1950年、プロ野球が2リーグに分裂してから今年で70周年を迎える。数え切れないほどのドラマが生まれてきた中でも、1985年の阪神タイガースの日本一は未だに語り継がれ、その後の低迷期も含め、多くのファンの記憶に残っている。阪神はなぜ、栄光の日本一から一気に転落していったのか。ベテラン野球担当記者がトレードやFA補強に注目して分析する。(文中敬称略。年齢はその年の満年齢。名前は当時)
「1985年の優勝は先頭打者の真弓明信、クリーンアップのランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布の破壊力が群を抜いていた。これは衆目の一致するところでしょう。それに加え、ベテランの移籍組も要所で活躍していた。
36歳の弘田澄男は前半戦、2番・センターで主軸につなぐ役割を果たし、日本シリーズでも全戦先発出場した。35歳の長崎啓二は右投手の時のスタメンや代打の切り札で欠かせない存在で、西武との日本シリーズでは第6戦で先制の満塁ホームランを放ち、日本一に貢献しました。同じく35歳の永尾泰憲は左の代打としてシーズン打率3割を超えました」(以下同)
弘田は1984年にロッテから藤倉一雅、長崎は1985年に池内豊との交換トレードで、永尾は1982年に近鉄から金銭トレードで阪神に。30代半ばのベテランが最後の一花を咲かせていた。
「1980年代に入ってから、阪神は実績のある選手をトレードで獲得していました。1983年に横浜大洋から野村収が加藤博一との交換で、1984年に南海から山内新一が無償で入団した。2人とも通算100勝以上の投手でしたが、1985年は野村が39歳、山内が38歳と全盛期を過ぎており、1勝ずつに終わりました。ただ、移籍1年目は野村が12勝、山内が7勝と復活しました」
ベテランの獲得は即効性があり、短期間で見れば効果はあった。1985年の日本一で味をしめたのか、阪神は翌年以降も30代の選手をトレードで獲得していく。
1986年、34歳の柏原純一は日本ハムから金銭トレードで移籍し、規定打席未満ながら打率3割1分3厘、17本塁打と相次ぐ故障に泣いた掛布の穴を埋めた。しかし、翌年からは低迷し、在籍3年で現役引退した。そして1987年には、優勝メンバーで26歳と脂の乗った吉竹春樹、23歳の左投手である前田耕司を西武に放出し、33歳の田尾安志を獲った。
「1981年から4年連続3割を打っていた田尾は1985年、中日から西武に移籍。パ・リーグの水に合わなかったのか、2年間不振を極めた。それでも、阪神のフロントはセ・リーグに戻れば変わると見込んだのでしょう。しかし、1年目の成績は打率2割2分1厘とさらに落ち込みました。田尾は翌年、3本のサヨナラ本塁打を放ち、規定打席不足ながら3割を打って復活しますが、37歳の1991年限りで引退。吉竹は堅実な守備を売りに黄金期の西武で準レギュラーとして1995年までプレーしました」
◆トレードで放出した野田はオリックスで最多勝
1987年は田尾だけでなく、打者も投手も全く調子が上がらず、勝率3割3分1厘で最下位に沈んだ。球団史上初の2年連続最下位に終わった1988年には31歳の金森永時が西武から、30歳の久保康生が近鉄から、1989年には31歳の住友一哉が近鉄から交換トレードで移籍。低迷にあえぐチームの中でそれなりの働きをしたように、この頃のトレード全てが失敗に終わったわけではない。しかし、1990年代に入ると補強の失敗がさらに目立ってくる。
「阪神は1989年5位、1990年6位と下位に定着してしまいます。打開策として1991年にダイエーと4対5のトレードをしたが、結果的に大損した。ダイエーに行った池田親興は抑えとして復活を果たし、大野久は盗塁王を獲得した。南海時代2ケタ勝利を挙げていた藤本修二や西川佳明は1勝も挙げず、わずか2年で阪神を去りました。池田は1985年の優勝以降、伸び悩んでいましたが、大野久は村山実監督が和田豊、中野佐資とともに“少年隊”と名付け、1989年には3割を打っていた。我慢して育てた選手を放出したように、球団に一貫性がなかった」
同じ1991年には、23歳の遠山昭治を出して、ロッテから33歳の高橋慶彦を獲得。しかし、高橋慶彦はオープン戦の始球式でタレントの山田雅人からデッドボールを食らったことが話題になったくらいで、打棒は影を潜めた。
5/12(火) 16:05 Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200512-00000014-pseven-spo 「広島の黄金時代を築いた慶彦は田尾と似たようなケースで、たった1年でパからセに戻ってきた。中村勝広監督は慶彦の良い時のイメージを忘れられず、開幕から1番で使ったが、打てなかった。この頃は知名度の高い選手に飛びつく傾向がありました」
補強の失敗を重ねた1991年は2年連続の最下位に終わった。交換トレードのなかった1992年、亀山努、新庄剛志の“亀新フィーバー”、仲田幸司など投手陣の急成長によって2位に躍進する。中村監督は、あと1歩で優勝を逃した原因は打線にあると考え、オリックスから32歳の松永浩美に触手を伸ばし、3年連続8勝以上を挙げていた24歳の野田浩司とのトレードに踏み切った。しかし、野田は移籍1年目の1993年に17勝で最多勝に輝き、1995年からの連覇にも先発の柱として貢献。松永は度重なるケガで80試合出場に留まり、オフにFAを行使してダイエーに移籍してしまった。
「若手を出してベテランを獲るというトレードは博打に近い。仮に1年働いても、長い目でみれば損をする。それなのに、何度も繰り返すのは、移籍組のベテランの活躍もあって日本一になった1985年が脳裏に焼き付いていたのかもしれません。ただ、その年の1番・真弓は1979年に田淵幸一を放出した時のトレード相手で、阪神1年目は26歳だった。ミスター・タイガースを出す代わりに、伸び盛りの若手を獲ったことが1985年に生きたことを覚えておくべきだった」
◆星野監督の補強はそれまでと何が違ったのか
1993年、阪神は4位とBクラスに逆戻り。オリックスから1994年に石嶺和彦を、1995年に山沖之彦をFAで獲得したが、往年のような働きはできなかった。特に山沖は故障のため1試合も登板せず、自由契約となった。
「1994年、渡辺伸彦との交換トレードでオリックスから移籍した古溝克之が抑えのエースとして復活したように数は少ないが、成功例もある。しかし、球団に首尾一貫したポリシーがあるわけではなく、山沖のように手を挙げたから取りに行くというような場当たり的な補強が目立ちました」
1994年は4位だったが、1995年から2年連続最下位に沈む。すると、1985年の日本一監督である吉田義男氏が再登板。1998年、関川浩一、久慈照嘉という29歳の2人を放出し、中日から35歳の大豊泰昭、30歳の矢野輝弘を獲得した。
