【序章:"おのぼりさん"の語源】
〈おのぼりさん〉とは、広く知れ渡っているが、その語源はどこにあるのだろうか?
いわずもがな、であろう事と思うが、語源は京都だそうである。
遡ること平安時代、華やかな京美に彩が溢れている時代。京都には天皇が住んでいた。
そう、当時でいうところの朝廷である。京の都は天皇のお膝元であり、京の都には誇りがあったそうな。
他の都の追従を許さない程に発展していた京都に、よそから人がやってくる。
すると、あれよあれよと周りを見渡してしまう。そう、《おのぼりさん》とは、上京してきた人の様子を表す言葉なようだ。
そこで今回、〈おのぼりさん〉に対義する言葉の語源を調べてみた。読んで字の如く《おさがりさん(おさがり)》である。
パッと思いつくのは、京の都から出て行った人を指す言葉だろう。しかし、調べてゆくと全く異なる語源が、そこに隠れていた。
現在、私たちが《おさがり》と聞いて思い付く事は、「古着をもらう」事ではないだろうか?例えば、姉や兄が使っていた服を、妹や弟が貰い受けることだ。
言い方は悪いが、中古品を貰う事、これが《おさがり》である。
実はこれが〈おのぼりさん〉に相対する《おさがり》の語源のようで、京の都で囁かれていた"ある出来事"から派生した語源のようなのだ。
【1章:"ある出来事"と"宴会"】
ある出来事とは、醍醐天皇や後白河天皇の時代であるが、宮中では毎晩のように『乱痴気騒ぎ』があったそうな。
今で言うところの『乱交パーティー』といった所だろうか。
特に後白河天皇の娘や息子は、夜な夜な"身内で宴会"をするのが好きだったようで、これには"タブー"を含めた"儀式"も絡んでいた。
これについては、後白河天皇と儀式に影響を受けた『かごめ唄』にもその痕跡を見る事ができる。
これが京の都内で囁かれ、内親王をはじめとする宮中の女性が結婚する際には、既に純潔さが無くなっていた為に隠語として定着した言葉、それが《おさがり》のようである。
平安時代といえば、夜這いが当たり前のように感じるかもしれないが、実は違うのである。平安時代の上流階級は、男性に顔を見られる事ですら恥らいを感じていた。
現代で言えば「超絶ウブな娘」と言ったところだろうか。
例えば、夜這いには正式な方法があるようで、気に入った男性や女性と"和歌"を介して意思の疎通を行っていたようなのだ。
それも、いきなり会うのではなく、信用できる仲介人(使いの者)に和歌を託して届けさせるといった具合であったそうな。
何せ、顔を見せる事ですら恥じらいを感じる超絶ウブな女性であるから、相手の男性も本人も何処で見た相手か分からない。
だから仲介人を立てて意思の疎通を計るのだ。
【最終章:"おさがり"の語源と"夜這いの文化"】
この後に、意中の相手である事が分かれば、お次は相手の御自宅に、夜に行くようである。ただし、この時いきなり相手の布団には潜り込めない。
何せ、夜に行くのには意味があるからだ。そう、出入りを極力さとられないよう、人目が少ない夜に這うように行くのである。
お相手の御自宅に到着すると、夜の帳で顔がはっきりと見えないが、蝋燭の明かりが簾(すだれ)を透けて顔を照らす。
この時に、相手の顔を再確認できるといった具合だ。
お相手との間を仕切る簾一枚があるが、この時もまだ簾の中には入れない。
簾を目の前にして、意中の者同士がまた和歌を交換して帰って行く。
なんとも、もどかしい気持ちになるが、そこは貞操感に優れた平安時代だから大丈夫。
これを幾度か繰り返し、結婚が確実に決まった時点で簾の中に入れるようになる。とまあ、このような一連の交流を経て、慶事となるのである。
ところが、このような流れを無視して簾の中に入っていたり、複数の男性と関わりがあったりすると…
『……夜這い(笑)』と言われるのである。
そう、平安時代の宮中で行われていた"宴会"はまさに、『……夜這い(笑)』をはるかに"凌ぐ事"であったのだ。
したがって、このような女性が降嫁(結婚)すると、貰う方は、そこまで困窮しているのか? といった具合になる。
これが現代の日本に広く知れ渡っている《おさがり》の語源であり、〈おのぼり〉の対義語である事が分かるのである。
いやはや、語源とは実に辛辣な意味合いがあるものだと思わされた今日この頃であった。
《文&調査:鬼畜の和洸★》
参考記事:https://imgur.com/Z7KyLPf
〈おのぼりさん〉とは、広く知れ渡っているが、その語源はどこにあるのだろうか?
