュート、フォークあたりがメインだったのか。 >>54
肩痛は本人にしか分からないからね
山本浩二だって辞めるような成績じゃないけど
腰痛で限界だったんだし 巨人のセカンドって、NPB史上でみるとイマイチ感ぬぐえないけど、
篠塚と仁志はよかったな。土井さんは知らん。
遊撃は二岡、坂本あたりはよいな。
昔の広岡、黒江も凄かったんだろうけどみたことないからわからん。
>>262
当時はまっスラ(今で言うカットボール)などと合わせて「クセ球」とか
言ってたんじゃないかな?
ちなみに、西本のシュートの握りはツーシームと一緒だ。 >>176
1984年オフにバースは解雇されるはずだったが
吉田義男が反対して残留
代わりに真弓明信がライトに行かされた >>266
そうなんだ!
てことは、西本は握りは2シームで肘の使い方はシュートで投げたのか。
握力ありゃできるだろうけどえげつないシュートだっただろうな。 江川の代わりに巨人からトレード出された小林の阪神での活躍がえげつなかったな。
眼なんか殺気だってギラギラしてたし対巨人戦で勝ちまくってた。
ああいう遺恨試合というか、日本人同士の真剣勝負的な対決を最近は全く見れなくなったな。
チームが違ってもみんな仲良くなっちゃった感じで。
>>257
別所毅彦が死んだ時は不謹慎だけど嬉しかったな >>266
西本の落合に全球シュートとかしびれたわ。
西本のピッチングはいつ打たれるかわからない江川とはまた違った
駆け引きの緊張感があって見飽きなかった。
球速は速くないのによく相手のバット折ってたな。 篠塚は一軍の試合に出始めのころ
代打て出場すればヒット打ていた印象。
子供心に、「なんで篠塚をスタメン起用しないんだ」
と思っていたが、解説者が「長しく監督が体力がないため
まだスタメン起用は難しい」と言ってた。
OB会の案内を江川にも出してるのに来ないって川藤のネタが好き
>>269
江川と西本が雑誌対談で近年の選手たちの仲良しこよしっぷりに苦言を呈していた
敵チームの選手とシーズン中に一緒にメシ食いに行くとか考えられんって >>275
西本なんか日本シリーズだというのに「江川さん打たれろ」などと念波を送っていたくらいだからな >>87
江川が頭悪かったとか当時のアンチの妄想だよ
地元で頭も良くて有名だった >>52
近藤真一のデビュー戦?
あれはボールだわ >>275
今は日本代表チームもあるしFAでいつ同じチームになるかわからんしな 昔のジジイどもは大げさに言うからな
金田130km/h
江夏140km/h
江川150km/h
大谷160km/h
こんなもんだろ!?
>>283
川相は堀内監督時代
雨中のランニングに抗議して問答無用でぶん殴られた >>272
星野はあの試合を見て
「いつかは西本を獲ろう」って思ったんだってね
で、中尾を放出してまで実際に獲ってみたら20勝しちゃった
その年は中尾も巨人で活躍してベストナインにも選ばれた
トレードの成功例としては史上最高レベルだったと思う >>271
青田さんは分かりやすく解説してたよ。
それに記憶力が凄かった >>286
西本が中日に出されてから最多勝取って
初めてチームメイトに祝福されたような事を言ってたな。
それ以前に最多勝を江川に奪われたけど西本が沢村賞取った年なんかもあって、
当時の巨人のレギュラー争いみたいなもんは本当に熾烈だったんだろうなと思った。
江川はもちろん西本と定岡のライバル争いみたいなのもあったし。 >>199
元々江川は引退後のことを考えて慶應ブランドが欲しかったんだよね。
でも入試でしくじってそれがダメになった。だからどうしても巨人ブランドにこだわった。
もし仮に慶應ブランドを手に入れてれば、大洋あたりだったら入団するとも言われていた。
でもせいぜい在京セがいいとこで、訳の分からんクラウンライターは無かっただろうな。 >>282
江川の動画では140台だね
江川の動画をみてごらん
まさにあのまんま
加工してない
速さじゃなく、球の軌道がえげつないから
ダルも大谷も速度はすごいが
球筋がわかりやすいんだよ >>87
あの年に限って高校野球で活躍した連中はみんな慶応落とされた
中尾、植松、堀場など
堀場は浪人して慶応受かったが なんかグローブに数字の表貼り付けてたことなかったっけ?
うる覚えだが
確か江川と掛布の対決
いつも決まって初球のど真ん中のカーブは見送ってた記憶
昔のスピードガンなんかあてにならないだろ。 江川とかどう見ても遅いわw
今のスピードガンなら110キロ位だろ。ジジイはいつも昔は凄いって話盛るからな。
高1の時が一番速かったって捕手が言ってたな
2、3年は肩痛めてたって
昔は野球しかなかった
巨人が好きだった
選手は槇原、原が好きだった
でも野球を「する」ことは小学校6年あたりから少なくなった。
でもね、駒田黒人、槇原ソープ、篠塚車庫とかずっと覚えてる
>>295
乱数表かな?
誰かが乱数表を貼り忘れてタイムを掛けて貼り付けたんだけど時間がかかり過ぎるって廃止になった 80年代前半の江川の動画見たら確かに140キロ台のスピードガンの表示が嘘じゃないかと思うくらいえげつない
本当に浮いてるみたいだし後半になるにつれて速くなるのも凄い
基本は完投前提で7割の力で投げてたと思うがリリーフ専門なら藤川くらいはスピード出たんじゃないか
>>295
乱数表
試合時間が長くなる理由で83年に禁止された >>277
頭よければ慶應受かるだろ
せめて普通よりちょっとよかったくらいにしておかないと 衣川の後脚が下りる前にボールが届いてるからなw
スピード計測位置の違いがあるってのは
本当だと思うよ
ただ最近は知りもしない見たこともない時期のことを
思い込みで話す奴すげー多いから
ほっときゃいいと思うよ
>>283
川相は守備と送りバントはよかったけど、打てるイメージがなさすぎたな
そういう役割が大事っていうのはわかるんだけどさ
野球をみてるほうとしては打てる野手にあこがれるよ >>294
>>306
あの時は、慶應が江川と密約があるとか噂されてて、慶應がそれを否定するために
あえて落とした、とか聞いたが。
江川は当然受かると思ってたらしいよ。 >>282
今から30年後くらいに、大谷のこと話して
そのころの子どもに「爺どもは大げさに言うからな」とか言われたら嫌だな
まあ、いわれるんだろうけど
でもイチロー、大谷は今の時代でも別格だと思う オールスターの八連続三振だったかたまたま調子の良いときは本当に打てないみたいだったけどな
>>295
乱数表な、サインがバレないようにする為のもの。 篠塚の測ったようにサードとレフトの間にポトリと落とすヒットは芸術的だったな
>>262
つべで江夏の投球を初めてみたんだけど
全ての球種がはっきりしないモヤモヤ感あるね
真っ直ぐなのかスライダーなのか分からない不思議な球筋に
カーブもカーブらしくない曲がりで
フォークもシュートも決め球には一歩足りない中途半端さ加減、余計に打者が混乱しそうで打ちづらそう イチローは過大評価だと思うね
守備はうまいと思うけど
>>309
川相はある年の契約更改でヒットが少ないって言われて
もう来年から送りバントはしないってキレてた事があったな >>306
今では想像つかないくらい受験戦争が激化故に裏口入学事件が相次いで
クリーンなイメージをアピールしないと学校が命取り死活問題だったんでしょ
江川欲しさより大学のエゴが優先 江川欲しさにクラウンライター買収した堤
ざんねーん
いや学力で受かるなら不正もクソも無いだろ。
江川持ち上げるためにどんだけ妄想するんだよ。
>>48
江川の全盛期は、
松本、河埜、篠塚、原、中畑、ホワイト、トマソン、山倉って感じとオーダーだよ。
吉村なんて全然後の世代だよ。まぁ重なってはいるけど。 >>282
江夏は晩年でも145出とったから、さすがにもっと速いやろ
>>323
仮に学力で受かっていても絶対不合格にしろ大学のメンツ守れという一般人OBと教授会達の強硬圧力 かつて湯舟が当日のサインを勘違いして開始初球でカーブのところをストレート投げたら、木戸さんが立ち上がってブチ切れたらしいが、山倉は優しいな
>>93
江川の全盛期は、9回のマウンドでも150q超えていた。
断片的な映像記録だけで言われても困るわ。
ちなみに、江川の全盛期はMAXは153qだったと思う。 >>93
147、8kmビシビシ投げとるよ
正直過渡期だったけどまだ江夏とか鈴木とかスーパーエースが現役だったからな。
全盛期で比べて江夏より上なんて言う人間はよほど讀賣贔屓だけだろう。
奪三振率みても圧倒的に江夏。
まあ当時ずば抜けて速いと言われてた投手は本当に速かったとは思うけどな
村田兆治とかどう考えても化け物だしw
昔の銚子付近の青少年はなぜか野球がズバ抜けて上手く何人もプロ野球選手を輩出した。
ヘディング事件の宇野勝さんとか。。。
>>334
子供の頃の遊びが、みんな海での鮒漕ぎだったとか? 昭和の野球選手だと
江川卓は引退する最後のシーズンで13勝
王貞治はホームラン30本
この二つは凄い
>>334
子供の頃から船に乗っていてバランス感覚がいいとか? おかしいな。俺が「たかされ」で読んだ話だと、江川が肩を壊した最大の原因は、
甲子園後の営業試合での酷使だったんだが。あと、CM撮影中のけが。
大学時代説のほうが有力なの?