「前年、本拠地が狭いナゴヤ球場から広いナゴヤドームに変わり、大豊の成績は急落した。それなのに、同じように広い甲子園での活躍を望むのは酷でした。矢野はレギュラー捕手に定着しますが、1999年に関川と久慈が中日の優勝に貢献したことで、当時は阪神のトレード下手がクローズアップされました」
野村克也監督が1999年に就任。前年に阪神に戻っていた遠山、2001年に入団した成本年秀という他球団の自由契約選手の再生には成功しているが、トレードやFA補強が上手くいったとは言い難かった。これを変えたのが、2002年から監督を務めた星野仙一氏だった。2003年にはFAで広島から金本知憲を獲得。日本ハムと3対3の大型トレードも敢行し、坪井智哉、山田勝彦、伊達昌司を出して、下柳剛、野口寿浩、中村豊を手に入れた。大量の選手入れ替えを行ない、チームに喝を入れた星野は18年ぶりの優勝に導いた。
「金本も下柳も35歳で阪神に入団。生え抜きスターの坪井智哉は29歳と脂の乗ってくる時期でしたし、伊達昌司も27歳だった。年齢だけ見れば、それまでのベテラン補強と同じでしたが、星野監督は過去の実績だけではなく、将来を見越す眼力があった」
金本は在籍9年間で4度の3割、1度の打点王、下柳は在籍8年で5度の2ケタ勝利、1度の最多勝に輝き、2003年と2005年と2度の優勝に主力としてチームを引っ張った。
「下柳はトレード相手の3人よりもNPBで現役を長く続けた。1980年代や1990年代、阪神に移籍してきたベテランは活躍しても1年程度で、3年程度で引退や自由契約になる選手がほとんどでした。単に年齢だけでなく、本当に数年働けるかを見極める力、情報収集力が暗黒時代の現場、フロントにはなかった」
これ以降、阪神は若手を出してベテランを獲るという場当たり的な交換トレードはしなくなった。目先の勝利を求めるだけの補強戦略にピリオドを打った星野監督は、文字通り阪神を変えていた。
マジレスすると吉田監督じゃなかったらもっと勝ってた
誰がやっても優勝できる85年に勝っただけ
仲田、猪俣、中込の豪華先発陣を思い出すな
140km代の球を投げれる投手がいなかった;
>年齢だけ見れば、それまでのベテラン補強と同じでしたが、星野監督は過去の実績だけではなく、将来を見越す眼力があった
結果論じゃねーかwwwwww
>>7
吉田じゃなきゃバースが残留してなかったから優勝出来たかどうかも怪しいけどな バース
フィルダー
野田
松永
オマリー
ここら辺を簡単に切れるってのが異常なんだよな
代わりに来るのはポンコツばかりだし
人類が中国コロナと共存しないといけないとなったら、
観客席を埋めるのも難しいのでは・・
もはやプロ野球も過去の話、となりかねない。
いや、終わりにするいい機会なのか?
ビジネスとして成り立ってないんでしょ。
>>12
船木という唯一の光
福原までは遠かった・・・ >>12
ミスターBと言われていたのは誰でしたっけ?
Bは四球 矢野大豊は中日とウィンウィンだっただろうが
特に矢野は正捕手不在だった阪神にその後でかかったぞ
大学生の内野手(二塁か遊撃)社会人の投手
ドラフトで競合を避けてこんなんばっかり集めてた
>>20
石嶺は単なる箱庭ヒッターだったから神戸時代から成績は下降気味だった >>20
オリックスでの定位置はDHがメインだったのを無理して外野のレギュラーに置いたこと。
石嶺は若い頃から膝が悪かったのに加えて(元々は捕手だったがこのため外野へコンバート)、
肝炎も患いDH専任に。門田が加入した時にけっこうレフトの守備には就いたけれど、守備はお察し >>12
150kmオーバーの豪速球投手3枚か。
当時としては凄いな。 ガタ来てるベテラン取るのもいいけど、複数年契約はやめてほしい
ガタ来てるほうは手抜きしたいから複数年で契約したいんだよな
当時のパ・リーグは社会人よりレベルが低かったからな
86年に51本打ってた落合でも中日では28本で原以下だったからな
松永ってFAじゃなかったんだ
ま、結果論だけどえらい損したトレードだったんだな
意外にも星野伸之は星野監督の構想内だったんだよな
頻脈さえなければ、あと数年いけてたかもしれん
>>38
松井秀喜一人でなんとかなるようなチームでも無かった気が @球団というか電鉄本社が強くする気ないから
A優勝しなくても監督かえたら2年は観客動員数上向くか維持できるから
B電鉄本社が順位より観客動員数と電車利用者数を気にしてるから
C弱くても関西メディアが持ち上げるから
D電鉄本社が高卒選手は礼儀やマナーが悪いって偏見を持ってて最後は排斥するから
伊藤敦規は良かったな、トレードじゃなくテスト生入団だが
滑稽だったのは巨人批判する阪神ファンが巨人の真似する阪神に夢中になる事
2010年阪神打線とかヤバイわ
>>21
コロナでサッカーで国が〜、地元が〜のお経が効かなくなった、サッカー日本代表教や税リーグの心配でもしてろや
慶彦もだけど佐々木誠も阪神じゃ全然だめだったな >>43
ノムさんが補強の必要性を訴えた時、当時のオーナーが「巨人みたいなマネすんのか?」って拒否ったんだっけ >>39
ホークスでは活躍してただろ
日米野球をやるとメジャーで活躍出来る選手は?というインタビューによく名前を挙げられてた >>31
福原がルーキーイヤーで155投げた時は涙が出てきた 確執でもない限りいい選手は獲れない
要はてめえで育てろって事
>>13
金本は大金、下柳は他にローテpがいなかったっても大きい 久慈も関川も中日でブレイクするんだよな。特に関川なんて「こんな覇気のある選手だったか?」ってくらい活き活きしてた。
ライオンズに行った平尾もそう。阪神は何か選手の性格を、大人しく、暗くさせるものがあるんじゃないか?
>>40
でも松井のいない巨人と、松井のいる阪神だったらそんなに差は無かったのでは?
暗黒時代はヤクルトが強かったせいで起きたと思う。
ヤクルトに常にボッコボコにされたからね >>53
中日は中村武志の予定だけど、阪神が矢野で譲らなかったんだよな むしろ阪神に行ってキャリアハイの成績の残した金本は以外だったな。
2003年の優勝した年の成績は数字だけ見ればもの足りないし。
あの成績でどんでんが4番に据えたのは?だったし。
>>52
井川、藪、ムーア、伊良部と充実していたけどな >>53
鳥谷もそうだな
調子乗ってると松永みたいになる 清原は阪神に行くべきだったな
もう少しは活躍しただろうに
人生まで転がり落ちて行ったからな
>>62
本人はヨコジマ発言で大分阪神に傾いたのに、母親が巨人にしろっていったんだよ
ホント大きく狂わせたよな、すべてを >>62
阪神になんか行ったらタニマチとの付き合いで精一杯になるから史実未満の成績で終わるのがオチ >>25
矢野はでかかったな
NPB通算打率ランキングにおいて通算打率.250以上の捕手は
矢野含めても10人といないはず >>56
吉田監督が中村を欲しがって桧山放出ありのトレードも
味方の阪神球団が「桧山は絶対ださない」とストップをかけて
渋々、関川に変更 同時に中村は無理となって矢野でもいいと妥協した 要点を整理すると、阪神の暗黒時代はアベの悪政が原因!