いわずもがな、であろう事と思うが、語源は京都だそうである。
遡ること平安時代、華やかな京美に彩が溢れている時代。京都には天皇が住んでいた。
そう、当時でいうところの朝廷である。京の都は天皇のお膝元であり、京の都には誇りがあったそうな。
他の都の追従を許さない程に発展していた京都に、よそから人がやってくる。
すると、あれよあれよと周りを見渡してしまう。そう、《おのぼりさん》とは、上京してきた人の様子を表す言葉なようだ。
そこで今回、〈おのぼりさん〉に対義する言葉の語源を調べてみた。読んで字の如く《おさがりさん(おさがり)》である。
パッと思いつくのは、京の都から出て行った人を指す言葉だろう。しかし、調べてゆくと全く異なる語源が、そこに隠れていた。
現在、私たちが《おさがり》と聞いて思い付く事は、「古着をもらう」事ではないだろうか?例えば、姉や兄が使っていた服を、妹や弟が貰い受けることだ。
言い方は悪いが、中古品を貰う事、これが《おさがり》である。
実はこれが〈おのぼりさん〉に相対する《おさがり》の語源のようで、京の都で囁かれていた"ある出来事"から派生した語源のようなのだ。
【1章:"ある出来事"と"宴会"】
ある出来事とは、醍醐天皇や後白河天皇の時代であるが、宮中では毎晩のように『乱痴気騒ぎ』があったそうな。
今で言うところの『乱交パーティー』といった所だろうか。
特に後白河天皇の娘や息子は、夜な夜な"身内で宴会"をするのが好きだったようで、これには"タブー"を含めた"儀式"も絡んでいた。
これについては、後白河天皇と儀式に影響を受けた『かごめ唄』にもその痕跡を見る事ができる。
これが京の都内で囁かれ、内親王をはじめとする宮中の女性が結婚する際には、既に純潔さが無くなっていた為に隠語として定着した言葉、それが《おさがり》のようである。
平安時代といえば、夜這いが当たり前のように感じるかもしれないが、実は違うのである。平安時代の上流階級は、男性に顔を見られる事ですら恥らいを感じていた。
現代で言えば「超絶ウブな娘」と言ったところだろうか。
例えば、夜這いには正式な方法があるようで、気に入った男性や女性と"和歌"を介して意思の疎通を行っていたようなのだ。
それも、いきなり会うのではなく、信用できる仲介人(使いの者)に和歌を託して届けさせるといった具合であったそうな。
何せ、顔を見せる事ですら恥じらいを感じる超絶ウブな女性であるから、相手の男性も本人も何処で見た相手か分からない。
だから仲介人を立てて意思の疎通を計るのだ。
【最終章:"おさがり"の語源と"夜這いの文化"】
この後に、意中の相手である事が分かれば、お次は相手の御自宅に、夜に行くようである。ただし、この時いきなり相手の布団には潜り込めない。
何せ、夜に行くのには意味があるからだ。そう、出入りを極力さとられないよう、人目が少ない夜に這うように行くのである。
お相手の御自宅に到着すると、夜の帳で顔がはっきりと見えないが、蝋燭の明かりが簾(すだれ)を透けて顔を照らす。
この時に、相手の顔を再確認できるといった具合だ。
お相手との間を仕切る簾一枚があるが、この時もまだ簾の中には入れない。
簾を目の前にして、意中の者同士がまた和歌を交換して帰って行く。
なんとも、もどかしい気持ちになるが、そこは貞操感に優れた平安時代だから大丈夫。
これを幾度か繰り返し、結婚が確実に決まった時点で簾の中に入れるようになる。とまあ、このような一連の交流を経て、慶事となるのである。
ところが、このような流れを無視して簾の中に入っていたり、複数の男性と関わりがあったりすると…
『……夜這い(笑)』と言われるのである。
そう、平安時代の宮中で行われていた"宴会"はまさに、『……夜這い(笑)』をはるかに"凌ぐ事"であったのだ。
したがって、このような女性が降嫁(結婚)すると、貰う方は、そこまで困窮しているのか? といった具合になる。
これが現代の日本に広く知れ渡っている《おさがり》の語源であり、〈おのぼり〉の対義語である事が分かるのである。
いやはや、語源とは実に辛辣な意味合いがあるものだと思わされた今日この頃であった。
《文&調査:鬼畜の和洸★》
参考記事:https://imgur.com/Z7KyLPf