>>339
あの漫画はろくに取材してないデタラメだらけ。
壊した壊したて治療した話もなく普通にプロに入ったんだから。ホントはもっと凄かった事にしたいからそう言ってるだけでしょ。 >>337
山本浩二も追加よろ
惜しまれながら引退するって
最近あんまりなくなっちゃったよね >>271
青田昇は他球団での選手・コーチ経験が結構あるから
巨人以外の球団への愛情も感じられた
別所毅彦は南海出身でサンケイの監督までやったくせに
巨人巨人巨人のクズ野郎
今確認したら死んだの76なんだって
当時すっげえジジイだと思ってたけど >>339
高校時代に招待試合で投げされられまくって肩を壊した
のは間違いない
その上大学時代も酷使されたからプロでは既にボロボロ
それでもアレだけ勝ったんだから本物のバケモノなんだよ 絵がの現役時代を知らないけれど、Youtubeでみると「何じゃこれは!」という球を投げる。
>>337
でも王の最終年の打率は2割3分だから。
さすがに衰えてたよ。これ以上続けると生涯打率が3割切るから、引退した。
王の生涯打率は.301
王ぐらいの選手なら4番以外は無いし、まして代打要因とかあり得ないから、
もう引退するしかない。プライドがあるし。 球が凄い分、ドンピシャで当てられたらソコーンとホームラン
される場面が多かったようだけど。
一発病とか言われてなかったかい
江川はプロでの成績なんか大した事無いんだよ
それよりも水島新司、本宮ひろ志、あだち充が漫画で使いたくなる不思議な影響力
ドカベンなんか福島いわきは江川が産まれた炭鉱だし、
あたるの下に弟がいたらつける予定だったさとるの名前貰ったってあったような
本当か知らんが
何回か改名してるよな
字も変えたりして
奥さんも車もよく変えてた
>>73
今だったら高校卒業後直ぐにメジャーだろう。いや高校中退してメジャーの可能性すらある。 篠塚さんも充分化けもんだろ どこに投げても当ててこられるって
何人も相手のピッチャー何人もノイローゼにしたって与太話聞いたような気がするし
江川は結局監督にはなれなかったな。星野みたいに政治力なさそうだし。
投手編】これは打てない!と思った「歴代最高のピッチャー」とは?【金村義明】
>>291
昭和55年開幕投手 江川→3位
昭和56年開幕投手 西本→日本一
昭和57年開幕投手 江川→2位
昭和58年開幕投手 西本→優勝
昭和59年開幕投手 江川→3位
昭和60年開幕投手 西本→3位
昭和61年開幕投手 江川→2位
昭和62年開幕投手 西本→優勝
この二人の切磋琢磨ぶりはスゴかった。
江川と西本は仲悪いみたいに言われてたけど、
実際は連まないだけで良きライバル関係だったんだと思う。
寧ろ江川の腰巾着の鹿取と西本が仲悪くて、定岡と西本は仲良かった。
西本の多摩川グラウンドで行われた引退セレモニーは定岡が段取りしてやり、長嶋監督も駆けつけてた。
あの年は最終戦で勝った方が優勝という10・8
の年だったから一軍で引退セレモニーしてあげられなかったんだよね。 >>357
確か、江川のほうが年上だけど、プロでは西本が先輩だから、
西本は江川のことをどう呼べばいいのか迷ったとか言ってたな。
いやそこは普通に「江川さん」だろ、とか思うけどw
江川は普通に西本を呼び捨てだったはず。
江川と西本は本当に対称的だから、西本には意地みたいなものが
あったんだろうね。
有名な話だけど、江川が沢村賞獲れなくて、西本が獲った時に、
世間が、さすがにそれはおかしいだろってことで、江川に同情的になって、
それで江川が人気出たんだよな。その時の騒動が原因で沢村賞の選考方法が
変わったんじゃなかったっけ。 >>359
西本が沢村賞とった翌年の82年から球界OBから成る数人の選考委員が
7項目の選考基準を設けてこれを参考に協議して決めることとなった
さっそく82年江川はこの選考基準をすべてクリアしてのけるが
北別府も同様にすべてクリアしていて協議の結果
リーグ唯一の20勝が決めてとなったのか北別府が受賞することとなりまたしても江川は受賞を逃してしまう
選考基準オールクリアが複数出たのは他には2011年しかなく江川もかなりついてなかった >>357
なんで西本と鹿取が仲悪いのか気になる
どうせ西本が嫌われ者なんだろうが
対談番組やってたけど定岡と角と西本は同い年の仲良し
西本はトークの落ちがうまい
鹿取も同い年なのに大卒だから合わないのかな >>362
まあいろんな事が足引っ張ってるんだろ
人生そんなもんだ そういえば最近江川見ないよな?
なんか番組持ってる?
>>330
やっぱり今のピッチャーのほうが速く見えるな >>364
堀内 「せやな。国会議員にまでなったけどな >>318
2シームは基本はストレート寄りやで
握りだけ変えて、ストレートと違ったたまにしている
投げ方は基本ストレート
中には投げるときに手首と肘の使い方でより変化大きくする投手もいるけど
シュートは握りはいろいろ
手首と肘の使い方で曲げる >>369
自己レスだけど
シュートの握りは2シームだけど
通常の2シームの握りと比べると、右投手の場合はややボールの左側を握る >>304
球が浮いて見えるような軌道を持つのは速いからじゃないし
初速と終速の差が小さいからでもないよ
ちなみに球速が上がれば上がるほど空気抵抗は速度の二乗に比例して増えるので終速の速度低下は大きくなる
もし、江川の球の速度差が小さいのなら球速はそれほど速くない
ってことだ 江川の作新は1年時には100人以上いた同期が最終的には14人
全員変人なので卒業後同窓会を1度も開いていないと言っていた
>>257
酷評ってか普通
この手の言説は常にある
自分の頃が一番だと思ってる爺さんの >>142
その代わり、他所に行ってもOBは厚遇して、コーチとして呼び戻し
てくれたりと、面倒見は非常に良い球団 >>363
鹿取は江川と学生時代から仲が良かったから、江川をライバル視する
西本とはウマが合わなかったんじゃないの? >>374
年寄りの人にありがちなことだよね
年寄りみんながそうなる訳じゃないけども、そうなってしまう人はいつの世にもいる 卓君は実はバッティングも良かったよ
私は大学時代に打てないのはともかく、2打席続けて長打を打たれた時にプロは諦めた次第ですよ
>>374
江川のストレートが今の投手より上とか言ってる老人とかな。 >>381
精度が悪かったんだろうなぁ
桑田のスローカーブで365km/hでたのはワロタ >>48
野村正田前田江藤金本ロペス尾形西山P
もなかなか
それでも強くなかったのは何が悪かったんか >>379
江川しか見てないなら凄いんじゃない。
他にもっと凄いのがいてるから。
何一つ抜けた存在では無い。 小林が巨人にずっといたら150勝70敗くらいだったのかな
>>385
9年で135勝が抜けた存在じゃないとか頭おかしい
その時代では間違いなくトップクラスやろ
9年135勝ってそんなゴロゴロおらへんぞ ダルとか田中は平均15勝ててたの
後 甲子園の奪三振率15は歴代最高だろ www
>>387
江川は即戦力の大卒でプロ入りして
二桁勝てなくなるくらい衰えるまでに早くに引退してしまったってのもある
しかし江川のプロ在籍は24歳から32歳までの9シーズンだから他の一流投手の
24歳から32歳までの9シーズンだけ切り取ってみたら北別府ですら125勝だった
脂の乗った9年だけ切り取った比較でもやはり135勝はすごい >>363
鹿取は相当変な奴だぞ。
藤田監督に反抗してトレードされたが、
それも藤田が怒って追い出したのではなく、
本人がもうやってられないというので仕方なく出してやった、みたいな。何様? >>369
メジャーにいた吉井がツーシーム=シュートと言ってるわ馬鹿 ガキの頃、阪神側外野席のヤクザみたいな応援団に
篠塚の応援歌の替え歌を教えてもらってこれを歌えと強要されたわw
女ったらしの篠塚〜♪
女ったらしの篠塚〜♪
右へ左へナンパする〜♪
女ったらしの篠塚〜♪
江川は、高卒で阪急入りだったら山田とダブルエース体制で大活躍して、軽く
200勝超えしてただろうし、大卒時にクラウン入りしてたら翌年からは
西武ライオンズだったから、これまた西武黄金時代を支える大エースとして
軽く200勝はしてただろうなぁ。
篠塚、江川への好き嫌いは違えど
みんなこの時期の野球が面白かったんだな
今はもう野球はダメだね、巨人が単独でつまらない
鈴木誠也とマイーン山田哲人と丸を揃えて何が面白いかっての
>>397
大学で肩ぶっ壊れたらしいのでやっぱ高卒で 9年135勝っていうと確かにすごいんだけど衰えぶりからみて
だらだら現役15年続けても160勝程度だっただろう
そうなれば晩年のしょぼいイメージがファンの脳内に植え付けられ
インパクトも薄れて神格化もされなかったろうな
惜しまれながら去る自己プロデュースの勝利だな
篠塚の全盛期は常にヒット打ってるイメージ
イチローよりも打ってるイメージだな
斎藤雅樹も全盛期9年だけ切り取れば150勝はしてるけど
他の10年は結局30勝しかできなかったな
江川はほんと投げるテンポが良かった
あれは現代の投手も見習って欲しい
つうか、最近の投手はいい球持っててもテンポ悪くて調子を崩すパターンが多すぎる
>>403
逆にテンポが悪くて球審にしょっちゅう難癖をつけて嫌われていた奴でも、勝率は良い不思議 北別府な
投球テンポの悪い投手は打線の援護に恵まれない
みたいなのがあったが、北別府で覆された
>>402
ワン公の監督時代がもったいなかった
あれなければ200勝してたはず ある時期から200勝は格段に難しくなった
1970年代の10年間にプロ入りした投手で200勝達成できたのは北別府1人だけ
1980年代の10年間にプロ入りした投手で200勝達成できたのは工藤と山本昌の2人だけ
10年に1人か2人というとんでもない難易度になった
>>400
衰えっぷりって言っても最終年ですら13勝してるし最後の試合、小早川に逆転サヨナラ打たれなければ完封で14勝やったんやろ?