暗黒時代の阪神ファンって3割に乗るかどうかの和田の打率を新聞で毎日チェックするのだけが楽しみだったってマジ?
大野はダイエーでタイトル取った時、週刊ベースボールで「阪神は本当クソでした」とか言ってて笑った
>>71
坪井の打率も楽しみにしてた時期がありました >>1
この記事の通りだね
80年代前半は阪神に移籍して再生するベテランが
多かった
北村照文と吉竹春樹が居るのにベテランを補強する
のもどうかとは思うが
しかし吉竹は86年に北村は88年に共に西武に放出
同じ外野手の田尾安志と金森栄治がトレード相手で
何か泥縄だなあ・・・としか >>7
1985年は投手陣が壊滅状態で「禁止球」で無理やり
攻撃力を上げて勝ったようなもんだからね
掛布雅之がぶっ壊れた翌年以降急激に弱体化したのも
当然の流れだった >>4
4番平塚っていつもネタにされるけど
そこまで悪くはなかったんだぞ
4番大山より100倍マシ >>35
松永はFAでも在籍1年でFAで出て行かれちゃった方だからねえ
あのトレードも本当はオリックスはその年に12勝ちしていた仲田を希望していたけど
さすがにそれは無理ってことで野田になった
当時、巨人は槇原を準備とか報道されてたので焦りもあったと思う
超結果論だけど、仲田のままで合意してたらそこまで痛手ではなかったかも >>25
中日で外野要員だったからな
関川・久慈相手でもお釣り(大豊)でトントンやなw 星野さんがフロントに優勝したら
今よりもっと儲かるって言って補強した
2003年は中村ノリまで補強しようとしていたからな
>>14
フロントはファースト掛布サード岡田にするために
バースを解雇しようとしてたからね
1984年のバース 打率.326 本塁打27本 73打点
結局岡田をセカンドに戻す代わりにセカンドに転向
してた真弓明信を外野にコンバートすることに >>37
引退した年は好投するも勝ちに恵まれなかったな
特に中日戦に強かった >>20
元々DH専の打者
セ・リーグに来たら駄目になるのは目に見えてた >>38
新庄・萩原・松井
この3人で強力クリーンナップ結成!
と夢見た92年秋 >>25
あれぐらい両者得したトレード知らんくらいやな >>71
20試合連続ヒットだか何かで大騒ぎしてたのは覚えてる >>75
85年は投手崩壊ってほどでもない
大洋やヤクルトのほうが断然投手成績は悪いし
他の4チームの投手成績はどっこいどっこい
強いて言うなら全チームが投壊か >>7
安藤さんがあそこまで育てたんだよなぁ
工藤伊藤しか居ない投手陣が若干弱くて夏を超えられなかったけど
巨人と中日にまともに通用するチームをコツコツと作ってて、いやらしくも勢いのある様は怖かった >>57
2003年は赤星憲広の盗塁のアシストに徹したから
そのくらい盗塁アシストってきっついんだよ
バカ畑清はそれが理解出来なくて中村紀洋にパワハラ
したけど >>1
阪神は今も暗黒時代やんwww
練習より合コンが大事で、球界中にコロナを流行らせようとしたバカたちとか
コイツラの暴挙のために今も開催できないやん
阪神は責任とって費用負担せぇよ、そしてコロナ終息まで対外試合禁止な
どうせ練習キライな選手ばかりだから問題ない、一生合コンでもしてろ 90年代の阪神て補強というより生え抜きにこだわりすぎて失敗したイメージなんだけど
和田・関川・石嶺・桧山・新庄・久慈・藪・川尻・湯舟・山崎・亀山・八木・・・
みんな生え抜きじゃん
むしろクールボーとかグレンとか打率低い外国人のせいでは
弘田、長崎、永尾の活躍なしには85年は語れないしな
今は03年の金本に気を良くしてFA獲りまくりなんだよな。大半は相手にされない怒りの撤退だけど
フロントが目先のことしか考えてないド素人ばっかなんだろう
ダイエーからトレードされてきた人はこのように虫を食った状態だったんだな…
>>57
2003年は2番赤星を生かす為の役割に徹してたからな
自身の盗塁も多かった
しかしまさか2005年に40本打つとは思わなかった >>93
暗黒時代にその生え抜きが打率低い外国人よりも成績悪かったからね
あとクールボーは打率低くなかったし石嶺は生え抜きじゃない >>94
玄人はどう球団運営するの?
FA取れるんなら取った方がいいに決まってるでしょ おれ西武ファンだから普段はセリーグとかどうでもよかったけど、
90年代の阪神の負けっぷりは気持ちよかったから阪神戦はよくみてたな。
巨人ー阪神で斎藤が投げる試合とか本当にみてて気持ちよかった。
でも巨人も好きではない。
>>2
「松永浩美に触手を伸ばし」
おいおい、この記事を書いたのは素人かよ 石嶺は肝炎で守備の負担がないパ・リーグからセ・リーグにきて
レフトでレギュラーだったけど負担で成績を落としたな
>>89
阪神に至っては去年より良くなってるレベルなんだなw
なお阪神以外の球団が「禁止球」を辞めた影響か翌年は
カープの防御率が2点台になるなど大幅に改善
本塁打数も緩やかに減少が始まった 阪神はトレードヘタだもんなぁ…
助っ人選びはもっとヘタ
パ・リーグからきて活躍した印象は
住友 伊藤敦規 古溝 久保
野手はほとんど活躍した記憶にない
吉竹 柏原くらいか
>>93
唯一そつなくこなせてたのは和田ぐらいか
関川もなぁ・・・伊東古田みたいな野村ばりのインテリキャッチャー全盛時代に
『走れるキャッチャー!』とか色々ズレ過ぎでもはや笑うしか無かった
新庄は守備だけで打撃は壊滅的だったし、とにかく点取れなかったね
本塁打数はいつもリーグ最下位
先発陣はそこそこ踏ん張ってたけど、中継ぎ押さえが壊滅
まぁそれがあったからこその野村星野時代の中継ぎ押さえ強化したJFKがあったのだが >>108
でも移籍即クリーンアップで、根本的に弱いと頭抱えたわ >>106
頭の良さと足の速さは関係ないでしょ
伊東勤も走れる選手だったし >>106
結局キャッチャーはリード出来ないとダメなんだよね
元ロッテの里崎がいい例、ダイエーの吉永とか打撃だけみたいのは失敗する
まぁ打撃が全くダメなのもそれはそれで問題だが 高井の怪我は相当酷かったの?