そこまで衰えてるか? >>376
でも西本は江川とも仲良いんだよね
現役の時だってコンビで準備体操するぐらいの距離の近さだった >>13
まぁ昔の15勝と今の15勝じゃ価値が全く違うけどな
80年代まではエースクラスはまして強いチームのタイトル取るようなエースは18〜20勝が当たり前だった >>146
江川が二年生の秋季 選抜後の春季関東大会+練習試合2試合+選手権大会の計5回対戦。
篠塚は相模の原さんと違い銚子の斉藤監督は一年坊は使わない監督だったけど、春からレギュラー扱いだったよう。骨折して、ベンチから外れ甲子園の押し出しサヨナラにはいなかった。
やはり、プロ野球のスター選手は天才なんだね。 この頃のセカンドは各球団数字以上に存在感ある人が居たイメージ
正田とか辻とか
私の自宅内に税金で雇われた南砺市消防署員あたりが家宅侵入して器物破損、窃盗をして、それを町の低民度
住民に自宅前でほのめかしさせ、私に知らしめる手口(集団ストーカー)は、私が横浜市在住時からやら
れていた手口であり、まったく同じものです。国家規模で行っている犯罪です。
2015.3.26 意味不明な会話、キモ笑い 近隣爺 15.03
4.28 パーや 中学生 15.00
5.1 あのバカ 中学生 8.00
5.1 近隣宅出入り業者 キモ笑い 13.54
5.2 頭に血が登っているからよけい頭にくる(爆笑 入浴中 獅子舞の連中 20.00
5.2 あれ言っていい? 入浴中 獅子舞の連中 20.00
5.2 近隣宅内 爆笑い 20.10
5.5 ゲラ笑い 近隣宅出入り者? 18.25
5.7 しっしっ 中学生 18.10
5.8 やー! 自転車男 7.30
5.9 ・・2万円笑 男2人 6.35
5.9 入る。笑 女子中学生 12.45
5.9 ゲラ笑い 中学生 15.11
5.12 平和やなー 中学生 16.00
5.16 やばい!月曜日怖い 女子中学生 7.30
5.19 生きざまが・・ 中学生 16.05
5.19 奇声 中学生 16.25
5.20 完璧や 中学生 16.00
5.22 危ないな 近隣住民 7.40
5.22 ゲラ笑い 中学生 7.49
5.26 チャリーンチャリーン〃〃 中学生 自転車ベルを連続
5.27 やばい笑 中学生? 21.15
5.28 ダースベーダーのテーマソング口ずさむ 中学生 13.40
2015.5.14 風呂の水道蛇口、壁との隙間から水漏れ発見
5.15 N工業、浴室壁内水道管継ぎ手交換・コンクリートはつり工事 内側の水道管継ぎ手交換。セメントで覆う。
工事料金請求書 43200円
2015年 上水道 使用量
3月 5615円 2505
4月 5265円 2349
5月 11722円 5167 水道管で漏水
6月 16788円 7360 修理依頼
8月 5966円 2662
2015年4月14日、17時10分に下校途中の中学生が私の自宅前で 「おい、○○!」とさけびました。
何と私の苗字を叫んだのです。これにより中学生による一連の集団ストーカー、ほのめかし行為が私に
たいしてのものであることがいえると思います。
>>2
実際に後楽園遊園地のどこか高いところから球場でマウンドから投げている江川の球を見たことがある
本当に指から離れた球がそのまま真っ直ぐミットに直線で全くスピードも落ちることなく吸い込まれている
映像
あれがはっきり目に残っている
あれは一体どこで見たんだろう?不思議な記憶だ 山倉か
ウチのとーちゃんはナマクラって呼んでたのは覚えてる
NHKの不正暴露して欲しい 凄いタブーが有るんじゃないか?
篠塚利夫懐かしいね
簡単に芸術的にヒット打って一塁ベース上で手袋外してケツポケットに入れてる仕草が印象に残ってるわ
>>136
乱数表か
槙原は視力が悪くてサインが見えなかった 篠塚は西武の左のワンポイントリリーフの永井?の球は
全く打てなかった
>>42
篠塚は高校時代から腰痛持ちで指名敬遠されてたのを
長嶋の猛プッシュで巨人が指名した >>394
全然違うよw
ツーシームファストはストレートと同じ投げ方でツーシーム回転の空気抵抗と回転軸の傾きによって曲がり落ちる
シュートは回転自体をシュート回転させて曲げるスライダーの逆バージョン
>>369が正しい
人をバカにするならこれぐらいの常識知っとけよw ツーシームは握り方のことで、変化量は人それぞれ。
シュートっぽい人もいるし、いわゆるシンカーの人もいる。
シュート回転するわけじゃないからシュートとは違うのはその通り。
>>425
3打数0安打1四球。素人みたいなスイングの篠塚は初めて見た。まぁ永射を得意にした左打者は1人もいないし仕方ないが
ソレイタが50回近く対戦して打率1割ちょい。リーは100回近く対戦して1割5分くらい
因みに斎藤雅樹対江藤は50回近く対戦してたった1安打の打率0割3分くらい 西本のシュートの握りは完全にツーシーム、肘はひねらずに気持ちだけ
人差し指に力を入れる投げ方だったから、彼は肩も肘も故障してない。
>>87
法政二部が唯一残っていた受験日だったので六大学総意で法政にお願いした。 >>412
じゃ骨折してなきゃ劇のような甲子園雨のサヨナラ押し出しの場面にいた訳か
夏はもういつもみてる江川じゃない本調子とは遠いと言ったのも銚子商だっけ >>431
ヒジは壊しかけたよ
85年から86年にかけてがそう
特に86年は皆川コーチとの確執のダブルパンチで周りから袋叩きだった
オフに右ひじを鍛えなおして掴んだのが、87年開幕戦で落合斬りの完封勝利 篠塚でも.304なのに
中畑の生涯打率.290ってかなりよい。
高橋由伸とほぼ同じだからね。
>>214
本宮ひろしの「たかされ」に
そういう描写があったな >>102
原はテレビ放送が始まる前と、大差で試合が決まってテレビを見なくなった後に打ってた
チャンスには滅法弱くて、ポップフライばかり打ち上げてたイメージ
だから俺も原の印象に残るヒットやホームランなんて全く記憶にない >>390
ワロタ
原は本当にチャンスに弱かったもんなw
同点からの勝ち越し打ならまだ期待は出来たが、絶体絶命のヒット1本打てば逆転の
場面ではさっぱりだった
こんなチャンスに弱い巨人の日本人4番はこれからも出てこないと思うわ >>421
なんだろう篠塚って素手の感覚大事にしてそうで手袋の色が思い出せない 昔勝利打点っていうのがあってな
原は勝利打点王になってるはず
チャンスに弱いってのはメディアが作り出した幻想じゃないのか?
ONと比較され続けた原も可哀そうだと思うけどね
例のアレでなぜかヤクザのフロント扱いされてたなぁ
一体どういうことなんだろう?
コーチ出来ないくらい素行が悪いのかな
にわかが桑田や斎藤が野手の才能あったと言うが西本が一番じゃね
例の漫画読むと巨人は野手で採ったみたいで本人と長嶋監督以外、誰も投手の素質認めなかったエピソード
スランプとかで、「登録名」を替えちゃう人の1人。
プライドが高くて、品川ナンバーじゃないとイヤだから車庫飛ばしして捕まった
>>441
チャンスに弱いんじゃ無い
普段も凡投手の小便スライダーが打てず、苦手の外意識してると今度は内角高めを打ち上げて内野フライ
これを繰り返すから相手に舐められた >>363
その3人も現役時代は仲悪いぞ
長嶋監督によく殴られた3人で出た時も現役時代なら一緒にいるのはありえないと話していた
おそらく西本が嫌われていたんだと思う
逆に江川は後輩を食事に連れて行ったり人望厚かったらしいね 江川信者の一人だけど西本の反骨精神は
最初ドラフト外でしかも投手失格の烙印、
そこから這い上がって昭和の怪物大天才に並んで追いついちゃうんだから凄えよ
しかも実質エースの働きは完全西本に軍配。
でも雑草努力根性アピール欲がウザすぎて全員に嫌われる
>>447
定岡と角はオフに一緒に演芸場のステージに立つくらい仲が良かったそうだから、不仲は西本だろうな。
ハワイの優勝旅行で独りで早朝からランニングしてるのを見た務台会長が感激して、西本に激励の手紙を送ったのがチームメイトの不興を買ったらしい。 角は本当に速く見えたな
バックネット裏で観たときたまげたわ
あの頃小学生が終盤にタダで侵入してバックネット裏る最前列に近い場所でウロウロするとおじさんたちコッチ来なさいなんて優しくしてくれたなあ
江川って、今日で65歳になるんだな。
生涯成績見てて85年は11勝7敗で防御率は5点台で完封はゼロ。
同じく引退した87年も完封はゼロ。
確かに限界だったのかもな。
>>447
西本は皆川コーチとも揉めてたな。
ただ引退後は星野の引きもあったのか阪神、オリックス、ロッテでコーチを務め、今は日刊スポーツ専属の評論家になってる。
江川が引退した87年は後楽園球場最後の年でもあり、後楽園球場お別れセレモニーの頃に「江川引退」のスクープ記事をスポニチがスッパ抜き西本が「江川さん、辞めるんですか?」と真顔で江川に質問し、寂しそうにしてたらしい。 西本は結果出したから凄いんだけど
仕事仲間からしたら職場の中で勝手にライバル視して張り合ってくる人間なんて
好感持てるはずねーわ
江川の球の最盛期は中学1年生の時
小山に行ってから変わってしまった
>>453
天竜川に居た頃?中学の後半で栃木転校すると同時期に親の差し金で早慶戦観戦して、まずはプロより六大学に憧れが生まれて高校選びは第一に勉強優先になったんだよね >>1
>篠塚和典氏(1992年途中までの登録名は篠塚利夫)
運気のために改名するにしてもここまで元の名残が一切無い改名は珍しいな 西本は江川や定岡に勝ちたい一心で同僚の誘いも断り球団の行事も出ないでいたら
誰からも相手にされなくなって忌み嫌ってた江川しかキャッチボールの相手がいなかったと言うw
いったいいつの時代の話してんだよ、化石みたいな話だろ
>>457
江川も違うんじゃない
外人しか相手が居なかった桑田も一緒 >>454
なら宇都宮高校かその次善高に行けば良かったな。肩壊れずに済んだだろう >>397
ライオンズの身売りが発表されたのはまだ江川卓との
交渉権が消滅する前で「九州は遠い」という理由で拒否
した江川だけど球団が埼玉に移転で一転入団かという
記事が当時書かれたらしい
ルール違反だが三角トレード前提で西武入りってのは
無理だったのかな? 江川は通算13本のホームランを打っている
これもなかなか凄い
>>407
絶対にエースにならず20年投げられれば可能性はある
工藤みたいに狙って15勝と8勝を隔年で達成しないと セカンドといえば福良白井のイメージ
阪神は和田と岡田の間の記憶が無いな
>>450
正義マンや正義ウーマンが幅をきかせている今の世の中では無理だなぁ。 >>457
若い頃の桑田は性格悪くて本当に嫌われていたらしいね
うちの親父の行きつけの名古屋の飲み屋に当時スカウトだった河埜がよく飲みに来ていて仲良くなった親父ら常連客が巨人選手のサインを頼んだところ、当時活躍中の桑田は性格悪くて先輩の河埜の頼みでもサインを書かないとのこと
代わりに原、中畑、篠塚、江川らのサイン色紙を持って来てくれた
常連客がジャンケンでサイン争奪戦をやり最後まで負けた親父は河埜のサインを家に持って帰ってきて楽しみにしていた俺ら兄弟から大ブーイングを受けていた懐かしい思い出 >>435
ミスター.290って感じ
1984年は絶好調で原辰徳に代わって4番を務めてる >>471
野球は分散しちゃうから目立たないけど今でもプロで活躍するのは野球だね
サッカーは高校レベルで終わる選手が多い 江川って超臆病でビビりな性格なのに競馬や麻雀、株とかギャンブル好きなのか
理解出来ない。
ロマンチストなのは分かるがリスクとか遊び嫌いそうなのに、おそらく親父の影響が大きいのかな
江川の親父の夢は息子三人育て長男はプロ野球、次男は証券マン、三男は政治家にしたかったとか
あと炭鉱で大学出の若い奴が上になるから学歴も痛感したみたいで、全部親父が敷いたレールに乗せられんだよね
すぐる卓、あたる中は麻雀由来でもう一人弟がいたら、さとる了の予定だったとかなんとか
原も江川も生まれ故郷は炭鉱はすごい偶然
>>457
定岡と江川のことをどう呼ぶか相談したそうだ
その結果「すぐるちゃん」に決定 >>95
巨人といえばこのメンバーが思い浮かぶおっさんは多いのではなかろうか >>468
居ないから
1988年で掛布雅之が引退して
1989年 セカンド和田 サード岡田
1990年 セカンド岡田 ショート和田
1991年 セカンド岡田 ショート和田
1989年 ファースト岡田 セカンド和田 クロマティーが暴露してたけどこの人は苦手なピッチャーが先発の時に腰が痛くなって欠場することでチームメイトから嫌われてたみたいだね
>>5
いつだったか忘れたけど改名したんや
篠塚は怪我がちやったしのう >>478
ショートは河埜か鴻野だなあ
初代ファミスタのスタメン >>95
ファミスタ初代世代は7番岡崎じゃなくてこうのな
河野和正でなく鴻野淳基な ワン公時代は山倉と有田が併用だったな
有田と組んでたピッチャーは誰だっけ?
>>483
でもこうのとやまくらはおうとおかざきに替えていたよな? >>482-483
鴻野淳基を獲得するために1984年オフに西武に
放出した鈴木康友が1986年に中日でレギュラー
になってるんだから面白いw
だったら鈴木をレギュラーにした方が良かったろ
という >>384
正田と尾形って現役被ってへん
ディアスどうした >>488
鈴木康友って噂だと巨人に相応しくない乱行の私生活なんでしょ
そんで篠塚がそのコンビというかもろに仲間で
あまりの夜の安打製造機、猛打賞ぶりに実は篠塚も放出寸前だったとか読んだ 地元が宇都宮だったので子供のころ
江川の甲子園試合も全部テレビで観戦したし、
真岡工業と宇都宮東との試合(ノーヒットノーラン)も
球場で観戦した。
しかし、数年前ユーチューブで観た柳川商業戦の録画みて
がっかりしたよ。
江川のとった三振は、高めに浮いたストレートを伸びあがって
空振りするだけ。
丁度野球やり始めた子供がダボハゼのようにボール球に手を出すように。
やっぱり、プロの時の投球が一番だと思った。
>>484
有田はガリクソンと組んでいたイメージがある >>492
あの時代の打者って木製バットの上にどれもこれもヘッピリ腰で話にならなかったよな・・ >>475
スポーツうるぐす好きで見てたんだけど
江川さんはかけ方がせこかったw
堅実って言うか大穴狙いは絶対しないトータルで勝とうとするタイプ >>491
巨人が落合を狙ってて、その候補の一人に篠塚があがってたらしいな。
で、トレードになったら篠塚は拒否して引退するつもりだったそうだ。
定岡がそうだったけど。
でもロッテはもっと上の選手(原・中畑)を要求してきたから、
スムーズに進まなくて、そうこうしてるうちに星野が横槍入れてきて、
意地でも巨人には取られたくないってことで、トレードを成立させたんだよな。
巨人は原以外ならOKだったって噂だけど、選手を出し渋ってるうちに
中日に取られた。 >>405
その北別府も、当時の動画見てると今の選手と比較してテンポ悪いってほどではないんだよな
そりゃ試合時間も延びるわけだわ なんで篠塚が偉そうに語ってるの?