暗黒時代の数少ない希望だったのに
>>113
里崎は逸らさないしな
梅野もそれに近いけど >>109
それだけ当時の選手が・・・
のちに八木や桧山が代打の神様とか言われるとは思ったてもみなかったなw 暗黒のエースの座だけは、
マイク→藪の生え抜きリレーで死守したな
>>116
それだけ打撃がしょぼすぎたんだろなあ
暗黒時代最大の問題は打の貧弱さだったと思う
横浜のマシンガン打線は本塁打少なくてもヒットで連打して繋いでいく
という手法で成功したけど、阪神の場合は打率も低い本塁打も低いだもの
そら勝てんわ 俺はまだ期待してるぞ
源五郎丸投手の豪速球を
今年あたり出てくると思う
>>119
マシンガン打線はホームラン少なくないよ 1995年(130試合制) 藪
27登板(27先発) 7完投 2完封 196.0投球回 防御率2.98(16人中6位) 7勝13敗 勝率.350 118奪三振
・27先発はリーグ最多タイ
・196.0投球回は斎藤雅に次ぐリーグ2位
・13敗はリーグワースト
・阪神で規定投球回に到達した投手は4人いて藪はその中では防御率・投球回トップ
・阪神はペナントレース最下位でその勝率はこのシーズンのセの首位打者の打率より低かった
FAで四番集めてチーム作っても 強い弱い以前に 愛着わかないんだよね
成績下降のベテラン再生!は応援したくなるけどね
G・T・Hはファンの絶対数多いから 勝ちゃいい!って人もいるから
そうでもないけど 引き抜かれてばっかりの西武や広島が常勝チーム!
ってのはファンじゃないけど 痛快!つてところあるよな
いろいろなチームがあってこそ楽しいのに 自分で自分の首絞めてるね
>>4
ミス
1997年だけなら 484打数 142安打 17本塁打 68打点 打率.293
急場凌ぎの4番ならまずまず。
この年グリーンウェルとコールズでやらかして、新庄と桧山は三振の山。 ダイエーでビールをしこたま買って16時入場 18時の試合開始の時はベロベロ
レフトスタンドからヤクルトの城をからかうヤジで目を覚ます そんな時代やったけ?
>>128
正直コールズには期待してましたw
なんで中日首になったんだろか? 暗黒時代はラッキーゾーンを無くしたからじゃないかな?
>>125
2003年の打線のつながりの良さは神懸かってたな。
ムーアが先発の時はどっからもつながる(w >>107
阪神来てキャリアハイのアニキと、阪神来て一流になった矢野燿大と同じで
名誉生え抜きや。 >>119
暗黒時代の投手陣は本当にかわいそうだった
野田薮湯舟川尻中込とか防御率そんなに悪くないのに8勝12敗とか負け越してたもんな
打撃陣が普通のチームなら普通に勝ち負け逆になってたし実際野田はそうなったしな 何気に中古外人好きだよな
パリッシュ、パチョレック、コールズ、パウエル、フランクリン、アリアス、シーツ、ブラゼル
星野伸之の獲得はもう2000年だったか
末期でも90年代に獲得していればそれなりにやってくれたかな
>>20
なぜかセ・リーグではダメだった打者
加藤英司と同じ 暗黒時代の外人といえばオマリーだな
切ったら翌年ヤクルトでMVP(ヤクルトが優勝)
久慈がずっとスタメンだったし弱かったよな
亀山って今なにしてんの?
>>137
パッキーは良かったな
アリアス・シーツブラゼルも
中古のが安心して見てられるのよなw 池田親興なんか完全に「ホークスOBです!」って顔してるもんな
若手育成に積極的だったヤニキが阪神ファンから叩かれまくったの見て、生え抜きが育たない理由を察したわ
>>132
暗黒時代は単打→ゲッツー→三振のパターンなので打撃に関してはラッキーゾーン云々は関係ない
投手に関しては被本塁打数がえらいことになる 古屋や石嶺はともかく田尾や高橋慶彦の劣化は悲しかった
松永は目付きおかしかったからな。あんなのよく獲得したわ。
>>145
それなりに人気も実力もあったのに「元阪神」を利用しないのは珍しい。
晩年に腰掛けただけの田尾や広沢なんか、阪神OB面して大阪でがっつり仕事。 >>138
頻脈の症状が出たのは阪神移籍してからだっけか
オリックス時代に症状が出てたなら獲りにはいかなかったろうにな
当時の阪神は何やっても裏目に出てた印象がある >>119
あのマシンガンは2アウトからしつけぇんだよなぁ…w
あと一人からズルズルつなげられダメージが倍に感じた
1発無くてもああいう嫌な野球せぇや 負広のオマリーへの過小評価は酷かった。
オマリーは1993年なんて首位打者なのに、負広はホームランが少ないと不満爆発。
>>148
でも、今でもホームランが出なくなると勝てなくなるから、ラッキーゾーンは関係あると思うけどな >>151
最後に所属したチームにはやっぱり「拾ってくれた」恩義を感じるからなのかな 楽しみにしていた開幕戦で
星野が巨人にボコられたけど
敗戦処理で出てきた井川に
一筋の光が
負けヒロのベテラン好きが暗黒を長引かせた
石嶺、南牟礼、長嶋などなど
>>151
いた事すらない金村なんて
おもくそぶら下がってる 高橋慶彦は2000本安打行くとおもったけどなー。なんでアカンかったん?(´・ω・`)
>>164
金村はなんで阪急行かなかったのかね
ドラフト前はかなりの球団から声掛かってたのに阪急行くつもりで結局近鉄という
阪神からも声掛かってたのかな >>165
夜遊びの後で素振りとか頭のおかしいことしてたから
寝ないと体は急激に衰えます >>145
そりゃあ阪神OBとして仕事さがすよりチャンスあったからでしょ というか勝つ気があまりなかったろ90年代中盤〜後半
>>76
8年目でやっと開眼して17本塁打打った平塚と、まだ3年目で14本塁打の大山を比べるか?しかし
打点だって現段階でも大山の方が多いし、何が100倍マシだよアホが >>129
槙原が阪神ファンは西本聖の奥さんが大火傷負ったことまでヤジのネタにしてたて言ってて引いた
そんな環境でプレーしてたらメンタル病んで若い選手が悉く伸び悩むのも当然だと思ったわ >>169
生え抜きで優勝したいとかいう幻想に取り憑かれてたからだな
今もだけど
まともに選手育成もできねんだからもう諦めろよ 平塚はフォーク打つのがうまかったな
大魔神佐々木がびびって汗だくになってた
>>88
違う。開幕戦から24試合連続ヒット。
これは今でも破られていない。 >>172
ろくに阪神知らん糞アンチは阪神語るなよ屑が >>171
野村をビール瓶持ってバックヤードで襲うような民度だし仕方ない
チーム愛が高じ過ぎてヤンデレ化してるからな関西の野球ヲタは
選手のプライベート嗅ぎ回って家電をローンで買ったとかバラしたり
ストーカーしてレディースマンションに入っていっただろとか野次ったり
もはや犯罪者と変わらん >>16
松永とか本人が阪神に残る気ないと早々に言ってて、当時チンカスが文句言ってたじゃねーかwww 片岡のYou Tubeで下柳が「俺が最後まで練習して若手はとっとと帰る」とか言ってなかったか?そんなん勝てるかよ…
>>71
チームの勝率が、セ・リーグ打撃10傑に入るかが最大の関心事 >>42
伊藤敦規の安心感は良かったな
野村さんは伊藤だしとけば大丈夫だろって感じで毎日のように投げてたな
当時は中継ぎ労働課みたいに言われたっけ
優勝の年まで現役続けてほしかった