いつも振り遅ればかりのイメージ
>>484
槙原
前年に怪我して戦線離脱後、86年になっても調子が出なかった
しかし8月7日の中日戦で有田とバッテリー組んで延長戦完封勝利(中畑が杉本からサヨナラホームラン)してから槙原のときは有田が出ることが多くなった >>502
振り遅れじゃない
イチローと同じく狙って流し打ちしてる 打たれてうなだれてる記憶しかない
現役バリバリが見れなかったのは残念だな
有田と言えばセーフティスクイズ結構有名なはず
ポンセが激怒してた
終盤、江川・加藤初・槙原が柱になってて
ブロハードの一発で終わってしまった
勝ち星は上回ったのに広島が中日との4戦を全て勝ったかなんかで優勝を逃した
一つぐらい勝てよと思ったが当時はCSもないしな
子供の頃だったが熾烈な優勝争いで覚えてる
>>463
最近は球場の拡大化のせいなのか投手のホームランというのも最近めっきり見なくなった気がする
打つとしたら外国人くらい
通算10本以上あるいはシーズン2本以上は
日本人だと江川が最後じゃないかな バッティングならガルベスだな
普通に中軸打たせてもいいぐらいだった
野球覚えたのは子供同士の野球じゃなくて毎日学校終わりに大人同士の草野球に混ぜてもらって遊んでたと言ってたような
毎日大人が遊んでいるのだろうか漁場だからか
天才が生まれるには運と環境があるよな
>>94
そう、江川はホントに凄かった
田尾とか谷沢、あと衣笠もコージも
キメに来る直球待ってて
ガチギレ気味に振りに行って
わかってても空振りしてんだよな >>102
常に期待してたため 引退当時歴代4位くらいのクラッチヒッター デーブジョンソン、、、大洋から来たライオン丸シピン・・・
>>518
山本とか掛布とかふつうに当ててただろ。 >>478
松本はちょっと前の時代な気がする
河埜とか淡口とかのへん >>523
87年優勝はまず松本が口火切ってなかった?四割くらい打って首位打者独走
そのあと中畑がそんな感じになった記憶 実際すごい球速出てたわけじゃいよな
今で言うと140後半とか150前半で
ホップして当たらないというイメージだな
きれいな球筋と高めで空振りさせる事を得意としてたから
衝突ホームランを喰らう事もあったな
>>524
その年の前半好調だったかは忘れたが
80年代後半はもうすでにレギュラーじゃないし
キャリア末期で守備ですらロートル扱いの
ヤジされてたからなあ
不動のレギュラーは80年代前半だろうね >>441
あなたは勝利打点の記録を勘違いして覚えてる可能性が高いね
勝利打点は例えば10-9で試合に勝った時、一度も同点にされてなければ最初の1点目の打点を上げた野手に着く
102030022 10
000050022 9
このスコアの場合1回の打点を上げた打者に勝利打点が着く
9回の10点目の打点を上げた打者ではない
原が勝利打点のタイトル獲ったのはこのパターンが多かった
けして同点から決勝打、リードされてた所から逆転打を打ったわけじゃない >>528
ONが毎試合毎試合逆転打打ってたわけでもないでしょ 江川はどちらかと言えば悪役で
インタビューは生意気で
投げれば一発病、百球肩とか散々な言われようだった。
>>529
原はこの10点で上げた打点が1回の1点だけ
後の9点は他の打者てパターンが多かったんだよ >>532
流石にその叩きは無理があるな
そもそもそんなに得点とる時なんてほとんどないし
当時の勝利打点記録20という数字を叩き出してるから
まああの時代は他の球団の4番が個性が強くて凄いのが
いたからそれと比較して頼りないのは確かだけど
80年代前半ぐらいまでの批判は不当なものだよ
骨折前ぐらいからあやしくなり骨折後は明らかに
パフォーマンスはおちていたけどね 1登板あたりの平均投球回数(リリーフ含む)
1回未満の端数は近い方に変換
9年で最多完投2回、最多完封4回とけっこうイニング投げてたと思うんだが
先発登板に限定すればさらにもう少し増えると思う
79年 6.0回
80年 7.2回
81年 7.2回
82年 8.1回
83年 6.2回
84年 6.2回
85年 5.2回
86年 7.1回
87年 6.1回
篠塚が2000本打ってなかったのにビックリだわ
余裕で打ってると思ってた
>>526
球のスピードというより、フォームと球速にギャップがあったので
打者はタイミングがとれなかった。
彼の上位互換が上原。 >>492
甲子園で対戦相手のチームの監督に江川の高めは全部ボールだと見ぬかれちゃって、高めは見逃せの指示で江川は自滅してしまったんだよな >>482
河野は70年代後半の選手だよね。
鴻野はそもそも生え抜きじゃないし、そこまで活躍してない。
岡崎もそれほどじゃないけど、巨人の生え抜きショートと言えば、
70年代は河野、80年代は岡崎、90年代は川相だよね。 >>462
本拠地が埼玉でも九州本拠地チームがあるパリーグ行ったら飛行機に乗らざるを得ないからなー
渡米の際にスチュワーデスさんにずっと手を握ってもらっていたほどの飛行機恐怖症の人じゃ活躍出来んわ >>535
当時の試合数130で腰に持病あって
後半は特に休みがちだったからね 江川氏は1979年から87年まで9年間、巨人一筋でプレー。まさに“太く短い”野球人生だった。
2度の最多勝を含め、9年中8年で2桁勝利を挙げ、通算135勝。年平均15勝は驚異的だ。
1年目の79年だけは9勝(10敗)で10勝ラインに届かなかったが、この年は、入団を巡る“空白の1日”騒動の責任を取る形で、
公式戦開幕から約2か月間も出場を自粛したハンデがあった。
右肩の故障を理由に現役引退を表明した87年でさえ、13勝5敗、防御率3.51の好成績を挙げている。
76年から94年まで19年間も巨人でプレーした篠塚氏は、江川氏の現役時代の投球の大部分を、二塁の定位置から見ていた。
特に印象的だったのは、江川氏の極端な“ギアチェンジ”である。
「立ち上がりは様子見というか、守っている側からすると、手を抜いているように見えました。ただ、抑え気味に投げても、
簡単には打たれませんでした」と笑う。そして走者を得点圏に背負うと、ガラリと豹変したという。
「走者なしとか走者一塁の時とは、体の張りが違うと感じました。江川さんはスコアリングポジションに走者が行くと、
背中に張りが出る。守っていて『これは強い球を放りそうだ』と感じましたよ」
絶妙のペース配分、メリハリで“勝てる投手”として君臨した江川氏。
篠塚氏は「当時は、『完投するのがエースの役目』と思われていた時代ですから、打者9人全員に全力でいくわけにはいかない。
時には手を抜き、クリーンアップに対しては全力で、という組み立てだったと思います」と説明する。
だが、そんな江川氏が、序盤だろうと大差がついていようと、全球全力で立ち向かった打者がいた。
「阪神の掛布(雅之)さんですね。確かに掛布さんの時だけは、最初からトップギアに入れている雰囲気を感じました。
1球で、力の入れ方が違うのがわかりました」と篠塚氏も証言。巨人のエースと阪神の4番は1955年生まれの同い年
でもあり、2人のライバル対決はファンを魅了した。
圧倒的な力量を示した江川氏だが、球種はストレートとカーブの2種類しかなかった。
「バッターにとっては読みやすいですよ。江川さんは、相手がストレートにタイミングを合わせて待っているとわかっていても、
“打てるものなら打ってみろ”という感じで真っ直ぐを投げ込むことがありました」と篠塚氏。
それでも江川氏のストレートは、たとえ完全にヤマを張られていたとしても、篠塚氏が前編で語ったように、
「打者からは、まるでホップしているように見える」球質ゆえ、簡単には打たれなかった。
もし、篠塚氏が敵として江川氏と対戦したら、どう攻略したのだろうか。
「そりゃ、真っ直ぐしか狙いません。でも実際のところ、同じチームでよかった、という感じですよ」と脱帽するのだった。