阪神ファンで最後は阪神でってテスト受けたのが泣かせる 阪神暗黒時代といっても、1987年から2001年までの長きに渡って続いたから、
このスレ見ても、主に見た時期によってイメージは様々。
ただその中で、一貫して居座っていたのが和田w
>>53
榎田が甲子園では2ボールになっただけで球場がざわつき始めてやり辛かったと言ってる。
ストレス発散なのかも知れないが、容赦なくヤジり過ぎて選手が萎縮してるのでは? 日本シリーズで前の日に打たれた安藤がリリーフで出てきたとき阪神ファンが大きくざわついて星野が怒ってたな
本西とか風岡とかも何のために獲得したのかわからなかった
>>83
長い目で見たら
掛布 ファーストならもう少し長持ちしたかも
岡田 サードならもう少し長持ちしたかも
でもバース手放せるかっていうとなあ >>31
豪速球は投げられるけどストライクゾーンに投げられなくて、カウントを取りに来た甘い球をホームラン打たれて負けるということですね。 大豊とかいう最下位確定の消化試合でチームの連続試合安打記録達成しだすゴミ
片岡とか平塚とか星野伸とかほんと補強のセンスなさすぎ
>>167
夜遊びの後の素振りって衣笠のことだろ
広島に移籍した江夏豊が「衣笠はいくら飲んだ後でも就寝前の300本の素振りは欠かさない
アレは大したもんだ」と感心したエピソードは残っている 全く実績のない選手が谷町に甘やかされて
一流選手ヅラしているようじゃ、
1000年経っても優勝など不可能。
阪神ファンやマスコミはトレードで損したことをいい揚げるけど、
実際は結構トレード巧者で
相手を騙して明らかにいい選手をとってるケースも多いよな。
ロッテから久保康友とかオリックスから平野恵一とか。
>>7
ポジションが決まらなかった岡田を二塁固定、真弓を外野というコンバートが決まって、真弓、岡田の両方が生きたというのが大きいだろう。 関川、久滋と大豊、矢野のトレードだっけか?
あれは両チーム共、損はしとらんだろ
>>194
タニマチが阪神にしかいないと思ってる段階でキチガイ丸出し
1000年ねえ〜
1000年もプロ野球が続くといいんだがw >>198
タニマチがやりたい放題、親会社がされるがままの無力で無能なのは阪神くらい >>198
タニマチが阪神にしかいないわけじゃないが
タニマチの語源は大阪の谷町筋4丁目から来ているからねw >>200
タニマチ付き合いを大事にするため、優勝監督をクビにした中日ってチームがあるぞ >>137
パッキーは年俸で揉めて大洋出ていっただけで
成績はめちゃくちゃ良かったからな。
つか、阪神の外人の半分ぐらいは他球団のスカウトが目をつけてたが
外人枠からあぶれたのを拾った選手
そもそもバースにしてからあれに最初に目をつけたのは阪急。
黒人で給料安いブーマーのほうがお買い得ということでブーマーとった ドラフト1位への期待感は今と暗黒時代では全然違う。特に投手のMax150キロには何度騙された事か‥‥
2リーグ制以降1950〜2019の70年で
・リーグ優勝5回
・日本シリーズ出場6回
・日本一1回
ってすごいわ
どんだけやる気ないんだよw
今でもなんで野田を出せたのか意味がわからない。
あんなクソみたいな援護でそれなりの成績残してたのに。
やっぱり阪神暗黒時代の話は面白い
確かに弱かったけど今よりチームに思い入れがあった
暗黒時代の監督の象徴は、
中村負広と鬼平のどちらかな?
結局さー、1985年に日本一になってから
ファンやタニマチや地元メディアが調子乗りだして
うるさくなったのがいかんのやないの
その前からファンのガラは悪かったが
>>207
そう考えると
広島
・リーグ優勝9回
・日本シリーズ出場8回
・日本一3回
ヤクルト
・リーグ優勝7回
・日本シリーズ出場7回
・日本一5回
誕生してからずっとお荷物球団と言われ続けたチームが、凄い >>197
大豊単体の成績で言えば多少物足りないってのは間違いない
阪神では一度も100試合出てないしね 1. 自分は野球選手である以上、常に勝利というものを目標として野球人生を送りたい。
2. 自分の夢は日本シリーズで優勝する事であり、阪神が日本シリーズで優勝することは、夢にしても出来過ぎている。
3. 中村監督が個人的にあまり好きな人種ではない。陰気臭いという感じがする。
4. 球団がせこい。金儲けのことしか頭にないように見える。
5. フロントの二枚舌が酷いという。傍から見ていてもその信憑性は高いと感じられる。
6. ファンである川藤コーチが辞任した。他の阪神のユニホームを着た人間に打撃など教わりたくもない。
7. 阪神ファンのマナーが悪すぎる。甲子園球場で野球観戦をしたことは何度もあるが、野球を見に来ているというよりも、騒ぎたいだけのバカの集まりのようにしか見えない。
8. これほどまでに勝てないのは育成部門が悪いのではないか。自分も潰されそうで恐ろしい。
9. 阪神沿線が肌に合わない。
10. 大物選手がロクな辞め方をしていない。選手を大事にしない球団には入りたいと思わない。
1991年秋のドラフト前の発言だけど、
30年近く経った今でも何も解消されてないんだよな
>>210
優勝逃したのは打力不足だから、投手を放出してでも強打者が欲しいという判断。
1992年時点だとマイクがエース。野田は少し下がって中込・湯舟・猪俣と同格。
中込はムエンゴなだけ、湯舟と猪俣は左、となると野田。
まったくのトンチンカンじゃない。 >>204
矢野以外、古巣に何らかの形で戻ったのもポイント >>210
いうて野田も移籍初年度に17勝で最多勝をとったからすげーもったいないって感じがするけど、
そのあとはだんだん尻すぼみになっていってるからねえ >>216
吉見が自分にヘコヘコしない若松を目の敵にしてたな >>170
たった一行のレスにのみ過剰反応する大山オタwwwww >>166
馬鹿金村は阪急からちゃんと指名されたぞ。近鉄と競合して近鉄が掻っ攫った。でも阪急の現場としちゃ
幾ら甲子園の優勝投手が奇特にも阪急を逆指名してくれたからって当時の現場が欲しかったのは飽く迄も
即戦力の投手であり金村の逆指名なんて正直迷惑でしかなかっただろうからね。実際ドラフト直後金村が近鉄に
指名されて上田監督は「同じパリーグでがんばろうや」なんてにこやかに言って来たそうだな。
実際その時の外れ1位が山沖だったのは阪急にとっちゃラッキー以外の何者でもなかったな。 >>170
4番にキャリア年数なんて関係ないだろ
平塚 .293 17本 68打点 OPS.805
大山 .258 14本 76打点 OPS.714
100倍とは言わんが平塚の方がマシ 98年だったか
よっさんがエイプリルフールに優勝記者会見開いたのは爆笑したw
>>230
平塚が4番打ってた時期って和田が怪我した時期と重なってしまったので
上位打線がコールズ・久慈・ルーキー今岡と
かなり苦しい状況だった覚えがあるな 巨人戦以外はガラガラの甲子園が懐かしい
85年も優勝争いするまでは今みたいに客入って無かったな
85年の阪神はトレード組のベテランが活躍していたイメージ
弘田、長崎、永尾、野村
真弓や福間もある意味そうだし
>>234
ただ吉竹と併用になって、最後は規定打席に到達しなかった
弘田と吉竹の併用、佐野と長崎の併用をやってて1985年の野手は控えも分厚かった >>230
平塚が活躍したといえるのは現役11年のうちわずか2年だろ?