「江川さんが投げる球は、キャッチボールからして違っていました。短い距離から段々伸ばしていって、
いちばん遠くから投げてもまだ回転がいい。遠くから見ても、回転の良さがわかりました。そういう回転があったからこそ、
打者にホップする印象を与えたのだろうと思います」と篠塚氏は振り返る。
“昭和の怪物”は強者ぞろいのプロの世界にあっても突出した、唯一無二の投手だった。
>>535
おれはむしろ覚えてるかな。
ずっと篠塚は好きだったから
「ダメか、、」みたいな余韻で
横浜行った駒田の方が伸ばせたんだから
まぁ、とりあえずお疲れっていうか、、 篠塚が現役の頃は30半ば過ぎて衰えたらさっさと引退してたな
2000本のためにみっともなく現役続行ってのはなかった
ロッテの福浦とかみたいなのはあり得ない
>>491
篠塚の打席では、女ったらしの篠塚と歌われていた >>533
80年代の前半に批判は聞いた事無い
強いて言えば日本シリーズで西武がピンチ絶対絶命、東尾が甘い失投したのに三振で巨人日本一決まりかけの流れを潰した事くらい
3番クロマティとの相性が良くなかったんだよ、5年くらい全く噛み合わなかった >>18
「と」が離れる音だから脊椎分離症になったと占い師かなんかに言われたからだと記憶している。 篠塚、吉村、クロマティ、中畑も下位打線に落ちたけど
彼らが割と勝負所で打つんだよね
原辰徳は打席で自信なさげなんだよな
すぐベンチ見るから舐められてた
なんか西武との日本シリーズ大事な場面で三振したって
書いてる人いるけど、やっぱり若い時から勝負所ってなるとあがっちゃう癖あったんだなあと思うよ
>>528
>原が勝利打点のタイトル獲ったのはこのパターンが多かった
ソースをどうぞ >>551
ソースは無いけど>>528に納得だわ
>>438に書いたように、ナイターのテレビ放送が始まる7時か6時半にすでに点が入ってて、それが原のホームランってのが多かった
下宿の皆でまたかよw原俺達にホームラン見せてみろよとか笑ってた
ただチャンスでもあまりゲッツーは食らわずポップフライでのワンアウトが多かったから、まだ許せた
早くポップフライ打って、次の得点圏打率の高い岡崎に回せよとか皆で言ってた 俺のプロ野球生観戦は江川、西本、定岡が3本柱だった時代のたった2回だけなんだが
江川が投げている姿だけは見られず後悔してる
当日売りのチケットを買うために並んでいて球場入りする選手達を見かけたけど、江川
は実際の身長よりはるかに大きく感じたっけ
横幅のせいもあるだろうが威圧感が半端無かったね
篠塚といえば当時高校野球で金属バット使用が解禁になって間もない時代で、ほとんど
の選手が金属バットを使っていたのに篠塚は木のバットを使ってたんじゃ無かったっけ
それにあこがれて当時中学生で野球やってた俺も、学校で支給されてた金属バット使わ
ず自分の木のバット(それも粋がって硬式用)使ってたな、全然打てないくせに
球がホップするとか伸びが凄いとかというのはあくまで感覚的な表現なのに
youtubeとかの当時の映像のコメント見てると
実際に物理的に加速したり浮いたりすると思っているヤツが居てビビるわ
自分が子供の頃、篠塚の名前知ったのは少年ジャンプの単行本。
巨人の選手が多摩川でノックを受けるシーン。コーチが「こらぁ篠塚、そんなで飛びついてたらレギュラーはないぞ」だかそんなの
あとアマチュア時代の江川と原の名前も出てくるからある意味予言者に近い
原は東海相模の表記だからきっと昭和51年くらいに描いてた話
敵チームの必殺ボールがライズボールなのも当時にしては画期的なアイデアと思う
犬が喋る漫画で御馴染みのジャンプ作家
高校の頃のほうが凄い球を投げてたって聞いたが実際どうなんだ 高校生レベルのバッターがショボいから相対的にそういう印象なのかどうなのか
>>556
感覚的ではない
ホップとか伸びるとか言われる球は
通常の直球やジャイロの放物線よりも曲線が緩やかになる
マグナス効果によるもので揚力が強い しかしお前ら野球くそ詳しいな
江川が凄いのはおれも知ってるが
ガキだった頃大好きだった選手の
当時は知る由もなかった裏話的なネタが読めてこのスレ面白いw
>>548
日本シリーズ成績
長嶋 .343 25本 66打点 68試合265打数91安打27四球
王 .281 29本 63打点 77試合242打数68安打83四球
中畑 .224 3本 9打点 22試合 76打数17安打 7四球
篠塚 .292 3本 11打点 31試合106打数31安打 8四球
原 .232 9本 24打点 36試合138打数32安打11四球
岡崎 .303 3本 11打点 21試合 66打数20安打10四球
松井 .286 4本 14打点 21試合 77打数22安打14四球
高橋 .230 3本 10打点 21試合 74打数17安打 4四球
阿部 .223 4本 14打点 30試合 94打数21安打 9四球
坂本 .236 1本 7打点 30試合102打数22安打12四球
ONと比べると、他の選手は相当見劣りするね。
原も打率が低すぎる。でも本塁打と打点は、いずれも巨人ではON柴田に次ぐ
4位だから、そこは評価したい。
ONと比べて他の選手が見劣りするのは仕方ないにしても、比べなくても
ちょっと物足りない成績かなあ、と思うよ。 >>566
高橋阿部坂本も意外と打率低いな
5試合か6試合程度での打率じゃないからたまたま調子悪かったでもなかろう ラビットボールって結局どういう変化球なの
握り方で2本指をうさぎの耳に見立ててとテレビで言ってた気がする
>>568
ホームランが増える よく飛ぶ
それだけ >>560
高校生の江川がプロの江川より上は絶対あり得ない。 >>570
でも江川本人がうすうす認めてるんでしょ高校時代が速かったって
大っぴらに発言するとプロで対戦した人に申し訳ないから建前上言えない >>566
纏めちゃうとそう見えるんだけど
逆転してからホームランとか
3-8から9点目とかで打つんだよ カーブの曲がりもプロの時より高校時代の方がエグかったと発言してるよね確か
>>534
なんか思ったほどじゃないな
完全分業制になった後も完投しまくってた
最盛期の松坂やダルビッシュや田中将大のほうがイニング投げてそう >>561
と、いう相変わらずの馬鹿丸出し
もしかしてお前いまだに「江川は初速と終速の差が小さい!」とかデタラメ流布したりしてないよな? >>571
どっからそんな誤情報仕入れたのか知らんが
江川本人のコメントは
「よく高校2年の時が1番速かったという言葉を聞きますけど、間違いなくプロ2〜3年目の方が速かったと思いますよ」 高校時代の江川はプロ選手よりレベル上の凄い怪物なもんだから
おかしな事にチームメイトがやる気失くすんだよな、プライドが完全に傷ついて
うろ覚えだけど甲子園なんか出なくていいよわざと負けたがるレギュラー選手がいたみたい
でもそいつが土砂降りの、銚子商との延長戦満塁サヨナラの大ピンチにマウンドに全員集まった時「お前のおかげだ。好きな球投げて終われよ」と発言したんだっけか
ずっとバラバラだったのが最後の瞬間だけ心が一つになった
でも結局その後キャッチャー以外、同窓会も無く誰一人交流しないんだと
>>577
揚力が高ければ速度の低下は早くなるのが物理法則 >>579
補足だけどその足引っ張る奴のせいで(わざとフィルダーチョイスかな)栃木大会で失点してそれさえ無ければ
無失点記録が途絶えなかったらしい >>214
その頃の大学野球部はみんなそんな感じだろ
江川は先輩にコーラ買ってこいって言われて買ってきたら
先輩がコーラをジョッキに入れて一気飲みしてすぐにゲロ履いてジョッキで受けて
それを飲めって言われて嫌ですって言ったら
俺のゲロが飲めねーのかっ!って切れられたとかそんな話 結論としては江川は初速終速差が
大きいということでいいのかな?
なんか昔から江川信者に初速終速差が
ほとんどないから江川の球は伸びて見えるって文言を
何回も聞かされたけど要はデタラメだったと
確か江川よりもずっとポップして見えた全盛期の藤川球児も
初速終速差は棒球と揶揄されてたクルーンよりも大きかったんだよね
>>73
低レベルなタラレバしてるようだが
勝手に大学行ったのは自分じゃねーかw >>61
聞いたことがある。
こういう発言やドラフトの経緯から、計算高くて生意気だと思われて
アンチが多かった。
実際は正直過ぎる性格なのかもしれないが。 江川は巨人以外の野球ファンからはもちろん
野球に興味ない連中からも嫌われてたからなw
>>95
ショートは河野ってイメージなんだが?岡崎や吉村ってもっと後じゃないか?江川と被ってたっけ? >>583
多分それでいいはず
伸びて見えるのは放物線を描いてミットに収まる普通の直球とちがって
強いマグナス効果(揚力)によって直線に近い軌道を描くので
錯覚によって打者からは迫ってくるように見えるだけで
速度変化の大小はあまり関係ない
「ストレートは縦方向の変化球で江川はその変化がトップレベルだった」と考えるべきかも
藤川は速度と変化の両方を持っていたことになるのかな >>583
スピン効いたボール投げた事ある奴なら分かる
クルーンみたいな初速ドカーン系は投げた瞬間ホームベース手前に到達して、そこから止まるように遅いの。でも惰性で実際は速い終速という結果なんでしょ
それに対して伸びる球というのは一旦途中まで遅くなっちゃう
が突然そこから(少なくても見た目では本当に)物理の法則無視したような一気加速するから実質は速くない
こういう感じだから初速と終速の差どうの言ってる奴はボール投げてみてよ
下らない事言ってないで 当時は100球肩とか言われてて全然好きじゃなかったけど、9年で135勝とか今考えたらめちゃめちゃすごいな
>>590
下らないというかそういうことを毎度毎度ほざいてたのは江川オタだぜ?
俺も何度も見たが江川関連のスレが立つたびにそういう「下らない」誤情報垂れ流してミスリードする信者がいるんだわ
こういうスレに出入りしてんだからあんたもそういう無知江川ジジイのレスは絶対見た事あるだろうしその時に正してやりゃいいのによ 金田は180Kやったから
江川のスピードはたいしたことなかったな
サダが年上で先輩だから当然篠塚や原には気さくに「シノ」とか「タツ」とか話しかけるけど
とんねるず木梨は篠塚ファンでそれ見て気に食わないって言ってたなw
>>411
でも江川と同世代の投手で年平均15勝てた投手なんて存在しないんだけどな(´・ω・`) >>576
たしかに
投球回数/登板試合数(リリーフ込み)
松坂 ダル マー
99年 7.1 05年 6.2 07年 6.2
00年 6.1 06年 6.0 08年 7.0
01年 7.1 07年 8.0 09年 7.2
02年 5.1 08年 8.0 10年 7.2
03年 6.2 09年 8.0 11年 8.1
04年 6.1 10年 7.2 12年 8.0
05年 7.2 11年 8.1 13年 7.2
06年 7.1
16年 1.0
18年 5.0
19年 2.2
松坂 12年(実働11年)
最多先発2回、最多完投4回、最多完封4回
最多イニング2回
ダル 7年
最多先発1回、最多完投2回、最多完封4回
マー 7年
最多先発1回、最多完投2回、最多完封1回 顔よし
腕よし
頭よし
の山倉さんが言うんだから間違いない
>>596
ミスリード撒き散らすのは手元でホップするのは遅いんだよなというやつでしょ >>602
「手元でホップするように見える直球の初速終速差は大きい」
と言うならそれは正しい スピードは槇原の方が速かったけど まっすぐで三振取れなかったのも槇原
大谷もそれに近い 江川は速い球投げるフォームじゃないのに速い
そして割と遅いドロップが来る
>>102
比較対象が先輩のON、同時代の掛布、落合、バース、ブーマー、門田だもんw
そんなと比べられて同等扱いされるの松井位だろ(´・ω・`) イチローよりエグい流し打ちをする人、というイメージ
>>603
からくりがあるんだから間違いでしょ
棒球が球速差が少ないのは前半爆発的に貯金が効いてるだけの見せかけの数字
ターボとノンターボ比べる感じでしょ
新事実判明みたいに騙すなよと思う >>607
毎年、無難な成績を残してるだけやんな。怪物ではないな >>610
カラクリなんかないよ
運動心理学と物理法則でほとんど説明できる
日本は長らく野球の科学的解析をやってこなかっただけ
科学ではなく迷信や思い込みをビジネス利用してきた弊害 >>612
そういう科学的解析こそが技術面は素人な勘違い学者がデータを我田引水して妄想を振りかざすんだよ
ジャイロボールとか害悪理論 >>448
ちょっと前にスペリオールで連載されてた、江川と西本、では江川は鼻につくエリートで西本はストイックな苦労人とされてたけど実際の江川はもっと気さくで実際の西本はもっとウザいんだろうな >>610
何言ってんのこいつは?
この期に及んでまーた訳のわからん物言いでゴタ混ぜにしようとしてるのかよ
お前のような奴が一見さんに対して変な提示をするんだよ
"ポップ(てかそもそもポップ自体してないw)する球は遅い"とかこのスレの誰かが一言でも書いてるのか?w >>534
4年目まで明らかに登板過多なんだよな
そりゃ肩も壊す >>600
松坂はめちゃくちゃ完投してて平均投球イニングも多そうな印象だったけど
均してみるとそこまででもないんだな。
松坂はいい時と悪い時の差が激しかったから
打たれて中盤あたりで降板する事も多かったのが原因だろうね。 >>545
加藤秀司って知ってる?
引退して解説者になれる人かコーチ就任が決まってる人
以外は現役にしがみつくわアホか >>615
ピンポン玉野球は浮き上がるでしょ
ソフトボールのライズボールも
キンブレルという投手も昔ホップしたでしょ
物理の法則だと浮かないからって所詮無意味な理屈じゃん >>600
パリーグはピッチャーが打席に立たないから、パリーグのほうが
イニング長くなるのは当然。セリーグは終盤で負けてると代打送られる。
あと江川の時は後ろにいい選手揃ってたのと、王が「石橋采配」だったから
わりとすぐ代えられたのかもな。逆に藤田のほうがピッチャーを長く引っ張った。 >>615
ネットでいろいろ検索してみるといいよ
最も初速終速の差が大きのは初速が速くバックスピン量の多い球だ
ストレート系は総じて差が大きい
逆に初速終速の差が小さいのはカーブ系な
マグナス効果による揚力はバックスピンと速度に比例する
これは公式テニスボールによる実験結果 >>604
槇原のボールは80年代中盤にガン読み150キロ
以上連発してたけど、結構打たれてたんだよな。 >>605
原のライバルって岡田だよな。大学時代、全日本でクリーンナップ打った。
岡田と比べれば、勝ってると思う。通算では掛布にも勝ってるんだね。
原 通算15年 1675安打 382本塁打 1093打点 打率.279
岡田 通算16年 1520安打 247本塁打 836打点 打率.277
掛布 通算15年 1656安打 349本塁打 1019打点 打率.292
やっぱりこの時代の球界の4番は、山本浩二と落合だね。
昔の人は巨人の4番=球界の4番って思ってたから、原を認めなかったんじゃ。 自分は宇都宮出身でアンチ江川ではなく、
今でもヒーローも実家の自室には巨人時代のポスターが
貼ってあるくらい。(40年くらい?)
しかし、やはりプロ入り3年目くらいが最高のピッチングしてたろ。
>>624
どんでんも85年の幻影のせいでおかしくなったんだよなあ
長打を捨てる勇気があったら生涯阪神で1800安打180本塁打
くらいの成績を残しただろう >>622
バックスピンが強くかかると浮く時と伸びる時二種類あるからね
浮き過ぎれば遅くなるのは誰でも分かる
伸びる球は現実にあるのに科学が説明出来ないだけだろ
空気抵抗持ち出す学者は全員デタラメだからな落ちる変化球の原理すら分かってない全員馬鹿 >>627
実際に藤川や上原のストレートは初速終速の差が大きいんだそうだ
彼らの球はホップ?伸びる球? >>611
無難?
・防御率1.29(リーグ平均からの突出値2.53)
・24勝0敗
・低い被安打率
・奪三振率
・1試合平均球速
どれとっても完全に江川より格上だけど?