あとの9年は規定打席にすら到達してねーけど
3年目からは一気にしょぼくれて西武に放出されてるし、
この先大山が何年やるか、何番打つかは知らんが、トータルで考えたら圧倒的に大山が
平塚の通算成績を何倍も上回るのは確実なんだが。
そもそも3年目までの成績(大洋・横浜時代)では圧倒的に大山が上だしよ
どこまで大山嫌ったら気が済むんだよキチガイが >>221
そもそも交換相手が松永だからな、何もおかしなトレードではないし
猪俣あたりで獲れれば万々歳だろうがそんなのオリだってキツいっていうわな トレードには時としてそういう誤算があるものだ
巨人なんて通算0勝の鳴かず飛ばずの投手をクビにしたら
翌年他球団でいきなり最多勝なんてこともあった
阪神は出した深沢がロッテで大活躍とかあったからな
北川だって近鉄で開花
平尾だって阪神じゃ全然だったが西武で相当な活躍
>>140
加藤秀司の経歴調べてビックリした
本当にこんなに見事なまでのパ専な選手いるんだな >>239
「巨人に8年いて9本塁打が、移籍して去年は20本打っちゃいました」 野田とか関川とかトレードで出てった選手は活躍して 来た選手はポンコツ化するって悔しいケースばかりだったけど
平野恵一だけは真逆のケース
>>224
鳥谷も夜の帝王だったな
ほんで今度はロッテに行くという >>5
>これ以降、阪神は若手を出してベテランを獲るという場当たり的な交換トレードはしなくなった。
えっ?
時代をへてトレードがFAという名に変わっただけで
ゴミみたいなベテラン取り捲りなんですが…
(かならず食いつく)
根本的な体質はかわってないよね
星野アゲしたいだけちゃうんか >>241
投手で言えば高橋直樹も
ちなみにどちらも巨人と広島に在籍 >>251
高卒入団4シーズンで通算0勝の三浦
翌年大映に入団して29勝で最多勝 >>249
>(かならず食いつく)
かならず食いつくのは巨人みたいなのを言うんだろうがよ
阪神がここ5年でFA出馬した選手は糸井と西ぐらいだろうが
アンチこじらして頭おかしいだろオマエ FAに加え、メジャー(で通用しなかった)出戻りのベテランも好きだよなw
共通してるのが関西出身とか在阪の他球団(って一球団しかないがw)とか
92年の甲子園 ヤクルトへの帰れコールは忘れない タイガースファンだが甲子園は二度と行く事はない
いつも平塚という選手が言われてるけど
最近の4番新井良太のほうが醜いよねw
>>256
サンテレビのゲストだった、いつもは痛い発言のダンカンさえも
「こんなこと、止めろ」と呼び掛けたくらい >>257
金本最晩年、新井兄・ブラゼル・マートン全滅の2012年、終盤だけ確変 暗黒時代の阪神のが可愛かったろw
Aクラスで優勝争いする阪神って未だにゴリゴリに違和感あるわ
>>260
暗黒時代の前までの阪神は「万年2位」と言われてたのを知らんのかよ ファミスタでも阪神の投手はナムコスターズより糞だった
優勝しなくてもやっていける阪神に
暗黒時代なんかなかったよ
暗黒時代はサッカーの話w
>>43
巨人と違って他球団から横取りしたのは新井くらいだから別物 >>267
金本知憲、アンディ・シーツ
本当にアンチ脳か阪●脳 http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=051-20180326-01
>要は、タニマチ球団なのだ。大阪だけでなく全国どこへ遠征に出かけてもタニマチがおり、選手は連日、彼らに誘われ、夜の街へと出かけてしまう。
>遠征先のホテルに残っているのは、いつもマネジャーと私だけだった。なぜ誰も不思議に思わないのだろう。
この野村の愚痴がよく表してるよな
まぁサッチーの件がなかったら4年目もやろうとしてた人間がどの口で
>翌年半ばに「もう、やめさせてくれ」とオーナーを訪ねた
>結局、さらにムダな2年間を送ることになった
と言ってんだって部分があって野村も野村でクズだったけど タニマチって引退後の面倒とか
見てくれないのかな?
>>271
人によるんじゃね?面倒見てくれる人は面倒みてくれるけど
大抵酒の席でおねえちゃんに「阪神の○○君やで」と紹介しいい気分になりたいだけだろ
これからは井川みたいな酒、たばこやらん奴スカウトしろよって思うわ >>237
何でここで平塚の晩年や大山の将来性を語る必要があるんだよ?
1997年の平塚と2019年の大山の単年比較だろ
お前話が噛み合わなすぎて引くわ 野田オリックスで大活躍、松永1年でタイガースを去る、ファン怒るwww
>>273
そんな設定後から勝手に持ち出すなカスが
1997年なんて最初から言ってねーだろうがよ
ま、糞馬鹿に教えてやるけど1997年の阪神の4番は桧山であって平塚ではない。
平塚が4番を務めたのはほぼ終盤の24試合のみだ。
108試合の大山と比べんなよ >>22
舩木は落合か絶賛したレベルだったけど、阪神の育成がクソすぎて、、、 >>221,>>238
FA制度さえなければオリックスの方が出血トレード
と言っていいくらい格の差がある
ただFA制度導入を覚悟してたオリックスと実現する
わけがないとたかをくくってた阪神の意識の差がね >>224
そう
ID:8Nln7/Vk0はただの知ったかマン >>225
人の目があるところではテレテレ練習して人の目の
ないところで必死に練習する
その上で夜遊びもやりまくりなんだから寝る時間が
なくなるって
カッコつけて選手生命を削っただけ >>228
金村義明を引き当てて山沖之彦の獲得に失敗してたら
1984年の優勝はなかったね
高卒投手の墓場阪急ブレーブス >>178
このネタを親父にぶっ込む和田息子の畜生度の高さよ >>241
加藤秀司はカープで肝炎になった不運もある
近鉄復帰2年目で好成績を残したけど1年目は不調
そして巨人では完全に控えに甘んじたし加藤の場合は
パ専というよりはセ・リーグでは実力を発揮する機会
に恵まれなかった >>207
昔の阪神は電鉄の天下り爺さんにスカウトやらせてたから
スピードガンばかりみてたんだと江本孟紀が言ってたな。
早いだけなら相撲取りに投げさせたほうが良い数値出るやろとか言ってた 80年代は親会社の天下りにスカウトやらせるのが当たり前だったんだよな。
広島だけがプロのスカウト使ってた
>>4
オリックス阪神西武の三球団で四番を打っている
普段は準レギュラー控え なのに、いざ先発となれば
いきなり四番を任される森博幸 佐藤幸彦のような選手は稀にいる >>7
マジレスすると1985年は打線じゃなくて投手陣の起用法に成功したムッシュの手腕で優勝した。 >>1
野田の移籍後最多勝は結果論としても
3年連続でそこそこ働いた24歳の野田と32歳の松永ってさすがにヤバすぎん?(´・ω・`) 阪神って安藤 吉田 中村 和田と内野手出身監督多いのに内野守備の意識低いのが不思議。
近年でまともな二塁手遊撃手って鳥谷ぐらいか
高橋慶彦のタレントからの死球、あったなwww
プロなら避けろと言われていた
>>275
松永はAB型だから仕方なしww
10数年修行した寿司屋の同駅で割烹開業→コロナ前で閉業の糞野郎が居たな→こいつもAB型 >>276
こいつやべーwwwww
バカ丸出しwwwww >>292
なんとなく言いたいことはわかるが日本語滅茶苦茶過ぎないか? アメリカメジャーから来た外国人
「道路が綺麗過ぎる、、、、、、掃除の仕事がないから可哀想」
立場が変わればね
アメリカでゴミ拾うと
掃除の黒人「俺の仕事がなくなるだろ!拾うな!」って怒るんだぞ
立場が変わればね
見方が変わればね
見る角度が変わればね
連邦、、、蓮舫、、、ジオン、、、政治家、、、レジ、、、スタンス、、、警察、、、関東連合、、、ゴミ、、、ネトウヨ、、アルカディア、、、アルカイダ、、、ゴミを捨てる人、、、ゴミを拾う人、、、、誰が正しいか?
公務員VS レジ、、スタンス
フリーターww
>>276
え?
『4番平塚』の話なら97年じゃないの?
まさか96年とか? >>296
阪神時代の平塚が4番を打った試合は、96年が15試合、97年が24試合、98年は30試合、
99年は8試合と4番としての実績などほぼ無いに等しい。
平塚=4番なんて幻想そのものだろ
97年の平塚キャリアハイはほとんど5番打者として築いたもので、大山とは比較は出来んわ 野田のトレードは結果論てよく聞くけど、当時から批判的な声結構あったよ。
野田はその年後半急成長してたからなんで?みたいな。
>>4
平塚は活躍して年俸が上がらないで涙目になってたのを思い出すわ >>156
負広がオマリーを見切ったのは、オマリーが年々増長して手抜きプレーが目立ち出してたかららしい
しかもディアーを新外国人として紹介(実際はオマリーの飲み友達だった)し、見事にハズレだったのが
トドメになったとも >>297
そうだね
4番平塚は記録より記憶に残る起用だよ
大山の将来性は知らん 松永に関しては、
FA取得の年にトレードするフロントが無能だわ
4番平塚は消去法で他に候補もいなかったからな
大山は散々ごり押しして
4番から外せ外せ言われても
頑固に4番起用してたのに
8月になってようやく外したからとにかくイメージが悪い
とりあえず大山ヲタは文章読解力欠如していることだけは理解した
>>308
何の反論も出来ず、すぐに大山ヲタだの認定する頭の悪さはマジで地獄並みだな
キチガイ野郎が
別に俺は大山のファンでもねーし、平塚のアンチでもねーわカス野郎が
おまえみたいなのが阪神ファン名乗ることがムカついてんだよボケ! >>53
平尾もだな
チャラ尾と言われるぐらい外見が派手になった >>308
あといちいちID変えんじゃねーよ卑怯者の白痴野郎が あの暗黒時代がいちばん楽しかった
モノホンの虎ファンにしか、この気持ちは分からんやろうな
>>313
わかるわ
弱いけど今ほど怒りは込み上げてこないんだよなw
何か愛せる弱さだった 真弓だけじゃなく若菜、竹ノ内もだからね
田淵には悪いがあれはでかかった
>>314
キチガイは
NGにしとけよ
ウスラボケ >>18
当時の一軍外国人枠は2つ
この年は郭李の獲得により、場合によってはオマリーとパチョレックのどちらかを二軍に落とすケースが予想された
ただでさえ貧打解消が目下の課題だっただけに、投手を1人削ってでも常時出場かつ打撃力のある野手の補強は必須だった >>282
尚且つ80年代後半に西武、近鉄と優勝争いすることもなかったろうね >>302
ディアー来日直後、
ワイの妹がどういうわけかディアーと遊びで卓球する機会があった
その翌日妹が
「今度阪神に来るディアーとかいう外人、絶対アカン!
卓球やったけど全然センスない!