まぁこういう時のお決まりの口答えは
江川は手を抜いてたから・打たれた球は本気じゃなかったから
なんだよなぁ〜馬鹿馬鹿しいけども >>622
いや、貴方の言ってることには同意してるし
知識として知ってもいるよ。
訳が分からないのはそれを「大好きな江川が貶された」と勘違いして荒唐無稽な噛み付き方してる連中 ■歴代通算WHIPランキング(2000イニング以上)
1位 0.9540 村山実
3位 0.9889 稲尾和久
4位 0.9932 杉浦忠
7位 1.0250 江夏豊
12位 1.0726 金田正一
17位 1.1045 斎藤雅樹 ←90年代以降最高位
25位 1.1206 鈴木啓示
27位 1.1301 山田久志
28位 1.1380 杉内俊哉 ←00年代以降最高位
38位 1.1797 大野豊
46位 1.2113 槙原寛己
50位 1.2220 山本昌
54位 1.2286 桑田真澄
参考
0.98 ダルビッシュ
1.11 田中将大
1.12 江川卓
1.14 松坂大輔
1.15 和田毅
1.20 岩隈久志
1.22 斎藤和巳
1.25 黒田博樹
1.32 野茂英雄
1.32 伊良部秀輝
■通算勝率ランキング(2000イニング以上)
1位 .697 藤本英雄
2位 .668 稲尾和久
3位 .652 斎藤雅樹
4位 .648 杉内俊哉
5位 .638 杉浦忠
6位 .636 杉下茂
9位 .631 山田久志
15位 .612 工藤公康
16位 .607 西口文也
17位 .602 北別府学
18位 .602 村山実
21位 .594 堀内恒夫
28位 .573 金田正一
29位 .571 鈴木啓示
30位 .570 山本昌
31位 .566 江夏豊
38位 .554 槙原寛己
40位 .551 桑田真澄
参考
.739 田中将大
.710 ダルビッシュ
.652 江川卓
.642 松坂大輔
.629 野茂英雄
■歴代通算完封ランキング
1位 83回 スタルヒン
2位 82回 金田正一
3位 74回 小山正明
4位 72回 別所毅彦
5位 71回 鈴木啓示
10位 55回 村山実
12位 45回 江夏豊
14位 43回 稲尾和久
16位 40回 斎藤雅樹 ←90年代以降最高
19位 37回 堀内恒夫
24位 35回 槙原寛己
25位 34回 東尾修
27位 31回 杉下茂
27位 31回 山田久志
29位 30回 山本昌
31位 29回 星野伸之
34位 28回 北別府学
39位 27回 江川卓
50位 24回 工藤公康
66位 21回 桑田真澄
66位 21回 杉内俊哉 ←00年代以降最高
81位 18回 松坂大輔
81位 18回 ダルビッシュ
81位 18回 田中将大
ダル&マーはイニング数が少ないけど、この二人は抜けてるね。
ノムさんが、平成最高のピッチャーにダルを挙げてたけど、間違いない。
>>566
こうして数字で見ると長嶋が異次元過ぎて笑うわ、そりゃ人気出るわな >>631
補足
WHIP
1.00 素晴らしい
1.10 非常に良い
1.25 平均以上
1.32 平均
1.40 平均以下
1.50 悪い
1.60 非常に悪い
通算で1を切るとか、異常だよな。
まあダルはイニング数少ないにせよ。
逆に、野茂、伊良部は球は凄いけど…っていう。 江川は伝説上のピッチャー。
引退してから月日が流れても、いまだに高校二年生の秋がいちばん速かった?で世代間ギャップで侃々諤々。
でも、本当に二年生秋から選抜迄が巨人軍のエース江川より速かったんだよ。
ヒールアップして、フォームもダイナミックで胸の張りも凄かったのは作新江川。
>>288
テレ東でダンカンもやってたスポーツ番組好きだったわ。ちょうど広島の若手国産打線が凄い時期で、なんで巨人はこれを作れないんだ、川上さんから熊本工業にパイプあるのに前田智徳を見逃してなんで井上なんだ!と怒ってたかわいいお爺さんとい打とうと印象 甲子園大会の中止で江川の出身校の作新学院の栃木大会10連覇は途絶えてしまった
>>621
例えば2019年の成績だと規定投球回達成者は
セ9人(計1493.1回)
パ6人(計 944.1回)
投球回数上位10人を合計しても
セ 計1633.0回
パ 計1458.0回
とセの方が投球回数多い
逆にパは引き伸ばさずすぐに交代させられたり、DHのせいで失点や球数増えるからなんとも言えない
江川と松坂の時代をちゃんと調べないとパの方がイニング多くなるって結論は出せない >>617
松坂は打高のシーズン経験が長いから
投高のシーズンが多いダルマーと平均イニングで比較するのは不利だね
>>639
野茂は四球多いからな
あと、本拠地が狭い藤井寺&日生の上に
NPB時代が打高よりのシーズンばかりだからその分悪く出てる
伊良部は投手有利の千葉マリン本拠で結構投げてる割に野茂と同じなのは微妙だな >>642
青田昇はコーチとして阪神のユニフォームを着てた
からね
だから飯塚実は「身内意識」を(勝手に)持ってた >>644
ああそうか。セリーグだと打席回ってくるまで投げさせたりするもんな。
まあ王監督の時は、後ろに角、鹿取、サンチェっていたのもあったし、
王監督自体、投手交代が早かったからな。
江川本人はいつも9回まで投げるつもりでいたと思うよ。
だから序盤とか137キロとかだっただろ。で、ランナーが得点圏に出ると
145キロくらいになる。 原さんは1、2打席でホームランが出て大差で勝ってる試合だともう打たなくてもいいやと思ってしまうと言ってたな
この人性格が良すぎるから敗戦処理投手からはわざと打たなかったとかあるかもね
ワンサイドゲームで敗戦処理投手から鬼のように打ちまくってた落合とは考え方が180度違うんだよな
ソーサが3本ホームラン打ってまだ打席が回ってくるのに引っ込んだときがあったけど
理由が今日は3本も打ったしこれ以上打ったら相手に失礼だったな
実力的には原さん>落合なんだけど数字は落合のほうが良いということなんだろうね
>>650
落合は仕事と割り切ってたからな
成績の数字上げた分年俸も上がるとなれば状況関係なく貪欲にいく >>649
そしてプロの世界に晒されて立派な被本塁打王になりました。 >>528
そうそう。
原は先制打が多くて、それを守り切って勝つパターンが多かったね。
勝利打点王も二回か三回取ってるよね。 斎藤って凄かったよなー
なんかスターになれんかったが
つーか実力的に原>落合とか本気で言ってるなら
もう馬鹿の鑑通り越して狂人としか思えん
>>649
二軍の初登板で落合にホームラン打たれ
一軍の初登板で阪神にボコボコにされた投手の言うセリフかね。 >>658
浪人中しっかり練習してた菅野と違って、江川は一年丸々遊んでたからな。
有名な地獄の伊東キャンプも、江川の錆を取るというのが主たる目的だったというし。 >>614
巨人時代は麻雀の誘いすら無かったぐらいだからな
中日に入団して初めて宇野から麻雀に誘われて喜んでカモられてたらしいね >>64
作新の「投手陣がみんなア行のとき上位進出」の伝統の起点だからな
1973年春4強 江川、大橋
2011年夏4強 大谷、飯野、大垣、大林
2016年夏優勝 今井、入江、宇賀神
11年夏の作新学院ー智弁学園戦は
大会史上初のア行4人によるリレー
相手も小野ー青山で
両校のマウンドに立った6人全員がア行と言うのも101回の歴史で史上唯一 >>252
各校偏差値を上げることに必死なんだよ。
野球に力入れてるのはカッペ校だけ。
今時甲子園優勝校って言ったって人が集まらないんだよ
オッさんw 江川の記録と言えば
大学不合格でニュース速報が流れた w
ドラフト一位三回
の二つだろ www
これは未だに破られてない www
信者による荒唐無稽なたらればと妄想と言い訳で形成されている男
江川卓
高校時代の江川と全盛期の江夏と
成績だけ見れば大したことないのに
あのノムサンまでが「一番速かった。とにかく速かった」と言う山口高志は
見てみたかった
>>669
日本シリーズで山本浩二が、ボールの30センチくらい下を
振っていた・・・・(^^; >>645
あと松坂のときって打線にアダ名つけられるぐらい打撃力強かった
ビッグバン、いてまえ、ダイハード
松中、小久保、井口、城島、中村紀、ローズ、小笠原、谷らの全盛期と被っとる
それが2006年頃には彼らがメジャー挑戦とかセリーグ移籍とかしてほとんど誰もおらんようなるっていう >>673
ミレニアム、史上最強、マリンガンとかもあったね
たしかにいつからかそういう呼称あんま聞かないなあ
自分がそんな見なくなったから聞かないだけなのかな >>650
そういうどうでもいい打席でしか打たなかったのが原だろ >>650
当時の巨人ファンなら原と中畑のチャンスでの弱さを知っているはず
期待できたのはクロマティ、吉村と満塁男の駒田だな >>675
そうだったわ
山賊打線とも言われてるよね
確かに最近の西武は凄いわ >>542
江川からヒットを打った阪神の若手が
「掛布さん、江川って大したことないですね」
掛布「バーカ、お前には本気で投げていないんだよ」 >>638
長嶋は日本シリーズで4回MVP獲ってるからなw
意外にも王は一度も日本シリーズではMVPがない。 VS掛布の時は初球ストライクを掛布があえて見逃し勝負は二球目からという様式美があったようなぼんやりとした記憶がある
>>396
なんか、ジャニーズのドラマに出てたような記憶がある