あいつは野球も絶対センスない!」
と吠えた
シーズンが開けて実際、ディアーはセンス無かった NPB史上で3年連続最下位を記録したのは野村監督だけです
松永、確かに結果は残念。
でも何か方針決めて、その為に必要かつベスト(か次善)な策を取った上で失敗なら
グチったりボヤくことはあっても、責めるべきじゃない。
他の代表例だとサッカー、ドーハの悲劇。
最後まで攻めると決めた。だから守備より攻撃型選手を投入。
的外れじゃない。
>>322
いくら頑張っても野村の評価は下がらない、残念。
1997年なんか最下位じゃなかった(5位)けど、野村時代より悲惨。 周りからはネタ球団としてファンもろもろ
楽しませてくれたよね
>>325
ずば抜けて弱かったろ、野村時代の阪神は
中村の時は2位やAクラス争いはあった
野村の時代は夏場くらいにはAクラス入りすら可能性なかったし 野田の放出の理由の一つが嶋尾のめどがついただっけ
この理由も謎だったな、防御率は少しいいとはいえケガをしてる25試合投げただけのセットアッパーに期待しすぎだろ
>>316
田淵幸一より二学年上(確認して驚いた)の竹之内雅史
はまだしも若菜嘉晴とトラブルになり竹田和史は戦力に
ならず
新生西武ライオンズとしては全国区のスターとして田淵
を獲得したメリットは計り知れないし田淵が広岡達朗に
従順だったおかげでチームの崩壊を防げた >>319
1989年の防御率は壊滅的だけどね
打線の援護だけで二桁勝利
でも他に投げさせるピッチャーが居なかった >>321
若干財布の紐が緩い川勝傅みたいなもんだからなあ >>327
春から初夏まではまずまずなんだよな
99年は開幕11連勝した中日以外で首位に立ったのは阪神だけだし
2000年は春に9連勝したり
99年はジョンソンのサヨナラホームランが最後のしっかりした記憶だわwww >>327
「弱者の野球」とか言って天狗になってた結果が
コレ
ヤクルトは前任者がキッチリと中軸を育ててたし
スカウトの能力が高くて毎年有力選手を獲得
確かに野村克也の洗脳は大きかったが武上四郎の
後遺症を乗り越えて強くなる途上だった >>315
とことん堕ちるトコまで堕ちて、あとは上がるだけっていう、希望しかない状態だしなw
あと、そんな状態に慣れちゃって、ダメならダメで色々と自虐的に楽しめるようになっちゃったのよな >>336
とんでもない
オフに入って今年は堕ちるとこまで堕ちたなあなんて呑気に思いつつ翌年開幕したら更に転落が止まらず「まだ底があったのか」と愕然
暗黒時代は毎年その繰り返しだ
振り返ればそれも良い思い出という話ならわかるけど、リアルタイムで黒星街道を楽しんでたなんて絶対ウソ
ウソじゃなければそいつは感覚が麻痺している >>245
元々は荒削りな投手だったけど、成長してきて特に最後の1年は「開眼か?」ってくらい良化して、来シーズンが楽しみだったからね。俺もショックだったのを覚えてる てか最近テレビで真弓みたけど変わらずイケメンで驚いた
>>327
中村が暗黒の象徴になってるけど暗黒のドン底は鬼平と3次吉田。
中村時代はやらかしながらも必死にあがいて頑張った。
野村時代は赤星と井川が出た。それと、勝手に干された設定の今岡も成長してる。 >>325
1997年は開幕前巨人のパーティーに吉田監督が招かれて
「今年は阪神も侮れませんよ」みたいなスピーチをしたら会場が大爆笑だったのは覚えてる。
清原を迎えた長嶋巨人は開幕から最下位を爆走、
終盤にようやく中日と阪神を抜いて4位になったが
阪神とのゲーム差は確か1.0か2.0。
阪神の弱さより巨人の体たらくが目立ったシーズンだった。 >>177
広島黒田の実家のシャッター破壊もあったな >>146
中村勝広監督就任時に
やくみつるに言われてたなあ
「あのオーナーじゃ誰が監督でも同じ」って
ちなみに安直に熊の顔にされてた >>344
思い出した。ロッテが千葉に移転を言い出す直前のそん当時、何かの今は無きスポーツ漫画雑誌でやくが特集やってたんだけど、
12球団各チームからだぶついてる選手を持ち寄って千葉に「幕張ピーナッツ」なんてチームを作ってみたらどうか?なんて言ってて
その際阪神から持ち寄る選手についてだけは負広の「このチームとうちのメンバーを全員とっかえてほしいぐらいだ」て悲しい台詞が
頭に焼き付いてるねw >>342
何だかんだ言いながらも巨人は75年のただの一回きりなんだな最下位になったのは >>346
その1975年の時点で阪神は1度も最下位になったことがなかった
先にドベになったのは巨人だった
今となっては何のアドバンテージにもならない話だけど >>320
何をどうやったらディアーと卓球出来るチャンスが生まれるのか、マジで知りたいわ。 星野監督 「(来たばかりの時は)腐ったようなチームでしたから」
これが本音
>>347
阪神初最下位はヤクルト初日本一の1978年。
田淵トレードも江川トレード(あんな無茶に応じたのも)も危機感。 なんか最近の野球スレは年寄り向けの懐古スレばっかだな
しかもすぐ落ちる
少しは自粛しろよ
>>352
今語る事が無いんだから
過去厨でいいんだよw
じっくり語らせろや 30代以上は阪神タイガース=万年Bクラス、地味、弱い、ダサいの固定観念がいまだに抜けない
でも、あの頃の阪神の試合は面白かったぞ
ノムさんくらいまでは個性的な選手を上手く組み合わせて試合してたし
>>301
調べてみたけど、平塚のキャリアハイが97年で
97年 2600万
98年 4900万
188%アップ
これだけ見ると悪くない。
ちなみにこのスレでの比較対象の19年の大山が
19年 3000万
20年 4700万
156%アップ
時代背景の違いがあったとしても、当時の平塚はしっかり金銭評価もされているといえるだろう。 >>358
新庄をいじめ倒した監督というイメージ
それも差別的感情から
もちろんいいイメージはない >>355
何かを心の拠り所にするのは楽しかったな。
94年の古溝・代打真弓
98年の坪井
99年の福原・遠山・一瞬だけジョンソン
00年の新庄
01年の赤星・井川
それすら出てこない95年〜97年が個人的暗黒期。
特に96年は見てるはずなのに記憶が無い。
横浜と無駄に長い延長戦したのと、木戸・中西の引退試合くらいか? 坪井は新人の打率記録を持ってるのに1000安打もできなかった
打率以外の要素がイマイチだったとは言え
>>360
1996年
二軍暮らしの亀山、連日遅刻でトラブル。(睡眠障害の病気が原因)
大量の鼻血で点滴しながら球場入り。
シーズン終了直前、もう最下位も決まってたのに鬼平途中解任のゴタゴタ。
テレビカメラを乱暴に跳ね除ける鬼平。 >>362
鬼平の籠城あったな。
後はバースの応援歌使ったマースを思い出した。
全てネタであるが。 田尾はサヨナラHR3本打ったりけっこう頑張ってくれた印象あったな
暗黒時代は阪神の勝ち試合だけプロ野球ニュースを録画してたなw
フジ版の24時間テレビ(27時間ではなかった)の日も勝ってて、さんまが
解説の大崎三男とやりとりしてたw